勇者に執着されて絶望した双剣の剣聖は、勇者の息子の黒髪王子に拘束されて絆される

緑虫

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39 セルジュ

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 混乱に乗じて神殿を逆走していくと、大して見咎められることなく神殿の門を出ていくことができた。

 だけど、神殿を囲む聖都の様子を見て、俺は思わず足を止める。

「な……っ!?」
「まさか、火を点けるとは……っ」

 俺の背中で荒い息を繰り返しているセルジュが、口を開けっ放しの俺に変わって言ってくれた。

 辺り一面、火の海だったのだ。

「これじゃ野営地に行けないじゃないか!」

 よく見れば、松明を持って火を点けて回っているのは神官服を着た男たちじゃないか。

「……降伏より、死を選ぶのか」
「尊厳を守るつもりなのでしょうかね……死んでは何も残らないというのに」

 俺たちが来た道は火に包まれてしまっている。

 ここでこうして突っ立っている内に、どんどん逃げ場を失ってしまうんじゃないか。

 手当てをしても、セルジュのこの様子だと助かるかは元々微妙だった。でも、野営地にはわずかばかりでも癒やしの力を使える医療班がいた。

 彼らなら、セルジュの傷ついた内臓も修復できるんじゃないか。それに賭けてみるつもりだったのに。

「ファビアン様……まずは火のない場所へ避難しましょう」
「ん……」

 セルジュの言葉は正しい。とにかく、野営地まで迂回してでも戻らないとだ。

「セルジュ、頑張れよ! 必ず助けてやるからな!」
「はい、ファビアン様……」

 煙とセルジュを失ってしまうかもしれないという恐怖から、止めどなく涙が溢れてくる。俺は泣きながらも、必死で火の手が緩まっている道を探しては進んでいった。

「セルジュ、大丈夫か?」
「はい……」

 セルジュの声が、どんどん弱くなってきている。俺の腕が抱えているセルジュの腿にまでセルジュの血は到達していて、ぐっちょりと滑って掴みにくい。

 と、セルジュがハアハア言いながら前方の一箇所を指差した。

「ファビアン、様、あそこは火がないようです」
「行ってみよう!」

 セルジュがこの期に及んで俺を助けようとしていることは、俺にだって分かった。俺の傷は、セルジュのに比べて浅い。火にさえ焼かれなかれば、生き延びる可能性は高かった。

 ――でもこの先、俺はセルジュなしに生きていきたくないよ。

「はあ……っはあ……っ」

 腹部の傷がズキンズキンと痛むのを懸命に堪えて、火が燃え移っていない道の先を進む。

「ここは……」

 そこには、確かに火は燃え広がっていなかった。広場なんだろうか、円形の石畳の中央には、水をたたえた噴水がある。

 だけど、行き止まりだった。広場の周囲の建物は全て燃え盛っていて、もうこの先行ける道はない。

「ファビアン様……噴水の近くへ、行きましょうか」
「うん……」

 火が収まれば、生きてさえいれば何とかなるかもしれない。

 でも、俺はひとりで生き延びる気はなかった。

 噴水の縁に、セルジュをもたれかからせる。炎に照らされて赤く見えるのに、血の気がなくなっているのが分かった。

 茶色い目が暫く彷徨ってから、俺の目を捉える。多分もう、あんまり見えてないんだ。嫌だよセルジュ、俺を置いていかないでよ。

「ファビアン様……お願いしても、いい、ですか……?」
「お前を置いて逃げろって言うなら断るぞ」

 泣き顔で答えると、セルジュがフッと笑って首を横に振った。

「膝枕を……してほしいです……」
「すぐにしてやる!」

 俺はセルジュの横に座ると、セルジュの上半身をなるべく優しく持ち上げて、俺の腿の上に頭を乗せる。仰向けになったセルジュは、震える手を俺の顔に伸ばしてきた。

 俺はセルジュの手を掴むと、自分の頬に引き寄せ押し当てる。どんどん冷たくなってきている。やだ。もう嫌だ。

「ファビアン様……最後まで約束を守れず……申し訳ございません……」
「そんなこと言うなよ、お供しますって言ったじゃないか……!」

 どんどん虚ろになってくるセルジュの瞳。俺は背中を曲げてセルジュに顔を近づけると、セルジュの唇に俺のものを重ねた。こうしたら、俺の元気を分けてあげられないかな。そんな馬鹿なことを願いながら。

「忘れないで下さい……私は貴方を、心から愛しておりました……」

 俺はセルジュの頬に手を当てると、セルジュに向かって怒鳴る。

「忘れないし、お前は死なない! 俺だってセルジュがだいだいだーい好きなんだ! 置いていったら怒るからな! だから絶対駄目だからな!」

 優しい弧を描いたセルジュの目尻から、小皺に沿って涙が流れていった。

「ファビアン様……国を出て、逃げ切って下さい……」
「それはお前も一緒なんだって! 俺は――ひとりじゃやだ! 無理なんだから!」

 ぼたぼたと落ちた俺の涙が、セルジュの頬を濡らす。

 セルジュが、目を細めて笑った。震える指が、俺の唇を弱々しくなぞる。

「私は……最後まで貴方の盾でいられたことを……幸せに思っております……」
「やめろよ! お別れみたいなこと言うな!」
「ファビアン様……どうかお幸せ……に……」

 スウ、と魂が抜けていくように、セルジュの身体から力が抜けていった。

「……セルジュ?」

 嘘だろ。嘘だ、だってお供しますって、俺と一緒にいるって約束してくれたじゃないか。

 セルジュの薄く開いた瞳が、俺を見たまま停止する。

「やだ……やだ、駄目だ、逝っちゃやだよ、セルジュ!」

 セルジュの頬をペチペチと叩く。きっと寝ているだけだ。セルジュは俺を置いていったりなんかしないんだから。

「セルジュ! 起きてよ!」

 セルジュを揺さぶると、顔が俺の方に向かって力なくこてんと傾いた。口の端から、たらりと血が流れ出ていく。

 先程まで激しく上下していた胸は、いつの間にか静かになっていた。

「……セルジュ、セルジュ、セルジュセルジュセルジュ!!」

 泣いても叫んでも、セルジュは動かない。

「う……うわああああっ!」

 どうしようもなくて、何も考えられなくなる。俺はセルジュの頭に抱きつくと、叫びながら泣いて泣いて、泣き続けた。

 ……どれくらいそうしていただろう。

「セルジュ、目を開けて、お願い……」

 セルジュの頭を抱えて、セルジュの顔に口づけを落とし続ける。

 と、その時だった。

「お前……! 敵将だな!」

 若そうな、まだ半分子供みたいな男の声が、頭上から振ってくる。俺は目からも鼻からも水分を垂れ流した顔を上げた。

 立って重そうな剣を構えていたのは、煤だらけの神官服を着た少年。

「お、お前を倒して、勲功を立ててやる!」

 少年の腕は、ブルブルと震えている。人を切ったことがないのかもしれない。

「――いいよ、そうして」

 俺が答えると、少年は目を見開いた。セルジュを見て微笑むと、少年に告げる。

「俺、この人と一緒に逝きたいんだ。だからさ、ちゃんと心臓を狙ってくれよ。ここな」

 トン、と胸の中心に手を当てると、少年はごくりと唾を呑み込んだ後、「い、いくぞ……!」と剣を掲げた。

 俺はセルジュの茶色い、最近はちょっと白髪も混じり始めていた髪を撫でると、目をゆっくりと閉じて来るべき瞬間を待った。
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