石炭と水晶

小稲荷一照

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百万丁の花嫁

カシウス湖第四堰堤 共和国協定千四百四十六年白露

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 カシウス湖の浄水設備初号群が実証試験稼働を始めたのはロゼッタがおよそふたつきほどのエンドア滞在から戻ってきた頃だった。
 様々に複雑そうな構造を持った機械群ではあったが、構造としては濾過分溜濃集分離という工程を繰り返し、圧力と温度と電位によってひたすら水中の混濁を質量や形状性状で篩にかけ続ける。ちょうど大量生産が始まっている軍用ビスケットなどの食品工場や火薬などの薬品工場とやっていることの基本は一緒である。
 ただ、既に二千年近く混濁している材料の質があまりにあやふやである点が、装置が巨大に膨れ上がり複雑な構造を必要としている理由だった。
 一旦部品が流れるように生産設備が動き始めると、一群四千七百三十二基の浄水装置を整備することはそれほど難しいことではなかった。
 これからしばらくは低率運転で一日五万グレノルほどの汚水を浄化する計画になっている。膜を慣らし運転を確認しつつ、年内に三十万グレノルほどに乗せて、更に様子を見るということになっている。それは大雑把に計画全体の四分の一から十分の一程度或いは実際は千分の一ほどにあたるのか、まだ全く全体の見通しがない状態での機械の能力ではあるが、第一堰堤から第二堰堤に流れ出していると考えられている量とおよそ同規模で、或いはいずれ運転状況を見てゆけば機械の設計上は流出分を上回る見込みでもあれば、無意味な、というほどに無力な量ではなかった。第二堰堤は第一堰堤と比べると規模構造ともに不安を感じさせるものではあるが、今のところおそらく設計通りの機能を発揮している。
 最も楽観的な想定としては最低限十分な仕事をしているという言い方もできる。
 しかしそれでも現実の大きさからすれば全く無力感を感じる量だった。設計上一日最大九十万グレノルあまりの汚水が処理出来るようになるが、それでも二百年弱くらいはかかる計算になっている。一号群の稼働実績を見て二号三号と稼働させることも考えればいいが、実のところ水かさが減る以上の意味はなく、維持費を含めた運転費用を回収する目処はまだない。
 浄水槽前後の沈殿濾過槽と濃集槽の資源回収は今のところ実験以上には目処がなく、品質はともかく出力に余裕のある電源が必要だった。
 山岳部の垂直軸式風力発電機は施設の居住区画の電源としては十分だったが、動力電源としては貧弱すぎ品質についてルーズな施設とはいっても出力の見込みが小さすぎた。百キュビットを超えるような縦長の或いは五百キュビットほども巨大な風力発電機があれば風力発電機は圧倒的な設備効率を示すはずとは考えられたが、それも今のところは画餅としかいえない材料と機構上そして計画上の問題があった。
 駆動機構として風力発電機は極めて単純なものではあったが、単純なものではあっても大規模になれば構造上の様々な問題が合わせて大規模になり、巨大な橋まるごとと同じ規模の駆動機械ともなればその問題は一丁とはゆかなかった。
 とは云え全く対策がないというわけでもない。
 問題はそれに見合う投資と管理ができるかということだった。
 運動機構は経年疲労で当然に破壊がおこなわれる。巨大な構造であればその管理は当然に相応の手間がかかる。そして破壊がおこなわれたからといって回転体が即座に止まるとは限らない。各高度の運動を集合させることで見込み運動を確保する巨大な垂直軸式風車はその軸方向の長さつまり高さによってエネルギーを確保するわけだが、それは竜巻に似た効果をゆるやかに地上に巻き起こす。一般にそれは装置の冷却と粉塵の停滞を許さないことで機構的な洗浄を期待されるが、想定外の速度の運動が起これば、人工の竜巻はたちまち危険なものになりうる。そして限界を超えた速度で運転する構造体は破断分解する。それは構造上の耐えられる力の総和を超えての破壊であるからそれなりの威力を発揮することになる。
 つまり管理の悪い風車は最終的にどういう風に壊れるかわからない。そして巨大な垂直軸風車はその設備管理も相応に手間がかかる。その手間の大きさは自然の気まぐれに左右されることになる。突然の機械の破壊を防ぐためには常駐する人員による綿密な管理が必要になるし、大型の動力機械を立ち並べた施設ということであれば、単純な機械といっても人数が必要になる。
 機構そのものは単純なので一般的な状態では問題は想定しにくいが、想定外の状況に対しては運用実績に応じた柔軟な対応が求められる。
 実績に応じた柔軟な対応、というと耳障りは宜しいが、つまりは予定の立たない計画と評価の難しい報告、ということになる。
 とは云え全く不可能というわけでもない。実績としての機構の不調が無視できるほどに小さい構造的な余裕があれば柔軟な対応というものは極めて微小な労力にとどまることになる。
 十分に重量比強度に余裕のある材料と運転規模に余裕をもたせることで、機構的な信頼性を確保するというのは運動機構の基本で動力装置の基本でもあった。
 計算出来ないままに大きな力を取り出す機械と計算ができるものの危険のある大きな機械を取り出す機械のどちらが良いかという問題は、とても難しい問題であるが取り扱いの問題を考えれば装置が小さく収まるほうが日常の扱いは簡単で、核反応動力装置の方が巨大風車よりも面倒が少なかろうと云うところになった。
 どっちにしても面倒と問題は付きまとうのだが、そもそもにカシウス湖の汚水処理の問題は動力としての余裕が必要な問題で、いちいち先の読めない問題に頭を悩ます気にはなれなかったし、それだけの余裕を絞り出すには風力発電機の規模が大きくなりすぎる。予め承知できる危険ならそっちの方がマシ。そういうことだった。
 どちらにしても採算としては期待ができない個人の財布の中である話題であることも重要な意味を持っていた。
 ここから先のカシウス湖への対応は実のところ第四堰堤の完成と同時に公的な事業から次の話題に移っていて、既に誰にも絵の描けない状態になっていたから、危険だ安全だとか儲けや損というところを能書きの口上を額面通りに受け取ることはできなくなっていた。
 そもそもの話題で云えば汚水がどこから湧き出しているのか、というところを誰も説明できていない。山間一帯を禁足としてカシウス湖を封じ込めるという措置はもちろんフラムの鉱山組合の総意ではあるが、その措置の成否はともかくカシウス湖の危険というものがどういう種類のものであるのかを説明できる者もいなくなってしまった。
 そのことが一から全てを積み上げるしかない状態にしていて、とりあえず何百年かは汚水を支えられる第四堰堤の完成と、同じく何百年かでカシウス湖の汚濁を汲み出せるかもしれない浄水設備の稼働ということになった。
 あまりに気の長い話で何百年ではなくせめて百何十年か、欲を言えば何十年かで決着を付けて欲しいと考えるのは、全く無責任な蒙昧な立場の人々の言葉ではあったが、気分の上ではマジンも全く同意していた。
 少なくとも何らかの利益を求めるつもりなら百年くらいの事業に収めないと利益が誰にも見えず、いずれ顧みられないことになる。第四堰堤もかなりの工事をなして機能の上でその自信もあるが、規模の大きな事業のほつれは些細な事でも大きなものになる。
 第四堰堤の位置はかなり吟味したものだったから、この先もう一つ例えば第五堰堤を築くとなれば、またひとしおの苦労を後の人々は負うことになる。
 マジンがどう考えても不採算或いは不可能事とも見えた難事業であるはずの第四堰堤事業をあっさりと引き受けられたのは、鉄道事業というこれまたどうあっても膨大な資材と人員とを必要とする事業を立ち上げるにあたって、そのための資源調達のための巨額の投資を必要としたからであって、真正面から第四堰堤事業のような採算などという言葉を欺瞞と明らかにするような事業に単独で注力する道理はどこにもなかった。
 はっきり云えば、元老が集い動議をどのように発するか相談を行ったあの時のポルカム卿の態度は責任ある事業者としては全く正しい態度ですらあった。
 できるかできないかで云えば可能という工学的な結論と、社会的に必要不要で必要と応える結論は、しかし経済的に意味があるのかないのか、或いは政治的に誰のもとに責任があるべきか、という問い掛けはおよそ別物でもあった。
 幸いにして誰もが大きな傷を負う事なく初動を乗り切った第四堰堤建築事業とそれに続くカシウス湖の汚水処理事業は、実はこれからがようやく本番でもあった。
 中間層において海水と同程度に様々な成分の混濁したカシウス湖の汚水は濃縮減量までは容易でも材料化には一段の難問がつきまとっている。
 高圧溶融炉で汚泥をガラスに溶かしこんで無害化する、という資源化とは全く別の技術は全く有望でこれも第四堰堤の資源投資の成果でもあったが、なんというべきか、どう言葉を選んでも面白いものではない。
 現状において汚泥はガラス化することが一番単純な処理方法であったが、実験設備での試験の結果としては、水銀や鉛或いは鉄亜鉛錫などといった比較的豊富な金属を順番に回収することで汚泥の体積を圧縮しながら資源を回収することは比較的容易であると思われた。
 もちろんある程度以上の規模になると設備や電力の規模が巨大になるわけだが、それはこの後の新型発電機の登場と実績が計画に追いつくかにかかっていた。
 理屈の上では電気的な誘導や結晶の析出をおこなって、連続的にある一定範囲の組成の形に整えてようやく鉱石化材料化ができるようになる。
 そのためには膨大な電力と熱を自在に安定的に専従して使えるようにする必要があった。
 なんにせよ、カシウス湖の水中鉱山という話題で云えばまだまだ始まってもいなかった。
 新型動力装置の登場とその成果こそがデカートを救う鍵であると云えた。
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