224 / 248
装甲歩兵旅団
ローゼンヘン館 共和国協定千四百四十五年冬至
しおりを挟む
その年のローゼンヘン館はこれまでになく華やかに冬至の年越しの祭りを迎えていた。
おおかたの話として会を飾る華やかさ賑やかさというのは、楽しげな顔で集う人々の数とその無法で無邪気な無礼講の歓談であり歓声であるので、ともすれば騒がしさを伴った賑やかさである。
これまで城塞か修道院のような重たげな静けさと共にある事のほうが多かったローゼンヘン館が久方ぶりに賑わいだのは、これまでのような年の瀬に滑りこむような商隊や装備の引取のためにやってきた軍用行李によるものではなかった。彼らのいくらかは予算上の或いは伝票上の都合のために日数の融通の効くどこかで年越しをおこなう必要があったりということで、或いは単に雪の中での野宿を嫌ってローゼンヘン館を訪れていた。
軍需に協力しているここ数年は徒弟を百名ほども住み込ませていて、一種の学舎のような面も覗かせていたローゼンヘン館ではあったが、冬至の祭りは家のある家族のある徒弟は家に帰っていた。鉄道がおよそのところまで通っていたし、帰省を望む徒弟たちに二輪自動車を貸してやるくらいには館の主の気前は良かった。主の格、館の格、或いは事業の格のどれを考えてもローゼンヘン館は人の少ない建物で、出来の良し悪しよりも人寂しい屋敷だったが、冬の休みに入ると徒弟が離れ村からの月雇いの者も里に帰りとなることでひどく静かになる。
そういう休みとは縁のない商隊の一員や軍や役所勤めの者達にとって、ローゼンヘン館は落ち着ける場所ではあったし鉄道のおかげで面倒の多くが減ったものの、責任を担う者に従う者達にとっては楽しみの少ない土地だった。
ゲリエ村はそこそこに拓けてはいたが、狼虎庵や駅頭の出屋敷で終わる商談ばかりというわけではなく、特にここ数年のようにゲリエ卿があちこちの地に活発な活動をしていると、単に商談というだけでない込み入った口上を伴った挨拶や取引も増えていて、そうなると幾らか気の利いた商人や名士は贈り物と手代や執事を送り込んで本宅ローゼンヘン館まで乗り込んでくるようになっていた。
以前からデカートの元老たちからはそういった挨拶を無碍にするものではない、と忠告というか注文或いは指導を受けてはいたが、家人が少ないことを理由に多くは断り、そのためにゲリエ村に出屋敷を作ってそこで応接をしていた。
実のところマジン本人にとっては多くは興味のない事柄ではあったし、多くは物見遊山でローゼンヘン館を訪れていたが、さりとて無下に断ることも意味がなく、しぶしぶとならないように客をもてなす努力もして、用向きに応じた執事をあてがいとしていた。
雪深さというものは鉄道の有無にかかわらずやはり旅の障害で、冬雪の季節に訪れる客というものは、その実がどうあれゲリエ卿ほどの家格であれば、よほどの面倒の客であっても追い出さないもの、という認識が世間一般の基準であったから、ゲリエ村の出屋敷はおよそ冬の時期は様々な客でいっぱいになり、挨拶や商談だけでないいくらかはローゼンヘン館に逗留することになる。
ここしばらくの年末の行事のようにやってくる彼らもその賑わいの中にあって賑わいに驚いていた。彼らの多くはローゼンヘン館は田舎というもバカバカしい別の世界だと考えていて、料理の暖かさ冷たさや風呂の湯を好きに使えるそのもてなしや、馬小屋の脇の馬丁部屋に至るまで隙間風は疎か暑さ寒さのない屋敷の設えもおよそ誰もが気に入ってはいたが、人界から離れた辺境というものの寂しさ静けさを却って思い出させるもので、普段であればそれは全く困ったものでもないが、冬至の祭りというものは秋の収穫祭や春の花の時期の祭りと同じようなどこを歩いてもそれなりに人々の賑わいを感じさせるものだったから、縁起物を門や戸口に飾ってはいても淡々とした屋敷の空気は人気の無さを感じさせる却って寂しさを感じさせるものだった。
それが今年の冬は奇妙に多くの女と子供が屋敷の中を往来し、中には旅の話を聞くついでに酌までしてくれる者もいた。
それまでも屋敷は女ッケが皆無というわけではなかったが、ともかく大きな屋敷を呆れるほど少ない人数で回している様子で、忙しい女中を労って肩を揉んでやる暇もない働き者の様子であったから、馬郎が屋敷の衆をからかっていると馬郎の身内から文句が出るほどだった。
さすがに屋敷の主もこれではいけないと思ったのかどうなのか、少し前から人が増えた様子ではあったが、どこから連れてきたのか、今年はまた目移りするほどの女たちを色とりどりに揃えてきた上に、歩けるようになったばかりの年の頃の幼子たちをこれまたたくさんおいていた。
個人の邸宅としてはやや多い女子供の数ではあるが、地勢が良ければ聯隊の本部拠点に使えるような規模の建物ではあった上に、子供の数に合わせて贅沢に建て増しまでしていたから、建物と人の数の話で言えば多すぎるということはなく、城か砦のような建物の主が将来の家臣を得たということでもあった。
何やら些か極端な人数も、全く他人事としては旅の疲れと無聊からつい色めく商隊暮らしの男どものだらしなさをさておいて、寒々しく人気のない冬の館よりは女子供のはしゃぐ声が漏れ聞こえる風景のほうが心安らぐものだったし、それが年越しの冬至の祭りとあればなおのことだった。
訪れたお屋敷の家人ご家来とあれば、野郎好みのいい女がいたとしておいそれと手を出すものでもないが、数いる女のうちには気安い者もいてそういう女に旅の空の法螺話の一つも聞かせてやろうと男たちは少しばかり張り切り、運の良い幾人かはゆっくり胸襟開いて話す機会を得たりもした。
旅の多い仕事柄、旅商の男たちは多くが寡夫ではあったが、旅先に馴染みの女がいるということは少なくなく、それが長い旅の張り合いでもあった。女が子供を身籠ったという話も言うほどに珍しいことではない。自分の胤の子が両手の数じゃ聞かないと威張るものも中にはいる。そういう自慢話ができる場所が増えることは旅の男たちにとっては下世話な気楽さが増えるということだった。
マジンは自身を貞淑と考えたことは一度もなかったが、淫乱多情と考えたこともなかった。もちろん一夫一婦制の意味するところはおよそ正しく理解していたし、実際問題として数を減らしたとはいえ女を千といったほうが面倒が少ない数百も抱えている身としては、今更骨身にしみる形で味わってはいた。
事の起こりは、リザに結婚を申し込んだあたりからが問題であったのか、と幾度も思わないわけではないのだが、彼女が示す様々は実に楽しく、道理や倫理をその場で忘れてその流れに乗るのは、馬に任せて急峻な山肌を下ったり、川を下るのに丸太にしがみつくのに似たような、大きな理を捨て小さな理にまたがる野蛮な疾走感があってなんとも言えないものだった。
年末の冬越しの冬至の祭りに中庭を埋め尽くした女と子供の顔は、拐ってきたばかりの時期よりはだいぶ人らしく彼女らの本来持っていただろう表情になっていた。それは小さな理として得た十分に大きな成果でもあったから、バカバカしくはあっても後悔を必要とする種類のものではない。
女たちを拐う前からも拐ってからも、ローゼンヘン館では毎年夏至と冬至にはちょっとした宴会をしていて、それが大きくなり始めたのは去年からだった。それまでも中庭で手に入れてきた豚や羊を捌いたり、鳥や鴨を絞めて毟ったりということはやっていたが、ここまできちんと整えないと人が収まらなくなるというのは今年の夏からで、それまでは離れの女や子供はあまり外に出てこようとしなかった。そもそも拐ってきた年は女たちの多くは腹に子供を抱えていたり出歩けるような状態でなかったりと、はっきり云えば自分たちの身の置き場に警戒が強すぎて、祭りという気分でもなかった。
この場にいる者達、特に女たち子供たちの殆どははっきり云えば縁もゆかりもない様なはずの宙ぶらりんの人々で敵味方で云えば、出会いが悪ければ明らかに敵だった女たちだった。彼女らにとって今が出会いが良いかというと、まだマシと応えるものが多いだろうが、なによりマシかという比較の問題で、敵の敵はやはり敵であることの方が世の中は多いことを思い起こせば、その程度の関係の者達だった。
せっかくの出会いなので仲良くしたいという者が半分もいれば上等、という大雑把な理屈から言えば、少なくとも子供が腹から出てきてのなりゆきを思い返すまでもなく子供の見分けがつかないようにできるほど子供がいる環境によって女たちは、煩わしい思い出をより煩わしい現実の騒ぎによって押し流し、有耶無耶にすることに大方の者は成功していた。
有耶無耶にできない女達の多くは軍に志願したり海賊をやったりとして、産んだ子供を館に放り出して出て行くことを望んでいた。
そういう中で云えばコワエのような者たちは少数派ではあったが、精神の均衡を怪しくしているより重篤な者たちも十数名いた。男を見ると腐らぬままに死んだような、生き人形のような或いは目玉が激しく震えだす状態になる者をどう扱って良いものか、マジンには全く見当もつかなかったが、ルミナスは彼の正義の赴くところ彼女らの心を癒やす努力を続けていた。
その一部は実を結んでいるところもあって、幾人かは中庭に出てきて、ぎこちなくマジンにも或いは館の男たちにも挨拶ができる状態になっていた。
かくあるルミナスも未だミンスとはなかなかうまく話ができない状態で弱り気味であったが、ともかく彼は彼でやることがたくさんあって、うまく折り合いを見つけるようになっていた。
そういう中でルミナスは皆で遊べる玩具として雪ぞりを作った。
履帯を履いた雪上トラクタースノーモビルもソリを履いてはいたが、乗り物としての安定や利便を先に建てたスノーモビルとはだいぶ異なる乗り味であった。
冬のそり遊びに軸流圧縮機関を噴射推進器として動力に使ったアエロサンは二輪車に近い乗り味で雪面をすっ飛ぶ爽快な乗り物だった。
ルミナスが馬の胴ほどの座席に跨がらせた弟妹達にハンドルを握らせ、自分は乗らずに操作するとアエロサンは一二秒猛烈な加速をして惰性で滑る。その猛烈な加速や不安定な乗り物に子供たちは振り落とされるわけだが、それが楽しいらしい。
構造上ひどく簡素で軽い作りが特徴で、ソリらしく曲がったり止まったりが難しいという大きな弱点があって、乗り物としては簡単に不安定になるところが一つの問題なわけだが、子どもたちにはそれぞれ乗り方があって、子熊のように冬の装いに膨れた子供たちは全く楽しげに振り落とされて牧場の雪の上をコロコロと転がっていた。
熱気球の燃焼器からアフターバーナーを外した圧縮機が、やや複雑な吸排気構造で吹き出し巻き上げられた大量の空気で、雪を巻き込みながら吸い込み温度を下げながら、湯気のように吐き出す後先を逆転させた蒸気圧タービンのような構造になっている。といって子供たちには関係ない。
ルミナス兄様が冬のおもちゃに吹雪を吹き出す木馬を作ってみせたというだけのことだ。
それがどれだけ意味があることなのか、といえば九百三十二人の顧客たちの心をがっちり掴んで、あまりの需要にルミナスは大人たちに助けを請わなければならないほどだった。
当然、家人として将来の頼もしいご当主候補に望まれた協力は誇らしくもあり、イヤもない。
放り出されて驚いたり早すぎで怖かったりと泣き出す子供たちを、まぁまぁやれやれと大人たちが救援に向かう姿は、ここしばらくでようやくのものだった。
そんな風に冬を過ごしている中で軍に務めている者達、志願して訓練に励んでいる者達も帰ってきた。
荒レ野での訓練はそれなりに整ってはいるものの、洗濯も入浴も毎日のんびりできるというわけにはゆかず、飯炊きや従兵という役割の者たちも含め皆薄汚れたナリではあったが元気そうであった。
たかだか四半年ではせいぜいがお腹や腕についた脂を落とす、ちょっと大した運動というだけで、兵隊としては前のものを踏まないように後ろのものに踏まれないように走るのが仕事のような状態だった。
つまりはまだまだこれからで、これは志願した女たちのせいというよりは、共和国軍がようやく部隊を編成はじめたばかりということで、充員がなっていない部隊において志願した女たちは先任兵として扱われるだろうことは既に決まっていた。
ラジコル大佐の部隊がなし崩しのまま解散になり、下士官兵隊の階級がひとつふたつ上がり編成に組み込まれ、階段を走っていた士官たちを小隊長分隊長として受け入れることになり、新兵や後備に下がっていた兵隊が装具を揃え、物資や辞令やその他の細々としたものが鉄道で運ばれてきてという作業も春頃までは掛かりそうだった。
軍令本部がゴルデベルグ中佐に命じ、そのままなし崩しにおこなっていた演習によって中核となる人員の殆どが維持されたまま訓練が進められ、解散から部隊の創設まで予算目処のないまま、またほとんどなし崩しのままに訓練と編制作業が進められていたが、ようやく冬になってまともな意味で予算がつき兵站本部からの人員の手配が動き始めていた。
そういう中では志願した女たちは足を引っ張らない程度には大したものであるとリザは満足した様子であった。
「なんか大勢いたものねぇ」
とリザは呆れた様子で言ったが、彼女は屋敷の光景について特段心をざわめかせている様子はなかった。
「――それで何人、女を連れてきてたの」
帰ってきて風呂を浴びて臙脂の厚手のドレスとローブを羽織った姿で中庭の焚き火を囲う一角にリザとマジンは二人して腰を下ろしていた。
「千四十六人。八十五人は海の上。二十人くらいは奥で療養している。出てきてるのも幾人かいるみたいだが」
「顔と名前は一致するの」
「まぁあらかたね。ただ、時々自信がなくなる。姉妹とか従姉妹も含まれているからな。髪型とか入れ替えられると後ろ姿で間違えることもある」
「子供は」
「クァルとパミルとミンスを除いて九百三十二人。こっちはどんどん大きくなるからよく間違える。双子も三つ子もいるしな」
「この人たち、この後どうするつもり」
「まぁ、落ち着くまではここにおいておく。いずれ身の振り方が定まったら外に出すよ」
「そういえば機関小銃の納品数量、九十万丁超えてたわね」
「来年には通算百万丁は確実に超える。結婚しよう」
「忘れてるのかと思ったわ。戦争が終わるまで絶対退役しないけどそれでいいなら、いいわ。アタンズの鉄道基地の完成に合わせて部隊は六月いっぱいで移動する。それに間に合ったら結婚しましょう。……でも、この人たちどうするの」
面白い冗談を思いついたというような顔でリザは尋ねた。
「ボクはむしろセラムやファラリエラをどう扱うべきかが聞きたい。云ってしまえば、ここの女たちはボクの事件被害者だからまぁ後で各々に、よきに計らえ、と云うわけだが、彼女らはお前の被害者だろ。どうすればいい」
明後日から響く銃声のような問いにリザは嫌な顔をして視線を逸らせた。
「おんなじに扱うってつもりじゃないでしょうね」
「扱うよ。というよりも、ボクとしては、よきに計らえって言うしかないんだからそうなる可能性も大きい」
そう言うとリザは少し口を尖らかせた。
「考えてもなかったわ。みんな誰も死んでないし盲点だった」
「司令部や後方に配置されていれば、そうそう死ぬってもんじゃないだろう」
「不思議な事に死ぬのよ。それが。病気とか事故とか含めれば戦争と全然関係なく三分か五分か一割にはならないくらいの士官が前線配置だと毎年死ぬの。陣地とか張り付いていると土地によっては三割とかいっちゃうから笑えないんだけどさ、陣地後方では兵隊よりよっぽど死ぬのよ。まぁ街にいる人も風邪や落馬で死ぬから珍しいっていうのもどうかと思うんだけど」
「死ねばいいとか思ってたわけじゃないだろうな」
「そんなこと思うわけないけど、戦争だから生きてあなたと結婚の話を改めてすることになるなんて考えてもなかったわ」
「お前も死んでるつもりだったのか」
「死ぬつもりもないけど、生きてるかどうかもわからないなぁ、位には考えてたわ。だいたい機関小銃の話を軍が飲むなんて思ってもなかったし、私が部隊幕僚になることも思ってもなかった」
薄い天幕で上を閉じた中庭は風が抜けず、火の気があり人が多いためになんとなく暖かい。
そういう生ぬるさをマジンは感じ、まぁそうかなという気はしていた。
「ボクは割と本気で計画して割と本気で苦労してた」
「そんなの知ってるわよ。だから約束は約束だと思ってるわよ。エリスとアウロラはまぁ利息みたいな感じよね」
「結婚するのがそんなに不本意なのか」
少し心配になってマジンが尋ねる。自分自身も結婚してどうするという感覚や一夫一婦制を前提とした結婚制度を考えれば、自身の状況が些か以上に入組みすぎていることは感じていた。
「そりゃ不本意よ。戦争終わってないのに、家に入れ、とかいう男のもとに嫁ごうってのよ。未来の将軍様としてはそれはもちろん不本意だわ」
「戦争が終わったらにするか。結婚を取りやめるか」
傲然と不満を述べる女に対し譲歩を示してみた。
「バッカじゃないの。この戦争は終わらないわ。休戦ってことはあるのかもだけど、ダラダラと延々と続くわ。約束通りよ。訓練満了が七月でそこから移動するから結婚するなら六月まで。その後になったらとりあえず春までは帰ってこないわ。それで一旦ケリを付ける。そのつもりで行ってくるわ」
それはそれで落とし所にはならないと不満そうにリザがため息を吐いて言った。
「たのもしいな。勝ち目があるのか」
「ズゥうっとあった。というか、もう、ほんっとにようやくいろいろ動き出した感じでアレだけど、リザール城塞が動かない城である以上、実はとうの昔に詰んでもいたのよ。こう、駅で売られている詰将棋みたいな感じで。ただそこに手を伸ばすのが面倒くさかっただけ」
「ようやくか。色々無理した甲斐があったというところだな」
「ほぉんとそう。もぉやんなっちゃうわ。アナタたぶらかせてアレだけ色々準備させておいて、未だにアレが足りないこれが足りないってアタシにねだらせて。もうなんか美人局なんてよっぽどのお人好しでも一回で十分なはずなのに、失礼しちゃうわよね」
斜め上の方から降ってきたリザの答にマジンはしばし唖然とする。そして笑った。
「それで、どうなんだ。お前自身はまだなにか欲しい物があるのか」
「どうだろう。よくわかんないわ。軍人はあんまりないものねだりはしないわ。ルミナス見てたら男の子が欲しくなった、って言ったら笑うのかしら」
今日の昼食をどうするかと問われたような雰囲気でリザは答えた。
「わらいはしないが。本気か」
「本気も冗談もないわ。私、結婚ってよくわからないけど、アナタのことは好きよ。私がアナタにしてあげることなんて、せいぜい気持よくタネを絞ってあげて、いっぱい子供を産んであげることくらいだと思っているんだけど」
少し不満気にリザが言った。
「朝晩おはようとお休みを言ってくれれば、だいたいそれでいいんだけどな」
治療の様子を確認するついでに離れをめぐる様になって、最近になってマジンはそう感じるようになってきていた。
「そんなことでいいの。もうちょっとなんかないの」
「ボクも最近まで気が付かなかったんだが、そういうことでいいんだと思う。今更そう考えると子供たちには気の毒をしたような気もする。ボクも子供だったんだな」
「相手に望むことがないなんて、優雅な話ね」
「愛なんて、形があるもんじゃないからな。時々の必要に求めるモノは別にして、一般論としてはその程度だろう」
「理屈としてはわかるけど軍人としては叶えにくいものね」
「それに二千人もいるとそれだけで朝晩小一時間かかる」
マジンの言葉にリザは鼻で笑った。
「うっわ。もうすっかり私も閉じ込める気まんまんだ」
「コイツラを閉じ込めているつもりはないんだが」
「アナタのその天蓋付きベットの様な父性愛は蜂蜜漬けに甘やかすつもりにしか見えない」
「子供は学校に行かせるよ。幾らかは軍学校にすすめる」
「そんなの当たり前よ。どうせ子供のほうが長生きするんだから、親がいなくなっても大丈夫なようには早めにしておかないと。アナタがどう考えているか知らないけど、家にいたって死ぬときは死ぬのよ」
「そう思って外に出す準備はしているよ。縁もゆかりもない土地にバラバラに放り出してうまくゆくわけ無いだろう。店でも農地でも持たせてやるよ」
リザはニヤリと笑った。
「女郎屋とかどうよ。アタシ退役したら遣り手ババアやってあげるわよ」
「ボクが楼主か」
「何人か可愛い顔の男の子侍らせてさ、女たち仕切らせればいいんじゃない。ボーリトンとか」
「アイツ童顔というか女顔を結構気にしているんだから、ボーリトン本人には言うなよ」
「いいと思うけど。顔とか体は才能よ。アタシ、自分の顔はよくわかんないけど、体については両親に感謝しているわ」
「また体目当てみたいな言い方をする」
そう言って顔をしかめるマジンをしてやった顔でリザは笑った。
「アタシは体目当てよ。ッて言うべきかどうかアレだけど、気持ちよくなければエリス産んだ後にアナタのことなんか思い出さなかったし、セラムたち連れてきたりはしないわよ。エリス産んでなければ、こんなに早く中佐になってなかったし、リザール城塞を見るまで生きてることなんか考えもしなかったわ」
韜晦というには生々しくリザは語った。
「勝てそうか」
「だから、帝国とは勝ち負けにはならないのよ。……ただ、リザール城塞を占領することはできるはず。そんで、渓谷の出口を抑えれば戦線正面が狭まって無理ない形で持久できるわ」
「随分簡単そうだな。前にもそんなことを言っていた様子だったが」
「まぁ、前から考えていたことではあるけど、戦争は思いつきだけじゃ勝てないからね。ラジコル大佐の実績と、鉄道が延伸して補給連絡が兵站の負担にならなくなり始めたことが大きい。ほとんど全部アナタのおかげよ」
「彼女らは使えそうかい」
「わかんないわ。使えないと困ったことになる。どこの女郎屋から連れてきたのか知らないけど、射撃と格闘はみんな大したものね。基礎が身についている。シャオトアはそういうのカラキシだけど計算が得意で気がつくから司令部では重宝しているわ。生きて帰れるようなら士官特薦に推薦しとく」
そうこう云っていると中庭の奥からシャオトアがやってきた。傍らにあちこちを雪でまぶしたようなオゥランを連れていた。親子というよりは姉妹という方がよさ気なふたりだった。彼女らの複雑な経緯は彼女ら親子に限ったことではなく子供を産んでさっさと海に出て行った者や、親とは名乗らず世話もできない女や我が子を見て卒倒してしまうような女もいる。志願した者としては流石にシャオトアが最年少ではあったが、三十台後半から十代前半まで中央値ではおよそ二十歳前後、平均では二十代半ばという女たちは多少とも酔えるようになっていた。
厳密には軍機であるのだが、大雑把に夏には移動を開始するということで、次の夏至の祭りが出征前の最後という話も出ていて、ともかくも彼女らの姉妹たちを囲む形で花が咲いていた。
「お二人はなにを話していらっしゃるの」
そう言ってマジンの頭に乳房ごと体をあずけるようにしてマリールが割り込んできた。
「こんなに女を囲い込んで子供まで生ませて、本当に殿様は私と結婚する気があるかって話」
「ああ。そういうことでらしたら、本当に私の故郷に籍を移されるのが宜しいわ。うちは一夫多妻で全然問題ない土地ですし、我が君のことは母も前々からお目にかかりたいと申しておりました。千人も奥を抱える男性ともなると、うちの土地でもなかなか例がないと、大はしゃぎでした。おかげで私の株も母の中で大高騰の様子。そのまま土地の者になっていただけるなら、ここの方々も皆お引き受けすると思いますよ。もちろんお姉さまを夫人筆頭御台所様ということで私は全然問題ありませんわ。ギゼンヌからもたっぷりひとつきは山歩きするような土地ですけど、鉄道敷いてくださるならきっとあっという間になりますし、うちのものが文句をいうようならどこか適当なところ途中まででお城を構えればそれでいいと思います。
そうしましょうっ! 」
「なにをバカなこと言ってるの。とりあえずアナタには戦争があるでしょ」
「そういえば、なんかアタクシ前線部隊にぶっこ抜かれるって話聞いてますけど本当ですか」
「本当よ。アタシの部隊に配置になるわ。後方と離れることになるからちゃんと使える連絡参謀が聯隊に必要になる。ラジコル大佐の結論よ。前は単に行って帰ってくるだけの冬場の遠足みたいなものだったから、凍えない準備だけしていればよかったけど、今度のはぜんぜん違うわよ。本気の本物の戦争で一撃ぶん殴りにカチコミにゆく。政治向きはこの人の差配に頼るところが多いけど、とりあえずそれで半年から二年で片がつく」
「随分気の長い幅のある話ですね」
「まだちゃんと詰めていない話ですもの。この人があそこの人たちを心配してるから話してあげてるの。いろいろ考えているんだけどね。割とどっちでもおんなじみたいなのよね。結局この人の手際に頼ることになるの」
「鉄道軍団って、頑張ってるんじゃないんですか」
「頑張ってるっていっても、馬と自動車、モッコと重機じゃ全然勝負にならないわ。予算ケチったってわけじゃないんだけど、人員も予算もぜェんぜんまだまだ足りない。なにより、自分たちでわかるくらいヘボっちいみたい。まぁ新兵科ってのをいきなりモノにしようってのが、無理筋でしょうがないんだけどさ。製造元運営元が赤字覚悟でぶっこんでいる予算と人員資材と、教えてくださいお願いします、でやってる軍とじゃ最初の一歩がぜんぜん違うわけで。この人の会社の財務報告書見たら血の気が引くわよ。真っ赤っ赤の血の海で内出血だから死んでないけど、どっか破れたら一気にドバーって感じだから。……会社大丈夫なんでしょうね。結構あちこちでザマアって声と本気で心配している声と半々なんだけど」
公式の財務報告書は膨大な赤字が記されているがおよそ殆どがゲリエ家の資産であることから、救済そのものはマジンの死亡などで当主の交代が起こらなければ基本的に問題ない。単に借金の利子分が上乗せされてゆくだけだ。
マジンの頭の上でマリールが下を見たことが肩や頭に掛かる荷重の変化として分かる。
「大丈夫だ。輸血の手当もしてある。手配の細かいところはロゼッタに任せてあるが、およそのところで順調だ。戦争が終わっていれば却って面倒になったかもしれないが、また五年か十年は問題がない」
「死の商人みたいなセリフね」
リザが唇を薄笑いに歪めて言った。
「第四堰堤の出費が思った以上に響いた。というのもあるし、共和国の体制が思った以上に脆弱で困ってる」
「そんなの、戦争のなりゆきを見れば一目瞭然じゃない。今更なに寝言云ってるの」
「我が君はいっそ、共和国の執政官になられて戦争指導なされては」
マリールが頭の上から本気ともつかないことを口にする。いや、間違いなく本気なのだろう。
「そんなこと始めたら鉄道もその他もみんな止まっちゃうよ。ああいうのはちゃんと議会とかあちこちに知り合いのいっぱいいる人がやることだ。ぽっと出の独裁者はそっぽを向かれてオシマイだ。最低限、議会か軍権か財源のふたつを握ってないと噺にならん」
「そういう人と知り合いまだいないの。大元帥とか」
軽く疑うようにリザが尋ねた。
「ないねぇ」
「でも今のでわかりました。財源もうすぐ握るんですね」
マリールが頭の上で嬉しそうに身を揺すった。
「そうなの」
「だって、我が君、共和国の体制を見据えたうえで財務体制建てなおすつもりでいるじゃないですか。そしたら、どうしたって大きな財源を手にする準備が必要だってことでしょう。もうすぐってのがいつかわからないですけど、輸血するつもりがあって、それが終わったらほとんどすぐに効果が出るような形にしないと輸血する意味がなくなっちゃうじゃないですか。共和国の体制がグダグダだって感じているんだから」
マリールが頭の上でリザに向けて説明する。
「そうなの」
「まぁ大体そうだ」
「例の水中鉱山とか云うのが稼働を始めるってことかしら」
「いや、それは多分まだ先だ。小遣い銭くらい稼げるといいが、期待はできない」
「そしたらどうするの」
「銀行を始める。色々あるが、つまりは皆様からお金を借りて支払いに充てる」
ふーん。とわかったようなわからないような顔でふたりが納得した。
「それで執政官になるんですか」
「執政官になっても帝国との戦争に勝てるように共和国を改造しようと思ったら、ボクの頭の上に乗っているおっぱいに仕事をさせる時間はなくなるな。今でもここにいる連中も朝晩の挨拶で手一杯だ」
混ぜっ返すマリールの問をリザに説明する。
「……会社が危ないの」
リザが少し心配そうに尋ねた。
「危なくはないんだが、放っておくと本当に執政官になるか共和国の敵になるかを選択しないとならなくなりそうだ」
マジンがちょっと気乗りしなさ気に言った。
「あー。大本営そんな感じありますね。戦争協力はありがたいけど戦争終わったらどうすんだ、みたいな空気つうか。なんかこう、誰が踏むんだ的な。アタクシ戦争終わったら退役しますよ。そんで我が君を実家にご招待しないと。そんでうちの父の頭殴ってもらわんと気が済まんですよ」
マリールが随分と気楽げに言った。
「バカね。戦争は終んないわよ。ま、適当にキリを見つけてやめるってのはアリだと思うけど」
マリールまでも不穏を感じていることにリザは不安を感じている様子だった。
「姉様は結婚後どうなさるおつもりですか」
マリールが気楽に尋ねたことにリザは膨れ面をする。
「この人に聞いて。わたし結婚生活って全然しんないもん。なんか、朝晩おはようおやすみを言えばいいみたいだけど、そんなの面白いのかどうかよく分かんない」
「私だったら朝晩とりあえず寝起きを襲いますかね」
「それ、前にやってたけど、戦争終わってからもこの人の仕事いっぱいあるんだからやめてよね。子供がほしいならもうちょっと静かにやりなさいよ」
「おや、意外。結婚しても我が君と情を通じても宜しいので」
「この人と毎日なんてさすがに付き合ってられないわよ。二三日ならつながって過ごすのも楽しいけど、結婚したらそんなしてたら死んじゃうわ」
リザがなにを云うかと思えばあまりに極端なので、マジンは頭の重さに耐えかねたかのように首をすくめる。
「鉄道がひとまず伸びきるまでは、そんな時間ないよ。エンドアも切り開く必要がある」
「それで、エンドアの土地はどうなさるおつもりですか」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「帝国の連中に入植させる。ってのじゃダメかね」
「ダメじゃない、とは思うけど、ひょっとしてそれが問題になると思っているの」
リザは慎重に尋ねた。
「理由の一つにはなると思っている」
「州を一つ立ち上げればいいのでは」
マリールが頭の上で閃いたように言った。
「いずれ、まぁそうなるな。戦争のキリがついて退役するなら、お前、州知事やるか。マリール」
「面白そうですね。いいですよ」
「学校とか病院とかいろいろ立ち上げないといけないものが多すぎて忙しいんだ。それに比べれば、州知事は実務者がしっかりしていれば単に信用できる有名人というだけで事が足りる」
「会社の人達じゃ足りないの」
「そもそも人が多すぎる。最低でも百万人受け入れる必要があるからな」
「大議会でなんか話題になっていますね。二十万の捕虜受け入れの代理執行をするっていう話で、割と大きな話題になっています。鉄道がまだしばらく届かないところが賛成に回ったことでほとんどそのまま通りそうですが、次は来年中にもう五十万人って云う話みたいですよ」
「そうしないと戦争にはならないわね。前線後方の拠点に捕虜が溢れている状態じゃ、戦争の邪魔よ。彼らの存在こそが共和国の敗北の象徴なの。帝国には押し込むことができて共和国には掃き出せない」
リザが苦い顔で言った。
「そこまで云うならボクが皆殺しにしてやろうか」
「冗談でもやめてよね。あそこにいる女たちにそんな話を聞かせられると思ってるの。武器もなくなった押し込められた連中を殺すなんて、どっかの野っ原で戦車で轢き潰せば簡単に殺せることくらい知ってます。アレだったら寝てるうちに建物ごと潰すことだってできるの知ってます。そういう気持ち悪い論をさも正論のように吐く連中が大本営にいるのは本当にクソだと思っているの、私。そういう屠殺を当たり前に思うような連中が街場の不遇にさらされると、正義の殺し屋に早変わりするのよ」
「すまん」
思いの外、真剣な様子のリザにマジンは軽口を詫びるしかなかった。
「いいわ。別に。次の戦争ではそうする人も出るわね。きっと。できるからやるって、バカな理屈は効率とか予算とか言い出すと絶対そうなる。算数がお得意な帳簿がご神託に見える人の好みそうな方法だわ。でも兵站で負けている私達がそれをやったらどうなるかと云えば、最終的にはひとり残らず私達が殺されるだけね。単純な算数の問題よ」
「そういうものか」
マジンにはよくわからないがリザには確信があるようだった。
「考えてもご覧なさいよ。共和国はアナタの小銃を百万丁揃えるだけで嫌な顔しているのよ。帝国軍はこれまで二百万だかもっとだかの開拓者に後装小銃を与えて押し込んでいるのに。こっちには自動車があったから陣取りみたくして開拓者と土地をザーッととったけど、結局また押し戻されているわ。連中にとって二百万だか何百万だかっていう人々は貴族とかも軍人とかもどうでもいい存在なのよ。戦争は今回だけじゃないわ。この後何十回も繰り返される小競り合いの一つの形なのよ。連中の態度がどうであろうとこちらがむこうに尊厳を求め続けるのは必要なことなの。尊厳を期待するのは無駄なことというのとは別にしてね。兵站に劣る我々ができることは、敵が如何に醜悪であるかを訴え続けることなのよ。より醜悪であろうとすれば同じ手段で兵站の闘いに負ける」
リザは断言するように言った。
「勝てませんかね」
マリールが首を傾げるように言った。
「勝てるわけないわよ。今回の戦争のグダグダ思い返してみなさいよ。この人の機関小銃の量産が通ったことのほうが不思議なくらいの展開よ。オマケになんだか妙な横槍も入るしさ。アレこそ統帥権の干犯ってやつじゃないの。今なんとなくやや有利に均衡しているのは、このひとが定期的にオモチャを前線に供給してくれたからよ。次の戦争では横流しが絶対起きる。鉄道は間違いない。自動車も当然に。事によれば戦車さえ。オマケにこの人論文でだいたい発表しちゃってるのよ。そんなの時間と人手があったら気の利いた連中が試してみるに決まっているじゃない。勝ち目がないのはそれにしても負けるわけには絶対ゆかないの」
「マリール。そろそろ頭の上のいい匂いがするものをどけてくれないか。流石に重たい」
「我が君が論文を発表しないほうが良かったってことですか」
マリールはマジンの言葉を無視して尋ねた。
「時間の問題ってだけよ。論文が発表されなければ、共和国軍の誰も手を出せなかった。でも似たものでも十分脅威だわ。帝国の馬引きの戦車でも機関小銃が防げるだけで十分に危険な乗り物になる。道具は戦術を左右するけど、戦術の必要に応じてその場で仕立てられるものでもある」
「やっぱり旦那様に執政官になってもらって戦争を徹底的に指導してもらったらどうでしょう」
頭の上でマリールが鼻息荒く言ったのにマジンはうんざりした顔をする。
「マリール夫人の意見をどう思う」
「何万だか何億だか知らないが、そういう連中を降伏させるためにどこの誰を殺せばいいのかわかればそうするが、つまりはこっちに来ている連中をいくら殺しても無駄だってことだろう。例えば、帝国の皇帝とやらを殺したとして、そのあと誰に降伏の要求をすればいいんだい。逆でもいいんだが。それがわからなければそれこそ何億万だかの帝国の国民を皆殺しにする必要がある。それは少々付き合いきれないね」
「ベージン公とかいう人を殺せばいいんですかね」
リザが求めたマジンの感想にマリールが気楽に言う。
「どこにいるんだよ」
ついマジンは頭の上のマリールの乳房の先を睨むように尋ねた。
「公というからには公爵はベージンのご自宅でしょうか。どこだか知りませんが」
「まぁ要するにそういうことよね。戦争の相手を知らないままに戦争していても全然意味がないのよ。本当に勝ちたければね」
あくまで男の頭の上から退く気のない下を覗き込むようなマリールに呆れた様子でリザは言った。
「共和国の指導者はそういうことを考えていないということか」
「具体的にはね。それどころじゃないもの。だからこれは戦争の勝ち負けにはならないわけよ」
「そしたら帝国に攻め込みますか」
「山間を三百リーグも通ってね。鉄道みたいな馬車道を通しているらしいから、こっち側よりはだいぶ楽みたいだけど、当然に狙い撃ちされるから道はすぐに使えなくなる。そんなのこっちの議会の紳士淑女の皆さんが耐えられるわけないじゃないの」
「そしたら、リザール城塞をとったら戦争はおしまいってことなのか」
断言したリザにマジンが尋ねた。
「そういうわけにもゆかない。馬車道があるならどこかまで崩さないと。それでどこか手頃なところで拠点を築いておかないと」
「つまりそのためにダラダラと戦争が続くということか」
「我が君の新兵器でバーっとやっつけるわけにはいかないんですか。馬車道ドドドーっと」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「戦車は塹壕戦ではほぼ無敵だけど自然地形相手には限界も多い。相当便利なのは間違いないし大体の敵には独力で勝てるけど、勝てない状況に嵌められることもあり得る。特に狭い土地は戦車の苦手とするところよ。兵隊が援護しようにも森林地帯ではアナタの戦車は味方の兵隊の援護を許さないほどに木々を引き倒す。事実上戦車単独で戦うことになるわ。そういうところにある拠点制圧は兵隊の数に余裕のない自動車部隊には難しい。山岳地形ならなおさらよ。戦車が進路を栓をするような状況になると困ったことになる」
リザが断言するように言った。
「経験したような言い方だな」
「お屋敷の裏山で戦車が積み木みたいに重なる事故が起きたわ。それでも死人を出さずに動けるからラジコル大佐は大いに感心していたけど、けが人は出たし、戦場でそんなことになれば助けようもない。戦闘中なら間違いなく死者も出てたでしょうね」
「修理は大丈夫か」
「おかげさまで勉強させてるわ。ともかく陣地地形はある程度人間の体力と資源投資と想像力に制限を受けるけど、自然地形はそういうところがないから油断ならないわね」
「うちの山はそうそうデカいというわけではないが、雪崩とか崖崩れは結構起きているぞ」
心配そうなマジンにリザは手で払いのけるような仕草で答えた。
「わかってるわよ。わかっていたつもりだったけど事故は起きるのよ。有意義な演習だったわ。そういうわけで、アナタの作った戦車は山岳でも便利なのは間違いないけど、事故が起きるとより致命的なのも間違いないの。もともと用途外だしね。ラジコル大佐は森林山岳用の木々の間が抜けられるようなもっと小さな戦車がほしいみたいなことを言っていたわ。小さいブルドーザーみたいなのでロバみたいに荷物を載せたり曳かせたりしたいみたい」
「それでも無理をすれば転がるのは避けられないぞ。小さくなればなるほど地形を拾って転がりやすくなる」
「わかってる。貨物車に載せてる小さい重機も演習場でよく転んでる。おかげでキノコみたいなボンネット付きの安全帽、最初は邪魔だって兵隊たちの話だったけど、今ではすっかり評判いいわ。錣板も邪魔って話もあったけど、アレのおかげでよほどの落ち方をしても怪我で済んでるわ」
無駄な心配を笑うようにリザは答えた。
「そりゃ良かった。こっちは物は作れるけど、現場を知っているわけじゃないからな。感想があって要望があるなら修正して現場の希望に寄せることはもちろんできる。ラジコル大佐の森林山岳向けの小さな戦車という話もある程度は想像がつくから、具体的に話を整理してくれれば、そこに狙いをあわせたものを作ることはそれほど難しくない」
「我が君も戦場にゆきましょう。そしたら現場がどんなかわかりますよ」
楽しい遊びに誘うようにマリールが頭の上で言った。
「マリール。アナタねぇ。……まぁ本当は一回そうしてもらうのが一番なんだけどね。兵隊がどうやって自動車壊しているか分かるだろうし」
「寒冷期用の暖気目的のつもりでつけた給湯口に燃料油や火酒の類を流して火をつけたり、燃料の給油口から沸かした油注いだり、車の下で焚き火をしたりっていうのなら知ってるよ。もともと植物油は寒さに強いものじゃないしね。そうしても大丈夫なくらいに余裕は見ていたはずだが、程度問題ってやつもあるからね」
「壊し方もそうだけど、壊している兵隊と現場の土地も見てほしいわ。鉄道も似たような感じだと思うんだけど、うちの連中がどれだけマシか思い知ると思うわよ」
敵を塞ぐ陣地を乗り越え走ることを前提にした戦車と、名ばかりとはいえ往来を前提にした道を走る自動車と、鉄で固めた線路を走る鉄道とを同じ枠で語ることはどう考えても誤りであるが、リザにしてからがその程度の認識であれば共和国の兵隊一般がその程度の認識であることは容易に想像がついた。
実際に鉄道軍団の教育は極めて難航している。鉄道の威力と必要を理解できてもその運営に関わる投資と努力が正しく理解できない者が多い。
結果としてガチガチに規則と訓練と設備で固める必要があって、それは人手が足りないローゼンヘン工業にとって極めて面倒なことであった。
だが一方で規則の整理という意味では役にも立っていた。
「似たようなことをジェーヴィー教授にも言われたよ。世界の全てこそが研究の題材である、ってソレはそうなんだが、ひとつきも離れてはいられない。せめて電話が通じるところまでだな」
「忙しいんですの」
頭の上からマリールが尋ねた。
「忙しい。仕事は減らしているはずなんだが、またいつの間にか増えていたりもする。お前たちが軍を辞めてうちに嫁に来てくれるって云うなら、仕事を頼みたいことも多い。大半は書類にサインをする仕事なわけだが、印章を押すだけでも結構な手間だし、中身を読むとなれば時間もかかる」
「そんなになにやってらっしゃるの。これだけご家来増やしたのに使えるものはおりませんの」
「ボクはもともとヒトを使うのは苦手なんだ。奴隷とか買ってきて家で使っている人間の気がしれない」
不思議そうなマリールにマジンが頭の上に困ったように言った。
「それは我が君。やはり一回軍隊というものを経験なさってみるのが宜しいですよ」
「なに寝ぼけたこと言ってんのふたりとも。この人の言っているヒトを使う規模を練習させようと思ったらどうあっても大隊長とかさせることになるじゃないの。大体アナタも、いまさら苦手とか言ってるから彼女らがいつまでたっても生活が宙ぶらりんなんじゃないの。甘えたければセントーラのおっぱいでもしゃぶってればいいわ」
リザが突き放すように拗ねたように言った。
「我が君もおっぱいいじるのは好きですけど、あんまりおっぱいしゃぶりませんね。まぁ今はおっぱい出ませんけど。セントーラ様は出るのかしら」
「出ないよ。もう流石に」
「我が君、次は男の子でお願いします」
「今度は前線で割りと本気のカチコミするんだから、妊娠とかやめてよね。アタシの首一つじゃ合わないことになる」
「妊娠したり流産したりで大騒ぎする軍隊ってのも不思議な話ですよね。毎日何百人も死んでるってのに」
マリールが笑い話であるかのように言った。
「マリール。そろそろ顔を見て話がしたい。座らないか」
「はぁい。……何の話でしょう」
マジンがそう言うとマリールは膝をつくような位置に椅子を動かしてきて腰を下ろした。
特に話があったわけではなく、ほんとうに頭の上が鬱陶しくなり始めていただけだったのだが、素直におりたマリールに振るべき話題を探した。
「ああ、前線に出ることになって、電算機の件は大丈夫なのか。研究は上手くいっているのか」
「どうなんでしょう。私、電算機の件は確かに機械本体は管理しているんですけど、それって実は療養院の面会窓口みたいなもので直接内容に関わってはいないんですよね」
「なにやっているとかってのは非公開なのか」
「そういうわけじゃないです。大方のところは軍機ってわけじゃなくて、単に発表する場がないってだけで、学校に近いですね。あんまり世間的におおっぴらにしていないだけで、機密ってわけじゃありません。昔、魔法絡みでちょっと碌でもない事件があって、そういうのの再発防止のためにある程度の監査を受け入れる体制ができています。全部見せているってわけじゃないですけど、我が君であれば例えば私がなんの任務でどれくらい予算を使っているのかという情報は資料が見られます。ですので、そういう方法で理由があって研究に興味があるということであれば、内容はともかく名目くらいは追えます。参謀本部の人も出入りしてますから、そういうところを通じてあちこちになにをやっているかを追うこともできます」
「それで具体的になにやっているとか、知っているのか」
「知りません。でも、あの機械を上手く使うコツの符号化と復号って文字や記号の基礎概念で魔法の大好物で、暗号の基礎じゃないですか。多分延々そういうのやってると思いますよ」
「魔法の呪文を作っているとかか」
「そういうのとは違って、本当に暗号です。多分。あと、定形連絡の効率的な圧縮とか」
「数字に対応した定型文が書いてある辞書とかがあるのか。ひょっとして」
「まぁ、そんな感じです。平文だと遠話の接続時間が長過ぎて危険なので、そういう手紙の定形見本集みたいなものを作ってるんだと思います」
はぐらかすというわけではなさそうにマリールは説明をした。
「割と普通なのね」
つまらなさそうにリザが言った。
「まだ、手に入れたばかりの機械ですからね。多少は実績が上がるところから、手を付けているとおもいます。最後は魔法とか考えている人達も多いでしょうが、そんな簡単に魔法が使えるなら身内をかっさばいてみたりとかしませんよ」
「どういうことだ」
「あったのよ。そういう事件が昔。そんで色々手入れがあって、逓信院が今の形に落ち着いたの」
マリールの言葉に嫌な連想をしたマジンにリザが替わって答えた。
「生きてる魔法使いを解剖したってことか」
「魔法使いだけじゃなくてタダビト亜人を問わず、かなりの数ね。志願者だけって話だったけど、どう考えても志願するはずもないような赤ん坊や市井の人も混じっていたから、大騒ぎだったみたいよ。その頃には軍でも魔導士の実績は十分にあったし、今より魔導士の数も少なかったからなおさら」
リザの言葉の意味するところがどれだけ真実かは分からないが、そういう事件があってなお組織を存続させようとすれば組織の中立性透明性を高めようと努力するだろうと思える事件だった。
「魔導院が分割されたおかげで度胸がついたお医者が療養院で人を治してたりもしていますけど、あんまり気分の良い話ではないですね」
「そういう中に手の解剖図とかあるのかな」
マリールの言葉にふと思いついたことを尋ねてみる。
「まぁ、あるでしょうけど、悪趣味ね」
「悪趣味って。実用だよ。治療目的の参考にしたいんだ」
リザの糾弾にマジンはまじめに抗弁した。
「そういえば、足を直したって言ってたわね。その後どうなの」
「六人とも足の腱の土台の金具を抜いた。人工腱の周りに筋肉が腐らず定着と再生を始めてたから来年の今頃は結果が出始めているだろうと思う」
「それって歩けるようになるってことかしら」
リザの確認にマジンは頷いた。
「順調ならな。だが、筋肉が落ちているからつながっていても歩けるかどうかはわからないし、どのタイミングで安定したかを見分けるのも難しい。まぁ、一々足を割かなくてもある程度は見分けがつくから、なにもわからないというわけでもないが、今はまだしばらく足を固めて回復を待っている時期だ。つま先をくすぐらせているよ」
「道理で暇そうな割には忙しくしているわけね」
車椅子の幾人かも中庭に出てきている姿が見える。
「会社の幹部が機能しているから軍都に通っていないだけで実は相当に忙しいぞ。アミザムの件でとうとう大議会なるところに呼ばれていって、運行計画主任を紹介したその後は置物同然だが、ともかくいってみたよ」
「どうでした。帝国の権威の中枢たる場所を訪れた気分は」
「いっぱいヒトがいるなぁ、ってくらいかな。まぁ椅子の座り心地は悪くなかったが季節が悪くてあまり長居したい雰囲気ではなかった。早く電灯を入れろよと思う部屋の作りだったな」
戦争対処に関する法律の幾つかによって戦争期間中、大議会の建物の重要部は改装改築を許されていなかったから、議事堂の殆どには電灯も電話も敷かれておらず、秘書室などは別棟の建設がおこなわれ、そちらは電灯や電話水道などの整備が整えられていた。
「バカな法律もあったものよね。敵の間者とか攻撃とかそりゃ考えれば限はないけど、さっさと便利にして間者をあぶり出すほうがいいと思うけど」
「私は予算上の都合措置だって聞きました。大議会って共和国と各州合同予算の部分が分かれてるじゃないですか。あれもややこしくて面倒なだけじゃないかって思うんですけどともかくなんかそういうヘンテコな線引があって、みんなオラが郷の業者を引き込んでるせいだって。で、共和国は一応そういう縁がないから引き込む相手がいなくて改装できないって。だから我が君が執政官についてしまえばさっさとそういうところからやり放題でつよ。デュふっ」
リザに応じたマリールは笑いをこらえそこなって最後変な風に噛んだ。
そうしているとファラリエラがやってきた。
「あら。こちらでしたの。てっきり気球とソリの方においでかと思ってたのに」
「探させたか」
「ああ、いえ。それでなんのお話でしたの」
「我が君が執政官になってしまえばさっさと大議会全体に電灯と電話がしけるのになぁというところかしら。ふふひっ」
マリールはどうやらツボに入ったらしく、気味の悪い笑いが収まらない様子で答えた。
ファラリエラはその様子を見てなにか合点がいった様子でいつもの微笑みで頷いた。
「叛乱計画、というか。政権奪取に向けた企てがあるんじゃないかと割と前々から囁かれていた様子ですが、そういうお話でしたか」
「いや、マリールが勝手に言っているだけだぞ」
「わかってますけど、周りはそうも見ないというところですよ。単純に価値を比較しちゃうと、大本営よりこちらのお屋敷のあたりのほうが全然戦争向き兵站向きに整えられていますし、ラジコル大佐や私達部隊幕僚が拘束された理由もその辺が大本営の様々な人達に疑惑を与えていた様子ですし、帝国の捕虜を何十万だか抱えてもいいよと気前よく云ってみせたことすら怖いみたいですよ。お姉様とか前々から閣下とか揶揄されてましたけど、とうとうすっかりローゼンヘン工業の手先みたいな扱いでゲリエ軍の実戦部隊長みたいなお話もできている様子でしたよ」
ファラリエラの話を聞いているうちにリザの表情は二転三転して最後は大きく溜息を付いた。
「また、バカなことを。後でそんな馬鹿な話をあなたにした人の名前教えてよね」
リザの言葉にファラリエラは頷いた。
「レオナニコラが人質に取られたらどうするか、みたいな質問されたから私も相当アタマきたんですが、ああでも単に勘定だけで考えたら十万ばかりの帝国人に武装させて鉄道で東進したらあっという間だなぁ、という考えは私にもよくわかったのでとりあえず怒ったふりだけしておきました」
「十万ばかりで足りるものかね」
「軍都制圧するだけなら、そんなにいらないわよ。裏で演習やってる人たちだけで事足りるわ。十万ってのは共和国全域よ。勘違いして刃向かってくる人たちもいるかもしれないけど、たかが知れているわ。それにそういうところは捕虜事業の理事に人を送り込んでいるから、最初の話が持っていきやすい。切りが良い額積んだ見せ金で十分なのよ」
疑わしげに言うマジンにリザが疑惑の筋を説明した。
「沸き立ちおどるデカート軍十万余って、なんか軍記物の講談みたいで良い響きですね」
「そういうお安い奇跡というか分かり易い安易な物語を信じている人たちも一杯いるし、実際そういうものが必要だと思われてもいるのよね。戦争に勝利するためには」
気楽に言うマリールにリザも頷いた。
「なにをバカなことを」
「バカなことって言うけど、戦争なんてバカなことの連続よ」
良人の吐いた言葉を糺すようにリザが言った。
「大本営の戦争指導、この戦争ではほとんど全部裏目に出ていますから。その上で世間的には勝利に近づいている印象があるせいで、理性的な人たちの多くが自信を失っているのが危ない感じですね」
リザが睨みつけるファラリエラの言葉の機微がマジンにも伝わった。
「アナタも勝利を疑っているような言い方ね。ファラ」
「痛い目を見た経験がありますから。それに参謀は逆張りをして外して内心慰めるのも仕事です」
本音とも韜晦ともつかないファラリエラの言葉にリザは目をそらした。
「そういうわけだから、なんか共和国に文句があってもアナタが直に暴れるのはやめて。戦争は軍に任せてここでおとなしくしてなさい。アナタがその気になったら億千万殺しかねないわ」
「それで宜しいではありませんか。我らが狼煙は道を指し我らが干戈は敵を裂く」
「我ら行方で果てるとも我が屍は地を拓くってそんな簡単にこの人に死んでもらっちゃ困るのよ。少なくとも始めたことの結果を見届けるまでは死ぬことは許さないわ」
気楽そうにマリールが口にした軍歌の一節をリザがうけて断言した。
「そういえばこちらのお屋敷も、旦那様の逆鱗に触れたかなんかして成敗された賊徒かなんかがいたんでしたっけ」
ファラリエラが思い出した様に言った。
「そんな大した理由じゃないけどね」
「新しく来たご婦人方も何処かからそういう成り行きだったようですね。何やら誰ぞを成敗したとか」
軽く流したマジンに柔らかくしかし突っかかるようにファラリエラが尋ねた。
「ファラ。やめときなさい」
「ゴルデベルグ中佐殿。これは大事なことですよ。私達は今、帝国との決戦を望んで部隊を整えているのです。彼女たちの身の証をたてられるのは、ゲリエ卿をおいて他にないのです。彼女たちの多くは軍隊経験者です。しかも相当に訓練されたおそらくは中隊またはそれ以上の部隊指揮の経験もあるらしい者達まで複数含まれています。彼女たちの明瞭な偵察報告は単なる野盗匪賊の類ではありえない。部隊の状況と目的を理解し地図を読み広い戦区をまたいで戦うことになれた者達です。普段であれば、わーい、お得な拾い物の古参兵だぁ、ぐらいですんでいるのでしょうが、ゲリエ卿は捕虜収容所の指導もなさっている方です。どうあっても勘ぐられないわけにはゆきません。私たちは部隊編成後最前線に出て帝国軍と戦うのですよ」
ファラリエラがあくまで諭すように言葉を切るとリザが溜息を付いた。
「ファラ、今のはアナタ個人の疑問かしら。それとも軍人部隊幕僚としてかしら」
「旦那様にレオナニコラを預けている母として、このあと死んでも旦那様を恨まずにすむために。もちろん部隊幕僚としても、部隊の統率上必要です」
「そうね。……どうなの」
ファラリエラの要求は断固としたものだった。
「彼女たちは捕虜ではない。だが帝国に縁のある者達は多い。多くを自由にさせながら、無理に会社に籍を置かせていない理由はそこにある。僕自身は彼女らに疑いを感じていない。彼女らは知力体力に優れ、様々にありながら多くとはああして平穏に暮らせている。万全に円満とはいえないが、少なくとも喧嘩騒ぎに巻き込まれるようなことも起こっていない。派閥争いはあるのかもしれないがね」
「彼女たちを前線に連れて行っても問題にならないと誓えるわね。誰がどういう形で戦死してもそれを子供たちに伝えられるわね」
リザは言換えを許さない様子で改めた。
「もちろんだ」
「ファラリエラレンゾ大尉、これで宜しいかしら」
「戦争終結後、または私が退役した後には顛末を教えてくださるということで宜しいのでしたね」
リザの確認にファラリエラは重ねるようにマジンに問いかけた。
「他言は無用にということであれば、もちろんボクの子供を産んでくれた者が軍に籍をおいている間はその者にも秘密だ」
「随分重大ね」
「わかりました。志願した者達の件は私の部隊は私が責任をもって対応いたします」
ファラリエラはリザを無視した形で納得を示した。
「そういうことなら退役してからこちらに来ればよかった」
「マリール、アンタね。戦車の戦術連絡任せるつもりだったんだから、退役なんかしててもすぐ後備徴用するわよ」
「オホッ。前方配置ですかぁ。良かったぁ。悲鳴とか愚痴ばっかり聞いていると命の危険なんかなくてもやるせなくなるんですよね」
マリールはリザの言葉に気楽そうに言った。
「戦車は基本頑丈だからいきなり川の中に放り出されたり丸焼けにってことはないけど、未だに十日に一遍は転がったり動けなくなったりしているわ。だからってあんたの仕事は連絡参謀なんですからね。力仕事とかしてちゃダメよ」
そんなことを言ったくらいでマリールがおとなしくしているとも思えなかったが、ともかくそう言わざるを得ない立場でもあったリザにマリールが機嫌よく返事をしていると、表の方からセラムがやってきた。
「何だ。こんなところで私をハブにしてなんの秘密会議だ」
「ああ、ええ、ルミナスはいい子だって話。表のオモチャ、あの子の作品でしょ」
「工房のおじいちゃんたちに手伝ってもらったって言ってたけど、色々やってたみたいだな。わたしにはチンプンカンプンだから、あれが才能だというなら私の才能というわけではないな。おかげで懸案も割とあっさり片がついた。子は鎹って云うのは私のこの件に限っては明らかに誤用だが、今回に限っては全くルミナスに助けてもらったよ」
機嫌よく開いている椅子を引き寄せるように輪に加わったセラムは、リザが面倒を避けるために振った話題に疑問もなく乗った。
「何かあったの」
「なにかっていうか、まぁアレだよ。変な悋気を起こしたと思われるとイヤなんだけどさ、二百二十人も志願してくれたじゃないか。私達の新しい義理の姉妹たちが。わたしの部隊にも百十五人配属されているわけだが、まぁなんというか、微妙だったんだよ。ここしばらくね。ご主人もこの件に関してはどうも口を開きたくないのを明言してたし。なにも言わないわけにもゆかないし、悋気ってのはまぁないわけでもない。それが千人とかタダゴトとしてはちょっと想像できない話だったから、まぁなんとかなっていたわけだけど。
そういうわけでちょっと暫くの間、様々に困っていたんだが、ルミナスを通じてあっさりと解決した。ルミナス騎士団なる勝手連のようなものが立ち上がることになった。なんというか、母親会のようなものね。いや。お屋敷の中で派閥争いをおこなおうとかそういう意図があるわけじゃないんだが、まぁ、なんだろう。ガンバレお兄ちゃま、みたいな、エリス探検隊みたいな感じのそういう勝手連なんだ。なんだろうなぁ、この感覚。ルミナスの瞳を見た瞬間に激情と恐怖のままに殺してしまわないでよかったと、いま本当に思っているわ」
「何その、エリス探検隊って」
我が子を持ち上げられたセラムは腰を下ろして経緯を口にした途端にすっかりふにゃふにゃになっていて、ああなるほど、と皆が納得する中でリザが驚いたように尋ねた。
「お屋敷の中の宝物、というかローゼンヘン卿の遺品を整理するサークルというか、まぁ文化保全活動、って言うと大げさですけど、お掃除をして分類しているんですよ。お屋敷大小合わせて百くらい部屋があるじゃないですか。上と下は大部屋が多くて、真ん中辺は数が多くて、ようやく手が回ってきた感じのお掃除部隊ですよ。私もときたま参加しています」
ファラリエラがリザに答えた。
「はっきりかなり助かっている。以前の騒ぎで壊されたものも多いんだが、そうでなくとも時間が経ちすぎてなにがなんだかわからないものも多いから、五人十人じゃ手が足りないんだが、掃除のついでにそういう意味のわからないものと分かるものを分類してくれたり、中には価値の見当がつく者もいたりして助かっているんだ」
「アナタが壊したものも多いんじゃないの」
「ん。ああ。まぁ、そうだね。すまん。間違いなく幾らかはボクが壊している」
リザが少々苛立たしげに質したのをマジンは認めた。
「彼女たちの多くの話から導けた内容は途方もない物語に思えるからご主人の判断は尊重できる。逆に後に尾を引かない判断を下せた実力に驚くばかりだ。ま、そういうわけで私としては悋気の元も引っ込んだし、彼女らの経緯も飲み込めた。兵隊の生死ばかりは戦場から帰るまでわからないというところを差し引いても、彼らが優秀な兵士だという事実も理由もわかった。幾人かは下士官と特務士官に特進させたい。そういうわけでファラ、少し後で相談しよう。君がこの件でピリピリしているのは知っている。私もどうやって互いの疑念を晴らすべきか色々悩んだのだが、今日あっさりと解決した」
セラムの説明にリザは驚いたような顔をした。
「朝から姿が見えないと思ったら、ひょっとして部下と話して歩いていたの」
「ん。ああ。もちろんさ。日常会話は組織の基本だろう。リザ、君。まぁ君みたいに力ずくっていうのもそりゃアリだがね。一の奥方様はお強い方ですね、と言われていたぞ。おつよいじゃない、おこわい方だ。ご主人の見境のなさも皆知っていたから、全く大したものだというところで落ち着いているが、二号さんであるところの私としてはそこまで強引なことはできない。ともかく、義姉上とルミナスのおかげで義妹たちとの中は随分と溝が埋まったことは報告しておく。もうホント、我が子を褒められるってことがこんなに嬉しいことだと思わなかった。どうしよう。完全に浮かれてるわ、私。んんん~。ルミナスぅぅ。リザがエリス連れて療養院に見舞いにきて男貸すからとか言ってたところが運命だったわ。男なんてどれでもいいって割と本気で思ってたけど、あそこで瞳をドブみたいな色させたリザが子連れで死ぬんじゃないかと思って、護衛のつもりで一緒に来てよかった」
セラムの浮かれっぷりは普段の落ち着き払った彼女を知っている者にとっては驚くような変貌ぶりだった。
「ドブのようなってそんなだったかしら」
「私の時は命令みたいな口調でしたよ。レンゾ少尉休暇を取れ。私の男を貸してやる。ついてこいッて感じの。私もレオナニコラは産んでよかったと思っていますし、なにより共和国軍が負けないきっかけになったというのは大きいですよ。アレでここに来ていなければおそらくあのまま負けていましたよね」
「しっかしまぁ、アレよね。結婚しようって申し込んだ相手が連れてきた女をよくもまぁ孕ませられるわよね、このひと」
ファラリエラの口ぶりにリザはシレッと常識論を流した。
「それは、おまえが云うな、ってやつじゃないか」
セラムが笑った。
「戦争中ですからねぇ。全然ありだと思いますよ。私達全員生きて帰れるとは限らないですし。ただ、なんというか、これだけ増えちゃうと有り難みが薄れちゃうような気もします」
「ルミナス騎士団の面々も同じようなことを考えていて、帰ってきたら死んだ者の子供も引き取れるくらいの農地がほしいって言ってたわ。エリスやルミナスみたいな子供ができるなら、それはぜひ一人二人欲しいとも言ってたけど」
ファラリエラの奇妙に現実味のある言葉にセラムが付け足した。
「でもまぁ、聯隊幕僚としては全員生きて帰れるといいと思ってるわよ。本気で。その上でこの人が何百人だか何千人だか子供を作るって云うなら、それもいいと思う。これも本気で」
「義姉上の本気は相変わらず怖いなぁ」
「本気ですもの。いっそ十万人くらい子供作ってしまえばいいのよ」
セラムの苦笑いに真面目な顔でリザで答えた。
「ここにいる全員で百人づつ分担か。一万でも無理だろ」
マジンはついこの間という時期にロイカと交わした会話を思い出す。
「一人十人かぁ。育てる手間を考えるとなかなか大変だけど、子沢山の農家だと時々いるわね。割としっかり子供が助けてくれたりして」
「男はズルいかぁ。まぁ、毎年千人も無理だと思うが、まぁズルいと言われればそうかもしれないな」
「子供のことかしら。いまさらズルいとは思わないけど、ちゃんと面倒は見てやってね」
リザはそれでオシマイというように言葉を切った。
「いや、亜人の女はほら、タダビトのタネがついたりつかなかったりするだろう」
「逆は結構流れるらしいわね。それで男のほうが逃げるって」
「私はバッチリでしたね。アーシュラも健康ですし」
「アナタが思いついたのはアーシュラのことじゃないんでしょ」
リザはあっさりつれなくマジンに尋ねる。
「うん。連れてきた女達に亜人が百人くらいいるだろ。彼女らの多くが一族皆殺しにあっててな。まぁ、天涯孤独らしいんだ。そんで、まぁ、交配っていうのはどうかと思うんだが、お見合いをさせてやれる場所を軍が持ってたりしないかな、と、ね」
「会わせてどうする気」
「どうするっていうか、そこから先は当人の話だし、嫌だって言うならウチに戻ってくればいい」
「余計なお世話焼こうって聞こえるけど、そんな暇なの、アナタ」
リザは実にいつもどおりあっさりとマジンに尋ねた
「イヤな言い方をするな。そんなに不自然な話か」
「不自然というか、純粋に暇というか退屈なのかなぁって。単に子供を増やしてみたいだけなら、アナタのタネで試してみればいいじゃない」
不思議そうにリザがマジンに言った。あまりに他人事の口ぶりにマジンは一瞬彼女の言っていることがわからないほどだった。
「それはなんだ。ああ、ええと、ボクが気が済むまで種付けをしてみろと、そういうことか。リザ」
「まぁ、なんか、アレだけど、色々なんかな感じだけど、途中を省けばそう言うしかないじゃない。私このあと戦場にゆくのよ。どれくらいかわかんないけど、その間のことはさすがに気にしないわ。アナタが操を立てる種類の人じゃないこと知ってるし」
「いっそお前をこの場で溺れるほど犯して腹を膨らませてやりたい」
「ホント、アナタがそう言ってくれるのを待ち望むほどだけど、今はダメ。後でセントーラに張型借りて我慢する。子供たちを引率してきた時期だったら妊娠しても全然良かったけど、今はダメ。もう間に合わないわ」
セラムは犬の交尾でも見つけたような顔になる。
「リザ、もご主人も、ふたりともちょっと極端すぎだ。もうちょっと節度を持って行動したまえよ。ご主人ももう少し大事な話をしている自覚を持ったほうがいい」
「あら、セラム。これでもこの人少しはおとなになったのよ。以前だったら尻剥いて膝の上に座れ、とか言い出してたわ」
「やはり大事な話だと思うかい」
リザが気分のままにかき回した場を助けてくれたセラムにマジンは尋ねた。
「リザ。少し君は自身のことから離れたまえ。まぁ、なんかアレだ。私もそんな気分になっちゃうだろ。……んあぁ、そうではなくてだな。亜人の見合いの話だ。会社でそういう動きはないのかな。軍はなんというか、生まれた子供についてはかなり手厚いんだが、そこまでのその見合いとかそういうものは手を出していない。まぁなんというか、ご主人もわかっていると思うけど亜人は一口でいうと種の数が多すぎるんだ。およそ殆どがタダビトとの類縁だろうと思われているが、せいぜいが穀物とか野菜、という程度の大雑把なくくりでしかない。まぁ、種としてタダビトの類縁であるという判断も本当にそうなのかという議論も実は延々と繰り返されているもので、私のような門外のものには全くわからない。ただ亜人の男とタダビトの女の間ではしばしば流産という不幸な形ではあるが、生命の発生がおこなわれていることから、ロバと馬くらいには近いだろうし、ことによると色々な形大きさの犬がいるくらいに近いのかもしれないということになっている。まぁ、女の流産は体調不良や精神失調という母体の健康管理が重要な意味を持っていると考えられているから、こちらのお屋敷くらい様々整っていれば出産の成功率は高いかもしれない。マリールの例もある。まぁコイツが妊娠出産くらいで死ぬとは思えないが、ご主人のタネが弱けりゃ、妊娠の儀式の決闘があろうがなかろうが、アーシュラは生まれてこなかった」
「でも、儀式っていいますけど、効果はあったと思いますよ。アーシュラ産んでからこれまでだって、結構たっぷりねっとりと御情けいただいてますけど男の子どころか妊娠の様子もありませんし」
「仲睦まじく年中顔を合わせている子沢山の夫婦でも毎年女房の腹が膨れて子供が生まれるわけではない。ってことは、常識として理解しておけ、マリール。そんなに子供が欲しければ別の男を見つけたほうが早いかもしれないぞ」
セラムが釘を差すようにマリールに言った。
「まぁ、あれだけいた妊婦が全員無事出産したのは連中の体力もあるが、ボクの努力も自慢できるだろうと考えてはいるよ。何人かは治療や様々に栄養努力をした。状態の悪い女もいたから、手の回らないところは会社の医療部の連中を数人呼んだりもした」
話の流れを変え逃げ出すようにマジンが口にした。
「そういえば、よく足の手術なんてできたわね。暴れないものなの」
「使用例が増えて道具も麻酔も良くなったから、患者の反応を見ながら調整ができるようになった。何箇所か点滴することで患者の意識を最低限維持することができるようになっているんだ。堰堤工事は転落事故が多かったからな。全身火傷や資材に巻き込まれての事故なんても割りと多くて、幾人かは助けられたりもしたが、まぁともかく医療部のヤブやヒヨコ共もまともな奴も増えたよ。ボクも幾人か助けた。そういうのに比べれば、彼女らの状態は悪くなかったよ。……ああ、つまりなんだ、うちで女を預かれば亜人の男のタネも出産はできるかもってことか」
話がたびたび脱線することにセラムは面倒臭気な顔をする。
「ああ、まぁそういうことも考えられるが、私の言いたいのはだね。いっそ会社が亜人の男女の結婚出産を支援してしまったらどうかということだ。或いは制度に組み込むのではなく事業として立ち上げたらどうだろうということだよ。亜人種の部下ってのは幾人かこれまでもいてさ、今回は一気に百人も抱えることになって、例の突撃服の件ではご主人に大いにご協力いただいているわけだがね。連中も天涯孤独という程の身の上ということは少ないんだが、連れ添いを探していることは多いんだ。軍に来て見つけて女のほうが退役するってことも多い。戦争中とはいえ全員が年中戦っているわけではないし、風紀の上では好ましくもないが、男女が同じ陣地に籠もっていれば、ことに及ぶことも少なくはないし、強姦騒ぎも起きることを考えれば、円満な男女の関係はマシな方だ。部隊にしても、女性の妊娠の疑いがわかると後送する建前になっていて、配置換えや補給の要請に使う小狡い指揮官もいる。まぁ話題の肝としては、その程度には共和国軍は女性の出産には興味と努力を払っているが、一方で見合いの機会を設ける方法については特に施策はなく、個人の努力の範疇であるとしているわけだ。亜人も同じだが、比率から考えれば世間よりややましという程度にすぎない。亜人の女は軍に志願することは少ないしね」
「うちを出て行った連中もいい婿を見つけられるといいな」
「それはおよそそうなんだが、問題はそこじゃないだろう。ああ、まぁご主人にとっての話題は半分ほどはそこか。実を云えば、ご主人のなりゆきを考えると、婿取りをするよりは囲ったほうが面倒が少ないんじゃないかと思うが、どっちも私の立場からすれば微妙なものか。いっそルミナス騎士団を本当に身のある組織にしたほうが面倒が少ないかとも思う」
セラムは肩をすくめるように言った。
「どういうことかしら、セラム姉様」
マリールが尋ねた。
「つまり、ご主人の問題は基本戦後を睨んだものになるはずだということだよ。私の知る限りの話を考えるとそうなる。全員彼女たちの身柄や信用の保証とは別に、皆ちゃんと部下や人員の掌握はしておきなさいよ。特にリザ。アナタ、解任辞さずで色々やってそりゃまぁ結構だけど、このままいけば兵科最先任の聯隊参謀長なんですからね。兵までは無理でも、夏までには全士官と個別に面談しておきなさい。大隊壊滅したらアナタが遺族への通知作業の指揮をとるんだからね。そうでなくとも最先任の中佐なのよ」
「アタシ、リザール城塞おとしたら軍辞めて、このひとの子供を毎年産むんだ」
子供が拗ねたようになったリザをセラムが睨む。
「リザ。変な風に面倒臭がらないの。アナタのそういう態度、兵隊に見せたくない」
「わかった。わかりました。年明け早々から演習中の全士官下士官と面談します。手が回れば兵ともやります。約束します。どのみち、演習効果の確認も急務です。今はふたつの聯隊に分かれているけど、戦後を睨めば一旦旅団か師団に再編されて規模拡張されてから分割されるんでしょうからね。早いうちから仲良くしておかないとこのひとの仕事にも障りが出るわ。帝国との捕虜交換の話がまともに動くようになったらどうしたってこのひとの名前も出るでしょうしね」
本当にわかっているのかと疑わしげな顔でセラムが眺める中でリザが立ち上がった。
「ちょっと回ってくるわ。席はとっておかないでいいわよ」
「じゃ、アタクシが」
スルリとマリールがリザの座っていた席につく。
「前線はどんな様子とか聞いているかい」
マジンはセラムに話を振ってみる。
「一般状況としては今年は土地を譲っている。幾つかの聯隊が東部戦線に入ったけれど、まだ数で足りないから一気呵成にというわけではない。その一環として私達の聯隊も錬成されている。ご主人に今更言ったことでもないんだが、いまはまだ捕虜移送の手当が充分でないから鉄道が機能するまでは派手なことはできないしたくないというところだ。ところで、鉄道工事で馬匹の手当は重要なものだろうか」
「重要といえば重要かな。資材を大量に使うから線路を敷くにあたっても当然に取り回すための労力はかかる」
「するとそのせいかな。前線で馬匹がまた不足し始めているらしい」
「鉄道軍団にはうちからかなりの重機を出しているはずなんだが。鉄道軍団はボクの知る限りではそうむやみに馬匹を使わないでいいはずだ。とは云え人員やその身の回りは自動車の数が揃っていないかもしれない。工区も広いし川を越えるのは自動車より馬のほうが楽だろう」
「運河建設とやらはどうなったんだろう。捕虜事業としてエルベ川でやらせていると聞いたが」
「エルベリア州がやっているね。予備測量まではおこなったが、うちの指揮じゃないんだ。揉めたというほどのこともないんだが、勝手もできなさそうだったので手を引いた。確かに五万人を使うとなればそれなりの食い扶持は必要だから荷駄は使うだろうが、エルベ川や鉄道がエルベリアを通っているし、大げさな桁にはならないはずだ。それに馬匹が大騒ぎになっているなら、うちにもいくらか話が来るはずだが、まだそんな様子はない。前線でも捕虜を使って道路を敷かせていると聞いたが、その絡みじゃないのか。測量の都合か地形の都合かしらないが、駅とは直接関係ない方向に伸びているとも聞いた」
馬を大量に使う話を思いつかないままに知っている話をマジンは口にしてみた。
「ああ。まぁそういうこともあるかしらね。直接道を束ねちゃうと割とあっさり使えなくなったりもするし」
「それ多分あれですよ。今ある収容所を移動させたいって話があったから、それじゃないかと。今ある収容所って以前農地だったところ塞いでますから、旦那様の収容所事業が動いたら、そっちに全部引っ越したいって話のはずです。馬の話は鉄道のせいで、馬が余るだろうって考えた人たちが手を引くのが早すぎたんじゃないですか。生き物相手の商売は波も大きいですし、一二年でどうこうなるような話とも限りません。こちらのお屋敷でもまた増やし始めてるじゃないですか」
セラムの言葉にファラリエラが推理を告げた。
整った町中であれば馬は却って邪魔になるが、デカートでも中心を外れたり、ヴィンゼや荒レ野の辺りでは馬を使ったほうが面倒が少ないことが多い。自動車や二輪自動車は便利には違いないが近場をめぐるには多少大仰で雪も降ることから冬場は面倒もある。そういうわけで家人が増えたことで馬も増やしていた。かき集めるというよりはオスメスの数を揃えてゆるやかに増やしているだけであったが、毎年三四十の仔馬が増えれば数年後には百頭ほども立派な若馬が揃うことになる。一時は切り詰めた馬舎を建て増ししていることはヴィンゼあたりでは既に知られていて、森の外に運動場を作るかとローゼンヘン館ではマキンズと計画していた。
年産駒四十という数は特に多いというほどのことはないのだが、足りないとなれば大きな穴でもあったし、ヴィンゼでは牛や豚はともかく、馬は売るほどに数を揃えているところはなかった。デカートやヴィンゼから毎年仔馬の時期に何人かの馬商人が様子を見にやってきたり、幾頭かの馬を預けていったりする。エンヤとメイヤの子供たちはヴィンゼ界隈では軍馬向きの名馬の血統として知られていた。
そういうわけであまり経営熱心な牧場というわけではなかったローゼンヘン館は、それでも地域で馬が足りないということであれば話が回ってくるくらいには頼られてもいた。だが今のところ、まとまった数の馬の引き合いがあるわけではない。もちろんローゼンヘン館がゆるやかに馬の数を増やしていることは出入りの者ならば誰もが知っていることだったが、かといってそれが引き合いを出さない理由にはならないはずだった。
どうもすっきりしない話だが、騎兵中隊の必要とする数ほども置いていないローゼンヘン館ではいま来られてもお気の毒のお愛想代わりに牧童の替え馬分を売るくらいだったから、商売としてはその程度に見られていたのかもしれない。
「土地を譲っている、というのは圧されているということか」
「まぁ、そうとも言えるが本当に譲ってもいるんだ。私達の聯隊は大本営の混乱のどさくさに紛れて相当上等な人員と訓練期間を得ることもできているが、各地から投入された歩兵連隊は実のところ連絡参謀をつけることがもったいなく思えるような訓練状態のはず。必要だから送ったわけでもあるのだが、送ったからといって勝てるような状態でもない。実戦で新兵をムダにしないように兵を鍛えながら土地を譲っている、というとかっこいいところだが、つまりは陣地があっても支えきれないほどに敵が多くて土地を把握されているということね。まぁ、この事態は例の炎上するリザール城塞の写真を取りに行った時期には既に想定されていた事態でもあって、むしろ帝国軍にしては随分と手緩いとも言える」
「わかったようなわかんないような感じだが、もともとの見積り通りということなのかな」
「まぁ、かなり悲観的な見積りよりは随分マシというところかな。送り込んだ先から潰されている可能性もあったから、それに比べれば全然マシというところかしら」
「そんなに帝国軍は強いのか。自分で言うのもなんだか、ボクは共和国軍に相当テコ入れしているはずなんだが」
首をひねるように言ったマジンにセラムが微笑んだ。
「戦争を戦う上で強いとか弱いとかで表現するのがそもそも間違いよ。今次みたいに戦線というか戦域がひとつき以上の広さと厚みを持っている時にはね。部隊の強さ装備の優秀さなんかの戦力要素よりも兵隊をどれだけたくさん長い時間戦域で生活させられるかが勝負のほとんど全てだと云ってもいいわ。帝国は未だにそういう意味で息切れを見せない。私たちは個々の部隊はアナタのテコ入れで随分と強くなったけど、もう何度も息切れしているわ」
「そういう意味ではリザール城塞を砲撃の目標に狙ったのは間違いだったかもしれませんね。そんなところよりももっとまんべんなくあの辺りの農地や家や納屋、馬舎やそういうもの一帯を焼くほうが良かったかもしれません。見せてもらった砲弾を考えるとあれで石造りの屋根を撃ちぬいて更に火事を起こすというのは、ちょっと虫が良すぎると思います。一割でも二割でも部隊で使っているような砲弾が混じっていれば随分違うのでしょうけど、そういう使い方はしていないでしょう」
ファラリエラが言った言葉は事実ではあるが、飲み込みにくいものだった。
「そんなところ焼いてもたかが知れているだろう」
「どの道たかが知れている作戦だったんですよ。結局、当時の部隊は装備の試験と戦術や訓練の確認が主眼のはずだったんですから。最初の話じゃ今頃前線にいるはずだったんです。セラム姉さまとはリザ姉さまの結婚式にはリザール城塞落とせているかもしれないって話してたくらいですよ。訓練や装備が充実するのは兵隊としてはありがたいことですけど、警戒させすぎて時期を逸したかもしれません」
表情に反してマジンの問いに答えたファラリエラの言葉は大きく懸念を示しているものだった。
「色々良くなったはずだが、不足かね」
「不足、というか、帝国軍はバカにできるような敵じゃないです。旦那様のオモチャがなければどうやっても勝ち目のある敵じゃないですよ。それを見せびらかすようなやり方で敵地深くまで乗り込んでみせて、止めも刺さずに帰ってくるなんてのは、危ないなぁと私が思うのはそちらですね」
「まぁ、ファラリエラの言いたいことは分かる。というか当時はよくわからなかったが、今となってはよく分かるよ。実際に大本営の動きはファラの予想を裏付ける結果になった。だがおかげでこの地で半年の訓練が余計につめ、当初の想定外の装備武器も手に入れた。あとは、半年が充実となるか遅れとなるかというところだが、そこはわからない。噴進弾なる歩兵砲は動く相手だと馬車相手にもあたるかどうかは怪しいが、陣地相手であればまぁまぁ使えそうだ。ご老人たちの話だと月十万は無理でも三四万は堅いところで、五六万くらいまではすぐにも見込があるらしいじゃないか。夏までに歩兵に直掩の大砲の弾が三十万発も出まわるようになると思えば、多少の遅れは仕方がない。友軍との調整の必要な配置期間だと思うしかない」
「セラム姉様がそう仰るなら言葉もありませんわ。あの件わたし本当に余計なことを言ったと今は思っていますし」
「私は君の機転がなければ、あのまま便利屋仕事で機材と人員をすり減らして、文字通りの新編をおこなうことになっていただろうと思っているから、そこは良い提案だったと思っているよ。まぁ戦場の気分として余計な物事がくっついてしまうのはいつものことだ。気に病むな」
セラムがファラリエラを慰めるように言った。
「そういえば、逓信院が十ばかり電波探信儀を買っていったが使えているんだろうか」
「しらないけど、慌てて並べてもしょうがないものなんでしょう、アレ」
セラムが変わった話題に仕方なくというように尋ねた。
「どういう風に使うかが決まっていれば、そうでもない。電算機があれば面倒の殆どはその場で電算機に計算させて帳尻を合わせることもできる。空騎兵を探したいということで配置したはずだが、電気や電話を使うつもりなら拠点防御だろう。会社でもこの間、ヌモウズが焼かれた事件から鉄道基地に必要だろうかという話になっている。事件の顛末を聞くと、慌てた兵隊が被害を大きくしただけのような印象もあるが、ラッキーヒットは狙って出すものだ、という名言もある。戦術が洗練されればそうなるだろう。互いにね」
「あの戦車の大砲で、帝国の鳥なんか撃てませんの。あれ五十リーグも弾が飛ぶんでしょ」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「撃てる。軍も多分そう思っているから十もまとめて買ったんだろうと思う。電算機も同じだけ買いたかったみたいだが、そっちは自重したみたいだ。電算機上で砲弾と空騎兵の見比べをおこなうつもりみたいだが、実は慣れればそんな面倒をしないでも電探だけで狙い撃つことはできる。尤も望遠鏡でなにかを探すのと同じで、予めある程度は探すものの宛がないと見つけにくいのは事実だから、複数で適当に分担を割り当てるのは正しいやり方だと思う。ただ、まぁ何秒か先を狙わないと当たらないから工夫が必要だが、百も撃てばまぐれ当たりも出るだろうし、当たればどんなものでほぼ間違いなく落とせる。機関銃よりも初速は相当に早いから、連射の排気で倒れるような使い方ができるような連中なら見つけられれば当てられるだろうな」
「大砲の方は引き合いは」
「まだない。戦車の交換用に幾らかは準備があるが、戦車の生産も後続の引き合いがないから、砲の交換部品も今は作っていない。さすがに遊び半分で作るものでもないだろう」
「ワージン将軍からもですか」
「ないねぇ。砲弾はまだ注文が来ているから、足りてるんじゃないかな。月に三万発ってのが多いのか少ないのか、かなり微妙なところだが、狙って撃っていないなら邪魔にならない数というところなんだろう」
首をひねるようなことだったが、ワージン将軍からその後の話が特に来てはいなかった。
「電算機車ってのはどうなったんだい。この間その話でキオール中佐は来てたんだろ」
セラムも不思議そうに尋ねた。
「どうなったんだろう。一応引き合いというかキオール中佐が来たときに色々話はしたんだが、そっちは本当に音沙汰が無いな。こういうのって、逓信院に問い合わせたら教えてくれるものなのかい、マリール」
「多分。ただ、まぁなんというか、どういう風に尋ねるかってのがややこしいですが。誰々さんの予算扱いどうなっていますか、って尋ねる必要があるんである程度研究を行っているだろう人の名前を絞っておく必要がありますが」
「なるほど。そしたらそっちはジェーヴィー教授に聞いてみよう」
「そんなに戦争の状態が気になるなら、我が君であればデカート州の義勇兵の視察のついでに前線においでになれば宜しいのですわ。そうしましょうっ! 」
「マリール。君ね」
セラムが口を挟むのにファラリエラも何かに気がついたような顔をした。
「ああ、でも旦那様には一度見てもらったほうが早いかもしれません。特にアタンズまで鉄道が伸びるということであれば、あの辺りだけでも。ヌモウズのあたりまではお越しになったこともあると思いますけど、あの辺とまたその先では雰囲気も相当違います」
「ヌモウズも焼かれたあとは行っていないな」
「ヌモウズは前線とは随分違うが、戦禍が見たいというならアレも戦争の実態には違いない」
マジンの思いつきにセラムが言った。
「ヌモウズなんて言っちゃえば巻き添え食らっただけの町ですよ。まぁ戦争で幾つもある共和国軍の失態の象徴みたいな気の毒な土地ですけど、日常としての戦場はありませんわ」
「ところでマリール。なんでそんなにご主人に戦場というか、戦争の様子を見せたいんだ」
セラムが根本を改めた。
「そんなの、戦争に勝つために決まっているじゃないですか。帝国と私達とで土地に送り込める人員に三倍とか五倍とか差があるんですよ。それってつまり兵站で十倍とか三十倍とか負けているってことじゃないですか。そりゃまぁ我軍の精兵たちの優秀なる戦術能力と、我が君の魔法のような御業でチョチョイのパって感じで支えてますけど、戦争に勝とうと思ったらこのあと何十年だか何百年だかを見る必要があって、そんなの鉄道だけ、電話だけ電灯だけ自動車だけで足りるわけないじゃないですか。共和国も帝国も引っ越ししない以上は隣同士なんですから、何度だって戦争は起こりますよ。次の戦争のためですよ」
マリールの言葉にセラムは目元を抑える。
「ん。んう。つまり。あれか、それは、ご主人には我軍我が国の兵站の実情を見ろと。そんな感じのことがいいたいのか」
「ざっつらいっ!まさにそのとおり」
「ご主人には軍隊経験はないから大元帥は無理だが、それは本当に執政官に押し立てるつもりか」
「大元帥なんて、大議会向けの議員みたいなものじゃないですか。軍政に直接関わるほどの実権も殆ど無いですし。我が君には絶対、執政官のほうがいいと思います。なんたって独裁者ですよ。政策の迅速な決定と推進には名前の見えない合議制なんて生ぬるいことやってちゃダメなんですよ」
景気良いマリールの放言にセラムは目眩を感じたような顔でファラリエラに向き直る。
「ファラも似たような意見か」
「私は政治向きって云うよりは、もうちょっと現場にあった装備を提案していただければ、という感じですが。まぁ大体似たような結論ですかね。最後は予算の話に捕まることになりますし」
セラムはそう聞いて大きく溜息を付いた。
「ふたりとも。そういう話は他所ではするな。絶対だ。ご主人の立場を本当に悪くする。そうでなくともご主人と会社の動向にかなり緊張している人々が多い。いつぞやのワイルの暴発は覚えているだろうけど、あんなのはまだ可愛い方よ。ようやく戦争が一段落するときに大議会で爆発でもされてごらん。戦争どころじゃなくなる。部下にも徹底させろ。どういう立場においても、貴方がたに命じます。いいわね。特にファラ、アナタも訳の分からない聴聞をうけているんだから、大本営の異常な状況にも気付いているでしょ。作戦直前に飛ばされるような事は謹んでちょうだい」
「リザ姉様はわりとあちこちで放言なさっている様子ですが」
「あの娘は最初から飛ばされるつもりだったのよ。飛ばされたらもうちょっと落ち着いた人が来るはずだったんでしょうけど、都合の良い新設部隊向きの参謀がいなかったってことでしょ。だいたいあの娘に前線の参謀任務なんてどう考えても向いてないわ」
セラムは苦い顔でマリールに答えた。
「セラムから見ても状況は悪いのか」
「悪いっていうか、足の引っ張り合いはいつものことだから気にするほうが無駄なんだけど、御社に誰もの目が向いているのがマズいってところね。誰も彼もが戦争の功労をご主人と会社に認めているわ。程度や立場の差こそあれね。表立って腐してないから、敵も味方も静かだけど、戦争の終わりが見えれば一気に吹き出すわ。たかりみたいな連中も」
「政治ってのは敵と味方を爆発させないように混ぜあわせる仕事のはずだが、政治家ってのは成果が必要となれば敵を探す生き物だからね。始末に悪い。デカートの元老院とかわざわざ子供の喧嘩のために集まっているみたいだよ」
「そんなことばっかり言っているんじゃないでしょうね」
生意気口を叩く子供を叱るような口調でセラムはマジンを咎めた。
「元老院ではできるだけ静かにしているよ。どの道デカートではあまり多くの話題がないんだ。堰堤の浄水装置の話題も殆どの人がついてこれない話題だしね」
「早く水中鉱山やら云うものが成果を上げるといいのですけどね」
マリールが楽しげに言った。
実のところ成果を上げても上げなくても厄介なことになるだろう、という雰囲気もデカートにおいてすらとうにあった。
「まぁ、アーシュラが初等部を卒業するころには、ある程度成果も出ているはずだ」
「そういえば、アーシュラは十二歳で初等部を卒業して軍学校の士官過程に入り直すつもりらしいじゃない。そのくらいということなのかしら」
セラムが軽い様子で聞いた話を口にした。
「毎年、年明けに昇級試験を受験するらしい。のんびりやればいいと思うが、まぁそれくらいには試験設備の成果も出ているはずだ。万事順調なら本番向けの設備も完成しているだろう」
「そうなると、毒水から金銀やら色々が回収されるというわけか。夢のある話ね」
セラムが冗談の先回りをしてオチだけ云ったような顔で笑った。
「まぁ、鉛とか水銀や亜鉛錫ヒ素銅というところが主なところだろうが、順調にゆけばそうなる。アーシュラがのんびり進学すれば割と楽だが、本当に十二で卒業するような勢いだと、個別の回収の方はちょっと怪しいんだがね」
浄水装置の方はある程度見込みがあるが、その実績を見てからでないと汚泥の精錬は読み切れないところが多い。
「そういえば、アーシュだけじゃなくルーやニコも昇級試験受けるみたいなことを言ってましたね」
ファラリエラが聞いた話を思い出すように言った。
「なんか、アーシュラがみんないっしょに昇進試験をするって願書出したらしいですよ。三人で軍学校に進むんだって」
「ああ。それでルミナスが今朝方怒ってたのか」
珍しくルミナスが声を荒げているのを思い出してマジンが言った。
「アーシュラ、あれで人見知りな所あるでしょう。お父様に恥をかかせないようにお行儀よくおとなしくしてたら角をからかわれたらしいのよね。ゲリエ卿は家畜を愛人にしているのかって。ルミナスが先に怒って喧嘩になったんだけど、なんかそれが嬉しかったらしくって、一緒に軍学校に行きたいのよね」
奇妙に嬉しそうにセラムが説明をした。
「ルミナスは鉄道の機関士になりたいとかって言ってたわね」
「ルミナスはそのまま高等部に進むつもりだから、軍学校に入学とか冗談じゃないって言ってたけど、アーシュラはルミナスをなんとか軍学校に引っ張ってゆきたくてレオナニコラと相談をしているらしい。子供のことだからそんなに何かを思いついた様子でもないがね」
「士官過程からだと、ちょっとした試験もありますからね。アーシュが落ちるようなものじゃないですけど、騎馬の準備とかは少し面倒だと思います」
ファラリエラが言った言葉にマジンは首をひねった。
「どういうことだ。アルジェンとアウルムにはそんなの必要なかったが」
「士官過程は文字通り士官を育てるための過程なんだけど、地方の有力者の子息を受け入れるための窓口でもあって、基本的に騎兵士官向けのコースなんだ」
「たしか、部隊の下士官を受け入れたりもしているんだろう」
セラムが説明した言葉にマジンは記憶の中の事柄を付け加えて確認する。
「まぁ、そうなんだが、そっちはもともと地があるからね。そういう連中は二年だけね。他に少佐として部隊指揮が当たり前に期待されるような将校は、教官や研修で軍学校に配置される。話を戻すと、士官過程は既に初等教育を終えている者を対象に士官としての育成をおこなうための四年間の過程なんだが、各地の州軍や私兵のための未来の聯隊長候補育成コースという位置づけなんだ」
「まぁ要するに騎士の誇りを失わせない形で、地方軍を現状の戦争に適応させるための指導過程、という名目で地方名士のご子息を預かり寄付を募るわけですね」
セラムの説明にファラリエラがぶちまけた形で説明を加えた。
「ひょっとして難しいのか」
懸念するように尋ねたマジンにセラムは苦笑した。
「難しい、ってことはないんだけど、田舎者が多いから面倒くさい。一般課程の学生と衝突することも多い。彼らの殆どは地元の聯隊に戻るつもりだから共和国軍に入るつもりはなく、そういうわけで無茶をする連中も多い」
「お遊びの決闘の相手としては手頃ですけどね」
軽く言ったマリールの人格形成には大きく影響を与えたような気もする話だった。
「つまりなんだ。馬と馬丁が必要ってことなのか、ひょっとして」
「士官過程で入校するならまぁそうなるわね。馬術は三人とも当たり前に身についているから心配する必要ないけど、馬と馬丁は必要。馬はお屋敷には軍馬に使っても大丈夫なのが多いけど、馬丁はちょっと困るかもしれないわね。軍人上がりの馬丁とか珍しいものでもないけど、縁もなく探すとなると難しいものだしね」
「セラムはどうしたんだ。君も騎兵だろ」
「私は一般課程だったから、馬丁って云っても軍学校付きの厩務員だよ。高齢の後備下士官の落ち着き先のひとつだから、馬の扱いも丁寧だ。士官ともなれば馬に乗れないでは仕事にならないからね。学生全員が乗馬は仕込まれる。ひとりひとりにとはゆかないが、当然に馬も馬丁もそれなりに十分の数を揃えている。自前の繁殖厩舎もあるよ。
だが士官過程は騎兵専門ということになるからね。馬を複数持っているものもいるし、馬丁も必要になると言うのはまぁ半分で、つまりは私物の馬に触れて何かあると面倒だということさ」
「卒業した場合、馬丁はどういう扱いになるんだ」
「特にはなにもないな。別段学生というわけではないし、一般的に騎兵の馬丁はよほどの専門家で信頼を置ける人物でないとあぶない。学校の授業に用があるような人物では困る。それは、もちろん馬のことに精通している必要もあるし、騎兵の性格と馬の扱いを理解している必要もある。大げさに云えば騎兵の働きの大方は馬丁の世話と準備で決まってくる。馬が良ければと云うのは誰もが言うことだが、戦場に出れば馬はよく死ぬからね。良い馬ってのは足が速いとか賢いとかよりも、運がよく長生きできればソッチのほうがいいと思うよ。だいたい兵隊と同じだ。馬丁ってのは士官と兵隊をつなぐ下士官なんだ。そういうわけで、私は馬に拘るくらいなら、馬丁に拘ったほうが良いと思うわけなんだが、まぁ、それはおいても本気でアーシュラが軍学校の士官過程に入るつもりならまともな馬丁を見つけておく必要がある」
「君は部隊でも馬丁はいたんだろ。そういうところから紹介してもらえるものかな」
セラムの話にマジンは頷いて尋ねた。
「探せばいるだろうが、私の部隊は壊滅したしね。腕はともかく信用というよりは馴染み方のほうが重要だしね。といってマキンズを引っこ抜いてはこちらの館の馬の方が気を揉む」
「本当にその時が来るなら、里に言って母に頼めば馬も馬丁も大喜びで送ってもらえますわ」
セラムに言葉にマリールが言った。
「旦那様は子供たちが軍学校に進むのに反対ですか」
ファラリエラが探るように言った。
「反対も賛成もないよ。我が子らとはいえ他人の人生だ。やりたいこと思うところがあるというのはそれぞれ良いことだ。願うこと望むところはないわけもないし、手伝えるところは手伝うが、そこから先は他人事だな。裏にいる子供たちも会社か軍かぐらいしか思うところがないが、それぞれ良いようにやりたいことが見つかれば良いと願っているよ。ただまぁ今の話だと準備は必要そうだな。ともかくは君たちが征って帰ってきたあとの話だが」
「建前論はそれとしてどうなさるおつもりかしら」
ファラリエラが探るように言った。
「まだ考えてないよ。まだ五年ある」
「昇級試験って難しいんですの」
マリールが尋ねた。
「全教科こなす必要があるから、難しいって云うよりも計画的な努力がいる。いつ思いついたか知らないけど、その時期次第だ」
「まぁ気を回しすぎても仕方ない。先のことは先のことだ。年を跨ぐことを考えても先行きはいくらでも変わる」
よほどセラムのほうが男らしく話をまとめた。
そういう話をしているとアルジェンとアウルムが部下を連れて中庭にやってきた。
彼女らはぞろぞろと百人ほども部下を連れていた。
普段の身なりの兵隊だったが、いつもとは違って乾いた泥が袖や背中についているということはなく、彼らもそれなりによそ行きの努力をして訪れたらしいことが分かる。
アルジェンは自身の歩兵戦車小隊の他に乗り込みの機動歩兵小隊も連れているらしく大所帯だったが、ひょろりと細く長身のふたりが部下を引き連れているとひどく目立つ様子で中庭に入ってくるや子供たちに歓迎されていたし、機動歩兵小隊には屋敷から志願して出た女達も十名ばかりがいて、今も駐屯地で待機中だったり訓練中だったりする者たちから手紙を預かっていた。
訓練中と云って演習地も炊爨訓練やら設営訓練やらの名目で駐屯地も冬越しの祭りの娑婆っ気を大いに満喫していたが、町から離れた土地でもあって軒先のいくらかに縁起物が飾られたり、肉や酒にまじって菓子が振る舞われたりという程度のことであり、羽目を外すと云ってもそうそう大したことができるわけでもない。とはいえ、日付をずらして多くの者達が街に出られるくらいの配慮もあって、贅沢を言わなければゲリエ村やヴィンゼで買い物をし、或いはフラムの温泉地に足を伸ばし、または要領が良ければデカートの花街で垢を落とすくらいの休みを取ることはできる。
ゴルデベルグ中佐は煮詰まっている下級士官を担いでいる下士官に警備の穴を教えて夜行を促すくらいには人員管理に気を配っていたが、直接に教導をしたり説教をするよりは教練をしたりビンタを張るほうが得意な職業軍人でもあったから、部隊においては恐れられ面倒臭がられてもいた。
マークス少佐はそういうのとは少し違う、日頃からの世間話で問題の兆候を未然に防ぐ対処をしていた。些細な借りが部下の上官への信頼に結びつくということらしく彼女の配下部隊では叛乱めいた謀議が起こったことはない。
アルジェンとアウルムは二人とはまただいぶ違う様子で、どちらかと言うと学校の同窓生のような感じで部下との関係を成り立たせていた。それはもちろん不安定な甘やかさを伴ったもので、上等な人心掌握の方法というわけでは決してない。だが人生経験の浅い彼女たちにとって人に話せる話なぞそれほど多いはずもなく、いつの間にか父親の話になってしまうという可愛らしいところが奇妙に人気を博し受けていた。彼女たちの話の中の奇人と碌でなしを突き抜けた天才を養父に持った二人がどういうわけか全くひねくれず素直に育ったことに部下たちの多くは微笑ましささえ感じていた。
冬の祭りの無礼講ということで、二人の上の娘の部下たちは、隊長の父親の人物を確かめたがるように話を求めた。
伝説的な人物、と云うにもあまりに突然に世に出てきたゲリエ卿の逸話は、賞金稼ぎで幾つもの鉱山と工房を起こし、各地に女と子供を抱え、幾つもの船を持ち、軍に武器を収め、鉄道を共和国に敷こうとしている、というものではあったが、酔狂な金持ちの冒険家、知り合いにはなってみたいが身内には欲しくない、男の中の男というやつだろうとひとり決めするような内容だった。
そういう当世に一人二人いるような立身出世の中の人という意味では西方王朝のひとつマルバ王国を共和国に組み込んだマクリシアモルゼーヌモルビアルッス伯爵が時の人であるわけだが、ルッス伯爵がもともとモルゼーヌ商会の御曹司であることは知られていたことで親子三代に渡る活劇の集大成というわけで五十年の叙事詩として語られる物語でもあった。貿易免税を盾にとった一種の海賊王国を西方諸王国の版図の内に成立させた商人の手腕は、多くの野蛮がまかり通る西方諸国の商人たちを引き寄せ、ついで西方諸国の傭兵たちの目を引き寄せ、ついには西方諸国の諸侯たち軍勢の鼻先を引き回すようにして、立地以外にさした特産がない小国であるマルバ王国を共和国に組み込むことで安定させることに成功した。
堅実な実業家から見れば胡散臭い話ではあるが、ともかくもマルバの港は平安海と呼ばれる中海への東側への大きな港口であったからモルゼーヌ商会が大きく安定した共和国のタレルを背景にした強力な商業銀行を運営する緩やかな経済支配は、全く不安定な西方諸国の動かしがたい天秤の錘としてマルバ王国の独立を支えていた。その利益は西方諸国の動乱によって、諸国の通貨が撥ね釣瓶のように動くことで汲み上げられ続けていた。当然その意義は西方諸国の商人たちには筒抜けに理解されていて、当然に羨望と嫉妬を伴った極めて危険な状態をいくども経験しており、彼の祖父も父も兄弟や妻までも暗殺されている。
そういう文字通りのスペクタクルの主人公を自身と重ねる気は毛頭なかったマジンとしては、いや世間のご期待はありがたいのだが、と様々に不本意ではあった。
だが特段の家督もなく文字通りの風來からわずか二十歳でデカートの元老に席を据え、様々に私財を投じ共和国軍を支え帝国との戦争兵站を推し進めている人物、と云う評であれば、嘘とか本当とかどうでもよく大した立志伝ということになる。
つまりは全く無邪気な必要と努力の成果を本人が全く理解していないままに、世間の評は定まる、という全くよくある社会の成り立ちを、世間の人々は面白おかしく又骨肉の恨みでもあるかのように無責任に騒ぎ立てていた。
静かに黙っていれば十人並みやや上等、好みが合えば美男子と見えないこともないという程度の外見はゴツい差物を腰と脇に下げていなければ、タダの田舎の若旦那で、腰のものを気にしてもせいぜいが優雅な農場主くらいに思えただろう。
だが腰のものが一息に二十発もの弾丸をバラ撒く機関拳銃であることを知ったり、大小の段平でマスケットの銃身を切り飛ばすという腕を知れば、ただならぬ賞金稼ぎであることが知れる。
尤も賞金稼ぎとして生業を建てたのはほんの僅かな時間で、世には生きた月数より売った首のほうが多い賞金稼ぎもたくさんいる。
しかし鉄道や電話を通じて集まる様々を読み解くことが出来、必要とあれば獲物を月に一万あまりも狩れるとなると、それはもう賞金稼ぎという枠には収まらない。
現在のところ鉄道警備隊は無法者、重違反者に独自に懸賞金を掛けることはしていないが、ほとんどの鉄道駅には各地の州司法治安行政が派出所を出していて、鉄道警備隊は施設内で保安官に準ずる権限を持っている。
当然に多くの無法者が鉄道やその周辺施設を利用したりということも多く、いわゆる賞金首の鉄道周辺利用は一万では利かない事実から、一般に問題にならなければ客として扱うが、当然それは例外としての扱いで必要に応じて或いは裁判所の司法執行の協力などの要請がある。
名義の上ではゲリエ卿こそが鉄道施設敷地の筆頭責任者で、その中での捕物はゲリエ卿にすべての責任がある。つまりは、月に千件を幾らか超えるほどの事件のうちの幾らかの賞金首の権利はゲリエ卿にある。
更には自動車を作り船を作り鉄道を作り戦車を作り、となるともはや鍛冶師建築家芸術家とすら呼べない。一周りして工房主と言ってしまうのが面倒が少ないくらいである。
話してみれば全く世間並みの三十前の子持ちの男が共感を持てるような奇妙な軟弱さ柔弱さを持っていたりと、ますますどうしてこんな人物がというところもある。
アルジェンとアウルムの二人が部下と引き合わせたゲリエマキシマジンという人物は、話に出てくるものの大きさが単なるホラではない事が多い、という一点を除けば、極普通の人生経験豊富な若者と中年の端境に踏みかかったような人物で、兵隊の多くは素朴な新品小隊長の奇妙に世慣れたところと人ズレしていないところに納得したりもした。
おおかたの話として会を飾る華やかさ賑やかさというのは、楽しげな顔で集う人々の数とその無法で無邪気な無礼講の歓談であり歓声であるので、ともすれば騒がしさを伴った賑やかさである。
これまで城塞か修道院のような重たげな静けさと共にある事のほうが多かったローゼンヘン館が久方ぶりに賑わいだのは、これまでのような年の瀬に滑りこむような商隊や装備の引取のためにやってきた軍用行李によるものではなかった。彼らのいくらかは予算上の或いは伝票上の都合のために日数の融通の効くどこかで年越しをおこなう必要があったりということで、或いは単に雪の中での野宿を嫌ってローゼンヘン館を訪れていた。
軍需に協力しているここ数年は徒弟を百名ほども住み込ませていて、一種の学舎のような面も覗かせていたローゼンヘン館ではあったが、冬至の祭りは家のある家族のある徒弟は家に帰っていた。鉄道がおよそのところまで通っていたし、帰省を望む徒弟たちに二輪自動車を貸してやるくらいには館の主の気前は良かった。主の格、館の格、或いは事業の格のどれを考えてもローゼンヘン館は人の少ない建物で、出来の良し悪しよりも人寂しい屋敷だったが、冬の休みに入ると徒弟が離れ村からの月雇いの者も里に帰りとなることでひどく静かになる。
そういう休みとは縁のない商隊の一員や軍や役所勤めの者達にとって、ローゼンヘン館は落ち着ける場所ではあったし鉄道のおかげで面倒の多くが減ったものの、責任を担う者に従う者達にとっては楽しみの少ない土地だった。
ゲリエ村はそこそこに拓けてはいたが、狼虎庵や駅頭の出屋敷で終わる商談ばかりというわけではなく、特にここ数年のようにゲリエ卿があちこちの地に活発な活動をしていると、単に商談というだけでない込み入った口上を伴った挨拶や取引も増えていて、そうなると幾らか気の利いた商人や名士は贈り物と手代や執事を送り込んで本宅ローゼンヘン館まで乗り込んでくるようになっていた。
以前からデカートの元老たちからはそういった挨拶を無碍にするものではない、と忠告というか注文或いは指導を受けてはいたが、家人が少ないことを理由に多くは断り、そのためにゲリエ村に出屋敷を作ってそこで応接をしていた。
実のところマジン本人にとっては多くは興味のない事柄ではあったし、多くは物見遊山でローゼンヘン館を訪れていたが、さりとて無下に断ることも意味がなく、しぶしぶとならないように客をもてなす努力もして、用向きに応じた執事をあてがいとしていた。
雪深さというものは鉄道の有無にかかわらずやはり旅の障害で、冬雪の季節に訪れる客というものは、その実がどうあれゲリエ卿ほどの家格であれば、よほどの面倒の客であっても追い出さないもの、という認識が世間一般の基準であったから、ゲリエ村の出屋敷はおよそ冬の時期は様々な客でいっぱいになり、挨拶や商談だけでないいくらかはローゼンヘン館に逗留することになる。
ここしばらくの年末の行事のようにやってくる彼らもその賑わいの中にあって賑わいに驚いていた。彼らの多くはローゼンヘン館は田舎というもバカバカしい別の世界だと考えていて、料理の暖かさ冷たさや風呂の湯を好きに使えるそのもてなしや、馬小屋の脇の馬丁部屋に至るまで隙間風は疎か暑さ寒さのない屋敷の設えもおよそ誰もが気に入ってはいたが、人界から離れた辺境というものの寂しさ静けさを却って思い出させるもので、普段であればそれは全く困ったものでもないが、冬至の祭りというものは秋の収穫祭や春の花の時期の祭りと同じようなどこを歩いてもそれなりに人々の賑わいを感じさせるものだったから、縁起物を門や戸口に飾ってはいても淡々とした屋敷の空気は人気の無さを感じさせる却って寂しさを感じさせるものだった。
それが今年の冬は奇妙に多くの女と子供が屋敷の中を往来し、中には旅の話を聞くついでに酌までしてくれる者もいた。
それまでも屋敷は女ッケが皆無というわけではなかったが、ともかく大きな屋敷を呆れるほど少ない人数で回している様子で、忙しい女中を労って肩を揉んでやる暇もない働き者の様子であったから、馬郎が屋敷の衆をからかっていると馬郎の身内から文句が出るほどだった。
さすがに屋敷の主もこれではいけないと思ったのかどうなのか、少し前から人が増えた様子ではあったが、どこから連れてきたのか、今年はまた目移りするほどの女たちを色とりどりに揃えてきた上に、歩けるようになったばかりの年の頃の幼子たちをこれまたたくさんおいていた。
個人の邸宅としてはやや多い女子供の数ではあるが、地勢が良ければ聯隊の本部拠点に使えるような規模の建物ではあった上に、子供の数に合わせて贅沢に建て増しまでしていたから、建物と人の数の話で言えば多すぎるということはなく、城か砦のような建物の主が将来の家臣を得たということでもあった。
何やら些か極端な人数も、全く他人事としては旅の疲れと無聊からつい色めく商隊暮らしの男どものだらしなさをさておいて、寒々しく人気のない冬の館よりは女子供のはしゃぐ声が漏れ聞こえる風景のほうが心安らぐものだったし、それが年越しの冬至の祭りとあればなおのことだった。
訪れたお屋敷の家人ご家来とあれば、野郎好みのいい女がいたとしておいそれと手を出すものでもないが、数いる女のうちには気安い者もいてそういう女に旅の空の法螺話の一つも聞かせてやろうと男たちは少しばかり張り切り、運の良い幾人かはゆっくり胸襟開いて話す機会を得たりもした。
旅の多い仕事柄、旅商の男たちは多くが寡夫ではあったが、旅先に馴染みの女がいるということは少なくなく、それが長い旅の張り合いでもあった。女が子供を身籠ったという話も言うほどに珍しいことではない。自分の胤の子が両手の数じゃ聞かないと威張るものも中にはいる。そういう自慢話ができる場所が増えることは旅の男たちにとっては下世話な気楽さが増えるということだった。
マジンは自身を貞淑と考えたことは一度もなかったが、淫乱多情と考えたこともなかった。もちろん一夫一婦制の意味するところはおよそ正しく理解していたし、実際問題として数を減らしたとはいえ女を千といったほうが面倒が少ない数百も抱えている身としては、今更骨身にしみる形で味わってはいた。
事の起こりは、リザに結婚を申し込んだあたりからが問題であったのか、と幾度も思わないわけではないのだが、彼女が示す様々は実に楽しく、道理や倫理をその場で忘れてその流れに乗るのは、馬に任せて急峻な山肌を下ったり、川を下るのに丸太にしがみつくのに似たような、大きな理を捨て小さな理にまたがる野蛮な疾走感があってなんとも言えないものだった。
年末の冬越しの冬至の祭りに中庭を埋め尽くした女と子供の顔は、拐ってきたばかりの時期よりはだいぶ人らしく彼女らの本来持っていただろう表情になっていた。それは小さな理として得た十分に大きな成果でもあったから、バカバカしくはあっても後悔を必要とする種類のものではない。
女たちを拐う前からも拐ってからも、ローゼンヘン館では毎年夏至と冬至にはちょっとした宴会をしていて、それが大きくなり始めたのは去年からだった。それまでも中庭で手に入れてきた豚や羊を捌いたり、鳥や鴨を絞めて毟ったりということはやっていたが、ここまできちんと整えないと人が収まらなくなるというのは今年の夏からで、それまでは離れの女や子供はあまり外に出てこようとしなかった。そもそも拐ってきた年は女たちの多くは腹に子供を抱えていたり出歩けるような状態でなかったりと、はっきり云えば自分たちの身の置き場に警戒が強すぎて、祭りという気分でもなかった。
この場にいる者達、特に女たち子供たちの殆どははっきり云えば縁もゆかりもない様なはずの宙ぶらりんの人々で敵味方で云えば、出会いが悪ければ明らかに敵だった女たちだった。彼女らにとって今が出会いが良いかというと、まだマシと応えるものが多いだろうが、なによりマシかという比較の問題で、敵の敵はやはり敵であることの方が世の中は多いことを思い起こせば、その程度の関係の者達だった。
せっかくの出会いなので仲良くしたいという者が半分もいれば上等、という大雑把な理屈から言えば、少なくとも子供が腹から出てきてのなりゆきを思い返すまでもなく子供の見分けがつかないようにできるほど子供がいる環境によって女たちは、煩わしい思い出をより煩わしい現実の騒ぎによって押し流し、有耶無耶にすることに大方の者は成功していた。
有耶無耶にできない女達の多くは軍に志願したり海賊をやったりとして、産んだ子供を館に放り出して出て行くことを望んでいた。
そういう中で云えばコワエのような者たちは少数派ではあったが、精神の均衡を怪しくしているより重篤な者たちも十数名いた。男を見ると腐らぬままに死んだような、生き人形のような或いは目玉が激しく震えだす状態になる者をどう扱って良いものか、マジンには全く見当もつかなかったが、ルミナスは彼の正義の赴くところ彼女らの心を癒やす努力を続けていた。
その一部は実を結んでいるところもあって、幾人かは中庭に出てきて、ぎこちなくマジンにも或いは館の男たちにも挨拶ができる状態になっていた。
かくあるルミナスも未だミンスとはなかなかうまく話ができない状態で弱り気味であったが、ともかく彼は彼でやることがたくさんあって、うまく折り合いを見つけるようになっていた。
そういう中でルミナスは皆で遊べる玩具として雪ぞりを作った。
履帯を履いた雪上トラクタースノーモビルもソリを履いてはいたが、乗り物としての安定や利便を先に建てたスノーモビルとはだいぶ異なる乗り味であった。
冬のそり遊びに軸流圧縮機関を噴射推進器として動力に使ったアエロサンは二輪車に近い乗り味で雪面をすっ飛ぶ爽快な乗り物だった。
ルミナスが馬の胴ほどの座席に跨がらせた弟妹達にハンドルを握らせ、自分は乗らずに操作するとアエロサンは一二秒猛烈な加速をして惰性で滑る。その猛烈な加速や不安定な乗り物に子供たちは振り落とされるわけだが、それが楽しいらしい。
構造上ひどく簡素で軽い作りが特徴で、ソリらしく曲がったり止まったりが難しいという大きな弱点があって、乗り物としては簡単に不安定になるところが一つの問題なわけだが、子どもたちにはそれぞれ乗り方があって、子熊のように冬の装いに膨れた子供たちは全く楽しげに振り落とされて牧場の雪の上をコロコロと転がっていた。
熱気球の燃焼器からアフターバーナーを外した圧縮機が、やや複雑な吸排気構造で吹き出し巻き上げられた大量の空気で、雪を巻き込みながら吸い込み温度を下げながら、湯気のように吐き出す後先を逆転させた蒸気圧タービンのような構造になっている。といって子供たちには関係ない。
ルミナス兄様が冬のおもちゃに吹雪を吹き出す木馬を作ってみせたというだけのことだ。
それがどれだけ意味があることなのか、といえば九百三十二人の顧客たちの心をがっちり掴んで、あまりの需要にルミナスは大人たちに助けを請わなければならないほどだった。
当然、家人として将来の頼もしいご当主候補に望まれた協力は誇らしくもあり、イヤもない。
放り出されて驚いたり早すぎで怖かったりと泣き出す子供たちを、まぁまぁやれやれと大人たちが救援に向かう姿は、ここしばらくでようやくのものだった。
そんな風に冬を過ごしている中で軍に務めている者達、志願して訓練に励んでいる者達も帰ってきた。
荒レ野での訓練はそれなりに整ってはいるものの、洗濯も入浴も毎日のんびりできるというわけにはゆかず、飯炊きや従兵という役割の者たちも含め皆薄汚れたナリではあったが元気そうであった。
たかだか四半年ではせいぜいがお腹や腕についた脂を落とす、ちょっと大した運動というだけで、兵隊としては前のものを踏まないように後ろのものに踏まれないように走るのが仕事のような状態だった。
つまりはまだまだこれからで、これは志願した女たちのせいというよりは、共和国軍がようやく部隊を編成はじめたばかりということで、充員がなっていない部隊において志願した女たちは先任兵として扱われるだろうことは既に決まっていた。
ラジコル大佐の部隊がなし崩しのまま解散になり、下士官兵隊の階級がひとつふたつ上がり編成に組み込まれ、階段を走っていた士官たちを小隊長分隊長として受け入れることになり、新兵や後備に下がっていた兵隊が装具を揃え、物資や辞令やその他の細々としたものが鉄道で運ばれてきてという作業も春頃までは掛かりそうだった。
軍令本部がゴルデベルグ中佐に命じ、そのままなし崩しにおこなっていた演習によって中核となる人員の殆どが維持されたまま訓練が進められ、解散から部隊の創設まで予算目処のないまま、またほとんどなし崩しのままに訓練と編制作業が進められていたが、ようやく冬になってまともな意味で予算がつき兵站本部からの人員の手配が動き始めていた。
そういう中では志願した女たちは足を引っ張らない程度には大したものであるとリザは満足した様子であった。
「なんか大勢いたものねぇ」
とリザは呆れた様子で言ったが、彼女は屋敷の光景について特段心をざわめかせている様子はなかった。
「――それで何人、女を連れてきてたの」
帰ってきて風呂を浴びて臙脂の厚手のドレスとローブを羽織った姿で中庭の焚き火を囲う一角にリザとマジンは二人して腰を下ろしていた。
「千四十六人。八十五人は海の上。二十人くらいは奥で療養している。出てきてるのも幾人かいるみたいだが」
「顔と名前は一致するの」
「まぁあらかたね。ただ、時々自信がなくなる。姉妹とか従姉妹も含まれているからな。髪型とか入れ替えられると後ろ姿で間違えることもある」
「子供は」
「クァルとパミルとミンスを除いて九百三十二人。こっちはどんどん大きくなるからよく間違える。双子も三つ子もいるしな」
「この人たち、この後どうするつもり」
「まぁ、落ち着くまではここにおいておく。いずれ身の振り方が定まったら外に出すよ」
「そういえば機関小銃の納品数量、九十万丁超えてたわね」
「来年には通算百万丁は確実に超える。結婚しよう」
「忘れてるのかと思ったわ。戦争が終わるまで絶対退役しないけどそれでいいなら、いいわ。アタンズの鉄道基地の完成に合わせて部隊は六月いっぱいで移動する。それに間に合ったら結婚しましょう。……でも、この人たちどうするの」
面白い冗談を思いついたというような顔でリザは尋ねた。
「ボクはむしろセラムやファラリエラをどう扱うべきかが聞きたい。云ってしまえば、ここの女たちはボクの事件被害者だからまぁ後で各々に、よきに計らえ、と云うわけだが、彼女らはお前の被害者だろ。どうすればいい」
明後日から響く銃声のような問いにリザは嫌な顔をして視線を逸らせた。
「おんなじに扱うってつもりじゃないでしょうね」
「扱うよ。というよりも、ボクとしては、よきに計らえって言うしかないんだからそうなる可能性も大きい」
そう言うとリザは少し口を尖らかせた。
「考えてもなかったわ。みんな誰も死んでないし盲点だった」
「司令部や後方に配置されていれば、そうそう死ぬってもんじゃないだろう」
「不思議な事に死ぬのよ。それが。病気とか事故とか含めれば戦争と全然関係なく三分か五分か一割にはならないくらいの士官が前線配置だと毎年死ぬの。陣地とか張り付いていると土地によっては三割とかいっちゃうから笑えないんだけどさ、陣地後方では兵隊よりよっぽど死ぬのよ。まぁ街にいる人も風邪や落馬で死ぬから珍しいっていうのもどうかと思うんだけど」
「死ねばいいとか思ってたわけじゃないだろうな」
「そんなこと思うわけないけど、戦争だから生きてあなたと結婚の話を改めてすることになるなんて考えてもなかったわ」
「お前も死んでるつもりだったのか」
「死ぬつもりもないけど、生きてるかどうかもわからないなぁ、位には考えてたわ。だいたい機関小銃の話を軍が飲むなんて思ってもなかったし、私が部隊幕僚になることも思ってもなかった」
薄い天幕で上を閉じた中庭は風が抜けず、火の気があり人が多いためになんとなく暖かい。
そういう生ぬるさをマジンは感じ、まぁそうかなという気はしていた。
「ボクは割と本気で計画して割と本気で苦労してた」
「そんなの知ってるわよ。だから約束は約束だと思ってるわよ。エリスとアウロラはまぁ利息みたいな感じよね」
「結婚するのがそんなに不本意なのか」
少し心配になってマジンが尋ねる。自分自身も結婚してどうするという感覚や一夫一婦制を前提とした結婚制度を考えれば、自身の状況が些か以上に入組みすぎていることは感じていた。
「そりゃ不本意よ。戦争終わってないのに、家に入れ、とかいう男のもとに嫁ごうってのよ。未来の将軍様としてはそれはもちろん不本意だわ」
「戦争が終わったらにするか。結婚を取りやめるか」
傲然と不満を述べる女に対し譲歩を示してみた。
「バッカじゃないの。この戦争は終わらないわ。休戦ってことはあるのかもだけど、ダラダラと延々と続くわ。約束通りよ。訓練満了が七月でそこから移動するから結婚するなら六月まで。その後になったらとりあえず春までは帰ってこないわ。それで一旦ケリを付ける。そのつもりで行ってくるわ」
それはそれで落とし所にはならないと不満そうにリザがため息を吐いて言った。
「たのもしいな。勝ち目があるのか」
「ズゥうっとあった。というか、もう、ほんっとにようやくいろいろ動き出した感じでアレだけど、リザール城塞が動かない城である以上、実はとうの昔に詰んでもいたのよ。こう、駅で売られている詰将棋みたいな感じで。ただそこに手を伸ばすのが面倒くさかっただけ」
「ようやくか。色々無理した甲斐があったというところだな」
「ほぉんとそう。もぉやんなっちゃうわ。アナタたぶらかせてアレだけ色々準備させておいて、未だにアレが足りないこれが足りないってアタシにねだらせて。もうなんか美人局なんてよっぽどのお人好しでも一回で十分なはずなのに、失礼しちゃうわよね」
斜め上の方から降ってきたリザの答にマジンはしばし唖然とする。そして笑った。
「それで、どうなんだ。お前自身はまだなにか欲しい物があるのか」
「どうだろう。よくわかんないわ。軍人はあんまりないものねだりはしないわ。ルミナス見てたら男の子が欲しくなった、って言ったら笑うのかしら」
今日の昼食をどうするかと問われたような雰囲気でリザは答えた。
「わらいはしないが。本気か」
「本気も冗談もないわ。私、結婚ってよくわからないけど、アナタのことは好きよ。私がアナタにしてあげることなんて、せいぜい気持よくタネを絞ってあげて、いっぱい子供を産んであげることくらいだと思っているんだけど」
少し不満気にリザが言った。
「朝晩おはようとお休みを言ってくれれば、だいたいそれでいいんだけどな」
治療の様子を確認するついでに離れをめぐる様になって、最近になってマジンはそう感じるようになってきていた。
「そんなことでいいの。もうちょっとなんかないの」
「ボクも最近まで気が付かなかったんだが、そういうことでいいんだと思う。今更そう考えると子供たちには気の毒をしたような気もする。ボクも子供だったんだな」
「相手に望むことがないなんて、優雅な話ね」
「愛なんて、形があるもんじゃないからな。時々の必要に求めるモノは別にして、一般論としてはその程度だろう」
「理屈としてはわかるけど軍人としては叶えにくいものね」
「それに二千人もいるとそれだけで朝晩小一時間かかる」
マジンの言葉にリザは鼻で笑った。
「うっわ。もうすっかり私も閉じ込める気まんまんだ」
「コイツラを閉じ込めているつもりはないんだが」
「アナタのその天蓋付きベットの様な父性愛は蜂蜜漬けに甘やかすつもりにしか見えない」
「子供は学校に行かせるよ。幾らかは軍学校にすすめる」
「そんなの当たり前よ。どうせ子供のほうが長生きするんだから、親がいなくなっても大丈夫なようには早めにしておかないと。アナタがどう考えているか知らないけど、家にいたって死ぬときは死ぬのよ」
「そう思って外に出す準備はしているよ。縁もゆかりもない土地にバラバラに放り出してうまくゆくわけ無いだろう。店でも農地でも持たせてやるよ」
リザはニヤリと笑った。
「女郎屋とかどうよ。アタシ退役したら遣り手ババアやってあげるわよ」
「ボクが楼主か」
「何人か可愛い顔の男の子侍らせてさ、女たち仕切らせればいいんじゃない。ボーリトンとか」
「アイツ童顔というか女顔を結構気にしているんだから、ボーリトン本人には言うなよ」
「いいと思うけど。顔とか体は才能よ。アタシ、自分の顔はよくわかんないけど、体については両親に感謝しているわ」
「また体目当てみたいな言い方をする」
そう言って顔をしかめるマジンをしてやった顔でリザは笑った。
「アタシは体目当てよ。ッて言うべきかどうかアレだけど、気持ちよくなければエリス産んだ後にアナタのことなんか思い出さなかったし、セラムたち連れてきたりはしないわよ。エリス産んでなければ、こんなに早く中佐になってなかったし、リザール城塞を見るまで生きてることなんか考えもしなかったわ」
韜晦というには生々しくリザは語った。
「勝てそうか」
「だから、帝国とは勝ち負けにはならないのよ。……ただ、リザール城塞を占領することはできるはず。そんで、渓谷の出口を抑えれば戦線正面が狭まって無理ない形で持久できるわ」
「随分簡単そうだな。前にもそんなことを言っていた様子だったが」
「まぁ、前から考えていたことではあるけど、戦争は思いつきだけじゃ勝てないからね。ラジコル大佐の実績と、鉄道が延伸して補給連絡が兵站の負担にならなくなり始めたことが大きい。ほとんど全部アナタのおかげよ」
「彼女らは使えそうかい」
「わかんないわ。使えないと困ったことになる。どこの女郎屋から連れてきたのか知らないけど、射撃と格闘はみんな大したものね。基礎が身についている。シャオトアはそういうのカラキシだけど計算が得意で気がつくから司令部では重宝しているわ。生きて帰れるようなら士官特薦に推薦しとく」
そうこう云っていると中庭の奥からシャオトアがやってきた。傍らにあちこちを雪でまぶしたようなオゥランを連れていた。親子というよりは姉妹という方がよさ気なふたりだった。彼女らの複雑な経緯は彼女ら親子に限ったことではなく子供を産んでさっさと海に出て行った者や、親とは名乗らず世話もできない女や我が子を見て卒倒してしまうような女もいる。志願した者としては流石にシャオトアが最年少ではあったが、三十台後半から十代前半まで中央値ではおよそ二十歳前後、平均では二十代半ばという女たちは多少とも酔えるようになっていた。
厳密には軍機であるのだが、大雑把に夏には移動を開始するということで、次の夏至の祭りが出征前の最後という話も出ていて、ともかくも彼女らの姉妹たちを囲む形で花が咲いていた。
「お二人はなにを話していらっしゃるの」
そう言ってマジンの頭に乳房ごと体をあずけるようにしてマリールが割り込んできた。
「こんなに女を囲い込んで子供まで生ませて、本当に殿様は私と結婚する気があるかって話」
「ああ。そういうことでらしたら、本当に私の故郷に籍を移されるのが宜しいわ。うちは一夫多妻で全然問題ない土地ですし、我が君のことは母も前々からお目にかかりたいと申しておりました。千人も奥を抱える男性ともなると、うちの土地でもなかなか例がないと、大はしゃぎでした。おかげで私の株も母の中で大高騰の様子。そのまま土地の者になっていただけるなら、ここの方々も皆お引き受けすると思いますよ。もちろんお姉さまを夫人筆頭御台所様ということで私は全然問題ありませんわ。ギゼンヌからもたっぷりひとつきは山歩きするような土地ですけど、鉄道敷いてくださるならきっとあっという間になりますし、うちのものが文句をいうようならどこか適当なところ途中まででお城を構えればそれでいいと思います。
そうしましょうっ! 」
「なにをバカなこと言ってるの。とりあえずアナタには戦争があるでしょ」
「そういえば、なんかアタクシ前線部隊にぶっこ抜かれるって話聞いてますけど本当ですか」
「本当よ。アタシの部隊に配置になるわ。後方と離れることになるからちゃんと使える連絡参謀が聯隊に必要になる。ラジコル大佐の結論よ。前は単に行って帰ってくるだけの冬場の遠足みたいなものだったから、凍えない準備だけしていればよかったけど、今度のはぜんぜん違うわよ。本気の本物の戦争で一撃ぶん殴りにカチコミにゆく。政治向きはこの人の差配に頼るところが多いけど、とりあえずそれで半年から二年で片がつく」
「随分気の長い幅のある話ですね」
「まだちゃんと詰めていない話ですもの。この人があそこの人たちを心配してるから話してあげてるの。いろいろ考えているんだけどね。割とどっちでもおんなじみたいなのよね。結局この人の手際に頼ることになるの」
「鉄道軍団って、頑張ってるんじゃないんですか」
「頑張ってるっていっても、馬と自動車、モッコと重機じゃ全然勝負にならないわ。予算ケチったってわけじゃないんだけど、人員も予算もぜェんぜんまだまだ足りない。なにより、自分たちでわかるくらいヘボっちいみたい。まぁ新兵科ってのをいきなりモノにしようってのが、無理筋でしょうがないんだけどさ。製造元運営元が赤字覚悟でぶっこんでいる予算と人員資材と、教えてくださいお願いします、でやってる軍とじゃ最初の一歩がぜんぜん違うわけで。この人の会社の財務報告書見たら血の気が引くわよ。真っ赤っ赤の血の海で内出血だから死んでないけど、どっか破れたら一気にドバーって感じだから。……会社大丈夫なんでしょうね。結構あちこちでザマアって声と本気で心配している声と半々なんだけど」
公式の財務報告書は膨大な赤字が記されているがおよそ殆どがゲリエ家の資産であることから、救済そのものはマジンの死亡などで当主の交代が起こらなければ基本的に問題ない。単に借金の利子分が上乗せされてゆくだけだ。
マジンの頭の上でマリールが下を見たことが肩や頭に掛かる荷重の変化として分かる。
「大丈夫だ。輸血の手当もしてある。手配の細かいところはロゼッタに任せてあるが、およそのところで順調だ。戦争が終わっていれば却って面倒になったかもしれないが、また五年か十年は問題がない」
「死の商人みたいなセリフね」
リザが唇を薄笑いに歪めて言った。
「第四堰堤の出費が思った以上に響いた。というのもあるし、共和国の体制が思った以上に脆弱で困ってる」
「そんなの、戦争のなりゆきを見れば一目瞭然じゃない。今更なに寝言云ってるの」
「我が君はいっそ、共和国の執政官になられて戦争指導なされては」
マリールが頭の上から本気ともつかないことを口にする。いや、間違いなく本気なのだろう。
「そんなこと始めたら鉄道もその他もみんな止まっちゃうよ。ああいうのはちゃんと議会とかあちこちに知り合いのいっぱいいる人がやることだ。ぽっと出の独裁者はそっぽを向かれてオシマイだ。最低限、議会か軍権か財源のふたつを握ってないと噺にならん」
「そういう人と知り合いまだいないの。大元帥とか」
軽く疑うようにリザが尋ねた。
「ないねぇ」
「でも今のでわかりました。財源もうすぐ握るんですね」
マリールが頭の上で嬉しそうに身を揺すった。
「そうなの」
「だって、我が君、共和国の体制を見据えたうえで財務体制建てなおすつもりでいるじゃないですか。そしたら、どうしたって大きな財源を手にする準備が必要だってことでしょう。もうすぐってのがいつかわからないですけど、輸血するつもりがあって、それが終わったらほとんどすぐに効果が出るような形にしないと輸血する意味がなくなっちゃうじゃないですか。共和国の体制がグダグダだって感じているんだから」
マリールが頭の上でリザに向けて説明する。
「そうなの」
「まぁ大体そうだ」
「例の水中鉱山とか云うのが稼働を始めるってことかしら」
「いや、それは多分まだ先だ。小遣い銭くらい稼げるといいが、期待はできない」
「そしたらどうするの」
「銀行を始める。色々あるが、つまりは皆様からお金を借りて支払いに充てる」
ふーん。とわかったようなわからないような顔でふたりが納得した。
「それで執政官になるんですか」
「執政官になっても帝国との戦争に勝てるように共和国を改造しようと思ったら、ボクの頭の上に乗っているおっぱいに仕事をさせる時間はなくなるな。今でもここにいる連中も朝晩の挨拶で手一杯だ」
混ぜっ返すマリールの問をリザに説明する。
「……会社が危ないの」
リザが少し心配そうに尋ねた。
「危なくはないんだが、放っておくと本当に執政官になるか共和国の敵になるかを選択しないとならなくなりそうだ」
マジンがちょっと気乗りしなさ気に言った。
「あー。大本営そんな感じありますね。戦争協力はありがたいけど戦争終わったらどうすんだ、みたいな空気つうか。なんかこう、誰が踏むんだ的な。アタクシ戦争終わったら退役しますよ。そんで我が君を実家にご招待しないと。そんでうちの父の頭殴ってもらわんと気が済まんですよ」
マリールが随分と気楽げに言った。
「バカね。戦争は終んないわよ。ま、適当にキリを見つけてやめるってのはアリだと思うけど」
マリールまでも不穏を感じていることにリザは不安を感じている様子だった。
「姉様は結婚後どうなさるおつもりですか」
マリールが気楽に尋ねたことにリザは膨れ面をする。
「この人に聞いて。わたし結婚生活って全然しんないもん。なんか、朝晩おはようおやすみを言えばいいみたいだけど、そんなの面白いのかどうかよく分かんない」
「私だったら朝晩とりあえず寝起きを襲いますかね」
「それ、前にやってたけど、戦争終わってからもこの人の仕事いっぱいあるんだからやめてよね。子供がほしいならもうちょっと静かにやりなさいよ」
「おや、意外。結婚しても我が君と情を通じても宜しいので」
「この人と毎日なんてさすがに付き合ってられないわよ。二三日ならつながって過ごすのも楽しいけど、結婚したらそんなしてたら死んじゃうわ」
リザがなにを云うかと思えばあまりに極端なので、マジンは頭の重さに耐えかねたかのように首をすくめる。
「鉄道がひとまず伸びきるまでは、そんな時間ないよ。エンドアも切り開く必要がある」
「それで、エンドアの土地はどうなさるおつもりですか」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「帝国の連中に入植させる。ってのじゃダメかね」
「ダメじゃない、とは思うけど、ひょっとしてそれが問題になると思っているの」
リザは慎重に尋ねた。
「理由の一つにはなると思っている」
「州を一つ立ち上げればいいのでは」
マリールが頭の上で閃いたように言った。
「いずれ、まぁそうなるな。戦争のキリがついて退役するなら、お前、州知事やるか。マリール」
「面白そうですね。いいですよ」
「学校とか病院とかいろいろ立ち上げないといけないものが多すぎて忙しいんだ。それに比べれば、州知事は実務者がしっかりしていれば単に信用できる有名人というだけで事が足りる」
「会社の人達じゃ足りないの」
「そもそも人が多すぎる。最低でも百万人受け入れる必要があるからな」
「大議会でなんか話題になっていますね。二十万の捕虜受け入れの代理執行をするっていう話で、割と大きな話題になっています。鉄道がまだしばらく届かないところが賛成に回ったことでほとんどそのまま通りそうですが、次は来年中にもう五十万人って云う話みたいですよ」
「そうしないと戦争にはならないわね。前線後方の拠点に捕虜が溢れている状態じゃ、戦争の邪魔よ。彼らの存在こそが共和国の敗北の象徴なの。帝国には押し込むことができて共和国には掃き出せない」
リザが苦い顔で言った。
「そこまで云うならボクが皆殺しにしてやろうか」
「冗談でもやめてよね。あそこにいる女たちにそんな話を聞かせられると思ってるの。武器もなくなった押し込められた連中を殺すなんて、どっかの野っ原で戦車で轢き潰せば簡単に殺せることくらい知ってます。アレだったら寝てるうちに建物ごと潰すことだってできるの知ってます。そういう気持ち悪い論をさも正論のように吐く連中が大本営にいるのは本当にクソだと思っているの、私。そういう屠殺を当たり前に思うような連中が街場の不遇にさらされると、正義の殺し屋に早変わりするのよ」
「すまん」
思いの外、真剣な様子のリザにマジンは軽口を詫びるしかなかった。
「いいわ。別に。次の戦争ではそうする人も出るわね。きっと。できるからやるって、バカな理屈は効率とか予算とか言い出すと絶対そうなる。算数がお得意な帳簿がご神託に見える人の好みそうな方法だわ。でも兵站で負けている私達がそれをやったらどうなるかと云えば、最終的にはひとり残らず私達が殺されるだけね。単純な算数の問題よ」
「そういうものか」
マジンにはよくわからないがリザには確信があるようだった。
「考えてもご覧なさいよ。共和国はアナタの小銃を百万丁揃えるだけで嫌な顔しているのよ。帝国軍はこれまで二百万だかもっとだかの開拓者に後装小銃を与えて押し込んでいるのに。こっちには自動車があったから陣取りみたくして開拓者と土地をザーッととったけど、結局また押し戻されているわ。連中にとって二百万だか何百万だかっていう人々は貴族とかも軍人とかもどうでもいい存在なのよ。戦争は今回だけじゃないわ。この後何十回も繰り返される小競り合いの一つの形なのよ。連中の態度がどうであろうとこちらがむこうに尊厳を求め続けるのは必要なことなの。尊厳を期待するのは無駄なことというのとは別にしてね。兵站に劣る我々ができることは、敵が如何に醜悪であるかを訴え続けることなのよ。より醜悪であろうとすれば同じ手段で兵站の闘いに負ける」
リザは断言するように言った。
「勝てませんかね」
マリールが首を傾げるように言った。
「勝てるわけないわよ。今回の戦争のグダグダ思い返してみなさいよ。この人の機関小銃の量産が通ったことのほうが不思議なくらいの展開よ。オマケになんだか妙な横槍も入るしさ。アレこそ統帥権の干犯ってやつじゃないの。今なんとなくやや有利に均衡しているのは、このひとが定期的にオモチャを前線に供給してくれたからよ。次の戦争では横流しが絶対起きる。鉄道は間違いない。自動車も当然に。事によれば戦車さえ。オマケにこの人論文でだいたい発表しちゃってるのよ。そんなの時間と人手があったら気の利いた連中が試してみるに決まっているじゃない。勝ち目がないのはそれにしても負けるわけには絶対ゆかないの」
「マリール。そろそろ頭の上のいい匂いがするものをどけてくれないか。流石に重たい」
「我が君が論文を発表しないほうが良かったってことですか」
マリールはマジンの言葉を無視して尋ねた。
「時間の問題ってだけよ。論文が発表されなければ、共和国軍の誰も手を出せなかった。でも似たものでも十分脅威だわ。帝国の馬引きの戦車でも機関小銃が防げるだけで十分に危険な乗り物になる。道具は戦術を左右するけど、戦術の必要に応じてその場で仕立てられるものでもある」
「やっぱり旦那様に執政官になってもらって戦争を徹底的に指導してもらったらどうでしょう」
頭の上でマリールが鼻息荒く言ったのにマジンはうんざりした顔をする。
「マリール夫人の意見をどう思う」
「何万だか何億だか知らないが、そういう連中を降伏させるためにどこの誰を殺せばいいのかわかればそうするが、つまりはこっちに来ている連中をいくら殺しても無駄だってことだろう。例えば、帝国の皇帝とやらを殺したとして、そのあと誰に降伏の要求をすればいいんだい。逆でもいいんだが。それがわからなければそれこそ何億万だかの帝国の国民を皆殺しにする必要がある。それは少々付き合いきれないね」
「ベージン公とかいう人を殺せばいいんですかね」
リザが求めたマジンの感想にマリールが気楽に言う。
「どこにいるんだよ」
ついマジンは頭の上のマリールの乳房の先を睨むように尋ねた。
「公というからには公爵はベージンのご自宅でしょうか。どこだか知りませんが」
「まぁ要するにそういうことよね。戦争の相手を知らないままに戦争していても全然意味がないのよ。本当に勝ちたければね」
あくまで男の頭の上から退く気のない下を覗き込むようなマリールに呆れた様子でリザは言った。
「共和国の指導者はそういうことを考えていないということか」
「具体的にはね。それどころじゃないもの。だからこれは戦争の勝ち負けにはならないわけよ」
「そしたら帝国に攻め込みますか」
「山間を三百リーグも通ってね。鉄道みたいな馬車道を通しているらしいから、こっち側よりはだいぶ楽みたいだけど、当然に狙い撃ちされるから道はすぐに使えなくなる。そんなのこっちの議会の紳士淑女の皆さんが耐えられるわけないじゃないの」
「そしたら、リザール城塞をとったら戦争はおしまいってことなのか」
断言したリザにマジンが尋ねた。
「そういうわけにもゆかない。馬車道があるならどこかまで崩さないと。それでどこか手頃なところで拠点を築いておかないと」
「つまりそのためにダラダラと戦争が続くということか」
「我が君の新兵器でバーっとやっつけるわけにはいかないんですか。馬車道ドドドーっと」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「戦車は塹壕戦ではほぼ無敵だけど自然地形相手には限界も多い。相当便利なのは間違いないし大体の敵には独力で勝てるけど、勝てない状況に嵌められることもあり得る。特に狭い土地は戦車の苦手とするところよ。兵隊が援護しようにも森林地帯ではアナタの戦車は味方の兵隊の援護を許さないほどに木々を引き倒す。事実上戦車単独で戦うことになるわ。そういうところにある拠点制圧は兵隊の数に余裕のない自動車部隊には難しい。山岳地形ならなおさらよ。戦車が進路を栓をするような状況になると困ったことになる」
リザが断言するように言った。
「経験したような言い方だな」
「お屋敷の裏山で戦車が積み木みたいに重なる事故が起きたわ。それでも死人を出さずに動けるからラジコル大佐は大いに感心していたけど、けが人は出たし、戦場でそんなことになれば助けようもない。戦闘中なら間違いなく死者も出てたでしょうね」
「修理は大丈夫か」
「おかげさまで勉強させてるわ。ともかく陣地地形はある程度人間の体力と資源投資と想像力に制限を受けるけど、自然地形はそういうところがないから油断ならないわね」
「うちの山はそうそうデカいというわけではないが、雪崩とか崖崩れは結構起きているぞ」
心配そうなマジンにリザは手で払いのけるような仕草で答えた。
「わかってるわよ。わかっていたつもりだったけど事故は起きるのよ。有意義な演習だったわ。そういうわけで、アナタの作った戦車は山岳でも便利なのは間違いないけど、事故が起きるとより致命的なのも間違いないの。もともと用途外だしね。ラジコル大佐は森林山岳用の木々の間が抜けられるようなもっと小さな戦車がほしいみたいなことを言っていたわ。小さいブルドーザーみたいなのでロバみたいに荷物を載せたり曳かせたりしたいみたい」
「それでも無理をすれば転がるのは避けられないぞ。小さくなればなるほど地形を拾って転がりやすくなる」
「わかってる。貨物車に載せてる小さい重機も演習場でよく転んでる。おかげでキノコみたいなボンネット付きの安全帽、最初は邪魔だって兵隊たちの話だったけど、今ではすっかり評判いいわ。錣板も邪魔って話もあったけど、アレのおかげでよほどの落ち方をしても怪我で済んでるわ」
無駄な心配を笑うようにリザは答えた。
「そりゃ良かった。こっちは物は作れるけど、現場を知っているわけじゃないからな。感想があって要望があるなら修正して現場の希望に寄せることはもちろんできる。ラジコル大佐の森林山岳向けの小さな戦車という話もある程度は想像がつくから、具体的に話を整理してくれれば、そこに狙いをあわせたものを作ることはそれほど難しくない」
「我が君も戦場にゆきましょう。そしたら現場がどんなかわかりますよ」
楽しい遊びに誘うようにマリールが頭の上で言った。
「マリール。アナタねぇ。……まぁ本当は一回そうしてもらうのが一番なんだけどね。兵隊がどうやって自動車壊しているか分かるだろうし」
「寒冷期用の暖気目的のつもりでつけた給湯口に燃料油や火酒の類を流して火をつけたり、燃料の給油口から沸かした油注いだり、車の下で焚き火をしたりっていうのなら知ってるよ。もともと植物油は寒さに強いものじゃないしね。そうしても大丈夫なくらいに余裕は見ていたはずだが、程度問題ってやつもあるからね」
「壊し方もそうだけど、壊している兵隊と現場の土地も見てほしいわ。鉄道も似たような感じだと思うんだけど、うちの連中がどれだけマシか思い知ると思うわよ」
敵を塞ぐ陣地を乗り越え走ることを前提にした戦車と、名ばかりとはいえ往来を前提にした道を走る自動車と、鉄で固めた線路を走る鉄道とを同じ枠で語ることはどう考えても誤りであるが、リザにしてからがその程度の認識であれば共和国の兵隊一般がその程度の認識であることは容易に想像がついた。
実際に鉄道軍団の教育は極めて難航している。鉄道の威力と必要を理解できてもその運営に関わる投資と努力が正しく理解できない者が多い。
結果としてガチガチに規則と訓練と設備で固める必要があって、それは人手が足りないローゼンヘン工業にとって極めて面倒なことであった。
だが一方で規則の整理という意味では役にも立っていた。
「似たようなことをジェーヴィー教授にも言われたよ。世界の全てこそが研究の題材である、ってソレはそうなんだが、ひとつきも離れてはいられない。せめて電話が通じるところまでだな」
「忙しいんですの」
頭の上からマリールが尋ねた。
「忙しい。仕事は減らしているはずなんだが、またいつの間にか増えていたりもする。お前たちが軍を辞めてうちに嫁に来てくれるって云うなら、仕事を頼みたいことも多い。大半は書類にサインをする仕事なわけだが、印章を押すだけでも結構な手間だし、中身を読むとなれば時間もかかる」
「そんなになにやってらっしゃるの。これだけご家来増やしたのに使えるものはおりませんの」
「ボクはもともとヒトを使うのは苦手なんだ。奴隷とか買ってきて家で使っている人間の気がしれない」
不思議そうなマリールにマジンが頭の上に困ったように言った。
「それは我が君。やはり一回軍隊というものを経験なさってみるのが宜しいですよ」
「なに寝ぼけたこと言ってんのふたりとも。この人の言っているヒトを使う規模を練習させようと思ったらどうあっても大隊長とかさせることになるじゃないの。大体アナタも、いまさら苦手とか言ってるから彼女らがいつまでたっても生活が宙ぶらりんなんじゃないの。甘えたければセントーラのおっぱいでもしゃぶってればいいわ」
リザが突き放すように拗ねたように言った。
「我が君もおっぱいいじるのは好きですけど、あんまりおっぱいしゃぶりませんね。まぁ今はおっぱい出ませんけど。セントーラ様は出るのかしら」
「出ないよ。もう流石に」
「我が君、次は男の子でお願いします」
「今度は前線で割りと本気のカチコミするんだから、妊娠とかやめてよね。アタシの首一つじゃ合わないことになる」
「妊娠したり流産したりで大騒ぎする軍隊ってのも不思議な話ですよね。毎日何百人も死んでるってのに」
マリールが笑い話であるかのように言った。
「マリール。そろそろ顔を見て話がしたい。座らないか」
「はぁい。……何の話でしょう」
マジンがそう言うとマリールは膝をつくような位置に椅子を動かしてきて腰を下ろした。
特に話があったわけではなく、ほんとうに頭の上が鬱陶しくなり始めていただけだったのだが、素直におりたマリールに振るべき話題を探した。
「ああ、前線に出ることになって、電算機の件は大丈夫なのか。研究は上手くいっているのか」
「どうなんでしょう。私、電算機の件は確かに機械本体は管理しているんですけど、それって実は療養院の面会窓口みたいなもので直接内容に関わってはいないんですよね」
「なにやっているとかってのは非公開なのか」
「そういうわけじゃないです。大方のところは軍機ってわけじゃなくて、単に発表する場がないってだけで、学校に近いですね。あんまり世間的におおっぴらにしていないだけで、機密ってわけじゃありません。昔、魔法絡みでちょっと碌でもない事件があって、そういうのの再発防止のためにある程度の監査を受け入れる体制ができています。全部見せているってわけじゃないですけど、我が君であれば例えば私がなんの任務でどれくらい予算を使っているのかという情報は資料が見られます。ですので、そういう方法で理由があって研究に興味があるということであれば、内容はともかく名目くらいは追えます。参謀本部の人も出入りしてますから、そういうところを通じてあちこちになにをやっているかを追うこともできます」
「それで具体的になにやっているとか、知っているのか」
「知りません。でも、あの機械を上手く使うコツの符号化と復号って文字や記号の基礎概念で魔法の大好物で、暗号の基礎じゃないですか。多分延々そういうのやってると思いますよ」
「魔法の呪文を作っているとかか」
「そういうのとは違って、本当に暗号です。多分。あと、定形連絡の効率的な圧縮とか」
「数字に対応した定型文が書いてある辞書とかがあるのか。ひょっとして」
「まぁ、そんな感じです。平文だと遠話の接続時間が長過ぎて危険なので、そういう手紙の定形見本集みたいなものを作ってるんだと思います」
はぐらかすというわけではなさそうにマリールは説明をした。
「割と普通なのね」
つまらなさそうにリザが言った。
「まだ、手に入れたばかりの機械ですからね。多少は実績が上がるところから、手を付けているとおもいます。最後は魔法とか考えている人達も多いでしょうが、そんな簡単に魔法が使えるなら身内をかっさばいてみたりとかしませんよ」
「どういうことだ」
「あったのよ。そういう事件が昔。そんで色々手入れがあって、逓信院が今の形に落ち着いたの」
マリールの言葉に嫌な連想をしたマジンにリザが替わって答えた。
「生きてる魔法使いを解剖したってことか」
「魔法使いだけじゃなくてタダビト亜人を問わず、かなりの数ね。志願者だけって話だったけど、どう考えても志願するはずもないような赤ん坊や市井の人も混じっていたから、大騒ぎだったみたいよ。その頃には軍でも魔導士の実績は十分にあったし、今より魔導士の数も少なかったからなおさら」
リザの言葉の意味するところがどれだけ真実かは分からないが、そういう事件があってなお組織を存続させようとすれば組織の中立性透明性を高めようと努力するだろうと思える事件だった。
「魔導院が分割されたおかげで度胸がついたお医者が療養院で人を治してたりもしていますけど、あんまり気分の良い話ではないですね」
「そういう中に手の解剖図とかあるのかな」
マリールの言葉にふと思いついたことを尋ねてみる。
「まぁ、あるでしょうけど、悪趣味ね」
「悪趣味って。実用だよ。治療目的の参考にしたいんだ」
リザの糾弾にマジンはまじめに抗弁した。
「そういえば、足を直したって言ってたわね。その後どうなの」
「六人とも足の腱の土台の金具を抜いた。人工腱の周りに筋肉が腐らず定着と再生を始めてたから来年の今頃は結果が出始めているだろうと思う」
「それって歩けるようになるってことかしら」
リザの確認にマジンは頷いた。
「順調ならな。だが、筋肉が落ちているからつながっていても歩けるかどうかはわからないし、どのタイミングで安定したかを見分けるのも難しい。まぁ、一々足を割かなくてもある程度は見分けがつくから、なにもわからないというわけでもないが、今はまだしばらく足を固めて回復を待っている時期だ。つま先をくすぐらせているよ」
「道理で暇そうな割には忙しくしているわけね」
車椅子の幾人かも中庭に出てきている姿が見える。
「会社の幹部が機能しているから軍都に通っていないだけで実は相当に忙しいぞ。アミザムの件でとうとう大議会なるところに呼ばれていって、運行計画主任を紹介したその後は置物同然だが、ともかくいってみたよ」
「どうでした。帝国の権威の中枢たる場所を訪れた気分は」
「いっぱいヒトがいるなぁ、ってくらいかな。まぁ椅子の座り心地は悪くなかったが季節が悪くてあまり長居したい雰囲気ではなかった。早く電灯を入れろよと思う部屋の作りだったな」
戦争対処に関する法律の幾つかによって戦争期間中、大議会の建物の重要部は改装改築を許されていなかったから、議事堂の殆どには電灯も電話も敷かれておらず、秘書室などは別棟の建設がおこなわれ、そちらは電灯や電話水道などの整備が整えられていた。
「バカな法律もあったものよね。敵の間者とか攻撃とかそりゃ考えれば限はないけど、さっさと便利にして間者をあぶり出すほうがいいと思うけど」
「私は予算上の都合措置だって聞きました。大議会って共和国と各州合同予算の部分が分かれてるじゃないですか。あれもややこしくて面倒なだけじゃないかって思うんですけどともかくなんかそういうヘンテコな線引があって、みんなオラが郷の業者を引き込んでるせいだって。で、共和国は一応そういう縁がないから引き込む相手がいなくて改装できないって。だから我が君が執政官についてしまえばさっさとそういうところからやり放題でつよ。デュふっ」
リザに応じたマリールは笑いをこらえそこなって最後変な風に噛んだ。
そうしているとファラリエラがやってきた。
「あら。こちらでしたの。てっきり気球とソリの方においでかと思ってたのに」
「探させたか」
「ああ、いえ。それでなんのお話でしたの」
「我が君が執政官になってしまえばさっさと大議会全体に電灯と電話がしけるのになぁというところかしら。ふふひっ」
マリールはどうやらツボに入ったらしく、気味の悪い笑いが収まらない様子で答えた。
ファラリエラはその様子を見てなにか合点がいった様子でいつもの微笑みで頷いた。
「叛乱計画、というか。政権奪取に向けた企てがあるんじゃないかと割と前々から囁かれていた様子ですが、そういうお話でしたか」
「いや、マリールが勝手に言っているだけだぞ」
「わかってますけど、周りはそうも見ないというところですよ。単純に価値を比較しちゃうと、大本営よりこちらのお屋敷のあたりのほうが全然戦争向き兵站向きに整えられていますし、ラジコル大佐や私達部隊幕僚が拘束された理由もその辺が大本営の様々な人達に疑惑を与えていた様子ですし、帝国の捕虜を何十万だか抱えてもいいよと気前よく云ってみせたことすら怖いみたいですよ。お姉様とか前々から閣下とか揶揄されてましたけど、とうとうすっかりローゼンヘン工業の手先みたいな扱いでゲリエ軍の実戦部隊長みたいなお話もできている様子でしたよ」
ファラリエラの話を聞いているうちにリザの表情は二転三転して最後は大きく溜息を付いた。
「また、バカなことを。後でそんな馬鹿な話をあなたにした人の名前教えてよね」
リザの言葉にファラリエラは頷いた。
「レオナニコラが人質に取られたらどうするか、みたいな質問されたから私も相当アタマきたんですが、ああでも単に勘定だけで考えたら十万ばかりの帝国人に武装させて鉄道で東進したらあっという間だなぁ、という考えは私にもよくわかったのでとりあえず怒ったふりだけしておきました」
「十万ばかりで足りるものかね」
「軍都制圧するだけなら、そんなにいらないわよ。裏で演習やってる人たちだけで事足りるわ。十万ってのは共和国全域よ。勘違いして刃向かってくる人たちもいるかもしれないけど、たかが知れているわ。それにそういうところは捕虜事業の理事に人を送り込んでいるから、最初の話が持っていきやすい。切りが良い額積んだ見せ金で十分なのよ」
疑わしげに言うマジンにリザが疑惑の筋を説明した。
「沸き立ちおどるデカート軍十万余って、なんか軍記物の講談みたいで良い響きですね」
「そういうお安い奇跡というか分かり易い安易な物語を信じている人たちも一杯いるし、実際そういうものが必要だと思われてもいるのよね。戦争に勝利するためには」
気楽に言うマリールにリザも頷いた。
「なにをバカなことを」
「バカなことって言うけど、戦争なんてバカなことの連続よ」
良人の吐いた言葉を糺すようにリザが言った。
「大本営の戦争指導、この戦争ではほとんど全部裏目に出ていますから。その上で世間的には勝利に近づいている印象があるせいで、理性的な人たちの多くが自信を失っているのが危ない感じですね」
リザが睨みつけるファラリエラの言葉の機微がマジンにも伝わった。
「アナタも勝利を疑っているような言い方ね。ファラ」
「痛い目を見た経験がありますから。それに参謀は逆張りをして外して内心慰めるのも仕事です」
本音とも韜晦ともつかないファラリエラの言葉にリザは目をそらした。
「そういうわけだから、なんか共和国に文句があってもアナタが直に暴れるのはやめて。戦争は軍に任せてここでおとなしくしてなさい。アナタがその気になったら億千万殺しかねないわ」
「それで宜しいではありませんか。我らが狼煙は道を指し我らが干戈は敵を裂く」
「我ら行方で果てるとも我が屍は地を拓くってそんな簡単にこの人に死んでもらっちゃ困るのよ。少なくとも始めたことの結果を見届けるまでは死ぬことは許さないわ」
気楽そうにマリールが口にした軍歌の一節をリザがうけて断言した。
「そういえばこちらのお屋敷も、旦那様の逆鱗に触れたかなんかして成敗された賊徒かなんかがいたんでしたっけ」
ファラリエラが思い出した様に言った。
「そんな大した理由じゃないけどね」
「新しく来たご婦人方も何処かからそういう成り行きだったようですね。何やら誰ぞを成敗したとか」
軽く流したマジンに柔らかくしかし突っかかるようにファラリエラが尋ねた。
「ファラ。やめときなさい」
「ゴルデベルグ中佐殿。これは大事なことですよ。私達は今、帝国との決戦を望んで部隊を整えているのです。彼女たちの身の証をたてられるのは、ゲリエ卿をおいて他にないのです。彼女たちの多くは軍隊経験者です。しかも相当に訓練されたおそらくは中隊またはそれ以上の部隊指揮の経験もあるらしい者達まで複数含まれています。彼女たちの明瞭な偵察報告は単なる野盗匪賊の類ではありえない。部隊の状況と目的を理解し地図を読み広い戦区をまたいで戦うことになれた者達です。普段であれば、わーい、お得な拾い物の古参兵だぁ、ぐらいですんでいるのでしょうが、ゲリエ卿は捕虜収容所の指導もなさっている方です。どうあっても勘ぐられないわけにはゆきません。私たちは部隊編成後最前線に出て帝国軍と戦うのですよ」
ファラリエラがあくまで諭すように言葉を切るとリザが溜息を付いた。
「ファラ、今のはアナタ個人の疑問かしら。それとも軍人部隊幕僚としてかしら」
「旦那様にレオナニコラを預けている母として、このあと死んでも旦那様を恨まずにすむために。もちろん部隊幕僚としても、部隊の統率上必要です」
「そうね。……どうなの」
ファラリエラの要求は断固としたものだった。
「彼女たちは捕虜ではない。だが帝国に縁のある者達は多い。多くを自由にさせながら、無理に会社に籍を置かせていない理由はそこにある。僕自身は彼女らに疑いを感じていない。彼女らは知力体力に優れ、様々にありながら多くとはああして平穏に暮らせている。万全に円満とはいえないが、少なくとも喧嘩騒ぎに巻き込まれるようなことも起こっていない。派閥争いはあるのかもしれないがね」
「彼女たちを前線に連れて行っても問題にならないと誓えるわね。誰がどういう形で戦死してもそれを子供たちに伝えられるわね」
リザは言換えを許さない様子で改めた。
「もちろんだ」
「ファラリエラレンゾ大尉、これで宜しいかしら」
「戦争終結後、または私が退役した後には顛末を教えてくださるということで宜しいのでしたね」
リザの確認にファラリエラは重ねるようにマジンに問いかけた。
「他言は無用にということであれば、もちろんボクの子供を産んでくれた者が軍に籍をおいている間はその者にも秘密だ」
「随分重大ね」
「わかりました。志願した者達の件は私の部隊は私が責任をもって対応いたします」
ファラリエラはリザを無視した形で納得を示した。
「そういうことなら退役してからこちらに来ればよかった」
「マリール、アンタね。戦車の戦術連絡任せるつもりだったんだから、退役なんかしててもすぐ後備徴用するわよ」
「オホッ。前方配置ですかぁ。良かったぁ。悲鳴とか愚痴ばっかり聞いていると命の危険なんかなくてもやるせなくなるんですよね」
マリールはリザの言葉に気楽そうに言った。
「戦車は基本頑丈だからいきなり川の中に放り出されたり丸焼けにってことはないけど、未だに十日に一遍は転がったり動けなくなったりしているわ。だからってあんたの仕事は連絡参謀なんですからね。力仕事とかしてちゃダメよ」
そんなことを言ったくらいでマリールがおとなしくしているとも思えなかったが、ともかくそう言わざるを得ない立場でもあったリザにマリールが機嫌よく返事をしていると、表の方からセラムがやってきた。
「何だ。こんなところで私をハブにしてなんの秘密会議だ」
「ああ、ええ、ルミナスはいい子だって話。表のオモチャ、あの子の作品でしょ」
「工房のおじいちゃんたちに手伝ってもらったって言ってたけど、色々やってたみたいだな。わたしにはチンプンカンプンだから、あれが才能だというなら私の才能というわけではないな。おかげで懸案も割とあっさり片がついた。子は鎹って云うのは私のこの件に限っては明らかに誤用だが、今回に限っては全くルミナスに助けてもらったよ」
機嫌よく開いている椅子を引き寄せるように輪に加わったセラムは、リザが面倒を避けるために振った話題に疑問もなく乗った。
「何かあったの」
「なにかっていうか、まぁアレだよ。変な悋気を起こしたと思われるとイヤなんだけどさ、二百二十人も志願してくれたじゃないか。私達の新しい義理の姉妹たちが。わたしの部隊にも百十五人配属されているわけだが、まぁなんというか、微妙だったんだよ。ここしばらくね。ご主人もこの件に関してはどうも口を開きたくないのを明言してたし。なにも言わないわけにもゆかないし、悋気ってのはまぁないわけでもない。それが千人とかタダゴトとしてはちょっと想像できない話だったから、まぁなんとかなっていたわけだけど。
そういうわけでちょっと暫くの間、様々に困っていたんだが、ルミナスを通じてあっさりと解決した。ルミナス騎士団なる勝手連のようなものが立ち上がることになった。なんというか、母親会のようなものね。いや。お屋敷の中で派閥争いをおこなおうとかそういう意図があるわけじゃないんだが、まぁ、なんだろう。ガンバレお兄ちゃま、みたいな、エリス探検隊みたいな感じのそういう勝手連なんだ。なんだろうなぁ、この感覚。ルミナスの瞳を見た瞬間に激情と恐怖のままに殺してしまわないでよかったと、いま本当に思っているわ」
「何その、エリス探検隊って」
我が子を持ち上げられたセラムは腰を下ろして経緯を口にした途端にすっかりふにゃふにゃになっていて、ああなるほど、と皆が納得する中でリザが驚いたように尋ねた。
「お屋敷の中の宝物、というかローゼンヘン卿の遺品を整理するサークルというか、まぁ文化保全活動、って言うと大げさですけど、お掃除をして分類しているんですよ。お屋敷大小合わせて百くらい部屋があるじゃないですか。上と下は大部屋が多くて、真ん中辺は数が多くて、ようやく手が回ってきた感じのお掃除部隊ですよ。私もときたま参加しています」
ファラリエラがリザに答えた。
「はっきりかなり助かっている。以前の騒ぎで壊されたものも多いんだが、そうでなくとも時間が経ちすぎてなにがなんだかわからないものも多いから、五人十人じゃ手が足りないんだが、掃除のついでにそういう意味のわからないものと分かるものを分類してくれたり、中には価値の見当がつく者もいたりして助かっているんだ」
「アナタが壊したものも多いんじゃないの」
「ん。ああ。まぁ、そうだね。すまん。間違いなく幾らかはボクが壊している」
リザが少々苛立たしげに質したのをマジンは認めた。
「彼女たちの多くの話から導けた内容は途方もない物語に思えるからご主人の判断は尊重できる。逆に後に尾を引かない判断を下せた実力に驚くばかりだ。ま、そういうわけで私としては悋気の元も引っ込んだし、彼女らの経緯も飲み込めた。兵隊の生死ばかりは戦場から帰るまでわからないというところを差し引いても、彼らが優秀な兵士だという事実も理由もわかった。幾人かは下士官と特務士官に特進させたい。そういうわけでファラ、少し後で相談しよう。君がこの件でピリピリしているのは知っている。私もどうやって互いの疑念を晴らすべきか色々悩んだのだが、今日あっさりと解決した」
セラムの説明にリザは驚いたような顔をした。
「朝から姿が見えないと思ったら、ひょっとして部下と話して歩いていたの」
「ん。ああ。もちろんさ。日常会話は組織の基本だろう。リザ、君。まぁ君みたいに力ずくっていうのもそりゃアリだがね。一の奥方様はお強い方ですね、と言われていたぞ。おつよいじゃない、おこわい方だ。ご主人の見境のなさも皆知っていたから、全く大したものだというところで落ち着いているが、二号さんであるところの私としてはそこまで強引なことはできない。ともかく、義姉上とルミナスのおかげで義妹たちとの中は随分と溝が埋まったことは報告しておく。もうホント、我が子を褒められるってことがこんなに嬉しいことだと思わなかった。どうしよう。完全に浮かれてるわ、私。んんん~。ルミナスぅぅ。リザがエリス連れて療養院に見舞いにきて男貸すからとか言ってたところが運命だったわ。男なんてどれでもいいって割と本気で思ってたけど、あそこで瞳をドブみたいな色させたリザが子連れで死ぬんじゃないかと思って、護衛のつもりで一緒に来てよかった」
セラムの浮かれっぷりは普段の落ち着き払った彼女を知っている者にとっては驚くような変貌ぶりだった。
「ドブのようなってそんなだったかしら」
「私の時は命令みたいな口調でしたよ。レンゾ少尉休暇を取れ。私の男を貸してやる。ついてこいッて感じの。私もレオナニコラは産んでよかったと思っていますし、なにより共和国軍が負けないきっかけになったというのは大きいですよ。アレでここに来ていなければおそらくあのまま負けていましたよね」
「しっかしまぁ、アレよね。結婚しようって申し込んだ相手が連れてきた女をよくもまぁ孕ませられるわよね、このひと」
ファラリエラの口ぶりにリザはシレッと常識論を流した。
「それは、おまえが云うな、ってやつじゃないか」
セラムが笑った。
「戦争中ですからねぇ。全然ありだと思いますよ。私達全員生きて帰れるとは限らないですし。ただ、なんというか、これだけ増えちゃうと有り難みが薄れちゃうような気もします」
「ルミナス騎士団の面々も同じようなことを考えていて、帰ってきたら死んだ者の子供も引き取れるくらいの農地がほしいって言ってたわ。エリスやルミナスみたいな子供ができるなら、それはぜひ一人二人欲しいとも言ってたけど」
ファラリエラの奇妙に現実味のある言葉にセラムが付け足した。
「でもまぁ、聯隊幕僚としては全員生きて帰れるといいと思ってるわよ。本気で。その上でこの人が何百人だか何千人だか子供を作るって云うなら、それもいいと思う。これも本気で」
「義姉上の本気は相変わらず怖いなぁ」
「本気ですもの。いっそ十万人くらい子供作ってしまえばいいのよ」
セラムの苦笑いに真面目な顔でリザで答えた。
「ここにいる全員で百人づつ分担か。一万でも無理だろ」
マジンはついこの間という時期にロイカと交わした会話を思い出す。
「一人十人かぁ。育てる手間を考えるとなかなか大変だけど、子沢山の農家だと時々いるわね。割としっかり子供が助けてくれたりして」
「男はズルいかぁ。まぁ、毎年千人も無理だと思うが、まぁズルいと言われればそうかもしれないな」
「子供のことかしら。いまさらズルいとは思わないけど、ちゃんと面倒は見てやってね」
リザはそれでオシマイというように言葉を切った。
「いや、亜人の女はほら、タダビトのタネがついたりつかなかったりするだろう」
「逆は結構流れるらしいわね。それで男のほうが逃げるって」
「私はバッチリでしたね。アーシュラも健康ですし」
「アナタが思いついたのはアーシュラのことじゃないんでしょ」
リザはあっさりつれなくマジンに尋ねる。
「うん。連れてきた女達に亜人が百人くらいいるだろ。彼女らの多くが一族皆殺しにあっててな。まぁ、天涯孤独らしいんだ。そんで、まぁ、交配っていうのはどうかと思うんだが、お見合いをさせてやれる場所を軍が持ってたりしないかな、と、ね」
「会わせてどうする気」
「どうするっていうか、そこから先は当人の話だし、嫌だって言うならウチに戻ってくればいい」
「余計なお世話焼こうって聞こえるけど、そんな暇なの、アナタ」
リザは実にいつもどおりあっさりとマジンに尋ねた
「イヤな言い方をするな。そんなに不自然な話か」
「不自然というか、純粋に暇というか退屈なのかなぁって。単に子供を増やしてみたいだけなら、アナタのタネで試してみればいいじゃない」
不思議そうにリザがマジンに言った。あまりに他人事の口ぶりにマジンは一瞬彼女の言っていることがわからないほどだった。
「それはなんだ。ああ、ええと、ボクが気が済むまで種付けをしてみろと、そういうことか。リザ」
「まぁ、なんか、アレだけど、色々なんかな感じだけど、途中を省けばそう言うしかないじゃない。私このあと戦場にゆくのよ。どれくらいかわかんないけど、その間のことはさすがに気にしないわ。アナタが操を立てる種類の人じゃないこと知ってるし」
「いっそお前をこの場で溺れるほど犯して腹を膨らませてやりたい」
「ホント、アナタがそう言ってくれるのを待ち望むほどだけど、今はダメ。後でセントーラに張型借りて我慢する。子供たちを引率してきた時期だったら妊娠しても全然良かったけど、今はダメ。もう間に合わないわ」
セラムは犬の交尾でも見つけたような顔になる。
「リザ、もご主人も、ふたりともちょっと極端すぎだ。もうちょっと節度を持って行動したまえよ。ご主人ももう少し大事な話をしている自覚を持ったほうがいい」
「あら、セラム。これでもこの人少しはおとなになったのよ。以前だったら尻剥いて膝の上に座れ、とか言い出してたわ」
「やはり大事な話だと思うかい」
リザが気分のままにかき回した場を助けてくれたセラムにマジンは尋ねた。
「リザ。少し君は自身のことから離れたまえ。まぁ、なんかアレだ。私もそんな気分になっちゃうだろ。……んあぁ、そうではなくてだな。亜人の見合いの話だ。会社でそういう動きはないのかな。軍はなんというか、生まれた子供についてはかなり手厚いんだが、そこまでのその見合いとかそういうものは手を出していない。まぁなんというか、ご主人もわかっていると思うけど亜人は一口でいうと種の数が多すぎるんだ。およそ殆どがタダビトとの類縁だろうと思われているが、せいぜいが穀物とか野菜、という程度の大雑把なくくりでしかない。まぁ、種としてタダビトの類縁であるという判断も本当にそうなのかという議論も実は延々と繰り返されているもので、私のような門外のものには全くわからない。ただ亜人の男とタダビトの女の間ではしばしば流産という不幸な形ではあるが、生命の発生がおこなわれていることから、ロバと馬くらいには近いだろうし、ことによると色々な形大きさの犬がいるくらいに近いのかもしれないということになっている。まぁ、女の流産は体調不良や精神失調という母体の健康管理が重要な意味を持っていると考えられているから、こちらのお屋敷くらい様々整っていれば出産の成功率は高いかもしれない。マリールの例もある。まぁコイツが妊娠出産くらいで死ぬとは思えないが、ご主人のタネが弱けりゃ、妊娠の儀式の決闘があろうがなかろうが、アーシュラは生まれてこなかった」
「でも、儀式っていいますけど、効果はあったと思いますよ。アーシュラ産んでからこれまでだって、結構たっぷりねっとりと御情けいただいてますけど男の子どころか妊娠の様子もありませんし」
「仲睦まじく年中顔を合わせている子沢山の夫婦でも毎年女房の腹が膨れて子供が生まれるわけではない。ってことは、常識として理解しておけ、マリール。そんなに子供が欲しければ別の男を見つけたほうが早いかもしれないぞ」
セラムが釘を差すようにマリールに言った。
「まぁ、あれだけいた妊婦が全員無事出産したのは連中の体力もあるが、ボクの努力も自慢できるだろうと考えてはいるよ。何人かは治療や様々に栄養努力をした。状態の悪い女もいたから、手の回らないところは会社の医療部の連中を数人呼んだりもした」
話の流れを変え逃げ出すようにマジンが口にした。
「そういえば、よく足の手術なんてできたわね。暴れないものなの」
「使用例が増えて道具も麻酔も良くなったから、患者の反応を見ながら調整ができるようになった。何箇所か点滴することで患者の意識を最低限維持することができるようになっているんだ。堰堤工事は転落事故が多かったからな。全身火傷や資材に巻き込まれての事故なんても割りと多くて、幾人かは助けられたりもしたが、まぁともかく医療部のヤブやヒヨコ共もまともな奴も増えたよ。ボクも幾人か助けた。そういうのに比べれば、彼女らの状態は悪くなかったよ。……ああ、つまりなんだ、うちで女を預かれば亜人の男のタネも出産はできるかもってことか」
話がたびたび脱線することにセラムは面倒臭気な顔をする。
「ああ、まぁそういうことも考えられるが、私の言いたいのはだね。いっそ会社が亜人の男女の結婚出産を支援してしまったらどうかということだ。或いは制度に組み込むのではなく事業として立ち上げたらどうだろうということだよ。亜人種の部下ってのは幾人かこれまでもいてさ、今回は一気に百人も抱えることになって、例の突撃服の件ではご主人に大いにご協力いただいているわけだがね。連中も天涯孤独という程の身の上ということは少ないんだが、連れ添いを探していることは多いんだ。軍に来て見つけて女のほうが退役するってことも多い。戦争中とはいえ全員が年中戦っているわけではないし、風紀の上では好ましくもないが、男女が同じ陣地に籠もっていれば、ことに及ぶことも少なくはないし、強姦騒ぎも起きることを考えれば、円満な男女の関係はマシな方だ。部隊にしても、女性の妊娠の疑いがわかると後送する建前になっていて、配置換えや補給の要請に使う小狡い指揮官もいる。まぁ話題の肝としては、その程度には共和国軍は女性の出産には興味と努力を払っているが、一方で見合いの機会を設ける方法については特に施策はなく、個人の努力の範疇であるとしているわけだ。亜人も同じだが、比率から考えれば世間よりややましという程度にすぎない。亜人の女は軍に志願することは少ないしね」
「うちを出て行った連中もいい婿を見つけられるといいな」
「それはおよそそうなんだが、問題はそこじゃないだろう。ああ、まぁご主人にとっての話題は半分ほどはそこか。実を云えば、ご主人のなりゆきを考えると、婿取りをするよりは囲ったほうが面倒が少ないんじゃないかと思うが、どっちも私の立場からすれば微妙なものか。いっそルミナス騎士団を本当に身のある組織にしたほうが面倒が少ないかとも思う」
セラムは肩をすくめるように言った。
「どういうことかしら、セラム姉様」
マリールが尋ねた。
「つまり、ご主人の問題は基本戦後を睨んだものになるはずだということだよ。私の知る限りの話を考えるとそうなる。全員彼女たちの身柄や信用の保証とは別に、皆ちゃんと部下や人員の掌握はしておきなさいよ。特にリザ。アナタ、解任辞さずで色々やってそりゃまぁ結構だけど、このままいけば兵科最先任の聯隊参謀長なんですからね。兵までは無理でも、夏までには全士官と個別に面談しておきなさい。大隊壊滅したらアナタが遺族への通知作業の指揮をとるんだからね。そうでなくとも最先任の中佐なのよ」
「アタシ、リザール城塞おとしたら軍辞めて、このひとの子供を毎年産むんだ」
子供が拗ねたようになったリザをセラムが睨む。
「リザ。変な風に面倒臭がらないの。アナタのそういう態度、兵隊に見せたくない」
「わかった。わかりました。年明け早々から演習中の全士官下士官と面談します。手が回れば兵ともやります。約束します。どのみち、演習効果の確認も急務です。今はふたつの聯隊に分かれているけど、戦後を睨めば一旦旅団か師団に再編されて規模拡張されてから分割されるんでしょうからね。早いうちから仲良くしておかないとこのひとの仕事にも障りが出るわ。帝国との捕虜交換の話がまともに動くようになったらどうしたってこのひとの名前も出るでしょうしね」
本当にわかっているのかと疑わしげな顔でセラムが眺める中でリザが立ち上がった。
「ちょっと回ってくるわ。席はとっておかないでいいわよ」
「じゃ、アタクシが」
スルリとマリールがリザの座っていた席につく。
「前線はどんな様子とか聞いているかい」
マジンはセラムに話を振ってみる。
「一般状況としては今年は土地を譲っている。幾つかの聯隊が東部戦線に入ったけれど、まだ数で足りないから一気呵成にというわけではない。その一環として私達の聯隊も錬成されている。ご主人に今更言ったことでもないんだが、いまはまだ捕虜移送の手当が充分でないから鉄道が機能するまでは派手なことはできないしたくないというところだ。ところで、鉄道工事で馬匹の手当は重要なものだろうか」
「重要といえば重要かな。資材を大量に使うから線路を敷くにあたっても当然に取り回すための労力はかかる」
「するとそのせいかな。前線で馬匹がまた不足し始めているらしい」
「鉄道軍団にはうちからかなりの重機を出しているはずなんだが。鉄道軍団はボクの知る限りではそうむやみに馬匹を使わないでいいはずだ。とは云え人員やその身の回りは自動車の数が揃っていないかもしれない。工区も広いし川を越えるのは自動車より馬のほうが楽だろう」
「運河建設とやらはどうなったんだろう。捕虜事業としてエルベ川でやらせていると聞いたが」
「エルベリア州がやっているね。予備測量まではおこなったが、うちの指揮じゃないんだ。揉めたというほどのこともないんだが、勝手もできなさそうだったので手を引いた。確かに五万人を使うとなればそれなりの食い扶持は必要だから荷駄は使うだろうが、エルベ川や鉄道がエルベリアを通っているし、大げさな桁にはならないはずだ。それに馬匹が大騒ぎになっているなら、うちにもいくらか話が来るはずだが、まだそんな様子はない。前線でも捕虜を使って道路を敷かせていると聞いたが、その絡みじゃないのか。測量の都合か地形の都合かしらないが、駅とは直接関係ない方向に伸びているとも聞いた」
馬を大量に使う話を思いつかないままに知っている話をマジンは口にしてみた。
「ああ。まぁそういうこともあるかしらね。直接道を束ねちゃうと割とあっさり使えなくなったりもするし」
「それ多分あれですよ。今ある収容所を移動させたいって話があったから、それじゃないかと。今ある収容所って以前農地だったところ塞いでますから、旦那様の収容所事業が動いたら、そっちに全部引っ越したいって話のはずです。馬の話は鉄道のせいで、馬が余るだろうって考えた人たちが手を引くのが早すぎたんじゃないですか。生き物相手の商売は波も大きいですし、一二年でどうこうなるような話とも限りません。こちらのお屋敷でもまた増やし始めてるじゃないですか」
セラムの言葉にファラリエラが推理を告げた。
整った町中であれば馬は却って邪魔になるが、デカートでも中心を外れたり、ヴィンゼや荒レ野の辺りでは馬を使ったほうが面倒が少ないことが多い。自動車や二輪自動車は便利には違いないが近場をめぐるには多少大仰で雪も降ることから冬場は面倒もある。そういうわけで家人が増えたことで馬も増やしていた。かき集めるというよりはオスメスの数を揃えてゆるやかに増やしているだけであったが、毎年三四十の仔馬が増えれば数年後には百頭ほども立派な若馬が揃うことになる。一時は切り詰めた馬舎を建て増ししていることはヴィンゼあたりでは既に知られていて、森の外に運動場を作るかとローゼンヘン館ではマキンズと計画していた。
年産駒四十という数は特に多いというほどのことはないのだが、足りないとなれば大きな穴でもあったし、ヴィンゼでは牛や豚はともかく、馬は売るほどに数を揃えているところはなかった。デカートやヴィンゼから毎年仔馬の時期に何人かの馬商人が様子を見にやってきたり、幾頭かの馬を預けていったりする。エンヤとメイヤの子供たちはヴィンゼ界隈では軍馬向きの名馬の血統として知られていた。
そういうわけであまり経営熱心な牧場というわけではなかったローゼンヘン館は、それでも地域で馬が足りないということであれば話が回ってくるくらいには頼られてもいた。だが今のところ、まとまった数の馬の引き合いがあるわけではない。もちろんローゼンヘン館がゆるやかに馬の数を増やしていることは出入りの者ならば誰もが知っていることだったが、かといってそれが引き合いを出さない理由にはならないはずだった。
どうもすっきりしない話だが、騎兵中隊の必要とする数ほども置いていないローゼンヘン館ではいま来られてもお気の毒のお愛想代わりに牧童の替え馬分を売るくらいだったから、商売としてはその程度に見られていたのかもしれない。
「土地を譲っている、というのは圧されているということか」
「まぁ、そうとも言えるが本当に譲ってもいるんだ。私達の聯隊は大本営の混乱のどさくさに紛れて相当上等な人員と訓練期間を得ることもできているが、各地から投入された歩兵連隊は実のところ連絡参謀をつけることがもったいなく思えるような訓練状態のはず。必要だから送ったわけでもあるのだが、送ったからといって勝てるような状態でもない。実戦で新兵をムダにしないように兵を鍛えながら土地を譲っている、というとかっこいいところだが、つまりは陣地があっても支えきれないほどに敵が多くて土地を把握されているということね。まぁ、この事態は例の炎上するリザール城塞の写真を取りに行った時期には既に想定されていた事態でもあって、むしろ帝国軍にしては随分と手緩いとも言える」
「わかったようなわかんないような感じだが、もともとの見積り通りということなのかな」
「まぁ、かなり悲観的な見積りよりは随分マシというところかな。送り込んだ先から潰されている可能性もあったから、それに比べれば全然マシというところかしら」
「そんなに帝国軍は強いのか。自分で言うのもなんだか、ボクは共和国軍に相当テコ入れしているはずなんだが」
首をひねるように言ったマジンにセラムが微笑んだ。
「戦争を戦う上で強いとか弱いとかで表現するのがそもそも間違いよ。今次みたいに戦線というか戦域がひとつき以上の広さと厚みを持っている時にはね。部隊の強さ装備の優秀さなんかの戦力要素よりも兵隊をどれだけたくさん長い時間戦域で生活させられるかが勝負のほとんど全てだと云ってもいいわ。帝国は未だにそういう意味で息切れを見せない。私たちは個々の部隊はアナタのテコ入れで随分と強くなったけど、もう何度も息切れしているわ」
「そういう意味ではリザール城塞を砲撃の目標に狙ったのは間違いだったかもしれませんね。そんなところよりももっとまんべんなくあの辺りの農地や家や納屋、馬舎やそういうもの一帯を焼くほうが良かったかもしれません。見せてもらった砲弾を考えるとあれで石造りの屋根を撃ちぬいて更に火事を起こすというのは、ちょっと虫が良すぎると思います。一割でも二割でも部隊で使っているような砲弾が混じっていれば随分違うのでしょうけど、そういう使い方はしていないでしょう」
ファラリエラが言った言葉は事実ではあるが、飲み込みにくいものだった。
「そんなところ焼いてもたかが知れているだろう」
「どの道たかが知れている作戦だったんですよ。結局、当時の部隊は装備の試験と戦術や訓練の確認が主眼のはずだったんですから。最初の話じゃ今頃前線にいるはずだったんです。セラム姉さまとはリザ姉さまの結婚式にはリザール城塞落とせているかもしれないって話してたくらいですよ。訓練や装備が充実するのは兵隊としてはありがたいことですけど、警戒させすぎて時期を逸したかもしれません」
表情に反してマジンの問いに答えたファラリエラの言葉は大きく懸念を示しているものだった。
「色々良くなったはずだが、不足かね」
「不足、というか、帝国軍はバカにできるような敵じゃないです。旦那様のオモチャがなければどうやっても勝ち目のある敵じゃないですよ。それを見せびらかすようなやり方で敵地深くまで乗り込んでみせて、止めも刺さずに帰ってくるなんてのは、危ないなぁと私が思うのはそちらですね」
「まぁ、ファラリエラの言いたいことは分かる。というか当時はよくわからなかったが、今となってはよく分かるよ。実際に大本営の動きはファラの予想を裏付ける結果になった。だがおかげでこの地で半年の訓練が余計につめ、当初の想定外の装備武器も手に入れた。あとは、半年が充実となるか遅れとなるかというところだが、そこはわからない。噴進弾なる歩兵砲は動く相手だと馬車相手にもあたるかどうかは怪しいが、陣地相手であればまぁまぁ使えそうだ。ご老人たちの話だと月十万は無理でも三四万は堅いところで、五六万くらいまではすぐにも見込があるらしいじゃないか。夏までに歩兵に直掩の大砲の弾が三十万発も出まわるようになると思えば、多少の遅れは仕方がない。友軍との調整の必要な配置期間だと思うしかない」
「セラム姉様がそう仰るなら言葉もありませんわ。あの件わたし本当に余計なことを言ったと今は思っていますし」
「私は君の機転がなければ、あのまま便利屋仕事で機材と人員をすり減らして、文字通りの新編をおこなうことになっていただろうと思っているから、そこは良い提案だったと思っているよ。まぁ戦場の気分として余計な物事がくっついてしまうのはいつものことだ。気に病むな」
セラムがファラリエラを慰めるように言った。
「そういえば、逓信院が十ばかり電波探信儀を買っていったが使えているんだろうか」
「しらないけど、慌てて並べてもしょうがないものなんでしょう、アレ」
セラムが変わった話題に仕方なくというように尋ねた。
「どういう風に使うかが決まっていれば、そうでもない。電算機があれば面倒の殆どはその場で電算機に計算させて帳尻を合わせることもできる。空騎兵を探したいということで配置したはずだが、電気や電話を使うつもりなら拠点防御だろう。会社でもこの間、ヌモウズが焼かれた事件から鉄道基地に必要だろうかという話になっている。事件の顛末を聞くと、慌てた兵隊が被害を大きくしただけのような印象もあるが、ラッキーヒットは狙って出すものだ、という名言もある。戦術が洗練されればそうなるだろう。互いにね」
「あの戦車の大砲で、帝国の鳥なんか撃てませんの。あれ五十リーグも弾が飛ぶんでしょ」
マリールが気楽そうに尋ねた。
「撃てる。軍も多分そう思っているから十もまとめて買ったんだろうと思う。電算機も同じだけ買いたかったみたいだが、そっちは自重したみたいだ。電算機上で砲弾と空騎兵の見比べをおこなうつもりみたいだが、実は慣れればそんな面倒をしないでも電探だけで狙い撃つことはできる。尤も望遠鏡でなにかを探すのと同じで、予めある程度は探すものの宛がないと見つけにくいのは事実だから、複数で適当に分担を割り当てるのは正しいやり方だと思う。ただ、まぁ何秒か先を狙わないと当たらないから工夫が必要だが、百も撃てばまぐれ当たりも出るだろうし、当たればどんなものでほぼ間違いなく落とせる。機関銃よりも初速は相当に早いから、連射の排気で倒れるような使い方ができるような連中なら見つけられれば当てられるだろうな」
「大砲の方は引き合いは」
「まだない。戦車の交換用に幾らかは準備があるが、戦車の生産も後続の引き合いがないから、砲の交換部品も今は作っていない。さすがに遊び半分で作るものでもないだろう」
「ワージン将軍からもですか」
「ないねぇ。砲弾はまだ注文が来ているから、足りてるんじゃないかな。月に三万発ってのが多いのか少ないのか、かなり微妙なところだが、狙って撃っていないなら邪魔にならない数というところなんだろう」
首をひねるようなことだったが、ワージン将軍からその後の話が特に来てはいなかった。
「電算機車ってのはどうなったんだい。この間その話でキオール中佐は来てたんだろ」
セラムも不思議そうに尋ねた。
「どうなったんだろう。一応引き合いというかキオール中佐が来たときに色々話はしたんだが、そっちは本当に音沙汰が無いな。こういうのって、逓信院に問い合わせたら教えてくれるものなのかい、マリール」
「多分。ただ、まぁなんというか、どういう風に尋ねるかってのがややこしいですが。誰々さんの予算扱いどうなっていますか、って尋ねる必要があるんである程度研究を行っているだろう人の名前を絞っておく必要がありますが」
「なるほど。そしたらそっちはジェーヴィー教授に聞いてみよう」
「そんなに戦争の状態が気になるなら、我が君であればデカート州の義勇兵の視察のついでに前線においでになれば宜しいのですわ。そうしましょうっ! 」
「マリール。君ね」
セラムが口を挟むのにファラリエラも何かに気がついたような顔をした。
「ああ、でも旦那様には一度見てもらったほうが早いかもしれません。特にアタンズまで鉄道が伸びるということであれば、あの辺りだけでも。ヌモウズのあたりまではお越しになったこともあると思いますけど、あの辺とまたその先では雰囲気も相当違います」
「ヌモウズも焼かれたあとは行っていないな」
「ヌモウズは前線とは随分違うが、戦禍が見たいというならアレも戦争の実態には違いない」
マジンの思いつきにセラムが言った。
「ヌモウズなんて言っちゃえば巻き添え食らっただけの町ですよ。まぁ戦争で幾つもある共和国軍の失態の象徴みたいな気の毒な土地ですけど、日常としての戦場はありませんわ」
「ところでマリール。なんでそんなにご主人に戦場というか、戦争の様子を見せたいんだ」
セラムが根本を改めた。
「そんなの、戦争に勝つために決まっているじゃないですか。帝国と私達とで土地に送り込める人員に三倍とか五倍とか差があるんですよ。それってつまり兵站で十倍とか三十倍とか負けているってことじゃないですか。そりゃまぁ我軍の精兵たちの優秀なる戦術能力と、我が君の魔法のような御業でチョチョイのパって感じで支えてますけど、戦争に勝とうと思ったらこのあと何十年だか何百年だかを見る必要があって、そんなの鉄道だけ、電話だけ電灯だけ自動車だけで足りるわけないじゃないですか。共和国も帝国も引っ越ししない以上は隣同士なんですから、何度だって戦争は起こりますよ。次の戦争のためですよ」
マリールの言葉にセラムは目元を抑える。
「ん。んう。つまり。あれか、それは、ご主人には我軍我が国の兵站の実情を見ろと。そんな感じのことがいいたいのか」
「ざっつらいっ!まさにそのとおり」
「ご主人には軍隊経験はないから大元帥は無理だが、それは本当に執政官に押し立てるつもりか」
「大元帥なんて、大議会向けの議員みたいなものじゃないですか。軍政に直接関わるほどの実権も殆ど無いですし。我が君には絶対、執政官のほうがいいと思います。なんたって独裁者ですよ。政策の迅速な決定と推進には名前の見えない合議制なんて生ぬるいことやってちゃダメなんですよ」
景気良いマリールの放言にセラムは目眩を感じたような顔でファラリエラに向き直る。
「ファラも似たような意見か」
「私は政治向きって云うよりは、もうちょっと現場にあった装備を提案していただければ、という感じですが。まぁ大体似たような結論ですかね。最後は予算の話に捕まることになりますし」
セラムはそう聞いて大きく溜息を付いた。
「ふたりとも。そういう話は他所ではするな。絶対だ。ご主人の立場を本当に悪くする。そうでなくともご主人と会社の動向にかなり緊張している人々が多い。いつぞやのワイルの暴発は覚えているだろうけど、あんなのはまだ可愛い方よ。ようやく戦争が一段落するときに大議会で爆発でもされてごらん。戦争どころじゃなくなる。部下にも徹底させろ。どういう立場においても、貴方がたに命じます。いいわね。特にファラ、アナタも訳の分からない聴聞をうけているんだから、大本営の異常な状況にも気付いているでしょ。作戦直前に飛ばされるような事は謹んでちょうだい」
「リザ姉様はわりとあちこちで放言なさっている様子ですが」
「あの娘は最初から飛ばされるつもりだったのよ。飛ばされたらもうちょっと落ち着いた人が来るはずだったんでしょうけど、都合の良い新設部隊向きの参謀がいなかったってことでしょ。だいたいあの娘に前線の参謀任務なんてどう考えても向いてないわ」
セラムは苦い顔でマリールに答えた。
「セラムから見ても状況は悪いのか」
「悪いっていうか、足の引っ張り合いはいつものことだから気にするほうが無駄なんだけど、御社に誰もの目が向いているのがマズいってところね。誰も彼もが戦争の功労をご主人と会社に認めているわ。程度や立場の差こそあれね。表立って腐してないから、敵も味方も静かだけど、戦争の終わりが見えれば一気に吹き出すわ。たかりみたいな連中も」
「政治ってのは敵と味方を爆発させないように混ぜあわせる仕事のはずだが、政治家ってのは成果が必要となれば敵を探す生き物だからね。始末に悪い。デカートの元老院とかわざわざ子供の喧嘩のために集まっているみたいだよ」
「そんなことばっかり言っているんじゃないでしょうね」
生意気口を叩く子供を叱るような口調でセラムはマジンを咎めた。
「元老院ではできるだけ静かにしているよ。どの道デカートではあまり多くの話題がないんだ。堰堤の浄水装置の話題も殆どの人がついてこれない話題だしね」
「早く水中鉱山やら云うものが成果を上げるといいのですけどね」
マリールが楽しげに言った。
実のところ成果を上げても上げなくても厄介なことになるだろう、という雰囲気もデカートにおいてすらとうにあった。
「まぁ、アーシュラが初等部を卒業するころには、ある程度成果も出ているはずだ」
「そういえば、アーシュラは十二歳で初等部を卒業して軍学校の士官過程に入り直すつもりらしいじゃない。そのくらいということなのかしら」
セラムが軽い様子で聞いた話を口にした。
「毎年、年明けに昇級試験を受験するらしい。のんびりやればいいと思うが、まぁそれくらいには試験設備の成果も出ているはずだ。万事順調なら本番向けの設備も完成しているだろう」
「そうなると、毒水から金銀やら色々が回収されるというわけか。夢のある話ね」
セラムが冗談の先回りをしてオチだけ云ったような顔で笑った。
「まぁ、鉛とか水銀や亜鉛錫ヒ素銅というところが主なところだろうが、順調にゆけばそうなる。アーシュラがのんびり進学すれば割と楽だが、本当に十二で卒業するような勢いだと、個別の回収の方はちょっと怪しいんだがね」
浄水装置の方はある程度見込みがあるが、その実績を見てからでないと汚泥の精錬は読み切れないところが多い。
「そういえば、アーシュだけじゃなくルーやニコも昇級試験受けるみたいなことを言ってましたね」
ファラリエラが聞いた話を思い出すように言った。
「なんか、アーシュラがみんないっしょに昇進試験をするって願書出したらしいですよ。三人で軍学校に進むんだって」
「ああ。それでルミナスが今朝方怒ってたのか」
珍しくルミナスが声を荒げているのを思い出してマジンが言った。
「アーシュラ、あれで人見知りな所あるでしょう。お父様に恥をかかせないようにお行儀よくおとなしくしてたら角をからかわれたらしいのよね。ゲリエ卿は家畜を愛人にしているのかって。ルミナスが先に怒って喧嘩になったんだけど、なんかそれが嬉しかったらしくって、一緒に軍学校に行きたいのよね」
奇妙に嬉しそうにセラムが説明をした。
「ルミナスは鉄道の機関士になりたいとかって言ってたわね」
「ルミナスはそのまま高等部に進むつもりだから、軍学校に入学とか冗談じゃないって言ってたけど、アーシュラはルミナスをなんとか軍学校に引っ張ってゆきたくてレオナニコラと相談をしているらしい。子供のことだからそんなに何かを思いついた様子でもないがね」
「士官過程からだと、ちょっとした試験もありますからね。アーシュが落ちるようなものじゃないですけど、騎馬の準備とかは少し面倒だと思います」
ファラリエラが言った言葉にマジンは首をひねった。
「どういうことだ。アルジェンとアウルムにはそんなの必要なかったが」
「士官過程は文字通り士官を育てるための過程なんだけど、地方の有力者の子息を受け入れるための窓口でもあって、基本的に騎兵士官向けのコースなんだ」
「たしか、部隊の下士官を受け入れたりもしているんだろう」
セラムが説明した言葉にマジンは記憶の中の事柄を付け加えて確認する。
「まぁ、そうなんだが、そっちはもともと地があるからね。そういう連中は二年だけね。他に少佐として部隊指揮が当たり前に期待されるような将校は、教官や研修で軍学校に配置される。話を戻すと、士官過程は既に初等教育を終えている者を対象に士官としての育成をおこなうための四年間の過程なんだが、各地の州軍や私兵のための未来の聯隊長候補育成コースという位置づけなんだ」
「まぁ要するに騎士の誇りを失わせない形で、地方軍を現状の戦争に適応させるための指導過程、という名目で地方名士のご子息を預かり寄付を募るわけですね」
セラムの説明にファラリエラがぶちまけた形で説明を加えた。
「ひょっとして難しいのか」
懸念するように尋ねたマジンにセラムは苦笑した。
「難しい、ってことはないんだけど、田舎者が多いから面倒くさい。一般課程の学生と衝突することも多い。彼らの殆どは地元の聯隊に戻るつもりだから共和国軍に入るつもりはなく、そういうわけで無茶をする連中も多い」
「お遊びの決闘の相手としては手頃ですけどね」
軽く言ったマリールの人格形成には大きく影響を与えたような気もする話だった。
「つまりなんだ。馬と馬丁が必要ってことなのか、ひょっとして」
「士官過程で入校するならまぁそうなるわね。馬術は三人とも当たり前に身についているから心配する必要ないけど、馬と馬丁は必要。馬はお屋敷には軍馬に使っても大丈夫なのが多いけど、馬丁はちょっと困るかもしれないわね。軍人上がりの馬丁とか珍しいものでもないけど、縁もなく探すとなると難しいものだしね」
「セラムはどうしたんだ。君も騎兵だろ」
「私は一般課程だったから、馬丁って云っても軍学校付きの厩務員だよ。高齢の後備下士官の落ち着き先のひとつだから、馬の扱いも丁寧だ。士官ともなれば馬に乗れないでは仕事にならないからね。学生全員が乗馬は仕込まれる。ひとりひとりにとはゆかないが、当然に馬も馬丁もそれなりに十分の数を揃えている。自前の繁殖厩舎もあるよ。
だが士官過程は騎兵専門ということになるからね。馬を複数持っているものもいるし、馬丁も必要になると言うのはまぁ半分で、つまりは私物の馬に触れて何かあると面倒だということさ」
「卒業した場合、馬丁はどういう扱いになるんだ」
「特にはなにもないな。別段学生というわけではないし、一般的に騎兵の馬丁はよほどの専門家で信頼を置ける人物でないとあぶない。学校の授業に用があるような人物では困る。それは、もちろん馬のことに精通している必要もあるし、騎兵の性格と馬の扱いを理解している必要もある。大げさに云えば騎兵の働きの大方は馬丁の世話と準備で決まってくる。馬が良ければと云うのは誰もが言うことだが、戦場に出れば馬はよく死ぬからね。良い馬ってのは足が速いとか賢いとかよりも、運がよく長生きできればソッチのほうがいいと思うよ。だいたい兵隊と同じだ。馬丁ってのは士官と兵隊をつなぐ下士官なんだ。そういうわけで、私は馬に拘るくらいなら、馬丁に拘ったほうが良いと思うわけなんだが、まぁ、それはおいても本気でアーシュラが軍学校の士官過程に入るつもりならまともな馬丁を見つけておく必要がある」
「君は部隊でも馬丁はいたんだろ。そういうところから紹介してもらえるものかな」
セラムの話にマジンは頷いて尋ねた。
「探せばいるだろうが、私の部隊は壊滅したしね。腕はともかく信用というよりは馴染み方のほうが重要だしね。といってマキンズを引っこ抜いてはこちらの館の馬の方が気を揉む」
「本当にその時が来るなら、里に言って母に頼めば馬も馬丁も大喜びで送ってもらえますわ」
セラムに言葉にマリールが言った。
「旦那様は子供たちが軍学校に進むのに反対ですか」
ファラリエラが探るように言った。
「反対も賛成もないよ。我が子らとはいえ他人の人生だ。やりたいこと思うところがあるというのはそれぞれ良いことだ。願うこと望むところはないわけもないし、手伝えるところは手伝うが、そこから先は他人事だな。裏にいる子供たちも会社か軍かぐらいしか思うところがないが、それぞれ良いようにやりたいことが見つかれば良いと願っているよ。ただまぁ今の話だと準備は必要そうだな。ともかくは君たちが征って帰ってきたあとの話だが」
「建前論はそれとしてどうなさるおつもりかしら」
ファラリエラが探るように言った。
「まだ考えてないよ。まだ五年ある」
「昇級試験って難しいんですの」
マリールが尋ねた。
「全教科こなす必要があるから、難しいって云うよりも計画的な努力がいる。いつ思いついたか知らないけど、その時期次第だ」
「まぁ気を回しすぎても仕方ない。先のことは先のことだ。年を跨ぐことを考えても先行きはいくらでも変わる」
よほどセラムのほうが男らしく話をまとめた。
そういう話をしているとアルジェンとアウルムが部下を連れて中庭にやってきた。
彼女らはぞろぞろと百人ほども部下を連れていた。
普段の身なりの兵隊だったが、いつもとは違って乾いた泥が袖や背中についているということはなく、彼らもそれなりによそ行きの努力をして訪れたらしいことが分かる。
アルジェンは自身の歩兵戦車小隊の他に乗り込みの機動歩兵小隊も連れているらしく大所帯だったが、ひょろりと細く長身のふたりが部下を引き連れているとひどく目立つ様子で中庭に入ってくるや子供たちに歓迎されていたし、機動歩兵小隊には屋敷から志願して出た女達も十名ばかりがいて、今も駐屯地で待機中だったり訓練中だったりする者たちから手紙を預かっていた。
訓練中と云って演習地も炊爨訓練やら設営訓練やらの名目で駐屯地も冬越しの祭りの娑婆っ気を大いに満喫していたが、町から離れた土地でもあって軒先のいくらかに縁起物が飾られたり、肉や酒にまじって菓子が振る舞われたりという程度のことであり、羽目を外すと云ってもそうそう大したことができるわけでもない。とはいえ、日付をずらして多くの者達が街に出られるくらいの配慮もあって、贅沢を言わなければゲリエ村やヴィンゼで買い物をし、或いはフラムの温泉地に足を伸ばし、または要領が良ければデカートの花街で垢を落とすくらいの休みを取ることはできる。
ゴルデベルグ中佐は煮詰まっている下級士官を担いでいる下士官に警備の穴を教えて夜行を促すくらいには人員管理に気を配っていたが、直接に教導をしたり説教をするよりは教練をしたりビンタを張るほうが得意な職業軍人でもあったから、部隊においては恐れられ面倒臭がられてもいた。
マークス少佐はそういうのとは少し違う、日頃からの世間話で問題の兆候を未然に防ぐ対処をしていた。些細な借りが部下の上官への信頼に結びつくということらしく彼女の配下部隊では叛乱めいた謀議が起こったことはない。
アルジェンとアウルムは二人とはまただいぶ違う様子で、どちらかと言うと学校の同窓生のような感じで部下との関係を成り立たせていた。それはもちろん不安定な甘やかさを伴ったもので、上等な人心掌握の方法というわけでは決してない。だが人生経験の浅い彼女たちにとって人に話せる話なぞそれほど多いはずもなく、いつの間にか父親の話になってしまうという可愛らしいところが奇妙に人気を博し受けていた。彼女たちの話の中の奇人と碌でなしを突き抜けた天才を養父に持った二人がどういうわけか全くひねくれず素直に育ったことに部下たちの多くは微笑ましささえ感じていた。
冬の祭りの無礼講ということで、二人の上の娘の部下たちは、隊長の父親の人物を確かめたがるように話を求めた。
伝説的な人物、と云うにもあまりに突然に世に出てきたゲリエ卿の逸話は、賞金稼ぎで幾つもの鉱山と工房を起こし、各地に女と子供を抱え、幾つもの船を持ち、軍に武器を収め、鉄道を共和国に敷こうとしている、というものではあったが、酔狂な金持ちの冒険家、知り合いにはなってみたいが身内には欲しくない、男の中の男というやつだろうとひとり決めするような内容だった。
そういう当世に一人二人いるような立身出世の中の人という意味では西方王朝のひとつマルバ王国を共和国に組み込んだマクリシアモルゼーヌモルビアルッス伯爵が時の人であるわけだが、ルッス伯爵がもともとモルゼーヌ商会の御曹司であることは知られていたことで親子三代に渡る活劇の集大成というわけで五十年の叙事詩として語られる物語でもあった。貿易免税を盾にとった一種の海賊王国を西方諸王国の版図の内に成立させた商人の手腕は、多くの野蛮がまかり通る西方諸国の商人たちを引き寄せ、ついで西方諸国の傭兵たちの目を引き寄せ、ついには西方諸国の諸侯たち軍勢の鼻先を引き回すようにして、立地以外にさした特産がない小国であるマルバ王国を共和国に組み込むことで安定させることに成功した。
堅実な実業家から見れば胡散臭い話ではあるが、ともかくもマルバの港は平安海と呼ばれる中海への東側への大きな港口であったからモルゼーヌ商会が大きく安定した共和国のタレルを背景にした強力な商業銀行を運営する緩やかな経済支配は、全く不安定な西方諸国の動かしがたい天秤の錘としてマルバ王国の独立を支えていた。その利益は西方諸国の動乱によって、諸国の通貨が撥ね釣瓶のように動くことで汲み上げられ続けていた。当然その意義は西方諸国の商人たちには筒抜けに理解されていて、当然に羨望と嫉妬を伴った極めて危険な状態をいくども経験しており、彼の祖父も父も兄弟や妻までも暗殺されている。
そういう文字通りのスペクタクルの主人公を自身と重ねる気は毛頭なかったマジンとしては、いや世間のご期待はありがたいのだが、と様々に不本意ではあった。
だが特段の家督もなく文字通りの風來からわずか二十歳でデカートの元老に席を据え、様々に私財を投じ共和国軍を支え帝国との戦争兵站を推し進めている人物、と云う評であれば、嘘とか本当とかどうでもよく大した立志伝ということになる。
つまりは全く無邪気な必要と努力の成果を本人が全く理解していないままに、世間の評は定まる、という全くよくある社会の成り立ちを、世間の人々は面白おかしく又骨肉の恨みでもあるかのように無責任に騒ぎ立てていた。
静かに黙っていれば十人並みやや上等、好みが合えば美男子と見えないこともないという程度の外見はゴツい差物を腰と脇に下げていなければ、タダの田舎の若旦那で、腰のものを気にしてもせいぜいが優雅な農場主くらいに思えただろう。
だが腰のものが一息に二十発もの弾丸をバラ撒く機関拳銃であることを知ったり、大小の段平でマスケットの銃身を切り飛ばすという腕を知れば、ただならぬ賞金稼ぎであることが知れる。
尤も賞金稼ぎとして生業を建てたのはほんの僅かな時間で、世には生きた月数より売った首のほうが多い賞金稼ぎもたくさんいる。
しかし鉄道や電話を通じて集まる様々を読み解くことが出来、必要とあれば獲物を月に一万あまりも狩れるとなると、それはもう賞金稼ぎという枠には収まらない。
現在のところ鉄道警備隊は無法者、重違反者に独自に懸賞金を掛けることはしていないが、ほとんどの鉄道駅には各地の州司法治安行政が派出所を出していて、鉄道警備隊は施設内で保安官に準ずる権限を持っている。
当然に多くの無法者が鉄道やその周辺施設を利用したりということも多く、いわゆる賞金首の鉄道周辺利用は一万では利かない事実から、一般に問題にならなければ客として扱うが、当然それは例外としての扱いで必要に応じて或いは裁判所の司法執行の協力などの要請がある。
名義の上ではゲリエ卿こそが鉄道施設敷地の筆頭責任者で、その中での捕物はゲリエ卿にすべての責任がある。つまりは、月に千件を幾らか超えるほどの事件のうちの幾らかの賞金首の権利はゲリエ卿にある。
更には自動車を作り船を作り鉄道を作り戦車を作り、となるともはや鍛冶師建築家芸術家とすら呼べない。一周りして工房主と言ってしまうのが面倒が少ないくらいである。
話してみれば全く世間並みの三十前の子持ちの男が共感を持てるような奇妙な軟弱さ柔弱さを持っていたりと、ますますどうしてこんな人物がというところもある。
アルジェンとアウルムの二人が部下と引き合わせたゲリエマキシマジンという人物は、話に出てくるものの大きさが単なるホラではない事が多い、という一点を除けば、極普通の人生経験豊富な若者と中年の端境に踏みかかったような人物で、兵隊の多くは素朴な新品小隊長の奇妙に世慣れたところと人ズレしていないところに納得したりもした。
0
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
性奴隷を飼ったのに
お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。
異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。
異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。
自分の領地では奴隷は禁止していた。
奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。
そして1人の奴隷少女と出会った。
彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。
彼女は幼いエルフだった。
それに魔力が使えないように処理されていた。
そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。
でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。
俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。
孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。
エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。
※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。
※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
催眠アプリで恋人を寝取られて「労働奴隷」にされたけど、仕事の才能が開花したことで成り上がり、人生逆転しました
フーラー
ファンタジー
「催眠アプリで女性を寝取り、ハーレムを形成するクソ野郎」が
ざまぁ展開に陥る、異色の異世界ファンタジー。
舞台は異世界。
売れないイラストレーターをやっている獣人の男性「イグニス」はある日、
チートスキル「催眠アプリ」を持つ異世界転移者「リマ」に恋人を寝取られる。
もともとイグニスは収入が少なく、ほぼ恋人に養ってもらっていたヒモ状態だったのだが、
リマに「これからはボクらを養うための労働奴隷になれ」と催眠をかけられ、
彼らを養うために働くことになる。
しかし、今のイグニスの収入を差し出してもらっても、生活が出来ないと感じたリマは、
イグニスに「仕事が楽しくてたまらなくなる」ように催眠をかける。
これによってイグニスは仕事にまじめに取り組むようになる。
そして努力を重ねたことでイラストレーターとしての才能が開花、
大劇団のパンフレット作製など、大きな仕事が舞い込むようになっていく。
更にリマはほかの男からも催眠で妻や片思いの相手を寝取っていくが、
その「寝取られ男」達も皆、その時にかけられた催眠が良い方に作用する。
これによって彼ら「寝取られ男」達は、
・ゲーム会社を立ち上げる
・シナリオライターになる
・営業で大きな成績を上げる
など次々に大成功を収めていき、その中で精神的にも大きな成長を遂げていく。
リマは、そんな『労働奴隷』達の成長を目の当たりにする一方で、
自身は自堕落に生活し、なにも人間的に成長できていないことに焦りを感じるようになる。
そして、ついにリマは嫉妬と焦りによって、
「ボクをお前の会社の社長にしろ」
と『労働奴隷』に催眠をかけて社長に就任する。
そして「現代のゲームに関する知識」を活かしてゲーム業界での無双を試みるが、
その浅はかな考えが、本格的な破滅の引き金となっていく。
小説家になろう・カクヨムでも掲載しています!
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる