石炭と水晶

小稲荷一照

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装甲歩兵旅団

共和国南街道域 共和国協定千四百四十五年秋

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 ロータル鉄工はローゼンヘン工業の一部門となって決算上の独立性はなくなったが、そのことで却って運営自体は安定した。
 ともかくもかつての主力商品だった臼砲が小型化され、迫撃砲という品目で大中小というくらいの区分けで売りだされ、経営にとどめをさした後装小銃の銃弾も今や安定的に供給されるようになった。
 吹き矢のような弾丸を打ち出す奇妙な名前の銃弾は生産が終了したが、銃弾が安定的に供給されることになったことで再び後装小銃の販売とその特許は順調になり、様々な改良もなされている。
 機関小銃や機関銃などの軍用火器の長期導入も決定された。
 他にも自動車整備の拠点として、民間用軍用それぞれの工場で日々多くの自動車を預かり送り出している。
 商社機能が強調されることになったが、売上そのものよりは信用管理を重視する方針で、製造販売よりも倉庫管財監督が重視されている若干奇妙な構造をしていた。
 とは云え軍需工廠としてはある意味必然で、ロータル鉄工の営業は軍都大本営兵站本部と会社を往復するだけで原則成立していた。
 新たに成立した機関小銃の配備計画では七十万丁を四ヵ年で軍に納入することを求められていたから、ともかくもかつてのようなよろけた経営をする余地はなかったし、その暇も必要もなかった。
 実績として今も毎月軍用貨車十両ほどの荷物に梱包されて小銃とその弾丸が運ばれている。
 その小銃の升というような鉄道貨車は去年の失態を期に駅の管理を厳重にする理由ともなり、武器弾薬専用の屋根付きの車両庫を設けるようになって管理されていた。
 初年度分十七万丁が年明けを目処に納品計画が進んでいて、今のところ毎月一万四千丁が着々と納品されている。
 やや遅れ気味ではあるが、軍用駅施設の荷受や管理能力には未だに疑問や不安があって、兵站本部の方で抑えめにして欲しいという希望があった。小銃弾も二千五百万発が毎月納入されるようになっていて、鉄道の威力に瞠目させることになっていたことが兵站本部を恐れさせた。
 ロータル鉄工の社内においては公然の秘密であったが、管理職を含む社員の数名は共和国軍の憲兵本部からの出向で、そのために社内情報を切り分けるために決済権のないかたちで分社化した、という経緯がある。
 首に鈴をつけた状態でローゼンヘン工業の軍事部門を預かっているロータル鉄工だったが、それで必ずしもローゼンヘン工業が全面的に従順、というわけではなくワイルやダッカでの事件のように軍に公開しないままに運用されている兵器もあり、憲兵本部としてはしばしばかなり過激な論も飛び出している。
 もちろん現状で過激な手段に訴えることは、共和国軍が登るハシゴを憲兵隊が斧で割くのも同様だったのであまりに本末転倒だったが、しかし将来にわたってもローゼンヘン工業が共和国軍に協力的であるかという根拠については大きな疑問不安要素もあった。
 はっきりしていることはローゼンヘン工業の意志がどこにあろうと、共和国軍の兵站根拠を大きく提供している事実に変わりはなく、一企業の経営方針の変化で国政が大きく揺るがされる事態は健全とは云い難い状況だった。
 そのために兵站本部でも憲兵本部でも度々ローゼンヘン工業の解体或いは排除についての様々が秘密裏に検討研究されていた。
 もちろん戦争が終わった後の十年或いは二十年という長期計画であったが、全域での鉄道電灯電話網の完成を睨めば、あまり悠長なことを云っている場合ではなかった。
 しかし兵站本部の意を受けた参謀本部の研究見積りでは、ローゼンヘン工業以外で同様の機能を果たせる組織を作るのにおよそ十年かかる見積りであったから、今次の戦争に役立つものを作ることは疎か、おそらく数年のうちに共和国を席巻するだろう鉄道網の完成を妨害することも難しいだろうと考えられていた。
 また企業経営の体質から極めて強固な中央集権構造をしていて、ほとんど個人経営も同然だったので、特に資金面での一般的な揺さぶり量が少なかった。
 最終的にローゼンヘン工業をどうにかしたければ社主を暗殺するのが一番手っ取り早い、とさえ憲兵本部ではささやかれるほどにローゼンヘン工業は偏った構造をしている。
 大本営でのローゼンヘン工業の評価というものは、強力に戦争協力をおこなう民間企業組織、という以上には理解されている部分が少なく、この四五年ほどでローゼンヘン工業が積極的におこなっている退役軍人の登用も軍人の知識や人脈を活かしてと言うよりは、概ね接客事務や警備という軍人一般の技能を期待してのことで、憲兵本部が潜り込ませている間諜からは面白げな報告は上がってこない。
 ただ一年目の給与が激しく渋く二年次以降の給与が跳ね上がることと福利厚生が優れていることが方針上の特徴であるらしいことと、帝国国民を比較的無造作に現場に配置している事が報告としてあげられていた。
 ローゼンヘン工業が次第に共和国全土を覆い始めているその象徴的な光景として、モレールで分岐しジューム藩王国をおおきく迂回し、ジューム藩王国のいう国境領域を一周囲うようにして鉄道が南街道のアムネジとティファーンに達した。どちらも大陸南側の高地平原の気候で乾いた空気の街ではあるが、一方でそれぞれに水源となる山地とカルデラを抱えていて、低緯度帯の日差しと高地の乾いた空気と水源という灌漑に比較的むいた気候を備えた農業地域でもある。
 アムネジのちょっと南西が大規模な脱走事件の起きたバルジャンである。
 二十リーグほどなので途中の低地の森林地帯を抜ければアムネジとバルジャンは近いとも言えるのだが、共和国南部中央の突然の豪雨というものは道を川にする現象でもあってたかが二十リーグのために四十リーグ百リーグの道のりになることも少なくない。
 そしてその数日の日程の決断は事前におこなう必要があることが多い。
 悪路を考えても二三日或いは四五日という道のりが、突然の雨で十日では怪しい旅程に膨れ上がることもあることが南街道の特徴でもある。
 事件の起きた土地もバルジャンとは言っているが、複数の迂回路をつなぐ一般に三谷と呼ばれる集落で往来の割に土地が狭く比較的頻繁に問題の起きる土地だった。
 鉄道が北街道でおこなったような徹底的な整備を南街道でもおこなうことは、共和国軍にとっては希望であったし、文明の根幹の破壊にも繋がる変革でもあった。
 この度未完成ながら実用に十分な開通をしたジューム藩王国を迂回する経路については概ね兵站本部の計画に沿ったものでもあった。
 彼らは事前の測量図を元に人員計画の構想を独自に立て資材や計画素案を準備した上で、ローゼンヘン工業鉄道部の研修に人員を送り計画を確認しつつ、参謀本部内での研究を反映させ将来の鉄道軍団への実績を準備していた。
 鉄道というものの性質を考えれば十分妥当に慎重な行動をとっていると云って良い。
 ただし兵站本部鉄道課の素案では環状線につなぐ予定ではなく、どこかで交差する予定でいた。
 それをローゼンヘン工業が環状線として複々線或いは予備線として機能するようにしたのは、南部地域が人口規模が大きな州が多いからでもあった。
 また海街道までのエルベ川という直接的な軍都への集積基地を考えてのことでもあったし、センヌという大洋への玄関口を考えてのことでもあった。
 共和国に国土を包囲されているかたちのジューム藩王国は、しかし一方で街道機能を整備し河川の往来を整備しと、極めて武張った町の作りで禁制品の扱いは厳しいものながら反面街道往来の保証をおこなっていて、その態度はおよそ共和国南街道の諸州よりも遥かに手厚いものだった。
 そのジューム藩王国の国境を取り囲むように完成しつつある鉄道は物流の上で極めて高い壁と同じ機能を果たすことになるはずだった。その上流と下流に鈍い輝きを見せる背の高い位置にかかった橋は帝国公使が国威を見せつけるために船頭船員にかなり無理をさせて通している航洋帆船も見上げてくぐれる高さであったから、嫌でもその存在を意識しないわけにはゆかない。
 アミザムでの物資管理の失敗を考えれば兵站本部が鉄道の威力について疑問を抱いて、或いは扱いかねるのかとその価値を測りそこなっていたことは事実としてある。
 だがこれほど大掛かりな迂回路を形成するほどの意味があるのだろうかと、大本営では首をひねる向きも多かった。
 しかしローゼンヘン工業では軍都の意味と南街道の各州の実力を考えると、これで足りるだろうかと不安視していた。
 南街道は全体として植物相に優勢な緑の迷路の様相を呈しているが、一方で食料の生産に有利で大きな人口を抱える州が多い。
 はっきり云えばその人口の多さは必ずしも農業以外の産業或いは秩序だった利益に結びついていないことが多いのだが、ともかくも流通が変わるということは産業や意識が変わるということで、電話や鉄道が繋がることで人々の動き働きは激変するはずだった。
 そしておそらくは各州政府が管理できていない人々の実勢数は北街道沿線の各州よりも遥かに大きいと予測されていた。
 極めて集約的な労働と極めて植物にとって都合の良い環境によって巨大な農業生産と結果としての人口と富を得ていた南部の幾つかの街は、しかし一方で流通という意味では閉鎖的で経済という意味では孤立状態にあり、工業という意味では極めて未熟な状態のまま安定している州が多い。
 端的に人口は巨大だが領域としては狭い広大な農地とそこに薄く広がる拠点としての都市というかたちが南部の都市の典型的な光景で、農地は広大だがおよそ州の規模は二十リーグほどヴィンゼとほぼ同じ規模の自治体に百万前後多くは八十万人超ほどの人々が暮らしている。
 その土地にかつては複数の砦があり関があったわけだが、州同士の武力を使った直接の諍いがなくなった現在は、およそ数千から一万幾らかの民兵と共和国軍の聯隊か師団が置かれ、都市郊外辺境部からの獣や匪賊の対応にあたっていた。
 人口を薄く広げるように拓かれている農地は、農業という意味では極めて効率が良い形態ではあるが、技術的な研鑽交流という意味では極めて問題も多く、二十リーグの広がりというものは馬車の往来という意味では生活においてほぼ無限に近い距離になる。
 特段にわざわざそう定めたわけではなく、二十リーグというものは空の馬車が一日でつける距離、馬をわかった騎兵が一日で馬を潰さず進める距離になる。
 人々の移動の上で十リーグを超えるとほぼ一日を移動のみに費やすことになり、商売や生活を目的としても日常に組み込むことは極めて難しいといえる。
 幾つかの封建領主の地所を拠点に連綿と開拓を続けた結果として、およそ地形にそって森を割くと大体そういう空間が農地になったという範囲であった。
 もちろんいくつも新たな領主居城ができたり消えたりしていたわけだが、今はこれで手一杯というところでもある。
 馬匹の糧秣や馬に限らず家畜に事欠かない地域であるから、それなりに大店或いは組合のような組織があれば商業も十分に成立し、南街道という太く万全ではないものの緩やかな流通路が存在し共和国貨幣が圧倒的な信用を作っていることで、閉鎖的或いは孤立しているという自意識もなく、単に歴史と伝統に則った生活を続けまたそれをできるというだけにすぎないとも云える。
 かつては経済信用のために武力を必要とし、その武器を蓄えるために苛烈な努力をおこなっていた土地であるが、共和国が強力な安定した貨幣を提供することで戦争をおこなう必要のひとつが消え去った。
 貨幣を利用する交易を支える道というものはしばしば見落とされがちで、道という意味ではおよそ怪しい、という点では北街道も南街道も似たようなものだが、その怪しさは質がだいぶ異なる。
 北街道の道の怪しさは今歩いている道が街道なのかがしばしば疑わしくなる怪しさで、南街道の道の怪しさは本日ただいまこの道は通じているのか使えるのかという怪しさである。
 南街道自体は日々様々な理由で道自体が怪しくなっているが、北街道とは違って土地を選ばなければ田畑を中心に集落が成り立たないというほどのこともなく、点々と一万くらいの邑が存在する。
 しばしば破線状に分断されるが比較的多くの集落があるために街道全体としてはおよそのところで機能している。
 交流自体は乏しいが人口の母数が多いために街道の利用自体は多く、道としては北街道よりも道らしい作りをしている。
 かつてはレンガを敷いたりという努力もあったが、使われる道は泥で踏まれ既に埋まり、幾らかは雨に流され土砂に埋まり川に沈みとあまり長持ちをすることはない。
 それでも大きな街や豊かな集落の手前では明らかに堅い道が旅人を出迎える。
 低緯度帯の陽光と豊かな植生という共和国の南部中央部はかつては多くの騎士階級部族戦士たちが覇を競った封建的土地ではあったが、食料の豊かさとは裏腹に工業や流通の成長の困難から共和国への合流を望んだ或いは屈した土地でもある。
 主流の穀物は水稲であるが、共和国軍への物資を意識した小麦大麦や馬匹に向けた燕麦粟稗高粱なども作られている。
 現在も各州は領域内の拠点には貴族或いは戦士階級の末裔が隠然たる影響を発揮して、聯隊を維持しているが、当然にかつてのような、郎党にて治に武断を、という意味合いでは既にない。
 かつての武門の多くは今は軍隊のヒエラルキー構造を利用した収税分配機構として成立していて、かつての軍閥家系とは関わりない州民一等ひとしく威光を指し示す極めて封建的でありながら、また極めて官僚的合議的な安定した組織を構成していた。
 多くは積極的と云うには程遠い有様ではあるが、実際的な登用を衆民から行っていて階級そのものは厳然として存在するが、例外を認めないほどに狭量でもない統治は農業政策とともに極めて安定している。
 その構造は基本的に最下層民でさえ労務にありついていさえすれば飢えない、とりあえず働いていれば食える、という北街道あるいは世界の多くの土地ではありえないような状態が達成できているからでもある。無論これは全く天然自然に達成できているわけではなく元老の政治判断の妙によるもので南街道すべての州でかくあるわけではないが南街道の多くの州で見られる風景でもある。
 階層間に遊牧民などのような家族的な交流が必ずしもあるわけではなく、制度或いは慣習のかたちで身分制度が穏やかに機能していた。
 食料の心配が少なく領域の展張或いは収縮の余地も適度にあり、技術的にも安定している状態は国家的な闘争そのものを不要にし、せいぜいが矜持と家風の叩き合いという程度で全体に温和な州運営につながっている。
 大方の農民たちにとって森の獣は畑を荒らす野盗匪賊と同じ扱いであったが、つまりはその程度に穏やかな土地で鉄砲そのものは多くの農家が備えていたが、獣を狩り追い払うのに鉄砲は大事な農具だった。
 無論そういうのどかな社会を好まないものもいくらも大勢いるわけだが、所詮は例外的な少数派で州領域外に踏み出せば化外の地というのもおぞましいような暴力的な植生の土地が広がっていて、山賊として警邏に屠られるのが早いか野垂れ死ぬのが早いかというなりゆきになる。
 低緯度帯の大陸中央部は水さえあれば植物が伸び放題になる土地ではあるが、幸いに大河や湖のそば以外では密林といえるほどの植生にはなっていない。厚みも深さも噂に名高いエンドアの大樹海に比べればせいぜいが生け垣か畝のようなものだ。森の厚みは確かに手強いほどのものではあるが、日々手入れが追いつかないほどではないし、ジリジリと森は開かれている。
 ただ、複雑な地形がときたま大雨を降らせることでその巨大な畝や生け垣に沿った南街道の様子を変える。
 ごく大雑把には季節性の循環もみられ、地元の者はそこはかとない予感や、名人と呼ばれる天気を占うものもいるがともかくも土地の外から来たものには全く突然に道がなくなる雨というものに往生するのが南街道であった。
 街道の間には定住亜人の集落も多く、一方で少数の渡りの亜人も多くと、ともかく関係が複雑で天候で道の組み換えが頻繁な事と食料が豊富なことが、南街道の都市同士の往来を求めつつ盛んでない大きな理由になっている。
 そういう巨大な農業生産と大きな人口を抱える南街道の東西からローゼンヘン工業の鉄道開発の手が差し入れられ始めたことに、共和国は大きな期待と不安をもって見守っていた。
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