石炭と水晶

小稲荷一照

文字の大きさ
上 下
213 / 248
装甲歩兵旅団

学志館 共和国協定千四百四十五年盛夏

しおりを挟む
 リザが色々と小細工を弄しながらのんびりと慌ただしくデカートでの日々を過ごしていた夏。
 生命と符号と機能の三体構造、という論文が学志館で発表された。
 今年のマジンの論文は、二つの異なる金属の先端を繋いで両端を温度差のある環境に置くと電気が流れる、金属の熱の伝達が電位の差として現れる、という発表だったのだが地味すぎて人々があまりついてこれない内容だったようだ。前々から気がついていて必ずしも直線的ではないものの用途が広く頻繁に使っている技術だったのだが、世間的には何に使えるの?温度計?ふーんという感じで熱と温度というものについての差も一般にはあまり浸透していない様子であったから仕方なくもあった。
 温度と熱と圧力と体積という話題はマジンにとっては重要な意味合いを伴っている話題だったはずだから世間の無理解は残念だが、反応が皆無だったかというとそういうわけでもなかったらしい。
 それはさておき問題の論文は、ある意味で冒険的な無謀な内容であった。
 生命というものの根源をたどることで比較的単純な物質の組み合わせがやがて自律的に化学反応を選択し、やがてこの選択を複雑化し成長と修復改変を繰り返し、生命という現象に結実する。その化学反応の根幹はきわめて符号的な一意性を持っていて、或いは一意性の破れによって反応が切り替わることを前提とした構造になっていて、個々の意識する意志とはまた別の次元平面での選択反応が意志を生じさせている。
 複雑化した現象は当然に根源の追跡を事実上不可能にしているが、究極微分の観測を連続することで総体としての機能を想像させることはできる。
 一旦微分したものを積分したときに失われる状態値によって、望むとおりに振る舞う生命を作ることは事実上不可能であっても生命そのものを作ること自体は不可能ではない。
 一度生命の駆動に成功すれば、そののちは生命の自律的な分化とその先の進化適応というべき過程を経て確率論的な時間投資の後に理想の生命へと近づく。或いは環境の整備によって生命の形態変化の方向性を促すことはできる。
 ただし原理原則や材料が等しいと云って生命の分化が始まればその展開は異質異様なものになることは確率論的には間違いなく、自由度や性能を広く求めればそれはあたかも魔族の如き化物のようなものになるだろう。
 概要としてはそういう物語だった。研究員の席を求める内容としては抽象的なようだったが、概念や理論だけの論考が必ずしも無意味とはいえず関連した研究に結びつくことが多いのが、学問の価値を判断する上で面倒くさくも厄介なところで投機賭博の楽しさでもある。
 学志館の論文発表は周期的に講演者も聴講者も増えたり減ったりということが多く、ここしばらくは聴講者は急に増えているのだが、講演者は随分と減っている傾向がある。
 もちろん経費や人員など無限ではないので査読や席を考えれば適当では良いのだが、学問の公演を学志館が支えている意味を考えると研究者の数が減っている傾向は理由について追っておく必要がある。
 どうもここしばらくのローゼンヘン工業の実績業績に気圧されてゲリエ卿の公演に気色を奪われて、あまりに実業実学に偏りすぎているのではないかとも理事会では懸念されていた。奇抜な学者やイロモノの芸人がいても良いのではないだろうかとも言われていた。
 芸人というと少々問題も多いが、文学研究者や音楽研究者というものは学志館では近年寂しいほどに減っている。尤もそういう人々の多くは論文を毎年新しく発表できるほどに何かができるものかというところもあり、どう扱うべきかというところもあった。
 文学とか哲学宗教というものの扱い合理性とか発展性という素材としての精錬が難しい学問あり、商業学経済学という数を扱うものの社会というまた陳腐化と生臭さの残るしばしば腐敗する学問があり、いずれも学志館では奇妙な行き詰まりを見せている学問だった。
 本質的に理事会の性質がそうしているのではないかと理事たちも特段に他の理事に対して悪意があるわけでもなく、そこはかとない疑いを持っていた。そのことは実に率直に理事会で幾度かのぼったことであり、マジンが理事に座ってからも幾度か対策を求めて起こった議論であった。
 理事会の役員の概ねの総意として負け惜しみと言われようとはっきり云えることは、学問は必ずしもひとつの論文一つの講演で成果を求めるような種類のものではなく、そもそも論として学問に成果を求めるべきかというところでもあった。研究の興味というものは必ずしも成果を求めてではなく、更に云えば成果に繋がるようなものでもない。天文分野で宇宙の果てについての論考や宇宙の始原についての論考が繰り返された事もあったが、共に実利を求めてのことではなかった。
 もちろん成果を元に論を積むのはひとつのやり方であるが、成果と論の間にどれほどのつながりを認めるかというところは、論と成果は一体ではないことを示している。無限に成果と論が一体であるなら議論研究の必要は既にそこにはない。完成した学問は既に学問ではない。
 論を重ねる上で数学的な根拠を持ちだしたり物理的な類似性類型を得たりということはあっても、それがではデカートのどこに関わるかという話が必要かというとそうではなかった。もちろん巡り巡って将来の生活に役立つ様々に繋がることはありえても、それは明日来年百年万年後に売り物或いは人々を救うものになるという投資としておこなっているわけではない。
 無体なことを云えば、成果が出ていれば論がデタラメでも価値になるし、論が魅力的であれば成果が皆無でも価値になる。
 学志館全体が学問全体が疑われるようなことがあるとそれは重大な疑義に繋がる問題だが、理論理念概念を扱う領域をなにをどう扱うか、ここしばらく牽制をしつつ判断の難しいところだった。
 この論文の主、ベルゲンアントンという人物が次第に学生たちになにを教えられるかどの程度教えられるかというところを元に研究職兼教員職ということで条件が合えば席を与えることにしよう、と定まった。学志館はここしばらくの様々で初等部の生徒が増えていて教員の席の拡大は必要だった。そして研究職を兼務している教員の多くは当然に自分の研究を進めたがっていたからしばしば問題にもなっていた。
 そろそろ若くはないという年の頃、実は五十はとうに過ぎたというアントン氏は若い頃は無銭飲食で捕まり軍に奉じることになり、その後はあちこちの私塾で子供を教えながらデカートの様々にまさに伸び茂る文明を間近に楽しもうと職を求めてきたという。
 軍では砲兵をやっていたこともあって幾何代数や測量というものは日々の糧で数学や地理或いは天文他には動物や植物等の生物を中心にした博物分類というものをある程度教えることはできる、ということだった。
 軍の照会によれば当年五十二歳のベルゲンアントン氏は窃盗で捕まり減刑を条件に軍に志願、砲兵聯隊に加わり、五年の軍役後は住所地なしということで後備登録はせず退役。最終階級は軍曹。無銭飲食で兵隊五年はなかなか割が合わないとは思うが、既に禊もすんでいるということで人別としては却って気楽な程だった。
 読み書き算盤の初等部教師というものは実のところ果てしなく手間のかかる需要のあるモノだったので、苦労を覚悟ということであれば教職を前提に研究職の籍を与えるということになった。
 ソラとユエが夏休みに帰ってきてその折に作った心臓をステラに組み込んでみようと考えていると告げると、二人は割とあっさりと同意した。
 うまくいってもいかなくてもいいと思う。死んだお母さんは死んだお母さんだよ。
 というのが実に理性的な二人の言葉であった。
 などと父親が納得していると二人は何かに気がついたらしく、姉二人に電話をかけて急いで休みを取って帰ってくるように頼んだ。
「やってみようよ。セラム様も眼が見えるようになったんだし、ひょっとしたらうまくゆくかもしれない。私達も見ててあげるよ。なにができるわけじゃないけど」
 ユエにそう言われたとき、マジンは自分がどんな顔をしているのか全く想像ができなかった。
 アルジェンとアウルムは翌日帰ってきた。
 罰当番が溜まっていなかったので、あっさり許可はおり、早朝から中隊の車輌の巡回点検を終えたところで外出許可が降りた。彼女たちの車輌は今日明日車長が戦死した状態で訓練になる。外出者がおみやげを準備しないとしばらく戦死者が増えるのは軍学校と同じだった。
 撃破判定をもらって履帯と転輪交換というのはまだなんとかなっても更にやられてバネ系交換とか言われると整備小隊の助けを借りても徹夜になりかねない。いつぞや履帯が切れて丸一日も応援を待ったラジコル大佐の頃とは違って、履帯が切れたぐらいは今は乗員だけでなんとかなるようになり始めていたが、バネ系の交換まではご勘弁いただきたかった。
 アルジェンとアウルムは既に納得していた内容だったが、呼びだされた事自体に不服もなく、妹達の言うことを受け入れた。というより、彼女たちも興味があったし、ともかくも家族の問題だった。
 みぞおちから裂けた胸骨の間をまるで知恵の輪のように隙間を探り、幾らかステアの体をほころばせ、結晶した体を削りながら硬い宝玉の心臓を収めてみた。あまりに硬くそのままでは鼓動するはずもない心臓は、しかし動き出しそうなほどに精緻に刻まれてはいた。
 これまで魔血晶はステアの体に溢れるとしみるようにアリが雨に巣穴に急ぐように潜っていったのだが、今度はそういう風にわかりやすい変化はなかった。心臓が輝くこともなければ蠢くような鼓動もなかった。
 地下の空洞のせせらぎが樫の枝から漏れる光に揺れているだけだった。
 あまりに拍子抜けするような空振りだった。
「外したほうがいいのかな。置いとくのがいいのかな」
 ソラは少し考えるように言った。
 実を云えばかなりその気で作った心臓は本当に収まりよくハマったものの、そこから抜こうとすればもちろんまた幾らかステアの体を壊さなければいけなかった。
「しばらく様子を見てみよう。セラムの目はとうとう本当に見えるようになったらしい」
 それは四人が四人とも驚いていた。
 セラムの立場はリザの親友というよりは従姉妹とか義理の姉妹とかそういう立ち位置にローゼンヘン館ではなり始めていて、大人の女というところだった。似たような位置にいるセントーラとはちょっと違って、セントーラはうちのしごとで一番偉い人、という微妙な感じであるらしい。とはいえその娘も息子も妹弟であることは間違いなくシェラルザードの娘二人もその子供たちも似たようなもんだということになっている。
 そのへんは父親が戦争が終わってから説明するということだったので、後回しでいいことにしていた。
 シェラルザードは、アーシュラの母親でリザの姉妹っぽいマリールアシュレイとは違うタイプのお姫様っぽい人だった。マリールはこうどっちかというと物語では敵役で出てくる常勝無敗の姫将軍みたいな感じだが、シェラルザードは深窓のお姫様っぽい人でその娘二人もそんな感じだった。
 最近は単なる細工物ばかりでなく医者の真似事まで始めるようになった父親は、そういうお姫様をおつきの女の人達とひとまとめにどこからかさらってきたらしいということはなんとなく娘達には見当がついていた。
 その理由が戦争に関係あるなら帝国のお姫様なんだなぁ、というところはうっすらと想像がつくところで、夜になるとクスクスと笑うような内容だった。
 アルジェンとアウルムは翌日門限一杯で土産を持って帰ることに成功した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

悠久の機甲歩兵

竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。 ※現在毎日更新中

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

宇宙人へのレポート

廣瀬純一
SF
宇宙人に体を入れ替えられた大学生の男女の話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

NPCが俺の嫁~リアルに連れ帰る為に攻略す~

ゆる弥
SF
親友に誘われたVRMMOゲーム現天獄《げんてんごく》というゲームの中で俺は運命の人を見つける。 それは現地人(NPC)だった。 その子にいい所を見せるべく活躍し、そして最終目標はゲームクリアの報酬による願い事をなんでも一つ叶えてくれるというもの。 「人が作ったVR空間のNPCと結婚なんて出来るわけねーだろ!?」 「誰が不可能だと決めたんだ!? 俺はネムさんと結婚すると決めた!」 こんなヤバいやつの話。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった

ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます! 僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか? 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

処理中です...