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装甲歩兵旅団
学志館 共和国協定千四百四十五年盛夏
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リザが色々と小細工を弄しながらのんびりと慌ただしくデカートでの日々を過ごしていた夏。
生命と符号と機能の三体構造、という論文が学志館で発表された。
今年のマジンの論文は、二つの異なる金属の先端を繋いで両端を温度差のある環境に置くと電気が流れる、金属の熱の伝達が電位の差として現れる、という発表だったのだが地味すぎて人々があまりついてこれない内容だったようだ。前々から気がついていて必ずしも直線的ではないものの用途が広く頻繁に使っている技術だったのだが、世間的には何に使えるの?温度計?ふーんという感じで熱と温度というものについての差も一般にはあまり浸透していない様子であったから仕方なくもあった。
温度と熱と圧力と体積という話題はマジンにとっては重要な意味合いを伴っている話題だったはずだから世間の無理解は残念だが、反応が皆無だったかというとそういうわけでもなかったらしい。
それはさておき問題の論文は、ある意味で冒険的な無謀な内容であった。
生命というものの根源をたどることで比較的単純な物質の組み合わせがやがて自律的に化学反応を選択し、やがてこの選択を複雑化し成長と修復改変を繰り返し、生命という現象に結実する。その化学反応の根幹はきわめて符号的な一意性を持っていて、或いは一意性の破れによって反応が切り替わることを前提とした構造になっていて、個々の意識する意志とはまた別の次元平面での選択反応が意志を生じさせている。
複雑化した現象は当然に根源の追跡を事実上不可能にしているが、究極微分の観測を連続することで総体としての機能を想像させることはできる。
一旦微分したものを積分したときに失われる状態値によって、望むとおりに振る舞う生命を作ることは事実上不可能であっても生命そのものを作ること自体は不可能ではない。
一度生命の駆動に成功すれば、そののちは生命の自律的な分化とその先の進化適応というべき過程を経て確率論的な時間投資の後に理想の生命へと近づく。或いは環境の整備によって生命の形態変化の方向性を促すことはできる。
ただし原理原則や材料が等しいと云って生命の分化が始まればその展開は異質異様なものになることは確率論的には間違いなく、自由度や性能を広く求めればそれはあたかも魔族の如き化物のようなものになるだろう。
概要としてはそういう物語だった。研究員の席を求める内容としては抽象的なようだったが、概念や理論だけの論考が必ずしも無意味とはいえず関連した研究に結びつくことが多いのが、学問の価値を判断する上で面倒くさくも厄介なところで投機賭博の楽しさでもある。
学志館の論文発表は周期的に講演者も聴講者も増えたり減ったりということが多く、ここしばらくは聴講者は急に増えているのだが、講演者は随分と減っている傾向がある。
もちろん経費や人員など無限ではないので査読や席を考えれば適当では良いのだが、学問の公演を学志館が支えている意味を考えると研究者の数が減っている傾向は理由について追っておく必要がある。
どうもここしばらくのローゼンヘン工業の実績業績に気圧されてゲリエ卿の公演に気色を奪われて、あまりに実業実学に偏りすぎているのではないかとも理事会では懸念されていた。奇抜な学者やイロモノの芸人がいても良いのではないだろうかとも言われていた。
芸人というと少々問題も多いが、文学研究者や音楽研究者というものは学志館では近年寂しいほどに減っている。尤もそういう人々の多くは論文を毎年新しく発表できるほどに何かができるものかというところもあり、どう扱うべきかというところもあった。
文学とか哲学宗教というものの扱い合理性とか発展性という素材としての精錬が難しい学問あり、商業学経済学という数を扱うものの社会というまた陳腐化と生臭さの残るしばしば腐敗する学問があり、いずれも学志館では奇妙な行き詰まりを見せている学問だった。
本質的に理事会の性質がそうしているのではないかと理事たちも特段に他の理事に対して悪意があるわけでもなく、そこはかとない疑いを持っていた。そのことは実に率直に理事会で幾度かのぼったことであり、マジンが理事に座ってからも幾度か対策を求めて起こった議論であった。
理事会の役員の概ねの総意として負け惜しみと言われようとはっきり云えることは、学問は必ずしもひとつの論文一つの講演で成果を求めるような種類のものではなく、そもそも論として学問に成果を求めるべきかというところでもあった。研究の興味というものは必ずしも成果を求めてではなく、更に云えば成果に繋がるようなものでもない。天文分野で宇宙の果てについての論考や宇宙の始原についての論考が繰り返された事もあったが、共に実利を求めてのことではなかった。
もちろん成果を元に論を積むのはひとつのやり方であるが、成果と論の間にどれほどのつながりを認めるかというところは、論と成果は一体ではないことを示している。無限に成果と論が一体であるなら議論研究の必要は既にそこにはない。完成した学問は既に学問ではない。
論を重ねる上で数学的な根拠を持ちだしたり物理的な類似性類型を得たりということはあっても、それがではデカートのどこに関わるかという話が必要かというとそうではなかった。もちろん巡り巡って将来の生活に役立つ様々に繋がることはありえても、それは明日来年百年万年後に売り物或いは人々を救うものになるという投資としておこなっているわけではない。
無体なことを云えば、成果が出ていれば論がデタラメでも価値になるし、論が魅力的であれば成果が皆無でも価値になる。
学志館全体が学問全体が疑われるようなことがあるとそれは重大な疑義に繋がる問題だが、理論理念概念を扱う領域をなにをどう扱うか、ここしばらく牽制をしつつ判断の難しいところだった。
この論文の主、ベルゲンアントンという人物が次第に学生たちになにを教えられるかどの程度教えられるかというところを元に研究職兼教員職ということで条件が合えば席を与えることにしよう、と定まった。学志館はここしばらくの様々で初等部の生徒が増えていて教員の席の拡大は必要だった。そして研究職を兼務している教員の多くは当然に自分の研究を進めたがっていたからしばしば問題にもなっていた。
そろそろ若くはないという年の頃、実は五十はとうに過ぎたというアントン氏は若い頃は無銭飲食で捕まり軍に奉じることになり、その後はあちこちの私塾で子供を教えながらデカートの様々にまさに伸び茂る文明を間近に楽しもうと職を求めてきたという。
軍では砲兵をやっていたこともあって幾何代数や測量というものは日々の糧で数学や地理或いは天文他には動物や植物等の生物を中心にした博物分類というものをある程度教えることはできる、ということだった。
軍の照会によれば当年五十二歳のベルゲンアントン氏は窃盗で捕まり減刑を条件に軍に志願、砲兵聯隊に加わり、五年の軍役後は住所地なしということで後備登録はせず退役。最終階級は軍曹。無銭飲食で兵隊五年はなかなか割が合わないとは思うが、既に禊もすんでいるということで人別としては却って気楽な程だった。
読み書き算盤の初等部教師というものは実のところ果てしなく手間のかかる需要のあるモノだったので、苦労を覚悟ということであれば教職を前提に研究職の籍を与えるということになった。
ソラとユエが夏休みに帰ってきてその折に作った心臓をステラに組み込んでみようと考えていると告げると、二人は割とあっさりと同意した。
うまくいってもいかなくてもいいと思う。死んだお母さんは死んだお母さんだよ。
というのが実に理性的な二人の言葉であった。
などと父親が納得していると二人は何かに気がついたらしく、姉二人に電話をかけて急いで休みを取って帰ってくるように頼んだ。
「やってみようよ。セラム様も眼が見えるようになったんだし、ひょっとしたらうまくゆくかもしれない。私達も見ててあげるよ。なにができるわけじゃないけど」
ユエにそう言われたとき、マジンは自分がどんな顔をしているのか全く想像ができなかった。
アルジェンとアウルムは翌日帰ってきた。
罰当番が溜まっていなかったので、あっさり許可はおり、早朝から中隊の車輌の巡回点検を終えたところで外出許可が降りた。彼女たちの車輌は今日明日車長が戦死した状態で訓練になる。外出者がおみやげを準備しないとしばらく戦死者が増えるのは軍学校と同じだった。
撃破判定をもらって履帯と転輪交換というのはまだなんとかなっても更にやられてバネ系交換とか言われると整備小隊の助けを借りても徹夜になりかねない。いつぞや履帯が切れて丸一日も応援を待ったラジコル大佐の頃とは違って、履帯が切れたぐらいは今は乗員だけでなんとかなるようになり始めていたが、バネ系の交換まではご勘弁いただきたかった。
アルジェンとアウルムは既に納得していた内容だったが、呼びだされた事自体に不服もなく、妹達の言うことを受け入れた。というより、彼女たちも興味があったし、ともかくも家族の問題だった。
みぞおちから裂けた胸骨の間をまるで知恵の輪のように隙間を探り、幾らかステアの体をほころばせ、結晶した体を削りながら硬い宝玉の心臓を収めてみた。あまりに硬くそのままでは鼓動するはずもない心臓は、しかし動き出しそうなほどに精緻に刻まれてはいた。
これまで魔血晶はステアの体に溢れるとしみるようにアリが雨に巣穴に急ぐように潜っていったのだが、今度はそういう風にわかりやすい変化はなかった。心臓が輝くこともなければ蠢くような鼓動もなかった。
地下の空洞のせせらぎが樫の枝から漏れる光に揺れているだけだった。
あまりに拍子抜けするような空振りだった。
「外したほうがいいのかな。置いとくのがいいのかな」
ソラは少し考えるように言った。
実を云えばかなりその気で作った心臓は本当に収まりよくハマったものの、そこから抜こうとすればもちろんまた幾らかステアの体を壊さなければいけなかった。
「しばらく様子を見てみよう。セラムの目はとうとう本当に見えるようになったらしい」
それは四人が四人とも驚いていた。
セラムの立場はリザの親友というよりは従姉妹とか義理の姉妹とかそういう立ち位置にローゼンヘン館ではなり始めていて、大人の女というところだった。似たような位置にいるセントーラとはちょっと違って、セントーラはうちのしごとで一番偉い人、という微妙な感じであるらしい。とはいえその娘も息子も妹弟であることは間違いなくシェラルザードの娘二人もその子供たちも似たようなもんだということになっている。
そのへんは父親が戦争が終わってから説明するということだったので、後回しでいいことにしていた。
シェラルザードは、アーシュラの母親でリザの姉妹っぽいマリールアシュレイとは違うタイプのお姫様っぽい人だった。マリールはこうどっちかというと物語では敵役で出てくる常勝無敗の姫将軍みたいな感じだが、シェラルザードは深窓のお姫様っぽい人でその娘二人もそんな感じだった。
最近は単なる細工物ばかりでなく医者の真似事まで始めるようになった父親は、そういうお姫様をおつきの女の人達とひとまとめにどこからかさらってきたらしいということはなんとなく娘達には見当がついていた。
その理由が戦争に関係あるなら帝国のお姫様なんだなぁ、というところはうっすらと想像がつくところで、夜になるとクスクスと笑うような内容だった。
アルジェンとアウルムは翌日門限一杯で土産を持って帰ることに成功した。
生命と符号と機能の三体構造、という論文が学志館で発表された。
今年のマジンの論文は、二つの異なる金属の先端を繋いで両端を温度差のある環境に置くと電気が流れる、金属の熱の伝達が電位の差として現れる、という発表だったのだが地味すぎて人々があまりついてこれない内容だったようだ。前々から気がついていて必ずしも直線的ではないものの用途が広く頻繁に使っている技術だったのだが、世間的には何に使えるの?温度計?ふーんという感じで熱と温度というものについての差も一般にはあまり浸透していない様子であったから仕方なくもあった。
温度と熱と圧力と体積という話題はマジンにとっては重要な意味合いを伴っている話題だったはずだから世間の無理解は残念だが、反応が皆無だったかというとそういうわけでもなかったらしい。
それはさておき問題の論文は、ある意味で冒険的な無謀な内容であった。
生命というものの根源をたどることで比較的単純な物質の組み合わせがやがて自律的に化学反応を選択し、やがてこの選択を複雑化し成長と修復改変を繰り返し、生命という現象に結実する。その化学反応の根幹はきわめて符号的な一意性を持っていて、或いは一意性の破れによって反応が切り替わることを前提とした構造になっていて、個々の意識する意志とはまた別の次元平面での選択反応が意志を生じさせている。
複雑化した現象は当然に根源の追跡を事実上不可能にしているが、究極微分の観測を連続することで総体としての機能を想像させることはできる。
一旦微分したものを積分したときに失われる状態値によって、望むとおりに振る舞う生命を作ることは事実上不可能であっても生命そのものを作ること自体は不可能ではない。
一度生命の駆動に成功すれば、そののちは生命の自律的な分化とその先の進化適応というべき過程を経て確率論的な時間投資の後に理想の生命へと近づく。或いは環境の整備によって生命の形態変化の方向性を促すことはできる。
ただし原理原則や材料が等しいと云って生命の分化が始まればその展開は異質異様なものになることは確率論的には間違いなく、自由度や性能を広く求めればそれはあたかも魔族の如き化物のようなものになるだろう。
概要としてはそういう物語だった。研究員の席を求める内容としては抽象的なようだったが、概念や理論だけの論考が必ずしも無意味とはいえず関連した研究に結びつくことが多いのが、学問の価値を判断する上で面倒くさくも厄介なところで投機賭博の楽しさでもある。
学志館の論文発表は周期的に講演者も聴講者も増えたり減ったりということが多く、ここしばらくは聴講者は急に増えているのだが、講演者は随分と減っている傾向がある。
もちろん経費や人員など無限ではないので査読や席を考えれば適当では良いのだが、学問の公演を学志館が支えている意味を考えると研究者の数が減っている傾向は理由について追っておく必要がある。
どうもここしばらくのローゼンヘン工業の実績業績に気圧されてゲリエ卿の公演に気色を奪われて、あまりに実業実学に偏りすぎているのではないかとも理事会では懸念されていた。奇抜な学者やイロモノの芸人がいても良いのではないだろうかとも言われていた。
芸人というと少々問題も多いが、文学研究者や音楽研究者というものは学志館では近年寂しいほどに減っている。尤もそういう人々の多くは論文を毎年新しく発表できるほどに何かができるものかというところもあり、どう扱うべきかというところもあった。
文学とか哲学宗教というものの扱い合理性とか発展性という素材としての精錬が難しい学問あり、商業学経済学という数を扱うものの社会というまた陳腐化と生臭さの残るしばしば腐敗する学問があり、いずれも学志館では奇妙な行き詰まりを見せている学問だった。
本質的に理事会の性質がそうしているのではないかと理事たちも特段に他の理事に対して悪意があるわけでもなく、そこはかとない疑いを持っていた。そのことは実に率直に理事会で幾度かのぼったことであり、マジンが理事に座ってからも幾度か対策を求めて起こった議論であった。
理事会の役員の概ねの総意として負け惜しみと言われようとはっきり云えることは、学問は必ずしもひとつの論文一つの講演で成果を求めるような種類のものではなく、そもそも論として学問に成果を求めるべきかというところでもあった。研究の興味というものは必ずしも成果を求めてではなく、更に云えば成果に繋がるようなものでもない。天文分野で宇宙の果てについての論考や宇宙の始原についての論考が繰り返された事もあったが、共に実利を求めてのことではなかった。
もちろん成果を元に論を積むのはひとつのやり方であるが、成果と論の間にどれほどのつながりを認めるかというところは、論と成果は一体ではないことを示している。無限に成果と論が一体であるなら議論研究の必要は既にそこにはない。完成した学問は既に学問ではない。
論を重ねる上で数学的な根拠を持ちだしたり物理的な類似性類型を得たりということはあっても、それがではデカートのどこに関わるかという話が必要かというとそうではなかった。もちろん巡り巡って将来の生活に役立つ様々に繋がることはありえても、それは明日来年百年万年後に売り物或いは人々を救うものになるという投資としておこなっているわけではない。
無体なことを云えば、成果が出ていれば論がデタラメでも価値になるし、論が魅力的であれば成果が皆無でも価値になる。
学志館全体が学問全体が疑われるようなことがあるとそれは重大な疑義に繋がる問題だが、理論理念概念を扱う領域をなにをどう扱うか、ここしばらく牽制をしつつ判断の難しいところだった。
この論文の主、ベルゲンアントンという人物が次第に学生たちになにを教えられるかどの程度教えられるかというところを元に研究職兼教員職ということで条件が合えば席を与えることにしよう、と定まった。学志館はここしばらくの様々で初等部の生徒が増えていて教員の席の拡大は必要だった。そして研究職を兼務している教員の多くは当然に自分の研究を進めたがっていたからしばしば問題にもなっていた。
そろそろ若くはないという年の頃、実は五十はとうに過ぎたというアントン氏は若い頃は無銭飲食で捕まり軍に奉じることになり、その後はあちこちの私塾で子供を教えながらデカートの様々にまさに伸び茂る文明を間近に楽しもうと職を求めてきたという。
軍では砲兵をやっていたこともあって幾何代数や測量というものは日々の糧で数学や地理或いは天文他には動物や植物等の生物を中心にした博物分類というものをある程度教えることはできる、ということだった。
軍の照会によれば当年五十二歳のベルゲンアントン氏は窃盗で捕まり減刑を条件に軍に志願、砲兵聯隊に加わり、五年の軍役後は住所地なしということで後備登録はせず退役。最終階級は軍曹。無銭飲食で兵隊五年はなかなか割が合わないとは思うが、既に禊もすんでいるということで人別としては却って気楽な程だった。
読み書き算盤の初等部教師というものは実のところ果てしなく手間のかかる需要のあるモノだったので、苦労を覚悟ということであれば教職を前提に研究職の籍を与えるということになった。
ソラとユエが夏休みに帰ってきてその折に作った心臓をステラに組み込んでみようと考えていると告げると、二人は割とあっさりと同意した。
うまくいってもいかなくてもいいと思う。死んだお母さんは死んだお母さんだよ。
というのが実に理性的な二人の言葉であった。
などと父親が納得していると二人は何かに気がついたらしく、姉二人に電話をかけて急いで休みを取って帰ってくるように頼んだ。
「やってみようよ。セラム様も眼が見えるようになったんだし、ひょっとしたらうまくゆくかもしれない。私達も見ててあげるよ。なにができるわけじゃないけど」
ユエにそう言われたとき、マジンは自分がどんな顔をしているのか全く想像ができなかった。
アルジェンとアウルムは翌日帰ってきた。
罰当番が溜まっていなかったので、あっさり許可はおり、早朝から中隊の車輌の巡回点検を終えたところで外出許可が降りた。彼女たちの車輌は今日明日車長が戦死した状態で訓練になる。外出者がおみやげを準備しないとしばらく戦死者が増えるのは軍学校と同じだった。
撃破判定をもらって履帯と転輪交換というのはまだなんとかなっても更にやられてバネ系交換とか言われると整備小隊の助けを借りても徹夜になりかねない。いつぞや履帯が切れて丸一日も応援を待ったラジコル大佐の頃とは違って、履帯が切れたぐらいは今は乗員だけでなんとかなるようになり始めていたが、バネ系の交換まではご勘弁いただきたかった。
アルジェンとアウルムは既に納得していた内容だったが、呼びだされた事自体に不服もなく、妹達の言うことを受け入れた。というより、彼女たちも興味があったし、ともかくも家族の問題だった。
みぞおちから裂けた胸骨の間をまるで知恵の輪のように隙間を探り、幾らかステアの体をほころばせ、結晶した体を削りながら硬い宝玉の心臓を収めてみた。あまりに硬くそのままでは鼓動するはずもない心臓は、しかし動き出しそうなほどに精緻に刻まれてはいた。
これまで魔血晶はステアの体に溢れるとしみるようにアリが雨に巣穴に急ぐように潜っていったのだが、今度はそういう風にわかりやすい変化はなかった。心臓が輝くこともなければ蠢くような鼓動もなかった。
地下の空洞のせせらぎが樫の枝から漏れる光に揺れているだけだった。
あまりに拍子抜けするような空振りだった。
「外したほうがいいのかな。置いとくのがいいのかな」
ソラは少し考えるように言った。
実を云えばかなりその気で作った心臓は本当に収まりよくハマったものの、そこから抜こうとすればもちろんまた幾らかステアの体を壊さなければいけなかった。
「しばらく様子を見てみよう。セラムの目はとうとう本当に見えるようになったらしい」
それは四人が四人とも驚いていた。
セラムの立場はリザの親友というよりは従姉妹とか義理の姉妹とかそういう立ち位置にローゼンヘン館ではなり始めていて、大人の女というところだった。似たような位置にいるセントーラとはちょっと違って、セントーラはうちのしごとで一番偉い人、という微妙な感じであるらしい。とはいえその娘も息子も妹弟であることは間違いなくシェラルザードの娘二人もその子供たちも似たようなもんだということになっている。
そのへんは父親が戦争が終わってから説明するということだったので、後回しでいいことにしていた。
シェラルザードは、アーシュラの母親でリザの姉妹っぽいマリールアシュレイとは違うタイプのお姫様っぽい人だった。マリールはこうどっちかというと物語では敵役で出てくる常勝無敗の姫将軍みたいな感じだが、シェラルザードは深窓のお姫様っぽい人でその娘二人もそんな感じだった。
最近は単なる細工物ばかりでなく医者の真似事まで始めるようになった父親は、そういうお姫様をおつきの女の人達とひとまとめにどこからかさらってきたらしいということはなんとなく娘達には見当がついていた。
その理由が戦争に関係あるなら帝国のお姫様なんだなぁ、というところはうっすらと想像がつくところで、夜になるとクスクスと笑うような内容だった。
アルジェンとアウルムは翌日門限一杯で土産を持って帰ることに成功した。
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