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装甲歩兵旅団
ステア 共和国協定千四百四十五年啓蟄
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「それで、母さまはどうなったの」
戦車で荒れ野を一巡りして帰ってくると、少し言葉を探していた様子だったアルジェンが尋ねた。
「まぁどうもなっていない。試して確かめたいことはあったんだが、いろいろ踏ん切りがつかなくてな」
首をめぐらして少し娘を見上げるようにしてマジンは言った。
「リザ様に求婚していることとか」
「まぁ、幾人も子供作っちゃったしな。他にもいるから説明すると驚くだろうな」
「死んじゃっている間のことだもの。許してくれるよ」
「まぁそれはそうだ。と言いたいところだが、試してみたいことというのが、うまくいってもいかなくてもこれまでとは少し違う方法なんで、ちょっとな」
上の二人は病気で倒れたステラの呪いを解くためにマジンが腰をおろす先を求めた結果としてローゼンヘン館を必要としていたことを知っていた。
だが、ステラの体は常識的な形で言えば生命というものを疑うような物性になっている事は二人の娘も知っている。
鼓動も体温もなく見た目の変化もない。
魔法というものがどういうものなのか、魔族と呼ばれる様々を屠ったこともあるマジンにしてからが、それが常の物理現象となにが異なるのか今ひとつ判然としない中、ステラの生きた体を姿形そのままに氷砂糖の如き組成のなにものかに転換させる、などという離れ業はこれを魔法と言わずしてなにを魔法というべきか、という出来事であった。
それは今は物言わぬなにものかの塊になったステラ自身が等身大の複製の彫像を置いていずれかに去ったということであればまだしもなほどで、その奇妙な手妻のタネがやはり魔法だったとしてもそれもまた認めざるをえないほどの、不可思議な現象出来事だった。
結局、田舎というのもバカバカしい土地では満足に魔法や呪いについての研究はおこなえないまま、積み重ねのしやすい機構や化学反応を組み合わせた機械の生産をなんとなく続けることになり、そのための研究成果はそれなりに見られるものにはなっていたが、目的という意味では全く果たしていなかった。
何億万グレノルという資源物資を扱うようになったが、魔血晶について意味があると感じるような内容はこの十数年ほどもかかって何かを得ることはできなかった。
それは学志館の理事として学会の論文を査読する立場になった目的でもあって、デカートは学問に自由を与える努力とその価値についての理解は深まったが、魔法があくまで左道で魔族との争いがデカートではすでに遠い歴史のかなたの物語に消えたことを確認したというに過ぎない。
そこには、かすかに人類史としての魔族との戦争、降魔戦争とも呼ばれる星の海に船出したばかりの人類が星々の海に散り或いは船出を諦めその後、恐らく二万年から十万年ほども苦境のまま戦い、この一万年ほどでようやく恐らくは勝利というべきなにがしかをつかんだらしい、という当然に神話や童話に解けてしまった様々を拾い集めつなぎあわせた物語があるだけだった。
その過程で一時期は数千数百億兆ほども数えた人口は一時数千万から数十万程度まで激減した。
ということらしい。
文明の維持を考えればそれは事実上の文明絶滅で、そのことによって魔族も多くが滅ぶことになった。
今となっては、どういうことなのかを正しく説明することができる状態ではなかったが、高度に発達した様々と魔族が競合融合する過程で、人類と魔族との間での文明の主導権の綱引きのようなことが大規模に起こっていたのではないか、と推測されている。
結果として星々にその版図を広げかけていた人類の文明は、その威力を暴力として人類自身に向けた結果として文明絶滅を辿った。
人類の衰退としては、資源の枯渇と様々な主導権争いによる戦争がその決定的な要因として語られるわけだが、どういう理由にあっても一万分の一に構成人口が縮小することに耐えられる文明は存在しない。
どれほど文明が豊かであったか、という量的に表現することは困難だが、つまりは数億兆の人口を支えられるだけの資材と資源を動かす力があり、その力が人々とその敵に対して等しく向けられる戦いがあり、事実上最後の一兵まで戦う絶滅戦争が争われ、人類が生命資源の枯渇し文明から解かれた地球にまばらに生き残った。
その後、ゆるやかに人々は再び増加傾向を辿ったが、人口で数万分の一か数億分の一かという出来事のあとでは、かつての版図を取り戻すことができるはずもなくなっていた。
魔族というものについて、戦いを挑めるほどに人類が魔族を把握していたかというと、結局は魔法という言葉で理解について諦めている面もあり、極めて重要な敵についていい加減な呼び名を与えている段で、後世の目からは何かがわかっているとも考えにくいわけだが、ともかく人々は龍や巨人が闊歩していた時代を生き残った人々は文明の残滓である魔法を杖に僅かに生き残った。
そもそも龍や巨人がナニモノであるのかさえ、いま正しく知る者は共和国中にいなかった。
降魔戦争や魔族の時代の後、龍と巨人の時代が終わって一万年だか数万年、生き残りの流儀に合わせて様々の文化文明を築いていた人類は、既に互いに全く異なるものになっていて、出会うたびに疑心暗鬼の諍いや戦いを起こしながら、再び理由もなく野に増え始めていた。
なぜそんな数千世代も前の話が伝わっているかといえば、これは一種の人類の勝利であるわけだが、モニュメントが様々な形で宇宙から降ってきており、そこに刻まれた様々を読める人たちがときたまいた。
文明の再発見と再構築を技術の発明と同じく個人に帰することは無意味に過ぎるわけだが、デカートのような相応に古い土地では、そういう様々は幾回も滅び掘り起こされ、という過程を繰り広げていた。
つまりは人々の生活の疲れが文明を押し流し、必要に応じて様々を掘り起こし或いは掘り起こせずに別の文明を、ということを数万数千年繰り返してきていた。
昔語りと云うには迫真に迫り、信頼するにはほころびの多い伝承や記録は、時々の世の賢者たちの信念と苦闘の残光でもあった。
地球と月の間にはかなりの量の星屑、大部分を氷と炭化水素や炭酸ガスというありふれた、しかし本来地球近傍の軌道上ではあまり軌道位置を維持できない種類の星屑が、夜空を見上げると雲のように帯をなしている。
それらは太陽が吹き出す塵による黄道や、更に遠くの星々の銀河の星より遥かに明るく地上を照らしている。三本の天空にかかる帯は微妙に角度を違えて電灯のない地上からは東西を容易に探すことが出来る材料になっていた。水平線に三本の帯が落ち込むところが東と西になる。それが西か東かは北極星を探せばよい。
地球の公転軌道ではパンが焼けるくらいの熱を太陽は数十億年も提供していたから、影の部分でなければ氷が氷として存在はできないのだが、そんなことを無視できるくらいに大量の大雑把に氷といえるような様々が互いに影を作って月と地球に夜空に薄く青く輝く雲をかけていた。
そういう雲がときたま文明の残滓を地上に落としたり、或いは落とされることを前提に投げ上げられたモニュメントが落ちてきたりもしていた。
そういう中に降魔戦争と呼ばれる戦いの歴史が刻まれていた。
結局、魔族の目的や戦争の原因についての説明に至ったものはないようだが、モニュメントの目的はどちらかといえばそういう物語を記録伝承することを目的としたというよりは、もうちょっと生活感のあるハウツーを数百数千数万年後に残そうという、文字通りの年寄りの知恵袋的な内容が多いようで、水の漉し方、炉釜の築き方、鉄や石炭の探し方や火薬の作り方という実用的に差し迫ったものが文字通り星の知恵として絵草紙として蓄えられていた。
物語や詩歌その他のものもそれはもちろん星の数ほどもあったのだろうが、それ自体が高級な材料であるモニュメントは様々に使われて数世代のうちに失われている。
学志館の哲学科の歴史考古資料館や軍都にある博物館には、それらのいくらかが保存されている。
熱やサビに強い合金板に彫金を施された文字盤も文字の流行り廃れに負けたり黒焦げに焦げてとけついて読めないものもいくらか混ざっており、しかし同じ内容のものがいくらもあり、絵が添えられていてそれなりに意味を読み取れるものであったりと、ともかくそういう状態であったが、問題はそのものがなにであるかというよりは、これだけのものを作れた古代の人がなにを思ってなしたかのほうがよほど重要で、およそ哲学科の重大なテーゼでもあった。
一般的にはこれだけの物品を時代を超えた不特定多数に向けてかなりの量で作れた人々が結局年寄りの知恵袋的な、重要ではあるものの比較的卑近な話題を時代を超えた不特定多数に投げかけた理由を考えれば、相当に発達した文明においてなお絶望的な状況があったのだろうということになる。
しかも、その絶望についての十分な説明がないところがかなり根が深い。
実を言えば学志館でマジンが発表している論文そのものは過去に似たような内容が発表されていたし、第一堰堤の規模や構造を考えれば、先人たちが既に最低一回は古代というほどには遠くない過去にいくらかの文明の栄光の残滓に触れていた可能性は高い。
だが、つまるところそういうものを長く扱うにはデカートは小さすぎたということだろう、ということになる。
結局のところ、過去の文明の復活も魔族の研究も、学志館の規模では日々の様々に追われ幾多の有意義への種も埋もれ芽吹くことはできなかった。
今なお学志館が多くの研究者を抱え幾多の論文を発表し続ける場として機能し、学生を学生として受け入れていることのほうがある意味で奇跡であり、デカートの豊かさの矜恃でもある。
人口数十万という規模で学志館を維持できるという奇妙な豊かさはもちろんフラムやソイルそしてザブバル川と北街道という幾つもの要素の積み重ねであるわけで、同時にデカートの人々がそれを生活に受け入れるというまた奇妙な様々があった。
ヴィンゼの開拓も云ってしまえばそういう豊かさの中での思いつきでの試みで実質丸二世代という長いのか短いのかまた微妙な戦いでもあった。
だが、デカートのそういったはっきりと地に足の着いた堅実な優雅さでは、魔導魔法という左道を扱うには様々に不足していて、ステラの復活の何かを探す糧にはならなかった。
軍がおこなっている魔導利用の何やらも実用という意味では奥義に触れることなくすませることで却って実用を高めてゆく方針であるようであるし、アルジェンやアウルムを軍学校に入れたことで彼女らの興味も当然にステラの症例についてのいくらかというものもあったが、軍学校の蔵書の全てを触れることは到底できず、軍での魔導利用は周期的に大きく崩れる砂山のようなものだったから、資料についても大方は非公開というものだった。
更に追うつもりであれば最低でも逓信院に深く関わる必要があった。
マジンとしてはそういう後戻りの難しい深みに自分の娘を突っ込むことへの疑念と、直感としてあまり意味が無いという読みもあって、先づまりを感じていた。
その直感を提供しているのが、マリールの存在ではっきり言えば彼女を呼び戻すことの難易度とステラの復活というものを比べたときにどちらが上かという問題でもあった。
ステラの問題は様々に突き刺さる痛みを感じさせるものではあるのだけれど、既に彼女の死を看取る、看取ったという決着をつけたはずのことで、そこから先はある意味でステラの意志、彼女の計画でもあったから、そこに自分と彼女の娘達以上の何かを巻き込むことは何やらはばかられもした。
とはいえ、マリールの示唆したことも考えれば、新しい方向性についての試みも間違いでないような気はしていた。そしてそれはセラムの義眼のことを考えれば一つの傍証になる。
ごく概念的な疑いを曖昧なまま説明すれば、魔族は願いを形にしたものなのではないかということだ。
なぜそんなことができるのか、なぜそんなものが独立した個になりうるのかは全く分からないが、或いは魂と呼べるような物体であるのかもしれない。
切り結んだこともあるマジンの感触としては魔族は明らかに物体なのだけれど、同時に物体として破壊すると核となる魔血晶をのこして昇華してしまうような性質のもので、物質としてはひどく儚い曖昧なそしてどこにでもあるようななにかで出来ている。ある空間に対して重みのある炎というか、自由に動く氷雪のたぐいというべきか、この世の生き物のような袋のような構造というよりは境界線が曖昧な場のようなもので成り立っていて、それが何かを燃料や食料として消費転換することで場を維持していた。
物体としての魔血晶の物性については、様々な元素類がおおかたの周期表を埋めるだけの試料として手元に溜まり始めてから改めて研究を始めていた。実を言えばこの二三年でようやくというところだが、わかったところがないわけではない。
ステラの復活には魔血晶がなお必要ということであれば、それを作ることが出来ないか、その精製方法の研究でもあったから思いつく限りの様々を試す実験の一環だった。
魔血晶は形を打ち砕くと光というか風というか、高性能火薬の破裂とよく似た反応を示して飛び散るように一気に分解して消えるが、大抵は轟音というほどの音もなく辺りを霜で白くするほどに熱を奪う。
高性能火薬として扱われる結晶の中には衝撃で分子分解するときに吸熱反応をするものもあって、その現象は分解した不安定な分子が超音速の分子分解時の圧力で大気や分解した分子同士で再結合するときに燃焼としてさらなる爆轟と熱を起こす。
結局魔血晶の崩壊には分解した分子なり原子なりがどこへ消えたのかということが大きく謎として残るわけだが、似た何かを探してみれば現象の様子の上では比較的それが近い。
真空中の測定をおこなったこともある。
基本的に三つのケージに包まれている真空ケージはあまり大きな装置ではないが、地上で物質を実験装置にかけて捜査観測をおこなう都合上、深宇宙のようなほんとうの意味での真空を作ることはとても難しい。材料表面からの蒸発なども問題になる。
つまりは作業に支障のない程度の真空を作るための機械であったから、ある程度は測定器の性能に合わせて我慢することが肝要であるわけだが、真空ケージの実力で真空が維持できない材料であるとすれば、材料表面からの蒸発が疑える、その真空傾向の変化で魔血晶の物性が推測できるという試験でもあった。
結果として魔血晶はかなり安定した結晶構造を維持しているという推測ができた。
少なくともこちらはかなり信用のできる真空中の天秤によって、真空中での質量変化はもちろん機器の異常を疑わせる増加も含めて観測できなかったし、蒸発したはずの様々が真空ケージの外に汲み出されるたびに分析器を通っていたはずだが、それにも予定外のなにものかが含まれた兆候は見いだせなかった。
試験の終段として真空中ハンマーで叩き潰したこともあるが、かなり厳密に測定ができるはずの作業室内になにかがあった証拠はなくなっていた。真空ケージの機械の実力では減らないはずの僅かに残っていた圧力が食い込むようになっていたことが魔血晶が消えた証拠でもあった。
質量が崩壊すれば当然にその質量に支えられていた様々が奈落に落ち込むように或いは弾けだされるように飛び出す様々によって巨大な熱やその他の運動へと変わるはずで、ハンマーの打面の温度という形で熱に変わるはずだが、それが随分と少なかったことを除けば熱すら残さなかった魔血晶は尋常ならざる質量であるのかもしれない。
或いは質量が消える際に発生する熱と魔族が消える際に発生する熱がおよそ釣り合った結果として実験室が轟音や光とともに高熱に蒸発することを防いだのかもしれない。
一方でハンマーの打面は真空とおおまかに云える程度にごく僅かな圧力しかない真空室の中でさえ張り付くような平滑度になっていてそれが魔族の存在を示す殆ど唯一の証拠というべき変化であった。
そういう魔血晶の物性とともにステアの遺体についても調査をおこなっていた。
こちらは既にかなりの量と言うか、二パウンあまりの怪しげな量の魔血晶を注いだあとの状態ではあったが、およそ氷砂糖のような物体に置き換わっていた。一般的な現象として骨や筋肉という様々が砂糖に変わるわけはないのだが、ともかく棺の中のステアの体は氷砂糖というのが簡単である状態になっていた。
もちろん体の芯まで確かめたわけではない。彼女の砕けた足首をつなぎあわせたい作業の過程で調べたまでの話であったから、全身がそうなっているのかの確証があるわけではないが、ともかく骨や筋肉があるはずの部位までもが氷砂糖のような組成の何かに変わっていた。
セラムの義眼を作った材料についても調べてみたが、こちらは特になにが起こったというわけでもなかった。ただ、最初の予定では含まれていなかった夾雑物が含まれていてこれが魔族のなにがしかと思わないでもなかったが、出来上がったあとで思いつく限りで調べてみてもそれはつまるところ鉱物の中にしばしばある金属元素であって、宝石宝玉に含まれる成分がしばしばそうであるように人工的に計算づくで作られた結晶は規則性をもった天然の結晶にあるはずの欠落のない美しいと云う意味や価値を見出すには完璧過ぎる構造を持っていた。夾雑物というべき結晶中で色をなす元素は完璧な形で天然材料と同じように振るまい由来や希少性はともかく特殊な何かではなかった。
強いてあげればなぜこれがどこから混じったのかということが問題であるわけだが、その問はある意味でひどく周回遅れに手遅れの問でもあったし、答はマジン自身が知っていた。
魔血晶を石炭灰から精製したコランダムに鋳融かした際に混じったなにものかであった。
これが魔血晶由来の成分だとして成分そのものに意味があるのかないのかを考えれば、希少性そのものはあるものの意味を考えることはバカバカしいほどに陳腐な成分だったし、一方でセラムの義眼に起きた様々を考えれば異常な事態だった。
成分そのものの試料がなかったために事前に計算はできていなかったが、事後の計算で容易に推測がたつそれは魔族の本体ではありえなかった。
実のところを云えば理由がわからずとも再現性があって狙い通りに再現できるなら、原理や真実よりは実用を求めるマジンの立場としては問題がないわけで、そのために義眼をいくつか作ってみた。
希少価値の上では家屋敷と同じくらいの値がつくとしても驚くには当たらないが、つまるところは縁日の飴細工やガラスの船やら動物やらと意味の上では変わらないただの細工物でもある。
その結果が出るとしてなしがしかの成果に結びつくのはしばらく先であるはずだった。
セラムは殆ど一年で兆候に気がつくほどの変化があったわけだが、今のところそこまで明瞭な報告はない。わざわざ義眼を抜くほどの違和感を感じる女たちがいるわけでもない様子でそれはそれで結構なことだったし、必ず同じことが起こると云う確証があるわけでもない。
そういう幾つかをぼちぼちと重ねた結果として心臓を作ってみようかという気分になっていた。
ただ、心臓を作ってステラの体に収めて詰めたとしてそれはせいぜいが奇矯な宝石細工なわけで生身の心臓とも違う、物性から言えば魔血晶ともステアの体とも違う異物でもあり、そもそも成否の判定をいつどのようにおこなうべきなのか全く見当もつかないことになる。
さらに云えば結晶化した胸の穴に硬い心臓を押しこむためには一部を砕いて収めなければならない。
予定想定と異なることばかりでどういうふうにあっても後戻りの難しい作業になる。
心臓そのものはこの数年でマジン自身が振り返って驚くほどに精緻な工作道具が揃い、弁まで再現した心臓の模型を削りだす事のできる機材が完成し実際にそれを使って完全一体成型の心臓を掘り抜くことに成功していた。太い幾つかの血管については弁を含めて穴が通っているほどの精緻なそれは砂糖細工になってしまったステアの体よりもよほど迫真の出来でそうあることに意味があるのか、仮にないとしても今はこれ以上できないという造りになっていた。
とはいえ、ここまでは単に手慰み思いつきの問題で投げ捨てることのできる細工物や調べ物の話で、これを組み付けるかどうかから先はステアの話になる。
そういうわけでマジンとしても踏ん切りのつきにくい判断を保留していた。
うまくゆく自信があるのかと問われればサンナナでダメだろうと考えていたし、サンの結果についても死者復活の物語の多くが示す先行きを考えれば、そうそう楽観もできないだろうとも考えていた。
それにこれはステア自身も言っていたが、ステアを人間として復活させるというよりは、ステアのように振る舞う魔族を作るための儀式術式にほかならない。
魔族を屠る自信と実績はマジンにはあるが、魔族はそれなりに手強くはあるもののヒトのような狡知に長けた戦いを好むというわけでも道具を使うというわけでもない。せいぜいが仲間内の連携をおこなうという程度の戦術で読みの幅がヒトに比べてかなり狭い、獣のようなものだった。
マジンにはめくらまし程度にしか感じない障壁だか結界だかというモノがなければ、凡百の兵士にはまさるがせいぜいが腕自慢をひけらかす達人というところで、初見殺し以上の怖さはない。
様々な手強さがないわけではもちろんないのだが、仮にこれが人類の主敵だったとしてそれほどに恐ろしいものだったのだろうかと疑いさえするものだった。
意図や表情が読めないことの怖さは目的の変化の兆候がつかめないことに意味があるのであって、戦術目的の変化のない敵は実のところそれほど面倒でも怖くもない。
力任せの相手は時間と体力の正面勝負の間に相手の弱点隙を探し衝く猶予があるかないかで決着がつくわけで、一の矢に全てをと云っても結局二の矢の備えがなくては戦いには勝てないという話でもあった。
勝てないほどの相手がいるなら勝たなくても良い方法を見つけるまでが力任せの戦いの必要な局面で、人間の面倒なところはときにそれが腕尽く力づくの強さ弱さと関係なしにひどく上手いことであった。
ステアの戦士としての実力は知らないが、ヒトのような慎重な必死の戦いをおこなう魔族がいたとして戦い方の切り替えがおこなわれるなら、それは戦力を温存してこちらを探り一気呵成の間を図り、或いは逃げ散り或いは押し切りと息を読んだ先の長いものになるはずだった。
切り替えの早さ逃げ足の速さが諦めの悪さに繋がったとき、ヒトはときに強烈な強敵になるのであって、そういう魔族がいるとして対処をするのは相当に難しいはずだった。
そして戦争の決着を考えれば相応に似た相手でなければ、一方が圧倒されて終わることになる。
つまりマジンの懸念というものは、これまで出会った魔族があまりに人間に似ていない、という点にもあった。
もちろん誰かに判断を委ねるにはあまりに曖昧で材料の乏しい話題であったから、最後は自身の意思ということになるわけだが、物事の成行きとして娘達四人には何かしらの意見を聞いておく必要もあった。特に上の二人はステアによくなついていた。
「出来ることがあるならやってみていいんじゃないかな。どうせうまくゆかないかもしれないし、うまくゆくかもしれない」
「母さまが生き返ったとしてなにを話すべきか思いつかないけど、多分いろいろ話したいことは出てくると思う。大きくなったところ見せただけで驚いてくれると思うし、ソラとユエを見せたら絶対喜んでくれる」
二人は成果に期待せず賛成という立場の様子だった。
地下の祭壇はステアの体を収めた棺を由来不明の樫の大樹の根方から少し上げた壇上に据えたもので、どう考えてもそれが地下空洞の樫の木を支えているのだろうという巨大な魔血晶の何かがステアに良い形で影響しないだろうかという、朧気な頼りで設けられたものだった。
結局、今のところ目に見えるほどの何かが起こった気配はないが、礼拝所としてもそれなりの雰囲気でもあるし、今や忙しく人々が動きまわる館の他にどこに置くべきかという話でもあったから、地下深く人々に用のないだろうところに置いていた。
この空洞に繋がる地下湖が地上の水脈とつながっているとして水位が破綻しないのは位置的に奇妙でもあり、他にも様々奇妙なことはあるわけだが、ともかくもいろいろな謎のいくらかがこの地下の大樹に集約されていることは間違いなかった。
とはいえ、分かることとわからないことの難易度という意味では相変わらず魔法絡みは飛び抜けており、日々の割り切りの中では簡単なことから片付けてゆくというものが基本でもあった。
そしてマジンの試みは全く残念な結果に終わる。
戦車で荒れ野を一巡りして帰ってくると、少し言葉を探していた様子だったアルジェンが尋ねた。
「まぁどうもなっていない。試して確かめたいことはあったんだが、いろいろ踏ん切りがつかなくてな」
首をめぐらして少し娘を見上げるようにしてマジンは言った。
「リザ様に求婚していることとか」
「まぁ、幾人も子供作っちゃったしな。他にもいるから説明すると驚くだろうな」
「死んじゃっている間のことだもの。許してくれるよ」
「まぁそれはそうだ。と言いたいところだが、試してみたいことというのが、うまくいってもいかなくてもこれまでとは少し違う方法なんで、ちょっとな」
上の二人は病気で倒れたステラの呪いを解くためにマジンが腰をおろす先を求めた結果としてローゼンヘン館を必要としていたことを知っていた。
だが、ステラの体は常識的な形で言えば生命というものを疑うような物性になっている事は二人の娘も知っている。
鼓動も体温もなく見た目の変化もない。
魔法というものがどういうものなのか、魔族と呼ばれる様々を屠ったこともあるマジンにしてからが、それが常の物理現象となにが異なるのか今ひとつ判然としない中、ステラの生きた体を姿形そのままに氷砂糖の如き組成のなにものかに転換させる、などという離れ業はこれを魔法と言わずしてなにを魔法というべきか、という出来事であった。
それは今は物言わぬなにものかの塊になったステラ自身が等身大の複製の彫像を置いていずれかに去ったということであればまだしもなほどで、その奇妙な手妻のタネがやはり魔法だったとしてもそれもまた認めざるをえないほどの、不可思議な現象出来事だった。
結局、田舎というのもバカバカしい土地では満足に魔法や呪いについての研究はおこなえないまま、積み重ねのしやすい機構や化学反応を組み合わせた機械の生産をなんとなく続けることになり、そのための研究成果はそれなりに見られるものにはなっていたが、目的という意味では全く果たしていなかった。
何億万グレノルという資源物資を扱うようになったが、魔血晶について意味があると感じるような内容はこの十数年ほどもかかって何かを得ることはできなかった。
それは学志館の理事として学会の論文を査読する立場になった目的でもあって、デカートは学問に自由を与える努力とその価値についての理解は深まったが、魔法があくまで左道で魔族との争いがデカートではすでに遠い歴史のかなたの物語に消えたことを確認したというに過ぎない。
そこには、かすかに人類史としての魔族との戦争、降魔戦争とも呼ばれる星の海に船出したばかりの人類が星々の海に散り或いは船出を諦めその後、恐らく二万年から十万年ほども苦境のまま戦い、この一万年ほどでようやく恐らくは勝利というべきなにがしかをつかんだらしい、という当然に神話や童話に解けてしまった様々を拾い集めつなぎあわせた物語があるだけだった。
その過程で一時期は数千数百億兆ほども数えた人口は一時数千万から数十万程度まで激減した。
ということらしい。
文明の維持を考えればそれは事実上の文明絶滅で、そのことによって魔族も多くが滅ぶことになった。
今となっては、どういうことなのかを正しく説明することができる状態ではなかったが、高度に発達した様々と魔族が競合融合する過程で、人類と魔族との間での文明の主導権の綱引きのようなことが大規模に起こっていたのではないか、と推測されている。
結果として星々にその版図を広げかけていた人類の文明は、その威力を暴力として人類自身に向けた結果として文明絶滅を辿った。
人類の衰退としては、資源の枯渇と様々な主導権争いによる戦争がその決定的な要因として語られるわけだが、どういう理由にあっても一万分の一に構成人口が縮小することに耐えられる文明は存在しない。
どれほど文明が豊かであったか、という量的に表現することは困難だが、つまりは数億兆の人口を支えられるだけの資材と資源を動かす力があり、その力が人々とその敵に対して等しく向けられる戦いがあり、事実上最後の一兵まで戦う絶滅戦争が争われ、人類が生命資源の枯渇し文明から解かれた地球にまばらに生き残った。
その後、ゆるやかに人々は再び増加傾向を辿ったが、人口で数万分の一か数億分の一かという出来事のあとでは、かつての版図を取り戻すことができるはずもなくなっていた。
魔族というものについて、戦いを挑めるほどに人類が魔族を把握していたかというと、結局は魔法という言葉で理解について諦めている面もあり、極めて重要な敵についていい加減な呼び名を与えている段で、後世の目からは何かがわかっているとも考えにくいわけだが、ともかく人々は龍や巨人が闊歩していた時代を生き残った人々は文明の残滓である魔法を杖に僅かに生き残った。
そもそも龍や巨人がナニモノであるのかさえ、いま正しく知る者は共和国中にいなかった。
降魔戦争や魔族の時代の後、龍と巨人の時代が終わって一万年だか数万年、生き残りの流儀に合わせて様々の文化文明を築いていた人類は、既に互いに全く異なるものになっていて、出会うたびに疑心暗鬼の諍いや戦いを起こしながら、再び理由もなく野に増え始めていた。
なぜそんな数千世代も前の話が伝わっているかといえば、これは一種の人類の勝利であるわけだが、モニュメントが様々な形で宇宙から降ってきており、そこに刻まれた様々を読める人たちがときたまいた。
文明の再発見と再構築を技術の発明と同じく個人に帰することは無意味に過ぎるわけだが、デカートのような相応に古い土地では、そういう様々は幾回も滅び掘り起こされ、という過程を繰り広げていた。
つまりは人々の生活の疲れが文明を押し流し、必要に応じて様々を掘り起こし或いは掘り起こせずに別の文明を、ということを数万数千年繰り返してきていた。
昔語りと云うには迫真に迫り、信頼するにはほころびの多い伝承や記録は、時々の世の賢者たちの信念と苦闘の残光でもあった。
地球と月の間にはかなりの量の星屑、大部分を氷と炭化水素や炭酸ガスというありふれた、しかし本来地球近傍の軌道上ではあまり軌道位置を維持できない種類の星屑が、夜空を見上げると雲のように帯をなしている。
それらは太陽が吹き出す塵による黄道や、更に遠くの星々の銀河の星より遥かに明るく地上を照らしている。三本の天空にかかる帯は微妙に角度を違えて電灯のない地上からは東西を容易に探すことが出来る材料になっていた。水平線に三本の帯が落ち込むところが東と西になる。それが西か東かは北極星を探せばよい。
地球の公転軌道ではパンが焼けるくらいの熱を太陽は数十億年も提供していたから、影の部分でなければ氷が氷として存在はできないのだが、そんなことを無視できるくらいに大量の大雑把に氷といえるような様々が互いに影を作って月と地球に夜空に薄く青く輝く雲をかけていた。
そういう雲がときたま文明の残滓を地上に落としたり、或いは落とされることを前提に投げ上げられたモニュメントが落ちてきたりもしていた。
そういう中に降魔戦争と呼ばれる戦いの歴史が刻まれていた。
結局、魔族の目的や戦争の原因についての説明に至ったものはないようだが、モニュメントの目的はどちらかといえばそういう物語を記録伝承することを目的としたというよりは、もうちょっと生活感のあるハウツーを数百数千数万年後に残そうという、文字通りの年寄りの知恵袋的な内容が多いようで、水の漉し方、炉釜の築き方、鉄や石炭の探し方や火薬の作り方という実用的に差し迫ったものが文字通り星の知恵として絵草紙として蓄えられていた。
物語や詩歌その他のものもそれはもちろん星の数ほどもあったのだろうが、それ自体が高級な材料であるモニュメントは様々に使われて数世代のうちに失われている。
学志館の哲学科の歴史考古資料館や軍都にある博物館には、それらのいくらかが保存されている。
熱やサビに強い合金板に彫金を施された文字盤も文字の流行り廃れに負けたり黒焦げに焦げてとけついて読めないものもいくらか混ざっており、しかし同じ内容のものがいくらもあり、絵が添えられていてそれなりに意味を読み取れるものであったりと、ともかくそういう状態であったが、問題はそのものがなにであるかというよりは、これだけのものを作れた古代の人がなにを思ってなしたかのほうがよほど重要で、およそ哲学科の重大なテーゼでもあった。
一般的にはこれだけの物品を時代を超えた不特定多数に向けてかなりの量で作れた人々が結局年寄りの知恵袋的な、重要ではあるものの比較的卑近な話題を時代を超えた不特定多数に投げかけた理由を考えれば、相当に発達した文明においてなお絶望的な状況があったのだろうということになる。
しかも、その絶望についての十分な説明がないところがかなり根が深い。
実を言えば学志館でマジンが発表している論文そのものは過去に似たような内容が発表されていたし、第一堰堤の規模や構造を考えれば、先人たちが既に最低一回は古代というほどには遠くない過去にいくらかの文明の栄光の残滓に触れていた可能性は高い。
だが、つまるところそういうものを長く扱うにはデカートは小さすぎたということだろう、ということになる。
結局のところ、過去の文明の復活も魔族の研究も、学志館の規模では日々の様々に追われ幾多の有意義への種も埋もれ芽吹くことはできなかった。
今なお学志館が多くの研究者を抱え幾多の論文を発表し続ける場として機能し、学生を学生として受け入れていることのほうがある意味で奇跡であり、デカートの豊かさの矜恃でもある。
人口数十万という規模で学志館を維持できるという奇妙な豊かさはもちろんフラムやソイルそしてザブバル川と北街道という幾つもの要素の積み重ねであるわけで、同時にデカートの人々がそれを生活に受け入れるというまた奇妙な様々があった。
ヴィンゼの開拓も云ってしまえばそういう豊かさの中での思いつきでの試みで実質丸二世代という長いのか短いのかまた微妙な戦いでもあった。
だが、デカートのそういったはっきりと地に足の着いた堅実な優雅さでは、魔導魔法という左道を扱うには様々に不足していて、ステラの復活の何かを探す糧にはならなかった。
軍がおこなっている魔導利用の何やらも実用という意味では奥義に触れることなくすませることで却って実用を高めてゆく方針であるようであるし、アルジェンやアウルムを軍学校に入れたことで彼女らの興味も当然にステラの症例についてのいくらかというものもあったが、軍学校の蔵書の全てを触れることは到底できず、軍での魔導利用は周期的に大きく崩れる砂山のようなものだったから、資料についても大方は非公開というものだった。
更に追うつもりであれば最低でも逓信院に深く関わる必要があった。
マジンとしてはそういう後戻りの難しい深みに自分の娘を突っ込むことへの疑念と、直感としてあまり意味が無いという読みもあって、先づまりを感じていた。
その直感を提供しているのが、マリールの存在ではっきり言えば彼女を呼び戻すことの難易度とステラの復活というものを比べたときにどちらが上かという問題でもあった。
ステラの問題は様々に突き刺さる痛みを感じさせるものではあるのだけれど、既に彼女の死を看取る、看取ったという決着をつけたはずのことで、そこから先はある意味でステラの意志、彼女の計画でもあったから、そこに自分と彼女の娘達以上の何かを巻き込むことは何やらはばかられもした。
とはいえ、マリールの示唆したことも考えれば、新しい方向性についての試みも間違いでないような気はしていた。そしてそれはセラムの義眼のことを考えれば一つの傍証になる。
ごく概念的な疑いを曖昧なまま説明すれば、魔族は願いを形にしたものなのではないかということだ。
なぜそんなことができるのか、なぜそんなものが独立した個になりうるのかは全く分からないが、或いは魂と呼べるような物体であるのかもしれない。
切り結んだこともあるマジンの感触としては魔族は明らかに物体なのだけれど、同時に物体として破壊すると核となる魔血晶をのこして昇華してしまうような性質のもので、物質としてはひどく儚い曖昧なそしてどこにでもあるようななにかで出来ている。ある空間に対して重みのある炎というか、自由に動く氷雪のたぐいというべきか、この世の生き物のような袋のような構造というよりは境界線が曖昧な場のようなもので成り立っていて、それが何かを燃料や食料として消費転換することで場を維持していた。
物体としての魔血晶の物性については、様々な元素類がおおかたの周期表を埋めるだけの試料として手元に溜まり始めてから改めて研究を始めていた。実を言えばこの二三年でようやくというところだが、わかったところがないわけではない。
ステラの復活には魔血晶がなお必要ということであれば、それを作ることが出来ないか、その精製方法の研究でもあったから思いつく限りの様々を試す実験の一環だった。
魔血晶は形を打ち砕くと光というか風というか、高性能火薬の破裂とよく似た反応を示して飛び散るように一気に分解して消えるが、大抵は轟音というほどの音もなく辺りを霜で白くするほどに熱を奪う。
高性能火薬として扱われる結晶の中には衝撃で分子分解するときに吸熱反応をするものもあって、その現象は分解した不安定な分子が超音速の分子分解時の圧力で大気や分解した分子同士で再結合するときに燃焼としてさらなる爆轟と熱を起こす。
結局魔血晶の崩壊には分解した分子なり原子なりがどこへ消えたのかということが大きく謎として残るわけだが、似た何かを探してみれば現象の様子の上では比較的それが近い。
真空中の測定をおこなったこともある。
基本的に三つのケージに包まれている真空ケージはあまり大きな装置ではないが、地上で物質を実験装置にかけて捜査観測をおこなう都合上、深宇宙のようなほんとうの意味での真空を作ることはとても難しい。材料表面からの蒸発なども問題になる。
つまりは作業に支障のない程度の真空を作るための機械であったから、ある程度は測定器の性能に合わせて我慢することが肝要であるわけだが、真空ケージの実力で真空が維持できない材料であるとすれば、材料表面からの蒸発が疑える、その真空傾向の変化で魔血晶の物性が推測できるという試験でもあった。
結果として魔血晶はかなり安定した結晶構造を維持しているという推測ができた。
少なくともこちらはかなり信用のできる真空中の天秤によって、真空中での質量変化はもちろん機器の異常を疑わせる増加も含めて観測できなかったし、蒸発したはずの様々が真空ケージの外に汲み出されるたびに分析器を通っていたはずだが、それにも予定外のなにものかが含まれた兆候は見いだせなかった。
試験の終段として真空中ハンマーで叩き潰したこともあるが、かなり厳密に測定ができるはずの作業室内になにかがあった証拠はなくなっていた。真空ケージの機械の実力では減らないはずの僅かに残っていた圧力が食い込むようになっていたことが魔血晶が消えた証拠でもあった。
質量が崩壊すれば当然にその質量に支えられていた様々が奈落に落ち込むように或いは弾けだされるように飛び出す様々によって巨大な熱やその他の運動へと変わるはずで、ハンマーの打面の温度という形で熱に変わるはずだが、それが随分と少なかったことを除けば熱すら残さなかった魔血晶は尋常ならざる質量であるのかもしれない。
或いは質量が消える際に発生する熱と魔族が消える際に発生する熱がおよそ釣り合った結果として実験室が轟音や光とともに高熱に蒸発することを防いだのかもしれない。
一方でハンマーの打面は真空とおおまかに云える程度にごく僅かな圧力しかない真空室の中でさえ張り付くような平滑度になっていてそれが魔族の存在を示す殆ど唯一の証拠というべき変化であった。
そういう魔血晶の物性とともにステアの遺体についても調査をおこなっていた。
こちらは既にかなりの量と言うか、二パウンあまりの怪しげな量の魔血晶を注いだあとの状態ではあったが、およそ氷砂糖のような物体に置き換わっていた。一般的な現象として骨や筋肉という様々が砂糖に変わるわけはないのだが、ともかく棺の中のステアの体は氷砂糖というのが簡単である状態になっていた。
もちろん体の芯まで確かめたわけではない。彼女の砕けた足首をつなぎあわせたい作業の過程で調べたまでの話であったから、全身がそうなっているのかの確証があるわけではないが、ともかく骨や筋肉があるはずの部位までもが氷砂糖のような組成の何かに変わっていた。
セラムの義眼を作った材料についても調べてみたが、こちらは特になにが起こったというわけでもなかった。ただ、最初の予定では含まれていなかった夾雑物が含まれていてこれが魔族のなにがしかと思わないでもなかったが、出来上がったあとで思いつく限りで調べてみてもそれはつまるところ鉱物の中にしばしばある金属元素であって、宝石宝玉に含まれる成分がしばしばそうであるように人工的に計算づくで作られた結晶は規則性をもった天然の結晶にあるはずの欠落のない美しいと云う意味や価値を見出すには完璧過ぎる構造を持っていた。夾雑物というべき結晶中で色をなす元素は完璧な形で天然材料と同じように振るまい由来や希少性はともかく特殊な何かではなかった。
強いてあげればなぜこれがどこから混じったのかということが問題であるわけだが、その問はある意味でひどく周回遅れに手遅れの問でもあったし、答はマジン自身が知っていた。
魔血晶を石炭灰から精製したコランダムに鋳融かした際に混じったなにものかであった。
これが魔血晶由来の成分だとして成分そのものに意味があるのかないのかを考えれば、希少性そのものはあるものの意味を考えることはバカバカしいほどに陳腐な成分だったし、一方でセラムの義眼に起きた様々を考えれば異常な事態だった。
成分そのものの試料がなかったために事前に計算はできていなかったが、事後の計算で容易に推測がたつそれは魔族の本体ではありえなかった。
実のところを云えば理由がわからずとも再現性があって狙い通りに再現できるなら、原理や真実よりは実用を求めるマジンの立場としては問題がないわけで、そのために義眼をいくつか作ってみた。
希少価値の上では家屋敷と同じくらいの値がつくとしても驚くには当たらないが、つまるところは縁日の飴細工やガラスの船やら動物やらと意味の上では変わらないただの細工物でもある。
その結果が出るとしてなしがしかの成果に結びつくのはしばらく先であるはずだった。
セラムは殆ど一年で兆候に気がつくほどの変化があったわけだが、今のところそこまで明瞭な報告はない。わざわざ義眼を抜くほどの違和感を感じる女たちがいるわけでもない様子でそれはそれで結構なことだったし、必ず同じことが起こると云う確証があるわけでもない。
そういう幾つかをぼちぼちと重ねた結果として心臓を作ってみようかという気分になっていた。
ただ、心臓を作ってステラの体に収めて詰めたとしてそれはせいぜいが奇矯な宝石細工なわけで生身の心臓とも違う、物性から言えば魔血晶ともステアの体とも違う異物でもあり、そもそも成否の判定をいつどのようにおこなうべきなのか全く見当もつかないことになる。
さらに云えば結晶化した胸の穴に硬い心臓を押しこむためには一部を砕いて収めなければならない。
予定想定と異なることばかりでどういうふうにあっても後戻りの難しい作業になる。
心臓そのものはこの数年でマジン自身が振り返って驚くほどに精緻な工作道具が揃い、弁まで再現した心臓の模型を削りだす事のできる機材が完成し実際にそれを使って完全一体成型の心臓を掘り抜くことに成功していた。太い幾つかの血管については弁を含めて穴が通っているほどの精緻なそれは砂糖細工になってしまったステアの体よりもよほど迫真の出来でそうあることに意味があるのか、仮にないとしても今はこれ以上できないという造りになっていた。
とはいえ、ここまでは単に手慰み思いつきの問題で投げ捨てることのできる細工物や調べ物の話で、これを組み付けるかどうかから先はステアの話になる。
そういうわけでマジンとしても踏ん切りのつきにくい判断を保留していた。
うまくゆく自信があるのかと問われればサンナナでダメだろうと考えていたし、サンの結果についても死者復活の物語の多くが示す先行きを考えれば、そうそう楽観もできないだろうとも考えていた。
それにこれはステア自身も言っていたが、ステアを人間として復活させるというよりは、ステアのように振る舞う魔族を作るための儀式術式にほかならない。
魔族を屠る自信と実績はマジンにはあるが、魔族はそれなりに手強くはあるもののヒトのような狡知に長けた戦いを好むというわけでも道具を使うというわけでもない。せいぜいが仲間内の連携をおこなうという程度の戦術で読みの幅がヒトに比べてかなり狭い、獣のようなものだった。
マジンにはめくらまし程度にしか感じない障壁だか結界だかというモノがなければ、凡百の兵士にはまさるがせいぜいが腕自慢をひけらかす達人というところで、初見殺し以上の怖さはない。
様々な手強さがないわけではもちろんないのだが、仮にこれが人類の主敵だったとしてそれほどに恐ろしいものだったのだろうかと疑いさえするものだった。
意図や表情が読めないことの怖さは目的の変化の兆候がつかめないことに意味があるのであって、戦術目的の変化のない敵は実のところそれほど面倒でも怖くもない。
力任せの相手は時間と体力の正面勝負の間に相手の弱点隙を探し衝く猶予があるかないかで決着がつくわけで、一の矢に全てをと云っても結局二の矢の備えがなくては戦いには勝てないという話でもあった。
勝てないほどの相手がいるなら勝たなくても良い方法を見つけるまでが力任せの戦いの必要な局面で、人間の面倒なところはときにそれが腕尽く力づくの強さ弱さと関係なしにひどく上手いことであった。
ステアの戦士としての実力は知らないが、ヒトのような慎重な必死の戦いをおこなう魔族がいたとして戦い方の切り替えがおこなわれるなら、それは戦力を温存してこちらを探り一気呵成の間を図り、或いは逃げ散り或いは押し切りと息を読んだ先の長いものになるはずだった。
切り替えの早さ逃げ足の速さが諦めの悪さに繋がったとき、ヒトはときに強烈な強敵になるのであって、そういう魔族がいるとして対処をするのは相当に難しいはずだった。
そして戦争の決着を考えれば相応に似た相手でなければ、一方が圧倒されて終わることになる。
つまりマジンの懸念というものは、これまで出会った魔族があまりに人間に似ていない、という点にもあった。
もちろん誰かに判断を委ねるにはあまりに曖昧で材料の乏しい話題であったから、最後は自身の意思ということになるわけだが、物事の成行きとして娘達四人には何かしらの意見を聞いておく必要もあった。特に上の二人はステアによくなついていた。
「出来ることがあるならやってみていいんじゃないかな。どうせうまくゆかないかもしれないし、うまくゆくかもしれない」
「母さまが生き返ったとしてなにを話すべきか思いつかないけど、多分いろいろ話したいことは出てくると思う。大きくなったところ見せただけで驚いてくれると思うし、ソラとユエを見せたら絶対喜んでくれる」
二人は成果に期待せず賛成という立場の様子だった。
地下の祭壇はステアの体を収めた棺を由来不明の樫の大樹の根方から少し上げた壇上に据えたもので、どう考えてもそれが地下空洞の樫の木を支えているのだろうという巨大な魔血晶の何かがステアに良い形で影響しないだろうかという、朧気な頼りで設けられたものだった。
結局、今のところ目に見えるほどの何かが起こった気配はないが、礼拝所としてもそれなりの雰囲気でもあるし、今や忙しく人々が動きまわる館の他にどこに置くべきかという話でもあったから、地下深く人々に用のないだろうところに置いていた。
この空洞に繋がる地下湖が地上の水脈とつながっているとして水位が破綻しないのは位置的に奇妙でもあり、他にも様々奇妙なことはあるわけだが、ともかくもいろいろな謎のいくらかがこの地下の大樹に集約されていることは間違いなかった。
とはいえ、分かることとわからないことの難易度という意味では相変わらず魔法絡みは飛び抜けており、日々の割り切りの中では簡単なことから片付けてゆくというものが基本でもあった。
そしてマジンの試みは全く残念な結果に終わる。
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