石炭と水晶

小稲荷一照

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第四堰堤

マジン二十三才 2

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 マジンがローゼンヘン工業が何事かで共和国軍に疑われていると言っても、正直なところ対策があるわけでもなかった。
 強いてあげれば、軍に協力的であるところを示すくらいでもあるわけだが、度を過ごせばそれも力をひけらかす示威行動と何等差がないわけで、誤解とイチャモンの境界線が曖昧なくらいのことは察せた。
 せいぜいが寄付についての内規がゆるい軍学校に多少の付け届けをすることで、将来の士官たちに好印象をあたえることくらいしか現実的に打てる手は思いつかなかった。
 無線通話機を百台ほど持ち込んでみたのは、写真機が扱えるくらいに化学や工学に素養のある教官や幹部が多く、談話室の壁がなにやら楽しげに賑やかな様子になっていたことからあれば使えるかと思ったからだった。
 館にいる士官たちから聞かされてはいたが、幹部士官はほぼ必ず軍学校で教官任務につくという。参謀本部からも有望な士官が昇進の時期や前線配置の前に実地訓練と指揮指導の適性を確認するために、学生とともに訓練に参加することがある。
 期間も内容も様々で短いと半月から長いと数年とある意味待機所みたいな扱いのところもあるのだが、原則として大隊長以上の部隊長候補や前線高級幹部候補は教官任務につくことになっていて、リザも流産がなければ教官配置が予定されていたという。
 他にも参謀本部勤務を希望する士官は論文研究期間の任務として、軍学校での司書や講師を配置されることが多く、軍学校は必ずしも生徒のための学舎という色合いではないらしい。
 研究内容が医療治療に関わるものであれば、様々な知見が集まりやすい軍という組織は医者や薬師にとってはまさに広大且つ有意義な実習の場でもあったから、医学生や軍医の予備官という者達も多くいた。
 軍学校の図書館にはともかく共和国の軍連絡室が本部に送ってきた綴の形をした書籍が集められていて、その膨大な資料の分類方法と検索方法に関する研究がおこなわれていて、それはある意味でひどく進化した方法でもあった。
 本の内容を、内容の趣旨に応じた分野ごとに分類するという方法で、分野の収蔵数が増えると更に細分を分類するという入れ子型の分類方法で、検索に際しては題名と作者と分類記号という三つの方法で割当の架棚番号を検索するという方法だった。学志館の分厚い綴じの学会発表論文の要旨集やマジンの論文などというものも収蔵されていた。
 アルジェンとアウルムは本が好きで日中時間があると図書館にこもっていることが多い。
 突然訪れたことで二人は自室にいなかった。
 校長と指導教官に寄付の現物を示すと毎回のことながら様々に驚かれた。
 馬や食料などの寄付は多いが、部隊単位で装備できるほどの揃え方をする寄付は珍しい。
 鉄道の話は大本営でも話題になっている様子で参謀本部では亜人や魔道士の共和国軍への組み込み以来の大きな話題になっているという。
 一部の亜人による飛脚を除いて馬以上の速さの伝令は難しく、物資の搬送は馬車に頼るほかない今、新たに馬によらない自動車による貨物輸送が強力な兵站連絡をつなぐようになった。とはいえ、その規模や扱いには難しさが伴っていてしばしば却って管理上の混乱を招いている。実態として自動車のギゼンヌ以外での組織だった運用には様々な行き詰まりが見えていた。
 大方は予想以上に難しい自動車の整備管理上の扱いを軽視したことによる組織管理上の失敗であるが、扱いの規模がこれまでの行李よりも一桁大きく、一旦不調が起った場合に現場による修理がおこなえず、その整備判断が難しい。
 自動車の整備と言っても路外での運用を考えた設計の車体であったから、車軸やそれを支える腕などの可動部分についてしまう泥や下草を洗い落とせばおよそ事足り、必要な物といえばせいぜいたっぷりの湯水とブラシやボロ布ということなのだが、実のところを云えば馬匹はともかく行李の扱いでそこまで手をかけている部隊は少なく、大きな自動車を日々洗えるほどに贅沢に水を使える水の便の良いところは前線にはあまりなかった。
 軍学校でも運用を希望したこともあるが、軍学校に多数寄付された自転車の簡便性を考えると、むしろこちらのほうが直感的な整備が行い易く助かっていた。
 しかしあの圧縮熱機関の複雑さはなんとかならないのか、という話になった。
 何やら自動車で面倒があったらしく、おそらくは機関の不調よりは別の要因を疑えたが、質問の結論だけ言えば圧縮熱機関の扱いにくさは燃料の選定とそこから設定された圧縮比の高さにあった。市場流通している大豆油を燃料として設定した結果として高圧縮による空気温度の上昇を求めることになり、そのことが現場での調整の厄介さを生んでいた。
 また工具や知識が十分にないままに見当違いの部分を分解することで修理不能の故障を引き起こすこともあった。
 扱いの悪いところでは添加剤による事故もあった。燃料の改質と云う名目で添加している事実上の液体火薬は品質の怪しい植物油を燃料として利用可能なものにするための文字通りの添え物であったが、それなりに危険なものだった。ガラスの瓶などに小分けして溶媒を飛ばすと瓶を乱暴に扱うだけで破裂するような液体に変化する。
 それなりの扱いをしていれば、そこまで危険な状態になることは少ないが保管用の瓶でも口を開け放したまま二夏を過ごした容器は爆弾と変わらない状態になっていて、実験室であれば藁屑おが屑や木炭粉を注いで吸わせることで搬送廃棄可能な形に対処ができても、一般なかなかそういうわけにもゆかなかった。
 そういう中でギゼンヌでの運用が順調なのは速成ではあっても整備教育を受け、最低限触って良い所悪いところについての判別がおこなえる整備技能者が二十名ほどおり、その他の者も自分たちの手が出せないことをある程度わかっているということで、無駄な作業で自動車を壊さないで済んでいるからだった。
 一番大きい管理作業上の違いはギゼンヌでは任務から帰還するたびに車輌の点検を行うために車体をひと通り洗っていたことで、更に雨風しのいだ状態で整備をおこなうために専用の車庫も足りないながらいくつかあった。
 洗ったところで新品同然とは当然ゆかないわけだが、定期的に車輌を洗う習慣があることで異常や軽微な破損を発見しやすくなるし、故障の原因として無視できない機構に無理がかかるような位置に泥や石塊を挟んだままにしないですむ。特に雪道の泥混じりの氷はときに石より遥かに固くなっているから、定期的に車軸周りの可動部を洗浄してやることは自動車の不調を防ぐ重要な作業だった。土間であっても屋根と壁のあるところで多少の火の気があれば氷は無理をしないでも落ちてゆく。ギゼンヌの部隊の自動車の稼働率の高さは湯水が自由に使え、車庫という屋根の下で落ち着いて確認がおこなえるという環境にあった。
 自動車はどれも大げさな整備を頻繁に必要とするほどに脆弱な機械でもなかったが、設計通りに機構が動作しないと些細な無理があちこちの軸を壊すことにつながる。
 もちろん戦場の全てでそれが叶うというわけもなかったが、共和国軍が直面している自動車の面倒の大方はそれで決着がつくようなことでもあった。
 そういう機構的なトラブルの他に文字通り圧縮熱機関でも問題は起きていて、そちらは今のところ燃料状況の改善を期待できるような状況でないことが問題の一端だった。
 もっと云えば燃料を管理できる状態でないことが圧縮熱機関の面倒の原因であった。
 石油の精製が順調に進み、燃料として軽油がつかえるようになり始め、空気の圧縮や部品の温度管理が必ずしも機構の機械精度だけに頼らないですむようになると機械構造に多少のゆとりも出てくる。
 圧縮熱機関とその補器や変速機等の重要部分に関しては、湯水が自由に使えない戸外での整備には全く向かない、マジンでさえ戸外の故障現場での重整備はお手上げにした方が面倒が少ないような構造になっていた。結果、重要部を密閉された部品単位での交換を軍には推奨しているが、自動車用の部品を牛馬の荷駄で運ばせる皮肉も、皮肉を笑えるうちまでだった。
 そのためには最低限鉄道による流通体制が構築される必要があったし、一旦鉄道が共和国内を席巻するようになれば設備や知識の流通も始まるようになるはずだった。
 鉄道に対する意気込みは校長や教官にはよくわからなかったが、行李の一週間が半日に半月が一昼夜になるという説明は彼らにも分かりやすかったようだった。
 アルジェンとアウルムはまた大きくなっていた。
 少し大きめに作っていたはずの軍服が丁度良くなっていた。
 折角の機会なのでと外出許可を得て制服を作りに出かけ、博物館を巡っていた。
 デナは訪れたことがあったがボーリトンは初めてで、巨大な龍と巨人の骨格を見て驚いていた。娘二人は時々訪れる好きな施設だったので喜んだが、秘書を連れてこんなところで油を売っていて良いのか、心配そうにしていた。
 今回軍都には会社の幹部たち八十名が来ていて、大本営と州公館で取引に関する様々や合計千人ほどの面接をしているはずだった。
 八十人という大所帯に娘達は驚いていた。
 だが、いまローゼンヘン工業が全社合計で一万二千八百四十名を数えていることを教えると、確認するように軍から退役するものを何人採用するつもりなのか尋ねた。
 計画では軍都で退役軍人を二千名ほど、軍都や各地の法律や状況に詳しい事務関係の書士人材を合計で千名ほどとるつもりでいた。多少増えてもかまわないつもりでいるから最終的にどれくらいになるかは、人事担当者の判断に委ねられている。
 ローゼンヘン工業は電話や自動車などで連絡の効率化は大きく改善されていたが、外の組織とのやりとりは従前と変わらない人海戦術めいた手法が必要で、次第しだいに正攻法を取れる体制を作る必要があった。
 人員の労働と収益の効率が開業当初から急激に薄まってゆくのは皮肉でもあったが、組織の規模が拡大するにつれ中間構造に労力が割かれるのは必然でもあった。
 先日、春風荘で話題になっていたが、共和国軍がローゼンヘン工業の内情を探りたい、というならまさに絶好の機会で相当に優秀な人材を送り込んでくるかもしれなかったが、それもしかたがないと思うくらいには事業の展開は急で、この先の見込みを考えれば軍都到着までは更に加速をし共和国全域への展開に備えて、その後に組織分割ということになるはずだったから、あと三四年で五六万から十万の間の規模に膨れ上がるのは間違いなかった。
 二人の娘はこの期に及んで毎年一万人も人を増やすと云う話をしている正気を疑ったが、第四堰堤の労務者の扱いによっては冗談では済まなかった。
 二千名の退役軍人たちの採用の意味は、鉄道の保安の他に収容所の捕虜たちを使った労務の現場指揮と警備に基幹人員が必要だったからでもある。
 二千の軍人に二千の素人を鍛えさせ、三万の捕虜を使わせて一斉に土木工事を実施するというものが基本的な構想だった。
 そのため二千と言っているが使えそうなら三千でも構わないと言ってある。
 ローゼンヘン工業の長期社債の発行と受け入れは極めて順調であったから、資金余地そのものは十分にあった。
 資金調達期間の間に堰堤完成の目処を建てないと会社の存続が問題になるが、様々に期待する目算はあった。数年先という計画の長期性が心配の種であったが目処そのものはあったし、目処があるなら資本がつきなければなんとかなるというものが事業というものだった。
 鉄道事業はすでに各所で注目を浴び始めていて、一旦ミョルナから衝立山脈を超えてしまえば、その後は敢えて交易路に拘る必要はない。町を作りながら進んでも良くなる。
 鉄道収益を求めるならばセウジエムルから南に伸ばして南街道、更に南に伸ばして沿海街道へと線路を伸ばせば良い。
 それでも北街道にこだわるのは、軍需事業の貫徹というマジンの一種のこだわり、敢えて収益を優先に考えるなら合理性の薄い判断によるものだった。
 戦争終結が見えない間は北街道に集中しつつ、第四堰堤事業をすすめる。
 北街道の軍都到着後はギゼンヌ更にリザールを目指す。
 資金調達期間が終わってなお第四堰堤事業の決着が見込めない場合は、鉄道事業は南街道を優先する。
 それはある意味でデカート州全域の滅亡を意味するものだったから、北街道そのものの存続も疑われる判断にもつながる事態になる。
 マジンの今後の鉄道事業に対する基本指針提示はローゼンヘン工業鉄道の輜重輸送路としての性質を確認したものだった。
 ゴルデベルグ少佐との結婚のために百万丁の機関小銃と二億発の銃弾を軍都に届ける、と云う話は笑い話として幹部たちは全員知っていて、単に憂国愛国とか云うよりはよほどそれらしいと笑ってもいたが、共和国のだらしない戦争の成り行きで知っている顔が百人も死んだとなれば、それなりに腹に渦巻くものもあった。
「我が社が大量の退役軍人を雇用しようと計画したのは、退役軍人の皆さんも戦争の成り行きと展望に不満と不安を持っていらっしゃると考えてのことですが、あなたはこの戦争についてどのようにお考えでしょう」
 などという真意を図りかねる無礼と紙一重の質問が採用担当者から飛び出したのも無理からぬものだった。
 無能と罵ったととられても仕方ない質問に対し、現場の怠慢は感じないが力不足は感じる、現場を知らない銃後の者が無能と判断するもやむを得ない、とリザール湿地帯の陣地から壊滅した聯隊を見捨てて数名の生き残りとともに泥塗れでアタンズに飛び込んだヤツフサ大佐は認めた。
 あの状況でなにが出来たとも思えない、生存こそが唯一の戦果。という文言が正しいと判断できたが、同時に、聯隊を見捨てた、という後悔も拭えなかった。或いは中隊が生き残っていたかもしれない或いは分隊が、というのはリザール陣地を土石流が襲ったあの戦場で生き残った多くの指揮官が考えたことだったし、再編が叶い抵抗を続けた指揮官がひどく粘り強く戦った理由でもあった。
 各地で聯隊の再編成が推められていた。だが様々な理由で師団の増強以外の直接の大規模投入はおこなわれなかった。
 アタンズの解放で後送されたヤツフサ大佐には復仇の機会は与えられなかった。
 現在も各地で聯隊の編成が進められているが、ヤツフサ大佐に部隊幹部への推挙はなかった。
 その前に待命年令が来てしまった。
 後備登録はおこなったものの無職になってしまったヤツフサ大佐は就職課を訪れ、ローゼンヘン工業の面接官の正直な銃後の人々の疑問をつきつけられ、怒りも憤りもなく応えた言葉は、自らが軍人として終わったことを認める言葉だった。
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