146 / 248
第四堰堤
ペラスアイレス収容所 共和国協定千四百四十年新春
しおりを挟む
前線に立つことには多少不安があった後備兵たちも、一旦退役して戻ってみれば兵隊稼業も悪く無い現役申請を改めてしてみるか、と笑うくらいに余裕が出てきたのは年が明けての事だった。
その頃にはようやく収容所警備隊の規模が千八百人に拡充されていて、後備聯隊と共同訓練がなされるようになっていた。また外部の労務者を収容所内に入れずとも作業がおこなえるようになっていた。
訓練における青弾は確かに実弾と弾道のクセが全く異なっていて、実戦に向けた実弾射撃としては首をひねることになることは弾丸の説明や標的射撃などで明らかになっていたが、木片を蝋で固めた弾丸は興奮して走っていると背中から撃たれたことに気が付かない程度に害がなく、正面から掃射される音と光の圧力は害がないことを知っても思わず体が撃たれた衝撃に倒れるような性質のものだった。
警備に当たる者達は防具としての色メガネが配られ着用を求められた。雪原となったことで却って日中の遠目が効かなくなった荒れ野対策でもあるが、訓練弾が直接目に飛び込むことを防ぐための防具でもあった。
捕虜収容所の警備に直接あたる二つの部隊は、訓練の過程で実際に人間を標的とした射撃を互いにおこなうことで急激にその組織としての戦闘力を高めていた。
当初、意見交流を確保するための共同訓練が互いの練度戦力を意識する合戦形式を経たことで、後備兵警備兵としては殆ど例外的に急速に戦技を身に着けていた。それは技術としては看守に必要ない種類のものが多かったが、ともかく兵隊としての質を実感することで緊張や自信をみなぎらせることは悪いことばかりではなかった。
人員の数と訓練の自信に裏打ちされた挙動は、秋ごろの暴動の時期の部隊とは全く異なる体制であることを捕虜たちにも感じさせ、迂闊な挑戦をおこなうことをためらわせていた。実際に暴動以降も小規模な個人的な挑戦はおこなわれていたが、雪が雨で解かされ始める頃にはそれまで暴行からは逃げるばかりだった看守と搬入係が、毅然とした態度で組織的に暴漢の捕縛をおこなうようになっていた。
年越しは様々な報告や宴席でデカートの荘園で一月ほど過ごしたマイルズがようやく帰ってきたのもその頃だった。
刑期と引き換えの刑務兵と治安行政と司法の官僚幹部の一部をおいて軍監の任にあったマイルズエカイン保安官がヴィンゼに帰ってきたのは二年八ヶ月ぶりだった。
その間に故郷で起こっている様々にマイルズ保安官は仰天していたが、納得もしていた。ともかく行きは馬車や歩きで一ヶ月半気分の上では丸二ヶ月をかけた道程が、余り乗り心地上等と言えないものの十日足らずで戻ってこれたときから様々に変化を想像し覚悟もしていたが、デカートの風景はマイルズ卿の記憶の中のものとはだいぶ異なっていた。
ヴィンゼに至っては、それまで当たり前に感じていた我が家が急に百年も経ったかのように感じる様子だった。
マイルズ保安官は収容所の一件はデカートでの戦況報告のながれで詳細を聞いて知っていた。
ともかくも戦場では生き残り、前線の収容所ではそれなりに友好的とは云わないまでも平和裏に過ごしていた人々が牙を剥き、一瞬で五千人を殺す判断になったことに驚いていたが、準備もなく知恵もないままに必要に追われ、始められた捕虜収容事業と落ち着く間のない駆け足の送致事業を考えれば、混乱の冷めやらぬ捕虜が不安から暴動を起こし、備えのない看守が身を守るために殺す、ということは成り行きの必然でもあった。
或いはこの悶々とした気分こそが帝国軍のデカートに対する攻撃であるのかもしれない。
マイルズ保安官は保安官補として指名したジュールからこの二年半の街での事件のあらましを聞き、幾人かが死んで幾人かが増えた式の報告で町の人口が十倍になっていることと、税務収益が二百倍になっていることに仰天していた。だが、増加の大過半はローゼンヘン工業と館北の労務鑑別所での人口増であることを知ると、気が抜けたように笑った。
収容所での亡命希望者や保護対象者を鑑別している労務鑑別所は、帝国軍人軍属やその家族或いは正規の身分なくとも帝国軍に協力的な立場だった捕虜たちが、あたかも鶏のつつき合いのような様相で捕虜収容所から弾き出された者達を受け入れていた。
当初二千五百を受け入れ四千の心積りで準備していた様々が、雪解けの頃には六千で不安になる有様だった。
冬の間は自らの敗残に憤りを我が事としていた軍人たちも、我身に故あってのことと無能を噛みしめることで忠節を忍んでいたが、春になってもしばしば自ら望んで送られてくる無残な有様の同胞臣民たちの有様を見るに内情の訴えを聞くに、疑うことも恐れ多いことながら国体を支える摂政元勲ひいては玉体御自らの御聖断の経緯と過誤に疑念を生ずることになっていった。
後からやってきた者達の幾らかはもともと人品定かならぬ者共でもあり、帝国領内であっても碌でなしと言えるような、鑑別所の立ち上げに安息を求めた軍人たちが敵ながら衷心から亡命や解放を軽々におこなわないほうが良いとする者共でもあったが、残りの多くは様々な些細な疑いを煤のように振りかけられ、いつしか憎悪と悪罵を投げつけられることになった不遇の人々であった。
この理不尽な追い出しは組織だった意図を持っていることは間違いなく、或いは捕虜たちの一派の生活利益のためであることは疑いようもないわけだが、軍人たちの憤りをさておいても収容所内の自治が期待できない状態であることは容易に理解ができた。
ともあれ前線の負担を軽くするための収容所事業であったから投げ捨てることもできず、デンジュウル大議員による大上段の演説で共和国全土の度肝を抜いたことで一切合財が有耶無耶になっているが、初夏になるまでに義勇兵の交代補充と捕虜送致再開の目処を示すようにと年のかわらぬうち帰還の義勇兵の到着前から頻繁に軍都のデンジュウル大議員御自らの督促が送られていた。
一見軽薄な三流役者じみたところのあるデンジュウル大議員だったが、その実油断ならぬ俊才で元老であったものが、遠目早耳と鬼謀を疎まれて軍都に送り込まれた経緯がある。
国家の中枢にほど近い伏魔殿に住まうその立場を本人は甚く気に入っている様子で、祖国の為に尽力をしているが、気まぐれな人柄も本国では知られており、自身の要求を無為に反故にされたとすれば我慢をする努力もしない人物であった。
その人物が初夏までと云えば、状況は春のうちに何らかの決着の筋道をつける必要があった。
義勇兵の問題は様々な経緯もあり計画が建てられるくらいの、或いは予算の使い途があるくらいの計画が立てられた。
デカートの好景気が周辺に伝わり春先雪解けから労働者が職を求め訪れ始めたことがある。デカートの好景気の噂そのものは、風聞としての戦争の雰囲気空気の転換などで様々なかたちであちこち膾炙されることになっていたが、出向くまで保つものかと疑いを持たれていた。
ところがどうやら軍需と関わりがあるらしく、戦争はまだ長引きそうであるという観測がデカートに取引を持つ商会を中心に訳知り顔の人々の間で広がりだすと、ならばひょっとしてとデカートに足を向ける気になった訳知り顔の人々が増えてきた。
もともとデカートはそれなりにそろっていて流れ着き落ち着くにはいい土地であったから、季節労働を求めた人々がいつしか住み着くことで都市人口を増やし減らしとしていたが、義勇兵の出征やローゼンヘン工業の爆発的な人員拡大が無産階級を吹き溜まらせていた街区の入れ替えを進め、流れ者が居着く余地を増やしていたことも大きい。
デカートに流れ着いたものの先行きの宛もない者達を、土間の隅に溜まった埃を掃くようにして義勇兵が集められたのは、春の終わりの暖かな風が季節の入れ替わりのついでに様々な花を散らした頃であった。
そこに鑑別所に一旦保護され亡命の意志について確認され、軽薄な理由や相応の覚悟で亡命を希望した者たちが千人余り参加することになった。決心を試されると言っても義勇兵の任務の多くは治安維持や捕虜の看守という、直接祖国と銃火を交わさないでいい立場にあることが鬱屈した鑑別所の生活を脱出する機会と収監者たちには比較的気楽に考えられた。
様々な判断の結果として鑑別所全体の雰囲気の好転もあった。
雪解けから春の終わりまでの二ヶ月余りほどの訓練期間を他の義勇兵とともに荒れ野の後備聯隊との戦争ごっこに興じたことで、帝国軍の敗残兵が退役軍隊経験者としての自覚と自信を取り戻し、あからさまに素人の寄せ集めである義勇兵の中核として信頼と人望を実感することで、様々に落ち着きを取り戻していた。
元帝国軍の将兵たちにとって後備聯隊との訓練は物足りないものであったが、音を鳴らしフニャけたロウと木っ端を飛ばすだけの玩具であれ、ともかく銃声や風をきる弾の出る銃を握り丘を駆け野に伏し、敵情を探り取り付き殲滅する、というもはや死んだと思った軍人としての自分を取り戻す機会になった。
彼らは二度の大きな失敗を短期間に経験していたが、それは必ずしも彼らの責任ではないと彼らは無力ではないと感じさせる契機にもなった。
立場が人を鋳出す、とすれば敗残に虜囚となり同胞に蹴り詰られることになった帝国軍人たちは、義勇兵という鋳型で少なくとも自らの地金の出来について信じるべきものを見出すことになった。錆金は肉を崩し痩せさせるが鋳熔かしなおせば、より良い材料にもなる。
初夏と言うにはやや早い春の終わり、まだ山に花が残る時期にデカート州義勇兵聯隊は交代分を見込んだ一回り大きな規模でギゼンヌに到着し旅団本部と合流した。既に着任から二年半を経ていた第二聯隊は徴募間もない新兵で構成されているはずの補充の第一聯隊の出来に肩を並べる同僚として相当の不安を持っていたが、思いの外精悍に見えることを驚き頼もしく感じていた。
速成というのも愚かしい、服を与えられて訓練代わりに徒歩でギゼンヌを目指すことで軍隊風味の集団に整えていたデカート州義勇兵旅団は、軍事的素養の最低限をそれなりに身につけた形で補強され麦の穂が青くなり始めたギゼンヌに帰ってきた。
二年半に渡って辛抱強く治安を支えてくれた軍監のマイルズ卿が交代したことは業績を頼もしく識るラトバイル大佐にとっては残念なことだったが、各州での捕虜受け入れが進み十八万ほどの捕虜が後送されたことで、前線の捕虜は二十万を割るほどになっていたことである程度努力の成果が見え始めてもいた。
ラトバイル大佐は既にデカートの収容所で起きた暴動が大議会での事件を引き起こした事について承知していて、六千の死亡者について残念に思っていたが、ギゼンヌで捕虜の死が毎年その程度出ている必然を受け入れてもいて、上手くゆかなかったことよりは先のことに目を向けるくらいには戦争の現場の事務向きに慣れ始めていた。
ともかく全く杓子定規に義勇兵を解放するために帰郷した義勇兵聯隊が、予定通りの日程で新規補充されたことの方が、前線の共和国軍にとって喜ばしい報せだった。
デカート州にとっての問題は捕虜の送致と管理の事業の方だった。
瘴気荒野の捕虜収容所の自治状態は好転の見込みが殆ど無かった。
事情は複雑だが理由として絡むところは、恐怖と暴力が統治における便利な通貨であるという点が大きい。
全く無産階級のつくる暗黒街の論理であるが、幸先の見通しも頼るべき根拠もない文明から見捨てられた人々にとっては当然の選択でもあったし、それ以外の選択が可能であるという根拠がないことが渦のように二万人を今や割り込んだ人々を自ら捕えていた。
それは全く成り行きとはいえ、自らの成立ちを思い出していた軍人たちとは対照的に先の見えない泥沼を作っていた。
収容所内の土地は痩せこけたものではあったが、二万からの人々の汚穢はそれなりの肥としてそれまでなかった苔の群生を作るくらいには土地を豊かにしていた。
しかし雪も消え、何処かから種をこぼした野草が花を咲かせても、かつての農民たちは農具を手に取ろうとはしなかった。
別に誰かが禁止していたわけではない。
だが、なんとなく労務を率先しておこなうことをためらわせる空気が充満し、実際に労務をおこなう者の忘恩を卑しむ風潮があった。
労務、と仮に云っても誰かに管理強制されたわけではないから、実のところそれは労務に当たらない趣味の運動のようなものであるが、生産活動全般に言外の禁忌を感じさせる空気が蔓延していた。
そして軍人が粗方消えたことで状況が好転したかと思いきや、今度は小作人が狩りの対象になり始めた。開拓者にお追従の奴隷根性はいらないということであるらしいが、きちがいの妄言であることは大方の者がわかっていてもそれを糺すことも難しい状態だった。
冬までの六ヶ月間で二万人の捕虜を送致すると云う計画の通達に訪れたマジンに、あまりの急展開に怯えたホムラ男爵が収容所内の自治状況を報告し対策を求めた。
対策と言っても思いつくところはなかった。
せいぜいがつかれるまで働かせて、夜寝かせるを繰り返し、無駄な体力を削るくらいの提案しかできない。
組織だった労務を収容所内の自治として自律的におこなうこと。
強制労働を自主的に率先しておこなうことを奨めた。
敵である共和国に従うなぞ帝国臣民として承服しかねるという側近面をした老人に肩をすくめ、ともかく要件としての視察と通告は完了したことでマジンはその場を去った。
その頃にはようやく収容所警備隊の規模が千八百人に拡充されていて、後備聯隊と共同訓練がなされるようになっていた。また外部の労務者を収容所内に入れずとも作業がおこなえるようになっていた。
訓練における青弾は確かに実弾と弾道のクセが全く異なっていて、実戦に向けた実弾射撃としては首をひねることになることは弾丸の説明や標的射撃などで明らかになっていたが、木片を蝋で固めた弾丸は興奮して走っていると背中から撃たれたことに気が付かない程度に害がなく、正面から掃射される音と光の圧力は害がないことを知っても思わず体が撃たれた衝撃に倒れるような性質のものだった。
警備に当たる者達は防具としての色メガネが配られ着用を求められた。雪原となったことで却って日中の遠目が効かなくなった荒れ野対策でもあるが、訓練弾が直接目に飛び込むことを防ぐための防具でもあった。
捕虜収容所の警備に直接あたる二つの部隊は、訓練の過程で実際に人間を標的とした射撃を互いにおこなうことで急激にその組織としての戦闘力を高めていた。
当初、意見交流を確保するための共同訓練が互いの練度戦力を意識する合戦形式を経たことで、後備兵警備兵としては殆ど例外的に急速に戦技を身に着けていた。それは技術としては看守に必要ない種類のものが多かったが、ともかく兵隊としての質を実感することで緊張や自信をみなぎらせることは悪いことばかりではなかった。
人員の数と訓練の自信に裏打ちされた挙動は、秋ごろの暴動の時期の部隊とは全く異なる体制であることを捕虜たちにも感じさせ、迂闊な挑戦をおこなうことをためらわせていた。実際に暴動以降も小規模な個人的な挑戦はおこなわれていたが、雪が雨で解かされ始める頃にはそれまで暴行からは逃げるばかりだった看守と搬入係が、毅然とした態度で組織的に暴漢の捕縛をおこなうようになっていた。
年越しは様々な報告や宴席でデカートの荘園で一月ほど過ごしたマイルズがようやく帰ってきたのもその頃だった。
刑期と引き換えの刑務兵と治安行政と司法の官僚幹部の一部をおいて軍監の任にあったマイルズエカイン保安官がヴィンゼに帰ってきたのは二年八ヶ月ぶりだった。
その間に故郷で起こっている様々にマイルズ保安官は仰天していたが、納得もしていた。ともかく行きは馬車や歩きで一ヶ月半気分の上では丸二ヶ月をかけた道程が、余り乗り心地上等と言えないものの十日足らずで戻ってこれたときから様々に変化を想像し覚悟もしていたが、デカートの風景はマイルズ卿の記憶の中のものとはだいぶ異なっていた。
ヴィンゼに至っては、それまで当たり前に感じていた我が家が急に百年も経ったかのように感じる様子だった。
マイルズ保安官は収容所の一件はデカートでの戦況報告のながれで詳細を聞いて知っていた。
ともかくも戦場では生き残り、前線の収容所ではそれなりに友好的とは云わないまでも平和裏に過ごしていた人々が牙を剥き、一瞬で五千人を殺す判断になったことに驚いていたが、準備もなく知恵もないままに必要に追われ、始められた捕虜収容事業と落ち着く間のない駆け足の送致事業を考えれば、混乱の冷めやらぬ捕虜が不安から暴動を起こし、備えのない看守が身を守るために殺す、ということは成り行きの必然でもあった。
或いはこの悶々とした気分こそが帝国軍のデカートに対する攻撃であるのかもしれない。
マイルズ保安官は保安官補として指名したジュールからこの二年半の街での事件のあらましを聞き、幾人かが死んで幾人かが増えた式の報告で町の人口が十倍になっていることと、税務収益が二百倍になっていることに仰天していた。だが、増加の大過半はローゼンヘン工業と館北の労務鑑別所での人口増であることを知ると、気が抜けたように笑った。
収容所での亡命希望者や保護対象者を鑑別している労務鑑別所は、帝国軍人軍属やその家族或いは正規の身分なくとも帝国軍に協力的な立場だった捕虜たちが、あたかも鶏のつつき合いのような様相で捕虜収容所から弾き出された者達を受け入れていた。
当初二千五百を受け入れ四千の心積りで準備していた様々が、雪解けの頃には六千で不安になる有様だった。
冬の間は自らの敗残に憤りを我が事としていた軍人たちも、我身に故あってのことと無能を噛みしめることで忠節を忍んでいたが、春になってもしばしば自ら望んで送られてくる無残な有様の同胞臣民たちの有様を見るに内情の訴えを聞くに、疑うことも恐れ多いことながら国体を支える摂政元勲ひいては玉体御自らの御聖断の経緯と過誤に疑念を生ずることになっていった。
後からやってきた者達の幾らかはもともと人品定かならぬ者共でもあり、帝国領内であっても碌でなしと言えるような、鑑別所の立ち上げに安息を求めた軍人たちが敵ながら衷心から亡命や解放を軽々におこなわないほうが良いとする者共でもあったが、残りの多くは様々な些細な疑いを煤のように振りかけられ、いつしか憎悪と悪罵を投げつけられることになった不遇の人々であった。
この理不尽な追い出しは組織だった意図を持っていることは間違いなく、或いは捕虜たちの一派の生活利益のためであることは疑いようもないわけだが、軍人たちの憤りをさておいても収容所内の自治が期待できない状態であることは容易に理解ができた。
ともあれ前線の負担を軽くするための収容所事業であったから投げ捨てることもできず、デンジュウル大議員による大上段の演説で共和国全土の度肝を抜いたことで一切合財が有耶無耶になっているが、初夏になるまでに義勇兵の交代補充と捕虜送致再開の目処を示すようにと年のかわらぬうち帰還の義勇兵の到着前から頻繁に軍都のデンジュウル大議員御自らの督促が送られていた。
一見軽薄な三流役者じみたところのあるデンジュウル大議員だったが、その実油断ならぬ俊才で元老であったものが、遠目早耳と鬼謀を疎まれて軍都に送り込まれた経緯がある。
国家の中枢にほど近い伏魔殿に住まうその立場を本人は甚く気に入っている様子で、祖国の為に尽力をしているが、気まぐれな人柄も本国では知られており、自身の要求を無為に反故にされたとすれば我慢をする努力もしない人物であった。
その人物が初夏までと云えば、状況は春のうちに何らかの決着の筋道をつける必要があった。
義勇兵の問題は様々な経緯もあり計画が建てられるくらいの、或いは予算の使い途があるくらいの計画が立てられた。
デカートの好景気が周辺に伝わり春先雪解けから労働者が職を求め訪れ始めたことがある。デカートの好景気の噂そのものは、風聞としての戦争の雰囲気空気の転換などで様々なかたちであちこち膾炙されることになっていたが、出向くまで保つものかと疑いを持たれていた。
ところがどうやら軍需と関わりがあるらしく、戦争はまだ長引きそうであるという観測がデカートに取引を持つ商会を中心に訳知り顔の人々の間で広がりだすと、ならばひょっとしてとデカートに足を向ける気になった訳知り顔の人々が増えてきた。
もともとデカートはそれなりにそろっていて流れ着き落ち着くにはいい土地であったから、季節労働を求めた人々がいつしか住み着くことで都市人口を増やし減らしとしていたが、義勇兵の出征やローゼンヘン工業の爆発的な人員拡大が無産階級を吹き溜まらせていた街区の入れ替えを進め、流れ者が居着く余地を増やしていたことも大きい。
デカートに流れ着いたものの先行きの宛もない者達を、土間の隅に溜まった埃を掃くようにして義勇兵が集められたのは、春の終わりの暖かな風が季節の入れ替わりのついでに様々な花を散らした頃であった。
そこに鑑別所に一旦保護され亡命の意志について確認され、軽薄な理由や相応の覚悟で亡命を希望した者たちが千人余り参加することになった。決心を試されると言っても義勇兵の任務の多くは治安維持や捕虜の看守という、直接祖国と銃火を交わさないでいい立場にあることが鬱屈した鑑別所の生活を脱出する機会と収監者たちには比較的気楽に考えられた。
様々な判断の結果として鑑別所全体の雰囲気の好転もあった。
雪解けから春の終わりまでの二ヶ月余りほどの訓練期間を他の義勇兵とともに荒れ野の後備聯隊との戦争ごっこに興じたことで、帝国軍の敗残兵が退役軍隊経験者としての自覚と自信を取り戻し、あからさまに素人の寄せ集めである義勇兵の中核として信頼と人望を実感することで、様々に落ち着きを取り戻していた。
元帝国軍の将兵たちにとって後備聯隊との訓練は物足りないものであったが、音を鳴らしフニャけたロウと木っ端を飛ばすだけの玩具であれ、ともかく銃声や風をきる弾の出る銃を握り丘を駆け野に伏し、敵情を探り取り付き殲滅する、というもはや死んだと思った軍人としての自分を取り戻す機会になった。
彼らは二度の大きな失敗を短期間に経験していたが、それは必ずしも彼らの責任ではないと彼らは無力ではないと感じさせる契機にもなった。
立場が人を鋳出す、とすれば敗残に虜囚となり同胞に蹴り詰られることになった帝国軍人たちは、義勇兵という鋳型で少なくとも自らの地金の出来について信じるべきものを見出すことになった。錆金は肉を崩し痩せさせるが鋳熔かしなおせば、より良い材料にもなる。
初夏と言うにはやや早い春の終わり、まだ山に花が残る時期にデカート州義勇兵聯隊は交代分を見込んだ一回り大きな規模でギゼンヌに到着し旅団本部と合流した。既に着任から二年半を経ていた第二聯隊は徴募間もない新兵で構成されているはずの補充の第一聯隊の出来に肩を並べる同僚として相当の不安を持っていたが、思いの外精悍に見えることを驚き頼もしく感じていた。
速成というのも愚かしい、服を与えられて訓練代わりに徒歩でギゼンヌを目指すことで軍隊風味の集団に整えていたデカート州義勇兵旅団は、軍事的素養の最低限をそれなりに身につけた形で補強され麦の穂が青くなり始めたギゼンヌに帰ってきた。
二年半に渡って辛抱強く治安を支えてくれた軍監のマイルズ卿が交代したことは業績を頼もしく識るラトバイル大佐にとっては残念なことだったが、各州での捕虜受け入れが進み十八万ほどの捕虜が後送されたことで、前線の捕虜は二十万を割るほどになっていたことである程度努力の成果が見え始めてもいた。
ラトバイル大佐は既にデカートの収容所で起きた暴動が大議会での事件を引き起こした事について承知していて、六千の死亡者について残念に思っていたが、ギゼンヌで捕虜の死が毎年その程度出ている必然を受け入れてもいて、上手くゆかなかったことよりは先のことに目を向けるくらいには戦争の現場の事務向きに慣れ始めていた。
ともかく全く杓子定規に義勇兵を解放するために帰郷した義勇兵聯隊が、予定通りの日程で新規補充されたことの方が、前線の共和国軍にとって喜ばしい報せだった。
デカート州にとっての問題は捕虜の送致と管理の事業の方だった。
瘴気荒野の捕虜収容所の自治状態は好転の見込みが殆ど無かった。
事情は複雑だが理由として絡むところは、恐怖と暴力が統治における便利な通貨であるという点が大きい。
全く無産階級のつくる暗黒街の論理であるが、幸先の見通しも頼るべき根拠もない文明から見捨てられた人々にとっては当然の選択でもあったし、それ以外の選択が可能であるという根拠がないことが渦のように二万人を今や割り込んだ人々を自ら捕えていた。
それは全く成り行きとはいえ、自らの成立ちを思い出していた軍人たちとは対照的に先の見えない泥沼を作っていた。
収容所内の土地は痩せこけたものではあったが、二万からの人々の汚穢はそれなりの肥としてそれまでなかった苔の群生を作るくらいには土地を豊かにしていた。
しかし雪も消え、何処かから種をこぼした野草が花を咲かせても、かつての農民たちは農具を手に取ろうとはしなかった。
別に誰かが禁止していたわけではない。
だが、なんとなく労務を率先しておこなうことをためらわせる空気が充満し、実際に労務をおこなう者の忘恩を卑しむ風潮があった。
労務、と仮に云っても誰かに管理強制されたわけではないから、実のところそれは労務に当たらない趣味の運動のようなものであるが、生産活動全般に言外の禁忌を感じさせる空気が蔓延していた。
そして軍人が粗方消えたことで状況が好転したかと思いきや、今度は小作人が狩りの対象になり始めた。開拓者にお追従の奴隷根性はいらないということであるらしいが、きちがいの妄言であることは大方の者がわかっていてもそれを糺すことも難しい状態だった。
冬までの六ヶ月間で二万人の捕虜を送致すると云う計画の通達に訪れたマジンに、あまりの急展開に怯えたホムラ男爵が収容所内の自治状況を報告し対策を求めた。
対策と言っても思いつくところはなかった。
せいぜいがつかれるまで働かせて、夜寝かせるを繰り返し、無駄な体力を削るくらいの提案しかできない。
組織だった労務を収容所内の自治として自律的におこなうこと。
強制労働を自主的に率先しておこなうことを奨めた。
敵である共和国に従うなぞ帝国臣民として承服しかねるという側近面をした老人に肩をすくめ、ともかく要件としての視察と通告は完了したことでマジンはその場を去った。
0
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる