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捕虜収容所
デカート州 共和国協定千四百三十九年立春
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その年は明ける前からデカートではちょっとした騒ぎになっていた。
デカートの天蓋の外側にちょっとした基地を構えていた共和国軍の駐屯地に、一週間あまりで鉄橋がかけられ、丘向こうから鉄道が大量の鉄材を運び線路を敷いてから、毎日鉄道がついでのように二両づつ貨車を切り離してゆくようになった。
去年の今頃であれば、赤子が乳をせがむように弾丸を欲していた共和国軍も、ひとまずの落ち着きを見せていた。夏頃までは入れ替わりしつつ、数を増やし続けていた常時数千ほどいる行李の殆どが東に向けて進発していたが、雪が降り積もる中、月に五百かそこらは西や南に向けて進発するようになっていた。共和国の現在の戦争相手国は東の大国である帝国だったが、西に敵対的な国家がないわけではないし、南街道や沿岸部は常に匪賊とも野盗ともつかない不穏分子が跋扈してもいた。
軍都より東は相変わらず馬匹に余裕がなく、糧秣を無闇に求めている様子だったが、銃弾に関しては時たまキンカイザ止まりになったり、またウモツ止になったりと多少状況に余裕が出てきている様子だった。尤もウモツ城塞はイズール山地の北端で山地出口の拠点の一つだったから、後方とはいえ戦闘地帯でイズール山地で行動があった帝国軍を検索する、山岳部隊の北方基地だった。
全体に共和国の東側一帯で起きている戦争はどうやら下火になり始めたと、戦場から遠くデカートでは見え始めたいうことでもある。
それまでは毎週数百もデカート新港に屯して壁のような長い列を市場か何かのように築いていた共和国軍輜重隊が、毎日数十という地場の者たちがまだ我慢できる規模になったことが一つの兆候だった。
年が変わってひと月してデカートの北側に最初の鉄道駅ができた。
鉄道は朝乗ればその日の日没前にフラムに到着する、という乗り物だった。
ヴィンゼという田舎町に用がある者は殆どいなかったが、フラムまで同じ座席に座っていることに耐えられなくとも、朝から昼まで乗ってヴィンゼで降りて折り返して帰ってくる、という物見遊山で一日を潰すというのは、ちょっとした遊興旅行としては気の利いたものに感じられたので、普段駅馬車で何日も旅をすることもしない人々が軽い冒険と散財のつもりで、デカートからヴィンゼに足を向けた。
同じデカートと言っても天蓋の北の外側は南からだと歩けば宿が欲しくなる距離で歯噛みしていたが、春になる前に天蓋の外に一周ぐるりと鉄道が走り、カノピック大橋の下流の丘の上からむこうにめがけて巨大な鉄橋がかかりデカート新港に駅が出来上がり、ということが同時に起こっていた。
デカート環状線は一周約二十リーグに三十二の駅ができ、一時間半で一周した。
天蓋の内側は様々に地権が入り組んでいて、いまさら買い取ることも難しいというのが、環状線が外側を巡っている理由だったが、天蓋の外側は富裕層の本宅や別邸が多く立ち並んでいて、そういう彼らがお互いの家を手軽に行き来する手段として鉄道は喜ばれた。
環状線の鉄道駅は土地の取得の都合上、必ずしも拓けた場所に設けられたわけではないが、結果としてすみやかに再整備が推められることになった。
デカートの工房にとっての大きな出来事もあった。ある種の人達にとっては待望だった、ローゼンヘン工業の新工房がデカート新港に完成した。
ローゼンヘン工業の本社との直通電話回線を持つそこは、ローゼンヘン館と同じものが買える強力な支店でもあった。
新港のローゼンヘン工業はこれまでの工房とは決定的に違うものをデカートに売り出し始めた。
鉄道で運び込まれる石炭を骸炭に変え鉄を製材しながら余剰の熱で電気を生産し、鉄道駅を拠点にデカート市内全域に電気の販売を始めた。
電気と鉄鋼製材のどちらが主で従だというのはなかなか難しい。
この四年間で機関車がジリジリと数を増やし、デカート市内ではさして珍しくはなくなり始めていた昨今だったが、未だに誰にでも手に入るというものではなかった。
ローゼンヘン工業がデカート市内に電灯を販売すると鉄道駅を通じて告げたのは、ローゼンヘン工業の製品に挑戦する工房主の多くが機関車にオマケのようについている電灯の便利を悔しさとともに実感し、富裕層の多くが電灯の煌めきをあちこちで求めるようになり、その便利のもたらす手間に面倒を感じ始めていた時期だった。
線路の整地工事が終わり鉄道路線がどこを走るかが誰の目にも明らかになった頃、百キュビットほどの間隔で電灯の灯りが線路を点々と照らしていた。
郊外からの工事を追っている者は少なかったが、人のいない荒野であっても灯りが線路にそって百キュビット間隔で灯され線路を照らしていた。
人が通らない夜道を照らすことの贅沢を羨ましく不思議に思っていた人々は、電灯がランプに比べ云うほど高くない値段で手に入ることに少し驚いていた。
デカートを襲った春の出来事はそれだけではなかった。
電話回線が一般向けに販売されることになった。
電話というものについては昨年の夏のうちに学志館の学会で事業化を含め概要を説明していたが、当然にそのことを理解したものは少なかった。だが、電灯を自前で求めるような殆どの商会では電話を早速に加入し始めた。
これまで玄関口までたどり着かなければ商談も御用聞きもできなかったものが、帳場で帳面を開きながら商談ができるようになる、ということは番頭にとっては夢の様な魔法のような道具だった。
デカート市内の鉄道駅にそって十七の電話局と公官庁向けの専用局を設けたが、公官庁の反応はかなり鈍いものだった。
軍の連絡室も幾人か学会に士官を送り込んでいた割には予算化が手間取っている様子だったが、リザが三種配置でデカートの出張所に赴任するや自分の予算権限で出張所の設備整備を始める中で予算に組み込み、連絡室の二十の全ての机と駐屯地の五つの建物に電話回線を敷いた。
デカートの軍連絡室の机の上にはタイプライターと電話機が並ぶようになりライノタイプが業務上のまとまった印刷をおこなえるようになり、市内の要件はわざわざ出かけるまでもなく粗方が確認できるようになった。
駐屯地と連絡室の連絡が自在になったことでいちいち五リーグの道のりを往復する用が減り、デカート市内での発注分についての確認が発注先の商会の番頭に直接行うことができるようになった。木で鼻をくくったようなやりとりのために兵隊を走らせる必要がなくなり、責任の落とし所をつけられる相手に直接話ができることは、様々に話が早く終る事になった。
曖昧な口約束が引き起こす別の面倒は当然に引き起こされたが、ともかくわざわざ足を向ける何時間かの口約束すら出来ない空費というものはかなり減ることになった。
事務伝達や確認が多い窓口業務に電話回線が必須になるのは殆ど自明だったが、今のところデカート市行政司法は電話回線の導入には消極的だった。
やりとりの内容の記録が取れない、というのが主な理由だったが、屋舎の回線施工に二週間前後かかるというのがもう一つの問題だった。
もちろん他にも様々な理由が存在していた。
一部の部局が予算名目を流用する形で電灯工事をおこなったことが問題になったことも影響していた。
本館から切り離される形で存在していた司法局六課が最初に電話回線を手に入れたのもそういう理由からだった。六課は射撃場にも独自の回線を引いていて、そちらは公官庁専用局ではなく市内局からの回線だった。
そこに何か意図があったかといえば、お互いの一種の勘違いがあって、民間の射撃場だと思って回線施工してしまったというだけだった。
一万あれば足りるだろうと専用局を設けた公官庁向けの電話回線は軍と河川事務所と司法局六課だけという些か空回り気味に始まった。
物珍しさから電話を敷いてみた一般の人々も、最初の月は誰に電話をかけたものか、と思っていたが毎月発行される電話番号帳に友人の名前を見つけるや、やあやあキミもか、と電話をかけるようになっていった。
市内町中では馬を維持するのも面倒で、出歩く範囲なぞ決まってしまうものだが、相手の番号がわかればとりあえず戸口の声は聞けるとなれば、随分と気楽にやりとりができるようになる。気楽さが伝わると友人付き合いに電話はすぐに必須のものになっていった。
鉄道駅や飲食店などの人の集まるところでは通話券式の公衆電話が準備され、出先からも電話がかけられるようになり始めると、電話で呼び出すちょっとした宴会が気楽に設けられるようになり、盛り場の勢いが増すようになった。
電話が結んでいた先はデカート市内だけではなかった。
鉄道があってさえ丸一日がかりのフラムを電話の相手先として呼び出すこともできた。
実のところを言えば、電話回線の販売が始まったのはデカートよりもフラムのほうがふたつきほど早かった。
フラム駅でも骸炭の乾留窯と併設された発電所が建設され電話回線と電灯が販売され始めていた。
山の中に孤立しがちな鉱山主は実は最低限の連携連絡は求めてはいて、電話回線の販売が始めると殆ど同時に飛びつくように回線を求めた。
年末に訪れたローゼンヘン館への奇妙な憧憬が後押ししたのは間違いないところだったが、ともかくも鉄道工事よりもよほどに難事業でもあった電話回線工事は地域の測量と並行した形で推められ、鉱山組合に多くの測量実績を積み上げさせ、フラムの税収に想像以上の増加を果たすことになった。
鉱山主にとってはそういう歯噛みするような出来事もあったが、電話回線によってあちこちが実際の距離を飛び越える形で大きく近づいたことは遥かに有意義だった。
とくに鉱山組合が毎日一回連絡をよこす業務確認連絡は鉱山主にとっては耳障りでありながら命綱のようなものでもあった。山深い道はしばしば積雪や崩落事故などで不通になり、食料燃料の備蓄が尽きる前に往来の復旧を急ぐことが命の分かれ目になった。
鉱山組合のロンパル理事が元老院の付き合いで小型の土木機械を手に入れたのは鉄道工事のためではなかった。
延々馬車一両分がやっとの山道の崩落に備えての事だった。
金山銀山という射幸心で運営されている鉱山は概ね家族だけで掘っているような小さな鉱山だった。温泉でも掘り当てられればめっけものという採算が取れるはずもないような鉱山では町への往来は馬車一両でも贅沢なくらいで、それでも山に籠るためには馬車が必要という当人たちにとっては苦渋の決断として、どんな小さな鉱山でも人が歩くにはやや太い道ができている。
そういう山師一家の命綱であるのが鉱山組合だった。
フラム鉱山組合は無頼の徒が廃鉱を根城にするのを防いだり、鉱山が孤立することを防ぐために、デカートの司法行政の出張所を常設して、常時千人体制で連絡体制を準備していた。たかだか人口五万の町としてはかなりの大掛かりだったが、入り組んだ迷路のような山岳地ではたったの千人という数だった。
細く入り組んだ山道では軽機関車でもまだ不満で結局は馬の方が使い手があるが、大きく荷を通せる道を開くには機械が欲しい、という流れで小型のパワーショベルを三台、ローゼンヘン工業から寄付を願った。
元はデモンストレーターとしてフラムに持ち込んだが、鉱山の穴蔵を掘るには適さないとそっぽを向かれたモノをロンパル理事がご寄付いただけないかと引き取った逸品だった。この冬早くも除雪作業に強力な威力を発揮して大手の鉱山主達からは改めて引き合いが出始めていた。
フラムは豪雪地帯というわけではないが、それでも当たり前に踝から膝くらいまでは埋まる深さに雪は積もり、馬車の他にソリが準備されるような土地ではあったし、街道通用の除雪は山岳地域全体の死活にも関わっていた。
フラム鉱山組合は百台寄贈された無線通信機を二百台買い増して、フラム周辺の山岳地帯の往来確保にあたっていた。人が持ち運べる無線通信機は見通しのない山岳部では信用できない面も多かったが、それでも呼子や拳銃よりは役に立つ機械だった。
その甲斐あってか、例年冬場には落ち込む採掘実績が今年はだいぶ緩やかになっていた。
その一方で鉄道開通を受けてデカートからの温泉を目当てにした湯治客が大きく増えていた。
大口顧客であるローゼンヘン工業が石炭を買い支え、骸炭を事実上の廃棄物として、相場の高止まりの結果値上がりした石炭よりも僅かに安く販売し続けたことで、鉄道沿線では石炭に混ぜて骸炭を使うようになり始めていた。だがそれよりも便利で新しい燃料として石炭ガスの販売をローゼンヘン工業が始めると、料理店の厨房や火力の欲しい工房はこぞって燃料のガス化を始めた。
耐圧殻を鋳鉄で支えたボンベは軽いものではなかったが、軽輸送車で入り組んだ路地にも毎月配達が及び電話で対応もしてくれる、とあれば電話が敷けるくらいの一般家庭もすぐに便利に浴することになった。
フラムとデカートの発電所の調整にも石炭ガスは使われていたが、ローゼンヘン館と違って電灯や電話目的の発電ばかりでは今のところ出力にはかなりの余裕があった。
冬から春にかけてデカートの一般家庭を襲った嵐のような脅威はもう一つあった。
ローゼンヘン工業の事業の拡大を受けて雇用募集が三千人規模でおこなわれた。
周辺農地の季節労働者が多くを占めていたデカート市内からは多くの雇用希望者が殺到した。金銭面での待遇は普通だったが、今より良い暮らしができるんじゃないかと期待した者たちが多かった。
実のところ、ローゼンヘン工業の嵐のような一年を乗り切った者達の多くは身なりはかなり上等だった。
揃いの服装で揃いのタイを絞めている社員たちは体格や表情は様々だったが、ゾロリとした壁のような存在感があり、軍隊じみた隙のない雰囲気を与えていた。
内情を言えば、激しい勢いで展開する業務内容に二千からいる社員の殆どは自らも目を回していたが、役者の初演はそんなものだ、というゲリエ社主の言葉にそんなものかと思いながら命じられたことをおっつけやっているだけだった。
鉄道の運行と路線の拡大、骸炭釜の運転と発電事業、電灯送電線の敷設管理、電話線の敷設と電話局の管理、石炭ガスの供給配達交換。事業窓口。
たったの二千人では到底回るわけのない規模になっていた。それでもなんとかなっていたのは、あまりに先端的で誰も彼もが驚いていて、どんなものかこんなものかと思っていた中で、ゲリエ社長ひとりが迷わず指揮を取り続けていたからだった。
写真と説明の印刷された業務手引書が配られ、ひどくのんびりした雰囲気のゲリエ村で実務研修をおこなってからの現場配置であるので右も左も分からないということではないが、たかだか数週間で自信がつくわけはなかった。
フラムに鉄橋が架かって現場の達成感が頂点に達した翌週、作業班の半分が呼び戻された。デカート側の進捗が遅いのかと少し話題になったが、デカート班でも約半数が呼び戻されていた。
肉体労働に適性の低いながらも頑張っていた人員の殆どが新事業に回されることになった。それでも最初と最後は体力勝負というのは荒野の掟のようなものだった。
ゲリエ社主から改めて将来計画について告げられた配置転換予定者は目を輝かせた数秒後にそのバラ色の計画を誰が実施するというのかという難題に衝突した。
道具と材料は用意する。方法は教える。客と舞台はすぐに決まる。
そう云われてしまえば、嫌も応もなかった。
亜人奴隷の収容集落として始まったゲリエ村は、今では冷暖房完備上下水道電話電気ガス敷設済み学校鉄道駅から徒歩圏新聞配達ありという共和国内としては破格の水準の生活環境を整備されるに至っていた、どこか気の抜けた雰囲気のある土地だった。
僅かにふたつきで彼らは疑問に感じることもできないままに享受していた機能の意味の一端と整備の手順を学んだところで鉄道駅の整備と称して実地研修についた。
デカート新港の整備から環状線の開通まではめまぐるしいという言葉では足りない程に全てがいっぺんに動いていた。
年明けから少ししてフラム駅の完成を契機にフラムでの電話と電灯工事の受付が始まり、僻地については鉱山組合の支援も受けて、急ピッチで実績が積まれていった。
発電所と電話局の稼働は順調だったが、それぞれの電線の敷設は山を超えての難事業だった。
フラム駅の工事が終わり、鉄道がフラムとデカートの間を走りだすとデカートの風景の変化は更に加速した。
デカートでも発電所が稼働を始め、電話局の加入件数が順調に数字を伸ばし始めた中、新規人員の教育が速成でゲリエ村でおこなわれ、ひよこの鑑別のような方法で鉄道造成と電線敷設管理の人員がまわされ、駅員が増員され、発電所の副産物事業が立ち上がった。
発電所でも電話局でも機械そのものの操作はひどく整理され自動化が進んでいたので、人員のやるべきことは年内は社長に電話をする。ということだったが、人員の拡充後、教育をおこなう、という予定もあった。
それぞれに機能目的編、基礎理論編、装置構造編、操作実務編、整備点検編、復旧修理編、と便覧が存在していたが、各分冊三百ページを超えるテキストを十分に読みこなした者はまだいなかった。
酷いものだと誰もが思ったが、それでも動き始めれば機能するほどに整理されていた。
殆どの機械類は立ち上がって右から左に目をやって、操作実務編の教科書通りに声を出して計器を読み上げて、操作パネルにまっすぐ座って番号通りに操作をしてゆけば機能するようになっていた。機械操作の重要な仕事は計器の針の位置を記録することと計器の針が突然変動したら連絡することだった。
基本的には同じような内容でも、鉄道運転手は拠点管理者に比べれば百倍も激務だった。
環状線鉄道は停車信号や線路の異常、他の鉄道が同じ区間にいることを検知すると停車するようになっていたし、線路区間速度表示以上には加速できないような半自動速度制御が線路に組み込まれていた。
それでも鳥や獣が線路に突っ込んでくることがあったり、時には人間が面白半分で柵を超えて堤を登って線路に立ち入ることがあった。
時間通り正確に遅れず早まらず運転をすることを求められつつ、運転手の苦労を知らない乗客や客ですらない人々に様々な苦労をさせられていた。
実地評価が少ない鉄道運行は可能なかぎりの準備をしてはいたが、様々に不足を示していた。だが一方で環状線という短い時間に同じ行程を何度も行き来する構造は運転訓練や知見の蓄積には向いているようでもあった。
フラムからデカートまでのデカート線はもっと激務だった。ローゼンヘン港口で乗務員の交代機会はあるが、その後フラムまでは六時間休憩無しだった。長距離鉄道用に副運転手席を設け、複数名で運転乗務にあたってはいるが、夜や悪天候ではなかなかの重労働だった。
自動速度制御機構はローゼンヘン工業の列車がタービン発電機関車であることから全く普通に実用されていた。
長距離運行に対する乗員の疲労軽減は当初から重大課題だった。
貨物自動車による長距離運行に比べて操作そのものは単純であるものの扱い量も数十倍から数百倍になる鉄道輸送はミスに対する責任が巨大になる。鉄道工事のための飯場と現場の往復でさえ小さな事故は頻繁に起きている中で、今も不定期におこなわれている軍都への納品の特別便が気楽な旅と云うはずもなかった。商隊に死者は出ていないが、事故や事件は幾らかあって、救援隊が編成された事件もあった。
運転手個人に責任を求めることはどうやっても不可能になることから、理解可能な限りの設備投資の努力が必要になる。鉄道建設というのは広大な共和国に対して百万丁の小銃を確実に送りつけるために絶対必須の社会投資だとローゼンヘン工業では位置づけていた。
社主が求婚の約束のために百万丁の小銃を共和国軍に納品する話は、ローゼンヘン工業ではありふれた法螺話として知られていた。
広大であるそして人口が薄く小さく寄り添っている共和国は必ずしも貧しい国ではなかったが、その広大さこそがしばしば人々を苦しめてもいた。
とくに共和国の人口地域外の無法は重大に織り込む必要があった。
既に鉄道路線は二百リーグほどになっていて、計画されているだけで千リーグほどという全域を人の目で監視することは現実的でないと判断されている。警備車を接続した武装列車を運行するにあたっても、脱線を避け機先を制して反撃するための準備は必要だったが、警備を沿線に張り巡らせることは不可能だった。沿線をいつ起こるかわからない事件事故を監視するような人員がいるなら新しい事業に人を回したいというのが、今のローゼンヘン工業の状態だった。
鉄道線路の監視は電話事業の延長で対策が取られることになった。
鉄道線路の脆弱を襲撃者側が利用するなら、その脆弱を襲撃者検知に利用するというのがローゼンヘン鉄道の自動速度制御機構と線路断線監視機構である。断線監視は線路堰堤に沿った柵の負荷変位と断線監視通報と線路そのものの破断監視通報の二段階でおこなわれ、駅司令による信号灯表示とは別に自動的に一リーグ区間について無線による時刻とカウンター報告がなされている。
時刻やカウンターのズレがあると部分的な断線の疑いが予想されるために、徐行速度で運行をおこない、非通知区間は進入禁止となる。列車に組み込まれている鉄道警備隊が先行して路線の確認に出動することになる。
長距離列車の場合は応急要員が区間状況を確認の上、運行判断するとしていた。フラム・デカート線はヴィンゼ線とは違って長距離運行路線の実証線であった。
幸いなことにと云うべきか、フラム・デカート線の多くの区間は住民と呼ぶべきものもなく、往来もまばらな地域であったから実態として線路の柵を破ったり線路が切られたりということはなかった。
ただフラムからデカートまで急ぎの用があったり物見遊山だったり或いは商いのために鉄道を使う人達が、物寂しい変化の乏しい景色や窓に映る顔を眺めやがてそれも飽きて、寝て起きると目的地に着くと云うだけの路線である。
しかし早舟を使っても五日で着くことはなかなか難しいフラムとデカートの間を一晩で駆け抜ける鉄道の威力というものは、一度使えばすぐに誰にでも分かるような衝撃でもある。駅馬車と大して変わらない金額で翌日には現地につくという気楽さであれば、商談の形は大きく変わったし、フラムは温泉地としても知られていた。
鉄道に乗るまでデカートの天蓋の中を動くほうが今は大変なくらいで、鉄道旅行はたちまちにデカートの市井の人気になった。
そういうデカートが何やら様々華やかな変化を戸惑いながら受け入れつつある中で、奇妙な一群の人々が新港から鉄道に押し込められるようにしてどこかに運ばれたことに、意識を巡らせるるものはいなかった。
とくに近所の人が消えたということもなかったし、増えたということもなかったからだ。
デカートの天蓋の外側にちょっとした基地を構えていた共和国軍の駐屯地に、一週間あまりで鉄橋がかけられ、丘向こうから鉄道が大量の鉄材を運び線路を敷いてから、毎日鉄道がついでのように二両づつ貨車を切り離してゆくようになった。
去年の今頃であれば、赤子が乳をせがむように弾丸を欲していた共和国軍も、ひとまずの落ち着きを見せていた。夏頃までは入れ替わりしつつ、数を増やし続けていた常時数千ほどいる行李の殆どが東に向けて進発していたが、雪が降り積もる中、月に五百かそこらは西や南に向けて進発するようになっていた。共和国の現在の戦争相手国は東の大国である帝国だったが、西に敵対的な国家がないわけではないし、南街道や沿岸部は常に匪賊とも野盗ともつかない不穏分子が跋扈してもいた。
軍都より東は相変わらず馬匹に余裕がなく、糧秣を無闇に求めている様子だったが、銃弾に関しては時たまキンカイザ止まりになったり、またウモツ止になったりと多少状況に余裕が出てきている様子だった。尤もウモツ城塞はイズール山地の北端で山地出口の拠点の一つだったから、後方とはいえ戦闘地帯でイズール山地で行動があった帝国軍を検索する、山岳部隊の北方基地だった。
全体に共和国の東側一帯で起きている戦争はどうやら下火になり始めたと、戦場から遠くデカートでは見え始めたいうことでもある。
それまでは毎週数百もデカート新港に屯して壁のような長い列を市場か何かのように築いていた共和国軍輜重隊が、毎日数十という地場の者たちがまだ我慢できる規模になったことが一つの兆候だった。
年が変わってひと月してデカートの北側に最初の鉄道駅ができた。
鉄道は朝乗ればその日の日没前にフラムに到着する、という乗り物だった。
ヴィンゼという田舎町に用がある者は殆どいなかったが、フラムまで同じ座席に座っていることに耐えられなくとも、朝から昼まで乗ってヴィンゼで降りて折り返して帰ってくる、という物見遊山で一日を潰すというのは、ちょっとした遊興旅行としては気の利いたものに感じられたので、普段駅馬車で何日も旅をすることもしない人々が軽い冒険と散財のつもりで、デカートからヴィンゼに足を向けた。
同じデカートと言っても天蓋の北の外側は南からだと歩けば宿が欲しくなる距離で歯噛みしていたが、春になる前に天蓋の外に一周ぐるりと鉄道が走り、カノピック大橋の下流の丘の上からむこうにめがけて巨大な鉄橋がかかりデカート新港に駅が出来上がり、ということが同時に起こっていた。
デカート環状線は一周約二十リーグに三十二の駅ができ、一時間半で一周した。
天蓋の内側は様々に地権が入り組んでいて、いまさら買い取ることも難しいというのが、環状線が外側を巡っている理由だったが、天蓋の外側は富裕層の本宅や別邸が多く立ち並んでいて、そういう彼らがお互いの家を手軽に行き来する手段として鉄道は喜ばれた。
環状線の鉄道駅は土地の取得の都合上、必ずしも拓けた場所に設けられたわけではないが、結果としてすみやかに再整備が推められることになった。
デカートの工房にとっての大きな出来事もあった。ある種の人達にとっては待望だった、ローゼンヘン工業の新工房がデカート新港に完成した。
ローゼンヘン工業の本社との直通電話回線を持つそこは、ローゼンヘン館と同じものが買える強力な支店でもあった。
新港のローゼンヘン工業はこれまでの工房とは決定的に違うものをデカートに売り出し始めた。
鉄道で運び込まれる石炭を骸炭に変え鉄を製材しながら余剰の熱で電気を生産し、鉄道駅を拠点にデカート市内全域に電気の販売を始めた。
電気と鉄鋼製材のどちらが主で従だというのはなかなか難しい。
この四年間で機関車がジリジリと数を増やし、デカート市内ではさして珍しくはなくなり始めていた昨今だったが、未だに誰にでも手に入るというものではなかった。
ローゼンヘン工業がデカート市内に電灯を販売すると鉄道駅を通じて告げたのは、ローゼンヘン工業の製品に挑戦する工房主の多くが機関車にオマケのようについている電灯の便利を悔しさとともに実感し、富裕層の多くが電灯の煌めきをあちこちで求めるようになり、その便利のもたらす手間に面倒を感じ始めていた時期だった。
線路の整地工事が終わり鉄道路線がどこを走るかが誰の目にも明らかになった頃、百キュビットほどの間隔で電灯の灯りが線路を点々と照らしていた。
郊外からの工事を追っている者は少なかったが、人のいない荒野であっても灯りが線路にそって百キュビット間隔で灯され線路を照らしていた。
人が通らない夜道を照らすことの贅沢を羨ましく不思議に思っていた人々は、電灯がランプに比べ云うほど高くない値段で手に入ることに少し驚いていた。
デカートを襲った春の出来事はそれだけではなかった。
電話回線が一般向けに販売されることになった。
電話というものについては昨年の夏のうちに学志館の学会で事業化を含め概要を説明していたが、当然にそのことを理解したものは少なかった。だが、電灯を自前で求めるような殆どの商会では電話を早速に加入し始めた。
これまで玄関口までたどり着かなければ商談も御用聞きもできなかったものが、帳場で帳面を開きながら商談ができるようになる、ということは番頭にとっては夢の様な魔法のような道具だった。
デカート市内の鉄道駅にそって十七の電話局と公官庁向けの専用局を設けたが、公官庁の反応はかなり鈍いものだった。
軍の連絡室も幾人か学会に士官を送り込んでいた割には予算化が手間取っている様子だったが、リザが三種配置でデカートの出張所に赴任するや自分の予算権限で出張所の設備整備を始める中で予算に組み込み、連絡室の二十の全ての机と駐屯地の五つの建物に電話回線を敷いた。
デカートの軍連絡室の机の上にはタイプライターと電話機が並ぶようになりライノタイプが業務上のまとまった印刷をおこなえるようになり、市内の要件はわざわざ出かけるまでもなく粗方が確認できるようになった。
駐屯地と連絡室の連絡が自在になったことでいちいち五リーグの道のりを往復する用が減り、デカート市内での発注分についての確認が発注先の商会の番頭に直接行うことができるようになった。木で鼻をくくったようなやりとりのために兵隊を走らせる必要がなくなり、責任の落とし所をつけられる相手に直接話ができることは、様々に話が早く終る事になった。
曖昧な口約束が引き起こす別の面倒は当然に引き起こされたが、ともかくわざわざ足を向ける何時間かの口約束すら出来ない空費というものはかなり減ることになった。
事務伝達や確認が多い窓口業務に電話回線が必須になるのは殆ど自明だったが、今のところデカート市行政司法は電話回線の導入には消極的だった。
やりとりの内容の記録が取れない、というのが主な理由だったが、屋舎の回線施工に二週間前後かかるというのがもう一つの問題だった。
もちろん他にも様々な理由が存在していた。
一部の部局が予算名目を流用する形で電灯工事をおこなったことが問題になったことも影響していた。
本館から切り離される形で存在していた司法局六課が最初に電話回線を手に入れたのもそういう理由からだった。六課は射撃場にも独自の回線を引いていて、そちらは公官庁専用局ではなく市内局からの回線だった。
そこに何か意図があったかといえば、お互いの一種の勘違いがあって、民間の射撃場だと思って回線施工してしまったというだけだった。
一万あれば足りるだろうと専用局を設けた公官庁向けの電話回線は軍と河川事務所と司法局六課だけという些か空回り気味に始まった。
物珍しさから電話を敷いてみた一般の人々も、最初の月は誰に電話をかけたものか、と思っていたが毎月発行される電話番号帳に友人の名前を見つけるや、やあやあキミもか、と電話をかけるようになっていった。
市内町中では馬を維持するのも面倒で、出歩く範囲なぞ決まってしまうものだが、相手の番号がわかればとりあえず戸口の声は聞けるとなれば、随分と気楽にやりとりができるようになる。気楽さが伝わると友人付き合いに電話はすぐに必須のものになっていった。
鉄道駅や飲食店などの人の集まるところでは通話券式の公衆電話が準備され、出先からも電話がかけられるようになり始めると、電話で呼び出すちょっとした宴会が気楽に設けられるようになり、盛り場の勢いが増すようになった。
電話が結んでいた先はデカート市内だけではなかった。
鉄道があってさえ丸一日がかりのフラムを電話の相手先として呼び出すこともできた。
実のところを言えば、電話回線の販売が始まったのはデカートよりもフラムのほうがふたつきほど早かった。
フラム駅でも骸炭の乾留窯と併設された発電所が建設され電話回線と電灯が販売され始めていた。
山の中に孤立しがちな鉱山主は実は最低限の連携連絡は求めてはいて、電話回線の販売が始めると殆ど同時に飛びつくように回線を求めた。
年末に訪れたローゼンヘン館への奇妙な憧憬が後押ししたのは間違いないところだったが、ともかくも鉄道工事よりもよほどに難事業でもあった電話回線工事は地域の測量と並行した形で推められ、鉱山組合に多くの測量実績を積み上げさせ、フラムの税収に想像以上の増加を果たすことになった。
鉱山主にとってはそういう歯噛みするような出来事もあったが、電話回線によってあちこちが実際の距離を飛び越える形で大きく近づいたことは遥かに有意義だった。
とくに鉱山組合が毎日一回連絡をよこす業務確認連絡は鉱山主にとっては耳障りでありながら命綱のようなものでもあった。山深い道はしばしば積雪や崩落事故などで不通になり、食料燃料の備蓄が尽きる前に往来の復旧を急ぐことが命の分かれ目になった。
鉱山組合のロンパル理事が元老院の付き合いで小型の土木機械を手に入れたのは鉄道工事のためではなかった。
延々馬車一両分がやっとの山道の崩落に備えての事だった。
金山銀山という射幸心で運営されている鉱山は概ね家族だけで掘っているような小さな鉱山だった。温泉でも掘り当てられればめっけものという採算が取れるはずもないような鉱山では町への往来は馬車一両でも贅沢なくらいで、それでも山に籠るためには馬車が必要という当人たちにとっては苦渋の決断として、どんな小さな鉱山でも人が歩くにはやや太い道ができている。
そういう山師一家の命綱であるのが鉱山組合だった。
フラム鉱山組合は無頼の徒が廃鉱を根城にするのを防いだり、鉱山が孤立することを防ぐために、デカートの司法行政の出張所を常設して、常時千人体制で連絡体制を準備していた。たかだか人口五万の町としてはかなりの大掛かりだったが、入り組んだ迷路のような山岳地ではたったの千人という数だった。
細く入り組んだ山道では軽機関車でもまだ不満で結局は馬の方が使い手があるが、大きく荷を通せる道を開くには機械が欲しい、という流れで小型のパワーショベルを三台、ローゼンヘン工業から寄付を願った。
元はデモンストレーターとしてフラムに持ち込んだが、鉱山の穴蔵を掘るには適さないとそっぽを向かれたモノをロンパル理事がご寄付いただけないかと引き取った逸品だった。この冬早くも除雪作業に強力な威力を発揮して大手の鉱山主達からは改めて引き合いが出始めていた。
フラムは豪雪地帯というわけではないが、それでも当たり前に踝から膝くらいまでは埋まる深さに雪は積もり、馬車の他にソリが準備されるような土地ではあったし、街道通用の除雪は山岳地域全体の死活にも関わっていた。
フラム鉱山組合は百台寄贈された無線通信機を二百台買い増して、フラム周辺の山岳地帯の往来確保にあたっていた。人が持ち運べる無線通信機は見通しのない山岳部では信用できない面も多かったが、それでも呼子や拳銃よりは役に立つ機械だった。
その甲斐あってか、例年冬場には落ち込む採掘実績が今年はだいぶ緩やかになっていた。
その一方で鉄道開通を受けてデカートからの温泉を目当てにした湯治客が大きく増えていた。
大口顧客であるローゼンヘン工業が石炭を買い支え、骸炭を事実上の廃棄物として、相場の高止まりの結果値上がりした石炭よりも僅かに安く販売し続けたことで、鉄道沿線では石炭に混ぜて骸炭を使うようになり始めていた。だがそれよりも便利で新しい燃料として石炭ガスの販売をローゼンヘン工業が始めると、料理店の厨房や火力の欲しい工房はこぞって燃料のガス化を始めた。
耐圧殻を鋳鉄で支えたボンベは軽いものではなかったが、軽輸送車で入り組んだ路地にも毎月配達が及び電話で対応もしてくれる、とあれば電話が敷けるくらいの一般家庭もすぐに便利に浴することになった。
フラムとデカートの発電所の調整にも石炭ガスは使われていたが、ローゼンヘン館と違って電灯や電話目的の発電ばかりでは今のところ出力にはかなりの余裕があった。
冬から春にかけてデカートの一般家庭を襲った嵐のような脅威はもう一つあった。
ローゼンヘン工業の事業の拡大を受けて雇用募集が三千人規模でおこなわれた。
周辺農地の季節労働者が多くを占めていたデカート市内からは多くの雇用希望者が殺到した。金銭面での待遇は普通だったが、今より良い暮らしができるんじゃないかと期待した者たちが多かった。
実のところ、ローゼンヘン工業の嵐のような一年を乗り切った者達の多くは身なりはかなり上等だった。
揃いの服装で揃いのタイを絞めている社員たちは体格や表情は様々だったが、ゾロリとした壁のような存在感があり、軍隊じみた隙のない雰囲気を与えていた。
内情を言えば、激しい勢いで展開する業務内容に二千からいる社員の殆どは自らも目を回していたが、役者の初演はそんなものだ、というゲリエ社主の言葉にそんなものかと思いながら命じられたことをおっつけやっているだけだった。
鉄道の運行と路線の拡大、骸炭釜の運転と発電事業、電灯送電線の敷設管理、電話線の敷設と電話局の管理、石炭ガスの供給配達交換。事業窓口。
たったの二千人では到底回るわけのない規模になっていた。それでもなんとかなっていたのは、あまりに先端的で誰も彼もが驚いていて、どんなものかこんなものかと思っていた中で、ゲリエ社長ひとりが迷わず指揮を取り続けていたからだった。
写真と説明の印刷された業務手引書が配られ、ひどくのんびりした雰囲気のゲリエ村で実務研修をおこなってからの現場配置であるので右も左も分からないということではないが、たかだか数週間で自信がつくわけはなかった。
フラムに鉄橋が架かって現場の達成感が頂点に達した翌週、作業班の半分が呼び戻された。デカート側の進捗が遅いのかと少し話題になったが、デカート班でも約半数が呼び戻されていた。
肉体労働に適性の低いながらも頑張っていた人員の殆どが新事業に回されることになった。それでも最初と最後は体力勝負というのは荒野の掟のようなものだった。
ゲリエ社主から改めて将来計画について告げられた配置転換予定者は目を輝かせた数秒後にそのバラ色の計画を誰が実施するというのかという難題に衝突した。
道具と材料は用意する。方法は教える。客と舞台はすぐに決まる。
そう云われてしまえば、嫌も応もなかった。
亜人奴隷の収容集落として始まったゲリエ村は、今では冷暖房完備上下水道電話電気ガス敷設済み学校鉄道駅から徒歩圏新聞配達ありという共和国内としては破格の水準の生活環境を整備されるに至っていた、どこか気の抜けた雰囲気のある土地だった。
僅かにふたつきで彼らは疑問に感じることもできないままに享受していた機能の意味の一端と整備の手順を学んだところで鉄道駅の整備と称して実地研修についた。
デカート新港の整備から環状線の開通まではめまぐるしいという言葉では足りない程に全てがいっぺんに動いていた。
年明けから少ししてフラム駅の完成を契機にフラムでの電話と電灯工事の受付が始まり、僻地については鉱山組合の支援も受けて、急ピッチで実績が積まれていった。
発電所と電話局の稼働は順調だったが、それぞれの電線の敷設は山を超えての難事業だった。
フラム駅の工事が終わり、鉄道がフラムとデカートの間を走りだすとデカートの風景の変化は更に加速した。
デカートでも発電所が稼働を始め、電話局の加入件数が順調に数字を伸ばし始めた中、新規人員の教育が速成でゲリエ村でおこなわれ、ひよこの鑑別のような方法で鉄道造成と電線敷設管理の人員がまわされ、駅員が増員され、発電所の副産物事業が立ち上がった。
発電所でも電話局でも機械そのものの操作はひどく整理され自動化が進んでいたので、人員のやるべきことは年内は社長に電話をする。ということだったが、人員の拡充後、教育をおこなう、という予定もあった。
それぞれに機能目的編、基礎理論編、装置構造編、操作実務編、整備点検編、復旧修理編、と便覧が存在していたが、各分冊三百ページを超えるテキストを十分に読みこなした者はまだいなかった。
酷いものだと誰もが思ったが、それでも動き始めれば機能するほどに整理されていた。
殆どの機械類は立ち上がって右から左に目をやって、操作実務編の教科書通りに声を出して計器を読み上げて、操作パネルにまっすぐ座って番号通りに操作をしてゆけば機能するようになっていた。機械操作の重要な仕事は計器の針の位置を記録することと計器の針が突然変動したら連絡することだった。
基本的には同じような内容でも、鉄道運転手は拠点管理者に比べれば百倍も激務だった。
環状線鉄道は停車信号や線路の異常、他の鉄道が同じ区間にいることを検知すると停車するようになっていたし、線路区間速度表示以上には加速できないような半自動速度制御が線路に組み込まれていた。
それでも鳥や獣が線路に突っ込んでくることがあったり、時には人間が面白半分で柵を超えて堤を登って線路に立ち入ることがあった。
時間通り正確に遅れず早まらず運転をすることを求められつつ、運転手の苦労を知らない乗客や客ですらない人々に様々な苦労をさせられていた。
実地評価が少ない鉄道運行は可能なかぎりの準備をしてはいたが、様々に不足を示していた。だが一方で環状線という短い時間に同じ行程を何度も行き来する構造は運転訓練や知見の蓄積には向いているようでもあった。
フラムからデカートまでのデカート線はもっと激務だった。ローゼンヘン港口で乗務員の交代機会はあるが、その後フラムまでは六時間休憩無しだった。長距離鉄道用に副運転手席を設け、複数名で運転乗務にあたってはいるが、夜や悪天候ではなかなかの重労働だった。
自動速度制御機構はローゼンヘン工業の列車がタービン発電機関車であることから全く普通に実用されていた。
長距離運行に対する乗員の疲労軽減は当初から重大課題だった。
貨物自動車による長距離運行に比べて操作そのものは単純であるものの扱い量も数十倍から数百倍になる鉄道輸送はミスに対する責任が巨大になる。鉄道工事のための飯場と現場の往復でさえ小さな事故は頻繁に起きている中で、今も不定期におこなわれている軍都への納品の特別便が気楽な旅と云うはずもなかった。商隊に死者は出ていないが、事故や事件は幾らかあって、救援隊が編成された事件もあった。
運転手個人に責任を求めることはどうやっても不可能になることから、理解可能な限りの設備投資の努力が必要になる。鉄道建設というのは広大な共和国に対して百万丁の小銃を確実に送りつけるために絶対必須の社会投資だとローゼンヘン工業では位置づけていた。
社主が求婚の約束のために百万丁の小銃を共和国軍に納品する話は、ローゼンヘン工業ではありふれた法螺話として知られていた。
広大であるそして人口が薄く小さく寄り添っている共和国は必ずしも貧しい国ではなかったが、その広大さこそがしばしば人々を苦しめてもいた。
とくに共和国の人口地域外の無法は重大に織り込む必要があった。
既に鉄道路線は二百リーグほどになっていて、計画されているだけで千リーグほどという全域を人の目で監視することは現実的でないと判断されている。警備車を接続した武装列車を運行するにあたっても、脱線を避け機先を制して反撃するための準備は必要だったが、警備を沿線に張り巡らせることは不可能だった。沿線をいつ起こるかわからない事件事故を監視するような人員がいるなら新しい事業に人を回したいというのが、今のローゼンヘン工業の状態だった。
鉄道線路の監視は電話事業の延長で対策が取られることになった。
鉄道線路の脆弱を襲撃者側が利用するなら、その脆弱を襲撃者検知に利用するというのがローゼンヘン鉄道の自動速度制御機構と線路断線監視機構である。断線監視は線路堰堤に沿った柵の負荷変位と断線監視通報と線路そのものの破断監視通報の二段階でおこなわれ、駅司令による信号灯表示とは別に自動的に一リーグ区間について無線による時刻とカウンター報告がなされている。
時刻やカウンターのズレがあると部分的な断線の疑いが予想されるために、徐行速度で運行をおこない、非通知区間は進入禁止となる。列車に組み込まれている鉄道警備隊が先行して路線の確認に出動することになる。
長距離列車の場合は応急要員が区間状況を確認の上、運行判断するとしていた。フラム・デカート線はヴィンゼ線とは違って長距離運行路線の実証線であった。
幸いなことにと云うべきか、フラム・デカート線の多くの区間は住民と呼ぶべきものもなく、往来もまばらな地域であったから実態として線路の柵を破ったり線路が切られたりということはなかった。
ただフラムからデカートまで急ぎの用があったり物見遊山だったり或いは商いのために鉄道を使う人達が、物寂しい変化の乏しい景色や窓に映る顔を眺めやがてそれも飽きて、寝て起きると目的地に着くと云うだけの路線である。
しかし早舟を使っても五日で着くことはなかなか難しいフラムとデカートの間を一晩で駆け抜ける鉄道の威力というものは、一度使えばすぐに誰にでも分かるような衝撃でもある。駅馬車と大して変わらない金額で翌日には現地につくという気楽さであれば、商談の形は大きく変わったし、フラムは温泉地としても知られていた。
鉄道に乗るまでデカートの天蓋の中を動くほうが今は大変なくらいで、鉄道旅行はたちまちにデカートの市井の人気になった。
そういうデカートが何やら様々華やかな変化を戸惑いながら受け入れつつある中で、奇妙な一群の人々が新港から鉄道に押し込められるようにしてどこかに運ばれたことに、意識を巡らせるるものはいなかった。
とくに近所の人が消えたということもなかったし、増えたということもなかったからだ。
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