石炭と水晶

小稲荷一照

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ローゼンヘン工業

共和国協定審議会 共和国協定千四百三十八年小雪

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 共和国軍は全体に戦況を有利に進め戦線を圧し始めていたが、それは表面上のものだった。
 解放地域を拡大するにつれ次第次第に兵站と民政上の問題が表に出てきていた。
 占領地域の治安状態が劣悪であるのは戦争では必然であったが、かつての共和国時代と比して、両軍の軍勢を含めれば十倍といっても誤りとは言い切れない人口状態で土地の荒廃は著しかった。
 共和国大議会はもちろん共和国軍大本営においても、前線地域の実態と共に帝国軍の意図を十分に把握していると云える者は誰一人いなかったが、およそ帝国軍の大戦略はそういったものであった。
 共和国の存亡を賭けた四百年の努力の結果としてギゼンヌ周辺は灌漑や肥養によって豊かな地味をなした土地ではあったが、四百年前は軍都周辺と大差ないありさまでもとより無限の恵みを約束された土地ではなかった。
 しかもすでに幾つかの季節を自領としていた帝国領民が、第二の故郷を守るべく死兵と化していた。
 単純に戦闘力という意味で言えば、ほとんどの中隊戦闘で共和国軍は帝国軍は圧倒し始めていた。前線に配備されていた共和国師団の騎兵中隊と歩兵中隊には機関小銃の配備がほぼ完了したと言っていい状態であったし、後備歩兵聯隊にも選抜銃兵に優先的に機関小銃が配備されていた。十分な数とはいえないが、要所に築かれた機関銃陣地は見えない壁のように帝国軍将兵の血肉で赤い死花の咲く沼地を作っていた。
 訓練の程度が怪しいとされている後備歩兵であっても、選抜銃兵を任されるような下士官兵は戦度胸はそこそこ以上で機関小銃の使いドコロをすぐに把握していたし、正規師団が首をひねりながら手放した五万丁ほどあった後装小銃は銃弾が潤沢に戦域の拠点に集まりはじめていたから、装備の怪しいままに前線に到着した各州の義勇兵であっても陣地に立て籠もるのに不足はなかった。
 問題は帝国軍がかつての戦術的な常識にとらわれない状態になっていたことにある。
 帝国貴族に率いられた入植者にとっては故郷を守るための正義の戦いと位置づけられていた。
 占領地における民兵と匪賊暴徒の境界はもともと曖昧だが、老人は疎か童女に至るまでが銃をとって抵抗した。
 集落の中にはニコニコと共和国軍を迎え入れて、砲兵隊や大隊司令部が小銃の射程内に入ったところで奇襲をかけてくることもあった。
 似たことは共和国でも組織だっておこなわれていて、民間人の軍隊への協力を通じた戦争活動自体は珍しいことでもないが、帝国軍を押し戻して取り返した土地に住民がいて、集落単位さらには家単位で立て篭もり全滅も辞さない、となると厄災この上なかった。
 帝国軍相手であれば、降伏を辞するならば鏖殺も止むを得ず、とむしろ敵の意気を称える兵どもも、如何にも軍場の作法も縁のなさそうな女子供が相手となると勝手も違い、うす気味悪さや後味の悪さが残り、士気が下がり軍規が荒んだ。
 基本的に匪賊退治と同種の作戦なのだが、軍隊相手の時間と速度を重視した戦術で治安戦に準備すると面倒に足を突っ込むことになる。
 敵が想定と異なっていたのだから、一旦退くという判断ができる状況であれば面倒に巻き込まれることも少なくなるが、そうできる状況にある指揮官は稀だった。
 帝国領民と言っても決して一様ではなく、一年のうちに豊かな土地を争い軋轢も出だしていたこともあり、軍政や治安戦の筋を通した扱いをこなせるならば、必ずしも銃火を交わらす必要があったわけではない。
 帝国領民同士の衝突の仲介を通して宣撫をおこない、無血にて複数の集落を降した例もあった。
 だが、時が進み戦線が押し戻されるに連れて、宣撫活動も鈍さを見せ始めていた。
 大きな理由には単純に戦域の広がりに追いつけなくなり始めたこともあったが、解放地区を任された義勇兵の質によって問題が大きくなったこともしばしばあった。
 ギゼンヌ周辺に義勇軍を拠出した州軍で、装備を揃え治安活動に向いた編制の部隊は、デカートの他にバーゼルとエウロくらいで、あとはお仕着せを与えられた棄民とそれを左右する獄卒のような者共だった。
 中には三万を超える軍勢を出したへルベルスのような州もあったが、槍盾と拳銃という武装ではいくら数がいたところで前線を任せてみるわけにはいかず、追い返すわけにもいかず小規模な戦闘とも言えないいざこざを繰り返し、街道沿線を守備する留守警護を任せて、地元の女子供をからかわせ動かさないくらいしか使いみちがなかった。
 そして、扱いの難しい戦力として期待できない義勇軍はますます増えるはずだった。
 大方の義勇軍は数千の聯隊規模だったが、自前の騎兵野砲を持っていればマシな方で軍令連絡等およびもつかず、ギゼンヌまでの道中でさえ揉め事が絶えず、ときに共和国軍の輜重隊を妨害し、ついには義勇兵自身が匪賊化する有様で大議会で幾度も罵倒の応酬があった。
 広大な共和国の国土は比較的荒野がちで街道と云うには整備も怪しいまま、轍に踏みならされた道と幾つかの口伝やらの地形の目印を元にした地図が横行していて、反面気象風土は豊かで、よほどに旅慣れたものでも季節によってまごつくもので、千リーグあまりを歩いてのける以外に術がないということであれば、よほどの精鋭でも百日で着くというわけにはゆかない。
 その行軍の間を練兵の機会と捉える前向きさもあればこそ、大抵は道中引き起こされる厄災の大きさでもあった。
 そういう状況下でデカート州義勇軍は比較的順調に宣撫活動を続けていた。
 民兵を中心にした他州の義勇兵とは異なり、日頃から暴動や匪賊の宣撫鎮圧を中心に活動していた現役の行政司法幹部を主幹に据え、圧倒的な小銃火力と瞬間火力を誇る軽野砲の小隊単位での戦闘に慣れた部隊は、奪還解放地区の遺棄された帝国住民を過大に刺激せず、抵抗には断固反撃対応することで、帝国貴族領民に自らの措かれた状況を理解する扶けを与えていた。
 大議会でも人員や物資を現地に直接送り込むことの困難について、幾度も溜息のような言葉が交わされたが、日頃大した兵備を持たないデカートができたことがなぜ出来ないのか、という点が取り糾されるたびに困難を当然と受け止められない雰囲気ができていた。
 デカート州義勇旅団の中心に治安行政司法の人員が二割弱ほど含まれていて、無産階級の民衆に慣れ親しんでいるという説明は聞く者が納得しやすいものだが、事実とは必ずしも整合していない。
 一万強の旅団人員のうち、デカート州治安行政司法関係者は千五百人をかすめるほどで分隊を預かるだけの人数はいたが、部隊に均等に配されているわけでは当然になく過度に多いという割合でもない。反面、亜人を含む無産階級の人員が六千名余り含まれている。
 新鋭強力な武装と新戦術、という説明も連絡参謀を中隊規模で揃えるに至っている共和国軍と比べてさして優れているというわけではない。
 ではどこが、という点で言えば彼らの軍監の態度にこそ秘訣があったと言える。
 マイルズ卿は今回の派兵にあたって強力に一点を主張し、部隊に趣旨の理解を徹底させている。
 すなわち、この戦いは国内戦であり治安出動であるという主張である。
 山狩りや捕物の助勢をなすことが主な目的で、敵兵を討つことは過程結果における事象に過ぎず目的の一大事ではない、ということを繰り返し兵にも述べていた。
 現役の保安官である彼の助手として、東部国境地域の人々の生活の安寧を守るために一万の部隊の助勢協力を期待する、というマイルズ卿の訓示は、部隊の過半を占める文字の読み書きも怪しい無産階級からの徴用者たちにも正義の意義が理解できる内容だった。
 ギゼンヌの人々は遥々応援に駆けつけた少し珍しい制服に新兵器を携えたデカートの義勇兵を歓迎して、行き場がなく住処から狩り出されるように義勇兵に参加することになった無産階級の亜人たちを感動させた。
 後備兵として前線に立っていないから神経をやられないで済んでいる、という理屈も筋違いといえる批判だった。
 兵士官の了見から様々に問題を抱え示しつつも、確かな軍警察活動をデカート州義勇兵旅団は続けていた。
 前線がジリジリと押し上げられてゆく中、兵站を強力に支える一翼として軍警察の活動は欠かすことの出来ない地味な戦働きで、ことに今次の戦争においては、ときに油断ならない危険な任務でもあった。
 ギゼンヌまでのふたつきで二百名ほどが脱走などで脱落したが、想定よりもだいぶ少ない数だった。更に二百名弱が戦死しているが、到着後に脱走と認められた兵はいなかった。打ちのめされるほどの人数の戦死損耗ではなかったが、負傷は二千に迫っていて、血を流していないという批判は断固否定するものだった。
 デカート州デンジュウル大議員は時に悲しげに時に誇らしげに大議会で居並ぶ大議員の心を煽ってみせた。
 帝国軍の周到に準備された大戦略は既に見えるまでに綻びは見せていたものの、全体が崩れ去るほどの破綻をきたしてはおらず、未だ油断ならぬ楔として共和国に食い込んでいた。
 圧倒的なまでの国力とそれを畏れず行使する軍略こそが帝国を帝国たらしめている所以であった。彼らは山を焼き稜線を見極め、十年を費やして水を貯め道を選び、五年を費やして人を流し込む手立てを整えた。
 知れば大議会の誰もがその場で絶望をするような事実として帝国は戦争計画を立案遂行しており、百万の軍勢と三百万の民衆でイズール山地の東側を完全に占領制圧する計画に向けて、今も着々と動いていた。
 開戦には間に合わなかったが、今やリザール城塞までの街道には竜が荷駄を牽けるだけの鉄路が敷かれている。それは竜の力と荷駄の重みで街道の路肩を壊さないようにするための養生に龍猪の歩幅に合わせた枕木と、荷駄が滑らず流れずに龍猪の跡をついてゆくための一組の鉄の線路で、並みの大行李なら二両並べてもなんとかなるような、贅沢な道幅を持っていた。一リーグごとに大隊の小休止と竜車の追い抜きのための膨らみ停留所が設けられ、行軍の効率を下げない努力もなされていた。
 基本的には鉱山のトロッコを拡大したものと言えたが、その規模は人力のトロッコや馬車鉄道や牛車とは全く違う。帝国では若い龍猪に荷駄を牽かせる訓練の一環としてトロッコを牽かせることをしていて、龍鉄道という副次的な用途も実用に供されている。その力はグレノルを単位として量れるほどで、線路で固められた上であればローゼンヘン工業の貨物車を上回る実力を持っている。
 単一区間で百リーグを超える龍鉄道というものは帝国にも未だ存在していなかったが、リザール城塞に対する物資補給のためにはどうしても必要だとされていたものが、西方新領土への転封を受けて建設の注力がなされた。
 国力においても正面火力においても優勢にある帝国軍がリザール城塞に押し込められているのは、地勢的に兵站線を太くすることが難しいことに由来すると帝国軍は考えていた。
 十重二十重に構築されたリザール湿地帯の陣地線は土塁と塹壕のタペストリーというべきもので、華やかさの欠片もないものだったが互いの軍勢にとっては巧緻を尽くした罠のようなものだった。
 城塞や水没作戦等によって地勢は帝国軍にやや優勢であったものの、一旦陣地により戦場が分断混交してしまった後の小規模部隊による戦術的優位はほとんど常に共和国軍側にあった。
 帝国軍は魔導魔法については積極的な認知をおこなう立場になかったが、共和国軍が実験的にやがて組織的に魔道士呪術師を軍で使っているという事実と、それが必ずしも空虚な気休めや天才の所業を言い換えたものでないという因果を、共和国軍の戦術的な特徴としてしぶしぶ認めざるを得なかった。
 共和国の戦術作戦上の優位を支える呪術利用は共和国を覆うほどには至っていなかったが、軍で大規模に組織だって魔導利用が成果を上げてから四半世紀が過ぎ、少なくもない退役士官が魔道士の中にも現れるようになると、単なる見世物としてではなく実業としての魔導の可能性について考え始めるものも出だしていた。
 事実上の西の端にあたるロイターや、更にその先フォリノークやメイザンという土地では比較的魔導というものが認められていて、魔術師を軍都と本国の間の連絡に使っている。
 魔導関連の事業は実用例ももちろん多いがそれ以上に詐欺としか云えない事業も多く、疑ってかかるほうがよいものばかりだったが、元々広大な共和国では交通の便の怪しい町をまたぐような事業は凡そ須らく怪しげなものが多いものばかりだった。
 一番に思いつかれたのは、軍と同じ逓信用途であったが、全ての州都を覆うためだけにも三百からの魔道士が必要ということで、今のところそれだけの信用に足る人材が確保できていなかった。州の中には魔道士について極めて敵対的な感覚を持っているところもあり困難というのも馬鹿馬鹿しい状況ではあったが、実利上の欲得が感情を押し流す例もあった。
 軍主導による魔道士育成とは別に、成果ははかばかしくないものの州や民間での魔道士育成も各地で立ち上げられており、百年前とは魔導呪術を巡る環境も少しづつ変化していた。
 戦場から遠い巷でも戦争の景気と先行きについて気にかける者たちが増えてきて、訳知り顔で魔道士たちの活躍を語る者が増えていたが、この戦争の転機に現れた新兵器について語る者はまだ多くなかった。
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