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ローゼンヘン工業
デカート州駐在共和国軍連絡室 共和国協定千四百三十八年涼風至
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クロツヘルム・カルトラル中佐にとって、軍令本部が戦務参謀として配置させてきたゴルデベルグ少佐は、扱いの面倒な不発弾のような存在だった。
ゴルデベルグ少佐の経歴もさることながら、連絡室役付ではなく戦務参謀のまま送り込まれてきたということは、少佐は中佐の直接の部下ではなく、命令経路が別の士官であったし、それでも二年間デカート軍連絡室に配置するということは、統括上の管理責任者はクロツヘルム中佐であった。
強いてあげれば、予算上の衝突がない、ということがせめてもの救いだったが、少佐が人員を求めれば、中佐が応分の判断と責任を求められ、戦務参謀の職務を無視妨害することは、軍令本部と参謀本部での報告書検討の後、審問の対象となるため非公式に権限は強かった。
その場で何かが起こるような種類のものではないが、一方で些末なゆきちがいを経緯も忘れたころに参謀本部に呼び出し吊るしあげられ、業務を停止させられる。そういう可能性だけでも兵站官僚にとっては拷問に等しい悪夢だった。
ゴルデベルグ少佐自身も扱いに困る士官だった。
彼女の軍歴については、一種の物語のような色合いが熱り冷めないままあったから、預かりの部下としては、面倒臭さが先に立つ人材だった。
中佐は、軍歴確かなゴルデベルグ少佐が、戦場をはるばる離れたデカートに配置されたことの意味を違えていなかった。働かせるな腐らせるな。如何にも宙ぶらりんな待遇についても、意図が読み取れる。
待機任務とその指導は兵員管理の基本であるが、一大難事業でもある。
鮮烈勇猛な軍歴の持ち主を五種配置とすることは、多くの場合、上官にとっては計り難い難題であったので、ゴルデベルグ少佐自身が自分の配置を希望したことは、悩みを先延ばしにできるいい機会だった。順調に回転を始めたデカートの兵站運営に、ゴルデベルグ少佐を関わらせるつもりは、クロツヘルム中佐にはなかったし、関わらないでくれるなら、それはむしろありがたいことだった。
ゴルデベルグ少佐とデカート元老院議員であるゲリエ卿が愛人関係である、という公然の秘密、と云うには生々しすぎる噂話は、デカートにいれば様々な形で耳に入ることであるし、兵站本部でもいっそ少佐に装備調達を一任してはいかがか、というような嫌味のような本音のような言葉もささやかれるようになっていた。
そしてその噂を追認するような、各地拠点新装備選考に際しての試験品調達の任務、なる名目の任務が、軍令本部から参謀本部の検討を経由して、デカート連絡室の統括責任者であるクロツヘルム中佐のもとに調整の打診が来ていた。意味するところと内容は、着任の挨拶にかこつけてゲリエ卿の拠点であるローゼンヘン館の視察した中佐には、十分すぎるほど想像がついていた。
ゴルデベルグ少佐の扱いひとつで、今や一大事業となった軍需企業であるローゼンヘン工業の社主でもあるゲリエ卿が、戦争協力を辞めるとは考えにくくもあるが、個人的な何やらを腹の中からあちこちにぶち撒けないとも限らない。
ゴルデベルグ少佐の扱いは、少佐当人の内心がどうあれ共和国軍にとって、極めて重大な意味を持っていた。
そういうわけで少佐自身が、近傍経路の測量任務に遠征したいと言い出したときは、管理職としての心配よりも厄介事を遠ざける意味合いで歓迎した。
中佐は輜重管理の一般情報の一環として、一部の早馬の騎手が独自の経路でシェッツドゥン砂漠を抜けている、という事実は把握していたが、成功者は当然に経路については口が堅く、成功経験者といえど失敗することも少なくない、という事実をも把握していた。
しかしまた一方でゴルデベルグ少佐が逗留しているローゼンヘン館は機関車事業の策源であることから、走破そのものは公算が十分に高いとも考えられた。兵站本部は積極的な機関車調達は未だ見送っていたから、クロツヘルム中佐は配下に機関車を抱えていなかったが、ゴルデベルグ少佐の走破経路は参考になる。その能力は一般的な騎馬の限界を遥かに超えて詳細不明だった。
兵站本部が機関車の年次計画下での予算化と調達を見送っている理由は、機関車が無価値無評価であるからというよりは、戦争の動向があまりに流動的すぎて、なすべき作業量に官僚機構が追いついていないから、ということが大きかった。
もちろん参謀本部も軍令本部も兵站本部の内部でさえ、散発的な部隊調達ではなく、大本営の兵站計画予算化による、より組織的な各種機関車の調達をおこなうべきだと訴えていたが、同時にそれぞれの現場で起きている様々と、中央で起きている様々とを勘案するに、結局は時期尚早という結論に落ち込んでいた。各地で独自に調達した小型の機関車がこの時期、故障や不調などを起こし始めていた。
絶望的だった戦局が流動的な様相を呈してきたのは、機関車と機関小銃によるところが大きかったから、機関車の調達普及は兵站関係者の希望ではあったが、近傍の希望はさておき直近の作業に誰もが追われていた。
前線や中央の騒乱から切り離されたデカートの様相は、軍官僚からすれば出世に取り残されたとするべきであるかもしれなかったし、実際にクロツヘルム中佐の内心にそういう思いがなかったわけではない。事実上の聯隊であるはずの地方州駐在連絡室長という州の連絡配置業務の統括に中佐を充てているという段で、大本営はデカートを軽く見ているという言い方もできたし、デカート州の対応も抵抗は感じさせなかったが、極めておざなりで事務的だった。
一方でクロツヘルム中佐は、手隙の部下を学志館の学会に派遣するくらいには、デカート州の動向調査には積極的だったし、自身も州内を積極的に視察に巡る努力をしていた。ストーン商会の機関船やカノピック大橋の建設事業、デカート州内で組織的連続的におこなわれているザブバル川を利用する河川港の大規模化、ローゼンヘン工業が自費でおこなっている鉄道事業など、軍都にいれば思いもよらないような変革がデカートを襲っているその時期に、まさにデカートに配置されたことは幸運だったと中佐は考えていた。
デカートの市井の人々の多くは、せいぜいが景気の良い建て替え事業くらいに思っている様子だったが、クロツヘルム中佐はそういう暢気な一時的なものを超えた蠢きを感じていた。
そういう蠢きの先頭に乗っているのが、ゴルデベルグ少佐であることをクロツヘルム中佐は直感していたから、尚の事に少佐は面倒な存在だった。
クロツヘルム中佐はゴルデベルグ少佐の申し出を半日ほど検討した後に、直接見解を伝える場に副官のマンベーズ大尉に地図を持ってこさせ、デカート北部ザブバル川流域を離れた地域の地形情報の貧弱さに触れ、調査を期待していることを述べた。
「ゴルデベルグ少佐。貴官の軍歴が見事であることは知っている。だが自身が傷病兵であることを忘れるな。自愛せよ。兵の帰還が戦果であることを共和国軍は誇る」
療養院の玄関先に書いてある文言をクロツヘルム中佐は口にして、リザの申請を承認して辞令をだした。
ゴルデベルグ少佐がなにもせずただ日々を健やかに過ごしてくれるだけで、クロツヘルム中佐の実績になることを中佐はよく理解していたから、まさに実感だった。
それとは別に、ゴルデベルグ少佐の実力を通して、ローゼンヘン工業の実力を図る機会でもあった。
ゴルデベルグ少佐の経歴もさることながら、連絡室役付ではなく戦務参謀のまま送り込まれてきたということは、少佐は中佐の直接の部下ではなく、命令経路が別の士官であったし、それでも二年間デカート軍連絡室に配置するということは、統括上の管理責任者はクロツヘルム中佐であった。
強いてあげれば、予算上の衝突がない、ということがせめてもの救いだったが、少佐が人員を求めれば、中佐が応分の判断と責任を求められ、戦務参謀の職務を無視妨害することは、軍令本部と参謀本部での報告書検討の後、審問の対象となるため非公式に権限は強かった。
その場で何かが起こるような種類のものではないが、一方で些末なゆきちがいを経緯も忘れたころに参謀本部に呼び出し吊るしあげられ、業務を停止させられる。そういう可能性だけでも兵站官僚にとっては拷問に等しい悪夢だった。
ゴルデベルグ少佐自身も扱いに困る士官だった。
彼女の軍歴については、一種の物語のような色合いが熱り冷めないままあったから、預かりの部下としては、面倒臭さが先に立つ人材だった。
中佐は、軍歴確かなゴルデベルグ少佐が、戦場をはるばる離れたデカートに配置されたことの意味を違えていなかった。働かせるな腐らせるな。如何にも宙ぶらりんな待遇についても、意図が読み取れる。
待機任務とその指導は兵員管理の基本であるが、一大難事業でもある。
鮮烈勇猛な軍歴の持ち主を五種配置とすることは、多くの場合、上官にとっては計り難い難題であったので、ゴルデベルグ少佐自身が自分の配置を希望したことは、悩みを先延ばしにできるいい機会だった。順調に回転を始めたデカートの兵站運営に、ゴルデベルグ少佐を関わらせるつもりは、クロツヘルム中佐にはなかったし、関わらないでくれるなら、それはむしろありがたいことだった。
ゴルデベルグ少佐とデカート元老院議員であるゲリエ卿が愛人関係である、という公然の秘密、と云うには生々しすぎる噂話は、デカートにいれば様々な形で耳に入ることであるし、兵站本部でもいっそ少佐に装備調達を一任してはいかがか、というような嫌味のような本音のような言葉もささやかれるようになっていた。
そしてその噂を追認するような、各地拠点新装備選考に際しての試験品調達の任務、なる名目の任務が、軍令本部から参謀本部の検討を経由して、デカート連絡室の統括責任者であるクロツヘルム中佐のもとに調整の打診が来ていた。意味するところと内容は、着任の挨拶にかこつけてゲリエ卿の拠点であるローゼンヘン館の視察した中佐には、十分すぎるほど想像がついていた。
ゴルデベルグ少佐の扱いひとつで、今や一大事業となった軍需企業であるローゼンヘン工業の社主でもあるゲリエ卿が、戦争協力を辞めるとは考えにくくもあるが、個人的な何やらを腹の中からあちこちにぶち撒けないとも限らない。
ゴルデベルグ少佐の扱いは、少佐当人の内心がどうあれ共和国軍にとって、極めて重大な意味を持っていた。
そういうわけで少佐自身が、近傍経路の測量任務に遠征したいと言い出したときは、管理職としての心配よりも厄介事を遠ざける意味合いで歓迎した。
中佐は輜重管理の一般情報の一環として、一部の早馬の騎手が独自の経路でシェッツドゥン砂漠を抜けている、という事実は把握していたが、成功者は当然に経路については口が堅く、成功経験者といえど失敗することも少なくない、という事実をも把握していた。
しかしまた一方でゴルデベルグ少佐が逗留しているローゼンヘン館は機関車事業の策源であることから、走破そのものは公算が十分に高いとも考えられた。兵站本部は積極的な機関車調達は未だ見送っていたから、クロツヘルム中佐は配下に機関車を抱えていなかったが、ゴルデベルグ少佐の走破経路は参考になる。その能力は一般的な騎馬の限界を遥かに超えて詳細不明だった。
兵站本部が機関車の年次計画下での予算化と調達を見送っている理由は、機関車が無価値無評価であるからというよりは、戦争の動向があまりに流動的すぎて、なすべき作業量に官僚機構が追いついていないから、ということが大きかった。
もちろん参謀本部も軍令本部も兵站本部の内部でさえ、散発的な部隊調達ではなく、大本営の兵站計画予算化による、より組織的な各種機関車の調達をおこなうべきだと訴えていたが、同時にそれぞれの現場で起きている様々と、中央で起きている様々とを勘案するに、結局は時期尚早という結論に落ち込んでいた。各地で独自に調達した小型の機関車がこの時期、故障や不調などを起こし始めていた。
絶望的だった戦局が流動的な様相を呈してきたのは、機関車と機関小銃によるところが大きかったから、機関車の調達普及は兵站関係者の希望ではあったが、近傍の希望はさておき直近の作業に誰もが追われていた。
前線や中央の騒乱から切り離されたデカートの様相は、軍官僚からすれば出世に取り残されたとするべきであるかもしれなかったし、実際にクロツヘルム中佐の内心にそういう思いがなかったわけではない。事実上の聯隊であるはずの地方州駐在連絡室長という州の連絡配置業務の統括に中佐を充てているという段で、大本営はデカートを軽く見ているという言い方もできたし、デカート州の対応も抵抗は感じさせなかったが、極めておざなりで事務的だった。
一方でクロツヘルム中佐は、手隙の部下を学志館の学会に派遣するくらいには、デカート州の動向調査には積極的だったし、自身も州内を積極的に視察に巡る努力をしていた。ストーン商会の機関船やカノピック大橋の建設事業、デカート州内で組織的連続的におこなわれているザブバル川を利用する河川港の大規模化、ローゼンヘン工業が自費でおこなっている鉄道事業など、軍都にいれば思いもよらないような変革がデカートを襲っているその時期に、まさにデカートに配置されたことは幸運だったと中佐は考えていた。
デカートの市井の人々の多くは、せいぜいが景気の良い建て替え事業くらいに思っている様子だったが、クロツヘルム中佐はそういう暢気な一時的なものを超えた蠢きを感じていた。
そういう蠢きの先頭に乗っているのが、ゴルデベルグ少佐であることをクロツヘルム中佐は直感していたから、尚の事に少佐は面倒な存在だった。
クロツヘルム中佐はゴルデベルグ少佐の申し出を半日ほど検討した後に、直接見解を伝える場に副官のマンベーズ大尉に地図を持ってこさせ、デカート北部ザブバル川流域を離れた地域の地形情報の貧弱さに触れ、調査を期待していることを述べた。
「ゴルデベルグ少佐。貴官の軍歴が見事であることは知っている。だが自身が傷病兵であることを忘れるな。自愛せよ。兵の帰還が戦果であることを共和国軍は誇る」
療養院の玄関先に書いてある文言をクロツヘルム中佐は口にして、リザの申請を承認して辞令をだした。
ゴルデベルグ少佐がなにもせずただ日々を健やかに過ごしてくれるだけで、クロツヘルム中佐の実績になることを中佐はよく理解していたから、まさに実感だった。
それとは別に、ゴルデベルグ少佐の実力を通して、ローゼンヘン工業の実力を図る機会でもあった。
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