石炭と水晶

小稲荷一照

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ローゼンヘン工業

リザ二十一才

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 ローゼンヘン館の周辺の開拓は全く周辺とは規模が違った。
 理由は単純に機械力によるもの、と考えがちだったが、それはどちらかと言えば用人のための装置で、ゲリエマキシマジン個人の腕力と体力によるところが大きかった。
 重心の問題で巨大な物体を扱いかねるという問題がなければ、そもそも道具を必要としなかったかもしれないし、彼個人がより暴虐な性質で略奪という手段を最初から選ぶなら、そもそも工房も開墾建設など必要としなかったかもしれない。
 それほどにゲリエマキシマジンの肉体的能力は世の人間の基準を大きく逸脱していたし、それを日々全く感じさせないほどに彼は静粛精密に行動していた。
 熟練の職人が十とか百とかでせいぜい満足するような作業を、億とか兆とかこなすことが出来ると云って、そこに至る千とか万の辺りで満足する成果が得られれば、人の目に触れる結果はそこで止まる。
 工房もせいぜいが子供のおもちゃづくりの延長で、世間一般の錬金術士と同じような扱いで終わったはずだった。
 或いは美術品じみた伝説に残る武具を作る、奇矯な鍛冶と扱われていたかもしれない。
 ともかく、これほどに大仰な仕掛けはマジン本人には必要なく、せいぜいが製氷庫を周辺の町々にポツポツと作るくらいであったはずだ。
 すべてはまったくの成り行きで子供をなした相手がリザゴルデベルグ中尉だったから。
 としか言い様がない。
 今はゲリエ卿と呼ばれることの多い、ローゼンヘン工業の社主という立場になれば、逆に当人の超人性はむしろ組織の邪魔になることもあって、マジン個人は手控えつつ、しかし世間の目にはより大きな成果が曝されるようになっていた。


 無責任な話だが、焚き付けたリザにしても、真実こういった展開になるとは全く考えていなかった。
 勝ち目のない戦争に苛立ちを覚え、精神に苦痛を自覚していたところで、敵が包囲を諦めてくれたという安心感で、目についた友人を巻き込んで気分転換に墓参りに来た。というのが去年の新春の顛末のせいぜいで、こっちの苦労も知らないで愛を口説くなんざ、というような八つ当たりに近い気分でもあった。
 生来の勝気と陽気がリザを支えていたが、戦争そのものについては絶望感を彼女は感じていたし、内心実に真剣に自らの死の訪れも身近に考えていた。
 エリスを愛人にと言うのは、彼女の中では冗談と笑われるには心外な真剣な思いつき、少なくともそれなりの年齢までエリスが育つ後ろ盾が共和国軍以外に欲しかったというのはあるし、成り行きとはいえ子供を作った相手に良心の呵責を感ぜよ、という呪いでもあった。
 せいぜいが奇矯な機械を作る工房を持った我が子の父親に、敗色濃厚な戦争の呪いをかけてやれ、という程度の意味合いでしかなかった。
 その呪いは単なる女親の苦し紛れの嫌がらせ、という域を遥かに超えた形で世界に芽吹いた。
 常識的な範疇で帝国軍は全く手を抜いていなかった。
 戦略的要件と共和国軍の可能行動を把握確信した上で戦端を開いた。
 企みそのものは計算ずくの初手は上手くいっていた。
 だが、そもそもの序盤から予想外に進捗状況が芳しくはなかった。
 帝国の進捗を挫いた当のリザ本人は知るはずもなかったが、帝国軍西方方面軍本営参謀部では進行度合いを五段階評価で三と判断していた。
 全体として優勢。ただし想定以上の戦術的困難あり。戦略に若干の遅れ。
 と云うものが帝国軍の去年の評だった。
 春になってからは、五段階評価で二になった。
 全体として劣勢。部分的な優位の確保は可能。戦略の転換の要有り。
 この戦略評価を受けて、帝国軍は占領植民地化から棄民政策に転換を図っていた。
 このことが共和国軍を新たな問題に直面させていた。
 帝国軍は全く手を抜いてはいなかった。
 リザの全くその場の必然としての必死の行動が、共和国のあちこちに様々な種を蒔いていた。
 そして今、別種の混乱をリザは抱えている。
 善意と嫌がらせを一挙両得にした結果を目にして、呪いをかけた本人であるリザは困惑していた。
 ファラリエラは夏の暑い時期に女の子を産んだ。
 レオナニコラと名付けられた彼女は栗毛というよりは、紅茶のような色をした赤毛だった。
 二日遅れでマリールも女の子を産んだ。
 かなりの難産で体力筋力共に人並み外れたマリールが相手では、逆子の子供を一旦押しこむことは並の助産婦には難しく、マジンが馬の逆子の要領で押し戻し引っ張りだした。
 マリールは自分の苦痛も他人の苦労も忘れた有様で、全く機嫌よく子供たちの面倒を見ていた。
 アーシュラと名付けられた彼女は、母に似たつやのある玉虫色の髪と夕日のような昏い赤い瞳の娘だった。
 先に生まれたルミナスと共に三人とも元気につややかにすくすくと育っていた。
 エリスは弟妹にひどく興味があるらしく、日がな一日覗き込んでいた。
 共和国全体では、とくに婚姻について定められたところはないが、デカートでは重婚は当然の犯罪だった。


 愛憎の縺れを社会に蔓延させないためにも、資産の継承という意味合いでも、一夫一妻制は面倒が少なく、共和国の多くの州が一夫一妻制を法律上定めていた。
 デカート州も例外ではない。
 結婚した相手からの訴えがあれば財産を剥奪される可能性もある。
 資産財産という話題では縁のない共和国軍では、軍務に支障がない範囲で関係のない話であったから、婚姻問題は人の繁殖環境の整備、妊娠育児環境の整備という問題以上には興味のない話で、ならば独身で財産に面倒がなく、健康な子供をたくさん産んでくれる女性が軍としては心強い。という捩れを起こしていた。
 もちろん独身女性軍人と云っても、親や縁者が故郷に待つものも多く、孫の顔が見たいという親の希望に沿って退役してその後結婚というものも多く、また女性軍人の子が必ずしも軍に進むというわけではないが、そうであっても軍に好意的な人々が増えることは軍にとっては利益であった。
 中でも有能勇猛なゴルデベルグ少佐は、共和国軍の描く理想的女性軍人の姿であった。
 リザの流産が養育院では管理官の席次が変わるほどの問題になったのを受けて、ペイテル・アタンズといった激戦を戦った地域の調査がおこなわれ、妊娠が判明した女性軍人の後送配置転換と前線幕僚士官や軍官僚要員の補充がおこなわれていた。
 ようやく大本営が戦争に対して人的資源の消耗に気が回る程度に戦況は好転していた。
 それらの人員の増加は、前線で求められる兵員の数に比べれば微々たるもの、せいぜい中隊をふたつ三つ満たすほどの人数がいればよかったし、誰かが思い出して制度が動き出せば、軍都にはそのための人員もいたから比較的すみやかにおこなわれた。
 迅速な人員の異動には広域兵站聯隊の貨物車が使われていた。
 劣勢の戦争がほぼ二年も続くと、後方の管理要員も大きく労務が増えていて、特に伝令に使えるような信用に足る下士官兵の消耗が大きく後方業務が滞っていた。
 軍令本部は広域兵站聯隊を中核に、リザール戦域軍団司令部を立ち上げる予定を立てていた。
 今となってはギゼンヌに常駐する司令部よりも、街の外縁で要所を守る塹壕の小隊指揮官のほうがよほどに気楽なくらいだったが、共和国軍が優勢に立ち始めた証でもあった。
 半年に満たない期間でゴルデベルグ大尉の特務中隊が成し遂げた事業は彼女を昇進させるだけでよいのかと悩むほどのものであったが、彼女が流産で倒れたことは様々な人々をある意味で安堵させた。
 彼女の炎のような陽気さをうっとおしく感じる者達は当然に、そうでない者たちも後ろ盾を持たないぽっと出の小娘が大きく手柄を上げ続けることへの弊害を感じ始めていた。
 妬み嫉みという負の感情もさることながら、有能な人材がそれ故に適地を短期に追われ続け消耗するということは巨大な組織の中ではよくあることだった。
 この次に起こるだろう政治的な駆け引きの焦点に女優として引き出されることは、有能稀有な軍人が道化師に転職を余儀なくされるということで、それを望まない者たちもいた。
 有能な参謀であるストレイク大佐は、当然に単純な善意というよりは損得勘定の結果として、開戦以来急激に戦果を積み重ね実績を上げているゴルデベルグ少佐を保護する必要を感じていた。
 ともかくも彼女は飛ぶように軽く戦場を走り回り、前線と後方とを往復することに苦を感じない、若さと意気に溢れた参謀として稀有な資質を持った人材だった。
 ストレイク大佐自身は、自身の体力の衰えを認めるつもりはもとより今暫くなかったが、軍令本部に根を下ろす必要を感じていた。
 あと数年のうちに昇進がなければそのまま引退のストレイク大佐は、今次の戦争の決着を戦後処理の最後まで見届けるつもりで、帝国との戦争のすべてに関わる数字や報告に目を通し続けていた。
 ストレイク大佐自身は、自身の妄想としての理想の共和国軍の将来構想を考えた上で、ゴルデベルグ少佐がゲリエ卿と婚姻することは極めて望ましい蓋然性をもった必要なことであると考えていた。
 ストレイク大佐は屑値となったロータル鉄工の株式を手元に抑えておくくらいには二人の将来を期待して祝福していた。
 共和国軍の軍政改革の魁を全くはからずも務めることになったリザは、周辺の状況に戸惑い、今ひとつ追いつけない自分と、理解不要なままに軍務の必要に走り続けている自分自身とに矛盾を感じながらも、それを当然と為していた。
 リザは、自分自身の気分の勢いのままの行動の結果に、降り注いでいた成功や幸福に気分の上で当惑していた。
 しかしもちろん彼女も得たものを全て投げ捨てるほどに子供ではなかったし、無邪気に自らの能力と努力の成果を信じられるほどに無垢な全能感にひたれるほどの子供でもなかった。
 いま彼女は友人たちと仲良くふくらんだ腹を並べて、可愛い子供を産み落として、ニコニコ笑いながら互いの子供にお乳を含ませるそういう幸せに浸る機会を逸したことを、心の底から安堵していた。
 それは全く不健全な思い込みでもあったが、彼女自身が危惧していた不健全な、すなわち愛する男と日がな一日繋がって盛って暮らす肉欲に溺れた日々を遠ざけるように機能していた。
 それは事業開発にマジンが奔走していて忙しいということもあったが、去年の今頃は忙しい合間を縫って暇を見つけては繋がって盛っていたはずで、そう云う狂騒感が今年はなかった。
 自身の流産というものもいわば彼女にとっては戦争というものが当然にもたらすべき苦痛の代償行為のように感じられていた。
 彼女はある面で極めて物覚えの悪い懲りない種類の人間らしく戦争の恐怖が尾を引かない種類の人間だった。
 そういう彼女自身にとって去年の出来事は色々な恐怖が影響していたんだ、と自らに説明することはリザにとっては大きな意味があった。
 恋愛の狂騒から覚めた。
 自身をそう説得することは、彼女にとってはローゼンヘン館で生活する上で必要なことでもあった。
 マジンの一日が他の人々の数年にも値するほどに戦争に影響を及ぼしていることを、彼女自身がマジン本人よりもよく理解していた。
 リザは複雑怪奇な人間関係の成り行きとしてマジンに好意を感じていることは認めていたが、その経緯が必ずしも健全な成り行きであるとは考えていなかった。
 彼女の軍政家としての数理感覚では、永遠の愛と呼ぶにはあまりに不安定な感情であるように感じられていた。
 それは他者の人材人格としてのマジンよりも、自身の内面に兆しているものだったのでリザとしては不穏を感じるものだった。
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