石炭と水晶

小稲荷一照

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開戦

デカート 共和国協定千四百三十七年大暑

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 マジンにとっては文字通り夏の一夜の過ちがあり、学志館の学会が始まった。
 今回は理想的熱機関としての熱流体振り子機関とそれを一段簡便にした圧縮熱機関と蒸気圧機関、連続的な状態を扱う噴流機関の論文だった。だが、講演の聴衆たちにとってはマジンの手ずから配った光画とタイプライターを駆使した資料のほうがよほどに興味深かったらしく、発表の内容よりもそちらに食いつく質疑が多かった。
 とくに光画については一昨年からデカートの町中で見かけられるようになっていて、その意味価値は理解するもののどういった手管のものなのかということは知られていなかった。
「そんなオモチャのことよりもお前が使っている火薬について教えろ。このペテン師め」という元気に年老いたヤジもあり少しは名が売れてきたかと思わずにいられない学会だった。
 デカートの学会でのペテン師呼ばわりは似た品目の研究をしている研究者に対する挨拶のようなものだった。
 どうやら火薬について研究している人物がマジンの発表が燃焼そのものや火薬でないことに憤りを感じているらしい。が、既にマジンは二十種類ばかり爆薬成分を合成生成していてどれをと尋ね返しそこなっていた。
 ヤジを打ってつまみ出された人物はマジンの発表が終わるまで戸口で行儀よく待っていた。老人は化学科の教授でハルバー・ボッシュという名であるらしい。ふと名を思いだし顔を見れば元老の一人であった。
 彼はやっと思い出したマジンをバカにするように笑い、過日検事局六課から機関小銃を預かりその調査をしたことを自ら明かした。
 彼は硝石から硝酸を取り出し紙を火薬とする術を開発するに至っていた。新型の火薬を六課の使う軽野砲に使い、ここ二十年あまり秘儀としていたのに、突然現れたマジンが全く縄張りを荒らすような品を持ち込んだことで怒り心頭であったという。
 しかも後発品らしく一捻りしているらしく出来が良く安い。そこがさらに癪に障る。
 ますます腹立たしいのは、マジンが原料を扱う商会から硝石も硫黄も仕入れていないということだった。むしろやや余らせているらしく農家に高くない値段で売りに出している。
 ボッシュ博士も鶏糞や尿から硝酸を取り出す秘術には至っていたが、硫酸の元になる硫黄は相応に必要なはずだったし、手間はかかるし安くも簡単でもなかった。
「おかしいよね。どこから手に入れているの。材料を」
 ボッシュ博士は自分が元老であることを思い出せばマジンが無碍に無視はしないと判断したうえで、空き教室で黒板を使い出来の悪い学生を追い詰めるように問いかけた。
「博士は元素論と質量保存則をご承知のようなので、ご説明しましょう。石炭の乾留において発生した高温の水蒸気と大気中の窒素が鉄触媒で反応してアンモニアを生成し、飽和水蒸気が水素を奪われ酸素を大量に発生させる中、熱せられた白金触媒を通過する過程で雰囲気のアンモニアを酸化し蒸留塔を送気される過程で再反応し硝酸になるんです。鉄触媒が赤黒く変色始める温度ざっと千百度九百気圧くらいで初期反応が始まるはずです。すべて石炭の乾留過程における副生成物ですよ。私の工房では毎日数グレノル石炭を乾留しています。そのことはボッシュ博士ならご存知のことと思います。あとは実験室と同じように零さぬように集めるだけです。石炭を熱源としていますが、火薬の原料は空気と水です」
 ボッシュ博士はマジンの言葉の意味を全て承知したわけではないが、硝石が何かの元素の化合物であることは承知していたし、そうであるが故に硝酸を取り出せることも知っていたから、早速に言葉を確かめるべく去っていった。そういえばボッシュ博士が元老であれば一回自宅にご招待するのも務めだったかと思わないでもなかったが、気忙しげなボッシュ博士が今の工房の有様を見たら接待どころであろうはずもなく、せめて学会が終わりマリールの怪我が治り、面倒が落ち着くまで待つべきだった。
 マリールを見舞いに行くと奇妙なことに彼女は学会の場外戦であったボッシュ博士との出来事を知っていた。それどころかマジンが板書してみせた記号や計算式についての質問をしてみせた。
 誰かに聞いたのか、どうやって知ったのかという話を尋ねると割れ欠けた魂の契だとマリールは言った。彼女にはうまく説明ができないのだけれど、つまりマジンの魂をマリールが感じられる少しだけ共有しているという。
 マジンの激しく強く考えたり感じたりしたことがマリールに筒抜けなのかと気持ち悪く思ったが、そういうのとも少し違うという。
 マジンがわからせたくないことはマリールにはわからないという。
 それどころか例えばマリールが塩を舐めてもマジンが砂糖だと思っていると甘く感じるという。
 今マリールはマジンがマリールに感じている困惑や気味の悪さを我が身に感じてひどく苦しんでいるという。
 少し考えればマリールが様々に乱暴に性急過ぎたのは明白で、今となっては手遅れなのだけれども、なんとかして詫び償わなければ死んでも死にきれない思いでいっぱいだという。
 そう云うとマジンがさらに困惑しそれがマリールを苦しめる。ということはすぐに分かったが、ふむさて、この奇妙な絡まりを解けないのかと尋ねれば、マリールとしてもこれほど簡単容易に絡まるとは思ってもいなかった。いずれ、そのうち落ち着くはずだが、つまりは新婚の蜜月のようなもので便利を楽しむ時期であるとマリールは云った。
 腕の肉を噛みちぎった獣をしつけるつもりでいればいいと諦めることにすると、それだけでマリールは少しホッとしたようになった。
 マリールのことは少しばかり風体の変わった犬猫というか虎狼の類だと思えば、マジンの腹も立たなくなってきた。学会の間はマジンは半ば義務として可能な限り論文発表に立ち会い、ふたつきばかりは家のことは忘れることにした。
 幸い、学志館の学会を睨んだ形で様々に整理していた事業は慌てて手をいれるほどに混乱はしておらず、現場も順調といえるかどうかはともかく大きな事件は起きていなかった。


 静養代わりと夏休みで寮生も減って、少しばかり静かな春風荘で論文の査読をしていると、リザがエリスとともに乗り込んできた。
「なんでこないの」
 リザは不機嫌そうに言った。
「いろいろあって忙しいんだよ」
「どうしたの。その腕」
 リザがマジンの腕の包帯を見て驚いたように尋ねた。
「マリールに齧られた」
「刺されたって話はファラから聞いたわ」
「それは別だ」
「なにがあったの」
 リザが改めて尋ねた。
「色々あったんだよ」
「何があったのよ」
 面倒臭げに答えるマジンにリザが問を重ねる。
「エリスに妹だか弟だかができる。ってことなんだろう」
 なんと言って説明したらいいのかわからないまま投げ捨てられたようなマジンの言葉に、唇をわななかせるようにリザもしばし沈黙した。
「それで」
「マリールが真面目にやれってボクに噛み付いてきたから殴り返した。お前の時と似たような感じだったよ。いま思えば」
「それでマリールは」
「全治四ヶ月。大腿骨骨折が重症だけど単純骨折だから、無理をしなければすぐ元気になる。肋骨はほとんど全部骨折してたが、そっちはコルセットで支えてやるしかない。今はうつ伏せにハンモックに伏せて生活させているよ。肋は多分まるふたつきかかる」
 マジンの答にリザは大きく息を呑んだ。
「あなた今軽く流したけど妊娠ってのは本当なの」
「本人の自主申告だからわからん」
 投げやりなマジンの言葉にリザは表情を消した。
「なんかやったっていう実績はあるのね」
「そりゃ、やってくれって同意のもとで渋っていたら本気でやれって噛みちぎられたからな」
 両腕の有様を掲げるように見せるマジンにリザは深くため息を付いた。
「で、なんで軍都にこないのよ」
 リザは始めの問を改めて問いかけた。
「頼まれている分の納品は滞り無くやってるだろ。本当に忙しかったんだよ。新造船作ったり、デカートの戦争計画で色々動議や議会の調整があったり、そのためにデカートの中で新しい事業の調整や実績を見せたり。大議会でデカートが戦争準備をはじめてもうすぐ義勇兵旅団が出立するって話が出てないか。今は学士会の論文発表と考査期間だ」
「出てた。大本営でも大議会でも、デカートが掌返したんで、かなりあちこちで驚いてた」
 リザの言葉にマジンは頷いた。
「行政がはしゃいで増やすって言うし、司法は渋って出さないっていうし、元老たちは変な探りを入れ合うし、面倒くさくて時間がかかった。途中で脱走とかがでないように武器と弾倉に番号が書いてあって記録があることを説明したりとか正直かなり面倒くさかった。司法の連中は割とすぐに意味に気がついてくれたけど、行政の連中は単に書類仕事の延長のつもりでいたから、意味の説明からやる必要があった。銃剣付けてくれってうるさい連中がいたからそれもつけたさ。槍ってか普通に剣鉈に使えるやつを。銃身長くしてくれとか細すぎてカッコ悪いとか言うから、わざわざ楕円に飾り孔切ってかっこいいやつを百シリカばかり銃口の先に筒を伸ばしてもやったさ。銃身と関係ない覆いだけどさ。そんなんで大喜びだからな。連中。だってのに弾倉は大小百二十で文句も言わねぇ。銃床が曲がるなんざ指挟むからいらねぇ。だの、共和国軍が如何に軍隊だったかってことがわかるここふたつきだったよ。機関銃は間に合わないけど、軽野砲は家で作った新しいのを持たせることになった」
 そう言って皮肉な顔で笑うマジンにリザは溜息をつくようにした。
「その様子だとまだ知らないのね」
 そういうマジンにリザは溜息をつくように確認した。
「何をだ」
「ヌモゥズが落ちたわ。あそこには城塞がないから、落ちたというよりは焼かれたという方がいいのだろうけど、ともかく町がなくなった」
 リザの言葉が冗談でないことをマジンはしばし探った。
「だってあそこのそばには」
「ウモツの陣があるわね。帝国軍もそれほど大きなものだと思っていなかったみたい。おかげでヌモゥズをゆうゆう抜かれることだけは避けられたわ。でも町はなくなった。アタンズを助けてくれた業突く張りの気のいい人たちは半分くらいはウモツの陣に逃げ込んだみたいだけど。両軍のもみ合いで町はなくなったと言っていいわ」
「帝国軍はどれだけいたんだ」
「ざっと五六万ってとこ。鳥が変な動きをしているなぁって、ウモツの陣のイズール師団の兵が落とした辺りで、形の上ではこっちが優勢になったみたいだけど、ともかく数が三倍じゃ追いかけてどうこうってことはできなくて丘で睨み合ってる。ヨーセン師団の輜重の一部が川舟を使うつもりでキャソウズ経由でヌモゥズに入ったおかげで時間が稼げたみたい。ともかくイズール師団は弾切れで立ち往生ってことはなくなったわ。結構いい形で叩けたみたいだけど、元が多いから数の劣勢は多分そのまま」
「帝国はペイテルを諦めたのか」
「アタンズに五万の帝国軍が現れて、後ろ巻きどころじゃなくなったわ。ヌモゥズの件が先だったからアタンズの救援に思い切れたけど、逆だったらと思うとゾッとするわ。あのなんとか少佐の一件がなければ、師団が自前で兵站連絡を維持しようなんて思わなかっただろうから、ウモツの陣もなかったでしょうし、本当についていたわ」
「つまりなんだ、春頃に出てきた何万だかと別に、夏になって十万ちょっと出てきたってことか」
「そういうことね」
 リザはさらりと答えたが、マジンには彼女が口にした言葉の意味がわからなかった。
「そんなことができるのか」
 マジンはこれまでの努力をアッサリと覆すような帝国軍の力を実感して、リザの言葉の意味を改めた。
「わかんないわ。でも、リザール湿地帯がなくなって川が随分西に動いたってことはそれだけの意味があったってことでしょうね。丸一年帝国軍ものんびりしていたわけじゃないでしょうし、十年かけて山を崩した後のことを考えて南の方に新しい砦や道くらい準備しててもおかしくはないわ」
 共和国軍にしたところで今日明日以上の展望を見出すには手数も余裕も足りないということをリザは云っていた。
「で、何しに来たんだ」
「銃弾の増産はどうなっているの」
 リザはマジンの問いかけには答えず尋ねた。
「デカートの義勇兵が大盛りはしゃいで要求してきたから、だいぶ進めた。来週には新しい工場で試し打ちができる。五列とも順調なら来月に今の設備を移設して七列。動かし終わったらもう一列ならべる。これで年一億発に届く。予算の話大丈夫なんだろうな」
「移設するのは何のため」
「管理上面倒だからだよ」
「じゃぁ、しばらくそのまま動かしても弾を作るのには問題ないのね」
 リザはマジンの言葉の意味を無視して尋ねた。
「まぁ、設計上同じものだからな」
「だいたい今の三倍になるのね。機関銃の弾も作るの」
「一列はそのつもりだ」
「じゃぁ、小銃の弾は三列づつになるのね」
「まぁね」
 リザはマジンのぞんざいな言葉に頷いた。
「機関小銃弾は日にどれくらいの予定」
「五十万くらい」
「銃身清掃具は」
「四十万割るくらいかな」
「機関銃弾は」
「わからん。十万いくといいな。多分七万ってところだろう」
「機関小銃はどれくらい作っている」
「月に七千を超えた。デカートの連中に引っ掻き回されなければもう少しいったかもな」
「小銃の在庫はあるの」
「四五千くらいかな。そろそろ在庫管理計画を考えないといけない。ウチに置いとくのは別にいいんだが、移動の時間がもったいない」
「機関銃は」
「作ってないよ。それどころじゃなかった」
「頼んだらどれだけ作れる」
「暇なら日に二三丁ってところかな。腕がこの有様だから半月は待て。数は期待するな」
 リザはマジンの腕に目をやって頷いた。
「貨物車。あの引っ張ってるの付きで何グレノル乗るの」
「四グレノル。前が一グレノル半後ろが二グレノル半だ」
「ひとつきでどれくらい作れる」
「わからないな」
 流石にマジンも考えてみなかったリザの問だった。
「四十両作って私に売りなさい。いくら」
 リザは自分の必要だけを口にした。
「五十億タレル」
 リザの勢いにマジンもあまり考えずに必要と時間を考えた勢いだけの数字を答える。
 法外な値段を聞いてもリザは眉を動かしもしなかった。
「作れないとは言わなかったわね。いいわ。その値段で。ただし機関小銃一万丁、機関銃二十丁、機関銃弾百五十万発、機関小銃弾六百万発、銃身清掃具五百万発を付けてその値段にしてちょうだい」
 リザはいつもの通り、自分の要求だけを叩きつけるように云った。
「ひどい値切り様だな」
「銃と銃弾合計でどうせ一億もいかないでしょ」
 鼻で笑うようにしたマジンに、付き合わずリザは断じた。
「機関銃弾は在庫がないからそれだけいかないかも知らんぞ」
「そうなの。それならあるだけでいいわ。弾倉は積めるだけ欲しい。結構かさばるから、弾詰めた状態で欲しい。長いのと短いの十万づつ。……どうしたの。嫌な顔して」
 流石にリザの要求にマジンは眉をひそめる。
「ひとつき二十万ってアレを詰める機械は作ってないぞ」
「……む」
「仕方ない。短い方は子どもたちに手伝ってもらおう。長い方は大人たちだな」
 流石に学会どころではなくなったことをマジンは悟った。
「私の中隊を連れてきたわ。彼らにもやらせましょう。どのみち彼等にも訓練が必要だわ」
 リザは唐突に云った。
「中隊ってどういうことだ」
「中隊ってのは中隊よ。軍令本部直轄の特務中隊。特務なのにちゃんと三百人いるのよ」
 リザは如何にも誇らしげに云った。
「珍しいのか」
 マジンはどういうことかわからないことに一応尋ねる。
「珍しいっていうか、普通はありえないわ。普通は特務中隊なんて調査とか訓練のための大本営で郵便箱作るための部隊編成だもの。しかも全員士官下士官の古参よ。ま、前科者とか混じっているけどこの際だから関係ないわ。細かい話はお屋敷でしましょう」
 リザはそう云って、マジンを屋敷に誘った。
 屋敷に戻ってみるとなるほど兵隊たちが、普段隊商の使っている宿房を使っていた。最近は河口側からの荷物が多く屋敷の宿房は次第に予備のようになっていたが、久しぶりに満員になっている。
 人ばかりで馬が来ていないことで幾らかは厩舎にはみ出している様子だが、兵隊はあまり気にしていないようだ。
 夏本番で貨物車一両あたり四十人余りというあまりおすすめしたくない環境で数日を過ごした割には兵隊たちは元気だった。帰りの空荷で戸口を開いていたということで、運転はかなり気を使うことになったようだが、ともかくいつもどおり道中四日で軍都からローゼンヘン館まで戻ってこられた。
 商隊を預かるマキンズはかなり渋っていたが、リザがエリスを連れて来て、危ないことには巻き込まない兵隊も小銃はなし、と言ったことから応じた。
 幾度かの騒ぎでマキンズは共和国軍が絡むことの厄介を身をもって味わっていたが、少しばかり悩んだところでリザに応じた。自分が携わっている事業が戦争協力であることは知っていたし、その方針の根幹にリザ本人が携わっていたことはマキンズも承知していた。
 一行の中には知った顔が四人もいた。
 ジーグ・ミジェッタ特務少尉、キーン・ラベック特務少尉、ペテル・アニリズ特務少尉、ヤース・ファンジ特専曹長の四人がそれぞれ自分たちの小隊分隊を宿舎に預けると宿営の報告に主計参謀を探しているところで中隊長と同行しているマジンと出くわした。
「なんだ。シャバにいたのか。お前ら」
 マジンが声をかけるとミジェッタは足を止めた。
「軍隊がシャバかどうかは、微妙なところですけどね。若君。お嬢様がたはお元気ですか」
 記憶の中より多少血色の良いミジェッタは奇妙に快活に尋ねた。
「下の二人は学志館の夏休みで今は川原の学校で働いている。上の二人は軍学校だ」
「おやまぁ。それはそれは。軍人なんぞやらんでも良さそうですがね」
「お前らも紐付きだとは思わなかった」
 ミジェッタはそう言うと笑った。
「ま、五年もやってりゃこれぐらいはね。穴掘りよりは楽なもんかなと思ってたら戦争ですからね。危うく死にかけましたよ。しかしここも随分様変わりしましたな。マキンズとマイノラがあのデカいの動かしてるって知ったときゃ、もっと驚きましたがね」
「ミジェッタ特務少尉。急がないと諸君らの上官たちはこれから少々忙しくなるはずだ」
 リザがそう言うと立ち話で少し遅れた四人は屋敷の広間に駆けこむようにしていった。
「軍務なのにエリスを連れてきたのか、きみは」
 少しばかり不思議な感じでマジンはリザに尋ねた。
「まぁね。マキンズの心配もわかるし、人質ってわけじゃないけど。私が絡むと危ないことが多いっていうのは印象としてはしょうがないと思う。危ないから私が出てきてるんだし。今回連れてきたのは作戦の準備期間が私の休暇も兼ねているからなんだけどね」
「作戦の説明はあるんだろうね」
 マジンの言葉にリザは肩をすくめる。
「さわりだけはしてあげるわよ。でもま、あなたの愛人たちとちょっとお話をしないとなのよね。あなたの腕をそんなにしちゃったバカとも。ホンットにマリールってバカなんだから」
 工房脇の車庫でファラリエラとリョウを捕まえると、そこから学校に電話をしてセラムを呼び出した。ソラとユエはリザがエリスを連れて来ていると知って会いたがったが、彼女らはセラムの助手という重大な任務があり、今しばらくグッと堪えることにした。どのみちリザもエリスもひとつきほどいるということだった。
 セラムにマリールの病室にゆくことを伝えると、リザは後輩たちを引き連れてマリールの部屋に乗り込んだ。
 予めリザの来訪を知ってマリールはうろたえんばかりに傷歎していたが、身じろぎさえ怪しい今更為す術もなかった。
「マリール。このバカ。戦争で忙しいこの時期に旦那様まで巻き込んで自分も大怪我してどうするつもり」
「その、この怪我は我が君の愛の形でっアタッ」
 リザはうつ伏せにつられているマリールのさらけ出された脳天に手刀を入れた。
「あなたが変態的な強姦プレイを希望して傷害に及んだことは承知しています。なにが悪魔のような殿方よ。私の旦那様は私がよっぽどなことをしても跡の残るような傷は嫌う方です」
「それは、リザ様が脆弱だからじゃないかとっアタッ」
 リザは再び脳天に手刀を入れた。
「わかりました。強靭な肉体を誇るアシュレイ少尉。あなたを我が特務中隊の主席連絡参謀に任じます。出発までに移動に耐える状態にしておきなさい。輿はありませんがそのハンモックの使用は許可します。その牛みたいなおっぱいをブラブラさせて行軍に付き合いなさい」
「リザ様、それはひどい言いようだと思いまっあたっ」
 リザはマリールの抗弁を許さなかった。
「軍務よ。アシュレイ少尉。拒否する権利はもちろんあるけど、応じるならあなたを中尉に昇格させる権限も預かってきました。それに実のところあなたの力が必要なの。帝国軍の増援が想定以上で戦力の拡大も輜重の拡大も間に合わなくなってきているの。私はこの後中隊人員全員に貨物車の運転訓練を行います。その後四十両の貨物車で軍団輜重を編成、ギゼンヌのラトイバル支隊を支援し遊弋している帝国軍を排除します。今度の四十両は前の乳母車みたいなのとは一味違って中に小隊をひとつふたつ抱え込めるような代物よ。ギゼンヌ解放後はラトイバル支隊を事実上私達の特務中隊が振り回して数に頼んで押さえ込んでいる敵の後方をザクザク切り刻んで歩く。あなたに再び私の参謀長をやってもらうわ。楽しそうでしょう。あの大きなのなら大砲も楽に引っ張れるわよ」
 リザの言葉の途中で呼ばれていたセラムがマリールの寝室にやって来た。
「で、私はなにをすればいいのかな。中隊長殿」
 セラムは戸口をくぐるなりリザに尋ねた。
「マークス大尉。あなたには前線部隊の統括をやってほしい。ギゼンヌのラトイバル支隊は事実上傷病兵後備兵の集まりよ。ラトイバル大佐自身は有能な士官ではいらっしゃるけど、殴り合いが得意な方ではないわ。彼を支える士官は元来ミレノフ軍団の後方を支える官僚仕事を求められていた人たちが中心。一年も籠城して睨み合ってれば根性の座っているヒトも増えているはずだけど、戦術的な判断は蹴っ飛ばす役の人がいないと踏ん切りはつかない。憎まれるかもしれないけどやって。そのために私の特務中隊は叩き上げの特務士官や散兵経験のある古参の猟兵を軸に組んである。新品の兵隊はいないわ。あなたには中隊の半分を使って現場で大隊相当戦力を組み立てて欲しい。それを現地部隊戦力の中核に据えます。当然現地友軍の組織上の抵抗も多いはずだけど、ラトイバル大佐は私が説得します。そのための土産もこの屋敷から持ってゆきます」
「私は運転を指導すればいいんですか」
 ファラリエラがのんびりと尋ねた。
「バールマン少尉とレンゾ少尉も私の部隊に参加してくれるならこの場で中尉にする辞令は預かってます。二人はともかく全員に運転を仕込んで。基本大きいのも小さいのも感じは似たようなもので半月ひとつきあればそれっぽくなるのは知っているけど、勝手にうまくなるって種類のものでないのも知っているわ。できの悪いのもいるかもしれないけど、ともかく三百人全員が川の橋をわたって山道を落っこちないように運転できるようにして。いつかの山のお花畑にあの車で行けるくらいになるのが理想よ。中には橋とか小屋とか建てるのが得意な下士官がいるから、あの車で必要な道の感じを覚えさせたい。……いいわよね。裏の山に道作っちゃっても。風情がないとか言わないでしょ」
「まかせる。いきなり山道じゃしんどいだろうから、レイザン少佐のところとか鉄道の現場とかを往復して感じを掴んでくれ。川の辺りもそろそろデカいのが通れるくらいになっているはずだ」
 ゲリエ村から風車砦の駐屯地までの道は大雑把に街道と呼べるほどには均され、馬車が迷わず滑落しない程度に整備もされていて、デカートからヴィンゼまで来る対象のいくらかも途中まで使っていた。
「ひとつきでなにができるかわからないけど、そのつもりでネジを巻くわよ。バールマン少尉。あなたはどうする。こういう形で休暇を取り上げることになっちゃうけどよろしいかしら。レンゾ少尉も大丈夫かしら。ちょっとは準備してゆくし、勝ち目をつけるために行くんだけど、敵は三倍の最前線よ。貴方達は前にも私を助けてくれたから頼ろうと思うけど、その貴方達から見て如何にも無駄死だと思うなら提案は受け付けるし、参加自体を拒否するならそれも当然と思っています」
 リザはリョウに目を向けながら尋ねた。
「先輩、あ、いや、ゴルデベルグ大尉殿。是非作戦参加させていただきます。……それであの。ゲリエさん」
 おずおずとリョウが手を上げながら言った。
「なんだね。あー。バールマンさん」
「あの。四十両の貨物車って無線電話がつくんですよね」
 リョウの質問にマジンはしばし目を巡らせながら応えた。
「あぁ。えぁ。……そのつもりだ。ただ、きみも知っての通りしばしば不調になるのと、生産が間に合うのかは微妙だが」
 いきなり大きなモノをひとつきで作る話になって、頭のなかで様々にやりくりの方策を考えていたマジンは、リョウからいきなり話を振られて慌てて答えた。
「是非付けてください。途中で壊れちゃうとかよくわからない理由で使えなくなるとしても。それとですね。あの。車外と話せるようなお屋敷で使っているような電話を付けてください。あの車の運転席、川を押し渡れちゃうくらいとても良く出来ているんですけど、そのせいで外の人の声がとても聞こえにくいんです。扉叩かれたり銃声くらいなら流石に聞こえるんですけど。徴発の騒ぎのときに状況がわからなくて逃げたほうがいいのか待ったほうがいいのかかなり迷いました」
 リョウの言葉にリザがマジンに目を向ける。
「できる?できれば電話機を千キュビットも持ち運べたら素敵だわ」
「そんな長さじゃ線だけで半ストンもするぞ」
「じゃ、五百キュビット」
「長くて絡むだろ」
「糸巻きつけてよ」
 面倒臭気なマジンの言い訳にリザは文句を云うように注文をつけた。
「どうやって使うつもりだ」
「貨物車に小隊規模の兵をのせることを考えてるって言ったでしょ。正面と退路に電話機置いて陣地転換の指示に使うのよ。いまの話だと電話係に二人づつ必要そうね。やっぱり糸巻き付きで千キュビットにして。あの線って、どうなってるの」
 言ったかどうか覚えていないが、リザの説明で意図はわかった。
「ただの細い銅線だよ。絹と樹脂で固めてあるけど、銅線が二本入っているだけだ」
「簡単なのね」
「理屈は簡単でも作るのはそれなりに手間だ」
「切れたら繋げばいいだけなのかしら」
 マジンの愚痴は無視してリザは尋ねた。
「濡れないようにする必要があるから、野っ原で使うつもりなら短い方は捨てたほうがいいけど、理屈の上ではそうだ。ちゃんとくっついているなら手撚りでもなんとかなる。おすすめはそうやって撚ったあと硬貨に挟んでヤットコで挟んだり金槌で叩いたりするのがいい」
「覚えておく」
「本格的に兵隊を運ぶつもりなら貨物室は換気孔と窓が必要か。椅子は付けられないぞ」
「背嚢に座るからそれはいい。けど、肩とか腰とか革紐引っ掛けてよっかかるくらいの仕掛けは欲しい。今のままだと背嚢ごと滑ってくって言ってた」
「荷物を固定する仕掛けはあるが、もともと人が乗るようには考えてなかったからな。誰かハンモックがいいって言ってたな。ベルトかなんかを引っ掛けるよう金具を配ることにしよう。あとは」
「庫内にも電話と明かりを」
「明かりはあったろ」
「スイッチがなかった」
「あとは」
 ファラが手を上げた。
「燃料タンクを後ろの台車にも付けてください。後ろのほうが軽すぎて、偶に滑ってる感じです」
「燃料タンクを付けても消費しちゃえば同じことだな。燃料タンクの増設はともかくバネ系と車軸の動力配分を見なおそう。あとは」
「貨物室の天井に人が出られる窓つけて」
「どうするつもりだ」
「遠眼鏡で周囲を視察したり、必要なら銃で応戦する。電話も付けてくれると嬉しいわ」
「兵隊ってハンモックたくさん持っているものかな」
「どうだろ。なんで」
「天井の穴にハンモックくらい吊るせるようにしておくよ」
「デカートで人数分買わせることにするわ」
 マジンはすこしばかり考えを巡らせた。
「ところでほかに無ければ聞きたいんだが、リザ。ゴルデベルグ大尉殿」
「やぁね。リザ、でいいわよ。あなた。なに」
「うちのあの貨物車は巨体と言っていい大きさではあるが、ヒトを運ぶことにかけては苦手としている。運転席は三人で乗るには十分だが、四人乗るのは微妙な広さで、五人乗るのはヴィンゼまででもおすすめしない。どうするつもりだ」
「貨物室の屋根に二人づつ乗ってもらう。どのみちウモツの向こう側は危険地帯よ。機関銃二十は屋根に銃座付けてね。背嚢も屋根に追い出したいわ。乗用車につけているようなカゴみたいな枠を屋根に付けて。紐と毛布があれば兵隊が寝てても落ちないでしょ」
「機関銃は四十じゃなくていいのか」
 これまでの流れでマジンは首をひねる。
「そりゃ、いっぱい欲しいけど、どこかのバカ女があなたの両腕噛み千切ったって云うじゃない。順番を見失っては欲しくないわね。欲しいものは貨物車と機関小銃。それから銃弾。機関銃は最後でいいわ。あれは弾が大きくてたくさん運べないことは知ってる。前線でも威力と重さでため息混じりよ。ともかく私たちは今帝国が一番手を抜いている舐めているギゼンヌを一気に立て直す」
 そう言いながらリザは動けないマリールの脳天に手刀を入れた。
「――だいたい、マリール。あたしの男を貸してあげるとは言ったけど、壊していいなんて言った覚えはないわ。それをなんですって、人足の移動の邪魔をしただの、脇腹刺したの腕の肉噛み千切っただの。しかも聞けば二度もセラムがいる旦那様の閨に忍んだ挙句の凶行って、アンタなに、どこかに雇われた謎の暗殺者か何かなの。これがどっかの娼館で起きた出来事だってなら、うちの人の目利きが悪いわ、で終わりだけど、マリール、アンタ共和国軍の士官であたしの後輩でしょ。あたしら戦争してんのよ。後方で休暇だからって任務と関係ないところで怪我してさせていいわけ無いでしょ。参謀本部と逓信院で行方不明の顛末を聞かされた時は、呑んだくれてるか喧嘩してるかなんだろうと思ったけど、あたしの旦那様に三度も面倒かけて戦争に負けたら、あなたのその立派な角で笛作って、せんそにまけた、って軍学校のあの例の不愉快なやつ踊りながらアンタのご両親に事情説明してさし上げるわ。……なんで頭叩かれながら股ぐらから女のいい匂い出してるの。それは私のやること。今日一日作戦に関する準備をして旦那様にも工房の体制を整えていただいたら、私と旦那様は明日から三日間ふたりきりで部屋で繋がってます。もう、それはしっぽりねっとり。イチャイチャと。エリスもお乳いらなくなってきたし旦那様におっぱい召し上がっていただいてそれだけで過ごすつもりよ。……その間マリールを除いた三名は部下の掌握と運転訓練と射撃訓練の計画の立案をしなさい。貴方達三人がこの屋敷では先任です。同級でも年長でもビビるんじゃないわよ。射撃訓練の計画はワージン将軍のところの資料の写しをもらってきたからそれを参考に。組み立ててない機関車や小銃があるなら、ともかくガンガン触らせて目をつぶっても組めるくらいになじませて。貨物車の組立も邪魔にならない程度に手伝わせてやって、中身については追いつかないだろうから組立と手入れだけ自分たちでできるように。中隊は本部が張り込んでくれたから連絡参謀が五人いて、まぁ彼らはおミソ扱いされることが多いけど、私の部隊今回に限ってはそんな余裕はないわ。上手くなくてもいいから運転を覚えさせて機関小銃を使えるようにして。モワルーズ大尉も撃てば当たるって言ってたことだから、マスケットとはわけが違う、どうせ当たらないなんてことは絶対考えさせないで」
 そう言いながらリザは打楽器のようにリズミカルにマリールの脳天に手刀で刻みを入れる。
「あの、それで、リザ様、先輩。大尉殿」
 弱々しくマリールが言葉を発した。
「なに。駄犬。発情してしょうがないってなら牛の腿の骨でも股ぐらに突っ込んどいてあげましょうか」
「私はなにをすればよろしいのでしょうか。私の異動は本部から連絡が来ていませんが」
 リザの無情な言葉を乗り越えるようにマリールが尋ねた。
「云ったでしょアンタは私の参謀長。……あなたの異動はいま本部で交渉中。私がこうしている以上、中隊が軍都に着く頃には決定事項になるわ。――今は一日でも早く怪我を直して。退屈でしょうがないってなら歌でも歌ってなさい。ついでにできるってならアタンズやペイテルの様子やギゼンヌの風景でも探ってなさい。でもわかってないと困るから、改めて言うけど、本番は、そんなところじゃないわよ。あなたはこの後、私の部隊を含めてギゼンヌからヌモゥズまでのすべての部隊の掌握と調整をするのが本番。だから絶対に余計なことをして消耗しないでさせないで、気力体力と魔力を回復させなさい。他所の軍区師団に迷惑をかけるのも禁止。逓信院に見つかるようなことをしたら角が折れるまで叩く。体力回復にこの人が必要だってなら、それは考えてあげてもいいけど。……私がとてつもなく怒っていることと、それでも戦争に勝つためならあなたが必要だと思っているってことはわかった上で行動して発言なさい。あんまり無様だと上と下の口におしゃぶり突っ込んで燻製肉みたいにしてハンモックに吊るして運ぶわよ」
 リザはマリールの頭をなでながら断じ命ずるように言った。
 その後リザは特務中隊全員をあつめ、三名の士官が合流したことを告げ、おおまかな日程方針を告げた。


 マジンは貨物車の貸室の幾つかの設計を組み合わせておおよその希望に近い型を組み合わせて金型を描くと、貨物車本体の部品の打ち出しと電話機用のマイクとスピーカーのコイルを機械に仕掛けた。
 本当を言えばそろそろ金属珪素合金の電線回路を使った電話機を作ってみたいところだったが、調整がわからないところが多すぎて数を作るのには向いていなかった。
 朝までかかってそれらしい寸法の鋼板の打ち出しが始まったところでリザの五日の休暇に付き合うことになった。
 ソラとユエはマリールの負傷からずっと彼女の身の回りの世話を甲斐甲斐しく務め、ほとんど常にマリールの傍らにどちらかがエリスとともにいた。
 マリールは治りかけの傷の痛みからか薄く夢見心地で日がな一日様々な歌を歌っていた。
 恋の歌や季節の風景の歌が多かったが、景気の良い軍歌や余り上品でない戯れ歌の類も口ずさんでいた。
 あまり宗教じみた賛美歌は多くなかったが、歌詞のない音楽を鼻歌と云うには複雑な技法で歌ってみせることもあった。
 ソラとユエはマリールの歌声がとても好きだったし、マリールも二人に聴かせるつもりはなかったとはいえ、人に聴かせることが嫌いというわけでもなかった。
 マリールの歌はあまりに技巧的に過ぎてソラとユエがそのまま真似をすることはできなかったけれど、歌いやすい簡単なしかし美しい歌もたくさん知っていて、二人がそういう歌に挑戦をすると幾度か繰り返して練習に付き合ってみせることもした。
 リザは三日の間、本当にマジンと溶けくっついたように、繋がったまま二人で一緒に厠に行ったり風呂に入って、日々を過ごした。途中ファラリエラとリョウが訓練内容の確定について報告をしようと幾度か訪れるとリザは完全に無視した様子で嬌声をあげていた。初日は苛立ちを含み二日目まではそれでも人語だったが、三日目は本当になにを言っているのかわからない状態だった。
 途中デカートから下りの船便に間に合わせて欲しい緊急の連絡があって鋳物用の鉄材の決済をセントーラが署名するだけに整えたものを署名するだけでも大騒ぎになった。
 マジンの集中が切れて萎えると怒るというのは、どう考えても理不尽だったわけだが、リザにとっては一種の侮辱とか自身の失敗であるかのように感じたようだった。二日目辺りまでは口でふくらませていたが、三日目辺りになるとマジンが本当に疲労をして縮み込んでいなければ、リザの女門が吸い込むようになっていた。
 それは前からリザとは奇妙に体が馴染む性的な快感という感じとは別で、たとえば集中して工作をしている中で膝を使って手首の高さを固め、腿に力を入れて高さを調整する中で肘から肩が失われ、膝の先に指が生えているような、そういう感覚に似ていた。
 リザがなにに苛立っているのか、なにを求めているのかは確かなことはわからなかったが、何やらマジンの中にあるものでそれを贖うことは可能で、マジンにとってはそれほど大したものでないと朧気な確信があった。
 おそらくそれは情愛とか信頼とかよりも一段根拠を必要としない種類の感覚で認識と識別というべき種類のもので、獣の求める家族とか番の感覚に近いはずだった。面倒くさいでしょう、全部任せて、というおそらくはそういう言語化して突き詰めれば宗教的な制度的な何かの理想の最小化であるように感じられ、言語化しようという試み自体が誤謬を拡大する性質のものであるように思えた。
 単純に性愛というには既にゆき過ぎた感覚をリザは求め、マジンはそれに付き合った。探している向きが違うように感じもするが、言葉にする種類のものでもなく性愛やそこに至る体躯の操作制御というそれはそれで重要な時間と経験でもあった。そう思わなければこの忙しいのに三日間もぶっ続けでやっていないことを探すような性行為というのは、ほんとうに気が狂ったのかと疑いたくもなる。
 頭をなでてやるくらいのほうがいいような気もするが、面倒くさいことに単純な行為は別の誰かによって既に記号的意味が付与されていることが多かった。
 リザの感覚が単なる専有とか所有の願望と違うのは三日が明けた全身体液にまみれたの体のまま繋がったまま、這い入るようにマリールの休む部屋を訪れ、マジンとの交合というのも浅ましい姿を見せつけ、マリールとマジンとの交合を眺め、マリールの体の具合や性技を眺め尋ねる辺りだった。彼女に嫉妬がないという風でもないのだが、今はかなり具合が良くなり、半分宙吊りで抵抗が殆ど無く乱暴に出来るだけ気楽で快楽を貪りやすいマリールの体について正直に言っても怒るようではなかった。それはなにか、たとえば技術者が未成の原因を探り、劣勢の指揮官が部隊の状況を把握しようと務めているのに似ていた。
 結局リザはまるで拷問師のようにマリールとマジンの交合について丸一日問い、その目はこの三日の間の女とは違ってマリールの世話をしに来たソラはリザの様子に怯えたようだったが、それもリザの女なのだろうと笑うしかなかった。
 人の、たとえば涙は悲しさだけで出来ているわけではないし、性愛は性欲と繁殖のためのだけのものでもない。
 それだけのことだとマジンは諦めるしかなかった。
 そこからのひとつきは本当に忙しかった。
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