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開戦
デカート州 共和国協定千四百三十七年春分
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デカートに出かけるついでに、ヴィンゼに立ち寄ったマジンは、町役場に町長を訪ねた。
セゼンヌは、マジンの突然の訪問に首をひねったが、月雇いを二十人ばかり雇いたい、というマジンの言葉には単純に喜んだ。
町にぼちぼちと新しい住民は増えてきているのだが、スッテンテンの着の身着のままの状態で流れ着いているものが多く、農業以外にこれといって産業が無いこの町では、家も土地も手に入らず、いつのまにやら消えている、ということも多かった。
もちろん、農奴同然に扱われたり、逆に野盗と大して変わらない者も紛れている。
保安官の仕事がなくなるわけではない。
金貨十枚では流石に家土地は無理だが、金貨で五十枚もあれば荒れた小さな家と庭くらいは手に入る。ヴィンゼはそういう土地だった。畑と言うには金貨が百枚は欲しいところだが、それだけあれば川沿いの荒れ野はそこそこの広さで手に入る。
「東のザブバル川沿いの土地がほしいんだがね」
マジンは、探している土地が町の地図にないことに気がついて、セゼンヌに声をかけた。
「ありゃ、町の外だ。太い本流のことだろう」
町長のセゼンヌはマジンの勘違いを笑うように答えた。
「うちの脇につながっているアレも支流なんだがね」
「うちはアレを本流って言ってるんだよ。町に流れている小川を支流つうんだ。ま、必要だってならソッチで勝手に測量しておくれ。で、そんな土地で何をどうするんだい」
セゼンヌは、マジンの勘違いを糺すように、尋ねた。
「アンタの言うとおり、鉄道を町に敷いてやる。そのままデカートまで伸ばしてやろうと思ってね。それだけじゃつまんないから港を作ろうと思っている」
「採算がぁ、とか言ってなかったかい。なんか商売思いついたのかね」
セゼンヌは何やら儲け話らしい話を喜ぶように尋ねた。
「戦争が始まったろ。で、ボクの嫁さんが軍人なのは知ってるだろう。彼女が無駄死しないようにしてやりたい」
マジンの言葉に、セゼンヌは肉のついた二の腕を揺するよう、肩にすくめて笑った。
「そりゃまぁなんとも。ごちそうさま。で、どういう風に土地を買うんだい」
マジンが大雑把にザブバル川を示し、そこから西に町の地図の内側に入り街道の手前で南に折れる。地図にはだいぶ食い込んで見えるが、街の中心今いるところからは、たっぷり五リーグは離れている。
「これだけかい。町の真ん中に入りもしないじゃないか」
「でも、南の街道の口の脇を通る」
話に聞くローゼンヘン館の変貌ぶりから、一気に華やかな町並みに変わると思っていたセゼンヌはブツブツと何事か文句を言っていた。
「港と鉄道が敷かれたら、この辺までは電気が来る。まぁ当面は面倒ばかりだろうがね」
マジンはそう言って代金の計算を頼んだ。
内心の想像できる猛烈な厄介事については触れない。
その後、デカートに足を伸ばし、入植課で郊外の土地の購入を申請した。
もともと点々とデカートの北側の丘陵をなぞるように土地を取得していたが、それを繋げる形で帯状にし、更に天蓋を西回りに迂回するように、ザブバル川を丘陵地で跨ぎ東に伸ばした。更にソイルの南東を丘陵地を抜け、フラムの南から西に抜けザブバル川に至る。
計算によれば約百七十五平方リーグ。四千万タレル弱。
鉄道連絡網のため、と取得目的で記入したが理解してくれたかは多少怪しい雰囲気であった。係官によると郊外には正確な測量図がなく、地図そのものが怪しいという。そういえばデカートの北側の土地についても似たような会話をした覚えがあった。
係官は申請は受け付けるが、測量を購入者がおこない地図を申請の別紙としてつけることという大規模購入に関わる条件を示した。
地図測量技術者は、つまりはまぁ悪く言えば役職のない木っ端役人のための腰掛けで、金を詰めばいくらでもどうとでもなるものだが、要するに信用の裏書きが出来る人物なら誰でもよくて、幸い一人ヴィンゼには本職の気の利いた気心の知れた男がひとりいた。
ともかく、マジンは申請をして検事局六課のキリス課長を訪れた。
「忙しかったようだな。随分ごゆっくりだ。商売で忙しかったか」
「だいぶ軍に振り回されてました。他人を腐してよろこぶ輩が、どうして国の為なんて仕事に就いて未だに辞めていないのか理解に苦しむ」
「そりゃ、今みたいな大騒ぎなら腐して悦ぶ連中には最高だろうさ」
キリス課長はそう言って、皮肉な笑顔を浮かべ、クマのように笑った。
「で、どうでしたか。使えそうですか」
マジンの言葉にキリス課長は一転困ったような表情になった。
「ん。ああ。機関小銃やらいうアレか。つかえる」
「千丁六百万タレル、百万発三十万タレルでいかがでしょう」
「ん。んん。高いって話になってな。ま、うちじゃなく局じゃなく他所から」
残念そうな声をキリス課長は出した。
「つい昨日帰ってきたばかりなのですが、軍に納品してきたところです。まだたったの六百丁ばかりですが、春のうちに三千丁あまり納入することになっています」
「そりゃ結構だな」
キリス課長はもう商売には興味が無いという顔になっていた。
「年内乗り切れれば、来年度には十万丁を納入する予定です」
「それは聞いた。だが、年内にも戦争は終わるかもしれないという話もある。負けるかもしれないな。ってことだが」
全く他人事のようにキリス課長は言った。
「ボクがどこで納品してたか。興味はありませんか」
「教えてくれるのかい」
「実は地名は知らないんですがね。ミシナの向こうまで行ってきたんです。ちょっと小高い丘に登ったら、敵と味方の塹壕が遠眼鏡でなら見える位置でした。アタンズだと思うんですが。詳しいところまでは」
「お前さんアンタ、ヴィンゼから一日で往復してるって噂は本当だったのか」
キリス課長が驚いたような顔をした。
「そういうわけで、現場の様子を見てきたんですがね。アタンズが落ちる前に助けるつもりのようでしたが、あの銃が千丁ばかりあったら、帝国軍の二三万くらいはやっつけられそうに思いませんか」
マジンの言葉にお愛想を引っ込めた顔で、キリス課長は少し考える素振りになった。
「まぁそうかもわからんね」
「そんな小銃を共和国軍が余らせたらどう思いますか。計画では百万丁納入する予定です。デカートの軍の事務員の手元にもあの銃が二三丁余らせる勘定になる」
「脅迫か。妄想か」
キリス課長は、馬鹿にするというよりは、判断に苦しむ様子で、マジンの顔に目を向けた。
「単に懸念すべき未来だと思っています。ボクも軍連絡室のあの少佐殿にはいい加減迷惑をかけられて腹を立てているところです。妄想であれば、あの少佐殿は枕代を値切って袖にされた女のところに復讐に自動小銃を持って行って、通りすがりの子供に喧嘩を売られ持っていた銃を奪われる、くらいまでは想像しました」
マジンのひねくれた想像に、キリス課長がなにかを踏んだような顔をする。
「死んだり殺したりはしないのか」
キリス課長は呆れた顔で言った。
「ああいう人物は、死んだり殺したりというわかりやすい事象では納得してしまうでしょう」
「なるほど。よほど腹に据えかねることがあったようだな」
キリス課長が同情したように笑う。
「当人は気づいていないでしょうし、指摘しても責任はないと云うでしょうが」
「怒りや恨みというのはそういうものだな」
「ともかく、銃は引き取ります。不要ということであれば結構です。返してください」
小銃の預け証を示す。
マジンがざっと銃を分解して確認すると、あちこちに粘土の跡がある。型を取られたらしい。
「その。壊してしまった。ようだ」
「壊した部品を返していただけますか」
「ないんだ」
「粘土型をだれに取らせたのかは知りませんが、壊れたという部品は私個人の資産です。折れてても割れても返してください」
改めてそう言うとキリス課長が部品を持ってきた。とくに壊れてはいないようだが、奇妙な傷おそらくタガネを当てた痕がある。
改めて組み直し、収め直す。
「銃弾の残りは」
「撃った。撃ち尽くした」
撃ち殼の数を見れば、見た目半数余りしか入っていない。
「撃ち殼はこれで全部ですか」
「うん。ああ。飛び散るからな。多分どっか行ったんだろう」
「この銃を調べた方はなにか言ってましたか」
「何のことだ」
キリス課長が嫌な顔をした。
「十日でなにか分かりましたかとお尋ねしているんです」
マジンは言葉を荒らげることはなかったが、キリス課長は諦めたような顔になって、降参するように手を上げた。
「凄い銃だというのはわかった。買えるなら欲しい。だが高くて買えない」
マジンはそれを聞くと笑った。
「よかった」
そう言ってマジンは荷物を抱え立ち上がり、手元の預け証に引取りの署名をして立ち去った。
どの道、銃の型をとったところで、今のデカートの工房の力では、同じものを型から打ち出すように作ることはできないし、形だけ似せたまがい物を作れたとして、今のデカートの工作では手に入れた弾丸を使うことは出来ない。むしろデカートの工房で全く同じものが作れるなら、彼らに任せてしまったほうが、マジンとしては面倒厄介ばかりで余り金にならない商売から足を洗える。
冗談ではなく、マジンは忙しい。
小銃の商売に関してはそれぐらいの気分ではあるが、デカートが共和国の敗北を受け入れているらしいことに、マジンは内心少しばかりとは言い難いほどに動揺していた。
そう云う気分であったから、デカートでは必ず寄っている春風荘に足を向けるのも、マジンにとっては奇妙に気が重かったが、新人の船乗りをそろそろ決めた頃合いだったので、顔を出さないわけにも行かなかった。
ミリズとミソニアンの二人は四人の新しい乗員に船の扱い方を教えているところだった。
ペロップ、ジターン、アイタル、エルファの四人は体格の良い若者だった。彼らは皆疾走するグレカーレやプリマベラを横目に、親方船頭に扱かれて、年季明けで船替えをしたという。漕船と機関船では、見るべきところが全く違うので、教えること覚えさせることのほうが多いわけだが、ともかく川船特有の、瀬を乗り越えるような揺れや綱さばき渡し板に慣れているだけで、ひとまずはだいぶ違う。とくに手足もそうだが、それ以上に目と口の数が増えたことは、大船と呼んだほうがいいプリマベラにとっては重要な事だった。
ローゼンヘン館の船小屋の拡張の進み具合は、予定よりは多少遅くはあったのだが、資材が足りていたり、人足が十分いたりでエイザーの仕事に任せていたが、全体としては悪くない出来だった。人足を合わせて三十名位が宿泊できる広さと機能を持っていた。土地の広さそのものに余裕はあるが、人間の移動と管理を考えれば、木造二階建てというのは合理的な構造だった。
別館は基本木造だったが、竈が館から持ってきたガスを使えたり、下水や上水の配管も完備されていて、アリモノ直しの間に合わせで作った母屋よりも、使い心地はよほどよさそうにしっかりと大きく出来ていた。細かなところは完成というわけではないところもあったが、とりあえずの機能は十分で船が河口にいない間の人足仕事の裁きぶりも、十分に合格といえるところだった。
それは、マジンにとっては、エイザーの実技試験のようなものだった。
エイザーの大工の技量は並というところだったが、建築物を構想する力は本物で、きちんと他人に分かる絵図面をかける種類の技術を持っていた。酒をやめさせてからはだいぶ人に当たることも減っていて、モイヤーやベーンツとも上手くやっている。
歩ける距離で最大千人が夏冬を越せる宿舎を備えた宿営地を作りたい、とエイザーに言った。
食料と燃料はこちら持ち。
食堂。
倉庫。
朝晩で全員が入浴できる広さの浴槽。
「千人ですか。そうするとお家の厩舎脇のアレが五じゃ足りない。短期なら八か十。長期なら余裕を考えれば二階建てにして十二かそこら。つまりはちょっとした砦か町ですな」
漠然としたイメージのままエイザーが口にする。
「まぁ、そんな感じだろう。ボクが全部やってもいいんだが、結構忙しいんでね。図面の起こしくらいはお前に頼みたい。頼まれてくれるか」
「ん。分かりました。やってみましょ。急ぎですか。や、どのくらいの急ぎですか」
「図面の大まかと下水案はひとつきで頼む。細かな資材の計算の類はあとでもいい。人数が多い。厠の手当はバカにできない。場所を選ぶときは注意してくれ」
エイザーはあまりに急な話で目を丸くしたが、およそ事態を察するくらいには、鉄道の道固めの段階で話をしていて、なにが始まるかということは、エイザーの中ですぐに組み上がった様子だった。
エイザーには戦争の話は特にしていなかったが、既にヴィンゼまでの鉄道の話はしていて、エイザーも楽しみにしていた。
それに繋がる話であることはエイザーにもすぐに察しが知れた。
ベーンツや船の連中からヴィンゼの倍ほどの人足を使う話を考えているらしい、という程度の法螺話は聞いていて、エイザーも話半分としても楽しみにもしていた。
来るものが来た。という話だった。
エイザーはベーンツの助けがあればということで、翌日からヴィンゼに出向いたり館に呼んだりして相談をしつつ、構想案と用地の選定にあたりはじめた。
さらに翌日の昼間、町役場に寄ったついでに保安官を訪ねると、率直に戦争について切り出した。
「悔しいが、勝てんじゃろう」
保安官の意見は、ひどくわかりやすく悲観的な想像だった。
負けて良いと思っているのかという質問に対しては、思っていないがなにができるのか、というような感想を述べていた。
デカートの元老院議員なんだろう。という言葉を敢えてマジンは飲み込み、機関小銃を見せた。
「これは」
見たことのない工芸品の迫力に、しかし軍隊経験もあり拳銃稼業に携わっている保安官にはその価値が知れないまでも、見たこともないすごい小銃だ、という意味はわかった。
「あなたの知り合いの元老議員で、この戦争に勝ちたいと思っている連中はいないのか」
「そりゃ、いないこともない」
苦々しい表情でマイルズ老人は答えた。
「そういう人物に吉報がある」
「何じゃ、この銃を買えというのか」
先回りをした顔でマイルズ老人が尋ね返した。
「それもまぁ一つなんだが、ボクの言いたいことは別だ」
「さっさと言ってみろ」
マイルズ老人が焦れたように尋ねた。
「ときに保安官。この後お時間よろしいか」
「なんだ」
マイルズ老人は怪訝な顔をした。
「この話をしたあと、デカートなりどこなりに出向いて、その知り合いにこの話を伝えて欲しい」
「いいから話を聞かせろ」
マイルズ老人は焦れたように言った。
「ボクはこの銃を六百丁ばかり軍に納品してきた。この間もミシナの先のなんとかいう丘の上まで行って、銃弾を四十万発ばかり収めてきたところだ。帝国軍の塹壕が遠眼鏡で彼方に見える辺りだ。多少揉めたがね」
マジンはできるだけ嘘を言わないように説明した。
「それで大きな機関車か。何両も見たという連中がいた」
「ここからはボクの想像だが、軍は春のうちにアタンズを解囲するつもりで動いている」
「春のうちってもうふたつきもないぞ」
マイルズ老人は奇妙な話に確認をする。
「そうだ。その期間のうちに三千ちょっと納品することになっている。奇襲も同然だから間違いなく初戦は勝てる。だが、帝国軍も既に後方から増援を回している」
「ふむ」
マイルズ老人も、口では劣勢必敗を常識と述べたが、興味は惹かれた様子だった。
「どういう風に展開しても手数は足りないだろう。軍が予算を編成して僕の小銃を大量に買ってくれれば多少は見込みがあるが、実のところ政治が絡めば見込みは薄い。軍内部でも戦争に悲観的な連中は多い。その連中が足を引っ張っている。その連中を蹴っ飛ばすのを手伝って欲しい」
マイルズは若者の話の迫力につばを飲み込んだ。
「この小銃で勝てるのか」
「この銃があれば百倍は難しいが十倍の敵は倒せる。聯隊が一つあれば、従来の師団を正面から叩き潰せる」
「大砲はどうする」
「大砲の対策は散らばって突入だろう。この銃があれば十倍の敵は倒せるといったのは冗談じゃない。分隊でかかれば騎兵中隊なんか一捻りだ」
「そんな馬鹿な話があるかよ」
マイルズは常識論を負け惜しみのように言った。
「狩りに行こう。そうすればすぐわかる」
疑わしげな顔をするマイルズ老人を引きずるようにして、機関車に乗せると、マジンはともに南の荒れ野の丘に向かった。
「ここは……」
「最近賞金首が屯しているらしいね。バル・ベルムルソ、ノルマ・ベルムルソ、アットン・マンゾ。三人で一万一千タレル。結構な悪党どもだ。忙しいんで放置していたが今日はお付き合いいただきたい」
そこからの捕物はひどく陳腐で簡単な展開だった。
拳銃と同じように銃身を目の前にまっすぐ短く揃えて引き金を引くだけ、と教えて狩りの手はずはおしまいだった。
大声で呼ばわって、武器を下げ裸で出てきたバル・ベルムルソを保安官に撃ってもらい、挙手空手のままのマジンの臆病者呼ばわりに腹を立てたノルマ・ベルムルソをマイルズ保安官に任せ、逃げ出したアットン・マンゾを背中から撃つ。捕物というのもつまらない人狩りの展開だったが、ともかくあっさりと三人を仕留め、飯炊き女だか退屈しのぎだかに攫われていた女を二人助けだし、保安官とともにデカートに届けた。
マイルズ保安官の銃の腕は、なるほど保安官が務まるらしいほどには正確で、この小銃をとても初めて扱ったと思えない見事なものだった。軍隊経験者であるという話も納得できる。
だが、マイルズ保安官は小銃について話題を避けるように言葉少なだった。
そのままデカートで一泊して、ピエゾ・ロンパルというフラムの元老院議員を尋ねることになった。
マイルズ老人は昨日の捕物の話には触れようとせず、マジンの今後の予定を思い出したように尋ねた。
今後十年で鉄道を軍都までつなげようと考えているという話は、どういう風に思っているかはわからなかったが楽しそうに聞いていた。
フラムの町は主に石炭の産出で賑わっている街だが、小規模に金や銅、銀亜鉛錫といった金属もみられ、温泉を掘り抜いたりという、なかなかに複雑な山岳地域の入口で、硫黄の流通拠点の一つとしても知られている。
鉄鉱石も鉄重石の形で産出するが、炉を傷めるということでフラム産の鉄鉱石は好まれていない。
それでもローゼンヘン館では様々に手をかけて、それなりに使えるようになってきた。
ロンパル卿はフラムの町の鉱山区の測量を本業としていて、常時二百人ほどの測量士とその徒弟を使って日々変わり続ける鉱山区の地図を更新している。とはいえ、たった二百では十分に追いつけておらず、測量を嫌う鉱山主も多く様々に捗りもしていない。だがとりあえず山の往来を守り、鉱毒が山の中で収まるようにするのが彼の家の仕事であるという。
彼の配下の測量士と謂う者共は、つまりは野歩き狩人や野草摘みの薬師のような山窩の者達でもあって、そういう者達の往来と収穫の自由を保証する代わりに、測量と山林の実情調査をおこなうというのが、フラムの鉱山組合測量部の実務でもある。無論に亜人も多い。
フラムではもちろん鉱石として山から産するわけだが、輸送の手間や商品としての価値を高めるために精錬も積極的におこなっている。
水銀やら鉛ヒ素や精錬に使われている硫酸や青酸といった各種の鉱毒についての理解はあるが、その管理となると些かでは済まないほどに難しいというのがロンパルの認識だった。
鉱毒鉱滓と呼ばれるものが実は様々に材料になり得る、しかし手のつけようもない面倒厄介ものでそれぞれの山がそれぞれに管理をしているが、もちろん手間のかかる危険な代物の管理が簡単であるはずもない。
そしてことが起これば山ひとつでは済まないことから、鉱山組合がしぶしぶながら組織され、その常任専務理事でもあった。
マジンも、数グレノルという屋根をかけられる量であれば何とかなるが、数千数万数億グレノルともなれば約束できる量を超えてしまう。
最近もそういう鉱滓の管理を失敗して、取り潰しになった鉱山があるという。
そして記録を紐解けば、必ずしもそれは大きな事故というわけではない。
むしろ些細な部類ですらある。
ロンパルは実はマジンのことは知っていた。
というよりも、フラムの鉱山主でマジンのことを知らない者はいないという。
ほぼ年次で改訂されるストーン商会の鉱石鉱物組成内訳概目が、マジンの手になる報告を取りまとめた小冊子であることは、フラムの鉱山主で知らないものはいないということで、およそストーン商会の取り扱いのある採算のある鉱山の主は戦々恐々としているという。
その小冊子と云うには、あまりに重大貴重な書籍はデカートの州境を越えて、一種の天秤の錘のように扱われている書籍だった。
何の要件か、と切りだすロンパルに、マイルズが戦争についての感想を求めた。
「だらしがない。というのが正直なところだ」
鋭い目と鷲鼻が猛禽を思わせる、その印象通り歯牙にもかけない言い様だった。
ロンパルは共和国軍の小銃転換計画の推移と、奇襲からの経緯との概要を知っていた。
「――ともかくも前線の兵士が指先ひとつで敗北への断崖からぶら下がってるのは、帝国の無能でも共和国の有能でもなく、ただひとえに前線の兵士の努力とそれに協力する町々の住民の力だ。彼らは銃後の我々が最善を尽くすと信じているから頑張ってくれている」
そう言ってロンパルはパイプのタバコに火を点けた。
「どうやら、春のうちに軍が動くらしい」
マイルズの言葉に、ロンパルは少しタバコを吹かし、考えるような素振りをした。
「……聞いていた話や思っていたのとはだいぶ違うな。秋ごろに挑むつもりだというように聞いていたが。アタンズがいよいよ危ないという噂は聞いていたが、見捨てるに忍びなくなったのか。よほどの天佑があっても勝利を望むのは生易しいことには思えないが」
「わしも詳しい話は知らんのだが……」
言い訳のように口にしたマイルズを見やって、ロンパルは少し考えた。
「……それが、ゲリエ氏を連れてきた理由か。どういう話か聞かせてもらおうか」
マジンは一番近くの出来事、アタンズの両軍の陣地が辛うじて見える位置の丘に新型小銃と銃弾を運んだことを説明した。
「春のうちに三千丁あまり銃弾七百万を納入する予定です。ですが、どうやら、軍の中にはこの作戦に疑念を持っている者がいるようで、妨害と思しき騒ぎもありました」
マジンはマリカムでの騒動を一言で説明した。
「まぁ、軍の感覚で七百万発の銃弾を手に入れれば散発的な作戦に使うよりはともかくもまとめて使おうとは考えるだろう。で、前線の陣を作っているというのはワージン将軍の師団かね」
「そうです」
ロンパルはパイプを長く蒸かした。
「キミの小銃とやらはワージン将軍が使えると判断したということだね」
「そういうことだと思います。機関車もまとめて使っていました」
「ストーン商会が見せびらかしていたアレか。軍に売ったか。アレは軍では色々使いみちがあるだろうな」
ロンパルは言葉を切った。
「……それで。――ワージン将軍が春に手を出すということは、少なくともアタンズを応援するくらいのことはしてやろうというつもりだということはわかった。それで、わざわざその話をそこの老いぼれ保安官に案内させてまで聞かせた理由は何だね」
パイプの中のタバコをほじくりながらロンパルは尋ねた。
「デカートでもこの機関小銃を買っていただいて、義勇兵を編制する動議を提出してはいただけないでしょうか」
マジンが言った言葉にマイルズは驚いた。
「マイルズじゃダメかね」
話よりもパイプの火の廻りを気にするようにロンパルは改めた。
「マイルズ保安官は物わかりの良い方で見る目もありますが、戦争には余り興味が無いようです。デカートも全体的には戦争に興味が無い人々が多いように感じます。そういうことではマイルズ元老院議員が熱を入れるのは難しいように思います」
ロンパルはクスリと笑いを漏らした。
「まぁ、そうだろう。他にこの話は誰に? 」
ロンパルはマイルズの反応を無視したように尋ねた。
「納入の可能性の打診を司法局六課に。飛び込みだったのですが、十日ほど預けてあっさり断られました」
ロンパルは辺りを少し探る素振りを見せた。
「その小銃というのは見られるのかな」
マジンは膝下から銃の入った鋲止めの鞄を机の上に上げ中身を見せた。
「――つ、これは、見事な細工だ」
ロンパルは手の中のパイプの火に触れてしまったらしく顔を一瞬歪め、銃に見入った。
ロンパルはパイプの火を灰皿に掻き出すと、マジンに銃を改めさせてもらうことを断わり、あちこちを眺めた。
「どちらかで試射がお見せできればいいのですが」
「こういう者に詳しい家の者に触らせてよろしいかな」
ロンパルの執事に銃の説明をおこない、裏庭に樽と石炭袋を標的として試射をおこなった。
連射も散射もはじめてみたマイルズは驚いていたが、見た者触れた者にはこの銃の価値が伝わった様子だった。
そのまま裏庭にほど近い部屋で話の続きということになった。
「で、どうだ成算はありそうか」
マイルズはロンパルに少し興奮したように尋ねた。
「感想としては、面白いと思う。だが、元老院でうまくゆくかは微妙なところだろう。とくに軍の行動に間に合うかという意味においては。ギゼンヌは遠い。こういうのは私よりも彼のほうが得意だろう。なぜスティンクに話を持ってゆかなかった」
ロンパルが尋ねると、マイルズは少し嫌そうな顔をした。
「彼はこの手の話が好きすぎる。弾みが付き過ぎると議会も採算もなにも関係なくなるだろう」
マイルズが口にした言葉に、ロンパルは笑みを浮かべる。
「うん。まぁそれはそうだ。で、お二人の今後の予定は」
マイルズの言葉にロンパルは納得したように応え尋ねた。
「もしよろしければ、スティンク氏との面談にご一緒いただければと思うのですが」
「ヴァルタまでかね」
マジンの法外な要求に驚いた顔をするロンパルに、マイルズはニヤリとする。
「機関車なら一日だ。なかなか新鮮で面白いぞ」
マイルズの言葉に、ロンパルは二人の客の顔を少し見比べ頷いた。
「いいだろう。久しぶりにスティンクの家を訪ねてみるのも悪く無い。とはいえ、今日は泊まってゆきたまえ。昨日、鹿と雉が捕れた」
そう言ってロンパルは二人に食事と宿を提供して饗し、翌日朝はやく二人に同道した。
三人が訪ねた先は、ヴァルタ郊外の丘と小川が森と池とを作る緑豊かな荘園であった。
広さという意味ではデカートの天蓋と大差ない広さを誇るそこは、デカートの風景の複雑さを誇るような土地でもあった。
スティンクは元老議員二人の突然の来訪に驚いた様子も見せずに大歓迎した。
スティンクもマジンのことを何故か知っていた。
「いや、その慧眼そして大胆な発想、愛郷愛国の精神の発露を感じる。なかなかの計画とお見受けする。だが、できれば我が愛するヴァルタもその一翼に含めていただきたい。おそらく川を渡った一翼からソイルへ向かう南辺をゆるやかに南西に伸ばして、メリタの丘陵部へ伸ばしていただけるとデカート南西部の川沿いの農地も大曲輪の一端に含めていただけるだろう。そのまま我がヴァルタの南方から西方に向かって北上すれば、大デカートをつつむ二百六十リーグの大城塞の完成だ」
スティンクはマジンに向かって、そう一気に謳うように語った。
客である三人は、マジンも含めスティンクの言葉の意味するところがわからず、目がマジンに集まる。
「何のことだね」
マイルズがマジンに尋ねるのに心当たりはなく首を振る。
「ボクもサッパリ」
マジンが応えるのに、スティンクは大きく口を開けて笑った。
「そうよな。そうよな。私が知っていることをキミが知らなければ、キミは当然にそう応えるだろう。私が知っていることを教えてしんぜよう。アレは先日、私の執事が行政庁から、土地取得に対する大規模な申請の稟議書が回ってきたのを持ち帰ってきたことから知った。鉄道。鉄の道。丘をめぐるようになめらかに整えられた鉄の壁はまさに味方にとってなめらかな道。そして敵にとってはただ打ちのめされるだけの鉄の通路。恐るべき遠望。まさに戦略眼。私の疑念は、アタンズが今や落ちんとする、まさにこのときに立ち上げられたという時期の一点のみ。だが一方でこの時期でなければ誰も思いつかなかったとも思える、この大望秘策。学志館の寄付の大きさも知っていたが、まさに人なればこの世になにかを残したいと願う焦り哮りを感じる。どのような人物かと思えば、今まさに俊英。若竹のごとくまっすぐ涼やかな瞳。大望を潜めた人物を感じる落ち着いた表情風貌。野望を抱くにふさわしい若さと知性を感じる。そして元老ふたりを引き連れて我もとに来たということは、その大デカートを守る城塞の建設協力を求めてかと察した次第」
そういえば資産的な問題と、東進を急ぎたいという都合から、ヴァルタ方面への鉄道用地買収に関する申請はおこなっていなかったことを思い出した。
「私はそういう話は聞いていない。だが、デカートの防衛戦略という意味では一致する」
ロンパルは全く冷静にスティンクに云った。
「ふむ。別件であったか。とはいえ、元老ふたりが揃っておいでとはそれなりの内容と思える」
芝居がかった態度を切り替えるようにスティンクは向き直った。
「内容そのものは単純だ。義勇兵募兵の動議を出す気はあるかという用件だ」
「おっおおぉ。まさか、ロンパル元老院議員は私が提出しようとしていた義勇兵募兵の動議を承知していたというのか。ロンパル卿は私も深く信を寄せる敬愛すべき元老なれど、帝国との戦力差を明確に理解している人物故に被害惨劇を恐れて反対されると思っていたっ。うむ。インガル・マール・スティンク、今まさに億万の神兵を味方に背を任せた気分っ。しかし義勇兵動員を考えても装備備蓄の実情を考えれば兵十万を揃えるのは難しい。二万をなんとか揃えたとして残りは拳銃と槍ということになる」
スティンクは先走った勢いのままに自分の考えを述べた。
「その件だが、二個聯隊規模。砲がつくならやや小さいが一個旅団ということになるのかな。それ以上に大きくする必要はない。それ以上の大きな規模の提案になれば、キミが言う通り、私は被害惨劇を恐れて反対に回らざるを得ない。そういう話をしにきた」
「聞こうっ。だがそれでは帝国に勝てんぞ」
ロンパルの言葉にスティンクは頷いて言った。
「自慢の射爆場は使えるかね。キミはおそらくむこうのほうが落ち着くだろう」
ロンパルはスティンクの勢いをいなすでもなく言った。
「無論、使えるが他人の耳目を気にするならここも問題ないはずだ。家人の人払いが必要な話なのか」
少し怪訝そうに、声の調子を落とすようにスティンクは尋ねた。
「まぁ、そうでもある。が見せたいものもある」
ロンパルがそう言うとスティンクは頷いた。
スティンクの射爆場というものは、旧式の大砲やら多連装銃、多銃身銃や薬室をまるごと差し替える斉射銃等様々な銃が並んだ大砲が撃てる射撃場だった。見れば状態も悪くなく新旧の後装砲もある。
軍が使っている現行の後装銃や回転弾倉式の騎兵銃、どういう経路で手に入れたのか、装飾の目立つ西方の武器や、帝国軍の小銃や大砲などもあり、皆相応に手入れされどういった経緯であるにせよ、研究され保管されているようだった。
ロンパルに促され、マジンは説明と試射をおこなった。
スティンクは当然に驚愕していたが、如何にも銃器には慣れている様子で、奇妙に静かに銃を扱っていた。
「機関小銃というこれが、一個旅団で帝国を押し返すという根拠か」
「既にこれが前線に数百配備され、春のうちの反攻の間に三千まで増えるという。反攻がうまくゆくならアタンズは秋冬までおそらくペイテルも同様に保つだろう。その間に我々は旅団を編成し、反攻作戦に参加する準備を整える」
スティンクは頷いた。
「だが、帝国軍の増援は五万は確定。おそらくは年内に十万は越える。兵站も年内は問題なく来年も途絶える保証はない。共和国は年内にギゼンヌ周辺に集められる戦力はおそらく六七個師団。現地の部隊を夏のうちに解放したとして、回復は三ヶ月では期待できまい。一個旅団で参戦したとして戦力はほぼ同数。装備の充実を考えれば我が方不利だぞ。勝てるのか」
極めて常識的かつ冷静にスティンクは尋ねた。
「保証はない。だが、我々がデカートが義勇兵を出すことで各地の動きは変わる。はっきり言えば、我がデカートは日和見の筆頭に見られていたからな。大議会の動きが変わるだけで軍が動きやすくなるのは間違いない。それと、彼の小銃の生産計画の予算が通る可能性が増える」
ロンパルはスティンクに正面から答える。
「どういうことだ」
スティンクは話の先を促した。
「共和国軍本体、大本営で機関小銃の売り込みをしているらしい。機関小銃百万丁、銃弾二億発。その生産実績にもなる」
ロンパルの言葉にスティンクは驚きもせずに頷いた。
「それくらいは最低必要だな。だがそれはあくまで計画全体の話だろう。年間計画は、或いは初年度計画はどうなっている」
「年産十万丁銃弾一億発。というのが年次計画であるという。その生産試験期間として小銃と銃弾を作っているが、今のところ月産二三千、銃弾は二百五十万というところだそうだ」
ロンパルの説明を聞き、スティンクはマジンの顔を見てマイルズの顔を見比べる。
「年でなく月か。いい後継者を見つけたな」
そう言ってスティンクはマイルズに頷いた。
「まぁ、ともかくだ。アタンズが夏のうちに一旦解放される可能性があるなら、なにを勝利というかはさておき勝利の目がないわけではない。我がデカートが共和国に貸しを作れる機会を逃すのも良くない。幸い我々はここに三人いる。もう三人見つければ公共に関わる購入品目の動議は出せる。もう五人見つければ公共に関わる人員の徴用の動議は出せる。七人出せば域外への人員の遠征派遣動議が出せる。義勇兵を何万にするかとか考えているくらいだから、何人かは心あたりがあるんだろうね」
ロンパルは話の先を継いで尋ねた。
「ふたりは。マゼナグとパラペスだ」
スティンクは頷いて応えた。
「先は長いな」
ロンパルが笑った。
「しかし義勇兵にこの機関小銃で武装させるとして司法は嫌がるだろう」
スティンクは一つの未来の問題を想像した。
「先に六課に売り込みに行ったら断られたそうだ」
ロンパルが告げる。
「詳細はわかりませんが、値段の折り合いがつかなかったようです」
マジンの補足にスティンクは、ふん。と鼻を鳴らした。
「調達として価格はどうなる」
「一丁六千タレル、弾薬十万発三万タレルです。軍の予算が付けば、専用設備が準備できてだいぶ安くなる見込みですが」
マジンの応えにスティンクは値段を聞いて首を傾げた。
「高いは高いが、六課が値段で嫌がったというのを聞けば不思議なくらいの値段だな。あそこの使い捨ての大砲は一発三千タレルだぞ。千丁と言わずに、四五百も買っておけばいいものを。おかしな話だ」
スティンクは標的の弾痕を探すようにしながら言った。
「――だが、旅団として一万丁一千万発として六千三百万タレルか。ま、安くはないな。銃弾は働き次第で湯水の如く使うことになるだろうし、遠ければ行李が嵩む。これからの戦争は高くなるな」
思い直すようにスティンクは言葉を継いだ。
「彼と話を紹介するだけしておいてすまんが、わしは動議に参加できん。一千万タレルも用立ては出来ないからな」
マイルズの言葉に、スティンクとロンパルは驚いたような顔を一瞬したが、思い出すように頷いた。
「ヴィンゼの開拓という一大事業をおこなっていれば、カネに余裕が有るわけもないか。だが動議が建てば賛成票を投じてくれるのだろう」
スティンクは確認した。
「それは今更。無論だ」
マイルズが頷くのに元老がこぞって頷いた。
「いっそ、ゲリエくんを元老に推挙するか。――ゲリエくん。年齢は」
ロンパルは軽い様子で聞いた。
「今年二十歳です」
それを聞いてマイルズが慌てる。
「そ、それは待ってくれ。ヴィンゼの街の土地はわしの元老特権で借り受けている土地だ。死亡なら二年猶予があるが引退では即時権利がなくなる。銀行と駅馬車がなくなっては流石に町が立ちゆかん」
「落ち着け、マイルズ。キミの跡目にゲリエくんを充てろと言っているわけではない」
ロンパルが宥めるように言った。
「――去年バーゼンと、ポイドマが死んだのは覚えているだろう。ポイドマは息子が入ったが、バーゼンは娘が六つでは打擲礼に耐えられないだろうと奥方が継承を断ってきた。まぁそうでなくとも去年既に元老院の欠員は三つ出たまま埋まっていなかったが、四つになったというわけだ」
ロンパルが状況を示唆するように説明する。
「席次にカネがかかり過ぎではないかという声があるのも知ってはいるが、財産も仕事もない連中に他人の命や財産を預かる力があるとは思えない。まぁ、元老院の権限がわかりにくいというのはそうだろうが、公有地を自由に貸借できるというのは十分に大きいと思うのだがね」
スティンクが軟弱を嘆くように言った。
「自力で開拓できればそうだろうが、そうでなければ意味もない権限だ。ソイルがただの宿場だった昔とは違う。ともかくだ。この状況は我々にとっては一つ都合がよいかもしれない」
ロンパルは話の筋にマジンとマイルズがついてきていることを確認するように一息おいた。
スティンクがお茶のおかわりを継ぐ音が響く。
「――ゲリエくん。キミは元老院の席を買うということに興味が有るかね。値段は小銃の代金ほどだ。権限は元老院での動議の提出とその賛否の判断。動議の結果は期限付きの立法の形でデカート全域に布告される。他に公有地の貸借権限というものが一種の給与として与えられるが、その辺りは才覚次第だ。資格は二十万タレル相当の土地資産の保有と税務の滞納のないこと。継承の場合は議員一人の推薦でいいが、推挙の場合には三人の元老議員の推薦が必要になる。今回は席が空いているから選挙もない。落選選挙は様々に面倒くさい。そういう意味ではカネだけでケリがつく今回はひどく都合がいいと思うが、どうだろう」
口にしたロンパルよりも、黙ってお茶を継いでいただけのスティンクのほうが、よほど熱心に口元を睨みつけるようにして、マジンの応えを待っていた。
「……どうかね。継承でない若者というのは異例ではあるが前例がないわけではない。この国難、キミの力を我々は真剣に必要としているのだが」
ついに沈黙に耐えられなくなったのか、スティンクが身を乗り出すようにして改めた。
「わかりました。公有地利用の権限は大変に魅力的ですし、ともかくも共和国の戦争勝利は私も望むところです。ところで、みなさんは亜人の社会権制限の緩和について反対の立場でしょうか。土地の取得であるとか学問であるとか財産権であるとかといったものですが」
ロンパルとスティンクは顔を見合わせた。
「いや、正直に言えば余り興味が無いというところだったのだが、どういうことかね」
スティンクは首をひねるように尋ねた。
「単純な話ですが、私は今度の小銃の生産を契機に大量に亜人種を雇用しようと思っているのです。ですが、私一人で管理するのは難しいので、彼らに給与を支払って市民として自らを律した生活をしてもらいたいと思っています。その過程で各種の差別や格差を公執行機関にうけると、市民生活に影響が出ます。窓口での利用者に対する侮蔑悪態の類いが執行業務に差し障りがあるのはご存知だと思いますが、そういったことです」
スティンクは自ら入れた茶の香りを確認するように真剣な顔でいた。
「間をはしおった私の理解では、キミは亜人にムチを振るうのが面倒くさいから、カネでケリを付けたいのだが、役場に協力させることは出来ないか、と言ったようなものだがそういう理屈でいいかな。それはこの小銃や戦争の話と関係有るのかね」
スティンクは唸るように確認した。
「お言葉はまぁ、乱暴にぶちまければそういうことでしょう。ボクの小銃が世に出た後の戦争では一々部下に鞭を振るっているような指揮官は味方から撃たれます。共和国軍では実態として味方銃列からの指揮官殺害を極めて重篤に扱って、士官と兵士の関係構築に躍起になっているようです。結果として帝国軍よりも強靭な瓦解し難い軍隊になっています。戦争技術的には魔導士の作戦的な運用で上位の司令部の命令が信頼できるようになったということが大きいと思います」
マジンの言葉に、スティンクが困ったような顔でロンパルを眺めた。
「まぁ、戦場ならずとも味方から撃たれるような状況は困る。が、乱暴な指揮官が闇討ちで殺されることが多いのは事実だ。わしのいた聯隊でも偶にあった。最近はだいぶ減っていると聞いたがね。なるほど、魔導士のおかげか。ありそうなことではある」
マイルズが口にした。
「ボクの機関小銃は視界に入る限りのものに即座に弾丸の雨を降らすことができるように作ったものです。当然に敵よりも味方のほうが視界に入ることは多く、感情は瞬間的に沸き起こるものです。御覧頂いた銃の簡便さはその機能を十全に期待するなら、握った兵士自身がなにを撃つべきか即座に判断すると同時に発砲できます。そういう能力を持った兵が、敵の突撃を前にして恐怖と混乱で或いはドサクサの怒りから味方を撃つようでは困ります」
マジンの言葉にロンパルが頷いた。
「猛き者、汝の怒りを恐れ疑えよ。そは朱く焼けたる鉄の杖なれば。というアレだな」
ロンパルは言葉を口にして、パイプをいじり始めた。
「理屈はわかるが、そうすると義勇兵に亜人や囚人を使うことが難しくなるということか」
ロンパルの言葉に、スティンクが呻くように言った。
「そこは単純に部隊の信頼、広義における兵站の問題だということだろう。亜人の話はわからないでもないが即効性があるとも思えないな。心配なら指揮官も武装すればいいだろう。先の話を見れば部隊の容貌もかなり変わる。鼓笛隊もいらない。そんな隙がない。さっきのあの銃声を聞いただろう。事前に打ち合わせをしておかなければ、命令も太鼓も聞こえはしない。せいぜい呼子ラッパと砲声狼煙のたぐいだ。声による命令なんか小隊規模でも怪しい。散兵をかつて押しつぶした銃列が再び散兵によって引き裂かれるようになるんだ。堂々たる陣形を組んでぶつかる時代は今まさに去ろうとしている。また先のことはわからんがね」
ロンパルは冷たく想像を語る。
「問題はそうすると、義勇兵を編成するとかよりも、その指揮官だな。最低限散兵戦術に精通した人物である必要がある。或いは中隊規模の指揮官が多数必要になる」
ロンパルの言葉に、スティンクは苦い顔をする。
「――ここ何百年もデカートにはまともな軍事作戦の研究をした者なんかいないぞ」
スティンクは吐き出すように言った。
「その件ですが。私の知人が武装検事団の自律的な作戦能力は散兵戦術の一つの精華であろうと評しておりました。彼らに分隊なり小隊なりを預けるようにして膨らませれば、先の義勇兵の問題もひとつ解決するのではないかと思うのですが」
あくまで元老は戦争についての先行きを考えている、という態度でマジンはそれに応じた。
「戦術的にはそれで対処するのがいいだろう。だがところで指揮官はどうする。大戦略に関われるような将軍格の人物は思いつかんぞ」
スティンクはロンパルに投げるように尋ねた。
「多分そういう人物は不要です。ギゼンヌ・ペイテル・アタンズの周辺の治安を維持できるような人物であれば、住民との軋轢を起こさず、訪れるだろう帝国軍の小規模な尖兵とそれに乗じた野盗を排除できる人物であれば。むしろ積極有能すぎる人物がたてば却って共和国軍が困惑することでしょう」
割り込み答えを示すようなマジンの言葉にロンパルは頷いた。
「なるほど。ゲリエくんの構想では我々の義勇兵はギゼンヌ周辺の町々の治安回復を目的とした警護部隊になると。共和国軍もそれを望むだろうとそういうことだね」
「共和国軍も命令系統の異なる部隊を前線の戦区に並べたくはないでしょうし、デカートには魔導士がいません。部隊間の連絡が取れないと問題にもなるでしょう。それよりは長期の籠城戦で疲弊した人々の人心回復に務めたほうがデカートの支援を遠方の地に印象付けられますし、義勇兵の戦傷被害も減ります。中核に司法の流儀に通じたものがいれば円滑に作用するかと」
ロンパルは頷いた。
「マイルズ。キミ、軍監としてついて行く気はないかね。義勇兵を派兵するとなれば、いずれ誰か元老が一人ゆく必要もある。保安官としての中庸をデカートの歴史に名を刻む良い機会だ。ついでに言えば二十年分くらいの元老院の席次費に相当する額の役職手当も出るはずだ。戦況が劣悪であれば軍費として充当する必要もあるからどれだけ残るかはわからんがね」
スコーンにジャムはいかがか、というような気楽さでロンパルは述べた。
「ギゼンヌか。遠いな」
「軍監は外向きに明るく強く、性格が尖っていない人物のほうがいい。有能であるよりも円満な人格が求められる。無論無能であっては困るがね。こういう状況であればなおさらだ」
ロンパルの説明にマイルズは頷く。
「その時が来たら考えておく」
マイルズにしてははっきりとした態度で言った。
「市民社会の治安整備の文明化という観点で、亜人の公民権についてのご意見をいただければと思います」
マジンが話を引き戻したことで、スティンクは少し困った顔をした。
「正直なところ、考えたことのない話題だった。そもそもデカートには亜人は少ない。粗方は何らかの職に就いているし、デカート自体がそれほど貧しいわけではない。だが、たしかに個々の雇用関係で安定しているだけで公民権の整備という意味合いについてはおこなわれていない。理想を言えば新しい人材の確保という意味でも貧困層の対策という意味でもなにか手を打ったほうがいいかもしれないが。良きにつけ悪きにつけデカートは安定した街だ。ジリジリと農地や鉱山は拓かれているが、極端に大きな変化はない。そこに新しい人間関係社会構造をというのは難しい」
スティンクは考えを述べた。少し考えをまとめるように茶を啜る。
「――ゲリエ君のこの小銃のようなものが社会に投入されるとして、人々の教育と信頼が必要だという論旨の中で亜人種や貧困層に対する対応や我々のような指導層富裕層における啓蒙が必要だということは理解できるが、彼らの存在が例えば義勇兵のような非常時における予備の労働力の根拠になる」
マジンは頷いた。
「予備なれば、扱いは人並みに。蓄えの火薬は湿気ては話になりません。アタンズの苦境も他人事ではありません」
元老たちは困った顔をした。
スティンクは助けを求めるようにロンパルに目を向けた。
「ゲリエくんの言いたいことはまぁわからんでもない。新しい世には新しい心構えだ。現に軍では既に数万の亜人が様々に働いている。幸い我々は手に負える程度の教訓を、義勇兵の編成という課題でつきつけられた。以前のように貧民窟から叩き出すようにして兵を募るのはいいが、ゲリエくんの新型銃を渡した途端に犯罪や暴動を起こされては困る。そういうことだろう。亜人についても同様だ。募兵した亜人が徒党を組んで鉱山に立てこもるようなことがあれば、たちまちフラムの運営は止まる。今現在、フラムには一万人弱の様々な亜人が様々に労働に従事している。連中の夜目や鼻、或いは勘や知識はフラムの鉱山主の頼りにするところだ。管理組合を通じて比較的マシな生活をさせてやっているつもりだが、それでも人並みかといえば疑わしいことのほうが多い。生きているだけマシと云う理屈もあるが、私の知人が家族のために同じ生活をすると言ったら止めるくらいには過酷だ」
ロンパルはカップを抱えるようにして言った。
「――実のところ、ストーン商会の蒸気圧機関が来て喜んでいたのは亜人たちだったよ。連中はアレの価値を鉱山主の誰よりも直感的に理解してたし、そもそも鼻の聞く連中がだいぶ死ななくなった。死ぬ前に逃げて帰れるようになったんだ。どのみち鉱夫が死ぬような坑道は先もない。そういう意味ではここしばらくの状況の変化を亜人種がそれぞれに感じていないとは思えない。戦争の話も話題になっている。亜人がタダビトに劣っているなどという強弁をする連中もいるにはいるが、個人の性格や職能資質或いは私有財産の話ならともかく、種全体の話としてはバカバカしい世迷い事だ。単にタダビトのほうが数で圧しているに過ぎない。多数が少数に屈するというのは悪しき君主政治を思い出させるが、それを言えば多数が少数を圧するのも同じことだ。種の質の優劣を定義で求め、社会の序列を作るなぞ全く愚かしい悪弊だ。――」
そこまで一気に言ったところでロンパルは茶をすすった。
「……しかし、まぁ一方で統治の理論としては、少数を多数のために圧することや、少数に資産を集めることの意義意味を無視すると話が進まなくなる。最後は資産の集中分配の運用の問題、カネや食い扶持の話題になるからな。人種問題は実のところ法構文で記述しやすいので、簡単に被差別民の境遇を定義できるのが問題でもあり、利点でもある」
スティンクは湯が湧くのを待つように黙っていた。
「つまり、どういうことでしょう」
マジンが確かめるように言った。
「現状、フラムの鉱山では、亜人種問題を産業構造上の問題にできるほどの問題が起きていない、ということだ。無論ぶん殴りたくなるような鉱山主の話は私も聞くがね。それは全く個人的な感情の範疇、個々の経営上の判断の問題だ」
「つまり、亜人種の公民権拡大には反対であるということですか」
マジンの言葉にロンパルは困ったような顔をした。
「そうではない。つまり、だな。仮に公民権を拡大したとして、今のままでは利用する者や利益を理解できる者が極めて少ない死文となる。或いは死文とした後に曲解した利用をする輩が現れる。そういった法では元老院を動かしにくい、と言っているのだ。産業の構造、社会の構造を変えるに値するなにものかが分かりやすく提示されなければ、ヒトは動かない、動けないと言っているのだよ」
「つまり公民権拡大には協力できない。先にそういった新しい社会産業構造を示せということでしょうか」
マジンが確認するとロンパルは頷いた。
「無論、私も亜人種に対する公民権拡大が、結果として社会の信頼感を増すだろうことは文脈としては理解している。軍の上官殺しや叛乱が減っているのも実例といえるだろうと認めている。だが一方で実際の産業の安定した運営、固定した人材を考えれば、無闇な社会体制の変革は混乱しか生まないだろうと想像する。キミが鞭を使わずカネで亜人を従わせることができる、そのことが結果として社会的に利益を増やす、と云う事実を先駆として示すことこそが重要だと思う。そういう実績があるならば否応もなく私は亜人公民権の拡大に賛成するし、動議の提出も連名しよう。私も亜人種に対する同情や期待がないわけではない。だが、それ以上に社会利益に対する責任が優先される」
ロンパルの言葉は石の壁の硬さ重さを感じさせたが、登れないものではないとも告げていた。
帰りがけデカートで春風荘に立ち寄ると、軍人が訪ねてきたとロゼッタが困った顔で告げた。
ロゼッタにその場で船に連絡を頼むと、もうすぐローゼンヘン館の船溜まりに入るということだった。
慌てて北の丘の野営地にマイルズ老人とともに訪れると、全部隊でないものの既にかなりの輜重隊が荷受のために待機していた。
彼らに二日後にデカート港で引き渡す旨、伝えるとマジンはマイルズ老人を送り届け館で積み荷を準備した。
セゼンヌは、マジンの突然の訪問に首をひねったが、月雇いを二十人ばかり雇いたい、というマジンの言葉には単純に喜んだ。
町にぼちぼちと新しい住民は増えてきているのだが、スッテンテンの着の身着のままの状態で流れ着いているものが多く、農業以外にこれといって産業が無いこの町では、家も土地も手に入らず、いつのまにやら消えている、ということも多かった。
もちろん、農奴同然に扱われたり、逆に野盗と大して変わらない者も紛れている。
保安官の仕事がなくなるわけではない。
金貨十枚では流石に家土地は無理だが、金貨で五十枚もあれば荒れた小さな家と庭くらいは手に入る。ヴィンゼはそういう土地だった。畑と言うには金貨が百枚は欲しいところだが、それだけあれば川沿いの荒れ野はそこそこの広さで手に入る。
「東のザブバル川沿いの土地がほしいんだがね」
マジンは、探している土地が町の地図にないことに気がついて、セゼンヌに声をかけた。
「ありゃ、町の外だ。太い本流のことだろう」
町長のセゼンヌはマジンの勘違いを笑うように答えた。
「うちの脇につながっているアレも支流なんだがね」
「うちはアレを本流って言ってるんだよ。町に流れている小川を支流つうんだ。ま、必要だってならソッチで勝手に測量しておくれ。で、そんな土地で何をどうするんだい」
セゼンヌは、マジンの勘違いを糺すように、尋ねた。
「アンタの言うとおり、鉄道を町に敷いてやる。そのままデカートまで伸ばしてやろうと思ってね。それだけじゃつまんないから港を作ろうと思っている」
「採算がぁ、とか言ってなかったかい。なんか商売思いついたのかね」
セゼンヌは何やら儲け話らしい話を喜ぶように尋ねた。
「戦争が始まったろ。で、ボクの嫁さんが軍人なのは知ってるだろう。彼女が無駄死しないようにしてやりたい」
マジンの言葉に、セゼンヌは肉のついた二の腕を揺するよう、肩にすくめて笑った。
「そりゃまぁなんとも。ごちそうさま。で、どういう風に土地を買うんだい」
マジンが大雑把にザブバル川を示し、そこから西に町の地図の内側に入り街道の手前で南に折れる。地図にはだいぶ食い込んで見えるが、街の中心今いるところからは、たっぷり五リーグは離れている。
「これだけかい。町の真ん中に入りもしないじゃないか」
「でも、南の街道の口の脇を通る」
話に聞くローゼンヘン館の変貌ぶりから、一気に華やかな町並みに変わると思っていたセゼンヌはブツブツと何事か文句を言っていた。
「港と鉄道が敷かれたら、この辺までは電気が来る。まぁ当面は面倒ばかりだろうがね」
マジンはそう言って代金の計算を頼んだ。
内心の想像できる猛烈な厄介事については触れない。
その後、デカートに足を伸ばし、入植課で郊外の土地の購入を申請した。
もともと点々とデカートの北側の丘陵をなぞるように土地を取得していたが、それを繋げる形で帯状にし、更に天蓋を西回りに迂回するように、ザブバル川を丘陵地で跨ぎ東に伸ばした。更にソイルの南東を丘陵地を抜け、フラムの南から西に抜けザブバル川に至る。
計算によれば約百七十五平方リーグ。四千万タレル弱。
鉄道連絡網のため、と取得目的で記入したが理解してくれたかは多少怪しい雰囲気であった。係官によると郊外には正確な測量図がなく、地図そのものが怪しいという。そういえばデカートの北側の土地についても似たような会話をした覚えがあった。
係官は申請は受け付けるが、測量を購入者がおこない地図を申請の別紙としてつけることという大規模購入に関わる条件を示した。
地図測量技術者は、つまりはまぁ悪く言えば役職のない木っ端役人のための腰掛けで、金を詰めばいくらでもどうとでもなるものだが、要するに信用の裏書きが出来る人物なら誰でもよくて、幸い一人ヴィンゼには本職の気の利いた気心の知れた男がひとりいた。
ともかく、マジンは申請をして検事局六課のキリス課長を訪れた。
「忙しかったようだな。随分ごゆっくりだ。商売で忙しかったか」
「だいぶ軍に振り回されてました。他人を腐してよろこぶ輩が、どうして国の為なんて仕事に就いて未だに辞めていないのか理解に苦しむ」
「そりゃ、今みたいな大騒ぎなら腐して悦ぶ連中には最高だろうさ」
キリス課長はそう言って、皮肉な笑顔を浮かべ、クマのように笑った。
「で、どうでしたか。使えそうですか」
マジンの言葉にキリス課長は一転困ったような表情になった。
「ん。ああ。機関小銃やらいうアレか。つかえる」
「千丁六百万タレル、百万発三十万タレルでいかがでしょう」
「ん。んん。高いって話になってな。ま、うちじゃなく局じゃなく他所から」
残念そうな声をキリス課長は出した。
「つい昨日帰ってきたばかりなのですが、軍に納品してきたところです。まだたったの六百丁ばかりですが、春のうちに三千丁あまり納入することになっています」
「そりゃ結構だな」
キリス課長はもう商売には興味が無いという顔になっていた。
「年内乗り切れれば、来年度には十万丁を納入する予定です」
「それは聞いた。だが、年内にも戦争は終わるかもしれないという話もある。負けるかもしれないな。ってことだが」
全く他人事のようにキリス課長は言った。
「ボクがどこで納品してたか。興味はありませんか」
「教えてくれるのかい」
「実は地名は知らないんですがね。ミシナの向こうまで行ってきたんです。ちょっと小高い丘に登ったら、敵と味方の塹壕が遠眼鏡でなら見える位置でした。アタンズだと思うんですが。詳しいところまでは」
「お前さんアンタ、ヴィンゼから一日で往復してるって噂は本当だったのか」
キリス課長が驚いたような顔をした。
「そういうわけで、現場の様子を見てきたんですがね。アタンズが落ちる前に助けるつもりのようでしたが、あの銃が千丁ばかりあったら、帝国軍の二三万くらいはやっつけられそうに思いませんか」
マジンの言葉にお愛想を引っ込めた顔で、キリス課長は少し考える素振りになった。
「まぁそうかもわからんね」
「そんな小銃を共和国軍が余らせたらどう思いますか。計画では百万丁納入する予定です。デカートの軍の事務員の手元にもあの銃が二三丁余らせる勘定になる」
「脅迫か。妄想か」
キリス課長は、馬鹿にするというよりは、判断に苦しむ様子で、マジンの顔に目を向けた。
「単に懸念すべき未来だと思っています。ボクも軍連絡室のあの少佐殿にはいい加減迷惑をかけられて腹を立てているところです。妄想であれば、あの少佐殿は枕代を値切って袖にされた女のところに復讐に自動小銃を持って行って、通りすがりの子供に喧嘩を売られ持っていた銃を奪われる、くらいまでは想像しました」
マジンのひねくれた想像に、キリス課長がなにかを踏んだような顔をする。
「死んだり殺したりはしないのか」
キリス課長は呆れた顔で言った。
「ああいう人物は、死んだり殺したりというわかりやすい事象では納得してしまうでしょう」
「なるほど。よほど腹に据えかねることがあったようだな」
キリス課長が同情したように笑う。
「当人は気づいていないでしょうし、指摘しても責任はないと云うでしょうが」
「怒りや恨みというのはそういうものだな」
「ともかく、銃は引き取ります。不要ということであれば結構です。返してください」
小銃の預け証を示す。
マジンがざっと銃を分解して確認すると、あちこちに粘土の跡がある。型を取られたらしい。
「その。壊してしまった。ようだ」
「壊した部品を返していただけますか」
「ないんだ」
「粘土型をだれに取らせたのかは知りませんが、壊れたという部品は私個人の資産です。折れてても割れても返してください」
改めてそう言うとキリス課長が部品を持ってきた。とくに壊れてはいないようだが、奇妙な傷おそらくタガネを当てた痕がある。
改めて組み直し、収め直す。
「銃弾の残りは」
「撃った。撃ち尽くした」
撃ち殼の数を見れば、見た目半数余りしか入っていない。
「撃ち殼はこれで全部ですか」
「うん。ああ。飛び散るからな。多分どっか行ったんだろう」
「この銃を調べた方はなにか言ってましたか」
「何のことだ」
キリス課長が嫌な顔をした。
「十日でなにか分かりましたかとお尋ねしているんです」
マジンは言葉を荒らげることはなかったが、キリス課長は諦めたような顔になって、降参するように手を上げた。
「凄い銃だというのはわかった。買えるなら欲しい。だが高くて買えない」
マジンはそれを聞くと笑った。
「よかった」
そう言ってマジンは荷物を抱え立ち上がり、手元の預け証に引取りの署名をして立ち去った。
どの道、銃の型をとったところで、今のデカートの工房の力では、同じものを型から打ち出すように作ることはできないし、形だけ似せたまがい物を作れたとして、今のデカートの工作では手に入れた弾丸を使うことは出来ない。むしろデカートの工房で全く同じものが作れるなら、彼らに任せてしまったほうが、マジンとしては面倒厄介ばかりで余り金にならない商売から足を洗える。
冗談ではなく、マジンは忙しい。
小銃の商売に関してはそれぐらいの気分ではあるが、デカートが共和国の敗北を受け入れているらしいことに、マジンは内心少しばかりとは言い難いほどに動揺していた。
そう云う気分であったから、デカートでは必ず寄っている春風荘に足を向けるのも、マジンにとっては奇妙に気が重かったが、新人の船乗りをそろそろ決めた頃合いだったので、顔を出さないわけにも行かなかった。
ミリズとミソニアンの二人は四人の新しい乗員に船の扱い方を教えているところだった。
ペロップ、ジターン、アイタル、エルファの四人は体格の良い若者だった。彼らは皆疾走するグレカーレやプリマベラを横目に、親方船頭に扱かれて、年季明けで船替えをしたという。漕船と機関船では、見るべきところが全く違うので、教えること覚えさせることのほうが多いわけだが、ともかく川船特有の、瀬を乗り越えるような揺れや綱さばき渡し板に慣れているだけで、ひとまずはだいぶ違う。とくに手足もそうだが、それ以上に目と口の数が増えたことは、大船と呼んだほうがいいプリマベラにとっては重要な事だった。
ローゼンヘン館の船小屋の拡張の進み具合は、予定よりは多少遅くはあったのだが、資材が足りていたり、人足が十分いたりでエイザーの仕事に任せていたが、全体としては悪くない出来だった。人足を合わせて三十名位が宿泊できる広さと機能を持っていた。土地の広さそのものに余裕はあるが、人間の移動と管理を考えれば、木造二階建てというのは合理的な構造だった。
別館は基本木造だったが、竈が館から持ってきたガスを使えたり、下水や上水の配管も完備されていて、アリモノ直しの間に合わせで作った母屋よりも、使い心地はよほどよさそうにしっかりと大きく出来ていた。細かなところは完成というわけではないところもあったが、とりあえずの機能は十分で船が河口にいない間の人足仕事の裁きぶりも、十分に合格といえるところだった。
それは、マジンにとっては、エイザーの実技試験のようなものだった。
エイザーの大工の技量は並というところだったが、建築物を構想する力は本物で、きちんと他人に分かる絵図面をかける種類の技術を持っていた。酒をやめさせてからはだいぶ人に当たることも減っていて、モイヤーやベーンツとも上手くやっている。
歩ける距離で最大千人が夏冬を越せる宿舎を備えた宿営地を作りたい、とエイザーに言った。
食料と燃料はこちら持ち。
食堂。
倉庫。
朝晩で全員が入浴できる広さの浴槽。
「千人ですか。そうするとお家の厩舎脇のアレが五じゃ足りない。短期なら八か十。長期なら余裕を考えれば二階建てにして十二かそこら。つまりはちょっとした砦か町ですな」
漠然としたイメージのままエイザーが口にする。
「まぁ、そんな感じだろう。ボクが全部やってもいいんだが、結構忙しいんでね。図面の起こしくらいはお前に頼みたい。頼まれてくれるか」
「ん。分かりました。やってみましょ。急ぎですか。や、どのくらいの急ぎですか」
「図面の大まかと下水案はひとつきで頼む。細かな資材の計算の類はあとでもいい。人数が多い。厠の手当はバカにできない。場所を選ぶときは注意してくれ」
エイザーはあまりに急な話で目を丸くしたが、およそ事態を察するくらいには、鉄道の道固めの段階で話をしていて、なにが始まるかということは、エイザーの中ですぐに組み上がった様子だった。
エイザーには戦争の話は特にしていなかったが、既にヴィンゼまでの鉄道の話はしていて、エイザーも楽しみにしていた。
それに繋がる話であることはエイザーにもすぐに察しが知れた。
ベーンツや船の連中からヴィンゼの倍ほどの人足を使う話を考えているらしい、という程度の法螺話は聞いていて、エイザーも話半分としても楽しみにもしていた。
来るものが来た。という話だった。
エイザーはベーンツの助けがあればということで、翌日からヴィンゼに出向いたり館に呼んだりして相談をしつつ、構想案と用地の選定にあたりはじめた。
さらに翌日の昼間、町役場に寄ったついでに保安官を訪ねると、率直に戦争について切り出した。
「悔しいが、勝てんじゃろう」
保安官の意見は、ひどくわかりやすく悲観的な想像だった。
負けて良いと思っているのかという質問に対しては、思っていないがなにができるのか、というような感想を述べていた。
デカートの元老院議員なんだろう。という言葉を敢えてマジンは飲み込み、機関小銃を見せた。
「これは」
見たことのない工芸品の迫力に、しかし軍隊経験もあり拳銃稼業に携わっている保安官にはその価値が知れないまでも、見たこともないすごい小銃だ、という意味はわかった。
「あなたの知り合いの元老議員で、この戦争に勝ちたいと思っている連中はいないのか」
「そりゃ、いないこともない」
苦々しい表情でマイルズ老人は答えた。
「そういう人物に吉報がある」
「何じゃ、この銃を買えというのか」
先回りをした顔でマイルズ老人が尋ね返した。
「それもまぁ一つなんだが、ボクの言いたいことは別だ」
「さっさと言ってみろ」
マイルズ老人が焦れたように尋ねた。
「ときに保安官。この後お時間よろしいか」
「なんだ」
マイルズ老人は怪訝な顔をした。
「この話をしたあと、デカートなりどこなりに出向いて、その知り合いにこの話を伝えて欲しい」
「いいから話を聞かせろ」
マイルズ老人は焦れたように言った。
「ボクはこの銃を六百丁ばかり軍に納品してきた。この間もミシナの先のなんとかいう丘の上まで行って、銃弾を四十万発ばかり収めてきたところだ。帝国軍の塹壕が遠眼鏡で彼方に見える辺りだ。多少揉めたがね」
マジンはできるだけ嘘を言わないように説明した。
「それで大きな機関車か。何両も見たという連中がいた」
「ここからはボクの想像だが、軍は春のうちにアタンズを解囲するつもりで動いている」
「春のうちってもうふたつきもないぞ」
マイルズ老人は奇妙な話に確認をする。
「そうだ。その期間のうちに三千ちょっと納品することになっている。奇襲も同然だから間違いなく初戦は勝てる。だが、帝国軍も既に後方から増援を回している」
「ふむ」
マイルズ老人も、口では劣勢必敗を常識と述べたが、興味は惹かれた様子だった。
「どういう風に展開しても手数は足りないだろう。軍が予算を編成して僕の小銃を大量に買ってくれれば多少は見込みがあるが、実のところ政治が絡めば見込みは薄い。軍内部でも戦争に悲観的な連中は多い。その連中が足を引っ張っている。その連中を蹴っ飛ばすのを手伝って欲しい」
マイルズは若者の話の迫力につばを飲み込んだ。
「この小銃で勝てるのか」
「この銃があれば百倍は難しいが十倍の敵は倒せる。聯隊が一つあれば、従来の師団を正面から叩き潰せる」
「大砲はどうする」
「大砲の対策は散らばって突入だろう。この銃があれば十倍の敵は倒せるといったのは冗談じゃない。分隊でかかれば騎兵中隊なんか一捻りだ」
「そんな馬鹿な話があるかよ」
マイルズは常識論を負け惜しみのように言った。
「狩りに行こう。そうすればすぐわかる」
疑わしげな顔をするマイルズ老人を引きずるようにして、機関車に乗せると、マジンはともに南の荒れ野の丘に向かった。
「ここは……」
「最近賞金首が屯しているらしいね。バル・ベルムルソ、ノルマ・ベルムルソ、アットン・マンゾ。三人で一万一千タレル。結構な悪党どもだ。忙しいんで放置していたが今日はお付き合いいただきたい」
そこからの捕物はひどく陳腐で簡単な展開だった。
拳銃と同じように銃身を目の前にまっすぐ短く揃えて引き金を引くだけ、と教えて狩りの手はずはおしまいだった。
大声で呼ばわって、武器を下げ裸で出てきたバル・ベルムルソを保安官に撃ってもらい、挙手空手のままのマジンの臆病者呼ばわりに腹を立てたノルマ・ベルムルソをマイルズ保安官に任せ、逃げ出したアットン・マンゾを背中から撃つ。捕物というのもつまらない人狩りの展開だったが、ともかくあっさりと三人を仕留め、飯炊き女だか退屈しのぎだかに攫われていた女を二人助けだし、保安官とともにデカートに届けた。
マイルズ保安官の銃の腕は、なるほど保安官が務まるらしいほどには正確で、この小銃をとても初めて扱ったと思えない見事なものだった。軍隊経験者であるという話も納得できる。
だが、マイルズ保安官は小銃について話題を避けるように言葉少なだった。
そのままデカートで一泊して、ピエゾ・ロンパルというフラムの元老院議員を尋ねることになった。
マイルズ老人は昨日の捕物の話には触れようとせず、マジンの今後の予定を思い出したように尋ねた。
今後十年で鉄道を軍都までつなげようと考えているという話は、どういう風に思っているかはわからなかったが楽しそうに聞いていた。
フラムの町は主に石炭の産出で賑わっている街だが、小規模に金や銅、銀亜鉛錫といった金属もみられ、温泉を掘り抜いたりという、なかなかに複雑な山岳地域の入口で、硫黄の流通拠点の一つとしても知られている。
鉄鉱石も鉄重石の形で産出するが、炉を傷めるということでフラム産の鉄鉱石は好まれていない。
それでもローゼンヘン館では様々に手をかけて、それなりに使えるようになってきた。
ロンパル卿はフラムの町の鉱山区の測量を本業としていて、常時二百人ほどの測量士とその徒弟を使って日々変わり続ける鉱山区の地図を更新している。とはいえ、たった二百では十分に追いつけておらず、測量を嫌う鉱山主も多く様々に捗りもしていない。だがとりあえず山の往来を守り、鉱毒が山の中で収まるようにするのが彼の家の仕事であるという。
彼の配下の測量士と謂う者共は、つまりは野歩き狩人や野草摘みの薬師のような山窩の者達でもあって、そういう者達の往来と収穫の自由を保証する代わりに、測量と山林の実情調査をおこなうというのが、フラムの鉱山組合測量部の実務でもある。無論に亜人も多い。
フラムではもちろん鉱石として山から産するわけだが、輸送の手間や商品としての価値を高めるために精錬も積極的におこなっている。
水銀やら鉛ヒ素や精錬に使われている硫酸や青酸といった各種の鉱毒についての理解はあるが、その管理となると些かでは済まないほどに難しいというのがロンパルの認識だった。
鉱毒鉱滓と呼ばれるものが実は様々に材料になり得る、しかし手のつけようもない面倒厄介ものでそれぞれの山がそれぞれに管理をしているが、もちろん手間のかかる危険な代物の管理が簡単であるはずもない。
そしてことが起これば山ひとつでは済まないことから、鉱山組合がしぶしぶながら組織され、その常任専務理事でもあった。
マジンも、数グレノルという屋根をかけられる量であれば何とかなるが、数千数万数億グレノルともなれば約束できる量を超えてしまう。
最近もそういう鉱滓の管理を失敗して、取り潰しになった鉱山があるという。
そして記録を紐解けば、必ずしもそれは大きな事故というわけではない。
むしろ些細な部類ですらある。
ロンパルは実はマジンのことは知っていた。
というよりも、フラムの鉱山主でマジンのことを知らない者はいないという。
ほぼ年次で改訂されるストーン商会の鉱石鉱物組成内訳概目が、マジンの手になる報告を取りまとめた小冊子であることは、フラムの鉱山主で知らないものはいないということで、およそストーン商会の取り扱いのある採算のある鉱山の主は戦々恐々としているという。
その小冊子と云うには、あまりに重大貴重な書籍はデカートの州境を越えて、一種の天秤の錘のように扱われている書籍だった。
何の要件か、と切りだすロンパルに、マイルズが戦争についての感想を求めた。
「だらしがない。というのが正直なところだ」
鋭い目と鷲鼻が猛禽を思わせる、その印象通り歯牙にもかけない言い様だった。
ロンパルは共和国軍の小銃転換計画の推移と、奇襲からの経緯との概要を知っていた。
「――ともかくも前線の兵士が指先ひとつで敗北への断崖からぶら下がってるのは、帝国の無能でも共和国の有能でもなく、ただひとえに前線の兵士の努力とそれに協力する町々の住民の力だ。彼らは銃後の我々が最善を尽くすと信じているから頑張ってくれている」
そう言ってロンパルはパイプのタバコに火を点けた。
「どうやら、春のうちに軍が動くらしい」
マイルズの言葉に、ロンパルは少しタバコを吹かし、考えるような素振りをした。
「……聞いていた話や思っていたのとはだいぶ違うな。秋ごろに挑むつもりだというように聞いていたが。アタンズがいよいよ危ないという噂は聞いていたが、見捨てるに忍びなくなったのか。よほどの天佑があっても勝利を望むのは生易しいことには思えないが」
「わしも詳しい話は知らんのだが……」
言い訳のように口にしたマイルズを見やって、ロンパルは少し考えた。
「……それが、ゲリエ氏を連れてきた理由か。どういう話か聞かせてもらおうか」
マジンは一番近くの出来事、アタンズの両軍の陣地が辛うじて見える位置の丘に新型小銃と銃弾を運んだことを説明した。
「春のうちに三千丁あまり銃弾七百万を納入する予定です。ですが、どうやら、軍の中にはこの作戦に疑念を持っている者がいるようで、妨害と思しき騒ぎもありました」
マジンはマリカムでの騒動を一言で説明した。
「まぁ、軍の感覚で七百万発の銃弾を手に入れれば散発的な作戦に使うよりはともかくもまとめて使おうとは考えるだろう。で、前線の陣を作っているというのはワージン将軍の師団かね」
「そうです」
ロンパルはパイプを長く蒸かした。
「キミの小銃とやらはワージン将軍が使えると判断したということだね」
「そういうことだと思います。機関車もまとめて使っていました」
「ストーン商会が見せびらかしていたアレか。軍に売ったか。アレは軍では色々使いみちがあるだろうな」
ロンパルは言葉を切った。
「……それで。――ワージン将軍が春に手を出すということは、少なくともアタンズを応援するくらいのことはしてやろうというつもりだということはわかった。それで、わざわざその話をそこの老いぼれ保安官に案内させてまで聞かせた理由は何だね」
パイプの中のタバコをほじくりながらロンパルは尋ねた。
「デカートでもこの機関小銃を買っていただいて、義勇兵を編制する動議を提出してはいただけないでしょうか」
マジンが言った言葉にマイルズは驚いた。
「マイルズじゃダメかね」
話よりもパイプの火の廻りを気にするようにロンパルは改めた。
「マイルズ保安官は物わかりの良い方で見る目もありますが、戦争には余り興味が無いようです。デカートも全体的には戦争に興味が無い人々が多いように感じます。そういうことではマイルズ元老院議員が熱を入れるのは難しいように思います」
ロンパルはクスリと笑いを漏らした。
「まぁ、そうだろう。他にこの話は誰に? 」
ロンパルはマイルズの反応を無視したように尋ねた。
「納入の可能性の打診を司法局六課に。飛び込みだったのですが、十日ほど預けてあっさり断られました」
ロンパルは辺りを少し探る素振りを見せた。
「その小銃というのは見られるのかな」
マジンは膝下から銃の入った鋲止めの鞄を机の上に上げ中身を見せた。
「――つ、これは、見事な細工だ」
ロンパルは手の中のパイプの火に触れてしまったらしく顔を一瞬歪め、銃に見入った。
ロンパルはパイプの火を灰皿に掻き出すと、マジンに銃を改めさせてもらうことを断わり、あちこちを眺めた。
「どちらかで試射がお見せできればいいのですが」
「こういう者に詳しい家の者に触らせてよろしいかな」
ロンパルの執事に銃の説明をおこない、裏庭に樽と石炭袋を標的として試射をおこなった。
連射も散射もはじめてみたマイルズは驚いていたが、見た者触れた者にはこの銃の価値が伝わった様子だった。
そのまま裏庭にほど近い部屋で話の続きということになった。
「で、どうだ成算はありそうか」
マイルズはロンパルに少し興奮したように尋ねた。
「感想としては、面白いと思う。だが、元老院でうまくゆくかは微妙なところだろう。とくに軍の行動に間に合うかという意味においては。ギゼンヌは遠い。こういうのは私よりも彼のほうが得意だろう。なぜスティンクに話を持ってゆかなかった」
ロンパルが尋ねると、マイルズは少し嫌そうな顔をした。
「彼はこの手の話が好きすぎる。弾みが付き過ぎると議会も採算もなにも関係なくなるだろう」
マイルズが口にした言葉に、ロンパルは笑みを浮かべる。
「うん。まぁそれはそうだ。で、お二人の今後の予定は」
マイルズの言葉にロンパルは納得したように応え尋ねた。
「もしよろしければ、スティンク氏との面談にご一緒いただければと思うのですが」
「ヴァルタまでかね」
マジンの法外な要求に驚いた顔をするロンパルに、マイルズはニヤリとする。
「機関車なら一日だ。なかなか新鮮で面白いぞ」
マイルズの言葉に、ロンパルは二人の客の顔を少し見比べ頷いた。
「いいだろう。久しぶりにスティンクの家を訪ねてみるのも悪く無い。とはいえ、今日は泊まってゆきたまえ。昨日、鹿と雉が捕れた」
そう言ってロンパルは二人に食事と宿を提供して饗し、翌日朝はやく二人に同道した。
三人が訪ねた先は、ヴァルタ郊外の丘と小川が森と池とを作る緑豊かな荘園であった。
広さという意味ではデカートの天蓋と大差ない広さを誇るそこは、デカートの風景の複雑さを誇るような土地でもあった。
スティンクは元老議員二人の突然の来訪に驚いた様子も見せずに大歓迎した。
スティンクもマジンのことを何故か知っていた。
「いや、その慧眼そして大胆な発想、愛郷愛国の精神の発露を感じる。なかなかの計画とお見受けする。だが、できれば我が愛するヴァルタもその一翼に含めていただきたい。おそらく川を渡った一翼からソイルへ向かう南辺をゆるやかに南西に伸ばして、メリタの丘陵部へ伸ばしていただけるとデカート南西部の川沿いの農地も大曲輪の一端に含めていただけるだろう。そのまま我がヴァルタの南方から西方に向かって北上すれば、大デカートをつつむ二百六十リーグの大城塞の完成だ」
スティンクはマジンに向かって、そう一気に謳うように語った。
客である三人は、マジンも含めスティンクの言葉の意味するところがわからず、目がマジンに集まる。
「何のことだね」
マイルズがマジンに尋ねるのに心当たりはなく首を振る。
「ボクもサッパリ」
マジンが応えるのに、スティンクは大きく口を開けて笑った。
「そうよな。そうよな。私が知っていることをキミが知らなければ、キミは当然にそう応えるだろう。私が知っていることを教えてしんぜよう。アレは先日、私の執事が行政庁から、土地取得に対する大規模な申請の稟議書が回ってきたのを持ち帰ってきたことから知った。鉄道。鉄の道。丘をめぐるようになめらかに整えられた鉄の壁はまさに味方にとってなめらかな道。そして敵にとってはただ打ちのめされるだけの鉄の通路。恐るべき遠望。まさに戦略眼。私の疑念は、アタンズが今や落ちんとする、まさにこのときに立ち上げられたという時期の一点のみ。だが一方でこの時期でなければ誰も思いつかなかったとも思える、この大望秘策。学志館の寄付の大きさも知っていたが、まさに人なればこの世になにかを残したいと願う焦り哮りを感じる。どのような人物かと思えば、今まさに俊英。若竹のごとくまっすぐ涼やかな瞳。大望を潜めた人物を感じる落ち着いた表情風貌。野望を抱くにふさわしい若さと知性を感じる。そして元老ふたりを引き連れて我もとに来たということは、その大デカートを守る城塞の建設協力を求めてかと察した次第」
そういえば資産的な問題と、東進を急ぎたいという都合から、ヴァルタ方面への鉄道用地買収に関する申請はおこなっていなかったことを思い出した。
「私はそういう話は聞いていない。だが、デカートの防衛戦略という意味では一致する」
ロンパルは全く冷静にスティンクに云った。
「ふむ。別件であったか。とはいえ、元老ふたりが揃っておいでとはそれなりの内容と思える」
芝居がかった態度を切り替えるようにスティンクは向き直った。
「内容そのものは単純だ。義勇兵募兵の動議を出す気はあるかという用件だ」
「おっおおぉ。まさか、ロンパル元老院議員は私が提出しようとしていた義勇兵募兵の動議を承知していたというのか。ロンパル卿は私も深く信を寄せる敬愛すべき元老なれど、帝国との戦力差を明確に理解している人物故に被害惨劇を恐れて反対されると思っていたっ。うむ。インガル・マール・スティンク、今まさに億万の神兵を味方に背を任せた気分っ。しかし義勇兵動員を考えても装備備蓄の実情を考えれば兵十万を揃えるのは難しい。二万をなんとか揃えたとして残りは拳銃と槍ということになる」
スティンクは先走った勢いのままに自分の考えを述べた。
「その件だが、二個聯隊規模。砲がつくならやや小さいが一個旅団ということになるのかな。それ以上に大きくする必要はない。それ以上の大きな規模の提案になれば、キミが言う通り、私は被害惨劇を恐れて反対に回らざるを得ない。そういう話をしにきた」
「聞こうっ。だがそれでは帝国に勝てんぞ」
ロンパルの言葉にスティンクは頷いて言った。
「自慢の射爆場は使えるかね。キミはおそらくむこうのほうが落ち着くだろう」
ロンパルはスティンクの勢いをいなすでもなく言った。
「無論、使えるが他人の耳目を気にするならここも問題ないはずだ。家人の人払いが必要な話なのか」
少し怪訝そうに、声の調子を落とすようにスティンクは尋ねた。
「まぁ、そうでもある。が見せたいものもある」
ロンパルがそう言うとスティンクは頷いた。
スティンクの射爆場というものは、旧式の大砲やら多連装銃、多銃身銃や薬室をまるごと差し替える斉射銃等様々な銃が並んだ大砲が撃てる射撃場だった。見れば状態も悪くなく新旧の後装砲もある。
軍が使っている現行の後装銃や回転弾倉式の騎兵銃、どういう経路で手に入れたのか、装飾の目立つ西方の武器や、帝国軍の小銃や大砲などもあり、皆相応に手入れされどういった経緯であるにせよ、研究され保管されているようだった。
ロンパルに促され、マジンは説明と試射をおこなった。
スティンクは当然に驚愕していたが、如何にも銃器には慣れている様子で、奇妙に静かに銃を扱っていた。
「機関小銃というこれが、一個旅団で帝国を押し返すという根拠か」
「既にこれが前線に数百配備され、春のうちの反攻の間に三千まで増えるという。反攻がうまくゆくならアタンズは秋冬までおそらくペイテルも同様に保つだろう。その間に我々は旅団を編成し、反攻作戦に参加する準備を整える」
スティンクは頷いた。
「だが、帝国軍の増援は五万は確定。おそらくは年内に十万は越える。兵站も年内は問題なく来年も途絶える保証はない。共和国は年内にギゼンヌ周辺に集められる戦力はおそらく六七個師団。現地の部隊を夏のうちに解放したとして、回復は三ヶ月では期待できまい。一個旅団で参戦したとして戦力はほぼ同数。装備の充実を考えれば我が方不利だぞ。勝てるのか」
極めて常識的かつ冷静にスティンクは尋ねた。
「保証はない。だが、我々がデカートが義勇兵を出すことで各地の動きは変わる。はっきり言えば、我がデカートは日和見の筆頭に見られていたからな。大議会の動きが変わるだけで軍が動きやすくなるのは間違いない。それと、彼の小銃の生産計画の予算が通る可能性が増える」
ロンパルはスティンクに正面から答える。
「どういうことだ」
スティンクは話の先を促した。
「共和国軍本体、大本営で機関小銃の売り込みをしているらしい。機関小銃百万丁、銃弾二億発。その生産実績にもなる」
ロンパルの言葉にスティンクは驚きもせずに頷いた。
「それくらいは最低必要だな。だがそれはあくまで計画全体の話だろう。年間計画は、或いは初年度計画はどうなっている」
「年産十万丁銃弾一億発。というのが年次計画であるという。その生産試験期間として小銃と銃弾を作っているが、今のところ月産二三千、銃弾は二百五十万というところだそうだ」
ロンパルの説明を聞き、スティンクはマジンの顔を見てマイルズの顔を見比べる。
「年でなく月か。いい後継者を見つけたな」
そう言ってスティンクはマイルズに頷いた。
「まぁ、ともかくだ。アタンズが夏のうちに一旦解放される可能性があるなら、なにを勝利というかはさておき勝利の目がないわけではない。我がデカートが共和国に貸しを作れる機会を逃すのも良くない。幸い我々はここに三人いる。もう三人見つければ公共に関わる購入品目の動議は出せる。もう五人見つければ公共に関わる人員の徴用の動議は出せる。七人出せば域外への人員の遠征派遣動議が出せる。義勇兵を何万にするかとか考えているくらいだから、何人かは心あたりがあるんだろうね」
ロンパルは話の先を継いで尋ねた。
「ふたりは。マゼナグとパラペスだ」
スティンクは頷いて応えた。
「先は長いな」
ロンパルが笑った。
「しかし義勇兵にこの機関小銃で武装させるとして司法は嫌がるだろう」
スティンクは一つの未来の問題を想像した。
「先に六課に売り込みに行ったら断られたそうだ」
ロンパルが告げる。
「詳細はわかりませんが、値段の折り合いがつかなかったようです」
マジンの補足にスティンクは、ふん。と鼻を鳴らした。
「調達として価格はどうなる」
「一丁六千タレル、弾薬十万発三万タレルです。軍の予算が付けば、専用設備が準備できてだいぶ安くなる見込みですが」
マジンの応えにスティンクは値段を聞いて首を傾げた。
「高いは高いが、六課が値段で嫌がったというのを聞けば不思議なくらいの値段だな。あそこの使い捨ての大砲は一発三千タレルだぞ。千丁と言わずに、四五百も買っておけばいいものを。おかしな話だ」
スティンクは標的の弾痕を探すようにしながら言った。
「――だが、旅団として一万丁一千万発として六千三百万タレルか。ま、安くはないな。銃弾は働き次第で湯水の如く使うことになるだろうし、遠ければ行李が嵩む。これからの戦争は高くなるな」
思い直すようにスティンクは言葉を継いだ。
「彼と話を紹介するだけしておいてすまんが、わしは動議に参加できん。一千万タレルも用立ては出来ないからな」
マイルズの言葉に、スティンクとロンパルは驚いたような顔を一瞬したが、思い出すように頷いた。
「ヴィンゼの開拓という一大事業をおこなっていれば、カネに余裕が有るわけもないか。だが動議が建てば賛成票を投じてくれるのだろう」
スティンクは確認した。
「それは今更。無論だ」
マイルズが頷くのに元老がこぞって頷いた。
「いっそ、ゲリエくんを元老に推挙するか。――ゲリエくん。年齢は」
ロンパルは軽い様子で聞いた。
「今年二十歳です」
それを聞いてマイルズが慌てる。
「そ、それは待ってくれ。ヴィンゼの街の土地はわしの元老特権で借り受けている土地だ。死亡なら二年猶予があるが引退では即時権利がなくなる。銀行と駅馬車がなくなっては流石に町が立ちゆかん」
「落ち着け、マイルズ。キミの跡目にゲリエくんを充てろと言っているわけではない」
ロンパルが宥めるように言った。
「――去年バーゼンと、ポイドマが死んだのは覚えているだろう。ポイドマは息子が入ったが、バーゼンは娘が六つでは打擲礼に耐えられないだろうと奥方が継承を断ってきた。まぁそうでなくとも去年既に元老院の欠員は三つ出たまま埋まっていなかったが、四つになったというわけだ」
ロンパルが状況を示唆するように説明する。
「席次にカネがかかり過ぎではないかという声があるのも知ってはいるが、財産も仕事もない連中に他人の命や財産を預かる力があるとは思えない。まぁ、元老院の権限がわかりにくいというのはそうだろうが、公有地を自由に貸借できるというのは十分に大きいと思うのだがね」
スティンクが軟弱を嘆くように言った。
「自力で開拓できればそうだろうが、そうでなければ意味もない権限だ。ソイルがただの宿場だった昔とは違う。ともかくだ。この状況は我々にとっては一つ都合がよいかもしれない」
ロンパルは話の筋にマジンとマイルズがついてきていることを確認するように一息おいた。
スティンクがお茶のおかわりを継ぐ音が響く。
「――ゲリエくん。キミは元老院の席を買うということに興味が有るかね。値段は小銃の代金ほどだ。権限は元老院での動議の提出とその賛否の判断。動議の結果は期限付きの立法の形でデカート全域に布告される。他に公有地の貸借権限というものが一種の給与として与えられるが、その辺りは才覚次第だ。資格は二十万タレル相当の土地資産の保有と税務の滞納のないこと。継承の場合は議員一人の推薦でいいが、推挙の場合には三人の元老議員の推薦が必要になる。今回は席が空いているから選挙もない。落選選挙は様々に面倒くさい。そういう意味ではカネだけでケリがつく今回はひどく都合がいいと思うが、どうだろう」
口にしたロンパルよりも、黙ってお茶を継いでいただけのスティンクのほうが、よほど熱心に口元を睨みつけるようにして、マジンの応えを待っていた。
「……どうかね。継承でない若者というのは異例ではあるが前例がないわけではない。この国難、キミの力を我々は真剣に必要としているのだが」
ついに沈黙に耐えられなくなったのか、スティンクが身を乗り出すようにして改めた。
「わかりました。公有地利用の権限は大変に魅力的ですし、ともかくも共和国の戦争勝利は私も望むところです。ところで、みなさんは亜人の社会権制限の緩和について反対の立場でしょうか。土地の取得であるとか学問であるとか財産権であるとかといったものですが」
ロンパルとスティンクは顔を見合わせた。
「いや、正直に言えば余り興味が無いというところだったのだが、どういうことかね」
スティンクは首をひねるように尋ねた。
「単純な話ですが、私は今度の小銃の生産を契機に大量に亜人種を雇用しようと思っているのです。ですが、私一人で管理するのは難しいので、彼らに給与を支払って市民として自らを律した生活をしてもらいたいと思っています。その過程で各種の差別や格差を公執行機関にうけると、市民生活に影響が出ます。窓口での利用者に対する侮蔑悪態の類いが執行業務に差し障りがあるのはご存知だと思いますが、そういったことです」
スティンクは自ら入れた茶の香りを確認するように真剣な顔でいた。
「間をはしおった私の理解では、キミは亜人にムチを振るうのが面倒くさいから、カネでケリを付けたいのだが、役場に協力させることは出来ないか、と言ったようなものだがそういう理屈でいいかな。それはこの小銃や戦争の話と関係有るのかね」
スティンクは唸るように確認した。
「お言葉はまぁ、乱暴にぶちまければそういうことでしょう。ボクの小銃が世に出た後の戦争では一々部下に鞭を振るっているような指揮官は味方から撃たれます。共和国軍では実態として味方銃列からの指揮官殺害を極めて重篤に扱って、士官と兵士の関係構築に躍起になっているようです。結果として帝国軍よりも強靭な瓦解し難い軍隊になっています。戦争技術的には魔導士の作戦的な運用で上位の司令部の命令が信頼できるようになったということが大きいと思います」
マジンの言葉に、スティンクが困ったような顔でロンパルを眺めた。
「まぁ、戦場ならずとも味方から撃たれるような状況は困る。が、乱暴な指揮官が闇討ちで殺されることが多いのは事実だ。わしのいた聯隊でも偶にあった。最近はだいぶ減っていると聞いたがね。なるほど、魔導士のおかげか。ありそうなことではある」
マイルズが口にした。
「ボクの機関小銃は視界に入る限りのものに即座に弾丸の雨を降らすことができるように作ったものです。当然に敵よりも味方のほうが視界に入ることは多く、感情は瞬間的に沸き起こるものです。御覧頂いた銃の簡便さはその機能を十全に期待するなら、握った兵士自身がなにを撃つべきか即座に判断すると同時に発砲できます。そういう能力を持った兵が、敵の突撃を前にして恐怖と混乱で或いはドサクサの怒りから味方を撃つようでは困ります」
マジンの言葉にロンパルが頷いた。
「猛き者、汝の怒りを恐れ疑えよ。そは朱く焼けたる鉄の杖なれば。というアレだな」
ロンパルは言葉を口にして、パイプをいじり始めた。
「理屈はわかるが、そうすると義勇兵に亜人や囚人を使うことが難しくなるということか」
ロンパルの言葉に、スティンクが呻くように言った。
「そこは単純に部隊の信頼、広義における兵站の問題だということだろう。亜人の話はわからないでもないが即効性があるとも思えないな。心配なら指揮官も武装すればいいだろう。先の話を見れば部隊の容貌もかなり変わる。鼓笛隊もいらない。そんな隙がない。さっきのあの銃声を聞いただろう。事前に打ち合わせをしておかなければ、命令も太鼓も聞こえはしない。せいぜい呼子ラッパと砲声狼煙のたぐいだ。声による命令なんか小隊規模でも怪しい。散兵をかつて押しつぶした銃列が再び散兵によって引き裂かれるようになるんだ。堂々たる陣形を組んでぶつかる時代は今まさに去ろうとしている。また先のことはわからんがね」
ロンパルは冷たく想像を語る。
「問題はそうすると、義勇兵を編成するとかよりも、その指揮官だな。最低限散兵戦術に精通した人物である必要がある。或いは中隊規模の指揮官が多数必要になる」
ロンパルの言葉に、スティンクは苦い顔をする。
「――ここ何百年もデカートにはまともな軍事作戦の研究をした者なんかいないぞ」
スティンクは吐き出すように言った。
「その件ですが。私の知人が武装検事団の自律的な作戦能力は散兵戦術の一つの精華であろうと評しておりました。彼らに分隊なり小隊なりを預けるようにして膨らませれば、先の義勇兵の問題もひとつ解決するのではないかと思うのですが」
あくまで元老は戦争についての先行きを考えている、という態度でマジンはそれに応じた。
「戦術的にはそれで対処するのがいいだろう。だがところで指揮官はどうする。大戦略に関われるような将軍格の人物は思いつかんぞ」
スティンクはロンパルに投げるように尋ねた。
「多分そういう人物は不要です。ギゼンヌ・ペイテル・アタンズの周辺の治安を維持できるような人物であれば、住民との軋轢を起こさず、訪れるだろう帝国軍の小規模な尖兵とそれに乗じた野盗を排除できる人物であれば。むしろ積極有能すぎる人物がたてば却って共和国軍が困惑することでしょう」
割り込み答えを示すようなマジンの言葉にロンパルは頷いた。
「なるほど。ゲリエくんの構想では我々の義勇兵はギゼンヌ周辺の町々の治安回復を目的とした警護部隊になると。共和国軍もそれを望むだろうとそういうことだね」
「共和国軍も命令系統の異なる部隊を前線の戦区に並べたくはないでしょうし、デカートには魔導士がいません。部隊間の連絡が取れないと問題にもなるでしょう。それよりは長期の籠城戦で疲弊した人々の人心回復に務めたほうがデカートの支援を遠方の地に印象付けられますし、義勇兵の戦傷被害も減ります。中核に司法の流儀に通じたものがいれば円滑に作用するかと」
ロンパルは頷いた。
「マイルズ。キミ、軍監としてついて行く気はないかね。義勇兵を派兵するとなれば、いずれ誰か元老が一人ゆく必要もある。保安官としての中庸をデカートの歴史に名を刻む良い機会だ。ついでに言えば二十年分くらいの元老院の席次費に相当する額の役職手当も出るはずだ。戦況が劣悪であれば軍費として充当する必要もあるからどれだけ残るかはわからんがね」
スコーンにジャムはいかがか、というような気楽さでロンパルは述べた。
「ギゼンヌか。遠いな」
「軍監は外向きに明るく強く、性格が尖っていない人物のほうがいい。有能であるよりも円満な人格が求められる。無論無能であっては困るがね。こういう状況であればなおさらだ」
ロンパルの説明にマイルズは頷く。
「その時が来たら考えておく」
マイルズにしてははっきりとした態度で言った。
「市民社会の治安整備の文明化という観点で、亜人の公民権についてのご意見をいただければと思います」
マジンが話を引き戻したことで、スティンクは少し困った顔をした。
「正直なところ、考えたことのない話題だった。そもそもデカートには亜人は少ない。粗方は何らかの職に就いているし、デカート自体がそれほど貧しいわけではない。だが、たしかに個々の雇用関係で安定しているだけで公民権の整備という意味合いについてはおこなわれていない。理想を言えば新しい人材の確保という意味でも貧困層の対策という意味でもなにか手を打ったほうがいいかもしれないが。良きにつけ悪きにつけデカートは安定した街だ。ジリジリと農地や鉱山は拓かれているが、極端に大きな変化はない。そこに新しい人間関係社会構造をというのは難しい」
スティンクは考えを述べた。少し考えをまとめるように茶を啜る。
「――ゲリエ君のこの小銃のようなものが社会に投入されるとして、人々の教育と信頼が必要だという論旨の中で亜人種や貧困層に対する対応や我々のような指導層富裕層における啓蒙が必要だということは理解できるが、彼らの存在が例えば義勇兵のような非常時における予備の労働力の根拠になる」
マジンは頷いた。
「予備なれば、扱いは人並みに。蓄えの火薬は湿気ては話になりません。アタンズの苦境も他人事ではありません」
元老たちは困った顔をした。
スティンクは助けを求めるようにロンパルに目を向けた。
「ゲリエくんの言いたいことはまぁわからんでもない。新しい世には新しい心構えだ。現に軍では既に数万の亜人が様々に働いている。幸い我々は手に負える程度の教訓を、義勇兵の編成という課題でつきつけられた。以前のように貧民窟から叩き出すようにして兵を募るのはいいが、ゲリエくんの新型銃を渡した途端に犯罪や暴動を起こされては困る。そういうことだろう。亜人についても同様だ。募兵した亜人が徒党を組んで鉱山に立てこもるようなことがあれば、たちまちフラムの運営は止まる。今現在、フラムには一万人弱の様々な亜人が様々に労働に従事している。連中の夜目や鼻、或いは勘や知識はフラムの鉱山主の頼りにするところだ。管理組合を通じて比較的マシな生活をさせてやっているつもりだが、それでも人並みかといえば疑わしいことのほうが多い。生きているだけマシと云う理屈もあるが、私の知人が家族のために同じ生活をすると言ったら止めるくらいには過酷だ」
ロンパルはカップを抱えるようにして言った。
「――実のところ、ストーン商会の蒸気圧機関が来て喜んでいたのは亜人たちだったよ。連中はアレの価値を鉱山主の誰よりも直感的に理解してたし、そもそも鼻の聞く連中がだいぶ死ななくなった。死ぬ前に逃げて帰れるようになったんだ。どのみち鉱夫が死ぬような坑道は先もない。そういう意味ではここしばらくの状況の変化を亜人種がそれぞれに感じていないとは思えない。戦争の話も話題になっている。亜人がタダビトに劣っているなどという強弁をする連中もいるにはいるが、個人の性格や職能資質或いは私有財産の話ならともかく、種全体の話としてはバカバカしい世迷い事だ。単にタダビトのほうが数で圧しているに過ぎない。多数が少数に屈するというのは悪しき君主政治を思い出させるが、それを言えば多数が少数を圧するのも同じことだ。種の質の優劣を定義で求め、社会の序列を作るなぞ全く愚かしい悪弊だ。――」
そこまで一気に言ったところでロンパルは茶をすすった。
「……しかし、まぁ一方で統治の理論としては、少数を多数のために圧することや、少数に資産を集めることの意義意味を無視すると話が進まなくなる。最後は資産の集中分配の運用の問題、カネや食い扶持の話題になるからな。人種問題は実のところ法構文で記述しやすいので、簡単に被差別民の境遇を定義できるのが問題でもあり、利点でもある」
スティンクは湯が湧くのを待つように黙っていた。
「つまり、どういうことでしょう」
マジンが確かめるように言った。
「現状、フラムの鉱山では、亜人種問題を産業構造上の問題にできるほどの問題が起きていない、ということだ。無論ぶん殴りたくなるような鉱山主の話は私も聞くがね。それは全く個人的な感情の範疇、個々の経営上の判断の問題だ」
「つまり、亜人種の公民権拡大には反対であるということですか」
マジンの言葉にロンパルは困ったような顔をした。
「そうではない。つまり、だな。仮に公民権を拡大したとして、今のままでは利用する者や利益を理解できる者が極めて少ない死文となる。或いは死文とした後に曲解した利用をする輩が現れる。そういった法では元老院を動かしにくい、と言っているのだ。産業の構造、社会の構造を変えるに値するなにものかが分かりやすく提示されなければ、ヒトは動かない、動けないと言っているのだよ」
「つまり公民権拡大には協力できない。先にそういった新しい社会産業構造を示せということでしょうか」
マジンが確認するとロンパルは頷いた。
「無論、私も亜人種に対する公民権拡大が、結果として社会の信頼感を増すだろうことは文脈としては理解している。軍の上官殺しや叛乱が減っているのも実例といえるだろうと認めている。だが一方で実際の産業の安定した運営、固定した人材を考えれば、無闇な社会体制の変革は混乱しか生まないだろうと想像する。キミが鞭を使わずカネで亜人を従わせることができる、そのことが結果として社会的に利益を増やす、と云う事実を先駆として示すことこそが重要だと思う。そういう実績があるならば否応もなく私は亜人公民権の拡大に賛成するし、動議の提出も連名しよう。私も亜人種に対する同情や期待がないわけではない。だが、それ以上に社会利益に対する責任が優先される」
ロンパルの言葉は石の壁の硬さ重さを感じさせたが、登れないものではないとも告げていた。
帰りがけデカートで春風荘に立ち寄ると、軍人が訪ねてきたとロゼッタが困った顔で告げた。
ロゼッタにその場で船に連絡を頼むと、もうすぐローゼンヘン館の船溜まりに入るということだった。
慌てて北の丘の野営地にマイルズ老人とともに訪れると、全部隊でないものの既にかなりの輜重隊が荷受のために待機していた。
彼らに二日後にデカート港で引き渡す旨、伝えるとマジンはマイルズ老人を送り届け館で積み荷を準備した。
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