石炭と水晶

小稲荷一照

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デカート

マジン十八才 1

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 突然宝玉を見せられた割にはローゼンヘン館の面々は落ち着いたものだった。
 はっきりいえば法螺話の延長戦のような程度な感覚で目の前の酒の瓶のような大きさの紅玉と水晶を眺めていた。
 恐らくそれは出すところに出せば城が買えるほどの値がつくに違いなかったけれど、逆に言えばそういうカネを持っているところに話を持ってゆかなければ、カネにならず身にならない、ということは無法者を囓ったことのある男たちならすぐに察しがつく、面倒なヤマだった。
 銀行強盗はバカでもできるが、金塊強盗や宝石美術品は買い手を必要とする。
 そんな黒幕がいるならば、無法ではっちゃけたとしてぶち込まれるわけもない。
 カタギに戻ることを決めた連中にとって、昼間の綺麗な透けた石ころの話は笑い話としてはかなり上等の部類だった。
 町に用事で出てきたミリズの話を聞いた狼虎庵の面々も似たような反応だったが、ジュールは頭を抱えるような反応をした。
「若旦那らしいっちゃらしいが、どこまで浮世離れしてるんだ」
「見せられた時は流石に驚いたが、口ぶりとしちゃガラス球みたいなものらしいぞ」
 ジュールの反応にミリズが慰めるように言った。
「モノとしちゃそうなんだろうけどさ。頭の悪い連中がそこらにいないわけじゃないんだからさ。もうちょっと考えてほしいよ」
「なんか、金物を作りたかったみたいだけどな」
 ミリズが干し肉を咥えながら言った。
「どうせ、機関車の色々に思いついたことがあるんだろうさ。幾度かこっち来た時にも聞いたよ」
 ジュールが面倒を思い出したように言った。
「ほう」
「機関車を倍だか三倍だかくらいまで早くしたいらしい」
「へえ。すげえじゃん」
「ムリだろ。ってかアブねぇよ。今だって馬が並んで走るのに苦労しているってのに、その倍だぞ。機関車の椅子見て街の連中がなんて言ってるか知ってるか。ユリカゴだぞ。あのおじちゃん大っきいのにユリカゴ使ってまちゅね~。とか笑ってんだぞ」
「そら知ってるけど、アレなきゃケツ滑るは体投げ出されるわ、スゴいことになるじゃねぇか」
「町のアホどもからの言われように、恥ずかしいって言ってんじゃねぇよ。考えても見ろよ。アレがなきゃマトモに座ってもいられねぇ乗り物の速さを倍にしようってんだぞ。どんな拷問道具が出てくるか分かったもんじゃない」
「いや、でも車輪を改良するって言ってたぞ」
「マキンズがぼやいてた、黒い膠みたいなヤツな。確かに滑らないとは言ってたけど、上手くいってないみたいだったな」
「毎日、気が付かない間に空気が漏れてるって言ってたな」
「ま、倍も早くなれば、用向きでいちいち旦那に走ってきて貰う必要もなくなるから、そら良いんだけどさ」
「旦那、マジで足速いからな」
「ただ、ま、流石に樽を三つ四つ抱えて走るってわけにはいかんから、早くなるつうなら試したいってのはあるんだろ」
「そういや、ウェッソンのとっつあんがなんかのお披露目するって言ってたな」
 ヴィンゼからローゼンヘン館までは遊び半分の物見遊山でゆくにしろ、今日只今の催しにふらりと足を向けるには遠すぎる。
 狼虎庵の面々は雑談のオチが付いたところで肩をすくめ日々の雑務に散っていった。


 まさにその当日。
 新型の機関車の試運転がおこなわれていた。
 四輪に新しい金属製の車輪を履きその周りにゴムの帯を締め空気で張りをもたせたモノだった。新しい車輪は、それまでの木製のものとは大きさが全く異なって幅は半キュビットもあったが石畳の上を走るような大きさの径で一キュビットしかなかった。鳥かごのように囲まれた座席は一人分でマジンは点火に先立って、かごのような車体をゴロゴロバタバタと転がすようにしてあちこちが地面に当たらないことを確認していた。
「そんな簡単に転がるものかね」
 マイノラが訝しげに言った。
「乗り上げればすっ飛ぶだろうな。枠も材料は鉄だが鉄砲よりだいぶ薄いただの筒だ」
 ここしばらくゴムの車輪の思いつきに振り回されていたマキンズが言った。
 長さ四キュビット半、幅二キュビット高さは三キュビットといった歪んだ四角錐のような鳥かごの四隅には新型の金属車輪を贅沢に油圧制振器をバネと組み合わせた自在腕を使って懸架され前方車輪の操舵は単純な梃子ではなく直行歯車式の大型船のような操舵輪が取り付けられていた。
「コイツは軽いから乗り上げりゃすっ飛ぶだろうが、すっ飛ぶのは軽いからだけじゃねぇぞ。見てて驚け」
 ウェッソンは乱暴に車体を揺すってみせる。乱暴な舟遊びのように体重をかけると車輪が浮きウェッソンでも倒せ、また起こせる。
 車重が三ストンそこそこしかない小さな四輪車は乳母車にしては大仰だったが、真ん中にゆりかご状の座席を備えておりそう見えないこともなかった。
「誰か乗りたいヒト」
 そうマジンが言いながら手を上げると果敢にソラとユエが手を挙げた。
「残念。ボクが一番早かったらしい。こういうものの最初は、作ることに決めたヒトが試すことになっているんだ」
 マジンがそう笑って言うとふたりは父親の大人げない挑発に当然に抗議をした。
「――とりあえず爆発したり燃えたりしないことをボクが確認してからだ」
 マジンは後輪の車軸を抱え込むようにしている圧縮熱機関の勢車についた引き紐を一気に引いた。
 フイゴと云うには少々奇妙なカカカカっという金物の当たる音がした。
 もう一回引くとなにかが連続的に破裂する音がした。
 銃声のような直接的ではないもののローゼンヘン館にあるフイゴのような或いはなにかを擦るような流すような蒸気圧機関でもなく、ピコポコとユーモラスですらあるような熱流体振り子機関の音でもないモノだった。
 マジンはメガネをすると腰を座席に落とし込んだ。
「では、行ってきます」
 そう言うと左足で軸比を増やし圧縮熱機関の口火を右足で開いた。
 思いの外、速度が出て突き出している石を避けそこなった途端、前輪が跳ねた。
 ぐいーっと小さな四輪車は棹立ちになりのけぞるように加速してやがて四輪を地につけた。
 ウェッソンは一人胴間声で吠えるように笑ったが、見ていた者達はなにが起こったのか全くわからないまま呆然としていた。
 馬よりも早くというよりも、これまでの機関車の数倍の速さで、しかも草地を大きなネズミかウサギのような或いはそれを追いかける猟犬のような身軽な機敏さで滑るように走り回る機関車を見たとき、歓声が起こった。
 一周草地を走って戻ってきた車は、牧場の草にまみれて青臭い緑色の斑になっていた。
「まるで草刈りをしていたような有様ですな」
 ソラとユエが先を争って譲らずジャンケンの結果、ソラが勝った。
 右足が機関出力、左足がギヤ接続、真ん中の大きいのが四輪のブレーキということだけわかれば操作自体は簡単だった。
「しかしアレじゃ荷車には使えないでしょ。もう次を準備してるんすか」
 マキンズが尋ねた。
「安心しろ。もう線は引いてある」
「アタシらが木ぃ削ってる間、アレやってたんですね」
 リチャーズが車から離れたマジンに言った。
「ボクも木型作ったよ。ってかさ、リチャーズ。じっくり作れたぁ言ったけどあそこまで選りすぐらんでも良いよ。どうせ動く。爆発するようなものでもない。あまり細かい仕上げにこだわらんでよろしい。砂型になればどうせいくらも荒れるし鋳物でもまた歪む。次もある」
「は、はぁ」
 どうやら手早く作れということらしいとリチャーズは恐縮した。
「あれ、石炭ガスじゃないすよね。なに燃してるんですか」
 マイノラが鼻を引くつかせながら尋ねた。
「台所の油だ。それだけじゃ上手く行かなかったからちょっとマゼモノをしているけど、九割方、大豆油だ」
「それでなんか旨そうな匂いなのか」
 マイノラがマジンの言葉に納得したようだった。
「どうよ。コイツはオモチャだが、ただの玩具じゃねぇぞ。ま、前の機関車もオモチャつうには目ん玉飛び出るスゴいもんだったけどな」
「旦那がスゲーのは知ってるよ。今更だろ」
 浮かれるウェッソンの扱いに困ったようにマキンズが言った。
「ばっか。オメェ、今の若様の言葉聞かなかったのかよ。大豆油だぞ。そこらにある大豆油」
「聞いてたよ。旨そうな匂いの理由も分かったよ。台所の支度を思い出すからだろ」
 マキンズの言葉にウェッソンは呆れた顔をする。
「アホか、オメェ。そうじゃねぇよ。マゼモンが必要だってのはアレなんだが、つまりは、マゼモンだけ用意できりゃ、出先で燃料足せんだろうが。それこそどこぞのお家で、旅の者ですが大豆油をお分けいただけないでしょうか、って惨めったらしく頭を下げりゃ更に遠くまで足を伸ばせるってことだろうが。気づけよ!」
 ウェッソンの声を耳にした者達がマジンの顔を探す。
「ま、そういうことだ。この機械は燃料があればどこでも走れる。蒸気圧機関みたいに水はいらない。流体振り子機関みたいに石炭ガスを必要としない。しかも、素晴らしいことには機関の立ち上がりが早く、燃料をぶち込めばそれなりに出力が調整できる。まさにイイトコどりだ。とはいえ油の質がなんでも良いというわけではないがね」
 ふとアウルムが不思議そうな顔をした。
「なんで今まで作らなかったの?おもいつかなかったの? 」
「いや、ヴィンゼ、油高いだろ。石炭乾留すればガスは手に入ったし、道も悪いから速度出すと危ないし、速度よりは燃費が良いほうが大事かと思ってた。あと、マゼモノを使ったりしているから、そういうのもあるし、車輪とかピッチがある程度無ければ出来なかったしね。多少は調整が必要だから、何台か似た感じで作ってみるよ」
 石炭の乾留での副生成物を売っていることで膨大に見えるローゼンヘン館の燃料をはじめとする動力や設備の経費が、実質タダ、というのは事実だった。それどころか、石炭の輸送を舟で行うことで隊商の輸送経費が圧縮されてその分がまるまる黒字になっていた。
 広場の向こうのほうで車がはねてひっくり返っていたのを、皆が慌てて起こしにゆくが運転していたユエは座席に縛り付けられていて全く無傷だった。
「ああいう風になったら、絶対手を伸ばして支えようとするなよ。最悪、腕がもげるぞ。両手は舵輪を掴んで体をしっかり支えていろ」
 近くにいたアルジェンにそんな風に言った。
 どういうふうに空中を舞うことになったのか、最初の瞬間は見ていなかったが、速度の出しすぎというのは間違いない。計算上出力は機関車で使っている熱流体振り子機関の五倍ほどでる設計になっている。車体の重量は四分の一だ。回転比や車輪や路面などが適切なら冗談ではなく六倍かもっとの速度がでるような理屈になっている。圧縮熱機関の構造上、回転数と出力は概ね比例関係にあり、その上限は吸気速度が音速に達するまでということになっていた。
 人が死ぬのも容易い速度にすぐ踏み込める。
 滑る草地ではそれほどの速度を出せるはずもなく、起伏のせいで危ない速度になる前に止まったというところだろう。ネジと埋め込みで組まれた車体の枠と座席は理屈の上では二百五十キュビットの高さから落ちても壊れないことになっているが、枠しかない車体では石ころや枝などが飛び込んでくるのを防げはしない。
 機関車は天候や疲労にかかわりなく機能できるが、子供たちはそうはいかない。
 振動や天候は長時間の運転の疲労要因になる。
 そのあたりが次の課題だった。


 その夏のうちに圧縮熱機関車にとってはローゼンヘン館からヴィンゼの町全域である五十リーグはかろうじて半日で往復できる距離になった。
 小型の実験車両を拡大したより大型の乗用機関車が完成したのだ。
 もちろんひとりで全行程を往復するのはちょっとばかりつかれることだったができないことでもなかったし、そういう時はふたりか三人で交代して運転すればよかった。機関車が登場以前は荷馬車で急いで片道二日普通は三日、早馬でも一昼夜、機関車登場以後も片道一日だったものが、早起きして昼前に着き、用事を済ませ日が落ちる頃に館にたどり着けるようになった、ということは実に画期的だった。
 新型の圧縮熱機関車は車輪の都合で大きなものを運ぶことに躊躇と不安を感じていたけれど、ヒトを六人ばかり或いは無理すれば八人ばかり載せて運ぶことは問題がなかった。
 大きく重くなった車体は転がれば一人で起こすことはもちろんできなかったが、馬車を意識した寸法の車体は早々転がるような大きさでもない。
 試作の圧縮熱機関の往復気筒の容積を倍増することで出力を倍にました結果としてこれまで長らく使えていた帯式の無断階変速機が力負けすることが増えたけれど、これまでとは違って傾けた楕円球体を接続させることで回転比を調節することになった。変速機の大きさはこれまでよりもだいぶ大きくなったが、取り出せるトルク量は柔らかなベルトの伸びや滑りを考慮しないで良くなった分、数段大きくなった。
 菊の花軸のような細かな凹凸のついた回転楕円体を傾けて転がすことで動力を伝達する一風変わった歯車装置による無断階変速装置は機関の投入燃料と併せて足元でコントロールされていた。右足で機関、左足で回転比を制御し、真ん中に制止用のペダルがついていた。
 長さ九キュビット幅四キュビットの機関車は天蓋とガラス窓を備え、酷く前衛的な姿形をしていた。それは納屋や囲いというよりは舟をひっくり返したような滑らかな形にキャンバスが張られていた。雨や泥からは道中完全に乗客を守り、窓についた雨粒を払う仕掛けや窓の曇りを飛ばす仕掛けが施され、機関の冷却のついでに車内を温める仕掛けまで施されていた。ほんの僅かばかりに冷やせばいいならと冷凍機を縮小した仕掛けが送風機に組み込まれていた。
 冷風機はアルジェンとアウルムが夏に弱いのを心配したソラとユエの言葉に冷却水による温水暖房と併せて追加されたものだった。
 そうやってツーリスモワゴンが地上に登場した。
 一人乗り用の機関車の圧縮熱機関に取り付けれられる大きさの発電機が電流を流すことで軸を回すことができるようになるにいたり、ようやく発電機と電動機が家の明かり以外に役に立ちそうな気配を見せてきた。電池によらない発電機の灯りが自由に灯せるようになったことは、用心のための電灯ではなく日が落ちても自由に走れるようになったことを意味した。
 町に卸していた方位磁石が小さな銀に似た紙のように軽い材料に代わり、値段が据え置きになったことはちょっとした悶着の元になったが、以前のものよりも軽く早く落ち着くので、ウヤムヤのうちに決着した。
 試作車の乗車位置を少し調整して後部座席を設けて二人乗りにしたものを二台狼虎庵に置いてみた。
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