石炭と水晶

小稲荷一照

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リザ

ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十四年冬

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 人夫の数が二十人が十人でなく四十人になったことに皆驚いていたが、冬に商隊が来るということがなければ、あとは単に食い扶持と手間の問題だけだった。
 四十人になったことは悪いことばかりでもなく、前半の一月半が終わる頃にはとにかくも川岸までの道が啓かれ、後半の一月半で切り倒された木々の切り株が掘り起こされ、杭打ちと土盛がおおまかに終わった。
 人夫たちは杭が丸太ではなく、間伐された細木や大木の枝を杭にしたものをまるごと炭に焼いたものであることを贅沢に感じていたようだったが、腐れないから却って長持ちするという説明に、鉄よりは安上がりかもしれないと納得したようだった。ガス釜で焼いて固く締まった木炭の杭は当たり外れはあるものの、概ね人夫の槌に堪え土の下の石塊の層に負けることなく道とその法面を支える役を果たした。
 結局冬の間だけでは馬車が通れるほどの道にはならなかったけれど、まずは馬が駆けても崩れないだけの新しい道が屋敷と舟舎までの森のなかにできた。
 これまでの道がザブバル川支流の北の別のうねりを目指していたために新しい道は大雑把に三割ほどもみちのりが短く、着工当初は人足が文句をいうほどに徹底的に起伏を嫌って作られていた。
 文句をいう人足たちも石炭や鉄塊石塊などを満載した舟が舟舎に付き、雪の中、馬車を寄せ、積み荷を載せて道を進ませた途端に道の狙い、マジンの望みを理解した。
 空を塞ぐように生えていた森の木々は幾本かの大樹の幹を残してあらかた炭にして杭や土の慣らしの砕石の代わりに使ったが、半端な大きさのものは務めてくれた人足たちに土産に持たせると一様に喜んでくれた。幾人かはなにに使うつもりかしらないが、細い葉や松ぼっくりのついたまま炭にしたモノを持ち帰った。
 農民の生活には燃える物はいくらもたくさん出てくるが、かまどで面倒が少ないような燃料は実のところ希少で、カネを使うのを厭う農民の生活が火持ちの悪い燃えさしのような炭を日用にしていたけれど、彼等にしたところで石炭や骸炭と云った面倒の少ない火力の高い燃料を知らぬわけもなく、まともに作った木炭が日々のついでにできた燃えさしの炭と違うことも重々承知していた。
 胴回りが十数キュビットもあるような大樹数本は流石に扱いに困ったが、当面は干さないと木材としても使えないので柵のうちの牧場の脇に簡素な土台と屋根を付けて置いておくことにした。手頃な太さの木にしても二冬ほどは水気を抜いてやらないと割れたり折れたり腐ったりという無残なことになるのを知っていたので、焦ることもないと積み上げて置くしかなかった。
 加勢に来てくれたあらかたの農夫たちは冬の終わりの雪解けとともに家に戻ったが、十人あまりの男たちは畑に鋤が入れられるようになるまでひとつきほどあるということで、もう少し助勢をしてくれることになった。ならばと町に聞いてみると更に十五人ほどがひとつきほど手隙ということで、合わせて雇うことにした。
 その中にはマルバがいた。
 年明けて十五になったと主張するマルバはそうそう変わらず当然に非力でひ弱だったけれど、十五だというならそこは仕方なかった。
 結局二十七人の男たちがひとつき余計に助勢をしてくれて、舟屋まで馬車道を敷きおわった。杭打ちや法面立て土盛といった手数がないと危ないところを乗り切ったことであとは砕石撒きや枕木打ちなどは手間の問題だけと言えた。
 一冬助けてくれたスピーザヘリンのコルとゴルはコルが農具の手入れがあると言って、延長のひとつきは付き合わなかったが、ゴルは残って助けてくれた。
 ふたりとはぼちぼち長い付き合いのはずだが、これまでほとんど話すこともなく、ようやくふたりが双子ではなく二十五と二十二の兄弟であることを知った。
 そんなことを話していると、ゴルが金貨を目の前に積んで言葉を探すようにした。
「アレを売って欲しい。兄貴と話して決めた」
「アレってのはどれだ」
「あのガラガラやる。籾殻を飛ばすやつだ」
「ああ、脱穀機か。秋のうちの評判が良くなかったから、作りおきはないよ。急ぐならミストブルの店のを買ったほうが早い」
 脱穀機はマジンの中ではすでに終わったものという印象があったので、なんとなく気が乗らなかった。
「夏の麦の刈り入れに間に合えばいいんだ。それにあそこにあるのは、旦那に話を聞いた時より少し高い」
「まぁ、店の預かり代が入っているみたいだからな」
「金貨十枚なら兄貴の分と合わせりゃ出せる」
 思いの外ゴルは真剣であった。
 表情はいつもの通り土で汚れた石のようだが、意志を感じる。
「親父さんは知っているのかね」
「知ってる。カネがありゃガキでも仕事できるようになるってのを見て驚いてた」
 そういうオヤジに見えなかった風なのでマジンは軽く驚いた。
「ひとつき待ってくれ。帰りがけに持たせてやりたいが、忙しくてたぶん間に合わない」
 ともかく買い手の意思は伝わったし、もともと売り物として売りだそうかと思った品だったので、マジンは自身の性急さを省みて承諾した。
「絡繰の方は麦の刈り入れに間に合えばいい。あと、帰りがけに硫安が六ストン欲しい。アレは使える。使い過ぎると良くないが、つかえる。……あと、木炭酸が余ってるなら、欲しい。炭焼きのときにでる酢のようなやつだ」
 ゴルの土塊のような唇から、マジンが誰にも口にしたことのないようなものの名前が出た。
「木炭酸。って、まぁ言うとおり蒸留して集めてあるが、よく知ってたな。なんに使うんだい」
 計画的に木炭を灼かなければ取り出せない副産物をよりによって賢しいこととは無縁に見えた人物の口から出てきたことにマジンは衝撃と興味を覚えた。
「兄貴が言ってた。旦那はともかく一回なんでも抑えてるから聞いてみろって。虫よけに使えるらしい」
「試しなら木炭酸は一樽でいいかね。たぶん二ストンってところだろうけど、マトモに量ってないからよくわからんのだけど。どっちも代金は一ストン三タレルでいいかね」
「それでいい」
 そんな風にして脱穀機の二号機はスピーザヘリンの農場に納品されることになった。


 グレカーレは冬の三ヶ月に十往復もして大雑把に三十グレノルの資材を運んだが、計画では二百五十から二百七十グレノルほども必要なはずで、まだまだ道程は長いとしか言えなかった。とりあえず、機関に余裕が有ることはこの冬ではっきりしたので、荷を運ぶための曳船を建てることが必要だった。
 十日にいっぺんほどの通い方をしていると、製氷倉庫の工事の仕事の進み具合も面倒と手間がわかるようで、雪や霙が降ったり、霜が降りるようだと中々に進みも遅い。幾日かは運河の淀みにも氷の膜が張ったりしていた。
 年が明けてのある日、現場を視察していたマジンの元にアルガがやってきた。
 マジンが少し前に煉瓦の最後の二千あまりの集まりがどうなったかを確認したのでその返事だろうと思っていた。
 冬は建築も閑散期だと思っていたのだが、どうやら今年のデカートは景気が良かったらしく、職工たちの手が足りないということでもあったらしい。あちこちで道やら橋の直しやらでソイルやその近くからも出稼ぎでヒトが集まってきているという。
 数百ならローゼンヘン館から煉瓦を融通できるが、場合によっちゃ工事の手を緩めるか、そんな話をアルガとはしていた。
「ああ煉瓦の話か。八百は手当がついた。あとの千三百いくらかは返事待ちだね。最後の二百いくらかはおたくの年寄りの若い衆が焦らんで良いってくれたよ。ソイルで足んなきゃフラム辺りまで手を伸ばしてみるけど、まだ積んでないのもあるし大丈夫だと思ってるが、マズいかね」
 アルガが台帳に目を向けながら言った。
「いや、八百でも手当してくれてんなら止まらない。残りもおっつけ頼むよ」
「まぁ、アタシらも自分で商いしている自分ちのことだからね。間に誰か入れるよりは話しが早いよ」
「話ってのはソレかい」
 マジンがそう言うとアルガは意外そうな顔をした。
「いんや、例の運河をきれいにする話。お願いすることで本決まりになった。あのだらしなく開けておいてもらった壁を埋めていただこうと思ってね」
「十日ばかり工期が遅れるよ」
「ま、ちょっとばかり雨に振られたと思えば、そんなものは気にしないさね」
「承った」
「町の連中に威張れるものにしておくれ」
「もちろんさ」
 そう言って半月後、マジンが苦労して運んできたものをアルガは目を丸くしてみていた。
 ソレは鉄の枠壁だった。
 運河の幅より一回り小さな枠だったが、長さは倍ほどもありそんなものは川を曲がれるわけもなく、衝立のように起こして運んできていた。
 そんな大物の工作を目の前で見られなかったことにウェッソンは歯噛みしたが、またの機会があることも間違いなかった。マジンは石炭灰の中の金属を精錬して鉄の焼付の材料に使ったのを工房での実験にウェッソンは立ち会っていた。
 浮き代わりに二艘の十人漕ぎの舟を差し渡しに繋いだ曳船を艫に曳き、運んできたそれを岸に鉄の櫓を立て天秤を作ると重石側に水を注いで釣り上げ、不格好な衝立を運河に倒した。
 対岸から傾く枠を狙いの位置に沈めるために鉄の竿で支えていたマジンの姿を見ると思いの外、軽いのかと思わずにはいられないが、単なる鉄の樋であるとしても対岸まで三十キュビット、長さで二百キュビットの鉄の枠の重さはグレノルをゆうに超えており、空気をためておけば樽を浮き代わりに水に浮かぶほどの重さと言っても、余人が一人で持ち上げることは出来ない重さだった。
「こりゃたしかに、五十万タレルも仕方ないさね」
 大仰という他ない見世物を目の前で見せられてアルガはそう言った。
 ほぼ一日かけてゆっくり沈められたソレに管が繋げられ、日差しが氷を溶かすもののまだ風も冷たい中、すべての配管が整った機関装置の炉に火が入ることになった。アルガと手代頭二人の他に幾人かの手代たちとが見守る中、絡繰がフイゴと石臼を合わせたような音を立てて動き始めた。
 この段に至って冷凍機関に問題が出れば為す術ないと緊張するウェッソンの目の前で蒸気圧機関が給炭機を回し始める。一瞬下がった蒸気圧が回復するのを待って冷凍機関を接続すると冷凍機関の圧力計が一瞬動揺して落ち着いた。やがて液面が覗き窓にあらわれ水面で窓を洗う。二系統ある圧力配管がそれぞれに落ち着いたところで、ウェッソンがマジンの顔を探して笑った。
 井戸からは機械がひとしきり水を勢い良く吐けることがわかり、そちらを止めると運河の方でアブクが起きた。思いの外アブクが大きかった辺りに骸炭をバサリと沈め、アブクをおおまかに揃えるとマジンは請け負った仕事が全て終わったことをアルガに告げた。
 そののち十日ほどウェッソンが試運転と慣熟に立ち会った。


 空の日がわかるほどに伸びてきた春の頃、ウェッソンの仕事が終わった。
 一仕事終えたはずの曳船に合わせて十グレノルも砕石を運んできた理由をマイノラ、リチャーズ、ミリズの三人は思いつきもしないようだったが、ウェッソンはニヤリとした。
「えらく進んだようですな」
「文字通り道半ばだけどね」
 ウェッソンの言葉にマジンは笑って応えた。
 マキンズがつまらない冗談を聞いたような渋い顔をした。
「前回のと今回のこれで二十グレノルって言ってましたけど、旦那のそろばんじゃ石塊だけで二百グレノル要り用ってとこなんでしょ」
「ま、そんなもんかな。前回ので千キュビット積んできた。これでようやく二千キュビットってところだろうな。道のりは二万一千キュビットくらいあるはずだから、たっぷり二十杯分ってところだろう」
 マキンズのうんざりと呆れた声にマジンが軽く応えた。たかが石ころ一袋で半タレルはねぇだろ、とかブツブツとマキンズは不平を言っている。
「なんに使うんですか。これ」
 リチャーズが尋ねた。
「軌条を敷くのさ」
 ウェッソンがマジンの代わりに誇らしげに応えた。
「キジョウ?ってどのなんのキジョウですか」
 マイノラが意味がわからないというようにマジンに尋ねた。
「トロッコの軌条だよ。お屋敷の辺りは鉱山あたりと違って土だからな、あらかた均して締めたって言っても崩れないようにする必要がある。話じゃ八千ばかりも杭を打つ必要があったはずだが、そっちは終わったんですかい」
 ウェッソンが笑うように言った。
「終わったよ。まぁ最後はちょっと延長して助けてもらったんだがね」
 ほう、というように皆が驚いた。
「マキンズには助けられていると思っているんだ。流石に千袋となるとボク一人じゃ辛いからね」
「ミソニアンの野郎もいるし前回は町の連中も助けてくれてたわけで、アタシ一人ってわけじゃないですけどね」
 マキンズが遠くの夕雲を眺めるような顔をして言った。
「更に今回は四人もいる」
「町の連中はいなくなりましたけどね」
 マキンズの言葉に皆が、え、という顔をしたのをマジンが笑った。
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