石炭と水晶

小稲荷一照

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漂着

ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十二年

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 野盗たちが使っていた馬は多かった。
 デカートに発つ前に気になった馬三十を残しそれでも百頭以上手放した。
 手放す先のヴィンゼの馬蹄屋は一気に百頭引き取る手数はないから残った馬の世話を兼ねて気長に通うと言ってくれた。
 半月ほどして馬蹄屋に預けた幌馬車と家財家畜を引き取って戻ったときにはまだ予定の半分も減っていなかった。世話の悪かった馬はやはりだいぶ痩せていたが、アルジェンとアウルムが館の掃除を始めると元気になった。
 壁を割かれた馬舎は取り壊し三月ほどかけて崩された部屋を外に押し広げる形で作った工房が完成してからはほぼ一年実験の日々だった。
 破られた壁に仮の屋根を作って最初の作品は井戸のポンプだった。
 井戸に副管式の手押しポンプを作ってつけてみた。
 三階までの深さくらいであれば減圧式ポンプで十分なはずだったが、ちょっとした習作のつもりでもあった。
 鋳鉄を本体に磨き上げ銅板で目止めを作り作った。
 砂と石灰と石膏と糊で作った砂型はまぁそこそこイケているようだった。
 針金で煉瓦をからげるようにして編み積み重ねた壁に網をからげて漆喰を塗りこんだ壁は本館のどこよりも丈夫な作りで床まで漆喰でなめらかに仕上げてあった。
 思いつくままに組み込んだ炉排気利用の蒸気圧機関と排煙回収の水槽は思いの外に順調に成果をあげていた。
 蒸気圧機関は思いつきの習作しては十分に使えるものだった。
 欲張り過ぎ盛り込みすぎで問題が起こったらどうするんだとは思わないでもなかったが、百年も使うものでもあるまいしそこはいいことにした。
 圧倒的に多い鉛や丹を集めた後の灰をもう一度鋳熔かしてやると溶けにくい硬い澱が沈んでいることがあった。水槽は硫酸の原料や灰吹の鉛や水銀を回収利用するつもりのものであったのだけど、思いがけず高比重の重金属が石炭にあるらしいこともわかった。
 たぶん石炭灰にもたくさんあるのだろうけど、そっちは今は手をつけるには面倒すぎる。耐熱煉瓦の材料にしてしまうが当面だろう。
 ともかく一気に形にした蒸気圧機関が水車よりも二回りは小さなくせに十分な力を持った機械だったことで、マジンは気を良くしていた。
 大きな坩堝をかけられるように動線を確保したせいでレイアウト上の配置の面倒はあったが、金槌や旋盤に機械力が加わったことはとても大きな意味を持っていた。石臼や回転キリや砥石のこぎりなどの機械化が進むと余裕を持った工作の細密化が進むようになった。ステアのところから持ってきた小型旋盤は手持ちのどれよりも信頼できる精度を持っていたが、そこに機械力を加える事で無理をさせず仕上げに専念することができるようになった。
 ステアの工房から持ってきた様々な計測器や工具を自分で模写して作れるだけの工作精度が出てきて専用の工作機械を作れるようになるとわかりやすい工作精度の習作としてステアの残した二種類の銃のコピーを始めた。
 図面を起こし鋳型を作り、はめ込め鍛造し切削仕上げをする。
 オリジナルと寸分たがわぬ形に作れたことは一つの満足だったが、材料には幾分不満もあり、窮余の一策として一気にそれぞれ五十組の部品を組み上げすべての加工を終えた後に、専用焼き窯に入れ、焼きを入れたのちは焼き窯ごと一気に冷やして精度の満足できる部品を取るという方法をとった。刀と違って摺動が基本になる機械だから例外的な幾つかの部品以外は固く作ればいいということにした。
 焼き窯の煙突よりも高い水槽の底を一気に抜いて炉の中のすべてを一気に冷やすという方法はすさまじい轟音を響かせ、ローゼンヘン館の窓を一面一気に割ったのみならず、ヴィンゼの街からも煙と轟音が聞こえ、マイルズ保安官が数名とともに翌日に駆けつけるという騒ぎになった。
 そうやって作った銃の部品はほとんどが割れたり歪んだりしていたけれど、なんとか十組づつ組み立てられるだけの部品は残っていた。倍作った銃身はもうちょっとマシだったけど、後処理の過程でやはりかなり失敗した。
 二種類の銃は形になった。
 それらしく作れ、実際に試射をした結果、今のところ使える。精度も悪くはない。組み合わせによってはオリジナルよりも精度が良い物もあった。そういうものが長く持つかあっさり壊れるかは使ってみないとよくわからなかった。
 商品にするには歩留まりが悪すぎるけど、つまりは習作であり、趣味であり玩具だからそれでよい。
 こうなると次は火薬だった。
 まだ馬が二日食えるほどの量もあるが、もちろん無限というわけではない。
 体積と威力から考えて昨今この世界で一般的な黒色火薬を遥かに上回り、非常に高度な化学的産物であることは間違いなかった。
 硝綿火薬やニトログリセリンくらいまでなら手作業でも目算が立つ、そこから先はなかなかに困難だ。
 そこにたどり着くにしても、水素。アンモニア。硝酸。
 そこを手製となるとなかなか厳しい。
 電気が必要だった。
 電気を作るためには磁石とコイル。
 いや少し考えてみると、電源のための材料はひと通りそろっていた。
 排煙脱硫装置の廃液は硫黄を蓄えているはずだった。銅と亜鉛はある。
 出来合いのガラス瓶に陶製の仕切りを金で貼り付け塞いだ。
 廃液を煮詰めた出来の怪しげな硫酸をそれぞれにいれ電極を嵌めた栓をする
 電極に芯を入れたコイルを繋げれば電磁石ができる。
 出来た。
 油断していたので芯を鉄の塊に持って行かれてしまったが、電磁石が出来た。
 ということは、電気が出来た。
 磁石の元は、鉄に焼入れをする過程で幾らもできた砂鉄クズを炉で焼結するとある程度形には出来た。
 最初のうちは磁石の力が弱かったからあまり大きな起電力はなかったが、電場があれば磁場を強めることは時間の問題だった。電気をかけたコイルの中を焼き窯で作った弱い磁石を落として磁場を鍛える。
 これくらいなら手伝い仕事を求めていたアルジェンとアウルムにもできる。
 一週間くらいの彼女らの努力は指が放した磁石がコイルの電場の間で往復するという形で結実した。
 かつて東側の馬屋だったところも工房になった。
 ここにも炉が設けられたが大きな釜がかけられるように、釜が交換できるように作った。
 ちょっとの電気でも水素は出来た。
 アンモニアがそれとわかる形で手に入ったのは三月ほどかかった。
 それより先に黒色火薬を硫酸と合わせて蒸留することで、手早く硝酸を得ることにした。
 アンモニアが手に入って二月ほどして硝酸がそれとわかる量で手に入った。
 それからすぐに硝化綿とニトログリセリンを石鹸とエーテルと色付けの木炭で練ったものを作ってみた。
 黒色火薬ではとりあえず撃てはするものの正確に動かなかったステアの銃が、手製の火薬ではきちんと動いた。
 事前に適切な火薬量を調べるために火薬の量を減らして仮の銃身でどれだけ進むのかを比較していた。
 結局新しい火薬はステアのものよりだいぶ性能が落ちるが、新しい火薬でも詰め込めばなんとかなるということがわかった。
 黒色火薬よりはもちろん威力もある。
 確かにモノは出来たが、問題ばかりだった。
 気体の取り扱いはそれなりの準備が必要だということを痛感した半年だったとも言える。
 圧力容器の完成には工房の効率化の第二段階がかかっていた。
 今ではアンモニア釜と呼ばれている圧力容器は力不足なりに実はそれなり以上の効率を叩き出していた。
 水銀柱の圧力計も実に順調だった。
 鋳鉄製の手製の圧力容器はとくに技術的根拠もないまま毎回僅かなのアンモニアを酸素がほぼ残らない状態で作っていた。
 一抱えでは足りない大釜だったが、一週間の成果が小さな椀に軽く収まるほどの火薬では道が遠いのは確かだった。
 だがそれではアンモニア水の形でしか保存ができなかった。
 純粋な形で保存するには専用容器が必要だった。
 気体を液化するための圧縮機も必要だった。
 圧縮機と圧力容器が冷蔵庫を産んだ。
 ようやく生活に文明が届いた。
 電気は早々に使えていたのだけど、電球を作ることの困難からわかりやすい工業文明の成果はなかったのだが、圧力容器にコツコツとアンモニアをためていって容器の内部で水音がした時にようやくひとつの成果が家庭に導入されることになった。
 ヒートポンプというべき技術を実用したことで、蒸気圧機関の利用がひとつ大きく意味を持ったのみならず、氷は疎かそれをも下回る冷気を自由に手に入れることができるようになった。
 圧縮機とそれを更に改良した真空減圧機は化学を趣味として或いは更に実用を稼ぐためにとても重要な意味を持っている。
 空気をはじめとする気体をそれと知れる形に圧縮したり或いは運びだしたりということは、ある程度の成果を求めるようになるとどうしても必要になる。
 新たな火薬を作ってから概ね半年。
 圧縮機がアンモニアをそれと扱えるようになって、アンモニアを液化することが可能になり、液化したアンモニアを圧縮機までの減圧区間に適度にリークさせる膨張弁が精度よく作れるようになったことで、更に炭酸ガスを冷媒とする事が可能になった。
 管の引き絞りを全くの勘でおこなっていたところを金メッキをかけたネジを使って調整式の弁にしたことで一気に様々なことが上手くゆくようになった。
 この頃から化学工房の中は白衣とメガネ着用が義務付けられた。
 頻繁に使われているアンモニアも硫酸もそれと気づかず残ることがあり、それぞれかなり危なかった。
 危険物の蓋にはクラッチ式の鍵をつけ、ちゃんと締めるまで別の容器があけられないようにした。
 ゲリエ家のローゼンヘン館での二年目は手探りなりの成果を上げて過ぎていった。
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