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55話 年下の幼馴染
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それはファビオラが皇子妃教育を受けるため、ウルスラの執務室へ向かう途中のことだった。
生誕パーティで見かけた、白髪を蓄えた恰幅のいい紳士が、立ち話をしているところに出くわす。
(あれは、先代のディンケラ公爵……相手は青公爵家に連なる一族ね)
中立派の筆頭でもあるディンケラ公爵家を、第一皇子派も取り込みたいのだろう。
ファビオラは軽く会釈だけして、隣を通り過ぎた。
(ソフィさまがヨアヒムさまの秘密の恋人ということは、すでにディンケラ公爵家は第二皇子派ということ。余計な心配はしなくてもよさそうね)
そう判断したのだ。
実際に教育を受けている合間に、見たことを話題に出したが、ウルスラは予想通りの反応を示す。
「ディンケラ公爵家なら、中立派を装っているけれど、ほぼ第二皇子派だから心配しなくていいわ」
「生誕パーティでも、ヨアヒムさまと親しくされているのを見かけました」
「先代はとくに、ヨアヒムを高く評価してくれているの。何しろ、自分が手塩にかけて教えた生徒だから」
ヨアヒムは命を狙われていたせいで、学校に通えなかった。
ファビオラが商科での授業風景を教えると、少しだけうらやましそうな顔をしていたのを思い出す。
多くの同級生に囲まれ、互いに切磋琢磨する学生生活は、ヨアヒムには許されなかった。
逆に、こうしてヨアヒムに教鞭をふるった先生たちは、その優秀さに惚れこみ味方となっている。
「12歳になったマティアスが進学して、校内で好き勝手しているのが分かって、すぐに9歳のヨアヒムに家庭教師をつけたの。生誕パーティでヨアヒムを愚か者のようにマティアスは罵ったけれど、むしろ学校に通うよりも多くのものを身につけたはずよ」
ヨアヒムが立派に公務をこなしているのが、その証拠だ。
『七色の夢商会』をめぐるビラ騒動では、マティアスが総括する警吏よりも、ヨアヒムが総括する消防団に助けられたのを思い出す。
「先代はヨアヒムの不遇に心を痛めて、せめて遊び相手になればいいと、お孫さんをよく皇城に連れてきていたわ」
「それが……ソフィさまですか」
「実際は4歳も年下だったから、ヨアヒムが面倒を見ている場面が多かったけれどね」
ふふ、とまたしてもウルスラが母親の顔になる。
「弟妹のいないヨアヒムにとって、ソフィ嬢の存在は、情操的にいい刺激になってくれたの。だから先代には、私も感謝しているわ」
ヨアヒムとソフィは幼馴染で、二人の関係をウルスラも認めている。
(やはり間違いないみたい。ヨアヒムさまの想い人はソフィさまで、私が20歳を迎えて契約が終了したら、改めてディンケラ公爵家へ婚約を申し込むのだわ)
来年、ソフィは17歳。
21歳になるヨアヒムとは、お似合いの年頃だ。
二人が婚約すれば、ヨアヒムの地位は今以上に、確固としたものになるだろう。
(それはカーサス王国の侯爵令嬢では、成しえないことね)
哀しみの熾火が、静かにファビオラの心を燃やす。
ファビオラがあの町で、ヨアヒムと遊んだのは9歳のときだった。
ということは、当時のヨアヒムは10歳――すでに、ソフィとの出会いは済んでいる。
(ヨアヒムさまの心には、もうソフィさまがいたのかもしれないわ)
ファビオラがいくらあの男の子を慕おうと、遅かったのだ。
(住んでいる国が違うのだから、巡り会えただけでも奇跡だったのよ)
オーズ役に相応しい、朱金色の髪をした少年。
身を挺してファビオラとアダンを、勇敢にも護ってくれたヨアヒム。
これまでずっと、忘れられなかったが、仕方がない。
ファビオラは矢傷がある左胸の上に、そっと手を置いた。
(私があの女の子だったと、知らせずに別れたほうがいいわ)
下手にヨアヒムを苦しめたくはない。
(素敵な思い出をもらった。それだけで十分よ)
ファビオラは再開されたウルスラの教育に意識を戻す。
(20歳になるまで、あと11か月。生き延びることに集中しよう)
死ななければ、『朱金の少年少女探偵団』の五巻が読める。
ファビオラの中の泣きじゃくっていた少女が、少しだけ微笑んだ。
◇◆◇◆
「義兄上の私兵団の人数は減り続け、今や当初の半分といったところです。ただし、資金の追加があったらしく、装備品は各々に行き渡り、正しく給金が支払われたことで、一時的な士気は上がっています」
今日もヨアヒムは忙殺される。
赤公爵家とそれに連なる一族が総出で、マティアスの襲撃に備えようとしているのだ。
ヨアヒムは連日、集められた情報を精査し、今後の動きを会議で指示している。
つまり、あれからファビオラと二人きりになる機会には恵まれず、誤解はいまだ解けていない。
そんな中、ファビオラを一旦、帰国させてはどうかという案が一族から出る。
「ファビオラ嬢はカーサス王国の出身だ。ヘルグレーン帝国の揉め事に巻き込むのは、申し訳ない」
「せっかく素晴らしいお嬢さんとの縁が結ばれたのだから、彼女の身を大事にしないと」
「青公爵家を退けて、城内が落ち着いてから、呼び戻せばいいだろう」
「ヨアヒム殿下の皇太子就任と同時に、結婚式を執り行うのはどうだ?」
ヨアヒムの焦りを横に、重鎮たちの間で計画は進んでいく。
ファビオラとの婚約が仮初であるのは、赤公爵ですら知らない。
なぜなら、ウルスラがすっかりファビオラを気に入って、契約の存在自体を、なかったことにしようとしているからだ。
ヨアヒムだって、ファビオラが20歳になり、何かしらの不安から解放されたら、結婚を申し込みたいと思っている。
だが、ソフィとの関係を思い違いされているせいか、最近、ファビオラに一線を引かれていると感じていた。
沈むヨアヒムの胸の内を、正しく理解しているのはバートくらいだろう。
(今夜、ファビオラ嬢に時間をつくってもらおう)
あの日、ソフィと寄り添っていたのは、胸のボタンに絡んでしまった髪を、解くためだったと説明しなくては。
絶対にファビオラにだけは、勘違いをされたくない。
逸る心を宥め、ヨアヒムは仕事に戻った。
◇◆◇◆
第二皇子の寝室にある扉は、皇子妃の寝室に繋がっている。
どちら側からも鍵がかけられるので、この扉が一方的に開かれることはない。
ヨアヒムは夜遅く、駄目もとでその扉をノックした。
(せめて晩餐を一緒にしたかったが、それも出来なかった)
マティアスの動きが、予想以上に活発になっている。
まさしく、大詰めの時期だった。
(もっと忙しくなってしまう前に、ファビオラ嬢と話したい)
もしかしたら、カーサス王国へ帰ってしまうかもしれないのだ。
そうしたらヨアヒムとファビオラは、しばらく離れ離れになってしまう。
毎日のように一緒にいるのが当たり前となっている今、それはとても寂しかった。
「ファビオラ嬢、私だ。こんな夜遅くに、すまない」
ヨアヒムが声をかけてからしばらくして、扉越しに人の気配がした。
「ヨアヒムさま? どうしたのですか?」
久しぶりに聞いたファビオラの声に、ホッと安堵する。
出来れば顔を合わせて弁明させて欲しい。
「少しでいい。時間をもらえないだろうか。会って、話したいことがあるんだ」
「それは……」
ファビオラが押し黙ってしまった。
これは良くない兆候だ。
「この扉を開けてくれないか?」
非常識なのは分かっている。
ヨアヒムとファビオラは、本物の婚約者ではない。
そんな男女が夜も遅くに、侍女や侍従も付けず、二人きりで会うのは咎められる行為だ。
しかししばらく待つと、ファビオラの側から、かちゃりと開錠の音がした。
ヨアヒムが扉の取っ手をゆっくり引くと、その向こうには、ガウンを羽織ったファビオラが立っていた。
夜闇を照らす手燭の灯りが、きらびやかな銀髪に反射し、そこだけ神秘的な空間になっている。
「綺麗だ……」
カーサス王国は一神教だと言う。
その神様の御使いと呼ばれる銀髪の一族が、国を興した。
きっと神様はこの美しい人々を、愛さずにはいられなかったのだろう。
「ヨアヒムさま?」
惚けたままのヨアヒムに、ファビオラが首を傾げる。
ハッと我に返り、慌てて話し始める。
「重ね重ね、無礼をして申し訳ない。どうしても手紙ではなく、こうして直接、ファビオラ嬢に聞いてもらいたかった」
ファビオラの表情は変わらない。
何かを覚悟しているような顔だった。
ヨアヒムは早く誤解を解きたくて、やや前のめりになる。
「ソフィについてだ。あの日、寄り添っていた令嬢は私の――」
生誕パーティで見かけた、白髪を蓄えた恰幅のいい紳士が、立ち話をしているところに出くわす。
(あれは、先代のディンケラ公爵……相手は青公爵家に連なる一族ね)
中立派の筆頭でもあるディンケラ公爵家を、第一皇子派も取り込みたいのだろう。
ファビオラは軽く会釈だけして、隣を通り過ぎた。
(ソフィさまがヨアヒムさまの秘密の恋人ということは、すでにディンケラ公爵家は第二皇子派ということ。余計な心配はしなくてもよさそうね)
そう判断したのだ。
実際に教育を受けている合間に、見たことを話題に出したが、ウルスラは予想通りの反応を示す。
「ディンケラ公爵家なら、中立派を装っているけれど、ほぼ第二皇子派だから心配しなくていいわ」
「生誕パーティでも、ヨアヒムさまと親しくされているのを見かけました」
「先代はとくに、ヨアヒムを高く評価してくれているの。何しろ、自分が手塩にかけて教えた生徒だから」
ヨアヒムは命を狙われていたせいで、学校に通えなかった。
ファビオラが商科での授業風景を教えると、少しだけうらやましそうな顔をしていたのを思い出す。
多くの同級生に囲まれ、互いに切磋琢磨する学生生活は、ヨアヒムには許されなかった。
逆に、こうしてヨアヒムに教鞭をふるった先生たちは、その優秀さに惚れこみ味方となっている。
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ヨアヒムが立派に公務をこなしているのが、その証拠だ。
『七色の夢商会』をめぐるビラ騒動では、マティアスが総括する警吏よりも、ヨアヒムが総括する消防団に助けられたのを思い出す。
「先代はヨアヒムの不遇に心を痛めて、せめて遊び相手になればいいと、お孫さんをよく皇城に連れてきていたわ」
「それが……ソフィさまですか」
「実際は4歳も年下だったから、ヨアヒムが面倒を見ている場面が多かったけれどね」
ふふ、とまたしてもウルスラが母親の顔になる。
「弟妹のいないヨアヒムにとって、ソフィ嬢の存在は、情操的にいい刺激になってくれたの。だから先代には、私も感謝しているわ」
ヨアヒムとソフィは幼馴染で、二人の関係をウルスラも認めている。
(やはり間違いないみたい。ヨアヒムさまの想い人はソフィさまで、私が20歳を迎えて契約が終了したら、改めてディンケラ公爵家へ婚約を申し込むのだわ)
来年、ソフィは17歳。
21歳になるヨアヒムとは、お似合いの年頃だ。
二人が婚約すれば、ヨアヒムの地位は今以上に、確固としたものになるだろう。
(それはカーサス王国の侯爵令嬢では、成しえないことね)
哀しみの熾火が、静かにファビオラの心を燃やす。
ファビオラがあの町で、ヨアヒムと遊んだのは9歳のときだった。
ということは、当時のヨアヒムは10歳――すでに、ソフィとの出会いは済んでいる。
(ヨアヒムさまの心には、もうソフィさまがいたのかもしれないわ)
ファビオラがいくらあの男の子を慕おうと、遅かったのだ。
(住んでいる国が違うのだから、巡り会えただけでも奇跡だったのよ)
オーズ役に相応しい、朱金色の髪をした少年。
身を挺してファビオラとアダンを、勇敢にも護ってくれたヨアヒム。
これまでずっと、忘れられなかったが、仕方がない。
ファビオラは矢傷がある左胸の上に、そっと手を置いた。
(私があの女の子だったと、知らせずに別れたほうがいいわ)
下手にヨアヒムを苦しめたくはない。
(素敵な思い出をもらった。それだけで十分よ)
ファビオラは再開されたウルスラの教育に意識を戻す。
(20歳になるまで、あと11か月。生き延びることに集中しよう)
死ななければ、『朱金の少年少女探偵団』の五巻が読める。
ファビオラの中の泣きじゃくっていた少女が、少しだけ微笑んだ。
◇◆◇◆
「義兄上の私兵団の人数は減り続け、今や当初の半分といったところです。ただし、資金の追加があったらしく、装備品は各々に行き渡り、正しく給金が支払われたことで、一時的な士気は上がっています」
今日もヨアヒムは忙殺される。
赤公爵家とそれに連なる一族が総出で、マティアスの襲撃に備えようとしているのだ。
ヨアヒムは連日、集められた情報を精査し、今後の動きを会議で指示している。
つまり、あれからファビオラと二人きりになる機会には恵まれず、誤解はいまだ解けていない。
そんな中、ファビオラを一旦、帰国させてはどうかという案が一族から出る。
「ファビオラ嬢はカーサス王国の出身だ。ヘルグレーン帝国の揉め事に巻き込むのは、申し訳ない」
「せっかく素晴らしいお嬢さんとの縁が結ばれたのだから、彼女の身を大事にしないと」
「青公爵家を退けて、城内が落ち着いてから、呼び戻せばいいだろう」
「ヨアヒム殿下の皇太子就任と同時に、結婚式を執り行うのはどうだ?」
ヨアヒムの焦りを横に、重鎮たちの間で計画は進んでいく。
ファビオラとの婚約が仮初であるのは、赤公爵ですら知らない。
なぜなら、ウルスラがすっかりファビオラを気に入って、契約の存在自体を、なかったことにしようとしているからだ。
ヨアヒムだって、ファビオラが20歳になり、何かしらの不安から解放されたら、結婚を申し込みたいと思っている。
だが、ソフィとの関係を思い違いされているせいか、最近、ファビオラに一線を引かれていると感じていた。
沈むヨアヒムの胸の内を、正しく理解しているのはバートくらいだろう。
(今夜、ファビオラ嬢に時間をつくってもらおう)
あの日、ソフィと寄り添っていたのは、胸のボタンに絡んでしまった髪を、解くためだったと説明しなくては。
絶対にファビオラにだけは、勘違いをされたくない。
逸る心を宥め、ヨアヒムは仕事に戻った。
◇◆◇◆
第二皇子の寝室にある扉は、皇子妃の寝室に繋がっている。
どちら側からも鍵がかけられるので、この扉が一方的に開かれることはない。
ヨアヒムは夜遅く、駄目もとでその扉をノックした。
(せめて晩餐を一緒にしたかったが、それも出来なかった)
マティアスの動きが、予想以上に活発になっている。
まさしく、大詰めの時期だった。
(もっと忙しくなってしまう前に、ファビオラ嬢と話したい)
もしかしたら、カーサス王国へ帰ってしまうかもしれないのだ。
そうしたらヨアヒムとファビオラは、しばらく離れ離れになってしまう。
毎日のように一緒にいるのが当たり前となっている今、それはとても寂しかった。
「ファビオラ嬢、私だ。こんな夜遅くに、すまない」
ヨアヒムが声をかけてからしばらくして、扉越しに人の気配がした。
「ヨアヒムさま? どうしたのですか?」
久しぶりに聞いたファビオラの声に、ホッと安堵する。
出来れば顔を合わせて弁明させて欲しい。
「少しでいい。時間をもらえないだろうか。会って、話したいことがあるんだ」
「それは……」
ファビオラが押し黙ってしまった。
これは良くない兆候だ。
「この扉を開けてくれないか?」
非常識なのは分かっている。
ヨアヒムとファビオラは、本物の婚約者ではない。
そんな男女が夜も遅くに、侍女や侍従も付けず、二人きりで会うのは咎められる行為だ。
しかししばらく待つと、ファビオラの側から、かちゃりと開錠の音がした。
ヨアヒムが扉の取っ手をゆっくり引くと、その向こうには、ガウンを羽織ったファビオラが立っていた。
夜闇を照らす手燭の灯りが、きらびやかな銀髪に反射し、そこだけ神秘的な空間になっている。
「綺麗だ……」
カーサス王国は一神教だと言う。
その神様の御使いと呼ばれる銀髪の一族が、国を興した。
きっと神様はこの美しい人々を、愛さずにはいられなかったのだろう。
「ヨアヒムさま?」
惚けたままのヨアヒムに、ファビオラが首を傾げる。
ハッと我に返り、慌てて話し始める。
「重ね重ね、無礼をして申し訳ない。どうしても手紙ではなく、こうして直接、ファビオラ嬢に聞いてもらいたかった」
ファビオラの表情は変わらない。
何かを覚悟しているような顔だった。
ヨアヒムは早く誤解を解きたくて、やや前のめりになる。
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