【完結】兎と寅~2023年もよろしくお願いします~

鬼ヶ咲あちたん

文字の大きさ
上 下
7 / 9

七話 兎との幸せ

しおりを挟む
「大雅に別れ話を切り出そうと、仕事の隙を見つけて自宅に戻ったんだ。ところが大雅はすでに家を飛び出したあとだった。俺が無断外泊をしたのだと気づいて、激怒したらしい」



 ゆっくり湯呑を手の中で回しながら神弥さんは話し続ける。



「爺やにすぐ、大雅を探すように言った。だが爺やは、どこに行ったのか分からない大雅より、居場所が分かっている晃兎にガードをつけるべきだと言う。大雅の怒りの矛先が向かうのは、俺ではなく晃兎だと。それもそうかと思って、俺のSPに晃兎を護衛するように命じた」



 もしかして、あのスーツさん?

 神弥さんのSPをしている人たちだったのか。

 

「晃兎がバイトをしているスーパーに急行して、そこからはずっと見張っていた。大雅は晃兎のバイト先までは知らなかったみたいだな。だからマンションで待ち伏せしていたんだろう」



 お茶を飲み干し、神弥さんは湯呑を茶たくに戻した。

 私もなんとなく同じ動作をする。



「まさか大雅が、あそこまで大それたことをするとは思っていなかった。別れ話を切り出した後ならまだしも、俺が無断外泊をしただけで晃兎をひき殺そうとするなんて。俺は心底、アルファとオメガの本能が恐ろしいと思ったよ。運命の番というものは、本当に幸せをもたらすのだろうかと」



 おそらくどこかにいる私の運命の番。

 しかし、出会ったとしても、今の私は神弥さんの番だ。

 果たして気持ちが募るのか、不明だ。

 噛まれたオメガは、噛んだアルファを思う。

 私も、運命の番さんも、それは変わらない。

 もともとが歪な関係なのかもしれないな、アルファもオメガも。



「大雅は今も手術中だ。どうやらシートベルトをしていなかったらしくて、体の損傷が激しいんだ。そこまでスピードが出ていなかったのが幸いして、一命は取り留めている」



 だからあんなに血が出ていたのか。

 私を待ち伏せして駐車場にずっといたのなら、その間にシートベルトは外すかもしれないし、私を見つけて急発進するときには、きちんとシートベルトをつけるなんて冷静さはないかもしれない。

 私にはすごい勢いで突っ込んできたように見えたけど、速さはそこまででもなかったらしい。

 地下駐車場からロータリーへは登りスロープになっているし、そこで減速したのか。

 

「爺やに、明日からふたりで暮らすマンションを探してもらっている。なにか要望があれば、今のうちに聞いておくが?」

「え? 今のマンションを引っ越すの?」

「ああ、エントランスが大変なことになっただろう? しばらく工事が入るから不便だしな」



 それくらいで引っ越しするんだ。

 だから、いくつもいつでも使えるマンションを持っているの?

 神弥さんの感覚にちょっとついていけない。

 

「えっと、出来ればバイト先からそう遠くないところがいいな。徒歩で通っているから」

「ああ、バイト先ではパートさんに良くしてもらっているそうだな。いいバイト先を見つけたな」

「ど、どうしてそれを……?」



 神弥さんはしまったという顔をしたが、すぐに内情を打ち明けた。



「どこでバイトしているかは、先に調べさせていたんだ。危険がないか、心配で……」



 やっぱり神弥さんは心配性だった。



「大丈夫だよ。パートさんたち、みんな優しいよ。それに、これ、私が作った玉子焼き。巻くのが上手だねっていつも褒めてくれるんだ」



 私は神弥さんに玉子焼きのパックを見せる。

 神弥さんは嬉しそうにそれを見る。



「俺と食べようと思って、持って帰ってきたのか?」

「うん……そうだよ」



 そのつもりだったけど、本人に言われるとなんだか恥ずかしい。



「一緒に食べよう。晃兎のそういうところ、可愛くて俺は好きだよ」



 神弥さんは手を伸ばして、赤くなっているだろう私の頬を撫でた。

 神弥さんの会社には、シャワーも仮眠室もあるそうだ。

 私たちはその日、会社にお泊りをした。



 ◇◆◇



 晃兎が襲われてから5年が過ぎた。

 大雅は手術のあとも意識が回復せず、しばらくは集中治療室にいた。

 ケガが快癒したあとは個室に移り、意識の回復を待つばかりとなったが、もう5年だ。



「坊ちゃん、大雅さまはもう、目覚めないほうがいいのではないですか? 目覚めて待っているのが別れ話では、また暴走するかもしれませんよ」



 爺やが過激なことを言う。

 我がままに振り回されていた爺やにとって、大雅が目の上のたんこぶだったことは否めない。

 俺が甘やかしたせいで、大雅は勝手気ままに自由奔放にふるまっていたから。

 それが大雅のためだと思っていた。

 それが大雅の幸せだと思っていたんだ。

 だがきっと、大雅が求めていたものは違うし、俺が与えなくてはいけないものも違っていたのだろう。

 最初からすれ違っていたんだな、俺たちは。



 晃兎との間には、子どもが出来た。

 子どもを産んでからも、晃兎はあのスーパーのお惣菜屋さんでバイトをしている。

 大雅が目覚めるまではと晃兎は拒んでいたが、俺がなんとか説得して結婚もしてもらった。

 晃兎には大雅を絶対に見捨てないと約束をしている。

 晃兎は唐突に俺から連絡を断たれた過去があり、それと同じ思いを大雅にさせたくないのだ。

 返す返す、俺は最低な行いをしたと後悔している。

 その償いを今度こそ、きちんとしたいと思っている。 

 

 晃兎がヒートで苦しむ様を見て、俺は大峰HDに製薬会社を取り込んだ。

 今ある薬が効きにくいオメガ向けの、ヒート対策の薬を開発・製造するために。

 この5年で治験が進み、実用化までもう少しだ。

 そんなとき、俺に爺やからの連絡が入る。

 

「大雅が目覚めた? 意識ははっきりしているのか?」

『どうやら記憶に障害があるようですが、受け答えは出来ていますよ』

「すぐに行く。桃香の迎えに、人を手配してくれ」



 桃香は、俺と晃兎の間に産まれた3歳になる愛娘だ。

 今日は俺が園へお迎えに行く日だった。

 晃兎にもメッセージを入れて、俺は大雅の病院へ急ぐ。

 大峰家のために用意されている個室に、ずっと大雅は眠っていた。

 だが今日は、ベッドに寝そべる大雅の目が開いている。

 

「わあ! 僕の運命の番でしょ? 匂いで分かったよ!」



 記憶にあるよりも、ずいぶんと幼い言動をする。

 爺やによると、大雅は俺と出会う前の記憶しかないようだ。

 つまり高校生くらいに精神が戻っているということか。

 ずっと寝たきりだったから、手足はやせ細り、髪もずいぶん抜けた。

 だけど強い瞳はそのまま、俺をしっかり捉えている。

 ああ、大雅だなと思った。

 俺は思わず零れた涙を拭った。



「どうしたの? 僕と番になろうよ。そうしたら幸せになれるよ?」

「なれないんだ。……俺たちは一度、番になった。そして幸せになれなかったんだ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

君はアルファじゃなくて《高校生、バスケ部の二人》

市川パナ
BL
高校の入学式。いつも要領のいいα性のナオキは、整った容姿の男子生徒に意識を奪われた。恐らく彼もα性なのだろう。 男子も女子も熱い眼差しを彼に注いだり、自分たちにファンクラブができたりするけれど、彼の一番になりたい。 (旧タイトル『アルファのはずの彼は、オメガみたいな匂いがする』です。)全4話です。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

噛痕に思う

阿沙🌷
BL
αのイオに執着されているβのキバは最近、思うことがある。じゃれ合っているとイオが噛み付いてくるのだ。痛む傷跡にどことなく関係もギクシャクしてくる。そんななか、彼の悪癖の理由を知って――。 ✿オメガバースもの掌編二本作。 (『ride』は2021年3月28日に追加します)

【完結】何一つ僕のお願いを聞いてくれない彼に、別れてほしいとお願いした結果。

N2O
BL
好きすぎて一部倫理観に反することをしたα × 好きすぎて馬鹿なことしちゃったΩ ※オメガバース設定をお借りしています。 ※素人作品です。温かな目でご覧ください。

処理中です...