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二話 飾り文字の蝶

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 トマスはアイボリー色の便せんを選ぶと、ペンを手に取った。

 サラサラと、まずはルシンダの名を記す。

 アダムが代筆をさせるだけあって、トマスの字はとても整っている。

 そして女性に好まれるような、飾り文字も得意としていた。

 ルシンダの名前の中に、可愛らしく花を咲かせ、蔦を這わせると、さて何と返事をしようかと考える。



「下手なことを書いてしまうと、ルシンダ嬢と兄さんの間で、齟齬が生まれてしまう。これまでは手紙だったから良かったものの、さすがに会うとなると誤魔化せない」

 

 押しつけられるようにして始まった3年間の文通のやり取りの内容を、ルシンダが王都に来るまでにアダムに教えなくてはいけない。

 秘密にしていた宝物を奪われるようで癪に障るが、ルシンダのこれからの幸せのためだ。



「まずはルシンダ嬢がいつ王都へ来るのか、予定している日程を尋ねよう。そして父さんにも要相談だな。兄さんがフラフラしているのを見逃しているというけれど、最近の兄さんの乱れようはあんまりだ。未亡人のみならず、人妻や令嬢にまで手を出しているというじゃないか。もし、それがルシンダ嬢の耳に入ったら、どれだけ傷つくことか……」



 しっかりと父親に、アダムを制御する対策を取ってもらわなくてはならない。

 そうして出来ることならば、ルシンダにせっかくの王都観光を楽しんでもらいたい。

 そんな思いを込めて、トマスは返事をしたためた。

 どんなことに興味があるのか、行ってみたい場所はあるか、食べてみたいものはあるか。

 教えてくれたら、出来るだけの願いを叶えたいと思っている。

 そして締めくくりにアダムのサインを記した。

 ルシンダの名と対になるように、飾り文字として蝶を舞わせた。

 蝶はトマスの気持ちの表れだ。

 ルシンダという花にとまりたいのに、とまることを許されない蝶。

 蝶はひとり寂しく、宙を舞っていた。



 ◇◆◇



 そろそろルシンダが王都を目指して領地を出発する頃、トマスは父であるラドフォード伯爵に呼び出された。

 父は王都と領地を行ったり来たりして、アダムに領地経営を教えながら、いまだ現役として辣腕を揮っている。

 それが王都に戻ってくるやいなや、仕事中だったトマスを帰宅させたのだ。

 何かがあったに違いない。

 恐らくは良いことではないだろう。

 嫌な予感を抱えながら、トマスは邸へ戻った。

 

「ただいま戻りました。遅くなりまして――」

「トマス! お前は知っていたのか!? アダムが、セルザム子爵の娘と深い親交があることを!?」



 父の執務室へ出向き、挨拶をしようとしたトマスに、それをさせない勢いで父が噛みついてきた。

 聞き取れた内容を頭の中で繰り返し、トマスは冷静に回答する。



「いいえ、知りませんでした。どこかの令嬢と夜を過ごしたという話は聞きましたが、それがセルザム子爵令嬢だったのですね?」

「どうしてそんなに落ち着いていられる!? セルザム子爵から、娘を孕ませた責任を取れと、抗議の手紙が届いたんだぞ!?」

「え!?」



 父の執務室には、もちろんトマスだけでなくアダムも呼び出されている。

 そしてアダムは応接セットのソファにうつむいて腰かけていたのだが、ラドフォード伯爵の言葉を聞いて立ち上がった。



「俺はシャーロットを愛している! これまでの遊び相手とは違うんだ!」

「馬鹿者!! 独身時代最後の火遊びを許したのとは訳が違う! お前はラドフォード伯爵家の後継者として、レディントン侯爵家との縁を繋ぐ役目があっただろう! それを……セルザム子爵家ごときの娘にたぶらかされおって!」

「シャーロットはそんな女じゃない! 初心で世慣れていなくて、さんざん遊んだ未亡人や人妻とは違う、すれたところのない女なんだ! そんなところに惹かれたんだ!」



 トマスが来るまでにも、二人はやり合っていたのだろう。

 アダムの声はかすれ、必死に父に認めてもらおうと声を張り上げていたことが伺えた。

 しかし内容がぶっ飛んでいる。

 ルシンダという婚約者がいながら、アダムが独り身を謳歌していたことは把握していた。

 それが最近になって未亡人だけでなく、人妻や令嬢を相手にしていることもトマスは耳にした。

 ところが現在進行形の話はどうだ。

 アダムが子爵令嬢を孕ませ、その責任を取れとセルザム子爵家から迫られている。

 噂話が飛び交う王城で文官をしているトマスだが、こんなことになっているとは全く知らなかった。



「よりにもよって一人娘に手を出すなど、お前に火遊びを許したのは軽率だった。こうならないための学びの場だったのに。伯爵家の後継者ともなれば、寄ってくる女は大勢いる。愛人でもいいとしな垂れかかり、猫なで声で関係を迫ってくるだろう。そうした女のあしらいを覚えるための機会だったのに、情けない!」



 アダムはこれまで後継者として大切に育てられ、用意された真っすぐなレールの上を歩いてきた。

 教育的指導をされたことはあっても、頭ごなしに怒鳴られたり叱られたりしたことはない。

 箱入り息子として危ないものからは遠ざけられ、周りの大人に守られる存在だった。

 それが政略結婚を前に、大手を振って遊ぶことを許され、そこで吸った自由な空気に箍も外れたのだろう。

 

「父上、そうした女はきちんとあしらった! シャーロットは違うんだ! 俺のほうが惚れたんだ! だから許してくれ! 俺はシャーロットと結婚する!」

 

 自分が跡取りでありながら、跡取りを取るしかない一人娘に手を出し、しかも結婚前に孕ませるという問題ごとを起こしても、まだアダムは許されると思っている。



「ラドフォード伯爵家はトマスが継げばいいだろう!? ルシンダとの結婚だって、トマスがしたらいいんだ! だってこの3年間、ルシンダとずっと文通をしていたのはトマスなんだ! 俺じゃない!」



 アダムに指さされ、トマスは急に自分の身に火の粉が降りかかるのを感じた。

 父に何かを決められてしまう前に、言いたいことを言ってしまわないと駄目だ。



「私に出来るのは文通までです。そもそも後継者としての教育を受けていませんし、私の外見では……ルシンダ嬢も嫌だと思います」

 

 そうなのだ。

 こちらにルシンダの肖像画が送られてきたように、あちらにもアダムの肖像画が送られている。

 ルシンダはアダムの肖像画を見て、好ましいと感じて手紙をくれたのだろう。

 それが実際は、文通していたのがトマスだったなんて、きっとショックを受けるに違いない。

 さらにはアダムが浮気をしたせいで、婚約者をトマスにすげ替えられるなんて、屈辱以外の何物でもないだろう。

 その上、トマスの外見がデブ眼鏡だ。

 ルシンダにとって三重苦どころの話ではない。



「トマス、この3年間、ルシンダ嬢と文通をしていたのは本当か?」

「……本当です」

「アダム、ルシンダ嬢を蔑ろにしていたことを、どう思っている?」

「……俺は、決められた相手との結婚なんて嫌だ」



 ラドフォード伯爵は、そこで大きく息を吸って吐いた。



「どうやら最初から間違えていたようだ。後継者として育てるべくは、トマスだった。アダム、お前には素質がない」

「……っ!」



 アダムがしゃくりあげるような声を出した。

 これまで、どんなときでも長男として最優先されてきた。

 親の愛を一身に受けるのも、社交界で注目されるのも、アダムが伯爵家の後継者だったからだ。

 それが今、アダムから剝がされる。



「どうして……? 確かに、婚約者がいながらシャーロットを愛して、結婚前に子どもを作ってしまったけど、それまではちゃんと務めていたのに……」

「レディントン侯爵家との縁を蔑ろにするなど、ラドフォード伯爵家としては有り得んからだ。大事なことが何か分からん奴に、跡を継がせる気はない。アダムよ、セルザム子爵家でもどこでも、勝手に行くがいい。私はこれから、最短でトマスを後継者に仕上げねばならぬ。お前に構っている時間は無いのだ」



 これ以上はないという冷たさで、父はアダムを切り捨てた。

 信じられないものを見る目で父を見ていたアダムだったが、父の考えが変わることがないと分かると、肩を落として執務室から出て行った。

 おそらくシャーロットのもとへ行くのだろう。

 セルザム子爵が、ラドフォード伯爵から切られたアダムを快く迎えるかどうか、シャーロットにかかっていると言っていい。

 自業自得ではあるものの、トマスは兄の健闘を祈るしかなかった。

 何しろ自分にも、すでに父からの重圧が降りかかってきている。

 もうトマスに残された道は一本しかないのだ。
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