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20話 不穏過ぎる王家の噂
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思いがけずに始まった、デクスターとのひとつ屋根の下の生活に、ウェンディの心は弾む。
デクスターはダニング伯爵の研究室にいることが多く、そこに行けば会えるという毎日に、浮かれてしまうのは仕方がなかった。
体で繋がる関係ではなく、心が通じ合う関係になりたい。
そのためにも、ふたりの間にある20歳以上の年の差を乗り越えようと、ウェンディはデクスターに積極的に話しかけた。
デクスターも嬉しそうにしてくれたので、ますますウェンディは胸を高鳴らせる。
ウェンディの恋心に気づいているらしいダニング伯爵も、初々しいふたりを温かく見守っていた。
あの夜から1か月が過ぎても、デクスターは人間の姿のままだ。
これは完全に、魔王の核を分離できたと思っていいだろう。
ウェンディやデクスター、ダニング伯爵の顔に、等しく安堵の色が浮かぶ。
次は魔王の核を体外に排出するための手段を講じようと、またしてもダニング伯爵家の研究室は、親子検討会のたびに熱を帯びるようになった。
季節は夏が過ぎ、秋を迎えようとしていた。
このままデクスターと暮らす生活が続くと思っていたウェンディだったが、運命がそれを許さない。
今日も研究に勤しむダニング伯爵家に、王家からの手紙が届いたのだ。
聖女によって書かれたらしい招待状を読んで、しかめっ面をしているのはダニング伯爵だ。
「これまで散々、デクスターを居ないものとして扱っていたのに。魔物の姿ではなくなったと分かった途端、なんだって急にデクスターをお茶会なんかに呼びつけるんだ?」
不審感を隠さないダニング伯爵の肩に、デクスターがぽんと手を置く。
「王家への挨拶は、いずれ必要となるだろう。俺は構わないよ、聖女さまとお茶を飲むくらい」
「もう興味もないだろうが念のためにと、デクスターの近況をイアン殿下と聖女さまに知らせた私が、愚かだったよ。なにが、昔の思い出話に花を咲かせましょう、だよ。ずっとデクスターを忘れていたくせに……」
悔しいのか悲しいのか、ダニング伯爵の表情は複雑だ。
ウェンディにもその気持ちは理解できる。
それを見て、デクスターは微笑んだ。
「俺には素晴らしい親友のアルバートがいた。俺自身も諦めていた未来を取り戻そうと尽力してくれて、魔王となる運命にウェンディと共に抗ってくれた。それだけで幸せだ」
「デクスターは謙虚すぎる。みんなで協力したとは言え、実際に魔王の首を落としたのは、聖剣を揮ったデクスターだ。国の英雄なんだから、もっと偉ぶっていいんだぞ?」
「偉ぶるなんて、俺には無理だ。相手は聖女さまだろう? とてもじゃないが恐れ多くて……」
「そうだ、デクスターに言っておくことがある。もし聖女さまからお茶を勧められても、その色が黒かったら飲むんじゃないぞ」
「どういう意味だ?」
思いもかけないダニング伯爵からの提言に、デクスターはきょとんとしている。
ウェンディも今まで忘れていたが、聖女はダニング伯爵作の媚薬ポーションを所有している。
「先だって、聖女さまに頼まれて媚薬ポーションを作ったんだ。悪用されないように黒い色をつけたから、気をつけてくれ」
「長らく聖女さまはイアン殿下と仲が良かったんじゃないのか? どうして媚薬ポーションなんて必要とするんだ?」
新年度が始まる前までは、確かに仲が良かった。
デクスターの質問に、ダニング伯爵は硬い声音で返答する。
「今はそうではないんだ。王城で聞いた話によると、イアン殿下は男児を生める若い側妃を娶りたいらしく、レンフィールド王国の一夫一妻制度を変えようとしている。聖女さまはイアン殿下によって、お払い箱にされそうなんだよ」
「イアン殿下が魔王討伐の褒賞として、王位継承権第一位になったことは知っている。だが、第二位には第一王子殿下がいるし、第三位には第一王子殿下の王子もいる。王位継承者が不足しているとは思えないが?」
「さすがデクスター、聖剣に選ばれるだけはあるな。欲にまみれていない、見事なまでに潔白な考え方だ」
ウェンディにしてみれば、ダニング伯爵もピュアな部類に入るのだが、デクスターはそれ以上のようだ。
ダニング伯爵は肩をすくめ、デクスターにも分かりやすく説明した。
「イアン殿下は第一王子やその息子ではなく、自分の息子に次の王位を譲りたいんだ。だからこそ、聖女さましか妃がいない状況では厳しいんだよ」
「身体的に、問題があるということか?」
デクスターは聖女に配慮した言い方をした。
だが、ダニング伯爵はズバリとその配慮を切って捨てる。
「私やデクスターと同じく、聖女さまだって40歳を過ぎた。今から妊娠と出産をするには、リスキーだろう?」
「だからと言って、愛した女性を蔑ろにするのは、どうなんだろう?」
「私にも、イアン殿下が急に手のひらを返したように見える。……ふたりの間に何があったのかは知らないが、入ってしまった亀裂を、聖女さまは媚薬ポーションの力で元に戻そうとしたのかもしれない」
だが、それが上手くいっていないから、ダニング伯爵の耳にまで入っているのだろう。
「イアン殿下の寵愛を取り戻すために、聖女さまが何をするのか不明だ。考えたくはないが、デクスターを巻き込んで、恋の鞘当てが始まるかもしれないだろう?」
ちらりとデクスターを横目で見ながら、放たれたダニング伯爵の言葉に、びくりとウェンディは反応してしまう。
恋の初心者のウェンディには難しいが、嫉妬をスパイスにして燃え上がる恋もあるという。
しかもデクスターの見た目は、いまだ20歳なのだ。
そんな若々しいデクスターが媚薬ポーションで操られ、聖女を一心に恋い慕うようになれば、修羅場になるのは間違いない。
「分かったよ。黒い色をした飲み物には、十分に気をつける」
【なんなら、オレが隠れてついていこうか? 何かあったときは、すぐにお嬢ちゃんを連れてきてやるぜ。お嬢ちゃんの錬金術士としての腕は、デクスターが身をもって知っているだろう?】
デクスターの肩の上で、体をびろんと伸ばしていたホレイショが、好奇心いっぱいの顔つきで髭をピクピク動かした。
身をもって、の台詞のところで、デクスターは顔を赤くする。
「そうだぞ、何かあったときは、ウェンディでも私でも、すぐに頼って欲しい。どうも今の王族には不信しかない。イアン殿下の急変も気になるし、レイチェル王女についてもいい噂を聞かん」
「レイチェル王女の噂? そう言えば私、学園内でそんな話を聞いたような……」
ウェンディは、司書のザカライアに聞いた、レイチェルの評判の悪さを思い出す。
隣国贔屓があからさまで、あまり学園内では勉強熱心でなく、教授たちに距離を置かれているという。
ダニング伯爵やデクスターに、ウェンディはかいつまんでその内容を伝えた。
「なるほどね、隣国の高位魔術か。それを自由に操れるのならば、レンフィールド王国内の魔術士としては上位だろう。過去にはイアン殿下も学ばれた魔術だ」
「イアン殿下は、対象を束縛する系の魔術が得意だった。それで最終決戦のときには、魔王の動きすら封じることが出来たんだ」
ダニング伯爵とデクスターが、昔を思い出すように会話を続ける。
「聖女さまが使われていた治癒だって、突き詰めれば魔術の領域だからな。レイチェル王女が魔術に対して素養を持つのは、両親譲りということだろう」
「しかし、高みを目指さないのは、惜しいな。才能があるのならば、もっと極限まで能力を伸ばしたい、と思うものじゃないか?」
聖剣に潜在能力を認められて聖剣士になったデクスターが、勇者らしい発言を挟む。
ウェンディもダニング伯爵も、どちらかと言えば極端寄りの思考の持ち主だ。
同意するように、うんうんと頷いている。
「聖女さまとは仲違いの噂があるイアン殿下だが、娘のレイチェル王女にはとことん甘いそうだ。今は平和な世界だからいいけれど、いざというときのために刃を研いでおくのが王族だと思うけどなあ」
がっかりしたような声のダニング伯爵だが、正鵠を射ている。
デクスターの症状が進行していれば、魔王が誕生するはずだったのだから。
だが、その点についてはウェンディやダニング伯爵が、切っ先を挫いた。
取りあえずの不安要素がない中で、媚薬ポーションにだけは気をつけよう、という認識でこの日の検討会は終わった。
デクスターはダニング伯爵の研究室にいることが多く、そこに行けば会えるという毎日に、浮かれてしまうのは仕方がなかった。
体で繋がる関係ではなく、心が通じ合う関係になりたい。
そのためにも、ふたりの間にある20歳以上の年の差を乗り越えようと、ウェンディはデクスターに積極的に話しかけた。
デクスターも嬉しそうにしてくれたので、ますますウェンディは胸を高鳴らせる。
ウェンディの恋心に気づいているらしいダニング伯爵も、初々しいふたりを温かく見守っていた。
あの夜から1か月が過ぎても、デクスターは人間の姿のままだ。
これは完全に、魔王の核を分離できたと思っていいだろう。
ウェンディやデクスター、ダニング伯爵の顔に、等しく安堵の色が浮かぶ。
次は魔王の核を体外に排出するための手段を講じようと、またしてもダニング伯爵家の研究室は、親子検討会のたびに熱を帯びるようになった。
季節は夏が過ぎ、秋を迎えようとしていた。
このままデクスターと暮らす生活が続くと思っていたウェンディだったが、運命がそれを許さない。
今日も研究に勤しむダニング伯爵家に、王家からの手紙が届いたのだ。
聖女によって書かれたらしい招待状を読んで、しかめっ面をしているのはダニング伯爵だ。
「これまで散々、デクスターを居ないものとして扱っていたのに。魔物の姿ではなくなったと分かった途端、なんだって急にデクスターをお茶会なんかに呼びつけるんだ?」
不審感を隠さないダニング伯爵の肩に、デクスターがぽんと手を置く。
「王家への挨拶は、いずれ必要となるだろう。俺は構わないよ、聖女さまとお茶を飲むくらい」
「もう興味もないだろうが念のためにと、デクスターの近況をイアン殿下と聖女さまに知らせた私が、愚かだったよ。なにが、昔の思い出話に花を咲かせましょう、だよ。ずっとデクスターを忘れていたくせに……」
悔しいのか悲しいのか、ダニング伯爵の表情は複雑だ。
ウェンディにもその気持ちは理解できる。
それを見て、デクスターは微笑んだ。
「俺には素晴らしい親友のアルバートがいた。俺自身も諦めていた未来を取り戻そうと尽力してくれて、魔王となる運命にウェンディと共に抗ってくれた。それだけで幸せだ」
「デクスターは謙虚すぎる。みんなで協力したとは言え、実際に魔王の首を落としたのは、聖剣を揮ったデクスターだ。国の英雄なんだから、もっと偉ぶっていいんだぞ?」
「偉ぶるなんて、俺には無理だ。相手は聖女さまだろう? とてもじゃないが恐れ多くて……」
「そうだ、デクスターに言っておくことがある。もし聖女さまからお茶を勧められても、その色が黒かったら飲むんじゃないぞ」
「どういう意味だ?」
思いもかけないダニング伯爵からの提言に、デクスターはきょとんとしている。
ウェンディも今まで忘れていたが、聖女はダニング伯爵作の媚薬ポーションを所有している。
「先だって、聖女さまに頼まれて媚薬ポーションを作ったんだ。悪用されないように黒い色をつけたから、気をつけてくれ」
「長らく聖女さまはイアン殿下と仲が良かったんじゃないのか? どうして媚薬ポーションなんて必要とするんだ?」
新年度が始まる前までは、確かに仲が良かった。
デクスターの質問に、ダニング伯爵は硬い声音で返答する。
「今はそうではないんだ。王城で聞いた話によると、イアン殿下は男児を生める若い側妃を娶りたいらしく、レンフィールド王国の一夫一妻制度を変えようとしている。聖女さまはイアン殿下によって、お払い箱にされそうなんだよ」
「イアン殿下が魔王討伐の褒賞として、王位継承権第一位になったことは知っている。だが、第二位には第一王子殿下がいるし、第三位には第一王子殿下の王子もいる。王位継承者が不足しているとは思えないが?」
「さすがデクスター、聖剣に選ばれるだけはあるな。欲にまみれていない、見事なまでに潔白な考え方だ」
ウェンディにしてみれば、ダニング伯爵もピュアな部類に入るのだが、デクスターはそれ以上のようだ。
ダニング伯爵は肩をすくめ、デクスターにも分かりやすく説明した。
「イアン殿下は第一王子やその息子ではなく、自分の息子に次の王位を譲りたいんだ。だからこそ、聖女さましか妃がいない状況では厳しいんだよ」
「身体的に、問題があるということか?」
デクスターは聖女に配慮した言い方をした。
だが、ダニング伯爵はズバリとその配慮を切って捨てる。
「私やデクスターと同じく、聖女さまだって40歳を過ぎた。今から妊娠と出産をするには、リスキーだろう?」
「だからと言って、愛した女性を蔑ろにするのは、どうなんだろう?」
「私にも、イアン殿下が急に手のひらを返したように見える。……ふたりの間に何があったのかは知らないが、入ってしまった亀裂を、聖女さまは媚薬ポーションの力で元に戻そうとしたのかもしれない」
だが、それが上手くいっていないから、ダニング伯爵の耳にまで入っているのだろう。
「イアン殿下の寵愛を取り戻すために、聖女さまが何をするのか不明だ。考えたくはないが、デクスターを巻き込んで、恋の鞘当てが始まるかもしれないだろう?」
ちらりとデクスターを横目で見ながら、放たれたダニング伯爵の言葉に、びくりとウェンディは反応してしまう。
恋の初心者のウェンディには難しいが、嫉妬をスパイスにして燃え上がる恋もあるという。
しかもデクスターの見た目は、いまだ20歳なのだ。
そんな若々しいデクスターが媚薬ポーションで操られ、聖女を一心に恋い慕うようになれば、修羅場になるのは間違いない。
「分かったよ。黒い色をした飲み物には、十分に気をつける」
【なんなら、オレが隠れてついていこうか? 何かあったときは、すぐにお嬢ちゃんを連れてきてやるぜ。お嬢ちゃんの錬金術士としての腕は、デクスターが身をもって知っているだろう?】
デクスターの肩の上で、体をびろんと伸ばしていたホレイショが、好奇心いっぱいの顔つきで髭をピクピク動かした。
身をもって、の台詞のところで、デクスターは顔を赤くする。
「そうだぞ、何かあったときは、ウェンディでも私でも、すぐに頼って欲しい。どうも今の王族には不信しかない。イアン殿下の急変も気になるし、レイチェル王女についてもいい噂を聞かん」
「レイチェル王女の噂? そう言えば私、学園内でそんな話を聞いたような……」
ウェンディは、司書のザカライアに聞いた、レイチェルの評判の悪さを思い出す。
隣国贔屓があからさまで、あまり学園内では勉強熱心でなく、教授たちに距離を置かれているという。
ダニング伯爵やデクスターに、ウェンディはかいつまんでその内容を伝えた。
「なるほどね、隣国の高位魔術か。それを自由に操れるのならば、レンフィールド王国内の魔術士としては上位だろう。過去にはイアン殿下も学ばれた魔術だ」
「イアン殿下は、対象を束縛する系の魔術が得意だった。それで最終決戦のときには、魔王の動きすら封じることが出来たんだ」
ダニング伯爵とデクスターが、昔を思い出すように会話を続ける。
「聖女さまが使われていた治癒だって、突き詰めれば魔術の領域だからな。レイチェル王女が魔術に対して素養を持つのは、両親譲りということだろう」
「しかし、高みを目指さないのは、惜しいな。才能があるのならば、もっと極限まで能力を伸ばしたい、と思うものじゃないか?」
聖剣に潜在能力を認められて聖剣士になったデクスターが、勇者らしい発言を挟む。
ウェンディもダニング伯爵も、どちらかと言えば極端寄りの思考の持ち主だ。
同意するように、うんうんと頷いている。
「聖女さまとは仲違いの噂があるイアン殿下だが、娘のレイチェル王女にはとことん甘いそうだ。今は平和な世界だからいいけれど、いざというときのために刃を研いでおくのが王族だと思うけどなあ」
がっかりしたような声のダニング伯爵だが、正鵠を射ている。
デクスターの症状が進行していれば、魔王が誕生するはずだったのだから。
だが、その点についてはウェンディやダニング伯爵が、切っ先を挫いた。
取りあえずの不安要素がない中で、媚薬ポーションにだけは気をつけよう、という認識でこの日の検討会は終わった。
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