2 / 9
二話 父親の思い
しおりを挟む
バステル子爵家の領地は、雪山からの雪解け水が河川となって大地をすみずみまで潤し、見事な針葉樹林を有する自然豊かな場所だった。
代々まじめに領地経営を行ってきて材木商としての一面もあるバステル子爵家は、子爵の中でも比較的裕福なほうで、マルゴットの療養が決まると邸の大々的な改修工事を行った。
以前は離れとして使っていた別邸を本邸と回廊で繋ぎ、日当たりの好さと風通しの好さにこだわった大きな窓のあるマルゴットの部屋を造った。
さらに、安静のため横になることも多いだろうと、大人が何人も寝そべることができる豪奢な天蓋ベッドの製作を領地の家具職人に依頼した。
出来上がるのは数年先だが、「そのころにはマルゴットも大きくなっているからちょうどいい」とバステル子爵は気にせず笑う。
さらには海を渡った先の国から、マルゴットの日常的な移動の補助となる車椅子も取り寄せた。
この国ではまだ珍しく、もしかしたらベッド以上に入手が困難だったかもしれない。
それを二台も購入したのは、そのうちの一台を分解して構造を設計図に落とし込み、マルゴットの成長に合わせて作り直すためだ。
車椅子での移動に不自由がないよう邸の段差は徹底的に排除され、マルゴットの部屋からは木漏れ日が優しく降り注ぐ中庭に直通で行けるような小道も用意された。
マルゴット自身の容姿も変わった。
毎日のように入っていた風呂が心臓に良くないと言われたので、清拭でも心地よく過ごせるように長かった髪を顎のラインで切った。
体を締め付けるような服は処分され、聖職者がまとうような巻き付けるだけで着られる簡易な服が用意された。
もともと静かだったが、心臓に負担をかけないようにと出歩くことを止め、家の中で過ごし読書をすることが増えた。
その結果、健康的なユリアーナと神秘的なマルゴットという、対極をなす双子の姉妹となった。
マルゴットはこのところ思う。
王立学園ではユリアーナがお姫さまだった。
だが、この領地では私がお姫さまになったのではないか。
父様はおしげもなく私のためにお金をつかって、部屋とベッドと車椅子を用意してくれた。
私の心臓をいつも心配して、領地に心臓病の専門医を呼び、大きな病院を建てると言っている。
王立学園で常に私の前にいたユリアーナは、今では車椅子を押すために私の後ろにいる。
父様に心臓について聞かされたのだろう、ユリアーナは領地に帰ってから挙動がおとなしい。
私をビックリさせてはいけないとか、きっとそんなことを考えているのだ。
それに王立学園の友だちと離れ離れになったさみしさもあるのかもしれない。
いつもユリアーナが主役で、みんなの中心に居るのがユリアーナだった。
私はそんなユリアーナと姿かたちは同じなのに、同じようには振る舞えなかった。
知らない人と話すのは嫌い。
知らない場所に行くのは怖い。
王族や高位貴族と堂々と渡り合うのはユリアーナだけ。
友だちからおでかけに誘われるのはユリアーナだけ。
私はユリアーナの背後から伺ってばかりの何の思い出もない学園生活だった。
楽しいわけがない。
父様に「友だちはできたかい?」と聞かれたとき、とっさに嘘をつくこともできなかった。
私の顔色が変わったのを見て、もう父様はその答えを知ってしまったから。
だけどここに来てからはそんなことを気にしなくていい。
だって私は心臓に病がある。
おとなしくしていたほうが褒められる。
じっとしていたほうが喜ばれる。
ユリアーナよりもお金をかけてもらっているのだから、私はユリアーナよりも父様に愛されている。
私は私のままで、ユリアーナを越えるお姫さまになったのだ。
襲われそうになったときは心底嫌だと思ったが、今となってみればあのカラスは幸せをもたらす使者だった。
◇◆◇
バステル子爵は邸の近くに心臓の病を診ることができるほどの大きな病院を建設し、マルゴットだけでなく領民にもそこを開放することで奉仕精神にあふれた好人物だと王都で話題になった。
話題になったからと、わざわざ病院を視察に来る貴族たちもいた。
「これが娘のために建てたという病院か。王都の病院に負けない大きさだな」
「領民にも受診させるとは、なかなかできることではない」
「噂にたがわぬ好人物のようだ」
そこから取引につながる貴族もあったが、バステル子爵にとっての大きな収穫はお互いに親友と呼びあうようになるゾマー伯爵との接点が生まれたことだろう。
隣領のゾマー伯爵は自領にも大きな病院を建てたいと熱心に視察に訪れる中でバステル子爵と知り合い、時をかけず邸を行き来するほどに意気投合した。
招かれた伯爵家で差し向いに座るゾマー伯爵からワインを薦められながら、息子ばかり五人もいる親友に話を持ち掛けたのは自然な流れだったのかもしれない。
バステル子爵はこちらの邸に引っ越して以来、ベッドの上か車椅子の上でしか生活をさせていないマルゴットを思い浮かべる。
心臓に病を抱えるマルゴットは、おそらくこのまま邸で静かに過ごす以外の道はなく、他家に嫁いだり子を産むなりは難しいだろう。
つまりバステル子爵家の後継者をもうけるためには、ユリアーナが入り婿を迎えなければならない。
入り婿は誰でもいいわけではない。
威張ることなく、拗ねることなく、爵位を持つ妻をたて、あくまでも陰ながらに支えられる穏やかな人物が望ましい。
親の欲目を除いても、ユリアーナは本当にしっかりしている。
王立学園でのもろもろの成績が良かっただけでなく、自然な人脈の作り方も、高位貴族との付き合い方も、教えたわけでもないのに私以上にうまくやってのける。
子爵家当主として十分に才能がある。
だからこそ、目立ちたがりな入り婿では困るのだ。
ユリアーナの奮う辣腕の邪魔をするなどもってのほか。
当主となるユリアーナの立場を慮れる誠実な男がいい。
ワインを飲み干したついでのように、バステル子爵は口を開く。
少しだけ酒の力も借りたかったのかもしれない。
親友に持ち掛けるのはどうかという思いもあった。
だが親友だからこそ相談してみたくもあったのだ。
「実は、うちのユリアーナに相応しい入り婿を探している」
「水臭いな。息子ならうちに売るほどいるぞ。年齢が一番近いのは四男のエーミールかな。双子の姉妹の2つ上だ。まだやんちゃが抜けないが、あと数年もすれば落ち着くだろう」
「まずはユリアーナとの相性を確かめさせてもらっても?」
「いいとも。エーミールは兄弟の中でも大人しくて優しくて入り婿向きだ。保証するよ」
二人の間でとんとん拍子に話は進み、エーミールが12歳、ユリアーナが10歳になったら顔合わせをさせてみようと決まった。
毎年、双子の誕生日には子爵家で盛大なパーティが開かれているという。
そこに花束を持って登場させれば、息子の好感度は上がるだろうとゾマー伯爵は考える。
五人の息子すべてに何かを残してやれるわけではない。
せっかくバステル子爵がこうして水を向けてくれた話だ。
エーミールがお眼鏡に適って、入り婿といえど子爵家に居場所ができるなら、それは父親としてもありがたいと思うのだった。
代々まじめに領地経営を行ってきて材木商としての一面もあるバステル子爵家は、子爵の中でも比較的裕福なほうで、マルゴットの療養が決まると邸の大々的な改修工事を行った。
以前は離れとして使っていた別邸を本邸と回廊で繋ぎ、日当たりの好さと風通しの好さにこだわった大きな窓のあるマルゴットの部屋を造った。
さらに、安静のため横になることも多いだろうと、大人が何人も寝そべることができる豪奢な天蓋ベッドの製作を領地の家具職人に依頼した。
出来上がるのは数年先だが、「そのころにはマルゴットも大きくなっているからちょうどいい」とバステル子爵は気にせず笑う。
さらには海を渡った先の国から、マルゴットの日常的な移動の補助となる車椅子も取り寄せた。
この国ではまだ珍しく、もしかしたらベッド以上に入手が困難だったかもしれない。
それを二台も購入したのは、そのうちの一台を分解して構造を設計図に落とし込み、マルゴットの成長に合わせて作り直すためだ。
車椅子での移動に不自由がないよう邸の段差は徹底的に排除され、マルゴットの部屋からは木漏れ日が優しく降り注ぐ中庭に直通で行けるような小道も用意された。
マルゴット自身の容姿も変わった。
毎日のように入っていた風呂が心臓に良くないと言われたので、清拭でも心地よく過ごせるように長かった髪を顎のラインで切った。
体を締め付けるような服は処分され、聖職者がまとうような巻き付けるだけで着られる簡易な服が用意された。
もともと静かだったが、心臓に負担をかけないようにと出歩くことを止め、家の中で過ごし読書をすることが増えた。
その結果、健康的なユリアーナと神秘的なマルゴットという、対極をなす双子の姉妹となった。
マルゴットはこのところ思う。
王立学園ではユリアーナがお姫さまだった。
だが、この領地では私がお姫さまになったのではないか。
父様はおしげもなく私のためにお金をつかって、部屋とベッドと車椅子を用意してくれた。
私の心臓をいつも心配して、領地に心臓病の専門医を呼び、大きな病院を建てると言っている。
王立学園で常に私の前にいたユリアーナは、今では車椅子を押すために私の後ろにいる。
父様に心臓について聞かされたのだろう、ユリアーナは領地に帰ってから挙動がおとなしい。
私をビックリさせてはいけないとか、きっとそんなことを考えているのだ。
それに王立学園の友だちと離れ離れになったさみしさもあるのかもしれない。
いつもユリアーナが主役で、みんなの中心に居るのがユリアーナだった。
私はそんなユリアーナと姿かたちは同じなのに、同じようには振る舞えなかった。
知らない人と話すのは嫌い。
知らない場所に行くのは怖い。
王族や高位貴族と堂々と渡り合うのはユリアーナだけ。
友だちからおでかけに誘われるのはユリアーナだけ。
私はユリアーナの背後から伺ってばかりの何の思い出もない学園生活だった。
楽しいわけがない。
父様に「友だちはできたかい?」と聞かれたとき、とっさに嘘をつくこともできなかった。
私の顔色が変わったのを見て、もう父様はその答えを知ってしまったから。
だけどここに来てからはそんなことを気にしなくていい。
だって私は心臓に病がある。
おとなしくしていたほうが褒められる。
じっとしていたほうが喜ばれる。
ユリアーナよりもお金をかけてもらっているのだから、私はユリアーナよりも父様に愛されている。
私は私のままで、ユリアーナを越えるお姫さまになったのだ。
襲われそうになったときは心底嫌だと思ったが、今となってみればあのカラスは幸せをもたらす使者だった。
◇◆◇
バステル子爵は邸の近くに心臓の病を診ることができるほどの大きな病院を建設し、マルゴットだけでなく領民にもそこを開放することで奉仕精神にあふれた好人物だと王都で話題になった。
話題になったからと、わざわざ病院を視察に来る貴族たちもいた。
「これが娘のために建てたという病院か。王都の病院に負けない大きさだな」
「領民にも受診させるとは、なかなかできることではない」
「噂にたがわぬ好人物のようだ」
そこから取引につながる貴族もあったが、バステル子爵にとっての大きな収穫はお互いに親友と呼びあうようになるゾマー伯爵との接点が生まれたことだろう。
隣領のゾマー伯爵は自領にも大きな病院を建てたいと熱心に視察に訪れる中でバステル子爵と知り合い、時をかけず邸を行き来するほどに意気投合した。
招かれた伯爵家で差し向いに座るゾマー伯爵からワインを薦められながら、息子ばかり五人もいる親友に話を持ち掛けたのは自然な流れだったのかもしれない。
バステル子爵はこちらの邸に引っ越して以来、ベッドの上か車椅子の上でしか生活をさせていないマルゴットを思い浮かべる。
心臓に病を抱えるマルゴットは、おそらくこのまま邸で静かに過ごす以外の道はなく、他家に嫁いだり子を産むなりは難しいだろう。
つまりバステル子爵家の後継者をもうけるためには、ユリアーナが入り婿を迎えなければならない。
入り婿は誰でもいいわけではない。
威張ることなく、拗ねることなく、爵位を持つ妻をたて、あくまでも陰ながらに支えられる穏やかな人物が望ましい。
親の欲目を除いても、ユリアーナは本当にしっかりしている。
王立学園でのもろもろの成績が良かっただけでなく、自然な人脈の作り方も、高位貴族との付き合い方も、教えたわけでもないのに私以上にうまくやってのける。
子爵家当主として十分に才能がある。
だからこそ、目立ちたがりな入り婿では困るのだ。
ユリアーナの奮う辣腕の邪魔をするなどもってのほか。
当主となるユリアーナの立場を慮れる誠実な男がいい。
ワインを飲み干したついでのように、バステル子爵は口を開く。
少しだけ酒の力も借りたかったのかもしれない。
親友に持ち掛けるのはどうかという思いもあった。
だが親友だからこそ相談してみたくもあったのだ。
「実は、うちのユリアーナに相応しい入り婿を探している」
「水臭いな。息子ならうちに売るほどいるぞ。年齢が一番近いのは四男のエーミールかな。双子の姉妹の2つ上だ。まだやんちゃが抜けないが、あと数年もすれば落ち着くだろう」
「まずはユリアーナとの相性を確かめさせてもらっても?」
「いいとも。エーミールは兄弟の中でも大人しくて優しくて入り婿向きだ。保証するよ」
二人の間でとんとん拍子に話は進み、エーミールが12歳、ユリアーナが10歳になったら顔合わせをさせてみようと決まった。
毎年、双子の誕生日には子爵家で盛大なパーティが開かれているという。
そこに花束を持って登場させれば、息子の好感度は上がるだろうとゾマー伯爵は考える。
五人の息子すべてに何かを残してやれるわけではない。
せっかくバステル子爵がこうして水を向けてくれた話だ。
エーミールがお眼鏡に適って、入り婿といえど子爵家に居場所ができるなら、それは父親としてもありがたいと思うのだった。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
162
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる