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24話 バウムクーヘン

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 アンネは残りの報酬を渡すため、ラーシュが仕事の日を待って、ビリーをアパートに呼んだ。

 

「それで? どこだったの?」

「先に報酬をくれよ。大変だったんだから」



 唇を尖らせるビリーに、アンネはクッキー缶から紙幣を取り出す。

 約束通りならば2枚だが、かなり時間もかかったし、労う意味も込めて3枚を渡した。

 

「太っ腹! ありがとう!」



 ビリーは紙幣をすぐに服の中に仕舞った。

 そしてイライラして待ち構えているアンネに、ずばりラーシュの行先を告げた。



「表通りから見える、大きな屋敷があるだろう? 番さんは仕事の帰りに歩いてそこまで行って、じっと建物を眺めていた。日が暮れるまでね」

「大きな屋敷を? どうして?」

「それは俺にも分からない。だけど間違いない。確認のために何度か尾行したからね」

「誰かに会ったり、話したりはしてないの?」

「してないね。門番から隠れるように佇んで、ただボーっと見てるだけなんだよ」



 ビリーが首をかしげている。

 ビリーにも訳が分からないのだろう。

 もちろんアンネにもラーシュの意図は不明だ。



「その屋敷には、どんな人が住んでるか分かる?」

「でかい会社の社長だってさ。奥さんを何人もはべらせているらしい」



 社長とラーシュに、繋がりがあるようには思えない。

 それに、絶対にラーシュは、エーヴァの面影を追い求めているはずだ。

 ならば怪しいのは、何人もいる妻のほうだろう。



「もしかして、奥さんの中にエーヴァがいるの?」

「エーヴァって誰?」



 こちらの事情を知らないビリーが、きょとんと尋ねる。



「ラーシュの元恋人よ。小学校の先生で、真面目ぶった眼鏡のトナカイ獣人」

「その人かどうか知らないけど、社長は近いうちに、新しい奥さんを迎えるらしいよ」

 

 ますます怪しい。



(その新しい奥さんというのが、エーヴァだったら?)

 

 ラーシュはエーヴァとの思い出の場所どころか、エーヴァ本人に会いに行っていたことになる。

 それはアンネへの裏切りに他ならない。

 腹の底から、ラーシュへの怒りがせりあがってきた。

 しかし、逆にこうも考えられる。

 もし、それがエーヴァだったとしたら、まもなく完全に別の男のものになるということだ。

 アンネは、口元だけでニヤリと笑った。

 真正面にいたビリーが、それを見て慄く。



「あと少しだけ待つわ。冬になれば私も20歳、ラーシュの言い訳は通じない」



 結婚したエーヴァに絶望したラーシュへ、アンネが優しく寄り添ってやろう。

 そして、ラーシュにはもうアンネしかいないのだと、分からせてやるのだ。

 

「今度こそ、正式な番になってやる。そして私は、ちゃんとした人生を歩むのよ。……あの母と違ってね」



 ◇◆◇



 午後3時から、エーヴァとディミトリスの結婚式が始まる。

 秋らしい晴天に恵まれ、屋敷の庭のコンディションは最高だった。

 身重のエーヴァをあちこちに連れ回したくないディミトリスは、事前に広大な庭の中に人前式の会場を設けていた。

 庭師と相談して、優しい香りのバラを束ねてトンネルを作り、くぐり抜けた先の舞台には色とりどりの花で飾られた大きな花時計を用意した。

 これからの未来の時間をエーヴァと共に、というディミトリスの万感の思いが込もっている。

 式後、参列者は披露宴が行われる大広間に、庭伝いに移動する予定だ。

 大広間は家令が采配し、ふるまいの料理からお酒、引き出物の準備がされている。

 ディミトリスは何度も脳内でシミュレーションを重ね、参列者の動線にも配慮し、完璧な式の流れを計画した。

 その成果が、今から試される。



 新婦エーヴァのお腹は、かなり前にせり出していた。

 マリトの提案したエンパイヤドレスでなければ、きっと着るのは無理だっただろう。

 白く、さらさらした柔らかい生地とレースが、エーヴァのお腹を優しく包む。

 そんな大きなお腹を、愛でるように撫でるエーヴァの姿は、まさしく聖母だった。

 新郎ディミトリスもまた、オーダーメイドの白い正装を身にまとい、いつも以上に精悍な姿をつまびらかにしていた。

 紳士然とエーヴァの手を引き、人前式の舞台までエスコートするディミトリス。

 エーヴァは自分の夫となるディミトリスの凛々しさに、見惚れずにはいられなかった。

 ぽうっとした顔でディミトリスを見つめるエーヴァに、ディミトリスがそっと顔を近づけて囁く。



「エーヴァ、とても美しいよ。君は、母になろうとする姿まで、貴いんだね。その愛らしい顔を、参列者に見せるのが、僕は嫌になってきた」

「ディミーさん、今日の結婚式のために、たくさんの準備を頑張っていたのに。私は今日を、とても楽しみにしていましたよ」

「そうか。エーヴァがそう言うのなら、結婚式を楽しもう。僕たちの新たな門出だ」



 すでに参列者は花時計を取り囲み、二人の登場を待っていた。

 青空に映えるバラのトンネルをくぐりぬけ、お腹の大きなエーヴァと、それを支えるディミトリスが現れる。

 途端に、拍手と歓声が沸いた。

 参列者に笑顔で応え、舞台の上で向き合った二人は、花時計の前で誓いを交わす。

 

「共に生きよう」

「死が二人を分かつまで」



 ディミトリスがエーヴァにキスを贈り、式が成立すると、参列者は配られた籠に入っている花びらを、天に舞わせる。

 赤、黄、白、橙、――。

 風に乗って幸せの色が拡がった。



 この後は披露宴だ。

 使用人が先導して、大広間へと皆を案内する。

 ひな壇にはエーヴァとディミトリス、参列者は丸テーブルに着席する。

 お酒が飲めないエーヴァに付き合い、ディミトリスは炭酸水を手にした。

 校長先生の祝辞の後、乾杯をする。

 二人の分も飲むわよ、とマリトが張り切っていた。

 ナニーの資格試験に合格したニコラも、今日は参加している。

 つわりは治まったものの、今度は赤ちゃんに胃を圧迫されて、一度にたくさん食べられないエーヴァのために、新婦の前に並んだ皿には、小さく切られた料理が上品に盛られていた。

 それを味わって食べるエーヴァのもとに、職場の先輩や同僚や後輩、校長先生が挨拶に来る。

 ディミトリスのもとにも、不動産会社の役員や、同じ業界の社長仲間、長い付き合いの友人が集まる。

 多くの人たちに祝福されて、この日、エーヴァとディミトリスは夫婦となった。

 

 日が暮れてきた。

 そろそろ宴も、お開きの時間となる。

 酔っていない者が酔っている者を支え、笑い合いながら玄関へと向かう。

 玄関前のロータリーには、ディミトリスが手配した小型のバスが並び、参列者がそれぞれに分乗する手はずだ。

 エーヴァとディミトリスは、バスに乗り込む人々へ、引き出物の入った紙袋を手渡した。

 引き出物の中身は、年輪を模した焼き菓子のバウムクーヘンと、銀製の小さな写真立てだ。

 縁起の良いバウムクーヘンは後ほど、この屋敷の近隣の家にも配られるという。



 全員の見送りが済むと、立ちっぱなしだったエーヴァを気遣い、ディミトリスがその体を抱き上げて屋敷へ入っていった。

 そんな幸せそうに笑い合う新郎新婦の姿を、いつもの物陰からラーシュが見ていた。



 ◇◆◇



「お待ちください」



 立ち去ろうとしたラーシュを、呼び止める声がした。

 振り返ると、老いてなお、かくしゃくとしたサイ獣人が近づいてくる。

 そしてラーシュへ紙袋を差し出すと、こう言った。



「旦那さまからです。華燭の典のお福分けを、貴方さまにお渡しするように言われました」

 

 ここから、ラーシュがエーヴァを覗き見していたことが、ディミトリスにバレていたのだ。

 差し出された紙袋は、先ほど参列者へエーヴァたちが手渡していたものと同じだ。

 ということは、中身は結婚式の引き出物なのだろう。

 ラーシュが受け取る素振りをしないのが分かると、さらに家令は付け加えた。



「旦那さまとエーヴァさまは、運命の番です。結ばれる巡りあわせだったのです。貴方さまにも、そういう存在がいらっしゃると聞いております。……エーヴァさまのことは、諦めなさいませ」



 ラーシュはそれ以上なにも聞きたくなくて、バッと紙袋を奪うと、その場から走って逃げだした。

 その後ろ姿を、家令が憐れむような目で見ていた。
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