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10話 不慣れな恋

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「エーヴァさんとは、昼食も一緒にとる約束をしているのよ。ディミーも同席するといいわ」

「急に僕が現れたら、変に思われないかな?」

「どのみち、どこかで自己紹介をしなくてはいけないんだから、早い方がいいわよ?」

「そ、そうか」



 マリトの言葉に勇気をもらったように、ディミトリスは頷いた。

 本当は会いたくて仕方がないのに、理由もなく会うのはどうなんだろうとウジウジしているのだ。

 まったくもってマリトにとっては、初めて見るディミトリスだらけだ。



「取りあえず、先にロマナと朝食をとってきなさいよ。ロマナのことは……まあ、頑張ってちょうだい」



 ディミトリスを愛しているロマナが、恋をしようとしているディミトリスに一体どういう反応をするのか。

 マリトには手に取るように分かる。

 

「大丈夫、ロマナのことはこれからも、妻として大切にするから」



 朗らかに笑って、手を振って出ていったディミトリスだったが、昼食の前にマリトの部屋へ戻ってきたときには、頬に大きくて赤い手形がついていた。

 ロマナに思い切り引っ叩かれたのだろう。



「その顔でエーヴァさんと会うつもり?」

「僕もどうしようかと思ったけど、自己紹介は早い方がいいんだろう?」



 運命の番しか愛さないと決めていた男が、これから不慣れな恋をしようとしている。

 マリトはしみじみ溜め息をついた。

 ディミトリスは恋に奥手なのではなく、下手なのだと理解したからだ。

 

「その頬について何か聞かれても、馬鹿正直に答えるんじゃないわよ? おそらくエーヴァさんは常識人だわ。ディミーの考えに、ついていけないでしょうからね」

「そうだね。ロマナからも怒られたよ。僕の考えていた妻と、世間一般的な妻と、どうやら食い違いがあるようだ」

 

 マリトは仕方なしに、ディミトリスを伴ってエーヴァの部屋を訪れた。

 エーヴァの気持ちが少しでも癒えたらいいと思って、昼食はたくさんの花が咲き乱れるサンルームに用意してあった。

 そこにエーヴァを連れ出すためにも、背後にいる頬を腫らしたディミトリスを警戒させないように、マリトは頑張るしかなかった。



「エーヴァさん、そろそろ昼食にしない? せっかくの晴れ間だし、日当たりのよいサンルームで食べるのはどうかなって思っているんだけど?」



 エーヴァの前で、身振り手振りでなんとか自分に視線を集めようとしたマリトだったが、やはりエーヴァの視線はディミトリスに向かっていた。



(そうよね……今どきこんな見事な手形をつけている、いい年した男も珍しいわよね)



 マリトは早々に作戦が失敗したことを悟り、諦めた。



「あの、助けていただいて、ありがとうございました。傘を、差しだしてくれた方ですよね?」



 しかしエーヴァは、手形を見ていたのではなかった。

 朧げにしか覚えていない夜闇の中で会ったライオン獣人が、ディミトリスで合っているかを確かめていたのだった。

 これにディミトリスが歓喜する。



「そうだよ、お嬢さん。僕の名前はディミトリス、ディミーと呼んで欲しいな」

「ディミーさん? 私はエーヴァと言います。熱があった私に、お医者さんを呼んでくれたと聞きました。ご面倒をおかけして――」

「どうか謝らないで。僕がしたくてしたことなんだ。君を、助けたかった。……エーヴァと呼んでもいいかな?」



 伊達にこれまで多数の女性を救ってはいない。

 マリトの前でエーヴァについて話すときは、あんなにしどろもどろだったのに、今はこんなにもスマートだ。

 紳士的な笑顔も板についている。

 流れるようにエーヴァをエスコートし、サンルームに案内するディミトリス。

 しかし、すぐ後ろに続いたマリトには、ディミトリスの尻尾がピンと立ち、少し震えているのが分かった。

 これはディミトリスが、一生懸命に張りぼての仮面をかぶっているときの緊張からくる癖だ。

 起業して間もない若いディミトリスが、デキる社長を装っていたときと同じ。

 運命の番であるエーヴァを前に、ガチガチになっている自分を必死で隠そうとしているディミトリスが、マリトには可愛く思えた。

 ここはディミトリスのために、一肌も二肌も脱がなくてはならない。

 マリトに安心して過ごせる住処をくれたのはディミトリスだ。

 これまでたくさんの妻を助けて幸せにしてきたディミトリスも、そろそろ幸せになっていいだろう。

 

 ◇◆◇



 エーヴァは昼食の間、何気ない会話の中で、これからアパートを探すつもりだと口を滑らせてしまった。

 そうしたら、ディミトリスとマリトが、揃って喰いついてきた。



「よ、良かったら、この家にずっと――!」

「ここ、部屋はいっぱい空いているのよ。わざわざ余所へ行かなくても、いいんじゃない? せっかくお友だちになれそうなのに、寂しいわ」

 

 エーヴァは、この家が立地的に街のどの辺りにあるのかも分からず、小学校への通勤にはバス停が近くにないと困るから、などと答えたのだが、二人は猛攻の手を緩めなかった。

 

「表通りまで、徒歩ですぐだから、バス停にも近いよ。なんだったら、毎朝、僕が小学校へ車で送っても――」

「百貨店も近いのよ。あとで一緒に買い物に行きましょうよ」

「他に必要なものがあれば、出来る限り用意するよ。エーヴァは、どんな部屋だったら嬉しい?」 

「他の部屋も見てみない? 趣の違う部屋もあるわよ? 私のお勧めはキラキラした金色の部屋なんだけど――」



 二人から同時に次々と話されて、エーヴァはマリトを見たり、ディミトリスを見たり、忙しい。

 

「会ったばかりの方に、これ以上のご迷惑をかけるわけには……」

「そんな寂しいことを言わないで、エーヴァ。僕は、君という運命の番に出会えたことを、心から感謝しているんだ」



 ディミトリスが運命の番という言葉を使ったときに、エーヴァの顔が一瞬だけ強張った。

 それを見逃さなかったマリトは、ディミトリスの服をツンと引っ張り、それ以上の後追いを止める。



「エーヴァさん、この家の周辺を見に行かない? バス停だって商店街だって、ここから近くて日常生活にはとても便がいいわ」



 マリトに言われて、エーヴァは何をするにもまずはお金が必要だと思い、頷いた。



「銀行に立ち寄りたいのですが、近くにありますか?」

「もちろんよ。ディミーがお金の面倒も見ると言い出す前に、出かけましょう」

「僕は、ついて行っては駄目なのかい?」

 

 途端に丸い耳を垂れさせて、しょぼんとした顔になるディミトリス。



「当たり前よ、ディミーは目立つもの。エーヴァさんはきっと、そういうのは望んでいないわ。そうでしょう?」

「目立つのは、ちょっと……」



 小学校もあいまいな理由で休んでいるし、できれば目立ちたくなかったエーヴァが言葉を濁す。



「車を運転するだけでも、駄目? 僕は車から出ないから」

「徒歩でも行けるとお勧めしているのに、どうして車を持ってくるのよ。いいから、ディミーは黙って留守番をしていなさい」

 

 マリトにぴしゃりと断られ、耳どころか尻尾までだらんとさせて、ディミトリスはサンルームから出て行った。

 その寂しげな後ろ姿を見ていたエーヴァは、実は緊張していた体から力を抜いた。

 やはり今日もディミトリスから、清涼な香りが漂ってきていた。

 ついて行きたくなるような魅力的な香りに、やはりディミトリスが運命の番なのだという思いは強まる。

 考え込んでいるエーヴァを心配そうに見つめたマリトは、あえてはしゃいだ声を上げた。



「私たちも早く食べてしまいましょう! お出かけするのなら、もっと可愛いワンピースを着なくちゃ!」

 

 エーヴァにしてみたら十分に可愛い服だったが、マリトにとってこれは部屋着レベルで、お出かけには相応しくないとのことだった。

 エーヴァはこれまでの自分の常識をどんどん覆していくマリトに、興味を抱いた。

 そしてこの家に来て初めて、笑ったのだった。
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