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9話 四十路男の色気
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ディミトリスが自分のベッドから起き上がると、隣で寝ていた全裸のロマナの体が腰まで露わになった。
茶色の豊かな髪が、メリハリのある体に沿って流れ、とても煽情的だ。
しかしディミトリスにとって、それは肉欲を促すものではない。
寒くないように、ディミトリスは上掛けをロマナの肩までかけてやった。
添い寝だけのつもりだったが、ロマナに泣かれてしまい、結局ディミトリスはロマナを抱いた。
ロマナは不安な気持ちが高まると、いつも性行為に耽る。
昨夜はディミトリスが運命の番を連れて帰ってきたことで、心が乱れたのだろう。
ロマナが安心するのならば、ディミトリスが抱けるうちは抱いてやればいい。
ディミトリスはそう思っていた。
しかし時折ニコラから、呆れたような視線を投げつけられる。
本当にロマナのことを考えるのならば、それでは駄目だと言いたいのだろう。
今いる妻の中では最年少のニコラだが、ディミトリスに一番厳しいのもニコラだ。
ディミトリスは、用意してあるだろう朝食を取るために、床に落ちていたガウンを拾って羽織った。
ロマナと寝た次の日は、使用人が気を遣って、ディミトリスたちを起こしに来ない。
ただ静かに朝食をテーブルに並べて、部屋を去っていく。
しかし今日は、二人分の朝食の横にメモが置かれていた。
マリトの字で書かれたそれを掴むと、ディミトリスは足早に部屋を出た。
◇◆◇
「マリト、これはどういうことだ?」
ディミトリスが訪ねた先はマリトの部屋だ。
1番目の妻というだけあって、マリトの部屋はディミトリスの部屋に近く、妻たちにあてがわれた部屋の中で最も広々としている。
しかもエーヴァの客室のような可愛らしい設えではなく、金色をメインにした眩さに襲われるゴージャスな部屋だ。
そんな中で長椅子に座り、優雅にくつろいでいたマリトを、ディミトリスは問い詰める。
「おはよう、ディミー、昨晩は結局ロマナを抱いたのでしょう? そう思って起こさなかったのよ」
「……確かにそうだが、彼女のもとを訪れるのなら、僕を誘って欲しかった」
ディミトリスは、エーヴァに会えなかった口惜しさを隠さない。
その様子は、マリトがこれまで見てきた、数多くの女性を助けてきたディミトリスと、少し違っていた。
「ディミーが言ったのでしょう? 番の香りで冷静さを欠くかもしれないと。だから最初の接触は、私だけの方がいいと思ったのよ」
「そ、そうか……それで、その、彼女はどんな感じだった? 何かに困っていた? 僕が助けられそうなことなら、何でも――」
「ちょっと、少し落ち着いたら? 何をそんなに慌てているのよ? 運命の番だからと、特別視はしないのでしょう?」
マリトが、呆れたようにソファに座ることを勧め、ディミトリスは素直にそれに従う。
まだ寝ぐせがついている鬣のように立派な金髪を、ディミトリスは手慰みに梳かしながら、ぼそぼそとマリトに返答する。
「そう思っていた。ただ香りに惹かれているだけだと。……でも昨晩、ロマナを抱いているときに、ふと頭を過ったんだ。これが、彼女だったら、と。……いけない考えだと、分かっている。でも、その妄想を……止められなかった」
マリトは驚いた。
これまでディミトリスが、女性をそんな目で見たことがないと知っている。
昨晩の態度も、切羽詰まったようには思えなかった。
それが一体、どうしたことか。
「マリトの言いたいことは分かる。僕は、そんなに性欲があるほうではないから、発情期だってめったに来ないし、これまで肉欲に振り回されたこともない。妻たちに発情期が来たって、つられることなく冷静に対処してきたつもりだ。――だけど、彼女が気になる。ここが、ソワソワするんだ」
まるで思春期の少年のように、胸を押さえて顔を赤らめたディミトリス。
「彼女も、発情期ではないと思う。だから狂わずにいられるのかもしれない。もし、出会ったときにお互いが発情期だったらと思うと、恐ろしいよ」
ディミトリスが俯き、両手で頭を抱えた。
常日頃から、女性は護る存在だと思っているディミトリスにとって、万が一にも女性を襲う可能性は恐怖でしかないのだろう。
「つまり、今は発情していないから大丈夫だけど、それでもエーヴァさんが気になって仕方がない自覚があるのね? それでディミトリスは、どうしたいと思っているの? エーヴァさんを抱きたいということは、4番目の妻にしたいの?」
「待ってくれ、マリト。そんな大きな声で言わないでくれ。彼女に聞こえてしまったら、どうするんだ」
エーヴァがいる客室はかなり離れているというのに、このディミトリスの慌てふためきようは何だ。
マリトはとても、滑稽なものを見せられている気がした。
これまでマリトにとって、ディミトリスは頼れる兄のような存在だった。
ディミトリスが起業した不動産会社が軌道に乗るまでは、お互いに支え合ってきた部分もあるが、多くはディミトリスに引っ張ってもらった。
そんな頼みの綱みたいなディミトリスが、自分の気持ちを持て余してうろたえている。
一度、エーヴァを抱く想像をしてしまったせいだろう。
そこから思考が離れなくて、ずっと顔を赤らめたままだ。
「その……彼女の名前は、エーヴァというの?」
上目遣いではにかみながら、マリトを見てくるディミトリスの色気は、青年期の彼の比ではない。
もうすぐ四十路の男が、ダダ漏らししていい艶冶ではない。
マリトは大きな溜め息をついた。
こんなディミトリスをロマナが見たら、妬いて発狂するに違いない。
もっと早く、ロマナへディミトリスからの自立を促しておくべきだった。
ニコラは正しかったと、ここに来てマリトは後悔していた。
そんなマリトの憂いを知らず、ディミトリスはいまだモジモジとしていた。
「妻というよりは、その、こ、恋人というか……。せっかく出会えた運命の番だ。エーヴァと、もっと……仲良くなりたい」
本来は恋人から昇格して妻となるのだが、ディミトリスは完全に勘違いをしている。
これはきっと、ディミトリスの生まれ育った環境が、認識に齟齬をもたらしたに違いない。
ディミトリスの見解の大きな過ちに、マリトはどうやって訂正を入れようか悩んだ。
「ディミー、妻というのは家族であると同時に、恋人でもあると知っている?」
「え? 妻はたくさんいてもいいけど、恋人になるのは運命の番ただ一人じゃないのかい?」
やはりそうだ。
「僕の父にはたくさんの妻がいて、家族として生活の面倒を見ていたのだけど、子を生したのは恋人とだけだった。恋人というのが、僕の母なんだけどね」
マリトはディミトリスに話を続けるように促した。
ここの解釈を間違えると、ディミトリスの考えを理解できない。
「父は言っていた。子を生すのならば相手は運命の番しかない、だから愛するのは運命の番だけだと。僕はこの年まで運命の番に巡り合えなかったから、誰も愛さずに人生を終えるのかと思っていた」
「これまでに愛したいと思う人はいなかったの? 世の中、必ずしも運命の番と結ばれる人ばかりではないわよ?」
「もちろん知っている。だけど運命の番に出会ってしまえば、それまでの愛は儚く消えるのだろう? だったら、それは本当に愛と言えるのだろうか?」
ディミトリスは父の言葉を信じ、運命の番こそが真に愛する相手だと思っている。
「もし運命の番と出会っても、それまでの恋人を愛することができるなら、それは本当の愛だろう。だが哀しいかな獣人の性は、運命の番を選んでしまう。それならば僕は父のように、運命の番以外は愛さないと決めていたほうが、誰も傷つかないのではないかと思ったんだ」
「なるほどね。理に適っているし、間違ってもいないわ。ただ、少し寂しいわね。恋は獣人の性でするものではないのよ。その人の優しさや強さ、そういうところに惹かれて恋は始まるわ」
「僕は恋をしたことがない。……そんな僕でも、エーヴァを愛することは出来るだろうか?」
ディミトリスは迷子の子どものように、情けない顔をしていた。
マリトは励ますように手を伸ばして、ディミトリスの手に重ねる。
「まずはエーヴァさんを知ることね。恋も愛も、そこからよ」
茶色の豊かな髪が、メリハリのある体に沿って流れ、とても煽情的だ。
しかしディミトリスにとって、それは肉欲を促すものではない。
寒くないように、ディミトリスは上掛けをロマナの肩までかけてやった。
添い寝だけのつもりだったが、ロマナに泣かれてしまい、結局ディミトリスはロマナを抱いた。
ロマナは不安な気持ちが高まると、いつも性行為に耽る。
昨夜はディミトリスが運命の番を連れて帰ってきたことで、心が乱れたのだろう。
ロマナが安心するのならば、ディミトリスが抱けるうちは抱いてやればいい。
ディミトリスはそう思っていた。
しかし時折ニコラから、呆れたような視線を投げつけられる。
本当にロマナのことを考えるのならば、それでは駄目だと言いたいのだろう。
今いる妻の中では最年少のニコラだが、ディミトリスに一番厳しいのもニコラだ。
ディミトリスは、用意してあるだろう朝食を取るために、床に落ちていたガウンを拾って羽織った。
ロマナと寝た次の日は、使用人が気を遣って、ディミトリスたちを起こしに来ない。
ただ静かに朝食をテーブルに並べて、部屋を去っていく。
しかし今日は、二人分の朝食の横にメモが置かれていた。
マリトの字で書かれたそれを掴むと、ディミトリスは足早に部屋を出た。
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「マリト、これはどういうことだ?」
ディミトリスが訪ねた先はマリトの部屋だ。
1番目の妻というだけあって、マリトの部屋はディミトリスの部屋に近く、妻たちにあてがわれた部屋の中で最も広々としている。
しかもエーヴァの客室のような可愛らしい設えではなく、金色をメインにした眩さに襲われるゴージャスな部屋だ。
そんな中で長椅子に座り、優雅にくつろいでいたマリトを、ディミトリスは問い詰める。
「おはよう、ディミー、昨晩は結局ロマナを抱いたのでしょう? そう思って起こさなかったのよ」
「……確かにそうだが、彼女のもとを訪れるのなら、僕を誘って欲しかった」
ディミトリスは、エーヴァに会えなかった口惜しさを隠さない。
その様子は、マリトがこれまで見てきた、数多くの女性を助けてきたディミトリスと、少し違っていた。
「ディミーが言ったのでしょう? 番の香りで冷静さを欠くかもしれないと。だから最初の接触は、私だけの方がいいと思ったのよ」
「そ、そうか……それで、その、彼女はどんな感じだった? 何かに困っていた? 僕が助けられそうなことなら、何でも――」
「ちょっと、少し落ち着いたら? 何をそんなに慌てているのよ? 運命の番だからと、特別視はしないのでしょう?」
マリトが、呆れたようにソファに座ることを勧め、ディミトリスは素直にそれに従う。
まだ寝ぐせがついている鬣のように立派な金髪を、ディミトリスは手慰みに梳かしながら、ぼそぼそとマリトに返答する。
「そう思っていた。ただ香りに惹かれているだけだと。……でも昨晩、ロマナを抱いているときに、ふと頭を過ったんだ。これが、彼女だったら、と。……いけない考えだと、分かっている。でも、その妄想を……止められなかった」
マリトは驚いた。
これまでディミトリスが、女性をそんな目で見たことがないと知っている。
昨晩の態度も、切羽詰まったようには思えなかった。
それが一体、どうしたことか。
「マリトの言いたいことは分かる。僕は、そんなに性欲があるほうではないから、発情期だってめったに来ないし、これまで肉欲に振り回されたこともない。妻たちに発情期が来たって、つられることなく冷静に対処してきたつもりだ。――だけど、彼女が気になる。ここが、ソワソワするんだ」
まるで思春期の少年のように、胸を押さえて顔を赤らめたディミトリス。
「彼女も、発情期ではないと思う。だから狂わずにいられるのかもしれない。もし、出会ったときにお互いが発情期だったらと思うと、恐ろしいよ」
ディミトリスが俯き、両手で頭を抱えた。
常日頃から、女性は護る存在だと思っているディミトリスにとって、万が一にも女性を襲う可能性は恐怖でしかないのだろう。
「つまり、今は発情していないから大丈夫だけど、それでもエーヴァさんが気になって仕方がない自覚があるのね? それでディミトリスは、どうしたいと思っているの? エーヴァさんを抱きたいということは、4番目の妻にしたいの?」
「待ってくれ、マリト。そんな大きな声で言わないでくれ。彼女に聞こえてしまったら、どうするんだ」
エーヴァがいる客室はかなり離れているというのに、このディミトリスの慌てふためきようは何だ。
マリトはとても、滑稽なものを見せられている気がした。
これまでマリトにとって、ディミトリスは頼れる兄のような存在だった。
ディミトリスが起業した不動産会社が軌道に乗るまでは、お互いに支え合ってきた部分もあるが、多くはディミトリスに引っ張ってもらった。
そんな頼みの綱みたいなディミトリスが、自分の気持ちを持て余してうろたえている。
一度、エーヴァを抱く想像をしてしまったせいだろう。
そこから思考が離れなくて、ずっと顔を赤らめたままだ。
「その……彼女の名前は、エーヴァというの?」
上目遣いではにかみながら、マリトを見てくるディミトリスの色気は、青年期の彼の比ではない。
もうすぐ四十路の男が、ダダ漏らししていい艶冶ではない。
マリトは大きな溜め息をついた。
こんなディミトリスをロマナが見たら、妬いて発狂するに違いない。
もっと早く、ロマナへディミトリスからの自立を促しておくべきだった。
ニコラは正しかったと、ここに来てマリトは後悔していた。
そんなマリトの憂いを知らず、ディミトリスはいまだモジモジとしていた。
「妻というよりは、その、こ、恋人というか……。せっかく出会えた運命の番だ。エーヴァと、もっと……仲良くなりたい」
本来は恋人から昇格して妻となるのだが、ディミトリスは完全に勘違いをしている。
これはきっと、ディミトリスの生まれ育った環境が、認識に齟齬をもたらしたに違いない。
ディミトリスの見解の大きな過ちに、マリトはどうやって訂正を入れようか悩んだ。
「ディミー、妻というのは家族であると同時に、恋人でもあると知っている?」
「え? 妻はたくさんいてもいいけど、恋人になるのは運命の番ただ一人じゃないのかい?」
やはりそうだ。
「僕の父にはたくさんの妻がいて、家族として生活の面倒を見ていたのだけど、子を生したのは恋人とだけだった。恋人というのが、僕の母なんだけどね」
マリトはディミトリスに話を続けるように促した。
ここの解釈を間違えると、ディミトリスの考えを理解できない。
「父は言っていた。子を生すのならば相手は運命の番しかない、だから愛するのは運命の番だけだと。僕はこの年まで運命の番に巡り合えなかったから、誰も愛さずに人生を終えるのかと思っていた」
「これまでに愛したいと思う人はいなかったの? 世の中、必ずしも運命の番と結ばれる人ばかりではないわよ?」
「もちろん知っている。だけど運命の番に出会ってしまえば、それまでの愛は儚く消えるのだろう? だったら、それは本当に愛と言えるのだろうか?」
ディミトリスは父の言葉を信じ、運命の番こそが真に愛する相手だと思っている。
「もし運命の番と出会っても、それまでの恋人を愛することができるなら、それは本当の愛だろう。だが哀しいかな獣人の性は、運命の番を選んでしまう。それならば僕は父のように、運命の番以外は愛さないと決めていたほうが、誰も傷つかないのではないかと思ったんだ」
「なるほどね。理に適っているし、間違ってもいないわ。ただ、少し寂しいわね。恋は獣人の性でするものではないのよ。その人の優しさや強さ、そういうところに惹かれて恋は始まるわ」
「僕は恋をしたことがない。……そんな僕でも、エーヴァを愛することは出来るだろうか?」
ディミトリスは迷子の子どものように、情けない顔をしていた。
マリトは励ますように手を伸ばして、ディミトリスの手に重ねる。
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