【完結】ドクダミ令嬢の恋は後ろ向き〜悪臭を放つ私が、王子さまの話し相手に選ばれてしまいました~

鬼ヶ咲あちたん

文字の大きさ
上 下
1 / 20

1話 ドクダミ令嬢と呼ばれて

しおりを挟む
 シルヴェーヌが生まれたとき、産婆すら首を傾げたと言う。

 それほどにシルヴェーヌの体臭は異様で、「これは病気に違いない」と、両親はすぐに医師を呼びよせた。



「これは体質で、病気ではありません」

「むしろこの匂いは、生薬に近い成分を含んでいます」

「お嬢さまの周囲にいる人は、お嬢さまを含めて健康体でいられますよ」



 医師たちは口をそろえて、良い事だと診断したが、シルヴェーヌはジュネ伯爵家の長女だ。

 こんな悪臭を放っていては、令嬢としての将来は期待できない。

 両親はそう結論付けて、シルヴェーヌの存在を世間からひた隠した。

 

「また私だけ、お出かけしちゃ駄目なの?」



 両親と妹が、仲良く馬車で出かけるのを見て、シルヴェーヌは寂しそうに呟く。

 5歳の女の子の質問に答えるのは、育児を放棄した母親ではなく乳母だ。



「シルヴェーヌお嬢さまは、おうちで私と遊びましょうね。今日は特別に、川遊びをしましょうか?」



 いつもなら、すぐに飛び上がって喜ぶのだが、シルヴェーヌはいまだ名残惜し気に動き出した馬車を目で追っている。

 乳母はシルヴェーヌの境遇に同情した。

 伯爵令嬢でさえなければ、医療の分野などで活躍できただろうに。

 事実、シルヴェーヌのおかげで、喘息もちの乳母はずっと体調がいい。

 明るい笑顔になって欲しくて、乳母はシルヴェーヌの好きなものを考える。

 

「料理長に、桃のタルトも焼いてもらいましょう」



 波打つ黒髪に若葉色をした瞳。

 外見は文句のつけようがない可憐なシルヴェーヌ。

 ただ、その体からは常に異臭がしていて、いつしかドクダミ令嬢などという、不名誉なあだ名がつけられていた。

 

(心無い使用人が、どこかでおしゃべりしてしまったのでしょう。旦那さまと奥さまが隠し続けたシルヴェーヌお嬢さまの体質が、今ではあちこちで面白おかしく吹聴されてしまって……)



 ジュネ伯爵たちが出かけた先は、親族の催すお茶会だ。

 3歳になったシルヴェーヌの妹コンスタンスの、お披露目も兼ねていると聞く。

 しかし、悪意ある噂の渦中へ、シルヴェーヌを送り出すわけにはいかない。

 

(傷つくのは、シルヴェーヌお嬢さまですから。……なにも悪くないのに)



 桃のタルトを提案されて、少しだけ気分が上向いたらしいシルヴェーヌの手を、乳母は優しく引いてやる。

 そしてまだ陰りの残るシルヴェーヌのために、川遊び用の服を準備するのだった。



 ◇◆◇◆



 屋敷の外には出られないながらも、シルヴェーヌは乳母のおかげで、毎日と言っていいほど思い切り体を動かして遊んだ。

 たとえ傷や打ち身をつくっても、シルヴェーヌはすぐに自然治癒してしまうから、令嬢らしくないことだって許された。



「これはシルヴェーヌお嬢さまだけの、特別な才能なんですよ」



 乳母はとにかく、シルヴェーヌが生まれ持った体質を褒めた。

 そして気持ちが暗く沈まないように、楽しい遊びをたくさん教えた。

 そのおかげもあって、シルヴェーヌはことさら自分が不幸だとは感じなかった。

 両親や妹とは、あからさまに一線を引かれた関係ではあるが、それを補って余りあるほど、乳母に愛してもらえたからだ。

 

「ばあや、見ててね!」



 シルヴェーヌはするすると木に登ると、枝に体重をかけてゆさゆさと揺さぶった。

 下で待ち構えていた乳母の持つ籠に、ころんころんと椎の実が落ちていく。



「たくさん採れましたよ」



 その言葉に、シルヴェーヌは危なげなく木から飛び降りる。

 そして収穫したものを炒ってもらうために、乳母と連れ立って厨房へと向かった。

 一日中、立ちっぱなしで調理する料理人たちの中に、シルヴェーヌの訪れを待つ者は多い。

 しかし、それでも漂う悪臭に嫌な顔をする若手は、少なからずいた。

 腰痛のつらさを知らぬ者には、シルヴェーヌのありがたさが分からないのだ。

 乳母はなるべく、そうした者たちからシルヴェーヌを護る盾となり、健やかな成長を見守ろうと思っていたのだが――。



「お出かけしていいの?」



 シルヴェーヌが7歳になった日、乳母とふたりだけの誕生日パーティをしていたら、珍しく父親のジュネ伯爵から声がかかった。

 その内容は信じられないもので、6歳の第二王子ガブリエルの話し相手にシルヴェーヌが選ばれ、これから謁見に向かうというのだ。



「失礼のないように、容姿を整えたら玄関に来なさい。王城へ向かうのに、馬車を用意している」

「わあ、馬車! 初めて乗るわ!」



 いつもは両親と妹が馬車に乗って出かけるのを、うらやましく眺めるだけだった。

 それが今日は、シルヴェーヌに乗車の許可がでたのだ。

 喜ぶシルヴェーヌとは逆に、乳母は不安を覚えた。

 この話は、おそらくシルヴェーヌの体質と関係がある。

 なにしろ、ガブリエルは寝たきりの王子として有名なのだから。

 

「旦那さま、荷物はなにを用意したらいいでしょうか?」



 そう尋ねる乳母へ、ジュネ伯爵はふむと考え込む。

 どちらかというと平凡顔のジュネ伯爵は、あまり貴族らしい威厳がない。

 長いものには巻かれるし、流れには逆らわないタイプだ。



「数日分の着替えがあればいいだろう。ガブリエル殿下に気に入られれば、もうシルヴェーヌは我が家へは帰ってこない」



 呟かれたその言葉は、ほとんどシルヴェーヌの身売りを意味していた。

 きっとシルヴェーヌにまつわる漠然とした噂が、王家まで届いたのだ。

 そして王家から持ちかけられた打診に対し、ジュネ伯爵は迷うことなく首を縦に振ったのだろう。

 驚愕して目を見開く乳母へ、ジュネ伯爵は少しの野心を含ませた声で伝える。



「シルヴェーヌが、ガブリエル殿下のお役に立てれば儲けものだ。どうせ屋敷にいても、扱いに困るだけなのだから」



 親とは思えない冷酷な態度に、乳母は下唇を噛みしめる。

 だが静かに頷き、命令に従うしかなかった。

 シルヴェーヌ本人は乳母との別れになるかもしれないなどとは、考えてもいない。



「行ってくるわね! 帰ってきたら、魚釣りをしましょう!」



 見送る乳母に元気に手を振り、立派な馬たちに眼を輝かせると、満面の笑顔で出発した。

 それがシルヴェーヌの運命を、大きく変えるとは知らずに。

 乳母は馬車が遠ざかると、そっと目頭を押さえる。

 ここまでシルヴェーヌのお世話をさせてもらえたのを、嬉しく思いながら。



(どんな場所でも卑屈にならず、胸を張ってくださいね。シルヴェーヌお嬢さまは、病を抱える者にとって救世主なんです。ガブリエル殿下とも、きっと仲良くなれますよ)



 ◇◆◇◆



「初めまして、シルヴェーヌ・ジュネと申します」



 馬車の中で覚えたばかりのシルヴェーヌの丁寧な挨拶に、ベッドに寝そべったままのガブリエルは、うっすらと眼を開くことで応えた。

 世話をしやすいように短く切られた金色の髪は、枕に埋もれて艶をなくしている。

 瞼の間から覗く赤い瞳も、まるで煌めきがない。

 幼いシルヴェーヌにも、横たわるガブリエルは、具合が悪いのだと分かった。



「シルヴェーヌよ、これからは毎日、ガブリエル殿下のそばで過ごすのだ。その悪臭が役に立つ場面は、ここしかない」



 ジュネ伯爵がしゃがみこんで、耳打ちしてくる。

 言われなくても、シルヴェーヌはそうするつもりだった。

 これまで、こんなにひどい病気の人は、見たことがない。

 シルヴェーヌは純粋に、ガブリエルの姿に心を痛めた。



「ジュネ伯爵、今後について話し合おう」



 ガブリエルにまったく似ていない頑健そうな国王が、出入り口の扉を指さす。

 促されたジュネ伯爵は、嬉しそうに揉み手をしながら、国王と一緒に部屋から立ち去った。

 そして場に残されたのは、シルヴェーヌとガブリエルとその側付きだけ。

 どうしていいのか分からず、立ち尽くすシルヴェーヌに、側付きの青年が挨拶をしてくる。



「初めまして、ロニーと申します。主に、ガブリエル殿下の介護を担当しています」

 

 赤茶色のふわふわした髪と、柔和なチョコレート色の瞳は、優しい声と相まってシルヴェーヌの緊張を解いた。

 シルヴェーヌが肩の力を抜いたのが伝わったのか、にこりと微笑んだロニーはさらに声をかける。



「どうぞ殿下の側へお越しください、シルヴェーヌさま」



 ロニーがシルヴェーヌのために、ベッドの近くへ腰かけ椅子を寄せてくれた。

 幼子にちょうどいい高さのそれは、シルヴェーヌのために用意されたものだった。

 座り心地のよい座面に感動していると、そっと何かがシルヴェーヌの指に触れる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

貧乏子爵令嬢ですが、愛人にならないなら家を潰すと脅されました。それは困る!

よーこ
恋愛
図書室での読書が大好きな子爵令嬢。 ところが最近、図書室で騒ぐ令嬢が現れた。 その令嬢の目的は一人の見目の良い伯爵令息で……。 短編です。

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

婚約破棄で命拾いした令嬢のお話 ~本当に助かりましたわ~

華音 楓
恋愛
シャルロット・フォン・ヴァーチュレストは婚約披露宴当日、謂れのない咎により結婚破棄を通達された。 突如襲い来る隣国からの8万の侵略軍。 襲撃を受ける元婚約者の領地。 ヴァーチュレスト家もまた存亡の危機に!! そんな数奇な運命をたどる女性の物語。 いざ開幕!!

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

国樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

【完結】いわくつき氷の貴公子は妻を愛せない?

白雨 音
恋愛
婚約間近だった彼を親友に取られ、傷心していた男爵令嬢アリエルに、 新たな縁談が持ち上がった。 相手は伯爵子息のイレール。彼は妻から「白い結婚だった」と暴露され、 結婚を無効された事で、界隈で噂になっていた。 「結婚しても君を抱く事は無い」と宣言されるも、その距離感がアリエルには救いに思えた。 結婚式の日、招待されなかった自称魔女の大叔母が現れ、「この結婚は呪われるよ!」と言い放った。 時が経つ程に、アリエルはイレールとの関係を良いものにしようと思える様になるが、 肝心のイレールから拒否されてしまう。 気落ちするアリエルの元に、大叔母が現れ、取引を持ち掛けてきた___  異世界恋愛☆短編(全11話) 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

[完結]想ってもいいでしょうか?

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
貴方に逢いたくて逢いたくて逢いたくて胸が張り裂けそう。 失ってしまった貴方は、どこへ行ってしまったのだろう。 暗闇の中、涙を流して、ただただ貴方の事を考え続ける。 後悔しているの。 何度も考えるの。 でもどうすればよかったのか、どうしても分からない。 桜が舞い散り、灼熱の太陽に耐え、紅葉が終わっても貴方は帰ってこない。 本当は分かっている。 もう二度と私の元へ貴方は帰ってこない事を。 雪の結晶がキラキラ輝きながら落ちてくる。 頬についた結晶はすぐに溶けて流れ落ちる。 私の涙と一緒に。 まだ、あと少し。 ううん、一生でも、私が朽ち果てるまで。 貴方の事を想ってもいいでしょうか?

処理中です...