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七話 母との再会

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 国王陛下が極秘に用意させた馬車を御し、僕は薬店までエーリカを迎えに行った。
 エーリカを乗せた馬車は、早朝ひっそりと王都を出る。
 森を抜けたら、馬の鼻先を山へ向ける。
「もしかして、あの山を登ろうというの?」
 エーリカのうろたえが僕にも伝わる。
 そうなのだ。
 母の療養先は、王都とは目と鼻の先にあるが、そそりたつ岩峰によって入山者を拒む急峻な山の頂にあった。
 頂に到る道は一本しかなく、それ以外からは侵入が不可能。
 まさに天然の要塞と言っていい。
 その道にも関所が複数もうけられ、一筋縄では潜り抜けられない。
 鉄壁の護りが敷いてあった。
 それほどまでに。
 母の命は脅かされていたのだろう。
 もしかしたら、王位継承権を持たない僕以上に、正妃にとって目障りだったのかもしれない。
 改めて母の置かれていた地獄を思う。
「エーリカ、ここからは岩道が続きます。馬車に酔ったらすぐに言ってください」
「私は薬師よ、なんの準備もないわけないでしょ」
 エーリカは旅路に備えて、ある程度の薬を持参しているようだ。
 ちなみに母の療養に必要な薬があれば、全て国王陛下によって揃えてもらえるようになっている。
 僕は続く岩道を上りながら、母との対面に緊張を覚える自分に驚いていた。
 関りがないと思いながらも、どこかで慕っていたのか。
 顔を背けていた現実に向き合わされる感じがする。
 エーリカを心配していたが、僕の方が酔いそうだ。
 長々と続く道をゆく。
 馬車につないだ馬は、この道を通いなれたベテランだ。
 僕が握る手綱より、よほど頼りになる。
 馬たちに道行を任せ、僕は見え始めた頂近くの白くて丸い屋根の建物にいるだろう母へ、思いを馳せるのだった。

 ◇◆◇

 白い建物に辿り着くと、使用人たちに出迎えられる。
 まずは休憩をと、応接室に案内された。
 もってきた荷物は、それぞれが滞在する部屋に届けてくれるらしい。
 僕たちはありがたく一息つかせてもらう。
 お茶を飲み終わる頃、白衣を着た年配の男性がやってきた。
 この格好はどうみても医者だろう。
 母の担当医をしているという医者は、エーリカにカルテを渡す。
 歴代の医者が引き継いできたものらしい。
 これまでの詳細な体の異常、それにどういった対処をしてきたか。
 そういったことが細々と書かれているようだ。
 目を通しているエーリカが、ときどき質問をしている。
 医者はそれに対して丁寧に答えていた。
 国王陛下が母のために選んだ医者は、いい人のようだ。
「薬師に奥様をお任せすることに反対する医師もいますが、私は誰であろうと奥様を治せるのならいいと思うのです。むしろ奥様と同性であるあなたに、私は期待をしておりますぞ」
 エーリカと握手を交わし、医者は退出していった。
 さきほどの医者を残し、ほかの医者は下山するのだという。
 これから一か月、母の療養はエーリカに一任される。
「肩の荷が重かったりしませんか?」
「平気よ。カルテを見る限り、これまでたくさんの医師が関わってきて、症状は少しずつ改善しているのが分かるけど、完治には至っていない。この先、大事なのは心なんだって私は思ってる。治したいという気持ちがなければ、どんな名医がついたって駄目なの。さっきのおじいちゃんも、だから私に期待しているのよ」
「そうなんですか?」
「そうよ! それに私は特効薬を持参しているからね」
「トッコーヤク?」
「ヴェルナーのことよ。お母さまにとって、あなたが一番の薬だと私は睨んでいるわ」
 そんな。
 僕は落ち着かなくなる。
 お茶を飲んだことで治まったはずの緊張が、またぶり返してきた。
 そこへ使用人たちが声をかける。
「どうぞ、ご準備が整いましたので、これから奥様のお部屋へご案内させていただきます」
 ついに対面のときがきた。
 体を硬くした僕と違って、エーリカは軽やかに立ち上がる。
 置いていかれないように僕もすぐに後を追った。
 白い建物は中も白くて、奥へ奥へと誘う廊下は幻想的だ。
 心穏やかに過ごせるよう配慮された、落ち着いた佇まい。
 こういうところにも国王陛下の寵愛を感じる。
 使用人たちは母を奥様と呼んでいた。
 女主人という意味だろうが、もしかしたらここでは国王陛下の妻として扱われているのかもしれない。
 突き当りに、美しい装飾が施された扉が見える。
 きっとそこに母はいる。
 予想に違わず、使用人は扉を叩き入室の許可を得る。
 扉は片手で開かれ、中へどうぞと誘導された。
 僕に続いてエーリカも入ってきた。
 が、立ちすくんでいた僕にぶつかりそうになる。
 そう、僕は一歩入った部屋の中で、立ちすくんでいた。
 僕によく似た女性がベッドに身を起こしている部屋の壁一面に飾られた、数えきれないほどの僕の絵に圧倒されて。
「こ、れは……」
 速写画ばかりだ。
 そこには10歳から19歳までの、騎士団で生活している僕がいた。
 黒墨でざっと荒く描かれているが、パッと見ただけで僕だと分かる。
 そして時々、なんだか分からない絵が混じっている。
 丸と三角と四角を繋げた何かだったり、あちこちに手がある何かだったり。
 もしかしなくても、幼い僕が描いた絵だろうか。
 四面の壁を見渡している僕の隣で、エーリカは天井に飾られている絵を見上げていた。
 なんと絵は壁だけでなく天井にまであるのだ。
「ヨーナスが描いてくれたの」
 陽光さしこむベッドの上で、色の白い痩せた女性が静かに話す。
 この人が僕の母なんだろう。
 似ている。
 僕に。
 そしてヨーナスというのは騎士団長の名前だ。
 知らなかったけれど、こんな特技があったのか。
 剣以外を握る姿は想像も出来ないが。
「よく来てくれたわね、ヴェル。ずっとあなたに会いたかった」
 母は涙をぽろぽろ零し、肩を震わせた。
 僕は駆け寄り、ベッドの傍にそっと跪く。
 どうしたらいいんだろう。
 僕と同じ、紺目を覗き込む。
「えっと……お母さん?」
「ああ、ヴェル、ヴェル!」
 かばりと抱き着かれ、動けなくなった僕は、母が泣き止むまでそのままでいた。
 温かい涙で、僕の肩が濡れていくのが分かる。
 あんなに緊張していたのが、嘘のように解けた。
 エーリカは、うんうんとうなずき、「やっぱり特効薬だったわね」と言っていた。
 しばらくして使用人たちが泣き疲れた母をベッドに横たわらせる。
「ごめんなさい、あなたに会えたのが嬉しくて。昨日、待ち遠しくてあまり眠れなかったの。だから疲れてしまったみたい」
 母はそう言うが、おそらく体力が余りないのだろう。
 肌は血管が透き通るほどに白く、腕は折れそうなほどに細い。
 国王陛下が心配するはずだ。
 回復しているとは思えないほど、病人に見えた。
「そちらの薬師さんも、ご挨拶がこんなかたちになってしまって、ごめんなさいね」
「とんでもありません、奥様。私は王都の下町で薬師をしているエーリカです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。今日は着いたばかりだから、どうぞゆっくりしてらして。明日からお世話になります」
 とりあえずの顔合わせは終わった。
 気を失うように眠りについた母の部屋を後にする。
 僕たちはまた応接室に戻り、これからの治療の方針について話し合った。
「エーリカ、僕には母は病人のように見えました。あれで回復しているのですか?」
「ヴェルナーの疑問も尤もだけど、それは奥様の初期症状を見ていないからでしょうね。カルテによると、奥様は王宮にいる間に鉱物毒らしきものを盛られて、全身不随の状態に陥ったそうよ。十数年かけて、その毒を体から抜いてきたの。今の状態は比較的、落ち着いていると言えるわ」
「鉱物毒ですか?」
「解毒のできない、やっかいな毒よ。ひとたび体に入ってしまったら、排出機能を高めるくらいしか手立てがないの。しかも完全に排出されるまでに、数年から十数年がかかるわ。奥様の現状は、ようやく毒が体から抜けたところね。毒に侵されている間に弱ってしまった臓器や骨や関節に負担をかけないように、それらの助けとなる薬を摂取しながら体力回復に努めるのがいいでしょうね」
「何か僕に手伝えることはないでしょうか?」
「奥様には明日、提案してみるつもりだけど、ヴェルナーに出来ることはたくさんあるわ。だからそんな沈んだ顔を奥様に見せては駄目よ」
 僕は思い出していた。
 離れ離れになるのが嫌で、泣きながら横たわる母の体にしがみついたことを。
 置いていかないで、僕もつれていって!
 ――そう叫んだが。
 母は僕を見て静かに涙をこぼしただけだった。
 駄々をこねたから母を悲しませたと思った。
 いい子にしていよう。
 きっと母は戻ってきてくれる。
 そう信じて、僕はパン屋の若夫婦のもとで母の迎えを待った。
 だがあのとき、母の体は毒に侵され、もう口もきけなかったに違いない。
 今生の別れになるかもしれなかったのに、たった一人の息子に言葉すら残せず涙をこぼした母。
 そんな母の無念が、胸に刺さった。
 
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