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四話 思わぬ効能
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ガンガンガンガン!
エーリカが勢いよく作業机に金づちを打ちつける。
2、3個の飴が粉々になっていく。
真ん中の色の濃い部分を避けて、砕けた飴を数本の試験管に入れる。
そこへそれぞれ違う試薬を流し込む。
エーリカがここまで本格的に成分調査をするのは初めてだ。
なにしろ下町の偽の惚れ薬は、ほとんど見たり臭いをかいだりしただけで正体を見破ってきたのだ。
だが飴は明らかに加工されている。
素材のそもそもの形も分からないし、おそらく臭いも林檎のような別の香りがつけられている。
ある程度のことが終わったのか、エーリカは作業部屋の奥にある小さな扉を開く。
そこが開いているのを見るのは何度かあった。
どうやら居住スペースにしているようだ。
薬店のほうに敷地のほとんどを使用しているので、本当に必要最低限といった感じがする。
女性の暮らしぶりをジロジロ見てはいけないと、その扉が開いているとき僕はなるべくうつむくようにしている。
今もうつむいて自分の膝を見ていた僕だったが、そこに何かを差し出された。
おやじさん自慢の胡桃とチーズと刻んだ燻製肉が練り込んであるパンだ。
「え?」
ビックリして顔をあげた僕に、エーリカはニコニコして言う。
「今日は長丁場になりそうだからね、これで腹ごしらえをしてくれる? 私が大好きなパン屋さんのパンなんだ。ヴェルナーも気に入ってくれるといいけど」
エーリカは僕に渡して残り半分になったパンを千切って口に押し込むと、むぐむぐしながら試験管を振りだす。
夕飯を食べられないかもしれない僕のために、パンを持ってきてくれたのだと分かった。
しかも自分の分だったはずのパンを、半分こにして僕に渡してくれた。
「あ、ありがとうございます。僕もこのパン、好きなんです」
「そうなんだ、よかった! あそこのパン屋さん、ちょっとここからは遠いけど、このパン目当てに買いに行くのよ」
意外なところで繋がりを見つけてしまって僕は嬉しかった。
そうだったんだ、エーリカもおやじさんのパンが好きなんだ。
僕はありがたくパンをいただく。
噛み締めると、燻製肉の脂身から旨みが染み出ておいしい。
「ん~、飴の部分は本当にただの飴みたいね。問題はこの色の濃いところみたい」
試薬を洗い流した試験管に、今度は色の濃い部分を入れている。
そしてまた試薬を注ぎ込む。
それぞれをよく振って、しばらく様子を見るようだ。
腕組みしたエーリカが僕の方を振り返って説明してくれる。
「先ほどの飴の部分なんだけど、熱に対してとても溶けやすく作られているみたい。そうね、お湯なら瞬時に溶けるんじゃないかしら。だから使い方としては、熱いお茶に溶かして、隠し入れたのではないかと思うの」
「なるほど、甘いから砂糖が入っているお茶だと言えば、ごまかせそうです」
「お貴族さまはよく集まってお茶を飲むのよね?」
「僕は平民なので貴族の生活は分かりませんが、王宮勤めの同僚などは、王女さまのお茶会の警護に出向いています。回数はそれこそ頻繁です」
「ふむ、この飴はお茶をよく飲む貴族相手に特化して作られているってことね。はなから下町なんて相手にしていないんだわ。ただ惚れ薬の噂が貴族さまの耳にも届くようになったから、それに便乗したってところかしら」
エーリカの考察は的を射ているように思う。
エーリカが作業台を振り返ってしまったことを残念に感じながら、僕は作業風景を見守る。
しばらくしたがエーリカの唸り声しかしなくなる。
どうやら成分を特定する決定打に欠けるようだ。
「これはいよいよ人体実験するしかないわね」
「僕が飲みます」
そろそろそんな状況になるのではないかと、用意していた言葉を宣言する。
飲んだらどうなるか分からない怪しい物質を、エーリカに飲ませるわけにはいかない。
僕なら熱が出ようが、痛みがあろうが、耐えることには慣れている。
騎士の訓練は伊達ではないのだ。
そう力説するが、エーリカはなかなか首を縦に振らない。
万が一、毒だった場合は毒に慣れている自分のほうが都合がいいのだと言う。
とんでもないことだ。
毒に慣れているとはどういうことだ。
薬師が舐めるのは薬だけではなかったのか。
こうしてはいられない。
ぐずぐずしていては、エーリカが訳の分からない物質を舐めそうだ。
僕は立ち上がると作業台の上に転がっていた飴をつまみ、ひとつ口に放り込む。
奥歯でガリガリと粉々になるまで噛み砕き、ごくりと飲み込んだ。
その間、エーリカが瞬きをする程度の時間だっただろう。
あっけにとられたエーリカが大きく目を見開いている。
そして作業机にぶつかりながら僕に駆け寄ってきた。
「なんてことをしてしまったの! まさか丸ごと食べてしまうなんて! こういうのは、ほんの少しだけ口に含んで、飲み込まずに様子を見るものなのに! すぐに吐き出して!」
カップに水差しから水を注ぎ、僕に飲ませようとする。
吐き出しやすいようにするためか、少しでも成分を薄めるためか。
だけど僕は頭がグラグラして、立っていられなくなり、駆け寄ってきたエーリカにもたれかかる。
エーリカは苦労しながら僕を床に横たえ、脈を計ったり瞳孔を覗き込んだり忙しない。
それをぼんやりした意識でとらえていたが、動悸が激しくなって下半身が熱くなってきたのが分かった。
なんだこれ?
下半身が自分のものじゃないようだ。
下衣がきつくて苦しいが、エーリカにそれを知られたくなくて、隠すように身じろぐ。
だがそれを見逃すエーリカではなかった。
パッと下半身に視線をやり、僕の下衣を持ち上げているものを認識すると、はあっと溜め息をついた。
こんな状態を見られてしまった。
きっと嫌われる――。
僕は絶望した。
「なるほどね、こっち系の薬だったわけか。よかったわ、命にかかわるものじゃなくて。そう言えば精力剤をしみこませた茶葉が下町の偽の惚れ薬にもあったわよね。もっと注意しておくんだった」
エーリカは僕の傍から立ち上がると、作業部屋の奥の扉へ歩いていく。
奥の部屋の中から毛布を持ってくると、僕の腰回りに敷いた。
「おそらく精力剤なんてかわいいものではないわ。これだけ瞬時に効果を発揮するのはもっと上位の薬、たぶん媚薬ね。しかも違法レベルよ」
話しながらエーリカが下衣をくつろげてくれたので、苦しかった圧迫感からは解放されたが、今度は生理的に放出したい気持ちが頭を支配する。
湧く思考を必死に抑え込む。
これ以上、エーリカに無様なところを見せたくない。
治まれ、治まれ……。
しかし目端にチカチカ光が飛び始め、嫌な予感がする。
駄目だ、ここで正気を失っては駄目だ。
ぐっとこぶしを握りしめ、震えながらそれを口元に持っていき、思い切り噛みつく。
ぶちっと皮膚を突き破り、歯が刺さるのが分かったが、まったく痛みを感じなかった。
なんてことだ、これでは意味がないじゃないか。
悔しくて涙まで流れてきた。
情けないな、僕は。
そんな僕を見て、エーリカは作業机に常備している傷薬を取り出し、血の流れるこぶしに塗りながら言う。
「これはヴェルナーが悪いわけではないの。この飴をつくった人が悪いのよ。だから気にしなくていいの。すぐに楽にしてあげる」
エーリカはそのまま自分のスカートの中に手を突っ込み、傷薬をどこかに塗っている。
どこかなんて。
この状況なら僕でも分かる。
これからエーリカがしようとしていることが。
分かってしまって、頭が沸騰する。
傷薬を塗った指とは違う指で、エーリカは作業机の上に転がる飴をひとつ、自分の口中にぽいと放り込んだ。
僕のように噛み砕いたりはせず、ゆっくりと舌の上で転がしている。
その動きがとても妖艶に感じて、僕はますます自分が嫌になり、ぎゅっと目を閉じる。
「そのまま目を閉じていて。こういうこと、やったことないけど、理屈は分かっているから大丈夫、任せてちょうだい。きっと明日の朝には、薬は抜けているはず。それまで少し、我慢してね」
僕の腰にまたがってきたエーリカの顔は、天井の灯りで逆光になって見えない。
エーリカはやったことがないと言っていた。
僕も初めてだよ――。
僕の思考はそこで焼き切れた。
エーリカが勢いよく作業机に金づちを打ちつける。
2、3個の飴が粉々になっていく。
真ん中の色の濃い部分を避けて、砕けた飴を数本の試験管に入れる。
そこへそれぞれ違う試薬を流し込む。
エーリカがここまで本格的に成分調査をするのは初めてだ。
なにしろ下町の偽の惚れ薬は、ほとんど見たり臭いをかいだりしただけで正体を見破ってきたのだ。
だが飴は明らかに加工されている。
素材のそもそもの形も分からないし、おそらく臭いも林檎のような別の香りがつけられている。
ある程度のことが終わったのか、エーリカは作業部屋の奥にある小さな扉を開く。
そこが開いているのを見るのは何度かあった。
どうやら居住スペースにしているようだ。
薬店のほうに敷地のほとんどを使用しているので、本当に必要最低限といった感じがする。
女性の暮らしぶりをジロジロ見てはいけないと、その扉が開いているとき僕はなるべくうつむくようにしている。
今もうつむいて自分の膝を見ていた僕だったが、そこに何かを差し出された。
おやじさん自慢の胡桃とチーズと刻んだ燻製肉が練り込んであるパンだ。
「え?」
ビックリして顔をあげた僕に、エーリカはニコニコして言う。
「今日は長丁場になりそうだからね、これで腹ごしらえをしてくれる? 私が大好きなパン屋さんのパンなんだ。ヴェルナーも気に入ってくれるといいけど」
エーリカは僕に渡して残り半分になったパンを千切って口に押し込むと、むぐむぐしながら試験管を振りだす。
夕飯を食べられないかもしれない僕のために、パンを持ってきてくれたのだと分かった。
しかも自分の分だったはずのパンを、半分こにして僕に渡してくれた。
「あ、ありがとうございます。僕もこのパン、好きなんです」
「そうなんだ、よかった! あそこのパン屋さん、ちょっとここからは遠いけど、このパン目当てに買いに行くのよ」
意外なところで繋がりを見つけてしまって僕は嬉しかった。
そうだったんだ、エーリカもおやじさんのパンが好きなんだ。
僕はありがたくパンをいただく。
噛み締めると、燻製肉の脂身から旨みが染み出ておいしい。
「ん~、飴の部分は本当にただの飴みたいね。問題はこの色の濃いところみたい」
試薬を洗い流した試験管に、今度は色の濃い部分を入れている。
そしてまた試薬を注ぎ込む。
それぞれをよく振って、しばらく様子を見るようだ。
腕組みしたエーリカが僕の方を振り返って説明してくれる。
「先ほどの飴の部分なんだけど、熱に対してとても溶けやすく作られているみたい。そうね、お湯なら瞬時に溶けるんじゃないかしら。だから使い方としては、熱いお茶に溶かして、隠し入れたのではないかと思うの」
「なるほど、甘いから砂糖が入っているお茶だと言えば、ごまかせそうです」
「お貴族さまはよく集まってお茶を飲むのよね?」
「僕は平民なので貴族の生活は分かりませんが、王宮勤めの同僚などは、王女さまのお茶会の警護に出向いています。回数はそれこそ頻繁です」
「ふむ、この飴はお茶をよく飲む貴族相手に特化して作られているってことね。はなから下町なんて相手にしていないんだわ。ただ惚れ薬の噂が貴族さまの耳にも届くようになったから、それに便乗したってところかしら」
エーリカの考察は的を射ているように思う。
エーリカが作業台を振り返ってしまったことを残念に感じながら、僕は作業風景を見守る。
しばらくしたがエーリカの唸り声しかしなくなる。
どうやら成分を特定する決定打に欠けるようだ。
「これはいよいよ人体実験するしかないわね」
「僕が飲みます」
そろそろそんな状況になるのではないかと、用意していた言葉を宣言する。
飲んだらどうなるか分からない怪しい物質を、エーリカに飲ませるわけにはいかない。
僕なら熱が出ようが、痛みがあろうが、耐えることには慣れている。
騎士の訓練は伊達ではないのだ。
そう力説するが、エーリカはなかなか首を縦に振らない。
万が一、毒だった場合は毒に慣れている自分のほうが都合がいいのだと言う。
とんでもないことだ。
毒に慣れているとはどういうことだ。
薬師が舐めるのは薬だけではなかったのか。
こうしてはいられない。
ぐずぐずしていては、エーリカが訳の分からない物質を舐めそうだ。
僕は立ち上がると作業台の上に転がっていた飴をつまみ、ひとつ口に放り込む。
奥歯でガリガリと粉々になるまで噛み砕き、ごくりと飲み込んだ。
その間、エーリカが瞬きをする程度の時間だっただろう。
あっけにとられたエーリカが大きく目を見開いている。
そして作業机にぶつかりながら僕に駆け寄ってきた。
「なんてことをしてしまったの! まさか丸ごと食べてしまうなんて! こういうのは、ほんの少しだけ口に含んで、飲み込まずに様子を見るものなのに! すぐに吐き出して!」
カップに水差しから水を注ぎ、僕に飲ませようとする。
吐き出しやすいようにするためか、少しでも成分を薄めるためか。
だけど僕は頭がグラグラして、立っていられなくなり、駆け寄ってきたエーリカにもたれかかる。
エーリカは苦労しながら僕を床に横たえ、脈を計ったり瞳孔を覗き込んだり忙しない。
それをぼんやりした意識でとらえていたが、動悸が激しくなって下半身が熱くなってきたのが分かった。
なんだこれ?
下半身が自分のものじゃないようだ。
下衣がきつくて苦しいが、エーリカにそれを知られたくなくて、隠すように身じろぐ。
だがそれを見逃すエーリカではなかった。
パッと下半身に視線をやり、僕の下衣を持ち上げているものを認識すると、はあっと溜め息をついた。
こんな状態を見られてしまった。
きっと嫌われる――。
僕は絶望した。
「なるほどね、こっち系の薬だったわけか。よかったわ、命にかかわるものじゃなくて。そう言えば精力剤をしみこませた茶葉が下町の偽の惚れ薬にもあったわよね。もっと注意しておくんだった」
エーリカは僕の傍から立ち上がると、作業部屋の奥の扉へ歩いていく。
奥の部屋の中から毛布を持ってくると、僕の腰回りに敷いた。
「おそらく精力剤なんてかわいいものではないわ。これだけ瞬時に効果を発揮するのはもっと上位の薬、たぶん媚薬ね。しかも違法レベルよ」
話しながらエーリカが下衣をくつろげてくれたので、苦しかった圧迫感からは解放されたが、今度は生理的に放出したい気持ちが頭を支配する。
湧く思考を必死に抑え込む。
これ以上、エーリカに無様なところを見せたくない。
治まれ、治まれ……。
しかし目端にチカチカ光が飛び始め、嫌な予感がする。
駄目だ、ここで正気を失っては駄目だ。
ぐっとこぶしを握りしめ、震えながらそれを口元に持っていき、思い切り噛みつく。
ぶちっと皮膚を突き破り、歯が刺さるのが分かったが、まったく痛みを感じなかった。
なんてことだ、これでは意味がないじゃないか。
悔しくて涙まで流れてきた。
情けないな、僕は。
そんな僕を見て、エーリカは作業机に常備している傷薬を取り出し、血の流れるこぶしに塗りながら言う。
「これはヴェルナーが悪いわけではないの。この飴をつくった人が悪いのよ。だから気にしなくていいの。すぐに楽にしてあげる」
エーリカはそのまま自分のスカートの中に手を突っ込み、傷薬をどこかに塗っている。
どこかなんて。
この状況なら僕でも分かる。
これからエーリカがしようとしていることが。
分かってしまって、頭が沸騰する。
傷薬を塗った指とは違う指で、エーリカは作業机の上に転がる飴をひとつ、自分の口中にぽいと放り込んだ。
僕のように噛み砕いたりはせず、ゆっくりと舌の上で転がしている。
その動きがとても妖艶に感じて、僕はますます自分が嫌になり、ぎゅっと目を閉じる。
「そのまま目を閉じていて。こういうこと、やったことないけど、理屈は分かっているから大丈夫、任せてちょうだい。きっと明日の朝には、薬は抜けているはず。それまで少し、我慢してね」
僕の腰にまたがってきたエーリカの顔は、天井の灯りで逆光になって見えない。
エーリカはやったことがないと言っていた。
僕も初めてだよ――。
僕の思考はそこで焼き切れた。
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