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一話 惚れ薬の噂

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「ヴェルナー、お前に任せたい仕事がある」
 騎士団長室の前を通り過ぎようとしていたヴェルナーこと下っ端騎士の僕は、呼び留めた騎士団長に誘われるように部屋に入った。
 騎士団長室は、ごつい騎士団長がいても狭苦しく感じないだけの広さがある。
 さすが騎士団の最高位だな。
 しつらえてある執務机や応接セットも、艶々と黒光りしていて立派だ。
 執務机の上に置かれていた書類を手に取りながら、振り返った団長は仕事の概要を僕に説明してくれた。
「なんでも最近、王都の下町で流行っている惚れ薬があってな。これを意中の相手に飲ませると、百発百中、恋が叶うのだと噂になっている。聞いたことはあるか?」
 なるほど、僕が下町で暮らしていたことを知っているから、団長は僕を選んだのか。
「いいえ、初めて聞きました」
「そうか、なかなか男性陣には縁のない話かもしれん。実はこの噂が王女さまたちの耳に入ってしまってな、どうしても惚れ薬が欲しいと国王陛下にお願いされたのだそうだ」
 国王陛下か。
 僕は少し緊張して、乾いた唇を舐める。
「公式に認定されている惚れ薬というものはこの国には存在しない。万が一にも、怪しい薬が王女さまたちの手に渡ってはいけないと、この件の調査を依頼された」
「それで、僕ですか?」
「そうだ、お前に一任したい。まずはこの惚れ薬の出所を調べ、その薬と売り手の正体を掴め。相手がやっかいな場合はすぐに知らせろ。応援をつける」
 この件を解決しても、僕の下っ端な階級が変わらないことは分かっている。
 それでも騎士団長がこの件を僕に、と言っている訳も分かっている。
 もとより断るほどの気概は僕にはない。
「分かりました」
「頼んだぞ。資料を渡しておく」
 僕は少ない資料を受け取り、騎士団長室をあとにした。
 小さなため息をこぼしてしまったことが、団長にバレていないといいと思いながら。

 ◇◆◇

 次の日から、僕は単独で調査を開始した。
 幼少期に住んでいた下町へ向かい、育て親夫婦のパン屋に顔を出す。
 4歳から10歳まで、僕はこのパン屋の夫婦に預けられていた。
 焦げ茶色の髪の夫婦が、金髪の僕を育てるのは、一時的とはいえ気まずくなかったのだろうか。
 パン屋のおやじさんは騎士団長の奥さんの弟さんで、もともと騎士団に所属していた。
 それがパン屋の一人娘に恋をして、騎士団をやめてパン屋に弟子入りしたのだそうだ。
 そして恋が実り、ふたりは夫婦でパン屋を切り盛りしている。
 僕が10歳になって、騎士見習いとして入団入寮する頃には、可愛い女の子も産まれていた。
「こんにちは、お久しぶりです」
「あら、ヴェルナー、いらっしゃい!」
 おかみさんが笑顔でカウンターから顔を出す。
「あなた! ヴェルナーが来てくれたわ!」
 奥のパン焼き釜の前にいるおやじさんへ声をかけてくれる。
 この夫婦は親身になって僕を育ててくれたけど、ひねくれた思いを抱えていた僕はなかなか馴染めず、今だって少し気恥ずかしい。
 それでも下町の警備当番が回ってきたときは、必ず顔を出すようにしていた。
 喜んでくれるのを分かっていたから。
「今日はいつもより早いのね、当番の日なんでしょう?」
 おかみさんはレモン水を出してくれる。
 僕がこれを好きなことを、ずっと覚えてくれているのだ。
 ありがたく喉を潤しながら、本来の目的を言う。
「いいえ、今日は別件なんです。騎士団長から直々に調査を頼まれまして」
「へえ、義兄さんから? なんだか大変そうじゃないか」
 釜の世話が終わったのか、おやじさんが肩に大量のパンが載ったトレイを持ち、カウンター側にやってくる。
 おやじさんは騎士団で培った筋肉を、ここでちゃんと役立てている。
 売り場のかごにパンを並べ終えると、僕の横でおかみさんからレモン水を手渡される。
 額の汗から想像するに、今日はずっと釜の前にいたのかもしれない。
「どんな調査なんだ? なにか俺たちで役に立てることがあればいいが」
 ほら、すぐこうして親身になってくれる。
 僕は胸がしめつけられながらも、惚れ薬の噂を聞いたことがないか尋ねた。
「そんなものが流行っているのかい? 聞いたことがねえなあ」
「私はあるわよ、お手伝いにきている女の子が話していたわ。なんでも小さな薬屋で処方してもらえるのだそうよ。女性がやっている薬屋なんですって、珍しいわよね?」
 おかみさんはタオルでおやじさんの汗を拭いてあげている。
 おかみさんが話してくれた内容は、渡してもらった資料とも一致した。
「その小さな薬屋がどこにあるのか、知りませんか?」
「下町のどこかだと言っていたわ。その女の子も探しているのですって。きっと意中の相手がいるのね!」
「下町のどこか……」
「下町は広いからなあ、そんな中から小さな店を探すとなると一苦労だ。先に薬師ギルドにでも顔を出して、ある程度、絞り込んでみたらどうだ?」
 さすがおやじさんは元騎士団だ。
 効率のいい調査の仕方を心得ている。
 馬鹿正直に一軒一軒、しらみつぶしに訪問しようとしていた僕が、ちょっと考え足らずなだけかもしれないけれど。
「そうですね、そうしてみます。助かりました」
 僕は頭を下げて店を出る。
 おかみさんがいつものようにパンを持たせてくれる。
 先ほど、おやじさんが並べたばかりの焼きたてのパンだ。
 手に持つと温かい。
 いつもお金を払おうとして断られる。
 このやり取りも、もう何度もしてきた。
 再び深々と頭を下げて、僕は薬師ギルドへ足を向けた。
 その後ろ姿を見て、おやじさんとおかみさんが何を話していたのかは知らない。
「ヴェルナーも調査を任されるくらいには成長したってことだな」
「だけどいつまでも、他人行儀さが抜けないわ!」
「そりゃあ仕方がないだろう。俺たちは本当の親じゃないんだ。ヴェルナーが欲しがっている本当の親からの愛を、俺たちは与えてはやれない」
「それはそうだけど……」

 ◇◆◇

 おやじさんに教えてもらった薬師ギルドにつくころには、お昼が近くなっていた。
 僕は座れる場所を探して腰掛け、温かいパンに噛りつく。
 胡桃とチーズと刻んだ燻製肉が練り込んである、おやじさん自慢の一品だ。
 しっかり噛み締めて食べるから腹持ちがいいし、酒との相性もいい。
 あのパン屋が人気なのもうなずけた。
 先代も安心して娘と店を任せられただろう。
 なにしろ見た目がすでに頼もしいからな。
 おやじさんの丸太みたいに太い腕を思い出す。
 小さい頃、あの腕で高い高いとぶん投げられたときは、ちびりそうになったものだ。
 僕も騎士団に入団して9年、おやじさんと同じ訓練を受けたが、腕は丸太にはならなかった。
 金髪紺目で細身な僕は、どう見ても弱そうなのだろう。
 同じ騎士見習いからケンカを吹っ掛けられることもあったが、動体視力と俊敏さには自信がある。
 おやじさんに一通り教わった護身術で、だいたいは返り討ちにしてやった。
 そして返り討ちにしてやった僕より弱い同期たちが、どんどん階級を上げる中、僕はずっと下っ端だ。
 階級が上がれば王宮の守衛を目指すことも出来る。
 頑張っていたが、ある日、騎士団長から言われたのだ。
「諦めるんだ。今はまだ――」
 その日から僕は、目標を失い無気力になってしまった。
 
 ぱたぱたと服に落ちたパンくずを払い落とし、気を取り直して薬師ギルドを訪ねる。
 大きな間口の建物には蔦が絡まり、看板には天秤が立体的に彫られている。
 三階建ての石造りの建物には、行き来する人も多く、僕は話を聞いてもらえそうな人を探した。
「すみません、騎士団から調査で来ています。お尋ねしたいことがあるのですが」
 受付にいた女性へ団章を見せて声をかける。
 下町にある小さな薬屋で女性が店主をしている店を探しているが、心当たりはないか。
「実際に薬師が女性でも、店主は男性名で出す人もいるんですよね。どうしてもこの界隈では女性の地位が低いので、侮られないための対策なんです」
 そうなのか、騎士団では女性のほうが強いのに……。
 取りあえず教えてもらった少ない店を資料に書き取る。
 ついでのように惚れ薬の噂を聞いたことがないか尋ねる。
「惚れ薬については、どこで手に入るのかと貴族の方から当ギルドへの問い合わせが増えていて、実は困っているんです。騎士さまもその調査なのですか?」
 逆に興味津々に質問をされてしまった。
 これは長居は無用だな。
 話の種にされる前に、御礼を言って僕はギルドを後にした。
 向かった先の一軒目が、まさかの当たりだとは思いもせずに。
 
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