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三話 恩人の王女

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「リオニー? どうしてここへ?」

「どうしてもこうしてもありませんわ。自分の婚約者が全裸も同然のほかの女性と一緒にいるのを、黙って見過ごす女などいませんのよ」

「ノアは海から来た人魚なんだ。服を着ていないのは仕方がない」

「そうだとしても、今は人間にしか見えませんわ。私という婚約者がいながら、許される行為とは思えません」



 きっぱりと言い切るリオニーに、ヴィンセントは溜め息をついた。

 リオニーは、俺との結婚を目論んでいる。

 海難事故にあった俺の命の恩人を、無下に出来なかった父が婚約までは許してしまった。

 だがこれから先は、本人同士の気持ち次第だと説明されたはずだ。

 そして俺には感謝の気持ちはあれど、添い遂げる気はさらさらない。

 というのもリオニーの母国での不祥事が、こちらの国にも正しく伝わっているからだ。

 リオニーは他国の王子と婚約していながら、自国に多数の恋人をつくっていた。

 美しい王女から誘われて、あなたが恋しいと言われて、ぐらっと来てしまったのか。

 それまで寄り添った婚約者を捨て、自分勝手な愛に走った結果、王女の多数いる恋人の一人に成り下がった令息たち。

 そんな情けない令息たちや、婚約を破棄された令嬢たちの親に突き上げられ、かばいだて出来なくなったリオニーの父王は、他国の王子との婚約を解消した後、リオニーにこの国の修道院での蟄居を命じた。

 もうリオニーに母国での結婚は許されない。

 あまりにも多くの不幸を生み出してしまったからだ。

 しかし他国に嫁ぐにも悪評が広まり過ぎた。

 しばらく大人しくさせるつもりでこの修道院に入れたのだろうが、まさか娘がそこで王子と縁を繋ぐなど父王も思っていなかったに違いない。

 最後の頼みの綱だと必死に娘を売り込んできた。

 リオニーも命の恩人なのだからと、でかい面をする。

 俺が溜め息をつきたくなるのも、仕方がないだろう?

 かつて婚約者の王子がいながら、恋人たちを侍らせていた王女が何をかいわんやだ。



「修道院に押し込められて、少しは常識が身に付いたか? だが、命の恩人として許されたのは婚約までだ。俺が誰と結婚するかは俺が決める。そして俺はリオニーを選ばない」

「いつもの平行線ですわね。私は正式な婚約者です。堂々と物申しますよ」

「好きにすればいい。これまでの自身の行為が、全て返ってくるだけだ。どれだけの数の令嬢を泣かせたと思っている」



 するとそれまで俺たちの応酬を見ていたノアが、口をパクパクし始める。



『命の恩人ですって! 図々しい! あなたはあの朝、通りかかっただけでしょう! 荒波からヴィンセントを救い出し、海岸まで抱いて泳いだのは私なんだから!』



 必死にリオニーを指さし、まるで糾弾するかのようにノアは身振り手振りで示す。

 リオニーはそれを鼻で笑う。



「あなたは口が利けないのでしょう? ならば黙っていることね」



 それを聞いてノアの顔が真っ赤になる。



『絶対に許さない! 私を敵に回したことを後悔させてやる!』



 まるで叫んでいるように身を乗り出しているが、やっぱり声は少しも出ていない。



「ノア、落ち着け。この国の王子は俺だ。隣国の王女の言いなりにはならない。さあ、城へ行こう。脚を診てもらわなくては」



 ヴィンセントはノアを抱き直し、高台から道を下る。

 この先に馬車を待たせてある。

 そこまで大事にノアを運んだ。

 その場に残されたリオニーが、憎々し気にノアを睨んでいるのを背後で察しながら。



 ◇◆◇



 城でノアの脚を医師に診せた。

 医師が触るだけでもノアはひどく痛がるが、見た目には何も問題がないそうだ。

 やはり人魚から人間になったことが原因なのだろう。

 ついでに急に出なくなった声についても聞いてみたが、そういう事例は初めてだと言われた。

 声帯にも問題はなさそうなので、人間になるための制約があるのかもしれないということだった。

 ノアもしきりに頷いていたので、知っていて薬を飲んだのだろう。

 無茶をする。

 こうまでして会いに来てくれて、嫌な気はしない。

 むしろヴィンセントは、ずっと好意をあけっぴろげに伝えてくるノアが可愛く思えてきた。

 口が利けない不自由をなんとかしてやれないか。

 ヴィンセントはノアにこの国の童話集を見せた。



「ノア、この本に書かれていること、分かるか?」



 ノアはふるふると横に首を振る。



「人魚の世界に文字はないのか? 人間はこうやって言葉を文字にして残す。もしノアが文字を覚えることができれば、俺とも文字で会話ができる」

『そうなの? 覚える! ヴィンセントと会話したい!』



 ノアの表情を見て、ヴィンセントも嬉しそうにほほ笑む。



「そうか、やる気になってくれたか。俺が教えよう。この童話集が読めるようになるまで」



 ヴィンセントがぺらぺらと童話集をめくった。

 絵も多くあり、なんだか楽しそうだ。

 本というのは人魚の世界にはない。

 なにかを表すための模様のようなものはある。

 それに童話や歴史といったものは、歌で紡ぐのだ。

 長い歴史の歌は、六人姉妹で代わる代わるに歌ったものだ。

 一人ではとても歌いきれる長さではない。

 人魚と人間は歴史の残し方が違う。

 ノアは新しい発見のひとつひとつに感動するのだった。



 ◇◆◇



 ヴィンセントにノートとペンを用意してもらった。

 書き物机とちょうどいい高さの椅子も。

 席に着いたノアの後ろから、ヴィンセントがノアの右手をペンごと握りしめる。



「まずはノアの名前だ。次は俺の名前。まずはこの二つを覚えよう」



 ヴィンセントがノートにさらさらとペンを走らせる。

 その音にノアはドキドキした。

 ヴィンセントは文字を大きく書いてくれた。

 さっきの童話集はもっと小さかった気がする。

 きっと私が覚えやすいように、見やすいように、そうしてくれたんだ。

 ノアは心がホカホカした。

 くすぐったくてクスクス笑うと、ヴィンセントが手を離す。



「ほら、笑ってないで。次はノアが真似て書いてみて」

『分かった! 見ていて! ノ……ア……』



 たどたどしく、握ったペンを震わせながら自分の名前を書く。

 ヴィンセントはスラスラと書いていたけど、ノアが書くとペン先がノートに引っかかる。



「余計な力が入っているんだ。もっとペンを握る力を抜いて」

『難しいな……ヴィ……セ……ト』

「ンが抜けている。でも形はいい。この調子だ」



 二人の名前を皮切りに、ノアはいろいろな言葉を覚えていく。

 ヴィンセントが童話集を音読してくれたので、童話集によく出てくる単語は、すぐに書けるようになった。

 ヴィンセントと会話したいという前向きな気持ちが、学習の意欲となっていた。



 城の中で仲良くしている二人のことは噂になった。

 もちろん黙っているリオニーではない。

 いまだ修道院から出られないものの、ノアをこき下ろす手段を考えていた。

 ノアの脚に異常があることを知ったリオニーは思いつく。

 王子の相手としてふさわしくないと大勢の前で知らしめる方法を。

 恥をかけばいいんだわ!

 所詮は人魚、人間ではないのだから。

 さっさと海に帰ればいいのに。

 偉そうにしていられるのも今の内よ。

 声も出ない、脚も悪い。

 しかも王子は人魚が恩人だと知らない。

 付け入る隙だらけだわ。

 リオニーは笑う。

 己の勝利を確信して。

 そして国元の父に、手紙を一通出したのだった。
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