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八話 アッカーマン侯爵家の影
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それから何度か、私はアッカーマン侯爵夫人と出くわした。
アデーレと一緒に出かけた本屋だったり、お母さまと一緒に出かけた装飾店だったり。
なぜか私たちが訪問する場所を知っていて、先回りしてくる。
向こうは偶然を装っているが、明らかにおかしい。
私たち家族が不信感を強めていると、決定的なことが起きた。
それは私が侍女をつれて赤ちゃんの墓に供える花を買いに出たときのことだ。
「クリスタお嬢さま、今日も白い花でいいですか?」
「そうね、少しだけ黄色の花も混ぜてもらおうかしら。もう春だもの、明るい色も欲しいわ」
「かしこまりました、では買いに行ってまいりますので、こちらでお待ちください」
雑踏を避け、花屋の店内に入った侍女の戻りを待つ私に、近づいた背の高い人影があった。
「おい……」
私は自分が声をかけられたとは思わず、返事をしなかった。
「お前だ、クリスタ。ご主人さまを無視するとは、お仕置きが必要か」
はっきりと聞こえた自分の名前と、その声の持ち主に見当がついて恐怖と共に振り仰ぐ。
間違いなかった。
茶色の外套を着た背の高い人影は、元夫のカールだった。
今日も紺髪をオールバックでまとめ、両手はポケットに突っ込んでいる。
鋭い眼差しで睨みつけられ、私の身が竦んだ。
どうしてこんなところに。
「母から何度も忠告を受けていると思うが、お前は王太子妃に相応しくない。死なせた子のことをもう忘れたのか。ただちに辞退を申し出ろ」
一息に言われたのはアッカーマン侯爵夫人と同じような内容だ。
よほどケップラ侯爵家が王家と縁を繋ぐのが癪に障るらしい。
それもそうだろう。
王太子妃候補者に親族を送り込むことが出来ず、せめて候補者の家門と繋がりを持とうと画策したがその縁も続かなかった。
ところが続かなかった縁の先がどう導かれたのか王家と繋がり、今やしっかり結ばれようとしている。
侯爵家の中では、一番の格を誇るアッカーマン侯爵家を揺るがす大問題だ。
私たちの出先で圧をかけて回るくらい、なんの手間でもないのだろう。
諍いになるのは嫌だったが、これだけは言いたくて震える声を出す。
「赤ちゃんのことを忘れたことはありません。今日も供えるための花を買いにきました」
「……ふん。あの子が息をしていれば、お前はいまだアッカーマン侯爵家にいたはずだ。王太子妃だなどと、高望みをするものではない。子が欲しければ俺がまた仕込んでやる」
「え?」
自分が聞き違えたのかと思ったが、カールの表情はそうは言っていない。
思わず一歩後ずさると、ポケットから出されたカールの手が私の二の腕を強く掴む。
高い背をかがめ、私の耳元まで顔を下げたカールが囁く。
「孕ませてやるよ、クリスタ」
「お嬢さま!!」
花屋の店内から侍女が急いで駆け戻ってくる。
必死な形相をしているのは、私に相対している男がカールだと分かったからだろう。
カールも侍女の存在に気がつくと二の腕から手を離した。
「帰りましょう!お嬢さま!」
侍女は私の手を取り、強引にカールの前から引きはがした。
カールはじっとこちらを見たままだ。
その刺すような視線を振り切り、私も侍女と馬車まで急ぐのだった。
◇◆◇
家族が揃った夕食の席で、侍女がカールのことをお父さまに報告した。
それを聞いたアデーレはお冠だ。
「夫人だけでなく嫡男まで出しゃばってくるなんて、アッカーマン侯爵家は暇人ばかりなの!?」
「それだけ家の格にこだわっているんだろうね」
どこが侯爵家で一番かなんてどうでもいいのになあと、お父さまはぼやく。
「お姉さまが侍女しか連れていないときを狙ってカールが出てきたのだとしたら、お姉さまの身が危ないわ。これまでの付きまとい行為も、夫人だからなんとか避けていられたけれど」
「確かにそうだね。クリスタの腕を許しもなく掴むなんて、紳士にあるまじき行為だ。もちろん、アッカーマン侯爵家には抗議をするけど、相手にとっては痛くもかゆくもないはずだ。鼻で笑われて終わりだろう。そこで、どうだろうか、コンラート殿下に相談してクリスタを王宮に滞在させてもらうというのは」
「王宮に、ですか?」
「クリスタが王宮で生活すれば、きっと付きまといも減るはずだ。なにしろ王宮には商人たちの方から足を運ぶからね、花束ひとつ買うにしても、出歩く必要がないのだよ」
確かにそれはそうかもしれない。
私はまだカールのことをそこまで深刻にとらえてはいなかったが、アデーレもお父さまもお母さまも、とても心配している。
会えない王太子妃教育の期間中も、寂しくないようにコンラート殿下とは文通をしていたのだが、今度のお手紙で相談してみようと思った。
◇◆◇
もともと王宮に滞在することをお勧めしていたコンラート殿下は、カールの話に危機感を抱き、早急に手はずを整えてくれた。
元夫のカールに対して、コンラート殿下は並々ならぬ感情を抱いているようだが、私にはそれを隠そうとしているので気づいていないふりをする。
王宮に滞在中は、コンラート殿下の部屋の隣にある王太子妃の部屋で過ごすことになった。
(まだ王太子妃ではないのだけど、いいのかしら?)
私のビクビクした心の声をよそに、部屋の奥から華やかな声がする。
「お嬢さま、こちらのテラスが素敵なので、今日はここでお茶にしませんか?」
王宮に一緒についてきてくれたのは、カールから私を遠ざけてくれた侍女のマルテだ。
マルテは金髪のおかっぱがかわいい16歳、まだまだ王宮という場所に圧倒されている部分があるが、それでも家族と離れて暮らすことになった心細い私にとって最強の助っ人だ。
マルテが用意してくれた香り高いお茶に癒されながら、慌ただしい引っ越しとなった先週を振り返る。
コンラート殿下は裸一つで来てもいいなんて言っていたけど、もちろんそれを鵜呑みにして送り出すケップラ侯爵家ではない。
王宮で過ごすに相応しいドレスや持ち物をそろえて出立の準備が整ったのは、王太子妃教育が始まってすでに三か月が過ぎた頃だった。
もうこのまま嫁入りしてもいいよとばかりに、お父さまとお母さまは張り切って用意をしてくれた。
アデーレも、ドレスを選ぶときは一緒に、あーでもないこーでもないと悩んでくれた。
温かい家を離れ、本当にこのまま嫁ぐような気がして、ちょっぴり寂しかった。
そして出迎えてくれたコンラート殿下の熱い抱擁と濃厚な口づけに目を回し、初日はお姫さま抱っこでこの部屋に運ばれてしまったのだ。
王宮で働く人たちの視線をビシビシ浴びた。
国王陛下と王妃殿下にもご挨拶をして、今後は王妃殿下から直々に王太子妃教育を受けることも決まった。
クリスタはもう一口お茶を飲むと、変遷する人生のうねりに身をまかせる覚悟を決めた。
アデーレと一緒に出かけた本屋だったり、お母さまと一緒に出かけた装飾店だったり。
なぜか私たちが訪問する場所を知っていて、先回りしてくる。
向こうは偶然を装っているが、明らかにおかしい。
私たち家族が不信感を強めていると、決定的なことが起きた。
それは私が侍女をつれて赤ちゃんの墓に供える花を買いに出たときのことだ。
「クリスタお嬢さま、今日も白い花でいいですか?」
「そうね、少しだけ黄色の花も混ぜてもらおうかしら。もう春だもの、明るい色も欲しいわ」
「かしこまりました、では買いに行ってまいりますので、こちらでお待ちください」
雑踏を避け、花屋の店内に入った侍女の戻りを待つ私に、近づいた背の高い人影があった。
「おい……」
私は自分が声をかけられたとは思わず、返事をしなかった。
「お前だ、クリスタ。ご主人さまを無視するとは、お仕置きが必要か」
はっきりと聞こえた自分の名前と、その声の持ち主に見当がついて恐怖と共に振り仰ぐ。
間違いなかった。
茶色の外套を着た背の高い人影は、元夫のカールだった。
今日も紺髪をオールバックでまとめ、両手はポケットに突っ込んでいる。
鋭い眼差しで睨みつけられ、私の身が竦んだ。
どうしてこんなところに。
「母から何度も忠告を受けていると思うが、お前は王太子妃に相応しくない。死なせた子のことをもう忘れたのか。ただちに辞退を申し出ろ」
一息に言われたのはアッカーマン侯爵夫人と同じような内容だ。
よほどケップラ侯爵家が王家と縁を繋ぐのが癪に障るらしい。
それもそうだろう。
王太子妃候補者に親族を送り込むことが出来ず、せめて候補者の家門と繋がりを持とうと画策したがその縁も続かなかった。
ところが続かなかった縁の先がどう導かれたのか王家と繋がり、今やしっかり結ばれようとしている。
侯爵家の中では、一番の格を誇るアッカーマン侯爵家を揺るがす大問題だ。
私たちの出先で圧をかけて回るくらい、なんの手間でもないのだろう。
諍いになるのは嫌だったが、これだけは言いたくて震える声を出す。
「赤ちゃんのことを忘れたことはありません。今日も供えるための花を買いにきました」
「……ふん。あの子が息をしていれば、お前はいまだアッカーマン侯爵家にいたはずだ。王太子妃だなどと、高望みをするものではない。子が欲しければ俺がまた仕込んでやる」
「え?」
自分が聞き違えたのかと思ったが、カールの表情はそうは言っていない。
思わず一歩後ずさると、ポケットから出されたカールの手が私の二の腕を強く掴む。
高い背をかがめ、私の耳元まで顔を下げたカールが囁く。
「孕ませてやるよ、クリスタ」
「お嬢さま!!」
花屋の店内から侍女が急いで駆け戻ってくる。
必死な形相をしているのは、私に相対している男がカールだと分かったからだろう。
カールも侍女の存在に気がつくと二の腕から手を離した。
「帰りましょう!お嬢さま!」
侍女は私の手を取り、強引にカールの前から引きはがした。
カールはじっとこちらを見たままだ。
その刺すような視線を振り切り、私も侍女と馬車まで急ぐのだった。
◇◆◇
家族が揃った夕食の席で、侍女がカールのことをお父さまに報告した。
それを聞いたアデーレはお冠だ。
「夫人だけでなく嫡男まで出しゃばってくるなんて、アッカーマン侯爵家は暇人ばかりなの!?」
「それだけ家の格にこだわっているんだろうね」
どこが侯爵家で一番かなんてどうでもいいのになあと、お父さまはぼやく。
「お姉さまが侍女しか連れていないときを狙ってカールが出てきたのだとしたら、お姉さまの身が危ないわ。これまでの付きまとい行為も、夫人だからなんとか避けていられたけれど」
「確かにそうだね。クリスタの腕を許しもなく掴むなんて、紳士にあるまじき行為だ。もちろん、アッカーマン侯爵家には抗議をするけど、相手にとっては痛くもかゆくもないはずだ。鼻で笑われて終わりだろう。そこで、どうだろうか、コンラート殿下に相談してクリスタを王宮に滞在させてもらうというのは」
「王宮に、ですか?」
「クリスタが王宮で生活すれば、きっと付きまといも減るはずだ。なにしろ王宮には商人たちの方から足を運ぶからね、花束ひとつ買うにしても、出歩く必要がないのだよ」
確かにそれはそうかもしれない。
私はまだカールのことをそこまで深刻にとらえてはいなかったが、アデーレもお父さまもお母さまも、とても心配している。
会えない王太子妃教育の期間中も、寂しくないようにコンラート殿下とは文通をしていたのだが、今度のお手紙で相談してみようと思った。
◇◆◇
もともと王宮に滞在することをお勧めしていたコンラート殿下は、カールの話に危機感を抱き、早急に手はずを整えてくれた。
元夫のカールに対して、コンラート殿下は並々ならぬ感情を抱いているようだが、私にはそれを隠そうとしているので気づいていないふりをする。
王宮に滞在中は、コンラート殿下の部屋の隣にある王太子妃の部屋で過ごすことになった。
(まだ王太子妃ではないのだけど、いいのかしら?)
私のビクビクした心の声をよそに、部屋の奥から華やかな声がする。
「お嬢さま、こちらのテラスが素敵なので、今日はここでお茶にしませんか?」
王宮に一緒についてきてくれたのは、カールから私を遠ざけてくれた侍女のマルテだ。
マルテは金髪のおかっぱがかわいい16歳、まだまだ王宮という場所に圧倒されている部分があるが、それでも家族と離れて暮らすことになった心細い私にとって最強の助っ人だ。
マルテが用意してくれた香り高いお茶に癒されながら、慌ただしい引っ越しとなった先週を振り返る。
コンラート殿下は裸一つで来てもいいなんて言っていたけど、もちろんそれを鵜呑みにして送り出すケップラ侯爵家ではない。
王宮で過ごすに相応しいドレスや持ち物をそろえて出立の準備が整ったのは、王太子妃教育が始まってすでに三か月が過ぎた頃だった。
もうこのまま嫁入りしてもいいよとばかりに、お父さまとお母さまは張り切って用意をしてくれた。
アデーレも、ドレスを選ぶときは一緒に、あーでもないこーでもないと悩んでくれた。
温かい家を離れ、本当にこのまま嫁ぐような気がして、ちょっぴり寂しかった。
そして出迎えてくれたコンラート殿下の熱い抱擁と濃厚な口づけに目を回し、初日はお姫さま抱っこでこの部屋に運ばれてしまったのだ。
王宮で働く人たちの視線をビシビシ浴びた。
国王陛下と王妃殿下にもご挨拶をして、今後は王妃殿下から直々に王太子妃教育を受けることも決まった。
クリスタはもう一口お茶を飲むと、変遷する人生のうねりに身をまかせる覚悟を決めた。
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