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一話 王太子の個人的な問題
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ライプニッツ王国は大陸の三分の一を占める大国で、長い歴史が表す通り、激動の時代も物ともせず、負け戦知らずでここまで続いてきた。
今代の国王は愛する王妃との間に二人の王子をもうけ、つつがなく国を治めていた。
国境を脅かす敵国もなく、甚大な自然災害にも襲われず、貴族同士の小競り合いはあれども、頭を悩ませることは無さそうに思えた。
「う~む、どうしたものか」
ところが先ほどから腕を組み、首をひねり、しきりに唸っている。
この豊かな国に似つかわしくない悩み事があるようだ。
国王陛下専用の執務室には、黒光りする重厚な机と、それにふさわしい豪奢な椅子、左手の壁一面には歴代の国王陛下の肖像画が並ぶ。
机の上には職人の手によって仕上げられた素晴らしい羽根ペンが数本、決裁に使われる金色の印璽、100年前から置いてある大樹を模したランプ、その横に積みあがる書類の山。
いつもと何も変わらない風景に見えた。
そこへ侍従が王太子の来室を伝える。
「国王陛下、王太子殿下がいらっしゃいました」
「おお、待っていた!すぐに通せ」
護衛騎士が静かに開けた扉を通ってやってきたのは、国王にそっくりな顔をしている王太子のコンラートだった。
肩につかない長さの銀髪は少し片目を覆い、不凍湖のような青い瞳は王家に引き継がれる美貌を冴えわたらせ、程々に引き締まった筋肉と長身はコンラートを完璧な王子様然として見せた。
だがしかし、国王の悩みの種は正にこのコンラートであったのだ。
さっそく応接用のソファに向かい合って座り、侍従が用意するお茶を待たずに国王は話し始める。
「さて、先月の誕生日でコンラートも24歳になった。そろそろ三人の王太子妃候補から、妃にする女性を一人に絞ってもいいのではないか?」
「父上、それは……」
コンラートが憂鬱そうに何か言い返す前に、国王は畳みかけるように言葉を繋げる。
「いい加減、儂も王妃からせっつかれるのに疲れたのだ!あれが24歳の頃にはすでに息子を二人産んでいた。だからなのか、早く孫を抱きたいと隙あらば毎日のように儂に言うのだぞ。もう王太子妃候補たちを選定してから四年が経つ。彼女たちの人柄についても、それぞれ十分に検討できただろう?」
ほとほと困っているという表情を隠さず、国王はコンラートのうつむきがちな顔を覗き込む。
そして覗き込まれたコンラートも困っていた。
頭の中で四年前に王太子妃候補となった三人を思い浮かべる。
さすがに顔や名前は覚えた。
でもそれだけだ。
心惹かれることも、ましてや添い遂げることなど、自分にはできそうになかった。
王太子には妃が必要だと分かってはいるが、気持ちが付いてこないのだ。
小さいときから神童と言われ、なんでも上手くこなしてきたコンラートは、毎日をとても退屈だと思いながら生きてきた。
教育の過程で閨事を習ったときも、面倒だなと感じた。
指導役の女性をあてがわれそうになって、慌てて断ったほどだ。
あんなことをしないと世継ぎが出来ないだなんて。
自分は本当に王太子向きではない。
最近ではそんなことまで考えるようになった。
王太子妃候補たちには申し訳ないと思う。
彼女たちは王太子妃に相応しい礼節や知識を学び、この国の礎となるべく研鑽を積んでいる。
そんな努力する姿を見ても響かない自分の心は、きっとおかしいのだ。
「父上、彼女たちは優劣をつけがたい、みな素晴らしい女性です。問題があるのは私の方なのです」
「問題?どんな問題だ?」
「…………女性を抱きたいと思えないのです」
言いにくそうにコンラートが伝えてきた理由を、国王は何度か頭の中で繰り返した。
そして脳の奥底に沈んでいた記憶を手繰り寄せる。
(王家の古文書に似たような記述があったぞ。まさか息子の代でこの問題に遭遇するとは――)
確信を深めるため国王は質問を重ねる。
「コンラート、念のために確認するぞ。それは男性を抱きたいという意味か?」
「違います。性別に関わらず、そういう気持ちになれないのです」
「候補者たちがお前の好みに合わないというわけではないのだな?」
「それも違います。おそらく私には好みすらないのでしょう。性行為自体に興味が持てません」
「なるほど……ちなみに、勃つか?」
「お恥ずかしながら、朝はきちんとその状態になっております」
国王は、24歳の息子がちゃんと朝立ちをすると聞いて間違いないとうなずいた。
「よし、分かった。悩めるお前に必要なのは『壁尻の儀』だ!」
「カベシリノギとは何ですか?」
「国王にしか見ることを許されていない古文書に記された儀式だ。我ら王族の中には、まれにコンラートと同じ症状に悩まされる者が現れる。そうした者が現れたときには『壁尻の儀』を執り行うことで解決するとあった」
「父上、それは一体どのような儀式なのでしょう?私の空虚な気持ちが一朝一夕で変わるとは思えません」
「悩みを抱える本人にとっては、懐疑する内容だろう。だが儂に任せておきなさい。すべては好転する!」
ニカッと笑う国王の顔に不安しか覚えないコンラートだったが、ここで強く意見するほどの気概もなく、しぶしぶ了承して退室するのだった。
もっと自分事に興味を持って儀式について質問でもしていれば、後になってあんなに気まずい思いをすることもなかっただろうに。
コンラートがいなくなった国王専用の執務室では、張り切って侍従たちに指示を飛ばす国王の声が響き渡った。
「『壁尻の儀』への招集は王命であるから、万が一にも逆らうのであれば王太子妃候補を辞退してもらうよう先方には伝えるんだ」
「開催は一か月後としよう。大きな行事もなく、コンラートの予定も合わせやすい」
「儀式に使用する壁を造ってもらわなくてはならない。ただちに職人ギルドに依頼をしてくれ」
「詳細について確認したい。あの古文書を持ってきてくれるか」
早く孫を抱きたい攻撃から逃れられる解放感ですがすがしい気持ちになった国王は、今日の執務にも意欲的に取り掛かるのだった。
今代の国王は愛する王妃との間に二人の王子をもうけ、つつがなく国を治めていた。
国境を脅かす敵国もなく、甚大な自然災害にも襲われず、貴族同士の小競り合いはあれども、頭を悩ませることは無さそうに思えた。
「う~む、どうしたものか」
ところが先ほどから腕を組み、首をひねり、しきりに唸っている。
この豊かな国に似つかわしくない悩み事があるようだ。
国王陛下専用の執務室には、黒光りする重厚な机と、それにふさわしい豪奢な椅子、左手の壁一面には歴代の国王陛下の肖像画が並ぶ。
机の上には職人の手によって仕上げられた素晴らしい羽根ペンが数本、決裁に使われる金色の印璽、100年前から置いてある大樹を模したランプ、その横に積みあがる書類の山。
いつもと何も変わらない風景に見えた。
そこへ侍従が王太子の来室を伝える。
「国王陛下、王太子殿下がいらっしゃいました」
「おお、待っていた!すぐに通せ」
護衛騎士が静かに開けた扉を通ってやってきたのは、国王にそっくりな顔をしている王太子のコンラートだった。
肩につかない長さの銀髪は少し片目を覆い、不凍湖のような青い瞳は王家に引き継がれる美貌を冴えわたらせ、程々に引き締まった筋肉と長身はコンラートを完璧な王子様然として見せた。
だがしかし、国王の悩みの種は正にこのコンラートであったのだ。
さっそく応接用のソファに向かい合って座り、侍従が用意するお茶を待たずに国王は話し始める。
「さて、先月の誕生日でコンラートも24歳になった。そろそろ三人の王太子妃候補から、妃にする女性を一人に絞ってもいいのではないか?」
「父上、それは……」
コンラートが憂鬱そうに何か言い返す前に、国王は畳みかけるように言葉を繋げる。
「いい加減、儂も王妃からせっつかれるのに疲れたのだ!あれが24歳の頃にはすでに息子を二人産んでいた。だからなのか、早く孫を抱きたいと隙あらば毎日のように儂に言うのだぞ。もう王太子妃候補たちを選定してから四年が経つ。彼女たちの人柄についても、それぞれ十分に検討できただろう?」
ほとほと困っているという表情を隠さず、国王はコンラートのうつむきがちな顔を覗き込む。
そして覗き込まれたコンラートも困っていた。
頭の中で四年前に王太子妃候補となった三人を思い浮かべる。
さすがに顔や名前は覚えた。
でもそれだけだ。
心惹かれることも、ましてや添い遂げることなど、自分にはできそうになかった。
王太子には妃が必要だと分かってはいるが、気持ちが付いてこないのだ。
小さいときから神童と言われ、なんでも上手くこなしてきたコンラートは、毎日をとても退屈だと思いながら生きてきた。
教育の過程で閨事を習ったときも、面倒だなと感じた。
指導役の女性をあてがわれそうになって、慌てて断ったほどだ。
あんなことをしないと世継ぎが出来ないだなんて。
自分は本当に王太子向きではない。
最近ではそんなことまで考えるようになった。
王太子妃候補たちには申し訳ないと思う。
彼女たちは王太子妃に相応しい礼節や知識を学び、この国の礎となるべく研鑽を積んでいる。
そんな努力する姿を見ても響かない自分の心は、きっとおかしいのだ。
「父上、彼女たちは優劣をつけがたい、みな素晴らしい女性です。問題があるのは私の方なのです」
「問題?どんな問題だ?」
「…………女性を抱きたいと思えないのです」
言いにくそうにコンラートが伝えてきた理由を、国王は何度か頭の中で繰り返した。
そして脳の奥底に沈んでいた記憶を手繰り寄せる。
(王家の古文書に似たような記述があったぞ。まさか息子の代でこの問題に遭遇するとは――)
確信を深めるため国王は質問を重ねる。
「コンラート、念のために確認するぞ。それは男性を抱きたいという意味か?」
「違います。性別に関わらず、そういう気持ちになれないのです」
「候補者たちがお前の好みに合わないというわけではないのだな?」
「それも違います。おそらく私には好みすらないのでしょう。性行為自体に興味が持てません」
「なるほど……ちなみに、勃つか?」
「お恥ずかしながら、朝はきちんとその状態になっております」
国王は、24歳の息子がちゃんと朝立ちをすると聞いて間違いないとうなずいた。
「よし、分かった。悩めるお前に必要なのは『壁尻の儀』だ!」
「カベシリノギとは何ですか?」
「国王にしか見ることを許されていない古文書に記された儀式だ。我ら王族の中には、まれにコンラートと同じ症状に悩まされる者が現れる。そうした者が現れたときには『壁尻の儀』を執り行うことで解決するとあった」
「父上、それは一体どのような儀式なのでしょう?私の空虚な気持ちが一朝一夕で変わるとは思えません」
「悩みを抱える本人にとっては、懐疑する内容だろう。だが儂に任せておきなさい。すべては好転する!」
ニカッと笑う国王の顔に不安しか覚えないコンラートだったが、ここで強く意見するほどの気概もなく、しぶしぶ了承して退室するのだった。
もっと自分事に興味を持って儀式について質問でもしていれば、後になってあんなに気まずい思いをすることもなかっただろうに。
コンラートがいなくなった国王専用の執務室では、張り切って侍従たちに指示を飛ばす国王の声が響き渡った。
「『壁尻の儀』への招集は王命であるから、万が一にも逆らうのであれば王太子妃候補を辞退してもらうよう先方には伝えるんだ」
「開催は一か月後としよう。大きな行事もなく、コンラートの予定も合わせやすい」
「儀式に使用する壁を造ってもらわなくてはならない。ただちに職人ギルドに依頼をしてくれ」
「詳細について確認したい。あの古文書を持ってきてくれるか」
早く孫を抱きたい攻撃から逃れられる解放感ですがすがしい気持ちになった国王は、今日の執務にも意欲的に取り掛かるのだった。
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