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七話 天国と地獄

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 時は少しさかのぼる。



 アドリアナの手を引き、自分の部屋へ案内するバーナビー。

 このあとのことを考えてすでに、下半身は臨戦態勢だが、そこはうまく上着で隠す。

 

(この第一印象で、プロポーズの結果が決まる! 絶対に、夢のような一夜にしてみせる!)



 鬼気迫るほどのヤル気が、バーナビーにみなぎっていた。

 幸いなことに、アドリアナは快く部屋への誘いを受けてくれた。

 これは全く好意がないわけではないと、受け取れる態度だ。



(キメる! 今世紀最大のプロポーズをキメる!)



 バーナビーの青い瞳に、めらめらと炎が燃える。

 婆やには、最終的な部屋のセッティングをお願いしてある。

 入った瞬間から感動してもらえるように、間接照明の位置もさんざん検討した。

 部屋中にバラの香りが行き届くように、咲きたてのバラの花びらを摘んだ。

 しかも、バーナビー自らだ。

 アドリアナに関しては、一切の手抜きをしたくない。

 そんなバーナビーの思いが、バラには込められていた。

 

 いつもの自分の部屋への道のりが、ことのほか長く感じる。

 少年のようにドキドキする胸を押さえ、バーナビーがアドリアナと共に自室へ辿り着いたとき、なぜか扉が少し開いていた。

 

(あの婆やが閉め忘れるわけがない。……嫌な予感がする)



 それでも、アドリアナが背後にいる。

 室内に招かないという選択肢はない。

 バーナビーはそっと、扉を押し開けた。

 その緊張感が、アドリアナにも伝わったのだろうか。

 アドリアナが室内を気にする素振りをした。

 入ってすぐに、異変は感じられなかった。

 バーナビーはホッとして、続く寝室へとアドリアナを招く。

 冷やしたワインはこの寝室に用意してあるのだ。

 そこで喉を潤して、ほどよく酔いが回った頃に――。

 そうイメトレをしていたバーナビーに、アドリアナが注意を促す。



「バーニー、中に誰かいるようです」

 

 アドリアナは祝宴の間に、バーナビーをバーニーと呼ぶようにしつこくお願いされて、根負けしていた。

 呼ばれたことに浮かれたいバーナビーだが、アドリアナの言葉には顔をしかめた。



「え? 中に? 誰かがいるですって?」



 この先は寝室だ。

 もしかして、婆やのセッティングが遅れているのだろうか。

 バーナビーの寝室に立ち入る可能性がある人物は、それくらいしか思い浮かばなかった。



「婆やでしょうか?」

「いいえ、使用人であれば足音に気を配りますが、その様子がありません」



 バーナビーにはまるで聞こえない足音を、アドリアナは察知しているようだ。

 すごい!

 かっこいい!

 バーナビーはこんなときでも、アドリアナに惚れ直していた。



「不審人物でしょうか? 取り押さえますか?」



 どこまでもかっこいいアドリアナに、バーナビーは男を魅せなくてはいけない。



「いいえ、アナは下がっていてください。ここは、私が確認しましょう」



 そう言って、バーナビーが開けた寝室の扉の先には――。

 泥酔してケラケラ笑うレオノールが、ほぼ全裸の姿でベッドの上に横たわっていた。

 終わった。

 今夜のために整えた準備が、全て駄目になった。

 バーナビーは頭の中が真っ白になった。



「レオノールさま、どうしてこちらへ?」



 アドリアナが、突然のレオノールの登場に驚いている。

 レオノールもアドリアナの登場に驚き、ろれつが回らないながらも早口でしゃべる。



「なあによ、なあによ! 私は悪くないわよ! ちゃあんと招待されているんですからね! ほうら、この鍵が証拠よ! 夜這いしていいって、渡されたんですからねえ!」

 

 レオノールはその辺に落としていた鍵を拾い、アドリアナに見えるように掲げる。

 

「それは……私の部屋のスペアキー?」



 バーナビーのつぶやきに、アドリアナは首をかしげる。



「つまり、私とレオノールさまの両方に、お誘いの声をかけたということですか?」

「とんでもありません!!!!」



 バーナビーは喰い気味でアドリアナの言葉を否定する。

 誤解されてはたまらない。

 

「私は、決して、あの鍵を渡していません! レオノール姫、その鍵は誰から渡されたのですか!?」



 ここは生きるか死ぬかの場面だ。

 バーナビーは、血走った眼でレオノールを見据える。

 それに気がつかないレオノールは、ごろんとベッドから起き上がり、誘うように足を組む。



「王太子のクレイグさまよ。きっと私たちが繋がることを、期待しているんだわ。バーナビーさま、素敵な夜にしましょうねえ」



 それを聞いて、鬼の形相になったバーナビーは、弾丸のように寝室を飛び出して行ったのだ。

 

 ◇◆◇



 クレイグは、大きな祝宴会場の出入り口付近で、椅子に座って護衛騎士の帰りを今か今かと待っていた。

 なんとかバーナビーにバレる前に、鍵を取り戻して欲しい。

 そこへ、件のレオノールの兄であるロドリゴが挨拶に来た。

 

「こんなに立派な祝宴を開いていただき、感激しております」



 クレイグよりよほど円熟して見えるロドリゴだが、これでもクレイグの3つ年下だ。

 これまでかなりの場数を踏んだのか、通商条約締結の際も常に落ち着いていた。

 その落ち着きを、今は分けて欲しいクレイグだ。



「その、レオノール姫の体調はどうだろうか? 動けないくらい悪いのかな?」



 どうか離宮でじっとしていてくれ。

 間違っても今夜、夜這いをしかけないでくれ。

 クレイグの言葉には、そんな隠せない期待が伺えた。

 

「いえ、あれは冷やせばすぐに回復するでしょう。なにしろアドリアナは手加減していたようですから」

「すぐに回復!?」



 クレイグは、ロドリゴの言葉にガタンと椅子を倒して立ち上がる。

 血の気が引いているクレイグを、不思議そうに見ていたロドリゴだったが、バッファロー獣人に抱えられた小さなダフネが、遠くからこちらに手を振り合図を送っていることに気がついた。



「なんだ? あれはなんの合図だ?」



 ロドリゴがそちらに気を取られた瞬間――。



「兄上ええええぇぇ! あなたの命日は今日だあああぁぁぁ!!!」



 抱かれたい男No.1のはずのバーナビーが突進してきて、美しいを通り越した形相のままクレイグの襟首をつかみ、高々と持ち上げたのだった。

 間に合わなかったという顔をしたダフネを見て、知らせたかった危機はこれかとロドリゴは納得する。

 しかし、この国の王子同士の諍いだ。

 他国の者が口をはさむべきではないと一歩引いたロドリゴに、バッファロー獣人と一緒に駆け付けたダフネが爆弾を落とす。

 

「レオノールさまのせいなんです! バーナビーさまに夜這いをしかけ、アドリアナ隊長と迎えるはずだった素敵な夜を、台無しにしてしまったんです!!!」

「なんだって!? 一体どうしてそんなことに!?」



 途端に自国が絡んでしまい、さすがのロドリゴもうろたえた。

 ロドリゴだって祝宴の間に、仲睦まじくしていたバーナビーとアドリアナのダンスを見た。

 バーナビーが誰に夢中になっているかなど、一目瞭然のあれだ。

 そこへなぜ、レオノールがしゃしゃり出たのか。

 首を絞められ泡を吹いているクレイグと、怒りに我を忘れているバーナビーに、ロドリゴは頭を下げる。



「申し訳ない! 我が妹がとんだ粗相を!」



 両国の王族が集まり、誰にも止められない醜態が繰り広げられていた。

 そこへようやく、アドリアナと山猫獣人がやってくる。

 部下からレオノールの暴走を聞いたアドリアナは、この状況を正しく理解していた。

 そしてバーナビーに背後から近寄り、肩に手を乗せる。



「そのあたりで止めましょう」



 しかし、バーナビーはすっかり頭に血が昇って、アドリアナの声も届かない。

 それを確認したアドリアナは、肩に乗せた手をするりと首に回し、きゅっとバーナビーを締め上げた。
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