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3話
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「だれか、狸さんを見かけなかった? 朝からいなくって……」
心細い声で、ステファノを探しているのはジゼッラだ。
いつも一緒の布団で寝ているステファノが、目を覚ますと定位置から消えていた。
「昨日は見かけたけどね」
「今日は聖堂が騒がしいから、どこかに隠れているのかしら?」
「なにしろ、エミリアーナさまがいよいよ、アントニオさまと結婚されるから、その準備で――」
聖女は、婚約しただけでは聖堂から出られない。
そのため婚約期間はしごく短めにして、さっさと結婚する場合が多い。
今回のエミリアーナもそうだ。
アントニオに求められて、数か月足らずでここを出て行く。
(行方が分からないのは、婚礼の準備と関係があるのかしら? ステファノさまの方から、エミリアーナさまに近づくとは思えないけど……)
ジゼッラの予想は的中する。
ステファノはエミリアーナによって捕らえられ、小さな檻に閉じ込められていた。
『何するんだ! ここから出せ!』
「あらあら、元気がいいのね。狸にされて、すっかりしょげていると思っていたのに」
ステファノの言葉は、エミリアーナには通じていない。
何人もの下級聖女たちに聖力を注いでもらったが、言葉が伝わるのはジゼッラだけなのだ。
「なんだか私の知らない内に、下級聖女たちの人気者になっていたみたいね。上級聖女の私がかけた呪いを、大した力もない彼女たちが解けるとは思っていないけど、念には念を入れよと言うし」
エミリアーナは小さな檻を持ち上げると、きょろきょろとベランダから外を見渡した。
「万が一にも人間に戻って、私の行いを暴かれては困るのよ。せっかくアントニオと結婚できるのだから、邪魔されたくないの」
分かるわよね? と言いたげなエミリアーナが、口角を上げて微笑む。
そしておもむろに、ステファノが入った檻を宙へ放り投げた。
『あ、あ、あ……』
きれいな放物線を描いて落ちていく。
その先にあるのは、濁って底の見えない池だ。
「さようなら、用無しの王子さま。あなたに私は、もったいなかったのよ」
貴族や王族から、下にも置かぬ扱いを受ける上級聖女のエミリアーナは、勘違いをしていた。
この世の全ては、なんでも自分の思い通りになると。
バシャン!
小さな檻が、水泡と共に沈んでいくのを見て、満足したエミリアーナは踵を返した。
これから花嫁を迎えにくるアントニオを、白いドレスに着替えて待たなくてはならない。
「きっと素敵な一日になるわ。ああ、アントニオ、愛しい人」
すでに池に背を向け、スキップをしていたエミリアーナは気づかなかった。
ステファノが投げ捨てられた池に、脇目もふらず飛び込んだジゼッラの存在に。
◇◆◇◆
「ステファノさま、しっかりして!」
水底に沈んでしまう前に、ジゼッラは檻を引き上げるのに成功する。
幸いなことに、檻の鍵は石で叩き壊せた。
だが、中から取り出したステファノは、ぐったりとして息をしていない。
「こういうとき、人間なら人工呼吸だけど、それって狸にも有効なのかしら?」
とにかく今は出来ることをするしかない。
顔を横にして水を吐かせてから、ジゼッラは心肺蘇生を始めた。
何度も狸のときに抱き上げていたから、心臓の位置はなんとなく分かる。
そこを圧迫しては、鼻から息を吹き入れる。
長く繰り返す内に、疲れと絶望がジゼッラを襲う。
「死なないで! ステファノさま! 目を覚まして!」
叫ぶジゼッラに反応したのか、ぽんと軽やかな音がして、ステファノが人間の姿に戻った。
そして盛大に咳き込むと、池の水を吐く。
「げっほ、げほ……げほ、おええええ!」
地に四つ這いになり、頭に水草や藻をつけたまま、ステファノは肩を激しく上下させている。
息をしているその姿に、ジゼッラの頬を、滂沱の涙がこぼれ落ちた。
「……生き返った?」
「ジゼッラ? 俺、死んでないよね?」
自信がなさそうに首を傾げて聞いてくるステファノに、ジゼッラは飛びつく。
「良かった! 助かった!」
「うわ! やっぱり死んだの? これは俺の妄想?」
しっかりジゼッラを抱き留めたステファノは、頬をつねる。
「痛い! 俺、生きてる!」
「生きてる! 生きてる!」
ずぶ濡れの二人は、ひとしきり生存を喜び合った。
そして気がつく。
「なんだか俺、ずいぶん長々と人間の姿じゃない?」
狸だったステファノは、もちろん全裸だ。
ジゼッラがハンカチを手渡すが、それで隠れる部分はほんの僅かで。
「いつ狸に戻るんだろう?」
「目のやり場に困ります」
しばらく待ったが、ステファノは狸には戻らなかった。
「どういうこと?」
「呪いが解けたのでしょうか?」
「死にかけたからかな?」
頭をひねるステファノに、ジゼッラはもう一つの可能性を隠す。
ジゼッラは狸のステファノに人工呼吸をした。
生き返って欲しいと、心からの願いを込めて。
(あれが、愛の口づけに該当したかもしれないなんて……言えないわ)
心細い声で、ステファノを探しているのはジゼッラだ。
いつも一緒の布団で寝ているステファノが、目を覚ますと定位置から消えていた。
「昨日は見かけたけどね」
「今日は聖堂が騒がしいから、どこかに隠れているのかしら?」
「なにしろ、エミリアーナさまがいよいよ、アントニオさまと結婚されるから、その準備で――」
聖女は、婚約しただけでは聖堂から出られない。
そのため婚約期間はしごく短めにして、さっさと結婚する場合が多い。
今回のエミリアーナもそうだ。
アントニオに求められて、数か月足らずでここを出て行く。
(行方が分からないのは、婚礼の準備と関係があるのかしら? ステファノさまの方から、エミリアーナさまに近づくとは思えないけど……)
ジゼッラの予想は的中する。
ステファノはエミリアーナによって捕らえられ、小さな檻に閉じ込められていた。
『何するんだ! ここから出せ!』
「あらあら、元気がいいのね。狸にされて、すっかりしょげていると思っていたのに」
ステファノの言葉は、エミリアーナには通じていない。
何人もの下級聖女たちに聖力を注いでもらったが、言葉が伝わるのはジゼッラだけなのだ。
「なんだか私の知らない内に、下級聖女たちの人気者になっていたみたいね。上級聖女の私がかけた呪いを、大した力もない彼女たちが解けるとは思っていないけど、念には念を入れよと言うし」
エミリアーナは小さな檻を持ち上げると、きょろきょろとベランダから外を見渡した。
「万が一にも人間に戻って、私の行いを暴かれては困るのよ。せっかくアントニオと結婚できるのだから、邪魔されたくないの」
分かるわよね? と言いたげなエミリアーナが、口角を上げて微笑む。
そしておもむろに、ステファノが入った檻を宙へ放り投げた。
『あ、あ、あ……』
きれいな放物線を描いて落ちていく。
その先にあるのは、濁って底の見えない池だ。
「さようなら、用無しの王子さま。あなたに私は、もったいなかったのよ」
貴族や王族から、下にも置かぬ扱いを受ける上級聖女のエミリアーナは、勘違いをしていた。
この世の全ては、なんでも自分の思い通りになると。
バシャン!
小さな檻が、水泡と共に沈んでいくのを見て、満足したエミリアーナは踵を返した。
これから花嫁を迎えにくるアントニオを、白いドレスに着替えて待たなくてはならない。
「きっと素敵な一日になるわ。ああ、アントニオ、愛しい人」
すでに池に背を向け、スキップをしていたエミリアーナは気づかなかった。
ステファノが投げ捨てられた池に、脇目もふらず飛び込んだジゼッラの存在に。
◇◆◇◆
「ステファノさま、しっかりして!」
水底に沈んでしまう前に、ジゼッラは檻を引き上げるのに成功する。
幸いなことに、檻の鍵は石で叩き壊せた。
だが、中から取り出したステファノは、ぐったりとして息をしていない。
「こういうとき、人間なら人工呼吸だけど、それって狸にも有効なのかしら?」
とにかく今は出来ることをするしかない。
顔を横にして水を吐かせてから、ジゼッラは心肺蘇生を始めた。
何度も狸のときに抱き上げていたから、心臓の位置はなんとなく分かる。
そこを圧迫しては、鼻から息を吹き入れる。
長く繰り返す内に、疲れと絶望がジゼッラを襲う。
「死なないで! ステファノさま! 目を覚まして!」
叫ぶジゼッラに反応したのか、ぽんと軽やかな音がして、ステファノが人間の姿に戻った。
そして盛大に咳き込むと、池の水を吐く。
「げっほ、げほ……げほ、おええええ!」
地に四つ這いになり、頭に水草や藻をつけたまま、ステファノは肩を激しく上下させている。
息をしているその姿に、ジゼッラの頬を、滂沱の涙がこぼれ落ちた。
「……生き返った?」
「ジゼッラ? 俺、死んでないよね?」
自信がなさそうに首を傾げて聞いてくるステファノに、ジゼッラは飛びつく。
「良かった! 助かった!」
「うわ! やっぱり死んだの? これは俺の妄想?」
しっかりジゼッラを抱き留めたステファノは、頬をつねる。
「痛い! 俺、生きてる!」
「生きてる! 生きてる!」
ずぶ濡れの二人は、ひとしきり生存を喜び合った。
そして気がつく。
「なんだか俺、ずいぶん長々と人間の姿じゃない?」
狸だったステファノは、もちろん全裸だ。
ジゼッラがハンカチを手渡すが、それで隠れる部分はほんの僅かで。
「いつ狸に戻るんだろう?」
「目のやり場に困ります」
しばらく待ったが、ステファノは狸には戻らなかった。
「どういうこと?」
「呪いが解けたのでしょうか?」
「死にかけたからかな?」
頭をひねるステファノに、ジゼッラはもう一つの可能性を隠す。
ジゼッラは狸のステファノに人工呼吸をした。
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