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14話 王家の紋章がついた馬車
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「フリッツさん、それではエアハルトさんの婚約の話は……」
「概ね当たっています。ですがデレクは、前半部分しか聞いていなかったようですね」
今週もエアハルトからの手紙は届いていなかった、と知らせに来たフリッツへ、クラーラは胸中でくすぶる疑問をぶつけた。
「そもそも、ハルはクラーラちゃんに、帰国する理由をきちんと話していなかったのですね?」
「実は同じ日に、エアハルトさんのお姉さんも修道院へいらっしゃって……あまり話せない内に、お二人と別れてしまったのです」
「そうだったんですか。デレクが聞いた話の後半部分はこうです。末姫さまからの婚約の申し出を断るために、ハルはキースリング国へ帰りました。というのも、爵位を持っていないハルのもとへ末姫さまが降嫁するには、ハルと末姫さまが相思相愛でなくてはならない、という前提条件が国王陛下から出されているのです」
「相思相愛に……」
「ハルは断ったらすぐに、戻ってくるつもりだったと思います。ハルの心がどこにあるのか、知っていますよね?」
フリッツに意味深に聞かれ、クラーラはハッとする。
エアハルトの気持ちを疑ったことはない。
ただ、王家からの打診を、すんなり断れるのかと不安だったのだ。
「キースリング国でも、王家の力は強いのでしょうか? もしかしてエアハルトさんは、婚約を断りにくい状況になったのでは……」
「僕もそれを考えました。王城に滞在しているというのも、そのまま鵜呑みにはできません。もしかしたら軟禁、いや監禁に近い環境に、留め置かれているのかもしれません」
「監禁……そこまで?」
「ハルは辺境伯家の跡取りとして育てられました。そこいらの騎士には、剣でも拳でも負けません。それがずっと王城で大人しくしているなど、余程の理由があるとしか思えません」
フリッツの深刻な表情に、クラーラの胸が痛む。
「エアハルトさん、どうか無事で……」
祈るしかできない我が身が呪わしい。
こんな思いは初めてだった。
「ハルの危機に、カロリーネさまや御夫君のローラントさまも、気がついているはずです。あの二人が、ただ手をこまねいているとも考えにくいので、何かしらの策を講じているでしょう」
今はそれを待つしかないのか。
ぎゅっとクラーラが下唇を噛みしめたとき、修道院の門の方から子どもたちの喧騒が聞こえた。
「何かあったみたいです。ちょっと見てきます」
立ち上がったクラーラに続き、フリッツも後を追う。
以前、バリーがそこで啖呵を切って、クラーラが倒れたと聞いた。
細腕のフリッツだが、これでも男だ。
クラーラを背にかばうくらいはできる。
しかし、門に辿り着いたフリッツの眼前にあったのは――。
「オルコット王家の紋章がついた馬車が、どうして修道院に?」
きらきらした美しい装飾の車体に、子どもたちは大喜びだ。
御者はしっかりと手綱を握り、馬が興奮して暴れないよう制御している。
そして、ここにいる誰よりも立派な礼服を来た初老の使者が馬車を降り、恭しく頭を下げた。
「お迎えに上がりました、クラーラ殿下。国王陛下がお呼びでございます」
騒ぎを聞きつけて、院長のドリスもやってくる。
ドリスは馬車の紋章を見て、ほっと息をつく。
「ようやく、クラーラの安全が確保されたのですね」
「たいへん遅くなりましたことを、お詫び申し上げます」
使者はドリスへも深々と頭を下げる。
状況が分かっていないのはフリッツだけだ。
「これは……一体?」
動揺しているフリッツの隣から、スッとクラーラが前へ出る。
「お兄さまが私を? どうして今になって……」
「クラーラ殿下のご質問には、国王陛下が直々にご返答されます。今はただ一刻も早くお会いしたいと、お望みでいらっしゃいます」
使者はクラーラへ手を差し伸べた。
馬車へとエスコートしようというのだ。
クラーラはついと馬車を見る。
(これよりも、もっと小さな馬車で王城から抜け出した。お父さまの腕に抱き締められて、夜の闇の中を――)
じわり、と胸の奥からせり上がるものがある。
だが、それをぐっと押し戻し、クラーラは男性の手をとった。
それを見たフリッツが、呆然と呟く。
「クラーラちゃんは……王妹だったのですか?」
「あなたのご主人は、それを知っていましたよ」
ドリスが狼狽えるフリッツに説明している。
馬車に乗る前に、クラーラは後ろを振り返った。
「院長先生、行ってまいります」
背筋を伸ばしたその姿には、怯えていた10歳の少女の面影はない。
それをドリスは眩しく見つめる。
しかし子どもたちは突然の出来事を理解できない。
「クラーラお姉ちゃん、どこかに行くの?」
「お迎えが来たんだから、きっと家に帰るのよ」
馬車を見ていた子どもたちが、わらわらと足元へやってきた。
クラーラはふわりと微笑むと、その場へしゃがみ込む。
目の高さを子どもたちに合わせて、ひとりひとり顔を見て挨拶をした。
「みんなと離れるのは、寂しいわ。また会いに来るから、元気でいてね。たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん学んでね。そして朝までしっかり眠るのよ。院長先生のお手伝いを、任せたわね。私とゆびきりで約束、できるかな?」
「できるー!」
「私も!」
「僕だって!」
クラーラの細い小指に、子どもたちの小さな指が絡まる。
これが今生の別れではないが、そう思っていなくても最後になることもある。
それを知っているクラーラは、子どもたちとの別れに時間をかけた。
子どもたちが見送る体勢になると、クラーラはフリッツへ向き直る。
「フリッツさん、私は今日から王妹として、オルコット王家へ戻ります。そして……王族として、キースリング国へ手紙を出してみます」
「っ……! クラーラちゃん、ハルのこと、よろしくお願いします」
フリッツが真っすぐに立った状態から、直角に腰を負って頭を下げた。
キースリング国の貴族には侵せない領域へも、他国とは言え、王族であれば踏み込めるかもしれない。
今はそれに賭けるしかなかった。
「お待たせしました。お兄さまのもとへ参ります」
クラーラが美しい所作で馬車へ乗る。
ついさきほどまで、子どもたちと遊んでいた見習いシスターとは思えない。
(それもこれも、院長先生のおかげ。私は顔をうつむかせることなく、王城へ入っていける)
がたん――。
クラーラを乗せた馬車が動き出す。
窓から顔を覗かせ、クラーラは子どもたちとドリスへ手を振った。
子どもたちの表情は悲喜こもごもだが、毅然と立つドリスの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
自分の命のある内に、クラーラを護り通すという使命を果たしたのだ。
それは嬉し涙に違いない。
(ありがとうございます、院長先生、みんな。おかげで私は、ひとりぼっちじゃなかった)
王城へ戻る日がくるとは思っていなかったが、最適なタイミングだ。
(エアハルトさんについて、何か分かるかもしれない。それだけでも、王城へ戻る価値はある)
まだ王太后となったダイアナへの恐怖心は消えていない。
そして疎遠だった兄ベンジャミンの思惑も分からない。
しかしクラーラは、自分で考えて動くと決めた。
エアハルトのために、今、クラーラができることは――。
(見習いシスターのままでは、祈るしかなかった。でも王族という肩書があれば……選択肢が広がる)
間違っていないはずだ。
微かに震える手を、ぎゅっと握りしめる。
(エアハルトさん、私はあなたの隣に立ちたい。だから頑張ります)
クラーラは前を向く。
王女から見習いシスターになったときも、躓きながらひとつひとつ学んでいった。
ドリスや子どもたちに助けられながら、今日まで生きてきた。
温かかった修道院と孤児院への里心はある。
(それでも院長先生やみんなに、恥ずかしくない私でありたい)
馬車はまもなく、王城の門をくぐった。
ここからはクラーラだけの戦いが始まる。
「概ね当たっています。ですがデレクは、前半部分しか聞いていなかったようですね」
今週もエアハルトからの手紙は届いていなかった、と知らせに来たフリッツへ、クラーラは胸中でくすぶる疑問をぶつけた。
「そもそも、ハルはクラーラちゃんに、帰国する理由をきちんと話していなかったのですね?」
「実は同じ日に、エアハルトさんのお姉さんも修道院へいらっしゃって……あまり話せない内に、お二人と別れてしまったのです」
「そうだったんですか。デレクが聞いた話の後半部分はこうです。末姫さまからの婚約の申し出を断るために、ハルはキースリング国へ帰りました。というのも、爵位を持っていないハルのもとへ末姫さまが降嫁するには、ハルと末姫さまが相思相愛でなくてはならない、という前提条件が国王陛下から出されているのです」
「相思相愛に……」
「ハルは断ったらすぐに、戻ってくるつもりだったと思います。ハルの心がどこにあるのか、知っていますよね?」
フリッツに意味深に聞かれ、クラーラはハッとする。
エアハルトの気持ちを疑ったことはない。
ただ、王家からの打診を、すんなり断れるのかと不安だったのだ。
「キースリング国でも、王家の力は強いのでしょうか? もしかしてエアハルトさんは、婚約を断りにくい状況になったのでは……」
「僕もそれを考えました。王城に滞在しているというのも、そのまま鵜呑みにはできません。もしかしたら軟禁、いや監禁に近い環境に、留め置かれているのかもしれません」
「監禁……そこまで?」
「ハルは辺境伯家の跡取りとして育てられました。そこいらの騎士には、剣でも拳でも負けません。それがずっと王城で大人しくしているなど、余程の理由があるとしか思えません」
フリッツの深刻な表情に、クラーラの胸が痛む。
「エアハルトさん、どうか無事で……」
祈るしかできない我が身が呪わしい。
こんな思いは初めてだった。
「ハルの危機に、カロリーネさまや御夫君のローラントさまも、気がついているはずです。あの二人が、ただ手をこまねいているとも考えにくいので、何かしらの策を講じているでしょう」
今はそれを待つしかないのか。
ぎゅっとクラーラが下唇を噛みしめたとき、修道院の門の方から子どもたちの喧騒が聞こえた。
「何かあったみたいです。ちょっと見てきます」
立ち上がったクラーラに続き、フリッツも後を追う。
以前、バリーがそこで啖呵を切って、クラーラが倒れたと聞いた。
細腕のフリッツだが、これでも男だ。
クラーラを背にかばうくらいはできる。
しかし、門に辿り着いたフリッツの眼前にあったのは――。
「オルコット王家の紋章がついた馬車が、どうして修道院に?」
きらきらした美しい装飾の車体に、子どもたちは大喜びだ。
御者はしっかりと手綱を握り、馬が興奮して暴れないよう制御している。
そして、ここにいる誰よりも立派な礼服を来た初老の使者が馬車を降り、恭しく頭を下げた。
「お迎えに上がりました、クラーラ殿下。国王陛下がお呼びでございます」
騒ぎを聞きつけて、院長のドリスもやってくる。
ドリスは馬車の紋章を見て、ほっと息をつく。
「ようやく、クラーラの安全が確保されたのですね」
「たいへん遅くなりましたことを、お詫び申し上げます」
使者はドリスへも深々と頭を下げる。
状況が分かっていないのはフリッツだけだ。
「これは……一体?」
動揺しているフリッツの隣から、スッとクラーラが前へ出る。
「お兄さまが私を? どうして今になって……」
「クラーラ殿下のご質問には、国王陛下が直々にご返答されます。今はただ一刻も早くお会いしたいと、お望みでいらっしゃいます」
使者はクラーラへ手を差し伸べた。
馬車へとエスコートしようというのだ。
クラーラはついと馬車を見る。
(これよりも、もっと小さな馬車で王城から抜け出した。お父さまの腕に抱き締められて、夜の闇の中を――)
じわり、と胸の奥からせり上がるものがある。
だが、それをぐっと押し戻し、クラーラは男性の手をとった。
それを見たフリッツが、呆然と呟く。
「クラーラちゃんは……王妹だったのですか?」
「あなたのご主人は、それを知っていましたよ」
ドリスが狼狽えるフリッツに説明している。
馬車に乗る前に、クラーラは後ろを振り返った。
「院長先生、行ってまいります」
背筋を伸ばしたその姿には、怯えていた10歳の少女の面影はない。
それをドリスは眩しく見つめる。
しかし子どもたちは突然の出来事を理解できない。
「クラーラお姉ちゃん、どこかに行くの?」
「お迎えが来たんだから、きっと家に帰るのよ」
馬車を見ていた子どもたちが、わらわらと足元へやってきた。
クラーラはふわりと微笑むと、その場へしゃがみ込む。
目の高さを子どもたちに合わせて、ひとりひとり顔を見て挨拶をした。
「みんなと離れるのは、寂しいわ。また会いに来るから、元気でいてね。たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん学んでね。そして朝までしっかり眠るのよ。院長先生のお手伝いを、任せたわね。私とゆびきりで約束、できるかな?」
「できるー!」
「私も!」
「僕だって!」
クラーラの細い小指に、子どもたちの小さな指が絡まる。
これが今生の別れではないが、そう思っていなくても最後になることもある。
それを知っているクラーラは、子どもたちとの別れに時間をかけた。
子どもたちが見送る体勢になると、クラーラはフリッツへ向き直る。
「フリッツさん、私は今日から王妹として、オルコット王家へ戻ります。そして……王族として、キースリング国へ手紙を出してみます」
「っ……! クラーラちゃん、ハルのこと、よろしくお願いします」
フリッツが真っすぐに立った状態から、直角に腰を負って頭を下げた。
キースリング国の貴族には侵せない領域へも、他国とは言え、王族であれば踏み込めるかもしれない。
今はそれに賭けるしかなかった。
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がたん――。
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子どもたちの表情は悲喜こもごもだが、毅然と立つドリスの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
自分の命のある内に、クラーラを護り通すという使命を果たしたのだ。
それは嬉し涙に違いない。
(ありがとうございます、院長先生、みんな。おかげで私は、ひとりぼっちじゃなかった)
王城へ戻る日がくるとは思っていなかったが、最適なタイミングだ。
(エアハルトさんについて、何か分かるかもしれない。それだけでも、王城へ戻る価値はある)
まだ王太后となったダイアナへの恐怖心は消えていない。
そして疎遠だった兄ベンジャミンの思惑も分からない。
しかしクラーラは、自分で考えて動くと決めた。
エアハルトのために、今、クラーラができることは――。
(見習いシスターのままでは、祈るしかなかった。でも王族という肩書があれば……選択肢が広がる)
間違っていないはずだ。
微かに震える手を、ぎゅっと握りしめる。
(エアハルトさん、私はあなたの隣に立ちたい。だから頑張ります)
クラーラは前を向く。
王女から見習いシスターになったときも、躓きながらひとつひとつ学んでいった。
ドリスや子どもたちに助けられながら、今日まで生きてきた。
温かかった修道院と孤児院への里心はある。
(それでも院長先生やみんなに、恥ずかしくない私でありたい)
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