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4話 金づちを揮う美少女
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「それは……金づちだよな? クラーラには、危ないのではないか?」
「もう何度もしてるから、大丈夫です」
柄がすっぽ抜けないよう再び革の手袋をしたクラーラは、石窯から取り出した牛骨へそれを振り下ろす。
ゴッ……ゴッ……
美少女が焼けた骨に金づちを揮う姿は、奇怪だった。
しかしエアハルトは、そんなクラーラにもドキドキしてしまう。
(どうしたんだ、俺の心臓は。さっきから動悸が止まらない)
ときめいていた相手は、スープだけではなかったのだ。
「骨髄から、エキスが出るのだと教わりました。私の牛骨スープのレシピは、精肉店のおかみさんが考案者なんです」
エアハルトの混迷を知らないクラーラは、太い骨をあらかた割り終わると大鍋に移す。
「ここで、玉ねぎの皮の出番です。先ほど剥いたものを、取ってもらえますか?」
「あ、ああ。どうぞ」
クラーラに見とれていたエアハルトは、慌てて布袋に詰められた皮を渡す。
「これを鍋に入れて煮ます。あとは具材ですね。今日は蕪だったから、明日はニンジンにしようかしら」
「ニンジンか……栄養があるらしいね」
エアハルトの声音が硬くなったのを、クラーラは敏感に察知する。
「その反応……もしかして、ニンジンが苦手なんですか?」
「いや、食べられないなんてことはないよ。ニンジンくらい……俺は大人だからね!」
「おやおや? ハルはいつから、ニンジンを食べられるようになったんです? 朝食に出たグラッセは避けてましたよねえ?」
割り込んできた声の方を見ると、にやにやしたフリッツが立っていた。
戻ってこないエアハルトにしびれを切らし、厨房まで覗きに来たのだ。
暴露された内容に、エアハルトは焦る。
「あのニンジンは、甘そうだったから! 朝に食べなくてもいいかなって、思っただけで……!」
「ニンジンが苦手な人、多いですよね」
クラーラに優しく援護されて、エアハルトは言葉を詰まらせる。
「子どもだったら、グラッセみたいに甘くしたほうが食べてくれますが、大人はそれでは誤魔化せないですから――」
どうにかニンジンを食べられるように調理できないか思案しているらしいクラーラに、エアハルトは慌てる。
「大丈夫だから! ニンジンを食べなくても、俺はこんなに大きくなったし!」
「うふふ、たしかにエアハルトさんは大きいですね」
クラーラの気を反らせたことに、エアハルトはホッとする。
服を着ていても、筋肉が盛り上がっているのが分かる逞しい体は、辺境伯領で鍛えられた証だ。
代々、国境を護る任についているだけあって、領民たちは基本的にエアハルトのような体格をしている。
「僕みたいなひょろりとした痩躯は、地元では珍しいんですよ。周りはエアハルトのように、肉壁みたいなのばっかりで」
フリッツの例えにクラーラが噴き出した。
ちょうどエアハルトが力こぶを作って見せていたので、容易に想像ができたのだろう。
「フリッツ! 肉壁はないだろう!? 強靭な精神は強靭な肉体に宿ると――」
「はいはい、そう教えられて育つんですよね。ハルの家系は、筋肉至上主義みたいなとこがあるんですよ」
主従の遠慮のない会話に、クラーラはお腹を抱えて笑った。
こんなにおかしいのは、いつぶりだろう。
修道院でひっそりと生活していると、なかなか年の近い人と触れ合う機会がない。
院長のドリスは40歳も年上だし、子どもたちはまだ未成年だ。
気兼ねなく話せる同世代というのが、こんなにも気分を軽くするのだと、クラーラは初めて知った。
涙を流して笑うクラーラに、エアハルトはまたしても目が吸い寄せられる。
(ああ、俺はクラーラのことが――)
出会ったその日ではあるけれど、エアハルトはもう認めるしかなかった。
◇◆◇◆
夕食までご馳走になるわけにはいかず、エアハルトとフリッツは孤児院を後にした。
名残惜しんでくれた子どもたちへ、必ずまた遊びにくると約束をして。
「ハル、思っていた以上に長居してしまいましたね。今日はもっと、オルコット王国の市場調査をするはずだったのに」
「この寄り道は、して良かったと思っている。……俺は少し、考え方を改めたほうがいいのかもしれない」
「というと?」
陽が沈み始めた空を見上げ、エアハルトはくすぶる胸の内を打ち明ける。
「俺は、自分の未来の可能性を模索するには、世界中を見て回るのが最適だと思っていた。だから姉夫婦に爵位を譲ったあと、ベルンシュタイン領を飛び出したが……」
「間違ってないと思いますよ。領地しか知らなかった頃より、国外へ出てみて視野はうんと広がったでしょう?」
「だが、浅かったと気づいた。表面的にさらうだけじゃ、駄目なんだ」
うまく説明できなくて、もどかしいのだろう。
途切れ途切れになりながらも、エアハルトは一生懸命に言葉を紡ぐ。
「何と言うか、もっと人との付き合いを学びたいと思った。事業っていうのは、相手がいるから成り立つんだって、そんな基本的なことも俺は分かっていなかった」
「今日の触れ合いを通して、そこに気がついたんですね」
2歳年上のフリッツが、お兄さんぶって頷く。
エアハルトの猪突猛進な性格は、長所でもあり短所でもある。
クラーラに惚れたらしいエアハルトが、盲目になったわけではないと知って、フリッツはひとまず安心した。
「考えなしだとカロリーネさまに罵倒されていたハルが、よくぞ成長してくれました」
「姉さんは、そこまで言ってないだろう?」
「同じような意味合いでしたよ」
しょぼんとするエアハルトだが、将来の辺境伯として今まで育てられたのだ。
思考が偏っているのも、仕方がない部分もある。
「ハルが成功するには、これまで研鑽してきた辺境伯家の当主としての技能とは、違う技能が必要なんです。金勘定ができればいいって訳でもない、先が読めればいいって訳でもない、人脈があればいいって訳でもない。商業であれ産業であれ、人は何に対してお金を払うのかを理解していないと、会社を興しても根付くことは難しいでしょう」
フリッツに説かれ、納得したエアハルトも神妙に頷く。
誰かの役に立ちたいと、漠然と考えていたが、それでは駄目なのだ。
もっと具体的に、何をどうしたら誰を助けられるのか、そこまで計画を立てなくてはならない。
「今後の予定はどうしましょう? オルコット王国の城下町に腰を据えて、しばらく過ごしてみますか?」
本来であれば、数日後には発つはずだった。
そしてまた違う国を、旅して回ろうとしていたのだが。
「ここ数年で急に不況になったオルコット王国が、どう立て直しを図るのか、それを見るのも勉強になると思っている。それと……傲り高ぶっているつもりはないんだが、できれば孤児院にいた子どもたちが働ける場所を、俺がつくれたらいいと考えていて……」
やや照れくさそうに話すエアハルトに、フリッツは目を見開く。
まさか、もうそこまで子どもたちに情が移っていたとは思わなかった。
「では、会社を興す国は、オルコット王国に決めるのですね?」
「可能であれば、そうしたい」
巧遅拙速と言うが、それはエアハルトにも当てはまる。
辺境伯家という出自を捨てて裸一貫、見知らぬ土地で事業を始めようというのだ。
失敗を恐れて手をこまねくよりも、若いうちはしくじり上等と突き進んだほうがいい。
「それならば、今後はもっとオルコット王国の文化に触れ、人々の生活を観察し、何をしたら喜ばれるのか研究する必要がありますね」
「うん。それで……できたら拠点を、あの修道院と孤児院の近くにしたいんだが……」
これから戻ろうとしているホテルは、城下町の端っこにある修道院からは程遠い。
それはエアハルトの身に何かあってはいけないと、フリッツがなるべく治安のいい場所を選んだからだ。
しかしエアハルトはもう、オルコット王国に留まると決めた。
「分かりました。ホテルではなく、事務所兼住居になるような物件を探しましょう」
「ありがとう、助かる。なあフリッツ、今日のスープのお礼に孤児院へ物資を持っていくとしたら、何が喜ばれるだろうか?」
クラーラや子どもたちが何を欲しているのか、エアハルトは真剣に悩む。
これも事業のためになると、フリッツは一緒になって考えた。
「そこで直接、お金を渡そうとしないのは、いい配慮ですよ」
「さすがに俺も、それは失礼だと分かってる。院長やクラーラのもてなしに対して、金銭的な価値はつけられないだろう?」
エアハルトよりは世間を知っているフリッツだが、それでも故郷での身分は伯爵家令息だ。
一般的な庶民への贈り物として何が相応しいのか、ふたりはさんざん頭をひねるのだった。
「もう何度もしてるから、大丈夫です」
柄がすっぽ抜けないよう再び革の手袋をしたクラーラは、石窯から取り出した牛骨へそれを振り下ろす。
ゴッ……ゴッ……
美少女が焼けた骨に金づちを揮う姿は、奇怪だった。
しかしエアハルトは、そんなクラーラにもドキドキしてしまう。
(どうしたんだ、俺の心臓は。さっきから動悸が止まらない)
ときめいていた相手は、スープだけではなかったのだ。
「骨髄から、エキスが出るのだと教わりました。私の牛骨スープのレシピは、精肉店のおかみさんが考案者なんです」
エアハルトの混迷を知らないクラーラは、太い骨をあらかた割り終わると大鍋に移す。
「ここで、玉ねぎの皮の出番です。先ほど剥いたものを、取ってもらえますか?」
「あ、ああ。どうぞ」
クラーラに見とれていたエアハルトは、慌てて布袋に詰められた皮を渡す。
「これを鍋に入れて煮ます。あとは具材ですね。今日は蕪だったから、明日はニンジンにしようかしら」
「ニンジンか……栄養があるらしいね」
エアハルトの声音が硬くなったのを、クラーラは敏感に察知する。
「その反応……もしかして、ニンジンが苦手なんですか?」
「いや、食べられないなんてことはないよ。ニンジンくらい……俺は大人だからね!」
「おやおや? ハルはいつから、ニンジンを食べられるようになったんです? 朝食に出たグラッセは避けてましたよねえ?」
割り込んできた声の方を見ると、にやにやしたフリッツが立っていた。
戻ってこないエアハルトにしびれを切らし、厨房まで覗きに来たのだ。
暴露された内容に、エアハルトは焦る。
「あのニンジンは、甘そうだったから! 朝に食べなくてもいいかなって、思っただけで……!」
「ニンジンが苦手な人、多いですよね」
クラーラに優しく援護されて、エアハルトは言葉を詰まらせる。
「子どもだったら、グラッセみたいに甘くしたほうが食べてくれますが、大人はそれでは誤魔化せないですから――」
どうにかニンジンを食べられるように調理できないか思案しているらしいクラーラに、エアハルトは慌てる。
「大丈夫だから! ニンジンを食べなくても、俺はこんなに大きくなったし!」
「うふふ、たしかにエアハルトさんは大きいですね」
クラーラの気を反らせたことに、エアハルトはホッとする。
服を着ていても、筋肉が盛り上がっているのが分かる逞しい体は、辺境伯領で鍛えられた証だ。
代々、国境を護る任についているだけあって、領民たちは基本的にエアハルトのような体格をしている。
「僕みたいなひょろりとした痩躯は、地元では珍しいんですよ。周りはエアハルトのように、肉壁みたいなのばっかりで」
フリッツの例えにクラーラが噴き出した。
ちょうどエアハルトが力こぶを作って見せていたので、容易に想像ができたのだろう。
「フリッツ! 肉壁はないだろう!? 強靭な精神は強靭な肉体に宿ると――」
「はいはい、そう教えられて育つんですよね。ハルの家系は、筋肉至上主義みたいなとこがあるんですよ」
主従の遠慮のない会話に、クラーラはお腹を抱えて笑った。
こんなにおかしいのは、いつぶりだろう。
修道院でひっそりと生活していると、なかなか年の近い人と触れ合う機会がない。
院長のドリスは40歳も年上だし、子どもたちはまだ未成年だ。
気兼ねなく話せる同世代というのが、こんなにも気分を軽くするのだと、クラーラは初めて知った。
涙を流して笑うクラーラに、エアハルトはまたしても目が吸い寄せられる。
(ああ、俺はクラーラのことが――)
出会ったその日ではあるけれど、エアハルトはもう認めるしかなかった。
◇◆◇◆
夕食までご馳走になるわけにはいかず、エアハルトとフリッツは孤児院を後にした。
名残惜しんでくれた子どもたちへ、必ずまた遊びにくると約束をして。
「ハル、思っていた以上に長居してしまいましたね。今日はもっと、オルコット王国の市場調査をするはずだったのに」
「この寄り道は、して良かったと思っている。……俺は少し、考え方を改めたほうがいいのかもしれない」
「というと?」
陽が沈み始めた空を見上げ、エアハルトはくすぶる胸の内を打ち明ける。
「俺は、自分の未来の可能性を模索するには、世界中を見て回るのが最適だと思っていた。だから姉夫婦に爵位を譲ったあと、ベルンシュタイン領を飛び出したが……」
「間違ってないと思いますよ。領地しか知らなかった頃より、国外へ出てみて視野はうんと広がったでしょう?」
「だが、浅かったと気づいた。表面的にさらうだけじゃ、駄目なんだ」
うまく説明できなくて、もどかしいのだろう。
途切れ途切れになりながらも、エアハルトは一生懸命に言葉を紡ぐ。
「何と言うか、もっと人との付き合いを学びたいと思った。事業っていうのは、相手がいるから成り立つんだって、そんな基本的なことも俺は分かっていなかった」
「今日の触れ合いを通して、そこに気がついたんですね」
2歳年上のフリッツが、お兄さんぶって頷く。
エアハルトの猪突猛進な性格は、長所でもあり短所でもある。
クラーラに惚れたらしいエアハルトが、盲目になったわけではないと知って、フリッツはひとまず安心した。
「考えなしだとカロリーネさまに罵倒されていたハルが、よくぞ成長してくれました」
「姉さんは、そこまで言ってないだろう?」
「同じような意味合いでしたよ」
しょぼんとするエアハルトだが、将来の辺境伯として今まで育てられたのだ。
思考が偏っているのも、仕方がない部分もある。
「ハルが成功するには、これまで研鑽してきた辺境伯家の当主としての技能とは、違う技能が必要なんです。金勘定ができればいいって訳でもない、先が読めればいいって訳でもない、人脈があればいいって訳でもない。商業であれ産業であれ、人は何に対してお金を払うのかを理解していないと、会社を興しても根付くことは難しいでしょう」
フリッツに説かれ、納得したエアハルトも神妙に頷く。
誰かの役に立ちたいと、漠然と考えていたが、それでは駄目なのだ。
もっと具体的に、何をどうしたら誰を助けられるのか、そこまで計画を立てなくてはならない。
「今後の予定はどうしましょう? オルコット王国の城下町に腰を据えて、しばらく過ごしてみますか?」
本来であれば、数日後には発つはずだった。
そしてまた違う国を、旅して回ろうとしていたのだが。
「ここ数年で急に不況になったオルコット王国が、どう立て直しを図るのか、それを見るのも勉強になると思っている。それと……傲り高ぶっているつもりはないんだが、できれば孤児院にいた子どもたちが働ける場所を、俺がつくれたらいいと考えていて……」
やや照れくさそうに話すエアハルトに、フリッツは目を見開く。
まさか、もうそこまで子どもたちに情が移っていたとは思わなかった。
「では、会社を興す国は、オルコット王国に決めるのですね?」
「可能であれば、そうしたい」
巧遅拙速と言うが、それはエアハルトにも当てはまる。
辺境伯家という出自を捨てて裸一貫、見知らぬ土地で事業を始めようというのだ。
失敗を恐れて手をこまねくよりも、若いうちはしくじり上等と突き進んだほうがいい。
「それならば、今後はもっとオルコット王国の文化に触れ、人々の生活を観察し、何をしたら喜ばれるのか研究する必要がありますね」
「うん。それで……できたら拠点を、あの修道院と孤児院の近くにしたいんだが……」
これから戻ろうとしているホテルは、城下町の端っこにある修道院からは程遠い。
それはエアハルトの身に何かあってはいけないと、フリッツがなるべく治安のいい場所を選んだからだ。
しかしエアハルトはもう、オルコット王国に留まると決めた。
「分かりました。ホテルではなく、事務所兼住居になるような物件を探しましょう」
「ありがとう、助かる。なあフリッツ、今日のスープのお礼に孤児院へ物資を持っていくとしたら、何が喜ばれるだろうか?」
クラーラや子どもたちが何を欲しているのか、エアハルトは真剣に悩む。
これも事業のためになると、フリッツは一緒になって考えた。
「そこで直接、お金を渡そうとしないのは、いい配慮ですよ」
「さすがに俺も、それは失礼だと分かってる。院長やクラーラのもてなしに対して、金銭的な価値はつけられないだろう?」
エアハルトよりは世間を知っているフリッツだが、それでも故郷での身分は伯爵家令息だ。
一般的な庶民への贈り物として何が相応しいのか、ふたりはさんざん頭をひねるのだった。
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