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4話 やがて蝶になる

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「かなりのペースで成績が上がっています。ただ、おふたりがどんなに頑張っても、一年間では限界があります」



 教官のクレメンテが、側近のブラスに近況報告をしていた。



「ということは、一年目の試験は、レグロ殿下に軍配が上がりそうか」

「おそらくはそうなるでしょう。レグロ殿下は幼少の頃から、いくつもの言語を積極的に習得されています。それは一年間の学習で追いつけるものではありません」

「そうだろうな。あの方も努力家ではあるのだ。ただ、その目的が……」



 ブラスがそこで言葉を途切れさせた。

 クレメンテが心中を察する。

 ほぼ決定と思われていたレグロの王太子就任に、異を唱えたのはブラスだ。



「果たして、国民のためにその才をつかうだろうか?」



 レグロがちらりと見せる、自己中心的な部分が、どうしてもブラスには引っかかったのだ。

 国王や王妃とも話し合い、双子の王子の素質を見極めるため、異例の選定試験が設けられた。



 人は変われる。

 だから期間を長く据えて、三年とした。

 さらには、人生を共にする者と手を取りあって、協力する姿勢も点数化しようと決めた。

 果たして、これで選ばれるのはどちらの王子と婚約者なのか。



「今後も、見守りを続けてくれ。どちらの王子殿下も公平に評価したい」

「かしこまりました」



 そして一年目の試験の日がやってきた。



 ◇◆◇◆



 レグロはオリビアの手を引き、見事なエスコートで試験会場へと入ってきた。

 ふたりの距離は密着と言っていいほど近く、その仲の良さをうかがわせる。

 すでに会場の中では、数名の審査官が椅子に腰かけ、試験の開始を待っていた。



「レグロ殿下、オリビア嬢、こちらへどうぞ」



 ブラスの勧めに従って、ふたりは用意されていた席へ座る。

 そしてソートレル語とフォルミーカ語による会話が始まった。



 審査官の質問のほとんどに答えたのはレグロだ。

 ソートレル語もフォルミーカ語も流暢なレグロは、さすがにそつがない。

 オリビアも会話は聞き取れているのだろう、合間に相槌を打つ。

 審査官のほとんどが、この試験に満点をつけた。



 入れ替わるように、ノエミとアマンドが呼ばれる。

 ブラスによって、先ほどまでレグロたちが座っていた席へ案内された。

 

「あら? 審査官の中に、クレメンテ先生がいるわ」

「本当だ。なんだかいつもの授業みたいだね」



 緊張していたノエミとアマンドだったが、ふっと肩の力が抜けた。

 そしてふたりは、一年間、必死に勉強した成果を披露する。

 ソートレル語はノエミが、フォルミーカ語はアマンドが答えた。

 分からないところはふたりで相談し、こうじゃないかと思われる回答をした。

 一年間で身につけたにしては、上出来だっただろう。

 しかし、レグロたちには到底及ばなかった。



 ◇◆◇◆



 試験の結果が発表され、喜ぶレグロとオリビアの横で、ノエミとアマンドは意気消沈していた。



「ごめんね、アマンド。あの回答、間違ってたかも」

「ううん、僕だって。自信がないとこ、あったんだ」



 がっかりしたが、顔を見合わせれば、自然と笑みが浮かんだ。

 そして次には、試験を戦い抜いた互いを称え合う。



「私たち、けっこう頑張れたよね」

「最初の小テストの点数、覚えてる?」

「そうよ、あれに比べたら、すごいわ!」

「躍進してるよ、僕たち」



 ふにゃりと笑うアマンドに、ノエミは癒された。

 まだ二年ある。

 諦めるには早い。



「よーし、次の年も頑張るわよ!」



 力こぶをつくるノエミは、王城で過ごした一年のおかげで、かなり姿かたちが変化していた。

 髪や肌の艶が良くなり、健康的で女性らしい体つきになったのだ。

 レグロがそれに気づき、目を見開いたのをアマンドは見逃さなかった。



「ノエミ、今日も一緒に勉強しよう」

「いいわよ、私の部屋でする?」



 アマンドはノエミを急かして、会場から出る。

 扉が閉まるまで、ノエミの後ろ姿を、レグロの視線が追っていた。

 

(ノエミは僕の婚約者だ。レグロには渡さない)



 廊下に出るときゅっと下唇を噛んで、アマンドはノエミの手を握った。

 レグロに奪われたくないという思いが、そうさせた。

 幼虫がさなぎになり、蝶になるように、ノエミは段々と美しくなっている。



(このまま僕を置いて、どこかへ飛んで行ってしまわないだろうか?)

 

 もうアマンドは、ノエミを恋い慕う自分の気持ちに、自覚があった。

 

「急にどうしたの?」

「ノエミがどこかへ行きそうで……」



 もごもごと話すアマンドの頬は赤い。

 離したくないのだ、と握る力の強さが訴えている。

 つられてノエミの頬まで赤くなった。



「心配なら、手をつないでいても、いいわよ」

「そ、そう? じゃあ僕、これからはノエミと手をつないで歩くよ」



 アマンドの言葉に、ノエミは頷いた。

 ノエミだって、アマンドを嫌っているわけじゃない。

 むしろ――。



「次の年の試験の内容、何かしらね?」

「きっと、クレメンテ先生が教えてくれるよ」



 初々しい婚約者たちは、ふわふわした足取りで、ノエミの部屋へと向かうのだった。



 ◇◆◇◆



(あれが兄上の婚約者のノエミだと? ずいぶんと外見が変わったじゃないか)



 がりがりで平らだった体が、女らしい曲線を描いていた。

 すらりとした長身に、濃い紫色の上品なドレスが映えて、思わずレグロの眼が吸い寄せられてしまった。

 涼やかなノエミには、華やかなオリビアとは違った魅力があったのだ。

 ジッと一点を見つめて動かないレグロの腕を、オリビアが揺さぶる。



「レグロさま? ブラスさまが、次の年の試験内容を説明するそうです」

「あ、ああ、聞いておかないとね。どうせ来年も、僕たちが勝つだろうけど」



 オリビアに促され、ようやくノエミが去った扉から視線を戻す。

 しかし、レグロはブラスの話を聞きながらも、頭の中ではノエミの姿を思い出していた。



(兄上はもっぱら、婚約者の部屋に入り浸りだと言う。もしかして、ふたりの間には、すでに体の関係があるのか? だからあんなにノエミは、色っぽい体つきになったのではないだろうか)



 ちらりと、隣にいるオリビアの様子を盗み見る。

 レグロの背の高さならば、いつでもオリビアの豊かな胸の谷間が見えた。



(僕たちも、もう少し関係を進めてみようか。怖がらせないように、初めは服の上から優しく触って――)



 オリビアも16歳になった。

 性に興味を持っても、おかしくない年頃だ。

 マリーン公爵の監視が煩わしいから、いっそオリビアを王城に滞在させてしまおうか。

 ブラスがひと通り話し終わったところで、さも当然のようにレグロは提案する。



「オリビアにも、王城に部屋を用意してもらいたい」

「ノエミ嬢のように、ということでしょうか?」

「オリビアの学習の進捗には満足しているが、どうやら婚約者との協力体制についても、試験では審査されるようだからな」

 

 語学の試験では、ほぼ満点だったレグロたちと違って、ノエミたちは六割ほどしか点数が入っていなかった。

 しかし追加点として、ふたりで協力する姿勢が、高く評価されていたのだ。



「僕たちも親密さを深めたい。兄上たちの試験結果を見て、そう思ったのだ」

「なるほど……条件は同じにせねば、不公平かもしれませんね」



 ブラスが考える素振りを見せた。

 ここはもう一押し必要か、とレグロはオリビアに尋ねる。



「オリビアはどうしたい? 僕と一緒に過ごす時間が増えたら、嬉しい?」

「もちろんです。もっとレグロさまとお会いしたいと、ずっと思っていました」



 はにかむように告白するオリビアは、穢れなき瞳を潤ませる。

 それでブラスも決断したようだ。



「分かりました。では、ノエミ嬢の隣にオリビア嬢の部屋を――」

「いや、できれば僕の部屋のそばにしてくれ」

「……その理由を伺っても?」

「兄上はノエミの部屋へ、頻繁に通っていると聞いた。僕もそれに倣って、オリビアの部屋へ頻繁に通う予定だが、兄上とは鉢合わせしたくない」



 真意を確かめようと、ジッと見つめてくるブラスの眼差しを、レグロは飄々と受け止める。

 オリビアと仲良くなりたいのは嘘ではない。

 ただし、その意味合いに、体の付き合いを含んでいるだけだ。



「兄上だって、敵となった僕とは距離を置きたいはずさ。試験でこんなに差をつけられて、面目も立たないだろうしね」



 あくまでも自分のためではなく、アマンドを慮ているのだと主張するレグロ。

 ブラスは、マリーン公爵の意見も聞いてみましょう、と明言を避けた。

 だが、オリビアに甘いマリーン公爵が、反対するはずもなかった。
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