消えた流れ星

町田 美寿々

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十九、山小屋

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時刻が午後四時三十分を過ぎたころ。ようやく目的地に到着した。無人駅のホームに降り立ったのは私たち二人だけで、遠くから鳥の鳴き声がする以外は静けさに包まれていた。お互い長旅の達成感にしばらく何も言えずにいた。どちらともなくひとまず古いベンチに腰掛ける。夕方といえどまだ日は落ちていない。ここから山に向かわなければならない私たちにとって夏の日の長さはありがたい。

 
司くんは伸びをすると「いい場所だね」と呟いた。
住んでいた町とはまったく違う世界。田園や畑が広がり、ぽつぽつと家があるだけであたりは山々に囲まれている。
しばらく二人で何を言うわけでもなく黄昏ていた。
私と司くんはここに来るまでの長い時間で、すっかり打ち解け合った気がする。なんでもない他愛のない話も、お互い後ろめたいと思ってたことも、謝りたいことも、全部ではないけれど話したいだけ話した。少なくとも私にとって司くんは隣いて安心できる存在になり始めている。

「あ、バス」
私は立ち上がった。つかの間の達成感から新たな現実に引き戻された。当然ここがゴールではないのだ。ここからおじいちゃんの家を目指し、さらに山へ向かわなければいけない。確か巡回バスが出ていたけれど、田舎のバスの運行情報はネットでもよく分からず調べきれないまま来てしまった。急いで改札を出ると、すぐ近くにバス停を見つけた。慌てて時刻表を見ると、五時ちょうどに最終バスがある。ほっと胸を撫で下ろした。
司くんは「五時が最終…」と呟いて目を丸くしている。
今度はバス停のベンチに腰掛けた。正直に言うともうくたくただった。
「司くんはこういうところ初めて?」
「うん。ずっと今の町だったよ。親の田舎もないなぁ」
「じゃあ、山菜取りもドラム缶のお風呂も初めてだね」
「お風呂って本当にできるの? テレビでしか見たことないよ」
小さい頃、時々おじいちゃんは山小屋に泊まらせてくれた。その時はすぐ近くの川の水をバケツで汲んでラリーのようにみんなで運び入れた。おじいちゃんは一瞬で火を起こしてドラム缶風呂を作ってくれた。幼い子供にとってそれは強烈に冒険心をくすぐられた。

そこまで思い出すとはっとした。私たちどうやってお風呂に入ればいいんだろう。昔はおじいちゃんが火を守り、みんなで裸になって一緒に入っていた。今はそうはいかないじゃないか。激しい後悔が押し寄せた。よりにもよってお風呂の話をするなんてどうかしてる。司くんの表情をこっそり伺ったが、ぼーっと遠くの景色を見ているだけで、何を考えているかは分からなかった。自分の品のなさにがっかりして小さくため息をつくと、すぐに話題を変えることにした。



――――



五時になる少し前にバスは来た。乗り込むとバスの運転手がフレンドリーに挨拶をした。乗客は私たちだけのようだ。「降りる時は教えてね」運転手はそう言うと、出発した。
最寄りのバス停の名前は覚えている。散歩している時によく見かけたバス停だ。あそこから家までは大して遠くないはずだ。


十分ほど乗っているとだんだん馴染みのある景色が見えてきた。見たことのあるあぜ道や看板やビニールハウスが見える。ようやくおじいちゃんの田舎に来た実感が湧いてきた。私が過ごしていたのは所詮おじいちゃんの家と山だけで、この田舎を知っているようでほとんど何も知らなかったのだと少し思い知らされた。


去っていくバスを見送る。さっきのバスの運転手はちらちらと私たちのことを気にしているようだった。やっぱり見慣れない子供は目立つのだろう。特に何も聞かれなかったけれど、さっさと山に行った方がいい気がする。

十分ほど歩いたところでおじいちゃんの生家にたどり着いた。四十九日の法要以来だ。おじいちゃんが生まれた時から亡くなるまでの一生を過ごしてきたこの家は、改築や増築が繰り返されて親戚一同が集まってもゆとりがあるわりと大きな家だ。


「うわぁ、立派だね」
「本当はここに住めたらよかったけどね。叔父さんたちが掃除しに来るんだ。鍵もないし」
私は軒下に入ると、司くんに手招きした。ここは少し日陰になっていて日差しが和らぐ。リュックを降ろして背伸びした。見渡すと、すぐ近くにおじいちゃんの山が見える。
「あの山だよ」
山を指差した。この前来た時と変わらず豊かな緑に守られている。
「少し休憩したら行こうか。確か家の裏から行けた気がする」
あともう一息だ。飲み物を飲んだりお菓子をつまんだりしながら、まだ沈みそうもない太陽を眺めていた。




――――




家の裏口を通ると、一気に記憶が蘇ってきた。そこからは早かった。思い出すままに歩き、ほんの十数分で山に到着した。『私有地につき立ち入り禁止』の看板とロープを超えると、小学生の頃にタイムスリップしたかのような感覚が遅い、興奮を抑えきれずに司くんに次々と思い出される道順を捲し立てた。きっと困っていたに違いない。数分も歩けばおじいちゃんの山小屋に到着した。山の麓に立てたのは、おばあちゃんに帰ってこいと叱られたらすぐに帰れるからか。それとも狩猟仲間に呼ばれたら飛んで行けるからか。今では分からないがへとへとな私たちにとっては助かった。


「これおじいさんが作ったんだ。すごいや」
司くんが少し興奮したように言った。小屋は幸い痛んではいなかった。簡素な山小屋というよりはどっしりと構えたちょっとしたロッジのような佇まいだ。
私は小屋の玄関口に小走りで駆け寄ると、その隣に積まれた廃材や置き石を漁る。
「何してるの?」
山小屋を見上げていた司くんがこちらにやって来た。
「ここにいつもしまってたの。やった! これ!」
少し汚れた鍵を取り出して司くんに見せる。
「隠してたの!?」
「おじいちゃんが。いつもここにしまってたの。子供たちにだけに内緒だぞって教えてくれたから。もしかしたら大人は知らないまま今もあるかもって!」
きっと叔父さんかお母さんあたりが鍵を持っているかもしれないが、それはスペアキーだ。本鍵はこっちなのだ。
鍵があって本当によかった。なかった時はやむを得ず無理矢理入るつもりだったのだ。そんな強盗めいたことをしなくてよかったと心底安堵した。



「うわぁ! 埃っぽい!」
ドアを開けて叫んだ。
いざ、小屋のドアを開けると土埃や砂埃が床一面を覆っていた。幸い
ところどころ小さな虫もいる。それでも私たちはワクワクしていた。山小屋は十八畳はあり小屋にしては十分広く、床や壁の色合いや柱の艶などおじいちゃんが丹精込めて作ったことがよく分かる。部屋の奥には埃や葉っぱが被っていてすぐに使えそうもないが、大人一人分のベッドがある。そのすぐ上には小さな窓が取り付けられている。ベッドの反対側には簡易キッチンがあり、水道が取り付けられていた。まさかと思い捻って見ると水が勢いよく流れた。どうやら川の水をここまで引いて水道を作ったらしい。
もう一つドアがあり開けるとトイレまで作られていた。どうやら水洗トイレのようだ。何とも言えない嬉しさがじーんと込み上げる。トイレの問題をどうしようか最後まで悩んでいたのだ。最悪、外に穴を掘るしかないと心を決めていたのだが。
山小屋は昔より随分様変わりしていた。最後に私がここへ来たのは小学校に入って間もない頃で、ベッドや狩猟道具以外ほとんど何もない小屋だった。いつの間にかおじいちゃんは本気でここで暮らそうとしていたのかもしれない。

 
「これすごい」
司くんが言った方向を見ると、大きな鹿の頭の剥製があった。剥製は小屋のドアを開けたちょうど正面の壁に取り付けられており、入ってきた人をまるで品定めするかのように鎮座している。
「きっと狩りで捕まえたんじゃないかな」
そう言うと、司くんは今日の中で一番驚いた顔をしていた。雄鹿はギョロリとした目をこちらに向けて大きく口を開けている。ふと角に目がいく。
「なんかこの鹿の角変だね」
鹿の角は左は普通に生えているが、もう右は横に倒れかけていた。もう少しで真横に向きそうなほどだ。左右非対称でなんだか不格好だ。
「怪我でもしてたのかな」
そう言って司くんもいびつな角をまじまじと見ている。とは言っても、初めて本物の動物の剥製を見た私たちはとても触る気にはなれなかった。


部屋を物色し安全を確認した後、ひとまず掃除することにした。少なくとも今日寝られるスペースくらいは確保しなければならない。

一度外に出ると、小屋の隣に小さな物置小屋が作られているのを見つけた。開けてみると、斧や鍬やバケツに箒やちりとり、湿気った薪など山の生活に必要な道具が入っていた。私たちは箒とちりとりで小屋の埃をできる限り掃除した。
終わった頃にはとうとう日は暮れて、あたりは暗くなっていた。その日は二人とも疲れ果て来る前にスーパーで買った適当なおにぎりや菓子パンを食べると、お互い持ってきた寝袋に潜り込んだ。


横になると山小屋の木の匂いがより深く感じる。昔嗅いだことのある匂いだ。本当にここまで来てしまった。濃厚すぎる一日のせいで昼間に家を抜け出したことが遠く昔の出来事のようだ。お母さん達は今頃どうしてるだろう。私がいないと気づいただろうか。知佳ちゃんは日記を読んだかな。ザワザワと気持ちが波立つ。しかし同時に胸が高鳴るのを感じた。

「本当にここまで来ちゃったね」
落ち着かなくて、起きているか分からない司くんの背中に向かって言う。
「ふふっ」
司くんは背中を震わせて笑っていた。
「なんで笑ってるの」
そう言いながら私も口元がにやにやとし始める。
きっと感じてる気持ちが同じだからだ。
 
「なんか楽しくなってきた」

新しい世界、見つけた居場所、ここで暮らす。二人で。
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