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十七、あとはやるだけ
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二日後の七月三十一日の正午。私たちはこの町を出ることにした。人目を避けるには昼間がうってつけだと思ったからだ。それまでお互いに必要なものを用意すること、誰にもこのことは他言はしないこと。見つからないように十分気をつけること。その三つを約束をして別れた。
司くんは心を決めたような顔をしていたが、私も同じだった。今か今かとこの瞬間を待っていたようにも思える。司くんを安全な場所へ連れ出せる。心臓はどきどきと音を立てていたが、不思議と頭は冷静だった。三日後に向けて首尾よく動いて、準備しなければならない。そのことしか頭になかった。
家に帰った途端、「遅い!」とリビングからお母さんの声が飛んできたが、私は何も答えず階段を上がり部屋に入った。クローゼットからオレンジ色の大きなリュックを取り出した。これは確か一年生のオリエンテーション合宿の時に使ったものだ。これなら荷物を詰め込める。
ひとまず服や下着は三日分入れることにした。衣服で容量がいっぱいになることは避けたい。山小屋で暮らすなら自分で洗うことになるのだから、たくさん持って行く必要はない。その他にも必要な日用品を詰め込んだ後ふと気がついた。
「お金…」
山小屋で暮らすといえどお金は要る。そもそもおじいちゃんの田舎まで行く交通費と、向こうで必要な道具や食材を買う可能性がある。買う時は人目を忍んで行く覚悟だが、肝心のお金がなければ何も買えない。
私は貯金箱代わりに使っている少しお洒落なお菓子箱と、財布の中身をひっくり返した。全部で三千九百円。心細い金額である。
――確かお年玉があったはずだ。大河家はお正月にお年玉をらっても無駄遣いしないようにとかなんとか言われ、少し渡されると残りのほとんどはお母さんに貯金される。
面倒臭がり屋なお母さんが、わざわざ銀行で口座を作って預けたりはしないはず。ということは、この家にある可能性の方が高い。いわゆるタンス貯金というやつだ。
そう考えるとお年玉のありかは、お母さんのの目が届く台所のどこかか、両親の寝室か。もしかしたら大胆にリビングという線もあるかもしれない。明日中に探し出さなければならない。明日のお母さんの予定はどうなっているだろう。最近は暑い暑いと言っては、スーパーも行こうとしない。予定を聞こうにも、喧嘩している最中に都合良く聞けるわけがない。出かける瞬間を見逃さないようお母さんを見張るしかないようだ。
難易度の高さにめまいがして、ベッドにもたれかかった。鞄の中身を出す。空のペットボトルが二本。これはどちらも司くんが飲み干した。よっぽど長い間あの公園にいたんだろう。持ってきていた残りの食材は全部司くんに押し付けた。本人は遠慮していたけれど、あんな状況を見たら、ちゃんと食べているか不安だったのだ。
最後に知佳ちゃんから受け取ったばかりの交換日記が出てきた。そうだ。私たち町を出るなら、もう交換日記もできないんだ。近い日に遊ぶ約束をしていたが、それも叶わない。知佳ちゃんの顔が浮かぶと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私はペンを取ると、最後に知佳ちゃんへ向けて日記を書くことにした。
――――
翌日、朝から目を盗んではこそこそと必要な日用品や、あったら便利そうなものを持ち出して、クローゼットの中のリュックにしまうことを繰り返していた。
その最中にお母さんの動向を伺っているが、まるで出かける気配がない。朝食の時も私は誰とも話さなかった。お母さん達もすっかり慣れたのか何も言ってこない。真樹姉ちゃんとの会話で出かける予定を話さないか、と期待したけれど、私が話さなくなってからというもの食卓は静かだった。
これじゃまったく前に進まない。明日までにお金を取り出さないと、計画が頓挫してしまう。ひとまず気持ちを切り替えて、机に向かう。もちろん宿題ではない。新品のノートとスマホを取り出すと、電車の経路を調べることにした。スマホはGPSがついている。どこまで探知できるのか分からず、置いていくことにした。だからこそ事前に十分調べておかないといけない。
まずはおじいちゃんの田舎の最寄り駅に行く必要がある。一日の本数が少ない私鉄の駅だ。最寄りといっても田舎なので、駅からバスに乗るか歩くかしてまずはおじいちゃん家まで行かなければならない。
小さい頃はおじいちゃん家からあの山まで何度も通っていた。おじいちゃん家に着くことができれば、あとは記憶が助けてくれるはずだ。なんと言っても最寄り駅を目指すのが第一関門である。私たちの住む街の駅から都心部の駅へ向かう。そこからいくつか路線を変更し、電車を乗り継いでようやく到着する。道中、快速や各駅停車とあるが、節約のために各駅停車になるだろう。そうなると二、三時間と想定していた移動時間はもしかすると四時間弱かかるかもしれない。中学生の私にとっては途方もない旅に思えた。
しかし、調べてみて分かったことは、行こうと思えば自分たちの力でも行けるということだ。自分達はもっとどこまでも行けるのだと思わせてくれるような気持ちになった。
――――
チャンスは午後に訪れた。あらかたリュックの中に荷物を詰め込み、残すはお金だけになった頃。部屋にこもっていると、下から笑い声が聞こえてきた。そっと部屋を出て階段下を覗くと、玄関先でお母さんが誰かと談笑している。近所の人が来てそのまま話し込んでいるのだろう。出かけた時が一番安全かと思ったけれど、今がチャンスかもしれない。もしお母さんがこのまま出かけなかったら、それこそおしまいだ。
私は両親の寝室に向かった。台所とリビングはそれとなく見てみたが、やっぱり子供が過ごす場所に置いてる様子はなかった。床がギシリと音を立て苛立ちため息が出る。いつもは全く気にしない音がいちいち心臓を突き刺してくるようで煩わしい。
無事に寝室に入り込むと、ひとまず部屋を見渡した。汗が垂れる。今からすることを思うと、罪の意識が押し寄せた。そもそも私のお金のはずだ。そこまで悪いことではない。と言い聞かせる。さっさと終わらせよう。
手始めにタンスを片っ端から開ける。服の間に挟み込んでいたりしないか見てみたが見当たらなかった。ベッドの下やマットレスの隙間、サイドテーブルの中、お母さんの化粧台の中まで見てみたが、ない。やっぱりあそこかと私は大きな本棚を見た。お父さんは読書家でしょっちゅう本を買ってくる。最近はしまう場所がないから電子書籍にしてお母さんにがみがみ言われているが、この部屋の本棚だけでも結構な量がしまわれている。
木を隠すなら森の中か。やっぱり本の中に隠しているかもしれない。寝室のドアを開けて廊下から少し顔を出して、耳を澄ます。かすかに笑い声が聞こえてくる。まだお母さんは話しているみたいだ。
私は覚悟を決めると飛びつくのように本棚に向かい、一冊一冊本をめくり探すことにした。本と本の隙間も忘れずに見る。一段一段終えていくたびに焦りが込み上げる。お金が足りない、それだけのことでこの計画を終わらせたくなかった。
最後の段、普通よりずっと大きなサイズの本を見つけると引っ張り出して中身を見た。それはアルバムだった。私や真樹姉ちゃんの小さい頃の写真が所狭しと貼られている。おじいちゃんとの写真もあった。私たちが目指すあの山で遊んでいる様子を撮った写真もある。昔と今では、この山への思いが何か違うような気がした。昔は純粋な遊び場だったあの場所が、今はかすかな希望なのだ。
明日のことを思うと緊張が体を駆け巡る。我に返って、アルバムを手早くめくると裏表紙に封筒が貼られていた。これだ! 直感して中身を見るとお札が入っていた。取り出すと、全部で九万円。ふと、アルバムの中の写真が目に入る。私はなんてことをしているんだろう。再び強い罪の意識に襲われる。お母さん、何もこんなところに隠さなくたっていいのに。
それでも、一度決めた気持ちは変わらない。私は封筒はそのままにお金だけ持ち出し、ポケットに突っ込むと、アルバムをしまった。最後に部屋を一目見る。痕跡が残っていないか確認して部屋を出た。まるで泥棒だ。
寝室を出てすぐ部屋に戻ろうとした。
「ひかり」
お父さんの声がした。一気に身体中から汗が吹き出した。足がかすかに震えている。見ると、お父さんが階段をスーツケースを抱えながら上がってくるところだった。まさか今日帰ってくるとは思わなかった。ここのところ誰とも口を聞いていなかったから、お父さんがいつ帰ってくるかも分からなかった。
どこから見ていた? そのことだけが頭をぐるぐる往復する。
「ただいま、どうした?」
お父さんは何も言わない私に、不思議そうな顔をして尋ねる。
「別に。今日帰りだったんだね」
「やっと帰ってこれたよ。お母さんから聞いてなかった?」
「まぁ」
私が自分の部屋に入ろうとすると、お父さんが口を開いた。
「寝室に何か用だったかい?」
鼓動がとんでもない速さで動き出した。
見ていた。少なくとも私が寝室から出てくるところは見ていたんだ。心が折れそうだ。複雑に押し込まれた気持ちが溢れ出しそうになる。このまま白状してしまおうかと目頭が熱くなった。
私はできるだけお父さんの顔は見ずに言った。
「お母さんが洗濯物持っていけって言うから」
早くこの場から逃れたくて、思わず苛立った声になる。
お父さんは気にしていないようだ。
「ありがとう。そういや、真樹と喧嘩してるんだって? お母さんとも口聞かないって」
やっぱりお母さん、お父さんに報告してたんだ。何と言ったのか考えると、余計に腹が立ってきた。必死に押し殺す。
「うん」
「きっと真樹も気にしてるだろうから、早く仲直りしなさい」
苛立ちついでに姉ちゃんに言われた言葉をまた思い出してしまった。気にするような性格ならあんなこと言わない。いつもタイミングの悪い、勘違い甚だしい、うるさい姉。
私はお父さんの言葉を無視して部屋に入った。追いかけてくるかと思い、ドアの外に耳を澄ましていたが、お父さんは私の部屋を通り過ぎて寝室に入っていった。
どっと疲れてその場に座り込む。試練を乗り越えたような気分だった。改めてポケットからお金を取り出す。これだけあればとりあえず初期投資にはなる。節約しながら使って、その間に山での生活を身につけていけばいい。リュックの中の財布に慎重にしまった。
いよいよ明日だ。明日の正午。入口や改札だと目立つだろうと考えた結果、司くんとは駅のホームで待ち合わせすることした。行先に向かうホームで落ち合い、一緒に電車に乗る。
準備は整った。司くんは今ごろどうしているだろう。見つからず無事に準備できているかな。私だけその気になっているのではと準備を進める間、何度もそうよぎった。
ここまで来たら信じて動くしかない。あとはやるだけだ。
司くんは心を決めたような顔をしていたが、私も同じだった。今か今かとこの瞬間を待っていたようにも思える。司くんを安全な場所へ連れ出せる。心臓はどきどきと音を立てていたが、不思議と頭は冷静だった。三日後に向けて首尾よく動いて、準備しなければならない。そのことしか頭になかった。
家に帰った途端、「遅い!」とリビングからお母さんの声が飛んできたが、私は何も答えず階段を上がり部屋に入った。クローゼットからオレンジ色の大きなリュックを取り出した。これは確か一年生のオリエンテーション合宿の時に使ったものだ。これなら荷物を詰め込める。
ひとまず服や下着は三日分入れることにした。衣服で容量がいっぱいになることは避けたい。山小屋で暮らすなら自分で洗うことになるのだから、たくさん持って行く必要はない。その他にも必要な日用品を詰め込んだ後ふと気がついた。
「お金…」
山小屋で暮らすといえどお金は要る。そもそもおじいちゃんの田舎まで行く交通費と、向こうで必要な道具や食材を買う可能性がある。買う時は人目を忍んで行く覚悟だが、肝心のお金がなければ何も買えない。
私は貯金箱代わりに使っている少しお洒落なお菓子箱と、財布の中身をひっくり返した。全部で三千九百円。心細い金額である。
――確かお年玉があったはずだ。大河家はお正月にお年玉をらっても無駄遣いしないようにとかなんとか言われ、少し渡されると残りのほとんどはお母さんに貯金される。
面倒臭がり屋なお母さんが、わざわざ銀行で口座を作って預けたりはしないはず。ということは、この家にある可能性の方が高い。いわゆるタンス貯金というやつだ。
そう考えるとお年玉のありかは、お母さんのの目が届く台所のどこかか、両親の寝室か。もしかしたら大胆にリビングという線もあるかもしれない。明日中に探し出さなければならない。明日のお母さんの予定はどうなっているだろう。最近は暑い暑いと言っては、スーパーも行こうとしない。予定を聞こうにも、喧嘩している最中に都合良く聞けるわけがない。出かける瞬間を見逃さないようお母さんを見張るしかないようだ。
難易度の高さにめまいがして、ベッドにもたれかかった。鞄の中身を出す。空のペットボトルが二本。これはどちらも司くんが飲み干した。よっぽど長い間あの公園にいたんだろう。持ってきていた残りの食材は全部司くんに押し付けた。本人は遠慮していたけれど、あんな状況を見たら、ちゃんと食べているか不安だったのだ。
最後に知佳ちゃんから受け取ったばかりの交換日記が出てきた。そうだ。私たち町を出るなら、もう交換日記もできないんだ。近い日に遊ぶ約束をしていたが、それも叶わない。知佳ちゃんの顔が浮かぶと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私はペンを取ると、最後に知佳ちゃんへ向けて日記を書くことにした。
――――
翌日、朝から目を盗んではこそこそと必要な日用品や、あったら便利そうなものを持ち出して、クローゼットの中のリュックにしまうことを繰り返していた。
その最中にお母さんの動向を伺っているが、まるで出かける気配がない。朝食の時も私は誰とも話さなかった。お母さん達もすっかり慣れたのか何も言ってこない。真樹姉ちゃんとの会話で出かける予定を話さないか、と期待したけれど、私が話さなくなってからというもの食卓は静かだった。
これじゃまったく前に進まない。明日までにお金を取り出さないと、計画が頓挫してしまう。ひとまず気持ちを切り替えて、机に向かう。もちろん宿題ではない。新品のノートとスマホを取り出すと、電車の経路を調べることにした。スマホはGPSがついている。どこまで探知できるのか分からず、置いていくことにした。だからこそ事前に十分調べておかないといけない。
まずはおじいちゃんの田舎の最寄り駅に行く必要がある。一日の本数が少ない私鉄の駅だ。最寄りといっても田舎なので、駅からバスに乗るか歩くかしてまずはおじいちゃん家まで行かなければならない。
小さい頃はおじいちゃん家からあの山まで何度も通っていた。おじいちゃん家に着くことができれば、あとは記憶が助けてくれるはずだ。なんと言っても最寄り駅を目指すのが第一関門である。私たちの住む街の駅から都心部の駅へ向かう。そこからいくつか路線を変更し、電車を乗り継いでようやく到着する。道中、快速や各駅停車とあるが、節約のために各駅停車になるだろう。そうなると二、三時間と想定していた移動時間はもしかすると四時間弱かかるかもしれない。中学生の私にとっては途方もない旅に思えた。
しかし、調べてみて分かったことは、行こうと思えば自分たちの力でも行けるということだ。自分達はもっとどこまでも行けるのだと思わせてくれるような気持ちになった。
――――
チャンスは午後に訪れた。あらかたリュックの中に荷物を詰め込み、残すはお金だけになった頃。部屋にこもっていると、下から笑い声が聞こえてきた。そっと部屋を出て階段下を覗くと、玄関先でお母さんが誰かと談笑している。近所の人が来てそのまま話し込んでいるのだろう。出かけた時が一番安全かと思ったけれど、今がチャンスかもしれない。もしお母さんがこのまま出かけなかったら、それこそおしまいだ。
私は両親の寝室に向かった。台所とリビングはそれとなく見てみたが、やっぱり子供が過ごす場所に置いてる様子はなかった。床がギシリと音を立て苛立ちため息が出る。いつもは全く気にしない音がいちいち心臓を突き刺してくるようで煩わしい。
無事に寝室に入り込むと、ひとまず部屋を見渡した。汗が垂れる。今からすることを思うと、罪の意識が押し寄せた。そもそも私のお金のはずだ。そこまで悪いことではない。と言い聞かせる。さっさと終わらせよう。
手始めにタンスを片っ端から開ける。服の間に挟み込んでいたりしないか見てみたが見当たらなかった。ベッドの下やマットレスの隙間、サイドテーブルの中、お母さんの化粧台の中まで見てみたが、ない。やっぱりあそこかと私は大きな本棚を見た。お父さんは読書家でしょっちゅう本を買ってくる。最近はしまう場所がないから電子書籍にしてお母さんにがみがみ言われているが、この部屋の本棚だけでも結構な量がしまわれている。
木を隠すなら森の中か。やっぱり本の中に隠しているかもしれない。寝室のドアを開けて廊下から少し顔を出して、耳を澄ます。かすかに笑い声が聞こえてくる。まだお母さんは話しているみたいだ。
私は覚悟を決めると飛びつくのように本棚に向かい、一冊一冊本をめくり探すことにした。本と本の隙間も忘れずに見る。一段一段終えていくたびに焦りが込み上げる。お金が足りない、それだけのことでこの計画を終わらせたくなかった。
最後の段、普通よりずっと大きなサイズの本を見つけると引っ張り出して中身を見た。それはアルバムだった。私や真樹姉ちゃんの小さい頃の写真が所狭しと貼られている。おじいちゃんとの写真もあった。私たちが目指すあの山で遊んでいる様子を撮った写真もある。昔と今では、この山への思いが何か違うような気がした。昔は純粋な遊び場だったあの場所が、今はかすかな希望なのだ。
明日のことを思うと緊張が体を駆け巡る。我に返って、アルバムを手早くめくると裏表紙に封筒が貼られていた。これだ! 直感して中身を見るとお札が入っていた。取り出すと、全部で九万円。ふと、アルバムの中の写真が目に入る。私はなんてことをしているんだろう。再び強い罪の意識に襲われる。お母さん、何もこんなところに隠さなくたっていいのに。
それでも、一度決めた気持ちは変わらない。私は封筒はそのままにお金だけ持ち出し、ポケットに突っ込むと、アルバムをしまった。最後に部屋を一目見る。痕跡が残っていないか確認して部屋を出た。まるで泥棒だ。
寝室を出てすぐ部屋に戻ろうとした。
「ひかり」
お父さんの声がした。一気に身体中から汗が吹き出した。足がかすかに震えている。見ると、お父さんが階段をスーツケースを抱えながら上がってくるところだった。まさか今日帰ってくるとは思わなかった。ここのところ誰とも口を聞いていなかったから、お父さんがいつ帰ってくるかも分からなかった。
どこから見ていた? そのことだけが頭をぐるぐる往復する。
「ただいま、どうした?」
お父さんは何も言わない私に、不思議そうな顔をして尋ねる。
「別に。今日帰りだったんだね」
「やっと帰ってこれたよ。お母さんから聞いてなかった?」
「まぁ」
私が自分の部屋に入ろうとすると、お父さんが口を開いた。
「寝室に何か用だったかい?」
鼓動がとんでもない速さで動き出した。
見ていた。少なくとも私が寝室から出てくるところは見ていたんだ。心が折れそうだ。複雑に押し込まれた気持ちが溢れ出しそうになる。このまま白状してしまおうかと目頭が熱くなった。
私はできるだけお父さんの顔は見ずに言った。
「お母さんが洗濯物持っていけって言うから」
早くこの場から逃れたくて、思わず苛立った声になる。
お父さんは気にしていないようだ。
「ありがとう。そういや、真樹と喧嘩してるんだって? お母さんとも口聞かないって」
やっぱりお母さん、お父さんに報告してたんだ。何と言ったのか考えると、余計に腹が立ってきた。必死に押し殺す。
「うん」
「きっと真樹も気にしてるだろうから、早く仲直りしなさい」
苛立ちついでに姉ちゃんに言われた言葉をまた思い出してしまった。気にするような性格ならあんなこと言わない。いつもタイミングの悪い、勘違い甚だしい、うるさい姉。
私はお父さんの言葉を無視して部屋に入った。追いかけてくるかと思い、ドアの外に耳を澄ましていたが、お父さんは私の部屋を通り過ぎて寝室に入っていった。
どっと疲れてその場に座り込む。試練を乗り越えたような気分だった。改めてポケットからお金を取り出す。これだけあればとりあえず初期投資にはなる。節約しながら使って、その間に山での生活を身につけていけばいい。リュックの中の財布に慎重にしまった。
いよいよ明日だ。明日の正午。入口や改札だと目立つだろうと考えた結果、司くんとは駅のホームで待ち合わせすることした。行先に向かうホームで落ち合い、一緒に電車に乗る。
準備は整った。司くんは今ごろどうしているだろう。見つからず無事に準備できているかな。私だけその気になっているのではと準備を進める間、何度もそうよぎった。
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