消えた流れ星

町田 美寿々

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十一、大男

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「司くんこそまだ帰ってなかったんだね」 
私は汗びっしょりになりながら、できるだけ平静を装って靴を履いた。
「そうなんだ。先生に呼び止められちゃって」
困ったように笑って司くんは下駄箱から靴を取り出した。
それは言うんだ。てっきり隠すかと思っていた。
「何かあったの?」
鎌をかけるみたいで申し訳ないが思い切って聞いた。
「全然大したことじゃないよ。早く帰りたかったのについてなかった」
やっぱり教えてはくれないか。
 

靴を履いて外に出ると、日差しが容赦なく照りつけた。お互いここで別れるのも何か違うと感じたのか、私たちはなんとなく一緒に歩き出した。ここから家まで二十分程歩く。司くんの家も近所なので大体同じくらいだろう。司くんは隣で暑いねーと呑気ににこにこしている。さっき先生と深刻な雰囲気だったのが嘘のようだ。
 

「ひかりちゃんは何で残ってたの?」
一瞬ぎくりとした。盗み聞きしていた後ろめたさから、本当は全部分かって聞いているのではないかと思えてしまう。細心の注意は払ったからバレてないはずだけど。
「また古賀先生に捕まっちゃった」
嘘はついていない。
司くんは声を上げて笑う。
「それはお互いついてなかったね」
私は小さなピンチを回避したことに安堵して、よく分からない乾いた笑いが出た。
 

しかし、その後は案外何事もなく話すことができた。ほとんど司くんが話上手なことに助けられていたけれど。いつの間にか自然と笑えていた。こんなに優しくて楽しい普通の男の子が、家で酷い目に合っているなんて信じられない。今は笑っていても家で泣いているんだろうか? このまま家に帰るのは辛くないだろうか? 心配と何か力になりたい気持ちが湧き上がる。


「あのさ」
私は見切り発車で口を開いた。
そうだ、逆に今はチャンスかもしれない。二人だけだし、痣のことも知っている。いろいろ調べてたことは気持ち悪がられるかもしれないけど、それは許してもらえるまで謝ろう。それで、どうにかして、司くんを助けられないか話してみよう。
「実はこの前から」


パーーー!とけたたましい高音が耳を貫いた。反射的にな音がした方を見ると、一台の車が路肩に停車していた。あの車がクラクションを鳴らしたようだ。間髪入れずに再びパーーー!とクラクションが鳴らされた。
一瞬私たちが通行の邪魔をしているのかと思ったが、そうではないようだ。車は完全に停車しており、私たちは少し離れた位置にいる。せっかくの勢いを削がれたと思ったら少しイライラした。


「何だろうね」
少し怒りを含みながら司くんに言ったが、返事がなかった。隣を見ると司くんにさっきまでの笑顔はなく、深刻な顔をして車の方を見ていた。眉間に皺が寄っている。司くんも怒ってるのかな。そんなことを考えているのもつかの間、車の持ち主が運転席から降りてきたのだ。街でよく見かけるような普通乗用車から出てきたのは、熊のように巨大な体の中年男性だった。身長は百八十はあるだろう。顔中に黒い髭をたくわえ、腹が出ている。映画で出てくる山男のようにも見えた。


私はあまりの迫力に思わず腰が引けた。それに気づいたのか司くんは私を覆い隠すように一歩前に出た。熊のような男はずんずんと近づいてくる。私たち何かしてしまったんだろうか。


男は私に目もくれず司くんの眼前に立つと、地を這うような野太く低い声で言った。
「てめぇ、遅いんだよ」
乱暴な言葉に私の足がガクガク震え出した。どういうことだろう。知り合い? 司くんは何も言わず男をじっと見つめている。まるで相手の出方を伺う野良猫のように目をそらさない。
「乗れ」
男は顎で車を指した。
「歩いて帰ります」
司くんがそう言った瞬間、男が怒鳴り声を上げた。
「乗れっつってんだよ! 女連れだからって調子に乗ってんじゃねぇ!」
今度は体中が震え出した。この人は一体何者なんだ。

「あの、すみません。どうかされましたか?」
一人の中年のサラリーマンが話しかけてきた。怒鳴られている私たちを見かねて声を掛けてくれたのだろう。あまりに大きな声だったので、さっきから通行人にちらちら見られていた。
「おかまいなく。倅なもので」
せがれ? せがれって息子? この大男が司くんのお父さん? サラリーマンも信じられないといった顔で
「えっと、お父様ですか?」
と、動揺していた。
すると今度は司くんが言った。
「父です」
衝撃だった。司くんのイメージからはとても想像できないお父さんだ。
サラリーマンはこれ以上は口出しできないと判断したのか「そういうことなら…」と去っていった。


司くんのお父さんは無言で司くんの制服の肩を掴むと、車に向かって歩き出した。あまりの力強さに半分引きずられている。私は情けないことに声も出せず、ただ二人が車に乗り込み、走り去っていくのを見ていることしかできなかった。


家に帰っても震えが止まらなかった。頭の中が混乱して何も考えられない。真っ青な顔をして帰ってきた私にお母さんが小さく悲鳴をあげた。風邪か何かだと思ったらしく、「温まりなさい」と、半ば無理矢理お風呂に入らされる。私はあたたかいはずのお湯の中でも震えていた。あんな乱暴な人がお父さん? 最後連れていかれた時の司くんの表情は見えなかったが、どこか諦めたように脱力して歩いていた。ほぼ間違いなくあの人が司くんに暴力を振るっている張本人だろう。


そうと分かると、今度は猛烈な怒りが込み上げてきた。何よいきなり怒鳴りつけて。あんな人がもし司くんを毎日殴って、いいように扱っているのなら絶対に許せない。
このまま何もせず忘れることなんてできない。


勢いよく湯船を出る。
明日、司くんの家に行こう。
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