消えた流れ星

町田 美寿々

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十、確信

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終業式を終えたあとの教室の空気は解放感に溢れていた。黒板には”夏休みまであと0日”と誰かが書いたカウントダウンが書いてある。クラスメイトたちは担任が来るまで思い思いに過ごしている。あれほど計画的に持ち帰れと言われていたのに大量の教科書に困り果てている人、夏休みを謳歌するべくもう宿題に取り掛かっている人いろいろだ。


『藤谷くんが生徒指導室に入っていくのを見たよ』


知佳ちゃんの日記に書かれていた言葉を思い出す。その後の文では特に詳しく書かれておらず、『珍しいね』としか書いていなかったから、知佳ちゃんもこれ以上は知らないのだろう。 

 
司くんを見るといつも通り西野と談笑していた。
なんだか私ばかり悩んでるみたいで変だ。
司くんも中学生なんだから悪さをして呼び出されることだってあるだろう。そもそもそんなことまで私が心配するようなことじゃない。思い切り伸びをして窓を見ると、爽やかな青色の晴天で夏休みの始まりにはぴったりの天気だと思った。


担任の梅田先生が飽き飽きするほど何度も聞いたセリフを言う。「いいですか、みんな来年から受験なんだから進路のことをよく考えてね。今から受験勉強を始めればずっと楽なんですからね!」
梅田先生は小柄だけどよく通る声をしているので、妙に説得力がある。学生の頃は女子ソフトボール部だったらしい。みんな受験の二文字を思い出して憂鬱になったのか歯切れの悪い返事だ。 

「まぁ…でも夏休みは学生の宝ですから、思う存分楽しんでください。どんな思い出ができたか先生にも教えてね。」
さっきと打って変わって歓声が上がる。梅田先生が人気の理由だ。盛り上がる一同に「危ないことはしないようにね」と釘を指している。


終礼が終わりいよいよ夏休みが始まった。私は知佳ちゃんと遊ぶ約束をして交換日記を渡した。
「次、遊ぶ時に持っていくね」と知佳ちゃんが言う。最初は学校がある日だけだったはずが、思いのほか二人とものめり込んでしまい、夏休み中でも遊ぶ日には交換すると決めたのだった。
「楽しみにしてる」
私がそう言うと、知佳ちゃんは思い出したように時計を見た。
「行かなきゃ! 今日からおばあちゃん家でね、お母さん達が迎えに来るんだ」
「ノートは持っていくからね!」と言うと、慌ただしく教室を出て行った。
私はというと、特に急ぐ予定もないのでゆっくり帰ることにした。いつもより少し重い鞄を持つとのんびりと教室を出る。 

 
職員室の前を通ると、ちょうどガラッとドアが開いて生物の古賀先生が現れた。
「おお!」 
古賀先生はそう言うとなんだか嬉しそうな顔をした。
「ちょうどよかった。大河、手伝ってくれ」
職員室の前なんて通らなければよかった。


古賀先生からの指令は”理科室にある標本を持ってくること” だった。私に理科室の鍵を渡すと「すまんな、先生は会議があるから」と言い、風のように去っていった。今、職員室から出てきたのにどこで会議をするつもりだろう。司くんの職員会議嘘説は立証された気がする。
 

理科室で指定された昆虫の標本をいくつか手に取る。こんなに近くで見たことがなかったから、思わずうげぇと声が出る。人間って残酷だ。
不幸中の幸いで頼まれたのはこれだけだった。あとは職員室の古賀先生の机に置いて帰るだけだ。


終業式を終えてみんな早々に帰ったのか、人は誰もいない。遠くで夏休みなど関係ないとばかりに部活動の掛け声が聞こえるだけだ。
階段を降りていると、下から梅田先生と司くんが上がって来るのが見えた。なぜか咄嗟に階段を駆け上がり身を隠した。上からそっと覗き見る。なんだかここで鉢合わせるのは気まずい予感がした。二人はこちらまで上がってくることなく廊下に出た。その時、梅田先生のよく通る声が聞こえた。
「夏休みはお家で過ごすのよね?」
司くんの返事は聞こえなかった。


明らかにおかしな質問だ。普通ならこんな当たり前のことは聞かない。何かがピンと来た。私は足音を立てないように階段を降り、二人が歩く廊下に少しだけ顔を覗かせる。一番奥の生徒指導室に入って行くのが見えた。
知佳ちゃんの言うことは本当だった。私は周りに誰もいないことを確認すると、標本を胸に抱いたまま静かに生徒指導室へ向かった。


ドアの前にしゃがみこむ。そっと耳を当てて中の会話に耳をすませた。私、何してるんだろう。たけど気になって仕方ない。ありがたいことにこの階は普段滅多に使わない教室ばかりなので人がいない。こんなところを見られたらとんでもないことになる。


よく通る梅田先生の声は断片的に聞こえるけど、司くんの声はまったくダメだ。司くんは諦めて梅田先生の声に集中することにした。


「一度……お電話で…お話……いただ…な…てね」
「先生として……藤谷く……状…を知りた……のよ」
 

ーー一度電話でお話させていただきたい
ーー先生としても藤谷くんの状況を知りたい


なんとなく把握はできるが肝心なところが聞こえない。
じれったくなった私は賭けに出ることにした。学校の教室のドアはほとんど木製の引き戸で、生徒指導室も例外ではない。さらに年季が入っているので、時々ドアとドアの枠組みが微妙噛み合わず、わずかな隙間ができる。
冬はその隙間から冷気が入って寒いとみんなから不評を買っているのだ。そこからなら聞きとれるかもしれない。当然リスクはある。隙間が空いているということは、前に立つとうっすら影が差して誰かがいるとバレてしまう。私はドアと枠組みの真ん中に移動し、わずかな隙間に耳をくっつけた。私ってこんな大胆なことができるんだ。


「本当にお家で何か困っていることはない?」
今度は先生の声がはっきりと聞こえた。
「ありません」
司くんの声も聞こえてきた。
梅田先生は「そっか…」と呟くとしばらく黙っていた。
「病院は行ってる? お医者さんに何か言われたりした?」
先生は心配そうな声で矢継ぎ早に聞いた。
今度は司くんが黙った。
生徒指導室は誰もいないかのように静まり返っている。
もう一度先生が口を開いた。
「お母様はこのことはご存知」
「先生、僕もう行かないと。早く帰ってこいって言われてるので」
先生の質問を最後まで聞く前に司くんが立ち上がった音がした。
「ああ! 待って。じゃあこれだけ。もし誰かに何か言いたくなったら、先生じゃなくても、ここに連絡して」 
先生は司くんに何かを渡しているようだった。
私は慎重に素早くその場を離れる。ここから一番近い階段に足早で向かうと、その後は全力で階段を降りた。


私が考えていたことはほぼ確信に近い。そして梅田先生も薄々気づいている。司くんが認めないから何もできないんだ。


職員室に駆け込むと、大急ぎで標本を古賀先生の机に置く。理科室の鍵を乱暴に鍵保管庫に返し、私は下駄箱に飛び出した。予感が当たってしまったことに心臓がばくばくと音を立てている。とにかく学校を出ないと。今、司くんに会ったらどんな顔をして話せばいいか全く分からない。
 

「ひかりちゃん、今帰りなの?」
振り向くと司くんが不思議そうな顔をして立っていた。 
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