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七、疑惑
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知佳ちゃんは早退してから、一日休んで無事学校に来た。遅れてごめんね。と交換日記を渡され、二日ぶりにノートを開いた。
知佳ちゃんの日記が更新されている。内容は最初に熱中症が無事治ったこと、助けたことへのお礼が書いてあった。あの日早退した後、病院に行って点滴を打ったそうだ。もらった経口補水液が美味しくて毎日飲みたいと言ったら、病院の先生に
「脱水症状の時は美味しく感じるんだよ」
と言われてびっくりしたと書いてある。
それから私が書いたお母さんと姉ちゃんの愚痴に "笑っちゃいけないけど笑っちゃったごめんね!" と添えてあった。私にとっては日常茶飯事でピンと来ないけど、知佳ちゃんには面白かったらしい。
日記の最後にはこんなことが書いてあった。
"藤谷くんってあんなに声通るんだね! 意外!"
私は思わず「確かに!」と声に出しながら文章の下にペンで書き足して返事をした。
今日は司くんと理科室の手伝いをしたことを日記に書くことにした。もちろん言わないでほしいと言われた痣の件以外のことだ。「先生の職員会議は絶対嘘だ」と司くんが言って笑ったことや、フラスコやビーカーが年季が入っていて汚かったこと。他愛もないことを書いたあと、生物係が知佳ちゃんだったことを思い出した。当てつけみたいに思われるかな。そんな気持ちは微塵もなかった。書き直そうかとしばらく悩んだが、結局やめた。
謎の多い司くんの面白さを千佳ちゃんにも知ってほしくなったからだ。
理科室でのあの一件から、司くんが言った"流れ星"について考えている。なぜ痣を流れ星と呼ぶのだろう。何か比喩のように思えたけど。それ以上は分からない。
私と司くんはほんの少しだけ距離が縮まった気がする。顔を合わせたら挨拶して、少し雑談をするような関係にはなった。とはいってもその程度のことなので、この前みたいに勢いで聞いたらまた確実に妙な空気になる。
でも、一人で流れ星について考えてても仕方がない。うーんと唸りながら考えていると、下の階から夕飯の声がかかった。
「あ、お父さんおかえり」
ダイニングに行くとお父さんが席に着いていた。出張から帰ってきたらしい。だからお母さんは機嫌が良いのか。台所で鼻歌を歌っている。
「お土産があるからあとで真樹と分けなさい」お父さんはそう言ってビールを開けた。しかし真樹姉ちゃんの姿がない。
「姉ちゃんは?」
「"石ちゃん"とデート。今日はごはんいらないんだって」
お母さんが答えた。姉ちゃんの彼氏、石ちゃん。話を聞く限りいい人そうだから姉ちゃんに振り回されないといいけど。そんなことは目の前に出された餃子で吹き飛んだ。しかもエビチリと青椒肉絲まで出てきた。お母さん、お父さんがいるから豪華にしてるな。犬のように早く食べたいと目を輝かせている私を他所に「石ちゃん?」と、お父さんは不思議そうにしている。
そっか、あの時お父さんいなかったっけ。
「姉ちゃんの彼氏だよ。優しいんだって」
いない姉ちゃんの代わりに答えてあげるなんて我ながら良い妹だ。
「海が好きな子かー」
お父さんはのんびり笑ってビールをぐいっと飲んだ。
「違う、その人は別れた」
お母さんと私が同時に言ったので、お父さんが笑った。
「お父さんサーフボードねだられたの忘れたの? 高くて目ん玉飛び出たじゃないの」
お母さんも笑いながら席につくとお待ちかねの夕飯が始まった。
真樹姉ちゃんがいないと家族の雰囲気が落ち着いている。つかの間の平穏だ。お父さんとお母さんは出張で会えなかった分のあれこれを話している。どちらかというとお母さんが一方的に話して、お父さんはうんうんと聞いてあげているみたいだけど。
ふとテレビに目をやると特集番組がやっていた。テーマは子供の虐待問題について。餃子を頬張りながらなんとなく観ていると、親から暴力を受けた子供の写真が映し出された。小さな子供の体に大きな痣ができている。腕、お腹、背中何ヶ所にもあり痛々しい。私は釘付けになった。
「可哀想に…」
お母さんの声に振り向くと、いつの間にかお父さんとお母さんもテレビを観ていた。
「命かけて産んだ我が子にどうしてこんなことできるのよ」
お母さんがため息をついた。お父さんは「そうだね」と言いながら番組を観ている。
映像が切り替わると今度はインタビューの場面が映った。子供の頃、親から暴力を受けて育った人に直接話を聞くというものだった。このような人を "サバイバー" と言うこともあるらしい。
「誰にも痣を見つかりたくなくて早く痣が消えるように必死で体を洗ったことがある」
その人はインタビューの中で言っていた。
司くんの痣と "流れ星" が頭に浮かんだ。
「ね、お父さん」
お父さんは視線をテレビから私に向けた。
「何で痣を隠すの?」
「そうだねぇ」
お父さんは持っていたグラスを置くとしばらく宙を睨むように考えて "お父さんの言うことが全部正解ではないけど" と前置きすると言った。
「知られることが恥ずかしいと思ってしまうんじゃないかな」
「痣を? 」
「痣も暴力を振るわれていることも」
「この人たちは何も悪くないのに」
「それとも…」
お父さんはうーんと唸りながら言う。
「自分さえ我慢しておけばうまくいくって考える子もいたりね」
「へぇ、お父さん詳しいのね」
お母さんが感心して言う。
「いやいや。たまたま聞きかじっただけだよ」
再び画面が切り替わった。今度は別のサバイバーの人がインタビューを受けていた。
「自分が何も言わなければ、うまくいく。家族は平穏に過ごせる。と思ってました。」
私とお父さんは思わず目を見合わせた。お父さんは困ったように肩をすくませた。
自分の部屋に戻ると私はある疑惑を持ち始めていた。テレビで見た子供たちの痣と司くんの"流れ星"、痣を隠したがること。
本当にそうだろうか。ただ痣という共通点だけで思い込んでるだけなんじゃないか。私が知らないだけで本当に何かスポーツをやってるだけかもしれない。あまりイメージは湧かないけれど、友達と殴り合いの喧嘩をしたのかもしれない。
さっきの写真の痣がフラッシュバックする。そっくりだった。
もし "その" 可能性があるなら?
可能性って証拠のこと?
誰もその事実を知らなくて、今私だけが知っているとしたら?
さすがにそんなわけないでしょう。
いや、でもと一人の応酬が止まらない。
「やっぱ考えすぎかな!」
わざと呑気に言った瞬間、あの日の司くんの顔を思い出した。
"誰にも言わないでくれると助かる"
あの時の、切実だったあの声。表情は冷静に見えたけれど目が必死さを押し殺しているように見えた。
このまま私が心に浮かんでいることを気のせいにして、もし司くんが考えた通りの状況だったら。サインに気づかずただ呑気に過ごしていた馬鹿な自分を許せない。
まだ本人に直接聞けなくてもいい。
今、感じている可能性が確かなのかどうか、探しに行くことならできるんじゃないか。
そう思いついた途端、心臓が音を立て始めた。
知佳ちゃんの日記が更新されている。内容は最初に熱中症が無事治ったこと、助けたことへのお礼が書いてあった。あの日早退した後、病院に行って点滴を打ったそうだ。もらった経口補水液が美味しくて毎日飲みたいと言ったら、病院の先生に
「脱水症状の時は美味しく感じるんだよ」
と言われてびっくりしたと書いてある。
それから私が書いたお母さんと姉ちゃんの愚痴に "笑っちゃいけないけど笑っちゃったごめんね!" と添えてあった。私にとっては日常茶飯事でピンと来ないけど、知佳ちゃんには面白かったらしい。
日記の最後にはこんなことが書いてあった。
"藤谷くんってあんなに声通るんだね! 意外!"
私は思わず「確かに!」と声に出しながら文章の下にペンで書き足して返事をした。
今日は司くんと理科室の手伝いをしたことを日記に書くことにした。もちろん言わないでほしいと言われた痣の件以外のことだ。「先生の職員会議は絶対嘘だ」と司くんが言って笑ったことや、フラスコやビーカーが年季が入っていて汚かったこと。他愛もないことを書いたあと、生物係が知佳ちゃんだったことを思い出した。当てつけみたいに思われるかな。そんな気持ちは微塵もなかった。書き直そうかとしばらく悩んだが、結局やめた。
謎の多い司くんの面白さを千佳ちゃんにも知ってほしくなったからだ。
理科室でのあの一件から、司くんが言った"流れ星"について考えている。なぜ痣を流れ星と呼ぶのだろう。何か比喩のように思えたけど。それ以上は分からない。
私と司くんはほんの少しだけ距離が縮まった気がする。顔を合わせたら挨拶して、少し雑談をするような関係にはなった。とはいってもその程度のことなので、この前みたいに勢いで聞いたらまた確実に妙な空気になる。
でも、一人で流れ星について考えてても仕方がない。うーんと唸りながら考えていると、下の階から夕飯の声がかかった。
「あ、お父さんおかえり」
ダイニングに行くとお父さんが席に着いていた。出張から帰ってきたらしい。だからお母さんは機嫌が良いのか。台所で鼻歌を歌っている。
「お土産があるからあとで真樹と分けなさい」お父さんはそう言ってビールを開けた。しかし真樹姉ちゃんの姿がない。
「姉ちゃんは?」
「"石ちゃん"とデート。今日はごはんいらないんだって」
お母さんが答えた。姉ちゃんの彼氏、石ちゃん。話を聞く限りいい人そうだから姉ちゃんに振り回されないといいけど。そんなことは目の前に出された餃子で吹き飛んだ。しかもエビチリと青椒肉絲まで出てきた。お母さん、お父さんがいるから豪華にしてるな。犬のように早く食べたいと目を輝かせている私を他所に「石ちゃん?」と、お父さんは不思議そうにしている。
そっか、あの時お父さんいなかったっけ。
「姉ちゃんの彼氏だよ。優しいんだって」
いない姉ちゃんの代わりに答えてあげるなんて我ながら良い妹だ。
「海が好きな子かー」
お父さんはのんびり笑ってビールをぐいっと飲んだ。
「違う、その人は別れた」
お母さんと私が同時に言ったので、お父さんが笑った。
「お父さんサーフボードねだられたの忘れたの? 高くて目ん玉飛び出たじゃないの」
お母さんも笑いながら席につくとお待ちかねの夕飯が始まった。
真樹姉ちゃんがいないと家族の雰囲気が落ち着いている。つかの間の平穏だ。お父さんとお母さんは出張で会えなかった分のあれこれを話している。どちらかというとお母さんが一方的に話して、お父さんはうんうんと聞いてあげているみたいだけど。
ふとテレビに目をやると特集番組がやっていた。テーマは子供の虐待問題について。餃子を頬張りながらなんとなく観ていると、親から暴力を受けた子供の写真が映し出された。小さな子供の体に大きな痣ができている。腕、お腹、背中何ヶ所にもあり痛々しい。私は釘付けになった。
「可哀想に…」
お母さんの声に振り向くと、いつの間にかお父さんとお母さんもテレビを観ていた。
「命かけて産んだ我が子にどうしてこんなことできるのよ」
お母さんがため息をついた。お父さんは「そうだね」と言いながら番組を観ている。
映像が切り替わると今度はインタビューの場面が映った。子供の頃、親から暴力を受けて育った人に直接話を聞くというものだった。このような人を "サバイバー" と言うこともあるらしい。
「誰にも痣を見つかりたくなくて早く痣が消えるように必死で体を洗ったことがある」
その人はインタビューの中で言っていた。
司くんの痣と "流れ星" が頭に浮かんだ。
「ね、お父さん」
お父さんは視線をテレビから私に向けた。
「何で痣を隠すの?」
「そうだねぇ」
お父さんは持っていたグラスを置くとしばらく宙を睨むように考えて "お父さんの言うことが全部正解ではないけど" と前置きすると言った。
「知られることが恥ずかしいと思ってしまうんじゃないかな」
「痣を? 」
「痣も暴力を振るわれていることも」
「この人たちは何も悪くないのに」
「それとも…」
お父さんはうーんと唸りながら言う。
「自分さえ我慢しておけばうまくいくって考える子もいたりね」
「へぇ、お父さん詳しいのね」
お母さんが感心して言う。
「いやいや。たまたま聞きかじっただけだよ」
再び画面が切り替わった。今度は別のサバイバーの人がインタビューを受けていた。
「自分が何も言わなければ、うまくいく。家族は平穏に過ごせる。と思ってました。」
私とお父さんは思わず目を見合わせた。お父さんは困ったように肩をすくませた。
自分の部屋に戻ると私はある疑惑を持ち始めていた。テレビで見た子供たちの痣と司くんの"流れ星"、痣を隠したがること。
本当にそうだろうか。ただ痣という共通点だけで思い込んでるだけなんじゃないか。私が知らないだけで本当に何かスポーツをやってるだけかもしれない。あまりイメージは湧かないけれど、友達と殴り合いの喧嘩をしたのかもしれない。
さっきの写真の痣がフラッシュバックする。そっくりだった。
もし "その" 可能性があるなら?
可能性って証拠のこと?
誰もその事実を知らなくて、今私だけが知っているとしたら?
さすがにそんなわけないでしょう。
いや、でもと一人の応酬が止まらない。
「やっぱ考えすぎかな!」
わざと呑気に言った瞬間、あの日の司くんの顔を思い出した。
"誰にも言わないでくれると助かる"
あの時の、切実だったあの声。表情は冷静に見えたけれど目が必死さを押し殺しているように見えた。
このまま私が心に浮かんでいることを気のせいにして、もし司くんが考えた通りの状況だったら。サインに気づかずただ呑気に過ごしていた馬鹿な自分を許せない。
まだ本人に直接聞けなくてもいい。
今、感じている可能性が確かなのかどうか、探しに行くことならできるんじゃないか。
そう思いついた途端、心臓が音を立て始めた。
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