上 下
2 / 38

1.ヴァルプルギスの夜②

しおりを挟む





(あの騎士様もきっとそうだった。ただそれだけ)


 祭りの高揚に飲まれたに過ぎないのだろうと、シャナは思った。

 彼は王都から派遣された、祭の警備のための騎士だった。
 人が多く集まる場所には諍いや事故が多く発生する。準備期間中とりまとめの大魔女の元には何度か足を運んでいたようだ。
 火の近くで踊る魔女達に護衛をつけたい、と騎士は申し出たらしい。
 祭の騒ぎに乗じて魔女達の祭が邪魔されたり、彼女らが害されてはいけないという配慮だったようだが、目的を考えれば余計な世話だった。

 当然その申し出は断られ、騎士達は火から遠ざけられて警備することになった。街を囲む石垣のあたりにも、ぐるりと配置されていたらしい。
 王都では最近魔女の秘薬が高値で取引されているという噂もある。誘拐などを危惧して騎士団を派遣したのは恐らく帝国の皇帝だ。

 皇帝のもとには毎年決まった数の『秘薬』が納品されている。それがなくなっては困る人物が、必ず魔女を保護してくれる。百もある魔女の約束は、決して無駄な条件の羅列ではなく根拠のある約束だった。土地と、人々と、皇帝との関係を魔女は常に模索してきた。
 千年を無事に生きのびるために、その約束があったのだ。



 ――祭のとき、シャナとあの騎士の目が合ったのは、恐らく偶然だった。

(運命でもなんでもない、偶然がそこにあっただけ)

 シャナはあの一夜が終わった今でもそう思っている。

 火の近くで次の踊りの番を待っていたシャナは、青い衣の魔女が輪へ戻って座った後、銀の鈴飾りを持って立ち上がった。
 そして火を背にして人々を振り返った瞬間、ほう、とため息のような声が観衆から漏れたのを聞いた。

 シャラン、と片手に持った銀の鈴を鳴らして、鮮やかな朱の衣装をふわりと翻す。輪になった魔女達が歌い始めた。鈴の音と歌が重なり、離れ、旋律にのって朱の衣が舞う。

 踊りは唯一シャナが得意とするものだった。
 魔女のクセにあまり手先が器用ではなく、薬草の調合も大雑把、繕い物も料理も不得意で何でも煮込んで塩味で食べる、色気も洒落っ気もない生活をしている未熟な魔女が、シャナだ。今回の祭参加者の中で最年少の魔女である。

 母はそんなシャナに呆れつつも最低限、生きるための術を仕込んでくれた。だから十九歳でも独り立ちすることができた。

 踊りは、三歳の頃から母に教えられて練習している。
 紗を重ねた鮮やかな朱の衣装に、ラピスラズリの珠を連ねた装飾が映える。黒髪を結い上げ、垂れた毛先に色の付いた紐を編み込んで小さな銀の鈴をつけていた。
 シャナが身を翻すたびに涼やかな音が立つ。
 伸ばした指先ひとつ、布の靴で地面を蹴る強さ、風をはらんで広がった裾が降りる瞬間まで計算された踊りは人々を魅了した。

 そんな中、黒い軍服の騎士が一人、観衆の後ろでシャナを見ていた。
 黒地に金の差し色のきっちりとした服は、体格の良い男によく似合っていた。火に照らされた金髪が艶やかに光って、背の高い男の姿は踊っているシャナにも良く見えた。


 ――不意に、視線が交差した。


 それに動揺したのはシャナだけではない。金髪の騎士のほうもシャナと目が合い息を飲んだ。ふらりと彼が足を一歩踏み出したところで、踊りは最後のひと振りを終えた。

 リン、リン、と小さく鳴る鈴が最後の音を奏で、シャナが魔女達の座る輪に戻ろうとしたところで、それは起きた。
 丸太を重ねた大きな焚き火の中で、激しく火が爆ぜる。
 ガラッ、と組まれていた丸太が崩れ魔女達の方へと倒れてきた。

『キャアアァァ!!』

 観衆達から悲鳴が上がった。
 倒れた丸太のすぐ傍にいたのはシャナだった。すぐに飛び退いた他の魔女達にくらべ、ぼうっとしていて対処の遅れたシャナは確実に下敷きになる位置にいた。

 しかし――気がついたら視界は真っ黒に染まり、温かい腕に抱かれていた。

『お怪我はありませんか……魔女殿』

 低く落ち着きのある、柔らかな声だった。密着しているため振動のように伝わってくるその声が心地良くて、シャナは無意識にその男の黒い軍服をシワになるほど握り締めてしまった。

 目が合った瞬間から、この男だと思ったのだ。認めたくなかっただけで。

 金髪が眩しかったからか、ブルーグレーの瞳が吸い込まれそうだったからか、逞しい腕に抱かれてみたかったからなのか、理由は考えればいくつもあったが、恐らく一目惚れだった。

 この夜に、選ぶならこの男がいいとシャナは思ってしまった。

 シャナは前回、前々回と『ヴァルプルギスの夜』に参加していない。
 母が死んだばかりで忙しく、遠方の祭に参加する余裕がなかった。
 だから、シャナにとってはこれが最初の夜だった。

 処女を散らすならこの男がいいと、シャナは思った。そうと決めれば腹をくくってやるべきことがある。
 魔女の使う幻惑の香を焚き火に投げ入れ、男を誘導した。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?

青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。 そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。 そんなユヅキの逆ハーレムのお話。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!

カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。 前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。 全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!

奏音 美都
恋愛
 まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。 「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」  国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?  国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。 「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」  え……私、貴方の妹になるんですけど?  どこから突っ込んでいいのか分かんない。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜

楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。 ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。 さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。 (リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!) と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?! 「泊まっていい?」 「今日、泊まってけ」 「俺の故郷で結婚してほしい!」 あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。 やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。 ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?! 健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。 一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。 *小説家になろう様でも掲載しています

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

処理中です...