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1.ヴァルプルギスの夜②
しおりを挟む(あの騎士様もきっとそうだった。ただそれだけ)
祭りの高揚に飲まれたに過ぎないのだろうと、シャナは思った。
彼は王都から派遣された、祭の警備のための騎士だった。
人が多く集まる場所には諍いや事故が多く発生する。準備期間中とりまとめの大魔女の元には何度か足を運んでいたようだ。
火の近くで踊る魔女達に護衛をつけたい、と騎士は申し出たらしい。
祭の騒ぎに乗じて魔女達の祭が邪魔されたり、彼女らが害されてはいけないという配慮だったようだが、目的を考えれば余計な世話だった。
当然その申し出は断られ、騎士達は火から遠ざけられて警備することになった。街を囲む石垣のあたりにも、ぐるりと配置されていたらしい。
王都では最近魔女の秘薬が高値で取引されているという噂もある。誘拐などを危惧して騎士団を派遣したのは恐らく帝国の皇帝だ。
皇帝のもとには毎年決まった数の『秘薬』が納品されている。それがなくなっては困る人物が、必ず魔女を保護してくれる。百もある魔女の約束は、決して無駄な条件の羅列ではなく根拠のある約束だった。土地と、人々と、皇帝との関係を魔女は常に模索してきた。
千年を無事に生きのびるために、その約束があったのだ。
――祭のとき、シャナとあの騎士の目が合ったのは、恐らく偶然だった。
(運命でもなんでもない、偶然がそこにあっただけ)
シャナはあの一夜が終わった今でもそう思っている。
火の近くで次の踊りの番を待っていたシャナは、青い衣の魔女が輪へ戻って座った後、銀の鈴飾りを持って立ち上がった。
そして火を背にして人々を振り返った瞬間、ほう、とため息のような声が観衆から漏れたのを聞いた。
シャラン、と片手に持った銀の鈴を鳴らして、鮮やかな朱の衣装をふわりと翻す。輪になった魔女達が歌い始めた。鈴の音と歌が重なり、離れ、旋律にのって朱の衣が舞う。
踊りは唯一シャナが得意とするものだった。
魔女のクセにあまり手先が器用ではなく、薬草の調合も大雑把、繕い物も料理も不得意で何でも煮込んで塩味で食べる、色気も洒落っ気もない生活をしている未熟な魔女が、シャナだ。今回の祭参加者の中で最年少の魔女である。
母はそんなシャナに呆れつつも最低限、生きるための術を仕込んでくれた。だから十九歳でも独り立ちすることができた。
踊りは、三歳の頃から母に教えられて練習している。
紗を重ねた鮮やかな朱の衣装に、ラピスラズリの珠を連ねた装飾が映える。黒髪を結い上げ、垂れた毛先に色の付いた紐を編み込んで小さな銀の鈴をつけていた。
シャナが身を翻すたびに涼やかな音が立つ。
伸ばした指先ひとつ、布の靴で地面を蹴る強さ、風をはらんで広がった裾が降りる瞬間まで計算された踊りは人々を魅了した。
そんな中、黒い軍服の騎士が一人、観衆の後ろでシャナを見ていた。
黒地に金の差し色のきっちりとした服は、体格の良い男によく似合っていた。火に照らされた金髪が艶やかに光って、背の高い男の姿は踊っているシャナにも良く見えた。
――不意に、視線が交差した。
それに動揺したのはシャナだけではない。金髪の騎士のほうもシャナと目が合い息を飲んだ。ふらりと彼が足を一歩踏み出したところで、踊りは最後のひと振りを終えた。
リン、リン、と小さく鳴る鈴が最後の音を奏で、シャナが魔女達の座る輪に戻ろうとしたところで、それは起きた。
丸太を重ねた大きな焚き火の中で、激しく火が爆ぜる。
ガラッ、と組まれていた丸太が崩れ魔女達の方へと倒れてきた。
『キャアアァァ!!』
観衆達から悲鳴が上がった。
倒れた丸太のすぐ傍にいたのはシャナだった。すぐに飛び退いた他の魔女達にくらべ、ぼうっとしていて対処の遅れたシャナは確実に下敷きになる位置にいた。
しかし――気がついたら視界は真っ黒に染まり、温かい腕に抱かれていた。
『お怪我はありませんか……魔女殿』
低く落ち着きのある、柔らかな声だった。密着しているため振動のように伝わってくるその声が心地良くて、シャナは無意識にその男の黒い軍服をシワになるほど握り締めてしまった。
目が合った瞬間から、この男だと思ったのだ。認めたくなかっただけで。
金髪が眩しかったからか、ブルーグレーの瞳が吸い込まれそうだったからか、逞しい腕に抱かれてみたかったからなのか、理由は考えればいくつもあったが、恐らく一目惚れだった。
この夜に、選ぶならこの男がいいとシャナは思ってしまった。
シャナは前回、前々回と『ヴァルプルギスの夜』に参加していない。
母が死んだばかりで忙しく、遠方の祭に参加する余裕がなかった。
だから、シャナにとってはこれが最初の夜だった。
処女を散らすならこの男がいいと、シャナは思った。そうと決めれば腹をくくってやるべきことがある。
魔女の使う幻惑の香を焚き火に投げ入れ、男を誘導した。
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