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1.ヴァルプルギスの夜①

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 森の入口に着いたシャナは、自身の手首についた大きな痣を観察していた。

 まだ赤い程度のそれは、さきほど自分よりも頭一つ半くらい背の高い騎士に手を掴まれて、ついた跡だ。
 相手はそこまで力を入れたつもりはなかったようだが、シャナの柔い皮膚を内出血させるのには充分だった。

『待ってくれ、貴女は』

 騎士はなおも何か言い募ろうとしていた。
 しかしシャナはそれを聞くつもりがなかった。
 手元の魔道具を光らせ、自身の棲む森へと帰還してしまった。

 そうしなくてはまたあの逞しい腕の中に囚われて、離れがたくなってしまうと解っていたからだ。

 待ってくれ、とあの騎士は言った。
 ブルーグレーの涼しげな目元に焦りを浮かべ、走ってきたのか淡い色の金髪は前髪が少し降りて乱れていた。街の女達を夢中にさせる端正な顔立ちが、言い表せない怯えに似た感情を滲ませ僅かに歪められていた。
 あの夜の優しげな囁きと、熱の籠もった眼差しは、やはり幻惑によるものだったのだとシャナは納得した。都合の良い夢など見ない。魔女は王都の人間にとって忌み嫌われる存在だ。
 



「大丈夫、と言ってあげるべきだったかしら」

 シャナは手元のカゴを持ち直し、森へと入って行きながら呟いた。

 おそらく騎士は口止めをしようとしたのだろう。
 彼にとっては汚点でしかない過ちを、どうにか隠しておかなければ、輝かしい王都の騎士の評判は地に落ちる。

 ――魔女と通じたなんて、汚らわしいと。

 鬱蒼と茂った森の木々がサアッと分かれ、魔法で隠蔽された小さな木造の家が姿を現わす。
 そこがシャナの家だった。
 代々シャナの血筋の『魔女』が棲む、小屋だ。

「ただいま」

 帰宅した家にはシャナひとりだ。当然返事が戻って来ることはない。
 シャナは千年以上続く血筋の魔女だった。
 母が死に、一昨年『魔女』を継いだばかりだ。まだ十九歳ではあるが、薬草の採取や調合など多岐に渡る魔女の仕事が立派にできるよう育てられている。

 森の魔女には定められた約束がある。
 毎年決まった数の魔法薬を王都におろすこと、訪ねてきた人々の病を可能な限り治すこと、庭にある薬草を決して絶やさず世話をすること……。
 その約束の数は百にものぼる。

 その最後の項目に、ヴァルプルギスの夜に祭を行う、というものがあった。
 世界中の森にいる魔女達が一堂に会し、その夜は大きな火を焚いて盛大な祭にする。
 祭には魔女以外も参加することが出来るので、年に一回のこの祭が近くで行われると聞くと、周辺各地から人々が集まってくるほどだった。

『シャナ、今年の【ヴァルプルギスの夜】はお前さんのとこでしよう』

 魔女のとりまとめ役、大魔女と呼ばれる女からそう知らせが届いたのは冬の最中だった。それからシャナは近くの森の魔女達と共に『ヴァルプルギスの夜』の準備をしてきた。

 魔女達は祭の中で踊り、歌い、普段は人々に見せない姿を晒して数多の男たちを魅了する。
 彼女達の目的は、祭の夜に男を連れ出し子種をかすめ取ることだった。

 魔女は夫を持たない。
 そのためこうして子供を作り、血族を継いでいる。
 しかしこの魔女達の密かな行いは誰の口にも上らなかった。被害者は魔法にかけられその夜の記憶を失っている。また魔術抵抗のある者で記憶が残ったとしても、『魔女』と通じることは非常に汚らわしい事と人々に認識されているため被害者が口を噤むからだ。

 美しく、恐ろしく、また穢れの象徴でもある『魔女』に触れる事を避け、人々はその存在に怯えている。
 普段は滅多に人の近寄らない森に、藁にも縋る思いで助けを求める者だけがやってくるのだ。それ以外は、魔女の存在をないものとして扱っているのが古くからの『常識』だった。

 しかし怖い物見たさ、という厄介な好奇心が人間には存在する。
 魔女というのはどれだけ恐ろしいのか? 化け物のように美しいというがどれほどか? 実はそれほど美しくもなく汚れた醜女なのではないか?
 そんな疑問を堂々と解消できるのが『ヴァルプルギスの夜』だった。人々は怖い物見たさ半分、期待半分、魔女見物のためにこの祭へ参加する。もう次にいつ、近くで祭が催されるか解らないのだからと、こぞって集まってくる。
 この時だけは魔女を話題にしても誰も咎めないからだ。皆はこぞって未知のモノへの好奇心を満たした。

 そして誰もが、火を囲んで踊る魔女達の美しさの虜になる。


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