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一章
元老院・5
しおりを挟む魔王が白銀狼のコートを引きながら謁見室に入ると、跪いて待っている魔族は1人しかいなかった。
俯いているので顔はわからないが、黒衣に騎士のような体格、豊富な魔力が感じられる。
贈り物がかなり貴重で価値のある品だったので複数人がまとまって出資したのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
顔を上げた金髪の魔族を見て、魔王は無言のままルカに視線を向けた。前世も含めて見覚えのない顔だったからだ。
「元老院の現長老です」
「殺したんじゃなかった?」
「息子が継いでいます」
「あー……なるほど」
殺されることはあっても高位魔族を逆に殺してしまった事のない魔王は、魔族の勢力図がだいぶ書き換わっている事に今更ながら気がついた。
手続きが面倒なので爵位をあげたり返したりはなるべくしないようにしていたが、それだけではなかったらしい。気をつけなければ。
毛皮のコートを翻し、玉座に着いた魔王は肘掛けに頬杖をつく。
本日も魔王の艶やかな漆黒の髪は絶好調に輝いていて、少し眠たそうな赤い瞳には絶妙な色香が漂っていた。
魔王が見下ろした先の魔族はもう既に涙目で、はあはあと息を乱している。
「白銀の毛皮が、この上なく、大変、お似合いですっ!!魔王様ッ!」
「ありがとう。それできみの名前は?」
「はっ、失礼致しましたっ!!クラーキン公爵家、ミハイル・クラーキンと申します。魔王様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
床に額ずきそうな勢いで頭を下げたミハイルだが、きちんと理性は保っているようだ。
視線が合ったくらいでは意識を失わない。会話も成り立っている。高位魔族の中でもそうとう魔力が高いんだろう。
「面倒な駆け引きは嫌いでね。この毛皮のコートの代わりに何を要求しにきたのかな」
「まっ、魔王様……っ!」
「言ってごらん。内容によりけりだけど叶えなくもないよ。このコートは気に入ったから……」
ルカがちらちらと咎めるような視線を向けてきているが、魔王はすこぶる上機嫌だった。
白銀狼のコートをお揃いにしてカーティスとお散歩したら楽しいだろうなと想像だけで嬉しくなっている。雪の季節の晴れた雪山がいい。お弁当を持ってピクニックだ。
魔王がそんな妄想に意識を飛ばしている間、ミハイルはあわあわと慌てていた。しばらく言い淀んでいたが、心を決めてその青空のような瞳を魔王へ向けた。
「わ、わたくしはあの時、まだ魔王様の即位の儀に参加できる身分では、ありませんでした。ですので、あの……ま、魔王様、どうか私のことも踏んで頂けないでしょうか!!」
ズサァッ、と床に顔から落ちて土下座したミハイルは、ブルブルと震えながら魔王の言葉を待っている。伏せた黒犬のような状態だった。
ふむ、と思案した魔王は『別に踏むくらいいいかな』と思い始めていた。
あの時は魔王に踏んで貰いたい魔族の列が出来てしまっていて気持ち悪かったが、今回はたった一人でいい。
しかも持ってきたコートはもう返す気がないし。踏む対価としたら破格だ。魔王にとってはそんな感覚だが、ミハイルにとっては違う。価値観の差というものだろう。
やってもいいんじゃないかな、とルカに向けて口パクで知らせると、もの凄く不本意そうな顔をしていた。
でもダメとも言われなかったので、これはいいって事だろう。うん。
魔王は玉座から立ち上がり、スッと目の前の数段の階段を降りてミハイルに近づいた。足音がしなかったため気付くのが遅れたミハイルは、見つめていた床に魔王の足が入ってきて初めて顔を上げた。
「ま、まおう、さまっ」
「いいよ」
「はひっ、はっ、ほんとうっ、ですかっ!!」
「どこを踏んで欲しいの?」
「ひぃっ、ばっ場所を、選べるのですかっ」
あうあうとなかなか言葉が出ず小さくまるまっているミハイルが、何だか少し可愛らしい。
柔らかそうな金髪もなかなか魔王の好みだ。
ミハイルの髪は自然と緩く巻いていて、背中の真ん中くらいまである。
それを黒いリボンでまとめ、耳にはエメラルドのピアスをしていた。
今は床に這いずってしまっているが、黒が基調の服もセンスがいい。
軍服のようなかっちりとした服に、パンとした厚い胸板、よく鍛えているようで腰も太腿もしっかりとした太さがある。
体格がいいと軍服はとても映えるのだ。ミハイルはそれが判っていてこの服を選んできたのだろう。
白銀狼のコートを贈り物に選んだのもきっとこの感性故だ。
だいぶストレートに魔王の好みのど真ん中を突いていたので、これは侮れないものがある。こういうのがひとりそばに欲しいなと魔王は思った。
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