茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

文字の大きさ
上 下
107 / 112

第二章 ツギハギ(64)

しおりを挟む
 昼の刻を過ぎた京の町。雪の降らぬ日、風の冷たさが衰える日、町は本来の賑やかさを取り戻す。

 人の日常は見えないものに左右されている。その片鱗を経験した沖田は妖物なるものの存在を気に留めながら、数名の隊士を引き連れ京の町を巡察していた。


 あんなことがあったせいなのか。

 あんなことがあったおかげなのか。


 彼の胸の片隅に巣くっていた黒い蛇のような感情は、鎌首をひょっこり剥き出したまま冬眠をしている。飼った生き物が蛇である以上、易々と追い出せるものではない。それが肥え太るまで、隠し隠しに育ててきたのであれば尚更である。

 沖田は空を仰いだ。眩しくもどこか重みのある日差し。彼はそれが平等な代物だとは、今も思えはしない。

 全てが暴き出される太陽の真下。平等である装いを見せる強い光。僅かばかりに心持ちが変わっても、それらが苦手なことは相違ない。

 目を細め天と向き合う沖田の側を、仲睦まじ気な姉弟がすれ違っていく。

 並んで歩く二人の影は、ぐずる声をきっかけに一つの影となる。 


 嫌な光だ。


 寝返りをうつ黒い蛇が目覚めぬよう、沖田は何か気をそらせるものを探す。


 近藤がいれば。


 土方がいれば。


 広い器で自身を満たしてくれる優しい者も、からかって怒らせ甲斐のある者も、今日は一緒ではない。


 屯所に戻ったら、真っ先に近藤の部屋に向かおう。


 いや……その前に……。


 鬼の側をうろつく下手な総髪の姿が脳裏にちらついた。

 さとりの一件以降、彼が遊び相手に加えた女。

 がさつで不器用ながら深奥を照らす月のような者。

 近藤に気に入られている点は、今でも気に入らないが、その気持ちに以前のような刺々しさは見られない。


 先に、あの人に相手をしてもらおう。そうなると、土方の部屋に行くことになるか。

 
 訪ねた時に見せるであろう、鬼のうんざりした顔が沖田の目に浮かぶ。
 足取りの軽くなった沖田は気付かぬうちに顔を綻ばせた。弛んだ彼の口からは幾度か咳が漏れる。


 屯所に戻るまでは、率いる隊士に軽口でもたたいて退屈をしのごう。


 そう考える沖田の目に少女の姿が映った。

 土手の傾斜に腰を下ろす少女は、遊ぶ相手がいないのか、退屈そうに川へ顔を向けている。

 気に入った大人でない限り、子供の方が気楽でいられる沖田の足は、自然とそちらへ進み出す。


「何してるんですか。」


 彼の見せ慣れた笑顔が、自然な微笑みの上に上塗りされる。
 人当たりの良い温和な青年の顔に、少女の肩から力が抜けていく。


「……皆に置いて行かれたの……。」


 伏し目がちに答えた少女に、沖田は幼い自分の姿を重ね見た。自分自身にも覚えのある出来事に、「そっか。」と彼は小さく返し、隣に腰を下ろす。

 どんな理由で置いて行かれたのか、自分と少女の訳は異なるのかも知れない。

 躾を越えた厳しさの中にあった幼い沖田は、極希に外で遊ぶことを許されても、人との距離が分からず上手く遊ぶことをも知らずにいた。そのせいで、気付けば誰も彼を遊びの輪に入れてくれなくなっていたことを思い出す。 
 

 でも……。
 

 原因は周りだけでなく自分自身にもあったことを、彼は気付いている。気付いてはいるが、そんな白い気持ちは大きすぎる大蛇の前に何の力もなさない。

 姉の目を離れた後に、勝手気ままに振る舞い、抑圧された自由を曲がった形で吐き出したこともある。

 沖田の周囲から同年代の童や、彼に世話を焼いてくれるはずの使用人達が距離を取っていった大きな要因はそこにあった。

 隣の少女を見るが、大人しそうに、今にも泣き出しそうに三角に折り曲げた膝の頭に視線を落としている。


 きっと、彼女の心に大蛇や、ましてや天邪鬼など住んではいないだろう。


 沖田は足下の石を川面に投げた。


 近藤は水切りが上手だ。土方も、原田も、永倉も。皆、上手に出来るが、彼はそれが下手だった。

 今投げた石も、一度も水面を跳ねず水底にその身を沈めていく。

 何度やっても上手くできない。今更、できるようにはならないのかもしれない。

 沖田は後ろに控えた隊士達に笑みを向け、先に行くように促すと、彼らは頭を軽く下げ背中を見せた。


「昔話は好きですか。」


 膝に乗せた腕に顎を乗せた少女は、分かるように頭を縦に振る。


「じゃぁ、一つだけ。
私の好きな話をしてあげます。
世の中の人は、この話を怖いというのですが、私はそうは思えないのです。

子供の頃からずっと。

もし、聞いたことのある話だとしても、聞いてくれますか。」


 少女はすぐに頷いた。隣に並ぶ幼い子の真似をするように、沖田も立てた膝に腕と顎を乗せる。


「それは良かった。
この話を誰かにしたかったところなんです、実は。
つい最近、その話にでてくる人とそっくりに思える人に出会ったから……。」


 体勢を変えないまま片手を懐に入れると、懐紙に包まれた石が取り出される。 
 少女に気がつかれないように腕の中で失笑した彼は、ゆっくりと語り始めた。
 
 










しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...