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第二章 ツギハギ(48)
しおりを挟む「あら、寝てしまっているではありませんか。可愛らしい。」
背後からの声に振り返ることもなく、鈴音はぶっきらぼうに答えた。
「お前さ、どこ行ってたんだよ。
肝心な時にいねぇんだから。」
「ずっとおりましたよ、私。
距離こそございましたが、しっかりお二人を見守っておりましたよ。
この子は鈴音様と二人っきりが良いかと思い、わざわざ気を利かせてあげたというのに。」
鈴音は答えず、沖田を持ち上げなおす。
「こんなに可愛い顔で寝ているというのに、大人になったら、あんな憎まれ口を叩くようになるのですね。」
静代は、童の胸に押し潰された頬の肉を突く。起きもしない熟睡具合に、思わず笑ってしまう。
その気持ちを共有したくなった彼女は、鈴音を見るが、すぐさま視線を前方に戻した。共有どころか、まともに会話ができない。鈴音はそれを思わせるような面持ちであった。
下駄が雪を踏む音がやけに大きく聞こえる。静代は再び沖田を覗き込む。先ほどは眠っていることにしか目が向かなかったが、今度は手に握られた懐紙を捉えた。
「あら、何かおねだりしてきたのですか。」
空気を読めるのか読めないのか。いまいち侍女らしさにかける静代の性格が、鈴音は嫌いではなかった。
「いいや。
ねだってなんかこないから、あたいが勝手に選んで渡した。」
「まっ。」
主人の思わぬ動きに、驚嘆の声が漏れる静代。
と同時に鈴音のしかめられた顔が、こちらに向けられたため、彼女は自身の口をそっと押さえつける。
「起きんだろ。」
「そうでしたね……うっかり。」
鈴音は伸びをするように、童を持ち上げ直し、無気力な頭を肩口に乗せなおす。
「でも、何でまた練り切りなんですか。」
多くなくとも複数はある屋台や籠売りから、主人は何故、練り切りを選んだのか。鈴音が食を取らなければならなかった遠い昔、その飴を特別好んで食べていた記憶は無い。静代は小首を傾げる。
「何となく。
何か買いに行ったら、棒振りがたまたま目の前にいて、そいつが練り切り売ってただけのことだ。」
「まっ。」
静代は鈴音から睨めつけられる前に、顔を背向けた。
「……。
あたいさ、思い出したんだよな。
あいつがあたいにしてくれたこと。」
鈴音の「あいつ」が誰なのか。静代は悩む事もなく、瞬時に察しが付いた。
「殿がしてくれたことですか。」
「あぁ。
初めて、あいつの城に連れて行かれた時、あいつ、あたいに色んな物くれたんだよ。
広間いっぱいによ、綺麗な着物に反物、簪とか紅とか、食い物とか。」
「殿なら、なさるでしょうね。
貴方様には骨抜きでし……いたっ。」
静代の言葉は腕に走る痛みで遮られる。
「もう言いません。」
腕をつねり上げていた鈴音の手が、沖田の尻の下に戻されていく。
「でもさ、色んな物くれて何でも選べるようにしてくれたけど、あたいどうして良いか分からなくてさ。
嬉しかったけど、自分がどれを選ぶべきか、それが分からなくて、結局選べないでいたんだ。」
目の前にある物で妥協するしかなく、普通よりも足りないことを満足と思い、足りなすぎれば、仕方なしで選んだものを奪う道しかない。
自分には想像でしか知り得ない鈴音の生い立ちを思い、静代は押し黙る。
何故、彼女のような心根の者が、そんな運命を強いられ生きなければならないのか。目に見えないものを憎んだところで、何の意味もなければ、同じような境遇のものは多くいる。
どうしようもない。
それ以外に、静代は言葉を思いつけなかった。
「そうしたらさ、あいつ、並べてる物を順番に説明し始めてよ、そこから自分の好きな物を選んであたいに渡してきたんだよ。
『これが旨い』だの、『これが似合う』だの。ただ、がむしゃらに生きることしか考えられなかったあたいは、あいつの押しつけから、自由に選ぶことを知っていった。
あたいの身分からしたら、生きること以上のものなんて不要なんだろうけど。
そんないらない自由を選ぶ楽しさがあるんだなって、初めて知れたんだ。
……こいつも、同じなんじゃねぇかと思ってさ。」
立場は違えど、形は異なれど、根本は同じことなのかもしれない。誰も彼もが家や身分に縛られた時代。みんな、何かが不自由なのだ、と鈴音は沖田の頭を軽く撫でた。
「あいつも……。
あいつもある意味で、自由を知らなかったもんな。」
「……そうかもしれませんね、でも……。
貴方様に会って、殿は知り得たのです。
生きるために、必死であらなければならないことを。
自分のために、生きることの楽しさを。
鈴音様のおかげで知ったのですよ。」
静代の微笑みに対して向けられた鈴音の笑みは、困っているように見えた。
それが恥じらいを隠す時の顔であることを侍女はよく知っている。平生であれば、それを囃し、頬を染めさせてやるところだが、今日はやめておくことにした。
主人をからかう戯れも悪くはないが、今は静かに隣りを歩いている。この時を共有していたい、そんな気分であったからだ。
誰も多くを欲した訳ではない。今日と変わらぬ日が、明日もありますように。ただそう願うことは欲深いことなのだろうか。
静代は遠い昔を思い出す。吹き付けた風が少し前より冷たく思え、彼女は鈴音に身を近寄せる。
「歩きにくいんだけど。」
「良いではありませんか。
少しくらい。」
頬を膨らませた静代は、鈴音の腕に自身の腕を絡めた。
「おい、ガキがずれ下がんだろ。」
「私も鈴音様に構われたいです。
そのガキんちょだけ、ずるぅございます。」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ。」
肩に乗せられるように倒れてきた頭に、息こそつけど、払いのけない鈴音。
静代は頬をわざとらしく肩に擦り寄せた。城育ちでは成り得ない、姫様らしくない鈴音の腕。さらに強く腕を絡めたくなった時、彼女は自身の腕に何かが絡んできたことに気がつく。
鈴音がいる方向からではない。
はっとした面持ちで違和感の方へ顔を向けようとした時、その必要がないことを悟る。
「もぅ、鈴音さまったらぁ、つれないのねぇ。」
聞き慣れたうえに聞きたくもない男の声がしたからだ。
無理矢理に屈みながら、肩に頭を乗せてきた男の香の匂い。静代はげんなりした。
「樹、寄らないでくださいませ。
臭い。」
「いやぁっだぁ、静代もつれない。」
何が楽しいのか、やけに機嫌が良さそうな覇王樹は品を知らない女の媚びたような真似をしてくる。
「何ですか、その話し方は。」
「お前の真似だろ。」
冷めた鈴の助言に、静代は覇王を平手で打つ。
「痛って。
何すんのお前。」
「私、そのように嫌な媚び方はしておりません。
貴方の女遊びであるまいし、私は時や状況、空気を読んで適切に媚びておりますゆえに。」
覇王から離れるために、鈴音が傾くほどに静代が身を寄せると、彼は彼女から腕を離す。
「適切に媚びるって何だよ。」
熟睡する沖田が潰されないように、静代を腕で押し返しながら鈴音は問いかける。
「お前みたいな野猿女にはほど遠い、女の才能のことだよ。」
退屈そうな覇王が頭の後ろで腕を組みながら言った。
「誰が野猿だよ。
つうか、お前、何しに来たんだよ。
呼んでも来なくて良いから、呼んでないときも出てくんなよ。」
日頃積み重なった鈴音の苛立ちが、無神経な一言で雪崩を起こしかけている。
「俺だって忙しいんだよ。
葛の葉の目を盗んで、遊女と遊んだり、芸者と戯れたり、夜鷹と哀愁ある一夜を共にしたり。
毎日毎日大忙しだ。
とてもじゃねぇが、野猿やら芋侍やらのお守りはしてらんねぇのよ。」
辟易とした鈴音は口を開く気にもなれなかったが、
「女と遊んでるだけじゃありませんか。」と、静代が代弁した。
「ま、よっぽど危ねぇなと感じたら、すぐ行ってやるから。
これでも信用の裏返しなんだぜ。
なんてったってお前の腕は俺が見込んで育てたんだ。
お前は俺に次ぐ、一流の術者なんだからさ。」
「で。」
呆れた四つの目玉には、痛いほどの冷たさが含まれている。
調子の良い言葉に惑わされてはくれないかと、覇王は苦笑した。
「ん、そういやなんだったかねぇ。
用事があったんだよ、お前らに。」
覇王は耳の穴に小指を突っ込む。
「さとりのことか。」
「いや……。」
小指が穴の奥にねじ込むように入れられては引かれを繰り返す。
「どうせ、女と遊びに行くのに時間があって暇だったから顔見にきたとかじゃねぇのか。」
鈴音の言葉に頷く覇王。
「そうそう。
最初はそのつもりだったんだけど……。」
煮え切らないような覇王の様子に、静代が溜息をつく。
「早く思い出してどこかに行って下さいませ。私達は、門限がありますから早く戻らねばならないのです。
貴方のせいで、門限を強いられるような生活をしてい……。」
言い終わる前に、覇王の言葉が静代の嫌味を掻き消す。
「そうだ、そうだ。
お前ら探されてたぞ。」
「はぁ、誰に。」
「誰だったかなぁ。
ついさっき、屯所に顔出したら門のとこに男が立っててよ。
確か……右差しだから得意な手が左で、何かあんまり会話が上手くない奴。
夕餉の支度が間に合わないとか、買い出しはどうするとか、何とかで鈴っ。」
鈴音に突き飛ばされるように童を押しつけられた静代は、覇王をよろめかす程の勢いで彼にぶつかる。
「悪ぃ、静代。
そいつ頼むぜ。」
突然の衝撃から二人はすぐさま身を立て直すが、野山で鍛えられた鈴音の足は、彼女を随分遠くまで動かしていた。
「もぅ、鈴音様ったら。」
何が起きたかを理解できぬ童は、大きな目をぱっちり見開き辺りを見回す。
「すみません、鈴音様が夕餉の準備に慌てて向かわれてしまって。」
静代が沖田に優しく告げると、童の肩に入っていた力がふっと抜けた。代わりに顔がむっすりしかめられる。
「あらま。」
幼子の寂しさの裏返しが愛らしく思えた静代は、覇王を見た。
「じた、がんだじゃねぇが。」
覇王が恨めしげな目でもの申してくる。
「さ、帰りましょう。」
静代は沖田に呼び掛け歩き出す。
涙目の呂律まわりが悪い色男のことなど、どうでも良く思えた。
そんなことより、主人の手が加わった夕餉の方が彼女にとっては重要だったのだ。
「さぁ、沖田様急ぎで戻りましょう。
鈴音様の夕餉が食べられますよ。」
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