茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

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第二章 ツギハギ(39)

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ゆきおんな。


 沖田は、そんな言葉を思い出す。

 まだずっと幼かった頃、寝物語に聞かされた話。
寝付かずに起きようとする自分を布団に縛り付けるための怖い話。

 だが、沖田はそれをこれっぽっちも怖いとは思わなかった。優しい話だと思い、それを口にすると叱られた。

 鈴音はそれに似ている。

 
 伝えたらどんな反応を見せるだろう。


 童は上目遣い気味に女をじっと見つめると、何をしているのか、視界の揺れで妙な歩き方をしているのが知れた。

 上下に大きく揺れたと思えば、後退しては前進し、塀に沿うように鈴音は進んでいる。
 時たま、ぼそぼそと呟く声を耳に、彼女を見上げていると、その動きがふいに止まる。
 肩に雪を乗せた女の瞳が下に向けられ、沖田の目線と交差した。


「悪かったよ。」


 唐突な謝罪に沖田は首を傾げることも忘れる。顔を上げていると八の字に下がった眉が下からはよく見えた。


「結界張っててやりゃ、こんなことにはならなかったんだ。
悪かった。
あいつ、頭が回るような類いじゃないから大丈夫だと思っちまって。」


 ずれ落ちそうな褞袍の首元が引き上げられ、小さな鼻を赤らめる沖田を再びくるんだ。
 それと同時に体が持ち上げられ、先ほどよりも腕の感覚が伝わる強さで抱き直される。


「今、結界張ったからよ。
さとりは入ってこれねぇから、もう大丈夫だ。
ちょっと頭が利く奴は突破するかもしんねぇけど、そうなったらすぐわかっからさ。」


 褞袍越しにもよく響く澄んだ声。

 雪の寒さを音にしたような冷えた声。

 鈴が転がるような柔らかさもふくむ声。

 沖田は言葉の代わりに頬を擦り寄せ頭を上下に動かした。降りしきる雪の中の妙な動きは結界を張るためのもの。結界がどんなものなのか、詳しくは知らなかったが、それがあれば、あのさとりがこないということだけは何となく知り得た。


「行くか。」


 どこに行くのだろう。


 障子が蹴倒されたままの、あの部屋だろうか。


 それとも昼に入れてもらった鈴音の部屋か。


 一人になりたくないと思いながら、沖田は鈴音の肩口をぎゅっと引き寄せる。


 鈴音がゆきおんなであったなら……。


 どこに連れて行かれても良かったのに。


 踏みしめる雪の音。

 ぱさりと雪が落ちたような音。

 獣の遠吠え。

 暖かく暗い褞袍の闇で、そんな音を耳にする。
 見上げていれば、隙間から見える鈴音の顔や黒い髪。


 さとりでなく……鈴音になら……。


 沖田は断片的な昔話の記憶を繋ぎ合わせながら、ゆきおんなを頭の中で反芻していた。





 隙間風に蝋燭が揺れる。夜も随分とふけた頃、大きな物音が聞こえた。
 土方は様子を見に行こうかと考えたが、今日の見張り当番の組を思い出しては、上げかけた尻を畳に戻す。
 薄くなった座布団から畳の硬さを尻に感じた。


「藤堂の組なら大丈夫だろう。」


 気分屋の雪のなか、見張りを務めている藤堂の姿を思い浮かべた。これが永倉であったら状況の確認にも急いだが、そうでないなら問題ない。京を脅かす浪士も、年の暮れの近いせいか、最近は大人しい。


 だが……。


 土方の脳裏に、いつぞやの橋の魔の姿が蘇り、続けてさとりの姿も思い出された。


 相手が妖物であったら……。


 真面目で熱心な藤堂が率いる組であっても太刀打ちはできないであろう。
 鈴音が屯所に来てからというもの、京の妖物騒動は落ち着きを払っていた。市中を巡察する際や騒がしい噂が耳に入り次第、彼女を引き連れ事態を納めてきた甲斐がある。

 何かが出た。

 という怪異の話しを完全に消し去ることはできない。

 だが人々が面白半分に噂する程度のことであれば、橋の魔以前から日常のなかにあるものだ。
 誰もが恐れおののいては家に籠もり、京の金回りが悪くなるといった大事にならない妖物であれば許容範囲と思われた。

 鈴音もその考えなのか。

 妖物の噂によっては気にしなくて良いと返答をしてくるものが、これまでに幾度かあった。


 何事も完全に失わせるということは、よくないことなのかもしれない。


 風が吹かなければ桶屋が儲からないのと同じようにと、土方は新選組の生い立ちを思い返す。不逞浪士という存在が根絶やしになっていれば、自分達が侍としてこの京に置かれることもなかったのである。現状も同じ事が言えるだろう。もし、この京の治安を守る必要がなくなったのであれば、新選組の存在理由など無いに等しいものだ。

 世の中に何事もないというのに、荒くれ者の田舎百姓の集まりが解体されず残されるなど希薄な望みである。
 だからといって、不逞浪士を京で好きにさせたり、暗黙の協定を結び、のさばらせるつもりは毛頭無かった。


 体面だけの侍に焦がれたのではない。


 護るべきもののために全てを投げ打てる。
 強い信念と誇りの塊に浮かされたのだ。そのための結果であれば、誠の炎を悔いなく燃やした後、徒花と化しても構わない。

 蝋燭の火にあてられた虫が、焦がれて死んでいく様を土方は見つめる。


 自分達はそうあれば良いが人知を超えた妖物達は、また別なのだろう。


 それらに関する知識の乏しさで、理屈による判断に至れない土方は、その場その場で抱いてきた己の肌感覚で答えを導く。

 鈴音の判断通りに妖物への対処をしてきた結果、橋の魔以前と同様になった町の様子。
 加えて会津藩や容保公の反応は、新選組にとっては羽織をはためかせ小踊りしながら出歩きたくなるようなものである。


 任せきりではなく、もう少しでも携わるようにしなければ。


 自分のお古を着た華奢な背中が、一生懸命に墨を磨る様が思い出される。
 気まま勝手に顔を覗かせるか、鈴音が再三に式神を送らなければ出向いてこない覇王など気付けばあてにもしていなかった。

 いや、端からあてというほどには期待もしていなかったが、鈴音がその名を口にするまで彼の存在を思い出さないことが当たり前のようになっている。

 がさつで身なりを気にもとめないような女であるが、知らぬ素振りを見せ面倒くさがる所作の中にあるけなげさに似たもの。

 囓ったほどにでも学と行儀を一応知り得ている様子。

 何よりも決めたこと、任されたことには忠実な動きを見せるが、誰彼構わずそんな対応をとるわけでもなければ、自分の考えも備えている。

 そんな様子が何かに似ているように思えた。 

 気が付けば親近感に似たものを抱き、お飾りではなく小姓とし扱おうとしている自分がいる。


 どんなことなら出来る範囲なのだろうか。


 そんな甘い考えで小姓に接する日がくるなど想像もしていなかった土方は、自分がどこかおかしく思え小さく笑ってしまう。

 かさかさと物音がした。
 壁を見れば家守が這いつくばり天井を目指しているところであった。


 やはり、鈴音を引き連れて様子を見に行くか。


 土方が膝に手をつき腰を上げかけた時、鈴の音が聞こえた気がした。

 片膝に手を付いたまま耳を澄ましていると、再びその音を耳にする。規則正しい響きに、深い夜と雪の静けさ。
 どれほど耳を立てても足音はせず、代わりに、リン、チリンと小気味よい鈴の音が、静寂を破りながら徐々に大きくなってくる。

 部屋の隅に置かれた愛刀を一瞥するが、それの出番ではないことを、なんとはなしに知っていた。
 高まった清い音が部屋の前で止まる。

 障子には小柄な影が映し出されていた。見覚えのある高さと形であるように思うが、頭であろう位置から下がごわごわと膨らんだように広がっている。


 何か持っていやがるのか……それとも……妖物だったか……。


 背を向けた位置にある愛刀は、大股数歩で手を伸ばせる距離だ。
 尻を後ろに引き気味に様子を窺っていると、耳慣れた予想通りの声がする。


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