茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

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第二章 ツギハギ(29)

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「総司。
待っていたぞ。」


 夕餉時。

 新選組の幹部が各々の食膳を前にしたのと同時に襖が開かれ、鈴音に連れられた沖田が入ってくる。

 それを近藤が嬉しそうに出迎えるのに対し、沖田は軽く会釈をすると、誰にも座られていない一枚の座布団に腰を下ろす。

 と、付き添ってきた女にちらりと視線を上げる。

 鈴音は背を向け、もう広間を去る体勢となっていた。

 近藤に頼まれて部屋に沖田を呼びに行っただけの彼女からしてみれば、用は済んだのである。ここに留まる必要は無い。


 ないのであるが。


 何となく視線を感じ、鈴音は近藤の方を見る。


 ここで食事をとろう。


 視線が語りかけてくる。

 昨日までであれば、それを無視して去っていったところであるが、近藤の今年最後の頼みを引き受けてしまったのだから、そうもいかない。

 鈴音はそんな気になった。

 そういう性分なのである。

 ふと背後からも視線を感じ振り返ると、童がこちらをじっと見つめている。

 何かを訴えるまでの色味を宿してはいないが、その大きな瞳が何故自分に向けられているのか、何となく理解できた。

 自分が乗った船とはいえ、双方向からの視線に胸焼けに似た胃の不快さを覚える。

 どうしようもない、と鼻で息をつきながら、鈴音は沖田の斜め後ろに腰を下ろした。

 胡座をかきながら、胸の袷に手を入れ何かを取り出す。

 色白の手に握られていたのは、犬型に切られた和紙である。

 その和紙を手に、何事かの呪文を唱えると、白い紙きれが小さな犬の姿に身を成す。
 一連の動作を見守っていた男達は、吐息に感嘆を混ぜながら吐き出した。

 白い毛並みの子犬は、小さな桃色の下を覗かせながら尻尾をふりふり。

 右に左にと短い足を動かし、鈴音と沖田の側を右往左往している。


「犬、静代が帰ったらに広間にいるって伝えてくれ。」


「あうんっ、あんっ。」


 子犬らしい甲高い声で鳴くと、お尻を突き上げながら上体を前にぐっと伸ばして見せる。


「よし、行け、犬。」


 鈴音の掛け声が終わる前に、子犬が畳を跳ねる。
 短く太い足を一生懸命に前後させ、徐々に速度を上げて駆けていく。

 自身の愛らしさを意図してなのか、広間の端を一周して見せると、襖を擦り抜けその姿を消し去った。


「おぉ。

愛らしいなぁ。
あのように可愛い犬も成せるのか。
陰陽術とは。

凄いものだなぁ。」


「思うほど万能なものでもねぇよ、これは。
何でもできる訳じゃねぇからな。」


「そうだとしても、やはり凄いさ。
自分にできないことを成すものには感心してしまうものだろう。」


 その場しのぎのおべんちゃらんで述べていないことは表情からよく分かる。

 鈴音が何も言わなくなったため、近藤は顔を中央に向け直す。


「いや、お待たせした。

今日も皆、ご苦労であったな。

いつもと同じで代わり映えしない献立ではあるが、今日は鈴音さんが一緒に飯を食ってくれるそうだ。
やはり女子がいるだけで華やぐものだなぁ。」


「近藤さん。」


 女子という言葉を大音声で不用心に使う近藤を土方は小さな声で嗜める。

 新選組内部に女子がいることは、一部の者だけの機密事項。

 広間に集まる者達には、もう知れていることではあるが、彼ら以外の第三者が聞き耳を立てていないとは言い切れない。

 近藤はしまったと頭を掻きながら笑う。


「さぁ、夕餉としよう。」


 どこか抜けた大将の呼び掛けで食事が始まる。

 だが、誰もすぐに箸を手にはしない。

 誰もがたじろいだ様子を見せながら、各々の膳と向かい合っている。


 あぁ、斎藤の飯なんだな。


 言葉こそわずかに違えど、心中に抱いた気持ちは皆同じであった。

 朝から腹が満足いくほど食せていない中で、それぞれが任務についている。

 そんな状態であるから普段の夕餉時であれば、皆、いの一番に箸を手にして飯をかき込むのであるが、斎藤が当番の時だけは、誰もが腹に覚悟を決めてから飯を食うのが暗黙裏の習慣であった。

 ただ、今宵の斎藤は一人、そそくさと箸を手にしては汁椀を手に持ち食事を始めようとしている。

 いつもであれば、調理を担った斎藤自身も箸を握るのが遅い。

 それは味に関して腹をくくるための間ではなく、誰かに小言を述べられることに対する覚悟の時であった。

 どこか様子の違う斎藤を、広間の男達は横目で見つめている。

 評判の悪い料理番が、汁椀の中にじっとりとした視線を落とすと、彼を見守る者達の背を冷たいものが撫でていく。


 気が狂れちまったよ、あいつ……。


 普段から寡黙で表情も言葉も乏しい斎藤が汁椀を覗き込み、口元を弛ませながら熱っぽい視線を向けているのだ。

 声に出す必要など無い。

 彼らは満場一致の相違ない考えを持ち、それらを瞬時に感じ合う。

 真面目な斎藤故に、直接的な発言は避けながらも、遠回しに飯が不味いことは告げてきた。

 直球に伝えてしまうような空気の読めない者は一名存在するが、それ以外は誰もが気を遣いながらも相手に伝わるように、できる限りの配慮のなかで苦情を述べてきた。

 当然、それは本人も気付いていたことであろう。

 それが実直な斎藤の心を、とうとう追い込んでしまった。

 男達の心根にじわじわと罪悪感が湧き出てくる。

これが真面目な者でなければ、誰もそんな気にはならないでいられたというのに。


「斎藤、お前、味噌汁なんか見てなんで笑ってんだ。

気持ちが悪い。」


 何の罪過も抱いていない一名、永倉が汁椀を手に取りながら斎藤に思いをぶつける。


「なんだよ、なんだよ。
もう笑っちまうぐらい変に作っちまったのかよ。」


 永倉が椀に箸を突き立てぐるぐると混ぜると、さいの目の具材が二本の棒を追いかけていく。


「でも匂いは良いですよ。
とっても美味しそうな香りがしてます。」


 無表情に戻ってしまった斎藤を庇うように藤堂が口を開くが、その手には箸も椀も持たれてはいない。


「平助。

匂いが良いことなんて前にもあったろ。
その時はどうだった。」


「……。」


「いつにも増してクソ不味かったじゃねぇか。
今日はそれに加えて、あの斎藤が笑ってんだ。

……こいつぁ、死人が出るぜ。」


 各々が胸で密かにつけている斎藤の料理番付けと、永倉の言葉はぴったりと合わさり妙な説得力さえ生み出される。

 面倒見の良さと優しさを兼ね備えた山南でさえ、さりげなく箸を膳に戻すほど理に適った言葉であった。


「ま、一足先にな。

皆、あの世で待ってるぜ。」


 永倉は大げさな溜息をつきながら、汁椀を唇に触れさせる。


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