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第一章 ヒトダスケ(13)
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これみよがしに二度もため息なんてつきやがって。
土方は眉間に皺を寄せる。
打撲の痛みも緩和されてきたため、立ち上がろうと膝に手をついた時だった。
その場がやけに静かなことに気がつく。
顔を上げると、鈴音は土方の背の方にある川へ、その面を向けている。
他の隊士も彼女と同じ方向を見ながら、先ほどよりも青ざめているように見えた。
嫌な予感が土方の胸中を刹那に走り抜ける。
振り返りたくもなければ、振り返った先に見えるものも見当がついているが、
正しい現状把握に目視確認はかかせない。
土方は自身の考えの答え合わせも兼ねて、ゆっくり振り返る。
あぁまたか。
できることなら二度は合わせたくなかった妖物の眼と視線が重なる。
赤き眼が怒りを宿していることを知ると同時に、
それは馬をも恐れぬ早さでこちらに向けて飛び出してきた。
殺られる。
土方の本能が体に囁く。
鈍痛をも忘れ、素早く腰を上げながら刀を構え、
隊士達に撤退を叫ぼうと口を開いたその時。
「走れぇっ。
札を持ったまま、元来た道を走れっ。
さっさと動け、団子侍っ。」
鈴音の声が響き渡った。
よく通る澄んだ声は、空気に乗り隊士達の体を震わせた。
「行けっ。」
恐怖で硬直した足のせいで、一歩を踏み出せないでいた隊士達の背を、
出遅れた土方の力がこもった声が押した。
負傷した橋本を背負う隊士が、雄叫びをあげ、そのまま川に背を向け地面を蹴る。それを合図に他の隊士達も後に続いて駆け出した。
そんな彼等を横目に見送りながら、
眼前に迫る橋の魔に刃を向けて走ろうとした土方の前に、鈴音が駆け出る。
「っ。余計なことをっ。」
土方の怒鳴り声を背で聞きながら、鈴音は懐から紙の束を取りだし、横に払い投げる。
手から離れていく複数の和紙は、風に身を任せそれぞれが自由に宙を舞う。
鈴音は、すかさず呪文を唱え呪詛をかける。
呪詛がかけられたその和紙は瞬時に白き犬に姿を変え、
橋の魔に向かって駆け出した。
目の前でひろげられた摩訶不思議な様子に土方は言葉も手も出せない。
鈴音の側を離れた犬たちは野太い声で吠えながら、
こちらへ向けて身を捩らせてくる橋の魔に飛びかかる。
一匹は腕に食らいつき、また一匹は尾に噛みつく。
残りの犬も負けじと食らいつける箇所を見つけては、すぐさまそこへ飛びかかっていく。
あまりの勢いに橋の魔の進行が止まる。
犬たちを振り払おうと暴れるが、しっかり食らいつかれているため、
揺さぶろうが地面に打ち付けようが、その口から肉が離れることがない。
鈴音はそれを確認すると、踵を返し土方の元へ向かい腕を掴む。
「何しやがる。」
「行くぞ。
長くは持たないから、お前も急げ。」
「冗談じゃねぇ。
お前の指示に従う必要はない。
それに今斬りかかれば、あいつを仕留めることができる。」
掴まれた腕を振りほどこうとしたが、それを制するかのように、鈴音が力強く握った。
「そんな体でか。」
今の今まで忘れていた鈍い痛みが体を刺激し始める。
自分の姿をよく見れば、脇腹の着物が破れ微かに血が滲んでいた。
橋本も、あれにやられたのか。
土方は、犬に食らいつかれている橋の魔の尾に視線を向けた。
蛇のような尾の先端は、剣先のように鋭く見える。
さっき払いのけられた時にかすめたのか。
気付かぬうちに傷を負わされていたことを知ると、何となく足が重くなったように思えた。
「今のお前じゃ、妖物に傷は負わせられても仕留めることまではできねぇよ。
何にも分かってねぇし、分かろうとしてねぇんだから。
そんなんで飛び出して行ったって犬死にするだけだ。」
自尊心に似たものを傷つけられた気がした土方は鈴音を睨みながら、売られたその言葉を買おうとする。
しかし、それよりも早く鈴が鳴った。
「馬鹿な真似してお前が新選組抜けても、誰も困らねぇのか。」
近藤の顔が頭に浮かぶ。
続けて他の組長達の顔が思い出された。
今ここで自分が抜けて、
組織として新選組の運営が規律を持って成されるのかと考えるが、そうするまでもない。
答えは否だからだ。
力の入っていた土方の腕から、意地の怒りが消えたのを感じると、鈴音は手を離す。
自分はどこからか冷静さを欠いていたのかもしれない。
土方は刀を鞘に納める。
「お前を、お前たちを信じた訳じゃないからな。
誤解するなよ。」
どこか威勢の失われた声音でぼそりと漏らすと、
土方は隊士達の後を追うために早足で歩を進め出す。
その際、鈴音に向かって、怪し気な真似をすると斬るとも、
ついてこいとも言わなかった。
その念押しをする必要がないことを、土方は気がついていたからだ。
自然と彼の足は動きを早めていく。
犬の遠吠えも鳴き声も、徐々に遠ざかる。
次第に乱れていく呼吸の波に被さるように、背後で清い鈴の音が聞こえてきた。
その音色は土方の動きに合わせて節を変える。
清く小刻みに揺れる音律を耳にしていると、先刻鈴音に掴まれた腕がその強さを思い出し
微かに痛むのであった。
土方は眉間に皺を寄せる。
打撲の痛みも緩和されてきたため、立ち上がろうと膝に手をついた時だった。
その場がやけに静かなことに気がつく。
顔を上げると、鈴音は土方の背の方にある川へ、その面を向けている。
他の隊士も彼女と同じ方向を見ながら、先ほどよりも青ざめているように見えた。
嫌な予感が土方の胸中を刹那に走り抜ける。
振り返りたくもなければ、振り返った先に見えるものも見当がついているが、
正しい現状把握に目視確認はかかせない。
土方は自身の考えの答え合わせも兼ねて、ゆっくり振り返る。
あぁまたか。
できることなら二度は合わせたくなかった妖物の眼と視線が重なる。
赤き眼が怒りを宿していることを知ると同時に、
それは馬をも恐れぬ早さでこちらに向けて飛び出してきた。
殺られる。
土方の本能が体に囁く。
鈍痛をも忘れ、素早く腰を上げながら刀を構え、
隊士達に撤退を叫ぼうと口を開いたその時。
「走れぇっ。
札を持ったまま、元来た道を走れっ。
さっさと動け、団子侍っ。」
鈴音の声が響き渡った。
よく通る澄んだ声は、空気に乗り隊士達の体を震わせた。
「行けっ。」
恐怖で硬直した足のせいで、一歩を踏み出せないでいた隊士達の背を、
出遅れた土方の力がこもった声が押した。
負傷した橋本を背負う隊士が、雄叫びをあげ、そのまま川に背を向け地面を蹴る。それを合図に他の隊士達も後に続いて駆け出した。
そんな彼等を横目に見送りながら、
眼前に迫る橋の魔に刃を向けて走ろうとした土方の前に、鈴音が駆け出る。
「っ。余計なことをっ。」
土方の怒鳴り声を背で聞きながら、鈴音は懐から紙の束を取りだし、横に払い投げる。
手から離れていく複数の和紙は、風に身を任せそれぞれが自由に宙を舞う。
鈴音は、すかさず呪文を唱え呪詛をかける。
呪詛がかけられたその和紙は瞬時に白き犬に姿を変え、
橋の魔に向かって駆け出した。
目の前でひろげられた摩訶不思議な様子に土方は言葉も手も出せない。
鈴音の側を離れた犬たちは野太い声で吠えながら、
こちらへ向けて身を捩らせてくる橋の魔に飛びかかる。
一匹は腕に食らいつき、また一匹は尾に噛みつく。
残りの犬も負けじと食らいつける箇所を見つけては、すぐさまそこへ飛びかかっていく。
あまりの勢いに橋の魔の進行が止まる。
犬たちを振り払おうと暴れるが、しっかり食らいつかれているため、
揺さぶろうが地面に打ち付けようが、その口から肉が離れることがない。
鈴音はそれを確認すると、踵を返し土方の元へ向かい腕を掴む。
「何しやがる。」
「行くぞ。
長くは持たないから、お前も急げ。」
「冗談じゃねぇ。
お前の指示に従う必要はない。
それに今斬りかかれば、あいつを仕留めることができる。」
掴まれた腕を振りほどこうとしたが、それを制するかのように、鈴音が力強く握った。
「そんな体でか。」
今の今まで忘れていた鈍い痛みが体を刺激し始める。
自分の姿をよく見れば、脇腹の着物が破れ微かに血が滲んでいた。
橋本も、あれにやられたのか。
土方は、犬に食らいつかれている橋の魔の尾に視線を向けた。
蛇のような尾の先端は、剣先のように鋭く見える。
さっき払いのけられた時にかすめたのか。
気付かぬうちに傷を負わされていたことを知ると、何となく足が重くなったように思えた。
「今のお前じゃ、妖物に傷は負わせられても仕留めることまではできねぇよ。
何にも分かってねぇし、分かろうとしてねぇんだから。
そんなんで飛び出して行ったって犬死にするだけだ。」
自尊心に似たものを傷つけられた気がした土方は鈴音を睨みながら、売られたその言葉を買おうとする。
しかし、それよりも早く鈴が鳴った。
「馬鹿な真似してお前が新選組抜けても、誰も困らねぇのか。」
近藤の顔が頭に浮かぶ。
続けて他の組長達の顔が思い出された。
今ここで自分が抜けて、
組織として新選組の運営が規律を持って成されるのかと考えるが、そうするまでもない。
答えは否だからだ。
力の入っていた土方の腕から、意地の怒りが消えたのを感じると、鈴音は手を離す。
自分はどこからか冷静さを欠いていたのかもしれない。
土方は刀を鞘に納める。
「お前を、お前たちを信じた訳じゃないからな。
誤解するなよ。」
どこか威勢の失われた声音でぼそりと漏らすと、
土方は隊士達の後を追うために早足で歩を進め出す。
その際、鈴音に向かって、怪し気な真似をすると斬るとも、
ついてこいとも言わなかった。
その念押しをする必要がないことを、土方は気がついていたからだ。
自然と彼の足は動きを早めていく。
犬の遠吠えも鳴き声も、徐々に遠ざかる。
次第に乱れていく呼吸の波に被さるように、背後で清い鈴の音が聞こえてきた。
その音色は土方の動きに合わせて節を変える。
清く小刻みに揺れる音律を耳にしていると、先刻鈴音に掴まれた腕がその強さを思い出し
微かに痛むのであった。
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